11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2~P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1
A:・の象徴 ・の子孫 大輪咲かそう
はい。ハー論のタイトルになりました。
>●出品=出場
はい。これを過去にしましたが、大輪開くまで、これからもエントリーし続けます。
In deepさんが昨今取り上げた記事に、DNAの知られざる世界がありました。
その中の95%以上が遺伝情報に関わらない未知のジャンク部分だということです。それをロシアはすごいですね。その中からとてつもないものを見つけつつあるようです。その点亜米利加は先行して進んでいることでしょうが、すべて秘密にして邪悪な目的にしか使わない卑怯組織のお国ですから、どんなものが出されてきても一般向けの情報ならばマユツバにしとくべきでしょう。
我々素人はいいですね。総合的に物事が捉えられますから。
私はまだ若い頃に、人間には霊魂があって、霊体と幽体に分かれているといった情報に接しました。今でも大同小異、同じようなイメージでいます。
霊体はいっそうわかりにくいので、幽体のほうの性質だけにしときますが、どうやらこれに中国漢方では経絡という異界の神経伝達系を設定しているようですね。というのも、これは通常の神経細胞で成り立っているわけではなく、目に見えないところの、ただ電位的に特異さを醸す経路であるからです。
しかも、中国四千年の伝統医療として用いられてきた経緯が、ふつうだと与えられがちな非科学的というそしりを免れさせているようです。ところが西洋医学つまり科学の側からはまじめに研究されることはありません。サイ科学という不真面目と見られがちな異端研究者グループでかろうじてフォローしている現状ですね。ちょうど自民党に河野議員などがいて、緩衝材の役をしてるのと似ています。が、主流からすれば鼻にもつかない、どうでもいい存在だったりします。
そんなところに1983年、拙モデル概念は登場(出品、出場)したんです。研究論文よろしく英語でシノプシス書きましたよ。それが功を奏したのか、秘教組織の目に留まり、彼らの優秀な知識体系に組み込まれたのかも知れません。のちに1999年、映画マトリックスとして、神の側VS救世主側のスリルとサスペンスのバイオレンスアクションと、大衆への虜囚的絶望観念の植え付けのために用いられることになった、かも。とにかく大衆向けには、混ぜものだらけになっているということ。峻別智が要求されるところです。
さて、話を元に戻し、私がまだ若い頃、幽体とDNAのリンクを考えたんです。DNAがなぜ人体の内部組織の配置さえも認識できるのか。ふつう、単なる偶発物理学の延長上では想像もつかないことでしょう。どうです? 難しくなったら、またぞろ、神がなされていることだと、某宗教に逃げ込みますか?
馬科学者と鹿宗教家の二面性を発揮しないでくださいよ。ねえ、専門家さん。
DNAが体内電流によって励起されて生体磁場を発生させている。その統合されたものが幽体ではないのか、と当時の私は考えたのです。こんなこと、ちょっと頭ひねれば感じ取れるはずですよね。
のちに、カスタネダのドン・ファンシリーズを読んだとき、ドンの教えの中に、”人間の鋳型”というのがあって、それは原人とでもいうべき神々しさのもので、テレポートなどにも重要な役割を果たしているとのことだったんで、びっくりしたのです。
人はまれに神々しい光に満ちた人格的存在に触れることがあるとき、ドンによれば、それは人間の鋳型を”見た”のだといいます。その場合は幽体のさらに内にある霊体のほうに接したのだと、私は思いますけどね。
しかし、鋳型という表現は、みごとに人体の五臓六腑から何から何までの配列を監督している有様を想像させて、うれしいほどではありませんか。
鋳型が何らかの都合で形成されなければ(磁場を発生させるべきDNAが異常であったり、DNAは正常でも細胞内物質の異常で電流がまともでなかったりすれば)、葡萄状奇態という死産のケースになったりしないでしょうか。配列を監督矯正する管理者がいないようなものだからです。
が、そのケースとは今の偶発科学者ならではの落ち着き先なのです。彼らにはその程度のオツムしかない。というのも、異界を断固として認めないから、前に進めないのです。面倒な方程式のほうへ逃げ込むことばかりしていて、おおかたの彼らのオツムの中はノイズの海状態のはずなんです。
いいですか。彼らのことをバタリアンと言います。みなさんはオバタリアン。その中の特に頑迷なかたをババタリアンと言いますね。
バタリアンが作り出すものは、原発のような、未来を見据えたことのない、有害なものばかりなんです。理論もみんな有害。人間の都合のいいことばかり言ってるようで、最後はそれに背かれるのが人類。この構図、よく憶えといてください。バタリアンの行き着く先は、すべてが葡萄状奇態のようなもの。万事、そうなりますから。
この秘儀のもうひとつ深いところを言っておくよ。バタリアンはそうならないように願ったけど、バタリアンにされちゃったの。誰にって?神様のグループによってですよ。グループ=群類=グル。ここにも邪神が関与してんだよ。だから、そんなもんの占領下にあって、まともなことができるなどという幻想は捨てることだ。
