活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年7月記載分(6)

2012/07/27 (Fri) 17:35:47
>私がやけにミミズに同情的なのは、なぜなのかな~?私もミミズだったことがあるのかも。
そうですね、あったのかも。が、ミミズでは自己認識能力に欠けるから、懲罰の意味にはなりません。同様のものとして、強制収容所のようなところで、岩山の畑化作業のようなことをさせられていたのかもしれませんね。ミミズと同じく、土地を耕し肥やす善行を以て償っているわけです。
しかし、強制収容所で食事もろくに与えられず労働させられ、倒れたら打ち据えられてる人々に対して、あんたは過去世が問題だったなんて、ちょっと言えないですね。何とかしてやりたいと思うでしょう。あるいは、戦禍絶え間なく、難民としてやっとの思いで浪々生活している人たちに、過去世が悪いんだから仕方ないなんて言えないでしょう。むろん、カルマ論者ならズバリ言いますね。しかしそれも、本当のことなのかどうかなど、わからないのです。勝手に宗教が、信者のコントロールのために、こうだと決め付けている方便なんですね。
しかし、マシュー君のメッセージは正しいでしょう。新時代には、自分で自分を評価するのです。他人が、たとえそれが神であっても、評価するものではありません。それが彼の本源たるハイラーキーなら、評価して、転生させた後の責任を全面的に負うのがハイラーキーというものです。
自己審判と言っているように、その審判のラインは人によって大きな差があります。経てきた一生を振り返るとき、為したある行為に対してきわめて敏感に心が反応する場合、それが次の転生のきっかけになりえるでしょうね。そのときたいてい、ピンときます。
ああ、なんと言うことをしてしまったんだ。この衝動の発生を矯めるようなカリキュラムが要望されるな、と決意するとき、彼に対して、それを成就させてくれるプログラムがあたえられるのです。、それが次の転生です。
新時代は、自己審判という原則が適用されます。ところが、旧時代は、裁きを下す評議会が彼の次の転生を強制的に決めていたのです。ちょうど、今の裁判制度のようなものですね。が、それは旧態制度なわけです。つまり、邪神のいいように有情の差配が可能になるシステムだったのです。すると、どうなりますか。原発推進ジャーによって日本は牛耳られていたといったことになるのです。
なぜ邪神の都合でそうなったか。すぐお分かりでしょうが、有情をこの世界に幽閉しておこうという邪神の魂胆がそこにあったのです。
これによって、この地球転生を抜け出すことは、九分九厘不可能だったのです。エドガーケーシーの転生の秘密をご覧になりましたか。地球卒業者は、まるでオリンピック体操競技のフィニッシュまで完璧な平衡状態を完成したような者にのみ与えられる栄冠だったのです。アセンションが救済してくれるといった甘いマヌはどこにもありませんでした。
たとえば、私の祖母は、過去世において、積善の徳を十二分に備えていたそうです。そのような、さまざまな拝み屋さんの見立てがなされるほどの、高徳の魂だったそうです。
ところが、そのような人がなぜこのような、貧窮と苦労の、それこそミミズのような、献身と子育てと労働の日々だったのか。最後の最後まで、幸せとは縁遠い生活だったのか。
それは、たったひとつ。自分の子供と、他人の子供を、分け隔てした、そのことによってのみ、今生の90年が与えられたのだとのこと。複数の拝み屋の見立てゆえ、気持ち的にも抗えない。
はつの祖母の思い出(もっともよかった青春期までのこと。結婚後のことは、筆舌しがたい苦労ゆえ、話したがらなかった)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/hatsuno1.htm
たつえおばあさんは祖母をモデルにした死後物語。(初孫とは、私のことでおじゃる。てへへ。保険がけ)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tatsueba.htm
すると、私の夢に祖母が出てまいりました。墨染めの衣(瀬戸内さんのような)を着て、まるで説法道場の帰りのような感じ。赤子のような透き通った肌をしてましたね。何か語っていたのですが、わかりません。私の新神話効果は童話にも及んでいるのです。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-417.html
うちの子と他人の子を分け隔てしたのは、私も同じです。うちの猫たち(その子供も含め)とA家から流れてくる猫たちを分け隔てしました。
石松とミケが私の夢の中にまで現れて帰順の意を伝えたのに、私は彼らを拒否し続けました。えさで分け隔てしました。残り物しかやっていません。そのつど、ああこれが祖母の過去世の失点になったことなんだなと思いながらも、どうにも改められないのです。
