現伊勢には怪しげな神が祭られている。
今回はその暗部に光を当ててみる作業をしよう。
現伊勢より半世紀旧く遷座されていたという伊勢神宮に京都府加佐郡にある元伊勢がある。
https://www.geocities.jp/k_saito_site/motoise.html#hagoromod1
もちろん現伊勢を立ててのゆえか、元伊勢神宮とは言わず元伊勢神社であるようだ。
さてこの地の元伊勢内宮であろうと考えられるのが、ホツマツタエに伝え聞く、国常立神と天照大神の御陵のある場所だ。それは二つの神体山として、それぞれ外宮と内宮によって祭られている。
いっぽう宮津の執政地はそれより北の海浜部で、現在の天橋立の文殊堂の付近と聞くが、この両神がみまかって後にこそ、霊威盛んと御陵のほうが祭祀霊場として遺されてきたとみられる。
そこはかつて発見した図形(下図)の正近似五角形の一角を担っている。
真西に出雲大社を望み、ほぼ2緯度長の距離となり、実際にこの地に住居を構えるのに、内外宮の両神体山の頂上を繋ぐ線と出雲との等緯度線の交点にあるから決めたという人まで存在しているくらいだ。
ところで、ここにある内宮と外宮にはどう見ても雲泥の差がつけられているというしかない。社殿を見ればそれは明らかである。外宮の本殿の屋根は朽ちてはがれかけ、あるべき祭器がそろっていない。人の手が入っていないことが歴然としていて、それはもう廃屋に近い様相がある。畏れ多くも、天照大神の祖父にあたる国祖を祭る社を、いつ崩壊してもおかしくない状態にしておくことがあっていいのかどうか。
外宮の境内地は建屋も含めて民間の一個人のものであるらしい。その人に会おうと思えば、宮司その人がそうらしい。が、彼は神職ではない。生業としてトラック運転手をしているとか聞いた。
とにかくその人物は神社庁から不興を買っているようである。何をしでかしたのかは分からないが、神社庁から神官の免許が下りていない。地元民も地元の不祥事と見てか詳しく語りたがらない。
外観を私流の神話幾何学として見るとき、古い過去の時代の国祖が、孫神と仲違いをしたか何かで、封じられてしまっていると解釈できるのだが如何なものか。
外宮の背後には舟岡山なる神体山があって、そちらが御陵だから表面(おもてづら)はどうでもいいではないかという意見もあろうが、我々はその表面で生きている生き物だから、そうはいかない。深層でどうなっていようといまいと、我々はこの次元で苦悩しているわけだから。
さて、内宮職の人々は神社庁からやってきた、いわば公務員だ。元伊勢外宮は民間人だ。公は民を虐げてもいいという思いがここからも感じられないか。国祖がもしここにおわしたなら、お世話になる民のほうにこそ目をかけたであろう。しかし、国祖はどこにいかれたか。この神社にはおられず、もしかして半世紀後に定着した現伊勢におわすのだろうとも思われるが、ならば孫神と執政した懐かしい故郷をあれすさぶままにしておくはずもなかろう。
そこで、いったい何か異変がなかったかどうか。当時に戻って、神々の世界に思いを馳せてみるのも、誰しも古刹に訪問の折はなされることだろう。まさか地元の妙なタブーに触れて、すごすごとそんなものか、触らぬ神に祟りなしと帰る方も少なかろう。
特に私の場合は、現実から神界を見る。天にある如くが地にもあり、地にある如くが天にもあるという論拠を掲げてだ。
カバラによれば、この世すなわちマルクトはサタンの支配するところ、それ以上から天使の支配になるとしているようだ。だが、ほんとうにそうなのだろうか。あまりにも天国天国と吹聴するあまり、過大に期待しすぎていないか。私は少なくとも、我々が認識し想像できる範囲(宇宙大)は、まるごと相似形であると考えている。
では、いったい何が神界にあったのか。それを示したのが大本神話だ。新神話のストーリーの大前提がここにある。つまり、正しく祭られるべき神が政変に遭い、偽者に取って代わられているのである。
なぜ世界が欺瞞だらけなのか。それは天も然りだからだ。お上の意向を汲んでこの世がある。この世は特別な修行の場として特別に存在しているのだといった、一様性に欠ける意見はも、はなはだおかしい。
すべてが腐敗しているから、この世も腐敗するということ。死後そのような腐敗した場所に帰るから、また誘惑を見せ付けられたり、蹴落とされてやってくる。こう考えればすべてつじつまが合わないだろうか。
霊能者はそんなことは言っていないとなら、その人たちは、体のいいお上の宣伝マンでしかないと言い換えられる。普通人が見えないことを知っているかのように大々的に言えるというのも、お上の許認可有らばこそ。官製報道しているというわけだ。私は、そのお上の問題と疑惑をここであげつろっているわけである。この辺はいかようにも言えるところかも知れないが。
まあとにかく、伊勢には疑惑がある。そこに祭ってあるのはいったい誰なのか。そこに毎度お参りするのは現閣僚方々だ。まさかアメまでが同じ名の神ではないだろうな。それは天の神ではなく、かつて鬼畜と言っていたものたちかも知れないぞ。
先日、お膝元でお土産の期限偽装事件が明るみに出た。これも新神話の観点からすると、お膝元まで偽装が暴かれたということになる。もう少しで核心に迫れるかといったところで、邪神側が盛り返し、新神話の正神軍はいったん退却となったようだ。こうしてまた庶民への圧政が始まった。
