情報によれば

Gの嵐11/2(関東)11/8(関西)放映で、ロケ中に30機にわたる謎の球体飛行物体のシーンが番組スタッフによって写されていたようだ。
どうやらこの絶妙のシンクロにより、当会のしていることの意義が番組側に理解された模様だ。
すでに説明したように、あれほど大きな球体は風船などではない。また、山上で気球をたくさん上げるようなイベントなどあろうはずがない。
UFOが訪問してくれたとしか言いようのない出来事であった。(こうしたことは過去に何度もあった⇒ フジテレビ超偉人伝説 みのさんのおもいっきりTV・・UFOの日 など)
そんなときに坂本氏の宇宙人遭遇話は、視聴者の度肝を抜いたことだろう。
また、武良氏のこの分野でのユニークさは会社を上げての応援もあり、大好評であった。

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宇宙人はや(2)

Gの嵐(関西版)を見なくてはと深夜寝ずにテレビを見ていた。
内戦と飢餓のスーダンに医療行為をしにいった医師がいる。妻子を残して。
我々はこういう優れた人たちに対して何してやれるわけでもなくただ頭を垂れるのみだ。
同様にスーダンの住民に対してもである。
フランスではアフリカ・アラブ系の若者が暴動を各地で起こしているという。
貧困と差別。困窮地帯から移民を受け入れた国でありむしろ善意であろうとしたはずであろうが、集合の中の同列にあると認識する人は周囲との差別化にもろく、ただそのことだけで恨みを持ってしまう。
社会というもの自体、その中に様々な種類の集団と同列意識を抱えており、そのおのおのの集合の中に競争と戦いの種が存在する。
誰決めたとなく、自然にそのような社会が出来上がるのが人類社会。とすれば、人間であること自体、もとより心休まる存在ではないと言える。
幸福の器が初めからないのであろうか。あるいは、幸福とは何かを未だ知ってはいないのかもしれない。集合の中でそれが実現できないと知って隠遁する人も多い。
ここはやはり、宇宙人に会って意見を聞きたい。すべての人の幸福を実現できる社会について。
そう思いつつテレビを見ていたところ、いつしか眠ってしまっていた。
Gの嵐はどうだった?はや。

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Sony製ビデオカメラはUFOと好相性

UFOが撮れやすいDVCは、Sony製である。他社製に比べて、立体感を伴った写り方をすることも利点だ。
武良氏はやや型が古いものの、その優秀性ゆえに、撮影時のメインに据えている。
また、SonyTRV-950は、何でもないように見えるビデオデーターの中からUFO映像を抽出することができる優れものだ。
それは、キャプチャー時における二段シャッター機能である。一段目でキャプチャーすべきところで止めておき、その時点で映像のブレが生じているケースであれば、二段目を押せばたいがい、時間のハザマに存在するUFOが撮れるというもの。
ビデオデーターは、1/30秒・コマのフレームばかりでなく、1/60,1/120,・・・といったフレームの情報も漏らさず入っている。
それを任意の誤差で抽出がかけられるのが上の方法なのであるとして、坂本氏は極微の刹那に潜むUFOを取り出すことに成功している。
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また、極微の刹那には、実像を結ぶ前のUFOが捉えられているという。それが実像になったときには飛行機になったりして、地上から見上げる人の目をくらましているというのだ。
よって、飛行機のふりをして飛んでいるUFOがけっこうたくさんいるので、注意してほしいとは坂本氏の話。
坂本氏によれば、六甲山には地底世界と地上を繋ぐ亜空間トンネルが存在しているという。それは六甲山の地下数百キロに存在する幅70Kmの空洞にある様々な種類の宇宙人でなる地下基地であり、それは地上を結ぶ航路であって、UFOの出入りに使われているという。