さて、話を元に戻して、私は若い頃、霊能者の話にも耳を傾けましたよ。過去世の記憶。あるいは事件の経緯をビジュアルに見る霊能者のいること。それは、この空間に事件が、あるいは過去世が、記憶されているからだろう。この空間には、たえず書き込みがなされる仕組みがあるに違いない。それをしているのは何なのか。
ちょうどDNAが励起して幽体をあらしめているのと同様に、きっと物質や心質(想念)が励起されて、空間に記憶のパターンを刻み込んでいるのかも知れない、と。
それで、当時、造語で”恒常空間埋蔵法”なる原理があるに違いないと思ったようなことでした。(高校時代かな)
つまり、この宇宙空間も、大脳皮質とよく似た性質を持っていると思ったんです。のちに、人間は小宇宙だなんて、先哲の話を聞いて、おおーっと感嘆しましたね。この先哲の話はみなさんも聞き知っておられるでしょう。そしてきっと、人間は神の似姿に造られたと同じ意味合いを持たれたのではなかったですか。
私はそんな宗教と絡めることはしませんでしたよ。もろに科学的に考えましたもん。的外れかどうかは別として。
その後、社会に出て、公務員になろうかと思ったけど、何か花形と言われてた情報処理産業のほうに行っちゃったんですね。苦労しに行ったわけです。結果は能力が追いつかず、リストラの言葉もない時代にリストラされたわけでした。その点、大企業は対処法を当時から知っていて、今だったらもっとやり方も洗練されかつ残酷化していることと思います。私はまだしもいい時代にサヨナラできてよかったんです。
ところが、知りえた知識が成果になりました。この残酷な世界の姿をモデルとして捉えることができたわけですから。コンピューター。この冷酷非道な化け物。そんな中に私は居る。みじめすぎてうれしくなりましたよ、あの当時。
神の存在を信じていました。が、それゆえに逆に神に対しては腹立ててばかりいました。あるとき、自転車に乗ってる最中に、雨が降り出してきてスコールみたいになったんです。そのときおりあしく、よくないことが続いて起きてたため、ついに怒鳴りながら、天に唾を吐いたのです。するとそれはみごとに顔に戻ってきて、諺どおりとなったわけでした。
しかし、どうです。ついに神の正体を、神の冷酷さの正体を明らかにしました。にんまりと溜飲を下ろしたことは言うまでもありません。
花形産業に勤めていた頃のこと。心がすさみがちだったのも、ドツボにいたからかと思ってます。
私が初めて関わったコンピューターはHITAC8200で、タイターが求めていたIBM5100、IBM5200ときて、その少し後に出てきた機種ではなかったでしたか。動作原理を理解するには適切でしたね。
18. 信号と反応の連鎖の陰に、創造神の設計思想が垣間見える
まず、前回の記事でずいぶんと失礼があったかと思うので、お詫びかたがた。
バタリアンとオバタリアンはぜんぜん違いますからね。
バタリアンは名は体を顕すのとおり、場当たり(バアタリ)的なアンすなわち、利己主義者のことを言うんです。
だから、これは純然たる日本語なの。ヤマトコトバといいますか。
オバタリアンは、生は足りアンで、命の充足のことを真っ先に考える利己主義者(やっぱりこれがつくか)のこと。
だから、いざというときは誰彼押しのけてでも、わが子可愛いとなったりするってことね。
しかし、命のこと考えてることがすごいし、アンをanじゃなくて案にすれば、命の大切さをみんなで考えていこうというアイデアに変わってしまうんです。
だから、未来の期待のホープは、そう、みなさんのことだからね。
あるネット界だけの有名人は、未来は女性系社会になると断言してますよ。私もそれでいいと思います。
新時代は女性系社会。母系社会とも言いますかね。そうでなかったら、存続可能な世界はできないんです。
あの何種類もの宇宙人と親交の深かったSさんも言ってます。宇宙人はみんな女なんだと。男の姿してても、あれついてないんだって。
地球に何で男が居るのか。それはおうちゃくな宇宙人一派が、地球開拓と防衛のため、そして何より奉仕させるために作り出したといいます。ところがやっぱり肉体労働に特化した種類ですから、この地球環境においては優位性がある。覇権を主張しだして、社会構造が逆転してしまったというんですね。
宇宙に乗り出す文明まで作るなら、命のことをよく知っている女系でなくてはならないんです。男の文明はみんな外に出る前に滅んでます。今回は知らんですよ。もしかしたら、うまくいくまれなケースかも知れませんがね。
長々といいこと書きました。これみんなお世辞ですから。
さて、そろそろ退出を。
違った。本論が欠けてはいけませんね。
もう40年も前の生物学者の研究によると、人間はどうかはまだ当時においてこれからのこととして、凡そ動物は昆虫も含めてですが、彼らの行動はすべて、信号と反応の連鎖によって成り立っているということを突き止めてます。
学者、それも過去の学者の言うことだから、本気にしなくていいんですが、私にとっては、ほん都合のいい学説だったんです。
あの小鳥たちの愛情あふれる親子のしぐさ、献身的なオスの求愛行動、外敵の認識の仕方と防御反応、みんな信号と反応の連鎖にすぎないと結論したのです。そこには人が抱くような愛とか悲しみとかの感情は介在してないんだと。つまり、原因と結果の連鎖であって、結果がまた原因になって次の結果を生むといったことですね。それがただ淡々と外界には展開しているのだというのです。