いっぽう、良い時代の執政地の食品(知恵の文殊の知恵の餅)には偽装は一切ない。なんとか早くホンモノの時代になってほしいものだと、今日も世の馬鹿さ加減を見て確心する。
カテゴリー: 創作作品
新神話 第十二章 地上の語りが終わるまで書き綴られる新神話その二
2007年がそろそろ幕を閉じようとしています。
その先は、何かといわくつきの年代の幕開けとなるわけで、ここに集う皆さんなら、ほぼ了解済みの行程を不安と期待入り混じらせながら、覚悟を決めて臨んでおられるように思います。
私は逆に、これからはこうなるわけだから、むしろ鳥が羽根を伸ばすように、自在にシナリオを思い描いてみたくなったわけです。
そして編み出した手法「新神話」によってこの際、面白おかしく世界を加工してみてやれと、トライを敢行してみたようなしだい。
すでに前章までで新型のシナリオは与えてあります。
ここからは追加部分になるわけですが、なにやらコメントのほうでシンクロが多発しており、現在書き出したばかりの十二章にもその影響が見られたため、ここに恥ずかしながら粗稿の掲載を思い立ったようなわけです。
けっこうきつい表現が多いので、40禁ぐらいにしておきたいところ。
では、新神話物語の現在における最終章をどうぞ。
新神話 第十二章 地上の語りが終わるまで書き綴られる新神話その二
更なる書き綴りの必要性
2007年の夏頃までにいたる以上のストーリーで、大団円完結の新神話は全編終了としたかったわけだが、結果の見届けを行い、効果不十分であれば補足すべきを補足し、所期の成行への誘導がどうしても必要となる。それは建設工事にも似て、施工過程で誤差が生じれば誤差を最小限にすべく調整するということが、タイムリーに行われねばならないのである。・・・・・・・・
新神話 効果見届けの体制へ
私の古事記の神話の解釈に執心されている方から、よく理解できないという報告を受けた。
私の解釈法は、神名の意味の解読と、筋書きの両面から進めていく。
神名は日本人なら多少は心当たりのある言葉で成り立っている。
それを意訳していくのである。筋書きが意訳したものをリンクさせていくので、いっそう意訳が鮮明さを増す。
古事記である理由は、暗号の封印を意図したものであると目されるからだ。
その他の古典では神名が意図的に崩されているようで、意味を成さないからである。
当初発見して興奮したことは、神話が預言になっているということだった。
たとえば、火の誤用により、黄泉の国に至るというのがある。
当然、世界が、あるいは人類が、というわけだ。
イザナギ景気という言葉は経済用語としてあるが、イザナミ文明というのは、古事記が暗示する人類の辿る道のことである。
ホノカグツチ、イハヅツノヲ、イハサク、ネサク、タケミカヅチノヲ、トリノイハクスブネなどは、イザナミが産んだ火の神の子孫だ。
炎の輝く土、石の筒のパワー、岩を裂く、根を裂く、猛々しい雷のようなパワー、石楠のように堅牢な鳥。
一見すれば、近現代的な戦争兵器と分からないはずがない。
それによって、イザナミは病態となり死んで黄泉にいたる。第二次大戦では致命的でなかったが、それ以降の戦争でや如何。
黄泉は死後の世界(常世の国)というより、死体の世界だ。
腐乱臭を発し、蛆が涌き、とろとろになっているものの、死体のあちこちで雷が鳴っているという、これまた普通の死体ではない。
あくまでも、戦火絶え間ない文明の末路のことである。
その頃は、古事記が日本民族に与えられた教訓であって、その知識を持ち越し、風化を極限までしのいだ古代大王家は偉大な賢者と心から称えたものだった。
だが、中東思想の中の預言とさほど変わるものでないことが分かり、しかもこの現代に対して何ら教訓として機能してこなかったことを考えると、確かにこれは預言であり、教訓ではなかったことに思い至った。
聖書はその中の一言一句さえ変えてはならないという。
同様に古代大王も、知識(本辞)部分の存続のために、記憶の堪能なプロジェクトを擁していて、一語一句間違わない伝承を心がけていた。
その結果成ったのが古事記である。
預言、神の計画は、洋の東西に普及されていたのである。
では、何のために。
ひとりでに預言された事が成っていくというのが、預言の真価だろう。
だが、預言されたとおりに事が成らなかったときのために、事を運ぶ工作員への指令書であったとしたら。
私の思いの第二期は、陰謀史観と共にあった。秘教組織がいつの時代にも、為政者の傍にいて、陰からというやつだ。
だが、2000年に入ってからは、神界に原因があるという情報を知ることとなる。
優位な鳥瞰的立場からアリンコ人類の進むべき道が決められたのでは、アリンコの様々な努力が報われず可哀想であるとなった。
どんな思考順序でこうなったか思い出せないが、実は神界もスケジュール管理されていると判明。
監督がいて、善意の神々は、神話のシナリオどおりに演劇しなくてはならない。演劇内容は、波動的に下界に理念として降り注ぐ。
戦争や力関係を誇示する内容で満ちた神話からは、そのような影響しかもたらすことができない。
しかもシナリオは、神々が書いたのではない。人間が書いたのだ。神話を書いたのは神官層である。神々を作ったのも神官層である。
神々はみな人工なのだ。創造力に富むのは見えざる異界の純真な精霊たちだった。彼らに名前と機能を与え、さらに演劇をさせるようにしたのは神官層だった。
彼らはいわば魔法使いである。人類全体をコントロールするための複雑な仕組みの魔法を掛けたのである。
世界的な魔法がどうしてこんな地球に??