このため、六甲山上空には思いもよらないUFOが、飛行機などにカモフラージュして飛んでいるとのこと。
彼の写す飛行機のような物体には、実際のものとかけ離れた形をするものが往々にしてあるが、カモフラージュ前のゲテモノ的なUFOなのだという。
そうして撮られたものの中に、神話想像上のシャチ(マカラ)映像があったことは驚異であった。
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その他、できものだらけの飛行機も。
こんなもので空を飛べるはずがない。UFOならばこそである。
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オサーン隊につき、CG映像には非ず

我らがクラブメンバーの撮るUFO映像をCG合成によるものだと仰るUFO界の重鎮がおられると聞いた。
その方々に申し上げるが、このサイトに掲げる幾多のUFO写真はビデオテープのデーターからキャプチャーしたものである。
もし、単一の写真(デジカメ/一般カメラ)ということならば、CG合成はさほど造作もないだろう。しかし、ビデオデーターというのは連続影像なのである。そのデーターを最後には証拠として提出できるゆえに、あやしい密造作業などはしていないと答えることにしているしだいだ。
しかし最近はPCソフトにもすごいものがあり、CGアニメ映画を見るほどに製作できてしまうものらしい。実際にIT会社の方が海外で撮ったというありありとしたUFO映像を持ってきて、どうですすごいでしょと仰ったことがある。それは数分にわたる連続映像であったが、UFOの軌跡とズームイン/ズームアウトの具合をしばらく追って、背景影像とソフトで創られたUFO映像のCG合成であると判断した。
UFOの動きが、画面の縦軸横軸に対して何パターンかあるのだが、そのパターンにはまったときの速度が同じ。⇒ソフトで計算して作り出している。それを合成後に背景映像ごとズームしているのである。
そしてデーターの出所がIT関連企業ということが、割り引けない材料となると判断した。それは技術と設備と暇さえあれば、UFO映像の如きは容易なのであるなと思わせるものであった。
しかし、我らのメンバーがこのUFOは見たことがあると言ったものだから、話は唖然の雰囲気の中にぶっ吹っ飛んでしまった。
我々は撮り卸のビデオ映像しか扱っていない。(デジカメやカメラ写真の場合はその旨逐一報告し、その場合の選定は出所の信頼性を基準に置いている)
速度の極めて速いUFOがモニター画面をよぎることが多いのだが、それを各人の熟練した動体視力によって検出している。我々は、1/30秒・コマで1つしか出てこないような映像からでも拾い上げる。
コマ送りして精査するときに、UFOの写ったnフレーム目をn+1フレーム目に遷移させる間にも、肉眼でその間に航跡が見えるものである。それこそ、1/30秒・コマで1つしか出てこないような映像の場合でも、どっちから飛んできて、どこに去っていくかが掴めるのである。その理由は、nからn+1の間にも、ビデオデーターには情報がしっかりと記録されているからだ。えらいもので、それを肉眼では捉えることができるのである。
コマ送り機能が1/30秒・コマであっても、フレーム間には1/60,1/120・・・といったフレームが存在している。それを逐一、編集で検出するには、それなりの手間もしくは機械のほうに相当な性能が要求されるであろう。よってUFOをCGでホンモノらしく作るなら、そこまでの記録を綿密にできなくてはなるまい。非常な手間隙かけてやる作業となるはずだ。
しかし、我々には、そのような技術も設備も暇もない。また全員がPCの素人もしくは持っていないときている。管理人はHPサイト運営のための最低限の知識を保有するのみだ。
画像はメールで送受信すれば楽なのに、いちいち車で受け取り受け渡しに出向く。情報は長電話をするか(前に聞いたことを順次忘れていくのだが)、何度も失敗して送るFAXを身構えるか、そんな時代遅れなことを未だにやっているのがUFOビデオ撮影オサーン隊なのである。