もう少し突っ込むなら、DNAに信号と反応の手続きが記憶されていて、それが指令して小鳥に次の行動を取らせているというわけです。子を守る親鳥の無私の感動的行動。それを感動して見るのは人間だけ。彼らはある危険信号を認識して、ある信号を持つものに体当たりしていったにすぎない。車に轢かれて手足を痙攣させている狸がいる。それを見て、苦しいだろうな、彼の脳裏には親を待つ子狸のことが口惜しさの中に写っているに違いない。それは人間のする想像にすぎない。こうしてみれば、なんと言う不謹慎な非人間的学説を造るものよと腹も立つことでしょう。そう、おそらくは人間の作る学説なんてものは、嘘八百であって、すべて覆るに違いないんですが、そのころの私には、とてもいいものに見えたんです。
DNAは神の言語表現の具体化したものです。それが強制して彼らの行動を促しているとすれば。つまり、この世界は総じて神の言語表現とみなしてもいいのではないかと、私は感じたんです。
それが拙モデル概念の基盤にはある。だから、一見すると冷酷無比なものとなるんです。間違えれば、殺戮するに罪の意識なくやってしまえるゴミクズを造る可能性がある。卑怯組織なんかは、その方面を強調しますからね。
しかし、拙モデル概念における宇宙プログラムには、想像や心理的動きまでもあらかじめプログラムされているとしています。
つまり、設計者(神)が人間の観測と認識のために、生き物の愛情表現などを与えて、それを感動的に見ることができるように作っているわけです。その設計者の意図には善良なものしか感じられないはずでしょう。ただ神の被造物を愛でてほしいという。
それゆえ、この宇宙のプログラムを基本的に造った者は、信頼の置ける者に違いないと分かるんです。
ではなぜ今のようなおかしな世界になってしまったのか。
私は、原初の姿を創造した太古神と外来の邪悪な神という対比を設けてストーリーにしました。
この世界は邪神によって後天的に乗っ取られてしまった。
国祖引退神話というものが世界各国にあります。引退後、世界はおおよそ闇に包まれたと伝えます。
エジプト神話で言えば、オシリスを暗殺したセト。ギリシャでは黄金時代を治世したクロノスを殺害したゼウス。
日本では非公式ではあるものの、国常立尊と天照天皇を封殺した邪神たち。公式には謀反人は処罰されて事なきをえたように、しつらえられていますが。
ま、今の国情を打開できるのが、天皇さま以外にはあるまいと思われるので、ここでは深く申しません。(次には申すかもよ)
三度目の玉音放送は、はるかに感動的なお言葉になると思います。(二度目は東日本大地震と大津波のときでした)
きっと資産家たちは復興資金を涙ながらに出してくれることでしょう。(終戦当時を思い出しましょう)
また言いっぱなししちゃいました。
聞きっぱなしに、してくれるかな。
19. 新時代は魂の故郷にいて博物館から旧時代プログラムを閲覧して学ぶ
旧時代のみなさんはたいへんなことです。
古来言われているように、時系列的な輪廻転生を繰り返し、進化という謎の目的を達成していくわけですから。
神縁をたまたま得て順調で幸福な人生を送るかと思えば、守護をなくして不幸の極みをあじあわねばならない人生があったり。
目に見えない摂理を恐れ敬いながら暮らすことを余儀なくされていく人ばかりになります。
それでもよいというのがこれまででした。
新時代は解放の時代ですから、解放された者たちの自由選択が許されることになります。
旧時代も、むろん新時代も、すべて宇宙の開始から終わりまで、神の言語プログラムに拠っていることがわかっていますから、その範囲内でならどのような応用形態も工夫されることでしょう。
旧時代には、人々は受動的に課題を持ったひとつの人生をあてがわれ、それが終われば功過が採点され、差配神の指図で次の輪廻があてがわれるわけでした。
新時代においては、学府において、旧時代のプログラムを対象にして学究的に閲覧するという形態になります。
研究課題は自由に設定でき、学び終えたと自分で判断した時点でアウトプットを出し、学府が妥当と認めたら、その道の専門家となり新時代のさまざまな分野で活躍するようになります。
むろん、新時代において旧時代を学ぼうとするのは少数で、人心の脆弱性などの研究を通じて、高次の世界におけるセキュリティの達成に寄与したいという人たちがもっぱらです。
私もそのようなひとりであり、故郷に邪悪の侵入する余地を与えないことを目的とするファイアーウォール部門に属しています。
以上は、この今の世界にアクセスする者に、大きく二種類あるということを示す話でした。
つまり、新時代を未来とするなら、未来からこの過去の時代にやってきている者もいると考えてもらえばいいでしょう。
なにもタイムマシンを開発せずとも、霊それ自体が全宇宙のプログラムの任意の場所にアクセスできるUFOのようなものだからです。
しかしそれは、一定のルールによってのみ許されていることです。特に旧時代プログラムに対しては、人によっては混乱することもあって、学府からはガイド教師がつき、チェック機能を果たしています。
いっぽう普通のシーケンスな流れの中に漂流するかのような人々がやはり多いです。
その彼らに対して、何ができるわけでもないのが新時代からエントリーした者なんです。実に孤独なものです。満足に交流できるのが、やはり新時代からの者ばかりになりますから。