はるかに高度な神、あるいはインベーダーと仮定してもよい。神々さえも凌ぐ神によって、古代にエージェントたる人々が養成され、神官となった。その神未満の次元を完全支配するために。
魔法を解くには、魔法しかない。催眠術を解くには、催眠術しかないが如しだ。世界の救済には、旧神話を凌ぐ魔法と魔法使いが要る。
だが、対抗勢力には監視の目が光る。能があってはならない。賢くてはいけない。世に頭角を現してはいけない。その道の権威にでもなれば、あっという間に多忙にされたり骨抜きにされるだろう。
あくまでも水面下、水準以下で、塵に埋もれていなくてはならないのだ。
それでは啓蒙にならないという向きもあろうか。
啓蒙は人々に下地的準備をしてもらう意味でとてもいい。
しかし、魔法使いがすることではない。一人でやり切れるならそれに越したことはないのだ。
一人では難しいから、あるいは邪神の目をくらますためにも、時計仕掛けで起動する仕組みが要る。
時間が来れば、協力者がキーを携えてやってくる。
それに感応し触発されて、潜在力が起動する。
魔法使いが卵から孵り、ひよこから成鳥になるまでに、次々と飼育員が専門知識を携えて入れ替わり立ち代りやってくる。
私はシンボルが「鳥」であり、鶴、山鳥、朱雀、鳳と進化させる。
その過程の中で、対応する協力者が、亀、乙姫、青龍、玄武、白虎、龍として立ち現れてくる。
中でも四神の青龍、玄武、白虎は、これに該当する者を予感できるという特質があった。
まず青龍が、私の五十に限った寿命を延ばし、玄武が突如キーをもたらし魔法起動の火をつけたが、手ひどい傷を負わせて二年で去り、次に白虎が現れたが、いくつかのキーをもたらしたのみで、その飼い猫こそが白虎と分かったものの、人のほうは一年ほどで去っていった。
その後、青龍が玄武を霊的に合力してキーをもたらし、いろいろ曲折しつつも旧神話を解除するための新神話は成った。
長年月身の回りをサポートしてくれた毘沙門の二十日鼠は世を去り、青龍は七年以上となり二番目の長さとなった。
これでよい。新神話の効果をあとは見届けるに余生を送ると心に決めた。
そのようなとき、白虎らしさを醸す人(猫ではない)が前二者と同じルートで・・・。
神話の異界への効果のほどを教唆するような情報。求めていたキーではなかろうか。
新神話番外編、第十二章、地上での語りが終わるまで続く新神話その二以降に綴ることになるかも知れない。
新神話概観・・・火の鳥編
梵によるはじまり(別角度から)
空なるところにひとつの玉のような意識があった。
周りには何もない無限の広がりのみであった。我々が考える時間とか空間といったものは
なかった。
固有名詞をつけ時系列に話さねば理解できない世の人のために述べるなら、ひとつの意識
の名は「梵」。彼の夢の開始点がどのあたりであったか定かではないが、ひとりあることに
寂しさを覚え、自らを別けて双身とした。しばし互いに愛で合った後、それでも不足を感
じたか、次々と別け身を創り出すことを繰り返し、その数は無数に増えた。その全体の姿
は、最初の双身(父母)を頂点として繁茂する逆さ樹木のようであった。それを「梵の全
系」という。「梵」の冠の林とつくりの凡には、おしなべて林のように見えるという意味が
ある。また、神棚に供える榊(さかき)とは、「逆さ木」の意味であり、常緑樹であること
によって永遠性を表現しているのである。
あるいは逆ツリーの姿ゆえ、下位を「根」という表現をする。いずれも玉(意識)の連鎖
によって成る情報系を意味しているのである。
ところが、個々の意識は全能であった。それぞれに宇宙を造形する能力を持ち、それぞれ
が引き篭もる宇宙を持ち、遊んでいた。だが、しだいに近接した者同士で相互交流するよ
うになり、アイデアを元にした組織を作るようになった。組織で共通の宇宙を創り出し、
面白さを工夫するようになった。そ のようにして生じた宇宙には、失 敗作も多々あったが、
さらに工夫する。
その能力は、魔法の力というべきもの。夢を作る能力といってよい自在のものであった。
というのも、原理的に魔法で作られるものは、すべてオリジナル言語で書かれたプログラ
ムであり、そこに意識の個々が参照光を当てることにより、観測されるものとなったから
である。その原則は変わらない。だが、みんな魔法の能力を柔軟自在に駆使して、そのよ
うなことは忘れたように行動した。
そのようにしてできた宇宙の一つに、この宇宙があった。最初に理念と目的をはっきりさ
せた設計がなされ、それに従って宇宙は生まれたのである。
祖形の宇宙に入った意識たちは、創意工夫する科学者のようだった。梵天、弁天、ウーラ
ノス、クロノスといった科学者が宇宙の基礎を作り、参加希望者に来場を促したのだ。
興味した者たちが続々訪れた。その協力のおかげで、祖形宇宙はしだいに諸原理を明確化
させ、細かいところまでが定まっていった。
ひとつの宇宙の雛形を与えた後、梵天と弁天は、後をクロノスに託して去り、その後クロ
ノスは生命の基を作るまでにした。こうして、意識は生命体の個々に宿ることのできるも
のとなった。
生命体には、宇宙の諸元を使ったあらゆる形態が考案された。諸原理の整備に伴って、た
とえば真空生命体、プラズマ生命体、物質生命体、原子生命体などへと展開した。
創造精神豊かな純粋な魂ばかりが集まって、創意工夫を出し合って、それはそれは善意と
愛に満ちた見事な世界が生まれたのだった。
細かいところまで意識の目は入り、些細なことでは壊れたりしないものとなった。プログ
ラムで言うなら、バグの極めて少ないものとなったのだ。
宇宙が安定的に運営されてしばらく経ったころ、この宇宙を自分たちのいいようにしたい
という邪な意識がたくさん入ってきた。彼らは作りあがった見事な土台を改変する者であ
った。というのも、この宇宙に当初設定した「生成衰滅の草本の理念」に沿った変化期が
訪れていたからである。その時期に応じた意識が参加してきたと言ったほうがいいかも知
れない。セキュリティレベルが下げられていたと言い換えてもよい。
彼らは自らを人仙グループと名乗り、高度思考能力を持つ生命体の開発実験のためにやっ
てきたと告げた。