ただし最近、画像データーの掲載が少なくなったことは確かである。それはメンバーからのデーターの供出が少なくなったからであり、提供さえあらば中身を判断して掲載する用意はできている。最近の本サイトのアクセス状況は、九月以降になって半減しているが、コマ不足によるものかと案じている次第だ。

随想 宇宙人はや

私が論文「超宇宙の仕組みを考えるモデル概念」を世に出したのは1983年のことである。物理学とはあまりにも乖離していたために、超常物理をためらうことなく扱ってくれる著名な学術団体に依頼したのである。論文が採用されて出されるまでには多少の放置期間もあったようであるが、出された後は、見所があると考えてくれた識者も少なからずあったようだ。
この論文は、古来からある東洋哲学とくにインド哲学で経験的に育まれてきた聖者たちの教えを、理解しやすくするための基礎理論としてモデル化したものであり、続編の随想「死の科学」において霊魂の真相に肉薄することにより、一般に死後の世界や霊魂存続のあいまいな領域に考察を与えながら、その存在を明瞭に学術的に表現できる手法として提示できたつもりであった。だが、残念ながら論の意義を理解してくれるような機関ではなかった。
私はその道に時間をかけておれるだけの専門家ではなかったため、後続する研究者にアイデアを提供できたらの思いだけでいたずらに時間だけが過ぎてしまった。
ところが、2000年に始まる米国の映画「マトリックス」は、もののみごとに拙論の要旨たるものを物語化しており、世界にその脅威が公開されたのである。
むろん拙論が物語「マトリックス」の発想のきっかけになったとは言わない。しかし、いつかは誰かがこのことを言い出すであろうと思っていたことが、よもや映画として登場してこようとは思いもしなかったことであった。もし拙論がアメリカにあれば、異端とはいえ何らかの発明発見にもなったであろうにと思うことしきりであった。
「マトリックス」は東洋哲学的な色彩を帯びたテーマと評価されていた。その反響のすごさは、見る者の共感を呼んだからである。そう。我々が漠然としか抱けなかったところの、世界を裏側から操る機構の存在をあぶり出したからである。古来、どのような聖賢も「空観」によってしか自分を解放できないと、無視する以外に抵抗する手段を持てなかった存在。それを暴露する意表をつくアイデアは、東洋の側からは畏れ多くて永久に出せるはずもなかったであろう。合理的な欧米だからこそ、東洋思想の不可触領域に踏み込むことができたのではないだろうか。
それより二十数年を遡る昔、私はその原理を説いていた。少なくとも、そう自負している。
論文「超宇宙の仕組みを考えるモデル概念」の論点は、存在のすべてがプログラム(マトリックス)であることを論じ、それを前提にした観測者を中心プロセッサとする相対論的時空論を展開していることである。
これによって応用的に解答を与えることができる世の事象は、以下のように超常現象を筆頭にしてあらかたである。
人という意識を持つ者の意義
霊魂の存在
UFO
パラレルワールドの存在
パラレルワールド間の交通手段たるべきUFO
臨死体験の手続きと現れ方の多様性
意識と認識における働き
意識の存続と意識原理のたどる時空の輪廻
総じて経験時空の意義
特に、難解なインド哲学や漠然とした東洋哲学へのアプローチ方法として、最も有効に機能する概念となるものである。
私は、論を証拠立てるとともに、展延できる目新しい現象はないものかと、かねてより材料集めを行っていた。
ところが、縁は異なもの。付き合い始めた人物が証拠そのものであったのだ。
その人物の名前は、坂本廣志氏。彼は幼少期から五種類の宇宙人と遭遇し、実際にUFOに乗せられ宇宙人から教えられた様々な体験や知識を語って聞かせる。彼のその如才のなさは天才的とも言えるものであり、もし彼が作り話を話すものなら、その想像力のたくましさは一級品であると言っていいものである。
周りにいる誰もが信じ難いだろうと思うようなことも、目の前で起きている如くさらりと言ってのける。その様に、新しいタイプのコメディアンの出現と思い好感を催す人も少なからずいる。