私は、人心研究の一環で、日本神話を研究課題にしました。二つ前の過去世は本居宣長でした。といっても、旧時代を生きた宣長の人生の世界線にエントリーさせてもらったわけです。そのもっと前には太安万侶でした。これもむろんエントリーによってです。えみこのようなハッタリを言うつもりは毛頭ありません。
その一連の経験を通して、通常では見つけられないような邪悪の流れのあるのも、見て取ることができました。これはもしかすると新時代にも間隙を突いて入ってくる恐れがあると思えるものでした。私はこの経験が終われば、この恐れの部分を含め、研究のアウトプットとして上提するつもりです。
私は、50歳までで人生を終えるはずでした。研究に欠かせない、見つけるべきものを見つけたからです。ところが、その成果を先買いして、旧時代から新時代への移行を司る神々からの要請がかかりました。すなわち、新神話制作による協力です。
プレイバックのプレミアムつきでやってきたのも、見つけるものに対して細大漏らさぬためでしたが、この機能は新神話の見届けにも適用できることとなりました。むろん、奥人の網羅する世界線の限界までしか行けませんが、これもまた面白いかと思います。いやあ、面白くは決してありませんよ。だって、この世の中見てたら、うんざりしますから。この研究を最後に、旧時代プログラムとは金輪際おさらばするつもりです。
そう思えば、旧時代を生きる人たちのほうが、迫真性の中で生きられて、恵まれてるのでしょう。しかし、その彼らが新時代人になるのも間もなくです。
20. いちど来た限りは、皿洗いでもなんでも奉公していきましょう
「世界はブラフマの見た夢。彼は善悪混交のストーリーを組み立ててその中で夢を見ている」
これはちょっと勉強した人だったら知ってる噂ですよね。
だからといって、今現にこの世界に来ているあなたに、そんな悟ったようなことが言えると思いますか?
毎日毎時、木の葉のように彷徨い暮らしてるあなたは、目の前のことで手一杯でしょ。アリンコがどうして雲の上のことを思いながら暮らせるの。それと同じ。大それたことができる立場じゃないってことなんです。
いや、思うのは自由ですけど、すぐに現実に引き戻されてしまうでしょ。こっちがあなたの仕事なんだよ、と。むろん、空想にふけってばかりいた私のようなのもいますよ。しかし、まだリストラという言葉のない時代にリストラされちゃいました。だから、分相応にしてるのがよろしいようです。
何も考えないでいこうというのも、仕事してることにならないんでしょう。
善悪の局面に際しては、善に就こうとすべきでしょう。正義と邪悪のせめぎあっている局面では、正義感に燃えるのがほんとうでしょう。魂の故郷に根ざしているのなら、ひとりでにそうなります。
>Q:誇り とは何ですか
(Q吉田松陰さんどうされていますか
・・→A歩んだ道のりに誇り )
A:・の活躍見たい ・へエール メッセージ
かつて正義に燃えた先達がいました。彼はあちらで後世の子弟たちの正義感あふれる活躍を見て、エールを送っておられるのでしょう。この交信は彼からのメッセージですね。
が、魂の故郷から離れたく思ってる人は、邪悪のほうを選びます。ホログラムの干渉縞の暗いところ(魔の巣)を目指してるわけですね。これはテスターとしての創造主の自由だから。
むろん仕事と割り切って向かってる人もたくさんいます。相当にスパルタンでなくては務まりません。ゴイムと呼ばれる人たちより数段格が上。いわばピエロみたいな熟練者です。事故のあった原発に作業員でいくようなものだから、決死の覚悟です。死が決まってるってことね。だって、火の鳥に焼却されるわけですから。
いっぽう、気楽なこんな私でも観光目的だけで来れるわけないんです。仕事といっては何なんですが、研究目的だったんですからね。ところが、いまは決死隊なみの仕事までしています。猫のブーなんかはフーの応援ついでに観光しにきたつもりが、みんな予定が狂って、いちばん苦労してるからね。肝心のフーはさっさと引き上げてます。
この世界は、予定通りいかずでほんとたいへん。
しかし、これは言えます。あらかじめ決まったレールの上をあなたは歩いてるということ。そうなってるのをあなたは光を当てて確認してるわけなんです。今あるあなたが判断して進路を選び取ってるように見えるけど、ほとんどの場合はそこに曲がりくねったようなレールがあっただけなんです。
そりゃ、願いや思いによって慣性方向を変化するようなパラレルワールドに移行する場合もたくさんあります。しかし、分岐点はわりあい遅れて出てくるものですし、すぐにあるということもありうるけど、よほど強い情念が要るものです。
だからここは、あなたが今した判断が正しかったか間違ってたかなど、思い悩むことではないのです。
神の化身サイババさんも言ってます。誰も私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない、と。あるいは、人はこっけいなあやつり人形だ、と。
そりゃ、木の葉に揺られるようなレールに乗っかってれば、木の葉のように揺られます。それを結果がよかったとかわるかったとか、後で悩むことだったのかどうかですね。あやつり人形が、ありゃしまった、勝手に右手が動いたよ、困ったことをしてしまった、なんて思いますか。