理念の展開に沿った者の到来に、クロノスらは歓迎したが、彼らは以前の宇宙で、競争と
闘争ゲームに熟練した者たちであった。このため、クロノスたち古参の科学者の意向を汲
まない行動を頻繁に起こすようになった。ついに古参者と新参者の間で戦争となる。クロ
ノスは宇宙の外に逃げたが、多くは意識を失わされ、その間に封神処理が施され、神界で
人仙たちの下働きをさせられることとなったのだ。勝者は天仙として仙界に住み、下位の
神界からは認識できなくして、神々の行動を監視したのである。
クロノスのときに、高度思考力を備えた原人が作られていた。多くの意識がそこにちょう
ど潜水服のように入って、地上の開拓作業をしていた。彼らは、封神処理の間、上位界で
何が行われているか知らぬままに放置され、いつしか意識を退化させていたのである。
天仙は、世界を仙界、神界、霊界、幽界、人界、地獄に別けた。上位から下位を制御でき
ても、逆ができないようにしたのである。
クロノスは梵天に訴えた。理念が過激に遂行されてしまったと。梵天は、理念がそうであ
る以上、再び廻り来る春もある。よほどのことがない以上、静観するのがよいのではない
か、と諭した。だが、その「よほどのこと」に関して調査が入ることになり、介入が必要
であると判断されたのである。
火の鳥の真義
火の鳥は古来より、これが現れる時代は世が根底から覆る時であると思われていた。
すべての地上の文明がその寿命を終える時、必ず地上を火災が覆い尽くした。その原因
を火の鳥に求めたのである。
その時代には、世の矛盾に疲れた人達の願望が嵩じ、正義によるのかそれともその他の
動機で起動されるか分からぬ、謎に満ちたシステマチックな摂理に人気が集まった。
なぜならそれは、迷路に迷い行き詰まってどうにも動きの取れぬ状況の、最終的な打開、
最終解放をもたらす手段と認識されたからであった。
宇宙。それは有情すなわち魂と普通言われる永遠の存続が謳われた意識ある主体が、自
らの生きている証しとして様々な体験時空の中に意識の目を置いて、自分と被造物の関
係を認識するために作られた仮想時空のことである。
それは多くの意志によって作られたとも、単一の意志によってつくられたとも諸説ある
が、元はといえば意識の主体が楽しむべく設計されたテーマパークであった。
その中で、火の鳥の初元的意義はこうである。
この宇宙ができあがるとき、これを設計した太古の神(と言っていいであろう)は、宇
宙の土台に存在を維持するための基盤となるエネルギーを封入した。それは宇宙の膨張
と共に普遍し、科学的に言われる黒体輻射となった。それはいつも宇宙に体温があって
生きていることを証していて、その暖かさは愛と目されていた。
だが、設計者はこの中に更なる愛を込めていた。それは、精緻に作られたものであれば
あるほど、それにのめりこみ固執を招く可能性を持っているゆえに、その傾向を戒め、
有情に本来備わった相を取り戻させるための摂理として用意されたのが、破壊と焼却を
以てする火の鳥であった。つまり、緊急避難処理機構だったのである。
意識の退化・・・のめり込みを助長するシステム
この世に生きる者は、本来備わった相など知る由もなく、また知る必要のない、むしろ
知っては興趣が削がれるところのものとされていた。たとえば、◎◎◎が宇宙船の中で
「蚊」の一生を、そのものに成りきって体験した如くである。
だから、ともすれば、有情はテーマパークに遊ぶうち、自らの元の性質を忘れ、あるい
は失い、その仮想的対象こそを事実、実態と誤認するようになる。
テーマパークの主催者は、細心の注意を払い、極端にならぬための政策を取ることにな
っていた。
封神の後、神界に登場した政府は、まだしも良識の府であった。当初の科学者的建設的
思考が自然ににじみ出て、輝ける魂の神々が支配的だった。
正義は誠実の表れとしていつもあった。人 界の管理は、適 切に施され温かみに満ちていた。
ところが、神界に仙界から功利主義や競争精神が持ち込まれ、誠実さ必ずしも得になら
ぬ例が続出してきた。暗い時代の到来を思わせるように、神界の空も灰色がかり、色あ
せていった。人界もこれに伴い、不安定化した。
だが、建て直す神が現れた。国常立神である。彼は、正義を揺るがす行為を戒め、神界
のあり方を正した。こうして、神界人界とも元のよすがをいったん取り戻したのだ。
だが、天仙は計画を中座させられ、面白みが削がれたのを見て、魂を持たない杖の眷属
を国常立神の討伐に向かわせたのである。これはいわゆるゾンビであり、噂に聞く梵天
の目が宿らないことが見込まれていた。仙界から密かに下ろされ、天仙とは無関係に装
いつつ、邪悪な精神性を神界にふりまくのである。
国常立神の執政を恐れる者たちの間に不満は嵩じ、黒い陰謀が生まれた。
こうして、神界にクーデターは起こされた。ここでも、ゾンビを直接関わらせる計画で
はなかったが、軟弱な側近たちに暗殺は不可能だったため、ゾンビにやらせてしまった
のだ。
ゾンビは、プログラムの観点からすれば、ウイルスのコードのようなものである。あた
かもセキュリティを破り、不明瞭な外部から侵入したかのように見えるのだ。
主催者が革命によって交代した後、人界の文明の進歩はどんどん加速させられた。
バラエティーに富んだソフトを編み出し、有情を虜にした実績によって批判的な外圧を
かわすようになっていったのだ。
夢の楽園と銘打ち、外野に向けて宣伝がかけられた。非常に面白いテーマパークだと評
判になった。
お子様連れでぜひいらっしゃい、と。
そこに入る者は、まず控え室で幾つかの説明を受けて書類にサインする。
魂の記憶を消すこと。以前の名前を忘れることなど。
書類にはなにやらややこしい文も書いてある。
それに同意するなら、サインして無料で入室できるという具合だ。
純粋な魂たちは、施 設の誠実さを信じて、面 白さを味わいたくて来ているためサインする。
だが、入る人数と出てくる人数の差が歴然としていた。
還らぬ魂たちを心配して梵天に訴える眷族が増えた。梵天が行って掛け合うが、主催者
はみんなルールを守って楽しんでいる最中であると答え、さらに追求すれば、サイン入
り文書を見せて、ほらこの通りという言い逃れ方をした。