だが、彼に対して失礼にも、それは嘘でしょうなどと言おうものなら、目を大きく見開き、血相を変えて怒り出すはずである。彼にしてみれば、真剣なまじめな話なのである。それを否定されたりすれば、全人格を否定されたが如く怒り出す。それは紛れもなく、事実だからに違いないと、どんな懐疑的な人でも一考せざるを得なくなるだろう。
私には原理的に分かっている。本人は本当にまったく見てきたままに話をしているのである。彼は実際に宇宙人と会っているのだ。
ただし、現実の中にどっぷりと漬かって暮らしているみなさんに、同じ宇宙人体験ができるかというと、難しいだろう。ただ、彼の体験は事実。みなさんの体験できないことも事実。その原理を簡単に説明できるのが、拙論なのである。
その説明の前に、坂本氏の快挙をひとつ挙げておこう。
彼は2003年9月27日に、自宅の屋上にビデオカメラを構えて、神戸市上空の中心から仰角45゜の範囲内の中天の広域にわたって、数千とも目される数の星の如き白い玉のUFOを、白昼堂々30分に渡って目撃しながら、そのうちの終わりの10分ほどを撮影することに成功している。
その当日は、翌日に主役として出演するフジテレビのUFO番組ロケを控えているという状況であった。前日にUFOの大群を撮ったという快挙が、番組の中で放映されたことは言うまでもない。彼とUFOの蜜月の関係を端的に示す出来事であった。
ところが、ここに不思議な事実があった。30分にも及ぶ中天全体を覆うほどのUFOの大群の出現にもかかわらず、神戸市民の彼を除く誰一人として目撃していなかったのである。100万神戸市民のどれくらいかは空を見上げていただろう。目撃があれば、新聞社などに投書や連絡が引けもきらなかったであろうに、そのような情報はいくら探しても見つからなかった。つまり、彼一人のみが見て、証拠を記録に収めたというわけなのだ。
UFO録画の中には、UFO映像と共に都会のありふれた喧騒が収まっていた。音声だけを後で付け足したものではない。彼はCG映像を作ったり音声合成したりする技術や道具などまったく持ち合わせていないのである。
いわば、空のアトラクションと地上とは時空が切り離されたかの如きものであったのだ。その両者の仲介として存在していたのが、坂本氏であった。
パラレルワールドが存在しているのである。そしてそれを特別に知覚できる人がいる。
彼は、私と知り合った当初から、宇宙人と遭遇した話と同時に、胎内被曝者であることから医療面では手厚い保護を受け、診療費が無料ということから様々な検査を惜しむことなく受けてきていることを話してくれていた。
その中に、脳波を測ったときにいろいろな医師から言われた言葉がある。「あなたは昏睡時の脳波をしていても生活できているのだなあ」というものだ。
一瞬そのような脳波が現れることは常人にもあるという。だが、彼の場合は、一時間でも二時間でも持続しているというわけで、検査のたびに医師の驚嘆を誘っていたというのだ。
昏睡時の脳波とは、θ波かδ波であろう。非常に振幅の大きい波形をした脳波が主流になって出てくるというもので、一説にはヨガの達人に見られるといい、一般にはてんかん患者の発作時に診られるものであるという。
具体例が今まで実験的に示されたことがあるのかどうか分からないが、おそらく霊視能力者や超能力者にも類似した脳波が主体的に見られるものと思われる。
このうち、霊視能力者とは、別の世界を今の現実の世界に重ね合わせるようにして見ることのできる人である。別の世界とは、パラレルワールドと言い換えられる。霊視される世界とは、この場合、時間軸をこの世界と同一にして運行している並行世界のことだ。映画「アザーズ」が参考になろう。
坂本氏にも霊視能力者と同じことが当てはまると考えられるのである。
霊魂がビデオカメラなどの映像メディアに捉えられ、よくテレビ番組などで取り上げられて恐怖をお茶の間に振りまいていたりしている。これを見ると、「別の世界(の存在)は映像メディアに捉えられる可能性がある」ことを示している。