しかし、こんな横着はいけませんよ。勝手に右手が動いて、隣の人を刺しちゃったよ、私は操られてたので知りません、なんてお白洲で申し立てても、市中引き回しの上、獄門打ち首になるだけです。彼は打ち首になるレールに乗っかってただけだったとなりますからね。
捉え方、わかりましたか。
木っ葉人生、風任せ。いい風吹いたら帆を揚げて、雲行きわるけりゃ帆を下ろす。あとは、きっちり心の隅まで監督してると豪語するお方に責任持ってもらえばいい。ただし、まじめにしなくちゃ、いけません。少なくとも、監督に恥をかかせないようにしようという心構えがあってほしいです。そうすれば、守護は万全。監督をためしてみてやれなんてちっとでも考えたら、お前いい度胸してるじゃねえか、と、ぽーんと左遷されちゃいますよ。おかしなパラレルワールドに。だって、監督はヤクザ上がりなんだから。
あっ。す、すんません監督。つい口がすべってバラしちゃいました。
月: 2011年6月
お久です
次の記事はここからの引用です。
https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7214268
https://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7216261
箇条的でなかなかなので、こちらにまとめて掲載します。それと同時に肉付けや補修も行わせてください。
引用開始 (+肉付け+補修)はこれから
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さて、ふぐりさんは人間大砲の話を持ち出して、我々の個々がとりうるパラレルワールドの話へと進めようとされているように思われます。
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-848.html
干渉縞のぼやかしのように無数にあるパラレルワールド。すでにみなさんは自分の存在位置を確定することで、過去を確定してきました。
いま現在は確定している現場です。
そして未来は、次の刹那から採りうるルートが無数に存在するパラレル天国になっている。さああなたは、どの天国のドアを開けて中に入りますか。
まてよ。それでは未来選択において、人々が任意の選択をして生きている現状とまったく変わらないじゃないか。
オーノー。まったくそうではありません。
ではその違いを箇条書きにして説明いたしましょう。
1. 試行錯誤するサルから一挙昇格。10階級特進。創造主へとジャンプアップ。
ヒャッハー!!
今までのあなたがたは、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えていたサルだったのです。
サルはジャングルにいて、我々は文明生活しているじゃないか、どこにサルだと仰る向きもあろうと思います。いいえ、あなたがたはサルの特別職だっただけ。なぜなら、アスファルトジャングルの中に今目下棲息していますでしょ。そこで仕切られた中で閉じ篭って、ぶるぶる震えているか、見られていないから安心だとやっと安堵しています。それを棲息していると言います。息を潜めているさまが思い浮かびますでしょ。
ところが、それが創造主へとジャンプアップなんです。全能の神が全体像を創った創造主なら、あなたはその中から歴史を一意に確定していく創造主として機能しているのです。どうです。創造神と創造主の関係性にご注目ください。
な・ななな・なにー!!
それでも、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えている現実に変わりはないですって? オー。あなたは何という分からず屋なんでしょう。
今までのサルのあなたは、能動的に見えて、実は毎度の試行錯誤の結果に怯え、先回りして悩み苦しみ、いらぬ時間を脳の中のループ状態にある思考回路の堂々巡りに費やしていましたでしょ。欝とかノイローゼとか揶揄されながら。
ところがこれからは、あなたが選び取る行動のひとつひとつが創造主としての行動になるのです。いや、ずっとそうだったんですが、わかっていなかったのです。無論その中には想像行為も含みます。
自分の人生に対して責任感が生じるはずです。さらには創造主であるゆえに、自らの置かれた時空に対しても責任が感じられるはずです。
そして何より、創造神を親兄弟と仰ぐ立場に立てた誇り。これは何万両かけても惜しくはない勲章のようなものではありませんか。
そうなんです。わかってしまった今、あなたを取り巻く世界はぱっとバラ色。うれしうれしの世に変わってしまったのです。
2. 創造神と人間の関係が明確になった。
ヒャッハー!!
全能の神に恐れおののき、自分の行いの小さな重箱の隅を自らつついて毎時毎回すんませんすんませんと、虚空に対して頓首頓々していたあなた。ほら、あなたですよ。あなたのこと。そう。
もう頭を上げなさいよ。見渡して御覧なさい。これを知ったときから、うれしうれしの世が開けたのです。これを夜明けと言います。
創造神と人間の関係が明確にわかったこと。これはみなさんが誇りにしていい創造主の勲章をいただいたことですね。
いいですか。それを可能にしたのはこのモデル概念ですよ。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/uchuron.htm
3. アナログからデジタルへ。
ヒャッハー!!