テーマパークはやはりプログラムである。そこに有情は試し火の火を入れてプログラム
を実行しながら観測する。己が意識を忘却の麻酔プログラムで麻痺させて、命の誕生か
ら終わるまでの課程を楽しむのである。
彼の欲望のすべてを満たすには命は短く設定され、また課程の中で新たな欲求を見出し
て、次の更なる経験を欲するように設計されていた。
欲求が生まれれば、その需要に応えて、次の生のポジションから果たすべき課題までが
功過得点によって計算し直され、周到なプログラムが用意される。参加者はみなプログ
ラムである対象を、マリオのゲームの如く相手にしながら、そこに出てくる敵と戦い、
味方と出会い、様々な試練を乗り越えて到達点に至ろうとするのである。
それで未到達タイムオーバーなら、次の輪廻がシステマチックに用意される。
その間に、別の欲望や過失や故意などが新たな功過を生み、またも採点の対象とされて
いく。これらをことごとくクリアーするために、何千という輪廻を繰り返すのである。
その時間の中で、参加者はいつしか有情というものになってしまう。
有情の数はあまりに多く、多くはシステマチックに処理されるが、特別に評議の場にか
かり、恩情的措置やたしなめ的懲罰措置を受けることもある。
針の穴を通すほどの確率でしか抜け出すすべはない。こうしてテーマパークは、あたか
も地上の楽園と銘打たれ外部宣伝がかけられたかの国の如くであったが、その実態は強
制収容施設であったのだ。
これはどうもおかしいと、隠密が放たれた。それが◎◎◎らのプロジェクトであった。
しかも、火の鳥使いが直々に乗り込んできたことは、テーマパークの廃絶をも視野に入
れた計画であったことになる。
ところが、テーマパーク主催者は、永久的存続を願った。
自らの支配権の永続という幼稚な精神性が支配原理となったとき、悲劇が生まれる。
彼の傘下にあるすべての生き物の希望を、存続一色に染め上げたのである。
教育、暗示という方法で、存続しないことの悲劇を強調し、非存続に向かう苦痛と存続に
向ける安堵感を際立たせて、飴と鞭の効果を活用した。
だがそれは、真の意味の魂からの希望ではなく、無知なレベルで為した希望であった。
自己保存本能として、あるいは破壊時における懲罰的痛みとして、生きることを希求せざ
るを得なくしたのである。
痛みの中でもがき必死で生きんとする様。それは傍目から見れば涙ぐましいものに写る。
だが、それは死への恐れと次の輪廻への欲求となるばかりである。
ところが、それでも支配者は宇宙の存続に満足が見出せないと知るや、さらに別の方法を
編み出した。
すなわち、善と悪を戦わせてそこから生ずる残留思念を存続エネルギーにしようとしたの
である。悪の力が上回っていればいるほど、善はその矛盾に対してすさまじいストレスエ
ネルギーを発散するが、それが優良な宇宙存続の原動力となるというのだ。
結果、そこに閉じ込められた有情たちは、思うように行かない、悪い差し障りがあるなど
の不幸の客体となる。ときおり順調に行く晴れの時間をその中に織り交ぜれば、いつか不
幸を脱して幸福になれると努力する。それが錯覚であっても、土台が存続しなければ何事
も実現しないと錯覚し、またも存続を希望するのである。
「ここでもっと生きたい。経験したい」といった有情の希望は、ただちに外野に伝えられ
る。ほうら、こんなに楽しんでおられるじゃありませんか、と。
この方法がいつまで効果があるかわからないが、宇宙に幾つかのポイントを設けて、そこ
で善悪のせめぎ合いをさせるだけでたいそうな効果があることも分かったとみえる。
そのようなポイントの一つが地球という惑星であった。
地球には、かつて反逆者とか戦犯と呼ばれた者たちが多く下ろされた。彼らは何が真実で
あるか心底知っていたため、戦勝者に対して表向き帰順の意を表明しても、心中迎合しな
い者が多くいた。
そこで完全な敗北観念を抱くように、洗脳教化する強制収容所として作ったのである。
彼らはもとより正義と秩序を重んじる者たちであったから、正義の元が心地よいので集
まろうとする純粋さを備えていた。ところがそこに、ならず者やごろつきや刺客を高見
から見下ろしていて送り込むのである。同じ外形をした仲間としてくるものだから、そ
うとはわからずトラブルになる。まとまろうとする正義の一団はまとまれず、内部崩壊
してしまう。あるいは外部からならず者の兵隊が来て潰してしまう。こうして、正義は
いつまでも成り立たず、心ある者たちの心の中に理想として秘められるに止まったので
ある。それがまたも錯覚させて、土台の存続を希求させることになった。
戦勝者の干渉は、地球に下ろすものたちの形態にも及んだ。
地球は50億年の年月の上に生命が進化し、人間を頂点とする生態系が築かれ、宇宙船
地球号の中で生命輪廻のサイクルが営まれている。だ が、そ こに生息する動植物の多くに、
実験の痕跡が残されている。いわゆる遺伝子工学の、である。
今の人類もそのご多分にもれない。地球に当初存在した人類は、類人猿的であったが、
人類として登場した者は、準・神人であった。
この原型から、何かを足しても引いても、支障があるほどに完璧であった。観測できる
視野のレンジは広く、形而上の実体をも見通すことができた。子供は、父母の頭頂から
気の塊として生まれ、長ずるに従い物理的な形を整えていくのである。幽体と言われる
形で生まれ、肉体をしだいに纏うという生長を遂げたのだ。生命の木の図章は、幽体の
象徴化された解剖図なのである。
その原型は、敗戦者の技術によってこの上なく創られていたため、戦勝者はこの秘密を
解き明かそうとして、いくつもの不具を創ってしまった。どうしても武力以外の分野で
力が及ばないと知った戦勝者たちは、地球上の原型人類を収監して、そこからできた不
具と動物をあいのこにした生き物を、人間として下ろすことにした。
具体的には、宇宙人が人間の遺伝子改造を行った形だが、未だに幽体との整合が図れな
いでいるために、満足な寿命が保てず苦労している。
戦勝者は、技術的に劣勢なのを逆恨みし、原人をあらゆる皮肉を込めて改造した。
その端的な例が、子供が汚物排泄口のあわさいから生まれるようにしたことである。