同様にUFOも、別の世界の存在であり、映像メディアには捉え得ると考えることができる。
よって、見る人は見ることができるが、見ない人は見ないと言うことができるとともに、映像メディアでは、その捕捉が可能と考えられるのである。
坂本氏のように、たとえて二つの世界を垣間見ることのできる人とは何であろう。きっとメーテルリンクの「青い鳥」のチルチルがダイヤルつきの帽子を被ったが如き状態を言うのではなかろうか。そのダイヤルを、何かの拍子に回してしまい、非現実的な環境に晒されるというわけだ。
坂本氏は、ごく最近にも自宅に宇宙人が侵入して、何度も身柄を拉致しに来ていると言う。とんでもないタイプの宇宙人が拉致しに来たときは柱にしがみついて拒否したり呪術で戦ったりして逃げ、知り合いの宇宙人の場合なら、UFOに誘われるままに乗り込み、その船内をビデオカメラに収めてきたことさえある。
彼にとっては、UFOばかりか、それに搭乗する宇宙人も紛れもない日常的実在であり、一般常人には見ることのできない並行世界の存在とコンタクトしているというのが、私の考えだ。
私は、持論を確かめるべく、彼の自宅を訪ねた折や一泊した折に、室内をデジカメで撮影した。すると、果たせるかな半数以上のコマに、たまゆら(オーブ)が写っているのである。私自身の家の部屋で何度写しても写らないオーブが、彼の家の中ではたいがい写るのだ。埃が漂いすぎているからではない。埃なら私の家のほうがずっと多い。まぎれもなく、謎のものが写り込んでいるのである。
オーブは霊体であるという。肉眼では見えないが、カメラやデジカメには写り込む。しかし、霊能者が見れば、人の姿をとって見えたりするわけだ。それはどういうことなのか。
映像メディアは、物理的な光線部分だけを捉えているはずである。だが、人(霊能者)は、そこに骨格と肉付けを与え、そして着物までまとわらせて認識するのである。つまり、どこからかプログラムを索引してきて、つじつまのあう現象として組み立てるのが、拙論に言う観測機としての人の機能なのである。
人の感得能力には、光線だけでない高次元の情報が複合的に観測され、それをもとに知覚機能がホログラム像を作り上げて認識に繋げているというわけだ。これは霊能者に限ったことではない。催眠術などでは、被験者に言葉のキーを与えて、プログラムを索引させ、彼の知覚機能にホログラム像を結ばせてしまうのだ。
また、プログラム索引に関するものすごいケースもある。
カルロス・カスタネダの著書を読まれた方は少なくないと思う。カスタネダは、民俗学的な研究目的で接触するようになった中南米のインディオのシャーマンのグループに知らぬ間に弟子入りし、科学的合理性に裏打ちされたその世界の奥義を極めていく。「ドン・ファン」シリーズは、感覚的に閉ざされたこの世界のさらに外側にある世界の全貌へと向かうガイドシリーズとも言えるものである。
そこでは、ある程度の天性的資質を持った者が彼らのグループに見出されて、彼らの中で訓練を受けて、伝統的なシャーマンになっていく課程が示される。
彼らシャーマンの技術的達成の証はテレポーテーションであった。そのために、師匠は弟子たちに断崖から飛び降りさせてテストした。地上に激突する前に、弟子は別の世界に移行しなくてはならない。
それを彼らは「世界を組み立てる」と表現した。彼らは「A地点からB地点に瞬間移動した」とは言わず、「世界を(能動的に)組み立てる」と表現しているのである。
それができるのも、意識を有する観測者がベースになって、時空プログラムをローディングしてきて、そこから実行を開始すれば、その時空がただちに彼の観測にかかるというわけである。理論的には簡単であるが、我々の観測機能は麻痺していて、よほど幼少から訓練でも積まない限り、柔軟な機能は発揮できないのだ。
それを達成したとき、ドン・ファンの師弟一行は、夕日にきらめく一列の隊列をなして空中に去っていく「羽根飾りをつけた蛇」(英雄ケツアルコアトル)のように見えたという。
その叙述から、私は彼らがスカイフィッシュになってしまったのではないかと思ったほどだ。