スカイツリーから出されるのは、地デジ電波。非常に高出力なので、付近住民のオツムがどうなるか心配になりますが、これを地上デジタル放送電波と言います。
つまり、いま流行りのデジタル。そう。何でもアナログよりはデジタルのほうがいいと言われる昨今。私は、アナログのほうが微妙な情感が再現できていいんだけど。クリアーになるからデジタルはいいという向きがもっぱらだね。
そう。世界像にも同じことが言える。明確化されるということは、デジタル化されるという意味にも通じるんだ。
神が創った世界の全像は、神の持つ超・超・コンピューターで必要な要素を容れたパラメーターが投入され、あらかじめ計算されて、干渉縞として一気にホログラムメモリに蒸着したんです。
それをよく見れば、神の言語で書かれたプログラム情報だった。さらに細密に見れば、今のコンピューターで扱うような命令語がずらっと並んでいた。それはデジタルなものだった。
映画マトリックスでは、ディスプレイモニターに写るそんなシーンが何度も何度も出てきたよね。
秘教組織は、もしかしたら1983年製の私のアイデアを盗用したのかも知れない。その中から怖い部分を殊更クローズアップさせて、聴衆の好きなアクションと戦争シーンをミックスして、大事な核心的アイデアを暗示させておくということをやっているんです。
4. 神の領分と科学の領分を統一させました。
何と言っても、最大の功績はこれになるでしょう。
今まで人に奇跡が起きたとき、科学は対処困難で、そんなことがあるわけないと無視を決め込むのが常でした。科学者がどうしても論評しなくてはならなくなれば、確率的にきわめてまれに起きることは、今の量子論でも言われていることなのでね、とあいまいに返事している。(しかし、マクロな局面で起きることなどありえない、と心の中では納得していないから、二度と話題にしない。つまり以後は無視する。ところが彼はクリスチャン。教会に行けば、それは神が起こされた奇跡に違いないと神を讃えることは忘れない。つまり、彼の頭の中には、馬と鹿が一線を画して同居している。その状態に矛盾も感じない)
また、奇跡のあった人はまたそれで、神のなされたことと、神への感謝と神への賛美を欠かさない。
彼の精神状態がきっかけで、法則を超えた時空転移をしたというのに、彼は謙虚にも自分がしたのではなく、自分の神への信仰がなさしめたと捉え直すわけです。
これでは、起きた事態の正確な認識はいつまで経ってもできるはずがありません。同じような局面に再度さしかかったとき、奇跡が起きなければ、彼は信仰心が足りなくなったのではないかと自らを疑うことでしょう。
錯誤の上に錯誤が重なる。これを正観できていない、と言います。他力本願の宗教は、正観を妨げることがあるのです。
大丈夫です。神と被造物、そしてそこからアイデアをいただいて歴史創造する創造主の関係をわかりやすく解き明かしました。
5. 遠い宇宙のことに思いをいたさなくてもよくなった。
一生かかっても行けない所。それが宇宙でしょう。むろん好運にも宇宙空間に出る人はいます。しかし、原発事故じゃないけど、かなりの宇宙線被曝をするらしいですね。健康体だったものが、10才早死にすることと引き換えに体験するほどのことかもしれません。
某宗教では、何でも人は神の似姿に造られたそうです。しかし私は、不自由することが多いです。何で手がもっと数備わってないの?と思うことしきりです。大工仕事を一人でするというのは、ほんとうにたいへんなんです。今日も少なくとももう一本あれば、第三の手でここをこう押さえておいて、インパクトでねじを支えながら打ち込めるのに。二本しかないから、まるでサーカスみたいなことやってました。奇跡的にやれましたけど、こんなときは神に感謝すべきなんでしょうかね。
神はどうして進化の極地にありながら、千手観音みたいじゃないんですかねえと思ったことでしょうか。
違うでしょ。四足動物の上に毛を三本増やしただけなもので、ときおり不便に、人は二人で支え合うものといった形になっているんでしょ。
神の似姿なら、空を自由に飛べるはずなのに、それもできない。地に這いつくばって、足で歩いていける範囲に居るようになっていたんでしょ。それを科学技術で便利にして、早く走れたり空を飛んだりする道具を作って、その代わりに生存環境と未来を毀損しながら、何とかここまでやってきたんでしょ。
神のようになりたくて科学を興して、ここまでやってきたんでしょ。しかし、その神は決して推奨していないから、科学が元での災いが起きているわけでしょう。
星空が遠い宇宙を暗示しているからといって、何も行きたがる必要はないでしょう。山に登るのは、そこに山があるからだ。歩く範囲だから、その程度でいいじゃない。宇宙に出るのは、そこに宇宙があるからだ。それはまたUFOが友好的にやってきたときにでも、やればいいことじゃない。
わざわざ用もないのに用を作って無理するから、世界は無理させられてしまうんです。どうしても行きたいなら、あの世に行ってからにしましょう。神にまでなれば、宇宙も自在にいけますよ。
むかし、こんなことがあったらしいです。
シバさんの子にガネーシャ君とスカンダ君がいて、この宇宙を先に三周してきたほうにご褒美をあげようということになりました。足が速く、飛ぶ能力も並外れたスカンダ君が、じゃあ行ってきますと、孔雀の乗り物に乗って出かけていきました。ところがガネーシャ君はいつまで経っても出ようとしません。お母さんのパールバティさんは、こんなことでいいのかしらとちょっと不安げ。それを見てガネーシャ君は、おもむろに、お父さんのシバさんの座ってる周りを三周して、にこっと笑って、終わりました、お父さんこそが宇宙ですから、と言ったので即座に勝ちになったそうです。
これは、とんちじゃなくて、真理なんです。
シバ神の化身サイババさんは、右手の掌に乗るくらいの金の卵を載せて、こう言いました。この中に、全宇宙の初めから終わりまでの歴史が入っています、と。