かつての原動物はいっさいの子供を子孫を大事に生み育てる理念の下、頭頂から生み出
していた。それを汚物の次元にまで貶めたのはひとえに戦勝者の企みである。それは、
人々や動物を支配する彼らの方針を表していた。
シュメールやギリシャの神話などは、人間は神に嫌われた存在であったとしている。
インド哲学も、この世の輪廻から解放されることのみを希求し、そのための実践哲学の
体系を創っていった。
若干、タイムを取ろう。ただいま正神の中から、人界の存在意義を肯定する意見がもた
らされたので、書き記したい。
人界の意義・・・進歩になるのだという説
人界は広大無辺な宇宙全体のうちにある、ひとつの次元時空であり、有情の意識が好みに
応じて居心地の良い次元時空に本拠を置くとき、宇宙の全体像を把握させたり、自己中心
に陥りがちになる意識たちに他のステージを理解させるといった理由から、他の意識に対
して働きかける(相互作用する)機会を作るべく設けられている、という。
よって人界には、天人阿修羅地獄餓鬼畜生に大別される次元時空から、様々な性格の者が
共通の交流の場を求めてやってきている。それはさながら、ディスコに集う若者の群れと
いった感じであり、慎ましく高貴な魂から、粗暴乱雑な魂、あるいはアウトローな者まで
が混在し、それぞれ他の者から、あるいは成行から、自己を改変する手懸りを得ていくと
いう。
人として生まれた者は、ち ょうど老人ギブスをはめて活動する如く、元 あった力を減殺し、
造形困難なマテリアルを使って、共同の建設的作業などを通して、自らのありかたや考え
方をグローバルなものに改変させていくというのである。それを魂の進化と言っているら
しい。
その下地に、有情はすべて、機会、可能性、与えられた時間において平等であることが謳
われているという。
また、大から小に至るまでの局面でストーリーがあるが、文明の進歩や支配的思想の変遷
は、相互作用の仕組みと角度を少しずつ変化することにより、進歩の形態を多様にしてい
るという。
だが、◎◎◎はそれを聞きざまに、欺瞞であると断ずる。
その理由として、そこまで配慮されたシステムならば、なぜ古来から宗教者が頻繁に出て
精神論を説かねばならなかったのか。釈迦などは、衆生に心のレベルにおける解脱を説い
ている。それは、いかに耐え難い環境が衆生に対して与えられてきたかの理由ではないか。
むろん釈迦やその他の聖者の出現により、衆生は救済されて、今の時代に子孫を残せるに
至ったと解釈もできる。だが、どう考えても、闘争の歴史は多くの無駄な繰り返しを招く
ものでしかなかった。価値感を狂わされた競争の歴史は、直ちに壊れる砂山の建設に似て、
共同の建設作業らしく見えても、最終的には絶望を与えるものにしかなっていない。多く
預言されたよう、この歴史が滅亡を必然としているように見受けられるのはなぜなのか。
むしろ、何か別の理由、もしくは怠慢があるのではないか。
その理由としては、邪な計画が(権利伸長のための宇宙存続計画の一環で、善悪の闘争が
優先されている)潜在しているからではないのか。ソロモンはこう言った。「天の下には、
真新しいものはひとつもない」と。文明は同じマテリアルを抱えて、ただ輪廻しているだ
けだからだ。そこで魂はやがて進歩し悟る?そうではなかろう。マリオのゲームもクリア
ーのハードルが次第に高くなっているのと同じ原理なのだろう。
もし支配神に邪な心無く人界を運営する気があらば、迷霊を迷霊のままで放置したりはし
ない。それは明らかな怠慢。過失というより、故意に起こされたことと判断するのである。
迷霊がどうしてもそうしたがるのだという言い訳は、機会や与時間の平等という言い訳の
上に胡坐をかく怠慢の証でしかない。しっかりと逐一の例を検査し、ケアーを図ってこそ
前提的な大義名分も立つのではないか。
ちょうど神界の人界支配の構図は、どこぞかの政府の官僚組織に似て、権力保身の邪悪さ
だけが支配し、肝心の行政はおざなりになっているとしか言いようがない。そのようなと
ころから与えられる末端庶民の幸せや所期の進歩などといったものは絵に描いた餅にすぎ
ないと断ずるのである。
これに対して◎◎◎は、極度な邪悪さを排除したマトリックスを、善良な注意深い管理の
下、博物施設として運営し、希望者にしっかりとしたガイドをつけて閲覧してもらうとい
う新型システムへの移行をこちらサイドで提案し、今目下、梵天の宇宙プランの中のひと
コマとして実現しようと図られている。
このために、従前のシステムを全廃し、先天的な邪悪な魂、あるいは洗脳の解けない後天
的邪悪な魂のすべてを粛清あるいは遠投することもやむなしとする。神界政府の人事の総
入れ替え、そして罪根の洗い出し、関わった者の処罰を、粛清を交えながら行わねばなら
ないとする。
だから、異議があるという正神は、あちら側に加わって戦われることを薦めるのである。
とにかく、神界全土に渡っての関が原の合戦となることは必定。どちらにつくかは、早々
に決められよ、というわけである。
人類家畜化実験
さて、割り込みが入っていたので、話を元に戻して、邪神一味の仕組んだことをもう少
し論じよう。
今から四万年前の現人類発祥の時代には、人間を動物よりも機能不足に作りかえる目論
みが実行された。危険などの接近を、エネルギーの場として捉える観測能力を、学習的
に奪い去ったのである。結果として形而上エネルギーを感得する能力が殺がれた。
心霊や気のエネルギーに対する盲目は、未来に対する盲目でもある。こうして支配の神
々に盾つけないようにしていったのである。
たとえばUFOは様々の形態で飛んでいる。ところが人の目は都合のいい盲目で、見た
くもないものは見ない、見たことにしない、そういうフイルターがかかる仕組みが備わ
っている。
人間の側で不可知なものを拒絶する仕組みを進化のうちに作り上げたとすれば進化論的だ。
だが、進化した科学者である神々(いわゆる宇宙人)が関与しているのだから、人に見せ
ない、存在を悟らせない仕組みを遺伝子に組み込んだというのが本当である。
なぜ古来より目に見えない神が実在のものとされてきたか。それは霊感的に人を指導し