ウーが子育ての最中なのに、襲撃をしばしばしていた石松などを家に入れられますか。石松とミケには、入れまいと暴力を振るいました。石松は、うちに受け入れられないことをとうとう悟った数日後に死んでいます。ミケも寸でのところまでいきました。そのとき、こんな思いになったのです。
https://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/efe72edae78cacc592f0d067cf88d422
ミケはその後もよくきて、私を恐れつつも、ちょうどこの牛のようなやさしいまなざしを向けるのです。私はミケの安泰を日々祈っています。
猫は人間のように、合理化などの心理的技術が使えません。宗教や信条もないですし。だから、彼らへの不平等は、彼らの心を痛く傷つけます。ものすごく嫉妬深いし、不当な扱いを受けたら、仲を修復するまでに時間がかかります。言葉が交わせず、お互いが心の探りあいをしているのですから。
たかが猫として、異界に置いておけば、彼らも関心を寄せないのかも知れません。が、私にとっては、かけがえのない家族なんです。飼った以上は、彼らのそれぞれに対する責任があるのです。
猫を相手にしても、自らの心の中のでこぼこに躓く。どこにいても、躓かせることはあっちからやってくる。山奥だろうが、里中だろうが。どこかに行き過ぎが衝動的に発生することがしばしば。一方を立てれば、もう一方が立たず。相手方の恨みをどんなふうにしても誘発する、そういう仕組みになっていることも、この世らしい。
心で会話ができたら、ミスも少なかろうにと思います。黄金時代への回帰は絶対なくてはならないことなんです。私は思考の対象が並立する相手に向かうことは少なく、それを図った上位に向く傾向(癖)があります。このゆえにバベルを仕組んだ邪神を憎みます。
そんなとき、邪神はわが恨みのタックルによって転びますか。いや、原理的には転ぶのでしょう。
もしそんな邪神たちが評議会を開いて、私を裁こうとするなら、問答無用で斬りますよ。おめえたちに、私を裁く資格などあるかと。私には、祖母のような信仰心と謙虚さは微塵もないのでね。
自己審判を思い込ませて、何か図ろうとすることも考慮せねばならんでしょう。それだけこの世に現れるものは、にわかに信用でけんということです。
2012/07/28 (Sat) 06:31:07
いつかきっとさん
忘れておりました。私はかつてミミズではなく、蚊になったことがありました。UFOの中で、貴重な蚊の一生を体験させてもらいました。(ここまで詳細描写できる者は、体験者以外にはおりますまい)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/tenjobito4.htm
それはまさに、蚊を憎み殺戮していた者が、いちどは身を以て経験したほうがよいカリキュラムでしょう。同様に、ミミズを嫌い迫害していた人は、ミミズを経験し、その心情の理解を培ったほうがよろしいのです。
さて、ひとつ質問していいでしょうか。(いいですよ(と聞こえました))それはありがとうございます。では。
こんな話はふつう、公の場でするのは不謹慎なのですが、あなたは「Q.どんな死に方が自らの理想とお思いでしょうか」。他者との折り合いを優先するあまり、ご自身の理想を曲げたりせずにお答え願えたらと思います。なお、これは交信してほしいと言っているわけではありません。ご自身の心情をお聞かせ願いたいのです。
私の場合を申しておきます。私の場合は、頭上でピカドンが鳴り、一瞬にして私もわが家の猫たちも即死することが、目下の理想像です。あるいは、ポンペイ最後の日のように、火砕流に一家全員が呑まれてしまっても、またいいかと。(むろん、それらは環境変化によって、変わることもあろうかと思います。目下のところ、そうだということです)
なぜなら、残された猫たちが、以後苦労して食を探し、離散していくことを思うと、とてもいたたまれず、むろんエゴに満ちた身勝手な思いであることは重々承知で、心の隅で願っているしだいです。
また、そんなことが起きたら、この中国地方に住む人々がたまったものじゃない、自己中もいい加減にしろと激しいお叱りを受けるに違いないですが、ここはすでにそうとうなプライベート空間になってますし、ひとつぶっちゃけてもいいんじゃないかと思い、心情を吐露いたしました。
もちろん、周囲に合わせねばならない環境下にあっては、おそらくこんなことは書けません。「あの子は、こんなこと考えとったんか、見損なってた」と揶揄されてもいけませんから、その場合は差し控えてください。私は天下どうどうはいどうどう、押し切って書く阿呆猿です。
2012/07/28 (Sat) 11:09:45
だから私の偽らざる気持ちは、宇宙人などが来て、事態の保全や存続を図ったりしてほしくない、というのが本音です。第三次大戦が予定されていたのなら、阻止しないでほしい。核兵器の無力化など、とんでもない。→きっとそれだけで、アセンションには不向きな人間であるとみなされることでしょうね。
