ぼちぼち地球を去らねばならなくなりました。肉体の心臓は出力が出せず夜も昼も居眠りが板に着きました。それがちょうど今のご時勢に合わせるかのようで、世界もご同様かなと思っている次第です。今まで何度も死にかけながらここまで来たのは、やはり見届けるべき役目があったからだと感じる次第です。
浦島太郎は龍宮から故郷に帰り、思い出の玉手箱を開けて灰になり、鶴に変じて飛び立ったとのことです。私も50歳以降、龍宮入りしたかのように、乙姫様や鯛や平目の舞い踊りを見てきました。浦島が時を経て現実に戻れば、かつてのよすがはなく、希望を見出せぬ光景が広がるばかり。
浦島はそれゆえ思い出の玉手箱を開けるのです。
浦島は小舟の漁師でした。そのように私も仕事は漁師に似たタクシー運転手でした。それは生業であって、本業は真理探究でした。後者はおカネにはなりません。吐き出しばかりでしたが、不思議にもそれによって生活に不自由があったりはしませんでした。
むしろ生き甲斐になり、それゆえ辛い漁師に耐えてこれました。そんなとき、乙姫様が私の50歳の壁を打ち破って龍宮へと誘ってくれたようなこと。少しは個人的に次元上昇したのでしょうか、世の中の可変性を感じられる日々になりました。また、自分の属性に浦島的要素が次々と加わるのを見届けました。
浦島は蓬莱島の丹頂鶴の化身であり、頭頂の赤さゆえに赤い鳥・朱雀であり、火の鳥でありという具合に”験”が示されてくるのです。古事記ではホホデミで、彼は玉を得ます。それまでモテなかった私が50歳以降2年間で三人の彼女ができ、また鶴は番にこだわるように、出会いと別れがセットでした。
三番目の彼女との初対面のとき、開口一番の言葉が「あなた、ヤマトスクネやね」でした。私は意味を解せずにいたのですが、後に天橋立の籠神社境内で見つけ、あっと驚きました。なんと銅像の人物は亀の上に乗ってるではありませんか。まるで浦島です。
なるほど銅像の顔に私は似ています。
二番目の彼女は、会うべき人は伊勢正三に似ていると言ってましたから、やはり似ています。美男子とは言えない。しかし、蓼食う虫に乙姫系(宗像三姉妹)がいることが判明したのです。まるで我が人生、謎解きそのものになりました。世界の謎を解くのに得手たのが、今度は自分とは何かというわけです。
いちおう人ですから、日戸(神霊を乗せる)の機能を持っているわけでしょう。それが今や乗せる媒体を終わろうとしています。自らをうまく昇華できるでしょうか。浦島が、思い出の入った玉手箱を開けたように、私は思い出を自分神話たる新神話にして開放することにしました。いわば昇華の儀式です。
ツイッターのプロフィール写真を丹頂に替え、ブログの写真をヤマトスクネ像にしました。もう少ししたら、向こうの世界で果たすべき役割のものに替えます。
向こうで何をするか。それは鶴の恩返しのようなことかも知れません。とんでもない場所に来ましたが、最後まで親切に面倒見てくれましたから。
すべてに感謝します。