坂本氏の感得するUFOと宇宙人の世界は、霊能者の知覚する世界と類似している。それは、幻覚でも白昼夢でもなく、別の並行世界での現実なのである。彼がもし、宇宙人に関する知識をいっさい持ち合わせなかったなら、彼は妖怪変化や魔物として、別の世界の存在を感得するはずである。実際に彼は、過去幾多の魔物と戦ってきたことを聞かせてくれている。
また、知り合いのM氏は、とても理知的な論理主義者であるが、彼の奥さんが霊視能力者で、娘さんもその血を受け継いでか霊能者であるという。家の中によく霊魂が入ってくることがあるらしく、その場合に彼はひとり話の輪から浮いた存在になるという。だから、信じたくはないが、霊魂の存在は否応なく信じざるをえないと彼は言う。
この場合、霊魂がどのような情報を彼女らに伝えており、それをどう受け取る側でアレンジするかによって外見も異なるはずである。彼女らは、知っている範囲からプログラムを引っ張ってきて、ホログラム像を組み立てて認識する。もしかすると、それが異界の宇宙人であっても、身近なものに見立ててしまうことはありうるだろう。
このようなアレンジの端的な例は、臨死体験に見られる。臨死体験そのものもプログラムであり、基本的な手続きとして存在しているのである。それが臨死者の宗教や信条にマッチしたプログラムによってアレンジされて、彼にとってなじみやすいものとなるのである。
UFO研究家T氏の話も非常に参考になった。彼はある地域のUFO研究団体に行った折の話をしてくれた。なんとそこに、特定のメンバーの人にくっくいて動き回っている宇宙人を見たという。彼や坂本氏は、その辺の感得能力を持っているのだ。
それはいわば霊体であるが、ある勢力の宇宙人であって、自分たちの存在が明らかにされることをたいそう嫌がっているふうであったらしい。彼はそれでたいそう警戒したのだが、それに憑かれた人物は奇妙なストーカー行動に出てきたという。それで、彼はその研究団体の思考は、UFOなど安易に存在しないという方向に振り向けられているのではないかと思ったというのだ。
しかし、いわばこの研究団体は宇宙人とすでに知り合いと言える。羨ましいような話だが、こんな宇宙人とつきあうとろくなことはない。地球維新間近というときに、皮肉にも彼らは未だにUFO写真の真贋論議に明け暮れていて、いっこうにUFO問題の先行きを打開できないでいる。
私は地球のために、ぜひ友好的な宇宙人を招請しなければならないと思っている。地球というレベルが、悲しいほどに無駄の多い状態にあるのも、タイムスケジュールが設定されてそう仕向けられてきたからである。人類にとって不利益になる宇宙人が陰にいたりするから気をつけたいものだ。逆に友好的な宇宙人は、その辺の矛盾を解くノウハウを持っているはずであるから、何としても人類のために彼らの支援を求めたいのである。
だが、彼らがパラレルワールドの存在であり、常人に交流が叶わぬならば、またぞろおかしなシャーマンによって人々が誘導されないとも限らない。友好的宇宙人の科学力で複数の並行世界をたがねることはできないものだろうか。その辺の要請もしてみたい。
ここで坂本氏の驚嘆に満ちた宇宙人遭遇体験を一部記しておこう。
坂本氏が初めて宇宙人に遭遇したのは昭和25年。まだ彼が保育園児であった頃であった。宇宙人は全員が女であり、彼の男の持ち物に興味をもっていたとみえ、彼が小学生になる頃から4年間にわたって彼女らに犯され続けていたという。もっぱら子種を授かるためだったらしく、生まれた子供もそのたびに見せられたという。
天女として現れた宇宙人たちは、それぞれ名前が大和言葉の習いに従って番号制でつけられており、31(ミヒ)32(ミフ)33(ミミ)34(ミヨ)139(ヒミコ)という具合で、卑弥呼も宇宙人の名付け方にちなんでいるという。彼女らは平均年齢3500歳と告げたが、18歳くらいにしか見えない天女500人以上と彼はたゆまず肉体関係を持ち続け、それぞれに子供を授けたという。
先に書いたUFOの大群の出現は、明日は初陣という日を前に、彼の子孫が応援にかけつけてくれたものだと彼は言っている。