私は、彼らの説いている、魂の進化というものに、疑問を持っています。現状の競争社会は、魂の進化のために用意されていたのではないのですか。私の理想とする縄文時代であっては、進化にならないから、わざと邪悪な支配原理が導入されたのではないのですか、と。
それが宇宙からのお達しなら、今までのことは度が過ぎていたために(つまり邪悪な部分が)咎められたのであり、競争社会は決してなくなることはないと思えます。資本主義社会の矯正版として、再登場するのではないかと懸念するのです。NESARAは資本主義ではありません。このとおりにいくのでしょうか。
ちょうど、戦争で相手を降参させることで多大な弊害を作り出すより、オリンピックで雌雄を決したら、お互いリスクを負うことなく、切磋琢磨(進化)できるのではないかといった発想ですね。それなら、許せる? 冗談じゃない。許せるわけがないでしょう。
競技化したとしても、ストレス社会からは離脱できません。ストレスが進化の元とされている限り。何か方法を取り違えていやしませんか。そう直感するのです。別のほんとうのやり方があるはずだと。
私の理想郷は、地球上にかつてあった黄金時代です。魂が安らげるところです。日々、神々に祈りを捧げているのは、その理想郷を共に復元しましょうという意味なのです。ストレス文明社会とは、まったく無縁であってほしいのです。
お化けには学校も、試験も何にもない。それが縄文時代だったのです。ストレス社会のほうが、よほど魑魅魍魎性が強くないですか。
オリンピックにたとえるなら、進化とは記録の伸長になるでしょうね。かつて100m9.9秒だったのが、今は9.6秒。それを以て、進化と言っているようなものでしょう。そのために、日々の鍛錬を欠かしてはならない。休みを一日でも置くと、なまってしまう。
4次元、5次元といったアセンションの話もよく似ています。3のままではだめだから、少なくとも4、さらには5にしなくてはならないと規定を設けた方たちはどこにいるのですか。私は、その方たちに、直接質問してみたい。
「何でも一番(上昇、進化)じゃなくてはいけないんですか」と。「疲れたから、とうぶん休ませてもらうことは、いけないことなんですか」と。
自分の魂の人生(世界線)を、誰か他人によってコントロールされたくないのです。それがたとえ神や天使や高度計画を持った宇宙人であってもです。
2012/07/29 (Sun) 07:09:24
いつかきっとさん
理想は、きっとそうでしょう。しかし、実際は理想的ではありません。
犬や猫といえども、彼らの選び取るべき人生がありますから、我先逝くとも、残しおくべきことなのかも知れません。
たとえばうまくすれば、A家の猫たちのような展開をすることでしょう。たとえ神に対して左端的な恨みを抱いたとしても、それは生きるという命題を達成したことになります。
ただ、私は彼らと共に逝きたいという身勝手な希望を持ったわけです。それが核爆発やポンペイの例だったのです。そんな身勝手がまかりとおるとは思っていません。
痛くなくスーと。そのとき、周囲は整頓されていた。現実に当てはまることはきわめてまれでしょう。
痛みは、この世から簡単に離脱を図りたがらないように仕組まれた摂理です。しかし、役立たずになって離脱するときには、ご苦労様のねぎらいの言葉の代わりに、苦痛の期間を与えるのです。まるで昨今の会社が、従業員を扱うようなやり方だなあと気づきます。
これは神の礼儀なのか。正神なら、こんなことなさるまいに。邪神だからこそのやり方なのだ、と腑に落ちるのです。邪神全盛の時代には、企業もモラルをなくします。
一神論の人なら、ずいぶんと持って回った思考をなさるようです。何もそこまでして、自分の心を偽らずともよかろうにと思ったりします。
神の義を求めよと誰かが言いました。その義とは、自らの心情を偽ってまで、邪神をヨイショしてやることを言うのではないでしょ。
神の国、神の義とは、自らがこうあってほしいと、理想する神の国と神の正義のことであり、少なくとも某教徒にそのようなイメージングのたしなみがあったとは思いません。彼らはただ教会の与える解釈を鵜呑みにしていただけではなかったでしょうか。
だから、現実に神の国の風情が漂うことはまれで、むしろ黙示録的な成り行きに恐れおののいているといったことかと思いますが。某教国ほど、黙示録世界が示現してますでしょ。
https://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message71.htm
そこまで現実化しているのだから、その反作用としてのアセンションも必ずあるでしょう。義人と自ら信じる人にそれはやってくることでしょう。
ただ、誰でもが通過する痛みを恐れてはどうにもなりません。窒息するときの苦痛。ジュウジュウと煙を吹きながら焼けていくときの苦痛。これらはあえて直面して突破すべき、アセンションへの薄壁なのだと思います。

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