古事記は真のバイブルだったのに・・・求められる真のシャーマン像

バイブルというのは聖書のことを言うらしい。だがこれは救済の書ではない。
人類を神と聖別し、獣の領域に置こうとするものだ。
事前にこれからの未来を示し、人類がその鎖から解き放たれることがないことを示すものである。
そして、土台にある地球を穢れたものとし、いつくるか分からぬ未来の楽園だけを夢見させる。
そこから人々は、おそらく大麻の幻想のような快感を得るのだろう。
つまり、絶望を左手に、天国への扉を右手に置いて、人類に臨んでいるのが聖書の神なのだ。
それを救済に結びつく書というには、ほど遠いものがある。
いっぽう、日本の古事記は違っていた。これは、人類がおよそ立ち入りかねない、物質文明隆盛という事態に対して、兆候を見て知恵をもって、立ち入ろうとする道を聖別せよと教える教訓の預言書だったのだ。
用い方次第では世界を良導し、歴史を閉ざしてしまいかねない愚行を未然に防ぐこともできたはずのものである。
用いるべき立場の為政者が自らのものとして長い間手元に置いていたはずの古事記。彼らがそれをまともに有効的に使うことは一度としてなかった。
古事記の神々を扱う神職が知らないでいるはずはなかった。あるいは、知らぬふりを決め込んだのかもしれない。その神職たちのトップに立つ天皇とて同じだ。天皇こそが積極的に活用せずして何になろうか。そのような暇がなかったにしては、あまりにも家系だけは続きすぎていないか。
古事記を編纂した天武天皇は少なくとも知っていた。中身が何であるかをよく知って、編纂したのだ。それ以前に古事記の原型である本辞が成立していたのなら、成立当時の天皇も知っていただろう。
あまりの先の未来に、まだ意趣が知れるのは先で良いとでも思ったのだろうか。残念ながら、子孫たちは単なる先祖の手になる宝のコレクションに加えただけだった。その意趣を紐解く立場の神職がそれを活用した形跡もない。こうして、古事記の神名は意味が知れることなく、神棚に祭り上げられただけとなった。
聖別にもいろんなものがあるが、神名の真意を知らず、誤って聖別してしまうプロもなかろうに。腹を切ってもらいたい。
神々は、人類が定義した範囲において神として顕れる存在であり、我々が神話を作ってこそ活躍できる超自然的有意識的パワーのことである。神々のそれぞれに属性を与えるのは我々であり、人間の側の発想が貧困であればその程度の顕現しかできないのも神なのである。
その道のプロたちの罪は測り知れない。
そして教訓は生かされることなく、人類は神に及ばないことが当然であるかのように、古事記に立ち至るなと戒められた「黄泉の国」のステージの、しかも今や末期に至ってしまった。
大道廃れて仁義ありとは老子の言葉だが、元津神話の意趣が廃れて、新神話の日月神示などが現れたのだ。末世の様相を示し、人々に希望の火を絶やさぬように世の建て直しを示すこととなったのだ。元津神話が生かされていれば、このような新神話は無用のものだった。
ホピは原初の頃の神話をそのまま持ち伝えていた。時間の流れの中に立ち顕れてくる兆候を見る目を持つようにいつも心がけてきたのは、彼らの指導者であるシャーマンであった。
彼らの神話には、人類が選択を余儀なくされる二つの道が予め示されていたという。それは「存続の道」と「滅亡の道」であり、前者はさらに世界線が続いていくように描かれるが、後者は途切れている。
しかし、それらを概括して鳥瞰的に見ることができるのも人間である。人間の掌中に神話も存在しているのだ。ただ、伝統を守り何もしないことが態度というのはおかしなことであり、その保守に固執する勢力がどうしても残存するなら、新神話によって旧神話を駆逐することも必要不可欠なこととなるのだ。
ホピの長老たちの広宣努力には敬意を持つが、人間にしかできない発展の努力をとらない以上、滅びの流れに彼らも乗るしかない。ホピの長老たちは、日本の神職よりは雲泥の差ほどにはるかにましだ。知らぬ顔をしているのでもないし、多大な努力をしている。
しかしそれでも、そこから新しいシャーマンが改革の火の手を揚げることが期待されるのである。

「古事記は真のバイブルだったのに・・・求められる真のシャーマン像」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    わたし・・最近聖書は宗教的とは違う意味や働きが
    あるように思えてしかたありません。
    イエスの歩んだ神への道 そしてその精神を教えるというより、、、なにか預言的なことを、かなり遠まわしに暗号的に示しているような気がしてなりません。
    先日の、煎り豆の花、これも3000年に一度さく花も、イチジクの花も3000年に一度花咲くんですが、なにかあの霊界物語的 また神話的性質のものだったんじゃないのかと。
    誰かが・・・創造したかった世界です。
    夢ではちょくちょく ひとつの物事を私とまったくシンクロする存在がしばしば登場します。
    先日のアルファベットの夢の時もそうでした。
    直接話しかけてきたので・・私は急いで夢でPC検索し、私の見た夢とまったく同じ夢を見たその裏のもう一人を見つけ、テレパシー交信で どっちが正しく見ていたかなんて話をしました。
    相手はいつも男性です。
    すべてこれ夢ですから、どこかでそんなもんだなと。
    誰か似たまた裏・表とつながることもあるんでしょうか・・。
    昨日はかなり邪悪な2人組みの若者がコンビニの中でよからぬくわてをしているのを、ガラスを隔てて聞こえないのだけれど、その波動で寒気がしたというもの。
    もうひとつは、先週見た夢の続きみたいな・・・。
    私の夢前からそうなんですが、後日つづきというのがよくあります
    先週は、迷子かバスを乗り間違えて困って夢から醒めました。
    今週はそのバスの中で(まったくの続きからはじまるんです)席の前のほうに おじさんおばさんのグループ 私はそのうちのおじさんに話しかけ、「海の近くの水族館のような施設で集まりがあるので、行きたいんですがこのバスでいいですか?」「いいよ、これで 降りてからまた聞いたらいい」と親切に教えられ、降りてみると 知り合いがいて親切に教えてくれました。
    その胸の花はコチラのほうがもっとステキだからと、その知り合いのグループのおばあちゃんが緑色の手作りコサージュのお花と付け替えてくれるものでした。
    外国の人も 車椅子のスペシャルニーズの人も混じったゆかいなグループで、これから皆で集まりの場所へ行きましょうというところで夢から醒めました。

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    メイさん
    聖書には別の意味があるのに、宗教書にしてしまったところに無理があったのかも知れません。つまり、解読すべきものであるのに、文面どおり読んだのは宗教者であり教会で、そこから間違いが生じていると。
    だから、後世のヨーロッパの「神」観は、作られたものであり、むしろ政治の道具として成立したものでしょう。つまり戯作なのですが、神話化したことで、現実として現れてきてしまったと考えられます。
    誰の手になろうと神話は、現実に作用する魔法的な力を帯びます。
    あなたが夢見の達人になり、そのストーリーを編纂していけば、力ある神話になります。夢見の世界で、意識的存在を獲得し、協力を得てひとつの神話世界を営むこともできます。それをご自身の時空に導入し、経験世界とすることもできるのです。
    守護天使を作ることも、現実の外界を変化させる力を持つことも、夢見の世界を用いると容易でしょう。
    特技は伸長させていくといいでしょうね。

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