現時点の時空に関する考察(1)

まず、かつて日本が経験した明治維新と相似の事象としての地球維新があるかどうか。
現時点にその兆候を認めることは少しばかり尚早であろう。
というのは、太平の天下を揺るがす黒舟の来航が未だにないからだ。黒舟というキーが欠落している。
音信はあっても、それがなされて、太平の眠りを覚ますほどのものにならない限り、明治直前の幕末の様相とは似て非なるものである。
現在は、まだUFOディスクロージャーがあるだのないだののレベルに留まっている。しかも、現実に飛んでいるものが地球製(米国製)UFOかも知れないといった漠然とした状態では、幕府が新造船を造った程度の噂でしかなかろう。UFOが宇宙からやってきて、少なくとも米国に圧力をかけているという確たる情報が出てこない限り、あるいは幕末の沿岸部領民たち多数に、あれは明らかに地球製ではないぞというインパクトある出現がなくては始まらない。ネット上での賛同者の寡多を以て、これを補完することは困難だ。それは仮説の域を脱していなくてはならないからだ。
残念なことに、ふるやの森さんで語られたことやマシューメッセージにあったことが実現していない時点では、時期尚早と言うしかない。
むろん、幾つかの時点で大きくパラレルワールドとして分岐して行った時空の側では、以上のことが実現しているものと確信される。しかし、こちら側では、まだ世界は混沌とした幕末末期の様相を呈するのみで、このままでは打ち続く内乱、一揆、騒乱事件、飢餓の進行していく有様となることは避けられまい。幕府は情報の偏向操作と武力弾圧するにかまけるだろうし、年貢の取り立ても烈を極めることだろう。こうして世界人口が激減することは避けられまい。
RPGゲームの世界も、いろんなプログラムの選択肢を、我々の個々が意図して選択してきた結果としての落ち着き方をしている。
私はこの世界を所期のとおり誘導している。見渡す周りはほとんどダミーであろうと推測しながら、心を苦しくなく保っている。(ダミーとは”I am that I am”状態にない者のこと。つまり単にプログラム上に記述されただけの者のこと)
なぜなら、これからの時空を体験するには、それ相当の力量ある魂の性能が要求されるからだ。少なくとも、世界の成り行きを鳥瞰的に超然と見下ろせる理性あるいは魂の資質を育んでおかなくては務まらないだろうから。
では、この時空は何によって規定されているか。何度も言ってきたように、時空(プログラム)をいろいろなバラエティーに富ませているのは、メルヘンである。中でも、特に神話である。
この時空は、古事記の神話における「黄泉の国」のレールに則っている。聖書の工程にも則っているが、最後の土壇場に、それをサポートしてきた卑怯者たちは恐怖の末、奈落の精神状態に陥ることになるから、この神話の効果は手薄になる。その間隙を突くことができるのだ。
新神話にもう少し威力があれば、先の地球維新へと繋がったことだろうが、その線は弱くなった。
しかし、新神話には別ルーチンがいくつも用意されていて、懐が深くできている。旧神話の展開をも取り込んで、この場合は最後のどんでん返しで正神政治への復帰が目論まれている。少なくともイザナギ脱出は旧神話の予定された工程。それをさらに巨歩進めて、三次元密度に置かれる地球すらも、クリーンなものにしてしまう、最後の一厘の工程が適用される予定である。
阿呆が仕掛けた操りの糸。世の支配神とその配下ども、この阿呆の掌で転がされての末に消えて亡くなれ。
阿呆の目的は唯一それにある。

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