昭和31年には三角形のUFOに搭乗し、こげ茶色の宇宙人と会話したのをきっかけに、その後1年つきあいが続く。
翌年にはキューピーに似た十文字山の宇宙人と会い、地球外を見学しながら難病を治してもらう。
どちらの種族ともみな女であり、その間にも数え切れないほどの子供を作ったという。
昭和33年には恐ろしいグレー種族の宇宙人に拉致され、血液ならびに子種を採られた。
その後、宇宙人との交流は途絶え、平成15年頃から我々のクラブに入会しUFOを撮影し始めたのをきっかけに、平成17年になって宇宙人と再会。またも別の難病を治してもらっている。
彼の体験談には、このほか宇宙空間に出たときのものや、宇宙船内部の設備や様子に関するものがあるが、ここでは割愛したい。
彼の体験談は、まさに今見ており、現実に目の前に展開しているかのごとく話す点に特徴がある。彼はもしかすると白昼夢を見ているのではないかと思わせるほどに迫真なのである。
先ほど来の私の解釈における、パラレルワールドに遊ぶケースのようであり、その内容は夢解釈という見方をすればふさわしいのかも知れない。
フロイドは夢判断において、人の潜在意識の大部分を性的欲望が支配しており、おのずと夢の中にその要素が出現するものであると説いたが、彼の場合は白昼夢において出現していたかも知れないと思われる節はある。
しかし、彼の性欲の強さをここで論じるつもりはないし、そのような詮索は無意味なことである。儚く消える夢にどんな意義があるかをここで論じたいのだ。
パラレルワールドは夢の世界なのかというと、そうではない。夢は頭の中で意識が、様々な経験の中から要素を拾い上げて勝手に作り上げたビジョンであると考えられているが、この場合は現実に存在する世界であり、いや正確には別のマトリックスプログラムが彼の観測にかかって、世界が彼の前に構築されているのであり、夢は現実がマトリックスプログラム起源であると同程度に確かな現実世界なのである。
ただ、記憶する箇所が異なるために、記憶の伝達がうまくいかず、目が醒めれば思い出せなくなってしまうという事情があるのだ。つまり、脳波の振幅の違いやその他の要因によって、脳の中で励起される機能や領域が異なっているはずなのである。ふたたび同程度に眠くなれば、夢の続きを思い出しそうになることは誰でも経験しているはずで、眠りのパターンに陥ろうとするときに、パラレルワールド移行の段階に達していると考えるわけである。
坂本氏がΘ波やδ波で日常を送るとは、白昼夢をいつでも体験できる状態にあることを意味していよう。このことは、ちょっとしたきっかけでUFOや宇宙人などの異世界の存在との接触を容易ならしめる。
同様に、そのパラレルワールドの時空は、ちょっとした思いや信念に従って、容易に造形されてしまう物理的性質を持っているのだとすれば、つまり夢の世界のような可塑性が伴っているのだとすれば、超能力者ならできるとされるスプーン曲げや物体瞬間移動などは、両世界の隔たりを一瞬にでも取り去った脳の働きによるものと説明がつくはずなのである。
彼は、幼少期に超能力のコントロールが効かず、周りに多大な影響を及ぼすので、父親の命でエクソシストに預けられたほどであるという。
私はこの論理から得られる結論として、残念なことに我々常人はUFOはおろか、目指す宇宙人にも会えないかもしれないことである。
私は、坂本氏がそれほど会えるものなら、絶対に会わせて欲しいと頼んでいる。その理由は、限りなくたくさんある。
だが彼は、よっしゃ会わせたると言うだけで、一向に約束を果たしてくれない。片務契約的にサービスばかりしているのは問題ではないかと思っていたのだが、こう考えていくと、基本的なところに力及ばぬ点があったのではないかと思わざるを得ないのだ。
しかし、彼自身の力場の中に私を入れて、友好的な宇宙人のいるパラレルワールドに移送することは可能なはずだ。ぜひそうしてもらわなくては、面白くも糞もない。

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