たというより、人を選んで姿を見せてきたからである。聖書の預言者等は見せられた者
だった。大衆を精神的に支配するシャーマンに姿を見せ、言葉を述べたとなれば、大衆
への波及効果は絶大であり、人知の未熟な黎明期であれば大思想の根底を作ってしまう
ことはいともたやすい。
悪しき神々、地球を支配する宇宙人は最初から地球の歴史をコントロールするために人
の遺伝子に条件付けをしたのである。
己が存在を見せないために、脳の仕組みを動物一般のそれとは乖離させ、自然界で観測
される情報のレンジを絞ったのだ。スマトラ沖地震のとき津波の到来を何らかの危機情
報として察知した像や蛇などの取った行動と、危機に向かって飛び込んでいった人間と
の種族的乖離は大きいと言わねばならない。
聖書に言われる楽園追放とバベルの事件は、いずれも神の観測領域からの段階的脱落を
意味するものであり、それは遺伝子操作でなされたことだったのである。
アンバランスな脳が今だ。では聖書にも偲ばれるような、集大成された優秀な原人脳の
モデルはどこかにあるのか。ある。
外傷や奇形などの原因で発症するサバン脳は、コンピューターを凌ぐ記憶力や演算能力
を発揮するケースがあるが、阻害要因がたまたま取り去られた結果なのである。
しかし、それをあえて取り去った神を名乗るものがいたことが史料で伝えられているわ
けである。童話や思いつきではない世界の誰もが目にする史料として、堂々たる定番と
なっている。だが、不可解な神のしたことに対して疑いを持つ者はいない。
圧倒的に優位な力を持った神が、自らが創造した物ゆえに、生殺与奪は我が権利と、生
き物が悩もうが苦しもうがしたい放題する。そして、我は主人なり、崇めよというのが、
この傲慢な神を語る悪魔である。彼は未開の人類に恐怖を与えることと、ルールを教え
込むことによって、姿は現さずとも存在のアピールを十二分にしてきているのだ。
そして、ときおり神懸りして、猟奇的凶悪犯罪を犯させる。犯罪者は、神が指図したと
訴えるが、見えないために採り上げられることはない。
ちょうど、飼育箱の中に低次元発展途上の生き物をたくさんいれて実験する科学者のよ
うなものだ。生き物が未熟だが思考能力を持つことに興味していろいろと試行している
のである。
彼はこの生き物に自分以上のものを与えたくない。だから、様々な能力を取り去り、滅
びを必然のものとしたシナリオを文明というタームに対して与えて、その中で実験を繰
り返しているのである。
こんな話はすでにされてきたことであるし、だれでもうすうす推測がつくことである。
だが、◎◎◎はそれをいくつもの困難を押して確かめようと思った。
彼は、2005.7.に地球に変装して潜入しているとおぼしき宇宙人にそれとなく矢継ぎ早
にいくつかの質問をしてみた。分かったことは、彼は今仕事がなくてここに遊びにきて
いるとのこと。私は、宇宙人の監視を受けているような気がよくするが、あなたもその
ひとりなのかの問いに、い や分からないとの返答。エ ホバとは宇宙人なんだろうの問いに、
言葉に窮しながら分からないと返答。そこですかさず、第三次世界大戦はいつになるか
と問うと、まだ決まってないと答えたので、◎◎◎はやはりそうか(計画はある)と得
心した。
科学者である宇宙人は、歴史のシナリオをその通り誘導するために人間側に代理人を組
織して工作活動をさせている。その忠実な宇宙人のしもべたちは、人類の利益を度外視
した次元の考えで働く。むろん、よく言われているフレーズは、この数行に関して神を
宇宙人に置き換えた言葉だ。だが、それを宇宙人と看做せば、どんなにふざけたことか
が分かるだろう。
要は地球生態系は、宇宙人の手の中にあるということ。天にあるごとくが地にあり、地
にあるごとくが天にもあるという諺は真実なのである。地に満ちた不合理は天に起因し
ている。天国云々は意識が地的係留から離れたときのことであり、地上に天国は築けな
い所以である。意識は魂として地上付近に止まり、次の転生に備えるという。だが、臨
むその場は、広漠として、不合理と不正に満ちている。正そうと臨んでも多大な摩擦を
受けて頓挫するのが落ち。逆に不正な者は世の支配者となりやすく、民を酷するにため
らいがない。そのように宇宙人の意向を受けて天が配材するからだ。それでいいのだろ
うか?そのようなところに、一体誰が希望してやって(転生して)くるというのだろう。
強制的な摂理で縛るゆえに、否応なく来ざるを得ないのだ。
いくら人類だけで英知を結集しがんばっても、干渉者がいるゆえに実らない。宇宙人が
いくらも来ていると証拠をそろえて提出したとて、代理人が異議を唱えてもみ消してし
まう。
強制収容所には、いかがわしい思想を表に出さないようにするエージェントがたくさん
入り込んでいるのだ。神はいつまでもないか、あるなら漠たる理想論の中で盲信される
のみだ。そして、人々は矛盾を抱えたままで死に、次のサイクルに望むことになる。
これでは、ああ、と嘆息するしかないではないか。
正されるべきは、科学者的宇宙人による管理であり、やるべきはそれを解くことにある。
といっても、北朝鮮を見れば分かるよう、強制収容所から逃れるのが至難の技であるこ
とからすれば、地上人類に一揆を求めるわけにはいかない。神々のレベルは神々に、宇
宙人のレベルでは宇宙人に頼まねばなるまい。実際それは動き始めていなくてはならず、
そうでなくては何の神か、何の宇宙文明か、義や正義のへったくれもないことになる。
さて、それを測るすべであるが、地の如くが天にもあるとすれば、地の獄たとえば北の
解放が、天の解放の兆候となるだろうか。
だが、天は自らの改革がなされることを嫌い地の改革すら妨げようとしている。
だから◎◎◎は、彼らの対立軸に正神を据えて、古来からの復活神話を土台にした新神
話を作る。神話が認められたものとなれば、旧神話を塗り替えて機能することになる。
すなわち、邪神の掃討と正神の復活復権がワンセットになった行程が実行される。その
中で、火の鳥という最強兵器による脅しによって行程を円滑ならしめるのだ。むろん、
◎◎◎はすべて焼尽することを少しも厭わない。
神界にまで邪悪はびこる世なればこそ、ターミネーターとしての火の鳥はその本質を十