利発なあなたは悟りましたね。そう、これが宇宙の歴史を記したホログラムメモリだったのです。その中には、すべてのパラレルワールドの素も入っています。実現未実現を問わず、実現の可能性のある時空がみんな詰まっていたんです。時空連続体として。
6. ゲーム性を達観すれば発想も転換する
今ではオンラインゲームなども大流行。だから、やってる人は潜在意識的に悟っている可能性が大です。
今の人生模様も、一種のゲームではないのかと。
それを言うと、命を軽んじるようになるから、よくないんですが、ゲーマーたちは昨今、現実世界にゲーム性を投影しだしていると思います。
その流れにも少なくとも二通りあって、ひとつは精神的安定の一助にすべく、醒めた目で現実を客観視できることがあります。物事に執着しすぎない。淡々としておれる。事態を深刻に考えすぎない。
そのことは、発想の身軽さ、発想転換の変わり身のよさといった利点をもたらします。
たとえば、日本がいよいよ住みにくくなったなと思えば、移住の手を思いつき、行動に移す。考えるんじゃなく、感じることを優先して。手続きがとんとん拍子にいけば、結果はどうあれ、うまくいったこととして享受する。支障がいくつかでてくるようなら、深追いしないで、いい経験になったとしておく。
そこには知らないでいる楽観ではなく、知ってやった上での楽観があって、心すがしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32829296.html
別のひとつは現実に対して冷酷に対処するようになる可能性があることです。戦闘を楽しむ。命を軽んじる。殺戮や破壊に対して罪の意識が乏しい。
ほんとうなら、豚に真珠を投げてやるなの喩えが適用されるべきところです。
こんな概念が世界の流行になれば、ゲーマーたちはいっそう現実をその対象にしだします。だから、両刃の剣なのです。
異邦人たちをヘリの中から機銃掃射するのにゲーム感覚でいたり、キレやすい人間やゾンビのような何しでかすかわからない人間を作り出したりします。
https://gamer-movie.tv/
それでなくとも、この世に生まれてきた魂は、けっこうゲーマーであったりします。携帯ゲーム機を四六時中操っていたり、パチンコ店の台の前に所狭しと居並んでいたりと、彼らは生まれる前からゲームの中毒になっていたのかと思われるほどです。
このような魂の持ち主には、精神性を追求すべしと言っても意味をなさず、ゲームであると知っていてさえ、この世に転生を繰り返す御仁たちでしょう。
彼らは、パチンコ店の駐車場に赤子を放置して死なせたことで、大事なものをなくした後悔と懲役刑によって、ようやくゲームから離れる決意をするまで、ゲームに没頭することでしょう。
まさに私たちは、オンラインゲームのバーチャル世界に、人間の形をしたアバターとしてやってきているのです。現時点のオンラインゲームはまだ、自分とアバター、現実とバーチャル世界の区別はつきます。が、ゲームも進化すれば・・・。全身全霊を投入してバーチャル現実を体感するようになることでしょう。
体主霊従とか霊主体従といった話は、ゲーム世界が洗練されてきているから起きるということもわかってくるはずです。
7. 死者の書の代わりにどうぞ
人が死んで、バルド(中陰)のビジョンを彷徨うときも、生前の世界とは異質であるゆえに、見たこともないビジョン展開ひとつで人はパニックを起こすもののようです。
たとえその人の生きた土地が密教の盛んなチベットで、生前にお坊さんから死後の中陰におけるビジョン展開と対処の作法を学んでいても、想像もしなかったビジョンに面食らうようです。というのも、出てくる仏たちの仏画は二次元平面で静止画ですよね。これはいつも寺院で見ていたわけです。ところが、実際は3D でくねくね踊りながら出てくるようですから、瞑想で練習していたのとまったく違うことに面食らうというわけです。
だから、こうしたビジョンで習熟するより、知的に深く理解して、どんなビジョンも実体がないのだからと、公平かつ均質に捉えることのほうがいいわけです。ぜひ、このモデル概念を死者の書代わりのガイドブックにされたらいいかと思います。
というのも、これからはどんな局面で突然他界することになるとも限らないのでね。
8. 予言ははずれたのではない、あなた(創造主)が回避したのだ
その前提として、今まで正確無比な予言を続けていた人物がいたとしましょう。その彼がある未来時点でのある場所での巨大地震発生を予言していたとして、たまたまあなたがその場所にいてその時点の地震を回避できるかといいますと、それはできるのです。
簡単に言えば、経験時空のレールを乗り換えることによって可能です。その予言者は、確かにあなたが慣性方向に運動している先に大地震を予知していたのです。ところが、あなたが何かのきっかけで方向を変えたことによって、大地震のない時空を進むことになったのです。
そのとき予言者は、あなたの進む時空上では信用できない贋物としての設定に変わってしまいました。さまざまないんちきの手法がばれて、社会から抹殺されていくといったふうにさえ展開していくのも、後付的なストーリーのつじつま合わせです。
しかし、もしあなたが慣性方向のままに進んでいたなら、大地震は起きており、あなたがたまたまその場所にいたなら少なからず被害を蒙っていたかも知れません。あるいは他所にいて、大地震の被害を知って、改めてさらに予言者を信用したことでしょう。
具体的にジュセリーノという予言者がいました。あなたが慣性方向をとっていたなら、日本は都市部を襲う巨大地震ですでに混乱していて、世界にも資本主義体制の破綻があって、大統領にはオバマでなくゴアがなっていたことでしょう。
あなたがどこかで、回避すべく動いたのです。その結果、さまざまな付帯する条件や環境も、慣性方向とは変わったものになっているのです。
9. 無限に存在するパラレルワールドは世界創造時点のホログラムの干渉縞に細大漏らさず入っている
