2012/08/01 (Wed) 12:48:08
https://oka-jp.seesaa.net/article/284171946.html
原発推進ジャーには追い風。人類は、自ら滅亡する以外の選択肢を、もとより持っていなかったのかも知れませんね。
神頼み宇宙人頼みとは、地球人だけでの事態の収拾能力、当事者能力なしを印象付けるものでしかありません。
ホピにおける第五の時代は、またいっそう自信喪失して神の指揮に従うばかりの、新ホピ族から開始されることになるのでしょうか。
テロリストは往々にして、神の側から派遣されてきたというのに。
小出さんが出ていたたまねぎジャーナルが廃刊になるそうですね。世間を騒がせる元凶でしたからね。平成の大獄事件もやがておきるか。
たまねぎをひん剥いたら、なんにもなかったよ、となるのかも。同時に放射能なんか初めからなかったよとか。
いちおう、8/5午前4時頃を期待してみます。
2012/08/01 (Wed) 18:22:33
https://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201208010473.html
ついに捜査のメスが入るとのことです。しかし、業務上過失致死傷が問えないかも知れないというわけですね。まだ放射能を原因とした病例や死亡例がないし、これからもないかも知れないということなんでしょう。
しかし、世界的な一斉逮捕の流れの一環として捉えられそうです。
原発推進ムラなんか、水戸黄門に出てくる悪代官とゴロツキ一味そのものずばりなのに、肝心の黄門様とお供の方たちがいっこうに登場しないので、この映画はちょっとおかしいんじゃないかと思ってしまってたんですが、8/4(日本では8/5)に初お目見えになりそうだとのことで、私は屋根にあがってご一行をお待ちすることにいたします。
2012/08/02 (Thu) 06:51:40
2008年の記事のようですが、これがなかなかのものです。UFOにこだわることはないと思いました。
https://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/45270755febdb82721c5ff9f2b2cc7a1
むしろ今回のクロップサークルの8/4で示された時点は、アセンションそのものの時点ではなかろうかとさえ。
というのも、私はここのところ、心中が穏やかで、この場で恐怖や怒りの情報源を披瀝している際にも、それがどれほどのものでもないという思いが常在しているのです。日ごろ、私から煽りを受けている読者は不愉快なことかと思います。読んでる方がワナワナしておられるのに、発信者の私が平然としているなんてことが、あっていいわけはありません。
上のサイトの記事の青い字のところを読んでみてください。私には手厳しい限りですが、まさにそのとおりであると思います。大いに反省します。
どうやら、私は低級な魑魅魍魎の世界にどす黒くわだかまるものから、インスピレーションを受けて書いていたのではないかと思います。しかし、書いているときも、この胸板のすぐ下は、平安と了知の充満する場になっていて、書く内容を第三者的に傍観していたりしていたのです。何たる無責任さか。
つまり、それほどにエネルギーの圧力が高まっているようなのです。このエネルギーは平安と大成就と言えるような境地で、光のような印象はないのですが、そこに居れば安らげるし落ち着くのです。昨今の眠気の原因なのかも知れません。
そういうわけで、たとえ数少ないとはいえ、私の記事を読んでいる方で、心を動揺させている方がおありなら、ここで深謝しておかねばなりません。たぶん、こんな怒りっぽい私がそうなっているのだから、みなさんも同じ境地をすでに内に持っておられるのではないかと推測しますが、どうでしょうか。この時期、それになるべく意識を振り向けるようにしてください。それがアセンションへとつながる境地であると、私は確信的に思います。
法華経如来寿量品第十六に「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」 とある境地がまさにそれであるでしょう。その境地が昨今、ものすごく近いところに存在するようになっています。これはたぶん、アセンションの時点が近づいたからであろうと推測するわけです。
不安や怒りを煽る情報には、この時期、関わらないか、もしくは読んでも拘泥しないようにしてください。(私が元凶だったりするのに、何たる言い回しか)
古事記のイザナギの黄泉国脱出物語は、古代版のアセンション情報です。元祖アセンション情報とでも言いましょうか、混沌とした魑魅魍魎の支配的な腐敗した世界を、まさに死臭の穢れを蒙るまいとして、脱出していく話ですが。
イザナギは川に下りて、泳ぎ渡る際に、身に着いた穢れを落としていきます。身に着けていたすべての衣類、被り物、装飾品を投げ捨てます。そして真っ裸で身体を洗い流します。(つまり、この世に属するものは、みんなこの世にお返しして去るということでしょう。三途の川もそうした場所ですね)
このときに、船出のときの話が重複的に語られます。突き立つ船戸、時量師、道の長道歯など、時間の観念が殊更強く示されています。つまり、出発の時期に大きな意味があるようで、きっと、定めのときというものにうまく乗っかる必要があるのでしょう。
それが今回のタイミングかも知れません。どうか、今のこの時期を穏やかに、有意義にお過ごしくださいますよう。