二分に顕わすのである。
新神話第十章(統理の章)からコピペ
新神話の素材・・・御伽草子は素材の宝庫
抜粋
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我々人の身体は器であり、場である。霊魂の宿る器であり、霊魂の集う場なのだ。身体を主体的に支配するのは自らの魂。その器として身体がある。だが、身体は様々な神霊の集う場でもある。それは何も巫女だけに限らない。巫女は訓練してそうなったこともあり、神霊の訪問を受け易くなっているだけである。
その人の思いに従って、相応しい神霊がかかる。そして神霊は、この場を借りなくては会えないような神霊と出会うために、人をして奇遇な縁を用意して出会わせるのである。◎◎◎や○○○○○のように、一人で複数の神霊の集う場となることもある。様々な神話におけるペアーとなる神々が、一つのペアーの身体にひしめくように集まり、合コンさながらの盛況になることもある。雛形に素質があればあるほど賑やかなものとなり、また人が新たに資質を獲得して、不思議なことが続々展開するようにもなるのである。
人は神霊にかかられたときから、神の神話を演ずる者となる。古来よりシャーマンが至ろうとした境地はこれであり、そのときシャーマンは人並みはずれた神々しさを見せるのである。神の容れ物となるとき、人はおのずと清められる。人にとっても神にとっても利他となっている。
人は神の依頼、神懸りを受けて、地上で神話の雛形の舞いを舞う。逆に、神は人の作った神話に則って神界で神話の舞いを舞う。地上の歴史はさながら、神霊と人霊の意図のおりなす綾の如くなり。
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神話のテクスト例
天橋立の成相観音、久世戸文殊の縁起はこればかりではない。
御伽草子の「梵天国」において、両神が対置されるに至った神話が描かれ、天橋立の本地ともされている。
それによると-
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五条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。小さい時から笛を上手に吹いて居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵王国に行き食事を与えられだ時、側で人でも鬼でもない飢えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を食べて鎖を切り大空へ飛んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は御判を頂いて帰ったが、妻の居ない家や世の無常を感じお髭を切り家出して願を掛け妻を助けられる様析った。中納言は単身羅刹国へ入り、はくもん王の宮殿に密かに潜入し、妻と再会。警備の手薄になった隙を見て、御車に乗って二人して逃げ出す。それを知ったはくもん王は、はるかに走力において勝る御車で追いかけ、まさに追いつこうとするとき、梵天国から差し向けられた孔雀と迦陵頻伽が、はくもん王の御車を蹴飛ばし、奈落の底に突き落とした。中納言はこうして、妻を救い出し都へ帰ったが、都の生活を嫌い丹後へ下られ、妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生活をお救いなされたとか。成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高い。
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梵天国の王とは梵天王であり、その姫には弁財天の意趣が馨る。そして文殊は、梵天王の縁戚として列せられたことが分かるだろう。
また、愛する妻を救うために夫が冥界遊行する話は、御伽草子「毘沙門の本地」にも見られる。
それによると-
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天竺瞿婁国の千載王が九十歳、妃が六十歳の時、申し子をして天大玉姫を得た。姫が生まれると王は二十歳、妃は十七~八歳ほどに若返った。乳母も五十歳から十七~八歳ほどになり、その他、民百姓にいたるまで、姫を拝んだ人は皆若返った。
天大玉姫は、強要されて、摩耶国へ嫁ぐこととなるが、道中で維縵国の金色太子と出会い契りを結ぶ。太子は摩耶国の大王を討ちに出かけ、姫は瞿婁国へ戻る。「三年待て」と太子は姫に言い置く。しかし、約束の時が過ぎても太子は帰らず、姫は悲しみのうちに他界する。
金色太子は肉身のまま天界・地獄界を旅し、大梵王宮に転生した亡妻天大玉姫と再会する。太子は現世の人、姫は冥界の人ゆえ、そのままでは添い遂げることができないので、大梵王のはからいで、二人は福徳山に毘沙門天王・吉祥天女となって顕れ、永遠の契りを結んだ。
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ここでも梵天は、毘沙門天と吉祥天の仲をとりもち、神縁の深さが築かれている。
また、前記同様に、添い遂げるべき男女神のなれそめに始まる神話が、御伽草子「浦の嶋子」(浦島太郎)の異界遊行である。話の中身は衆知のことゆえ詳しくしないが、その締めくくりは、蓬莱島の鶴(浦嶋)と亀(乙姫)となり、仲睦まじく暮らす夫婦の範とされたことである。そしてこの蓬莱島もまた梵天の主宰する万国永世中立の場であった。
一介の漁師・浦の嶋子は人の身で神となった古代の英雄であり、庶民の憧れであった。
この物語の原型はかなり旧いものであるらしく、古事記のホホデミノミコト(山幸)の綿津見の宮遊行の話に投影され、神武東征を道案内するヤマトスクネがその英雄伝説に倣おうとしたほか、陰陽師の安倍晴明も類伝を伝えて英雄ぶりを披露している。
古代から庶民に語り継がれた神々の物語は、神話として集合無意識を動かすものとなり、歴史的英雄は物語の主人公になりきることで、集合無意識を操ろうとしていたことが窺えるだろう。