パラレルワールドの概念は、実際にタイムマシンで過去未来を行き来したジョン・タイターの語りからお分かりいただけると思います。彼はおそらくほんものです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC
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タイターは、「エヴェレットの多世界は、時間の異なる別の世界線であり、恐らく無限に存在する」といったような解釈を付け加えることによって、タイムトラベルの結果生じる矛盾、いわゆるタイムパラドックスの問題が解決されるとしている。
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彼のいた時代でもまだパラレルワールドが無限にあるということは確認されていないようですが、タイムマシンの利用効果の検証を通じて、このように解釈せざるをえなくなっているように思われますね。
波動性の源であるホログラムの干渉縞がそれ自体、確率的にとりうる存在位置を示すものであるため、波動であることが、無限数の世界線の集積を示しているわけです。
タイターのタイムマシンは重力制御による効果らしいので、この装置はいま盛んに物理学で議論されている”ひも”の長さを可変にできるところまで進化させているのでしょう。”ひも”を装置と乗り手以上の大きさにして囲んでしまい、装置独自で時間軸を発生させてその向きを与えれば。たとえば今までたどってきた世界線の向きに時間軸を置き、動かせば過去に遡ることができるといったことでしょう。
UFOがタイムトラベラーのものだろうという彼の話はとても納得できますね。しかし、時間と空間は相互変換できますから、空間方向に設定して動かせば、高速で空間移動するUFOともなりうるわけです。
2036年ではまだ開発途上でしょう。移動軸に誤差を生じるというのも、わかる気がします。その結果、幾分か異なる過去に戻ってしまうから、自分がたどってきた過去の時代にはこんなことはなかったはずだといった現象にも遭遇する。もし装置に行程履歴の記録による帰還ルート確保ができなければ、未来に戻るとしても、誤差によりまた異なる未来に出てしまうというわけで、しまいには彼はパラレルワールドの海の放浪者になってしまう、といったことなわけですね。
以上の話で頭の体操をさせていただきました。パラレルワールドのあらまし、わかりましたかね。拙モデル概念も、この発想で行ってますからね。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/uchuron.htm
10. タイムマシンやUFOは機能特化させたプロセッサ、いっぽう創造主(人や有情)もけっこうなプロセッサでござるよ
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-854.html
さて、ふぐりさんがまた日月神示の神の言葉を引用されていますね。
この神示には、これからたくさんのおどろおどろしい出来事が起きるぞと、かなり以前に書かれているわけです。
しかし、このたくさんのおどろおどろしい近未来の出来事も、当時、慣性方向をたどってみたときに、設定として置かれていることに気づいた日月という神がいて、メッセージを自動書記として送ってくれたんでしょうね。その時点にいたったときの心構えとか、あるいはどの道を選択したらいいのだとかも含めてですね。
そして、そのメッセージを改めて目にして驚いているいま現実の我々がいる。ということは、未だに我々は、その預言の影響下にある、メッセージも道しるべとしての設定に違いないですから、つまり地雷の設定もこの先にあるだろうことを認識しておくべきでしょう。
しかし、地雷は避けることができますし、あるいは爆発に遭遇しても、爆風を受けずに済むあたりにいればいいわけです。それが世界線の選択によって可能になるということなのです。その逆に、災難と無関係だった世界線をたどっていた人が、何を間違えたか、とつぜん地雷原のほうに方向変えしてくることもむろんあるでしょう。
個々人が創造主である所以はそこにあります。彼が何かを原因として、進行方向を選び取っているのです。
この原因とはいったい何なのか。
その前に、拙モデル概念ではすべての現象の素が神の創造したプログラムという言語表現になっているという前提です。いまのパソコン、オフコンをはじめとしたコンピューターと同じような動作原理やテクニックが使われていると思ってください。そこでは、目的プログラムが流れているとき、盛んにロールイン/アウトが繰り返されています。それも情報の規模が、プロセッサのキャパシティに見合うだけでいいわけなので、さらに細目別にプログラムの側で分化されていたりします。それをサブプログラムと呼びます。
拙モデル概念では、索引念体などという変な造語で表現していますが、これは創造主が次に調査したいと希望した潜在意識的願望のことです。調査対象はむろんプログラムですが、目的別に小さくパッケージ化されていて、それがサブプログラムとかサブルーチンと言われるものです。それを索引念体が願望をキーにしてもっともふさわしいものをローディングしてきて、自分の中で実行して結果をメインプログラムに返します。メインプログラムではさまざまなサブプログラムの結果を集積して処理し、結果をアウトプットするわけです。このときのアウトプットとは、波動というあいまいから一意に行路として確定していること、すなわち過去の事実(歴史)の確定作業なんです。人のレベルで言うなら、人生の描画とでも言いましょうか。
11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2~P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1