ホルスへの道

以前から、メス猫のウーに身内さんの面影を見ていたのでした。その子のオス猫トンは、去勢したのですが、それがよかったか悪かったかわかりませんが、母猫ウーにべったり。はじめはうっとおしがられて、しょっちゅう叩かれていたのですが、最近は他所猫の襲撃もなくなり、また私もいろいろせねばならんこともあり、かまっておれず、ウーも多少は寂しくなったか、トンと行動を共にするようになっています。トンはこれをいいことに、ひとつの猫座をぎゅうぎゅう詰めにしてまで、ベッタリ寝ているということもありました。
それで最近、どうもこのふたりは、あちらの世で、クイーンとナイトの関係か、もしくは夫婦ではないかと思うようなことです。
前に見た白虎とつがいのシーサーの夢の意味するところは、亡きフーが白虎、ブーがシーサーの旦那でウーが嫁さんという布陣だったのですが、ウーを拠り代としている身内さんが奥津嶋姫とすれば、トンはもしかしたら旦那の大国主命なのではないかと思うようになりました。
というのも、昨来の出雲大社遷宮式日の翌朝見た夢は、まさしく出雲大社と大国主命と奥方の奥津嶋姫、そして私の視座はたぶん天の穂日であろうと解釈され、あちらの神界では、天の穂日が大国主の宮殿でお世話になっており、こちらではそのお返しかどうか、私がこの化身したおふたりのお世話をしているという状況なのです。
つまり、猫といえども神々の化身であって、それはもう先代のブーフーウーからして粗末にできなかった理由なのです。それ以前からのことを言いますと、うちの猫ではなかったのですが、それは伏義神農神。ノラという猫を写したとき手元が狂い、大つづらを背負った伏義神農神が写りこんだものです。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-483.html
このノラは、そのお家にお邪魔したときはいつのまにか膝に乗ってきていて、よだれしながら寝たりしました。何かわかっている猫という感じでしたね。それから猫という猫は、異なったルールを持ってはいるものの、人間を超えるものがあると思うようになりました。だから、もし飼うなら猫と決めていたのです。
しかし、トンと私は仲がよい雰囲気ではあるのですが、私の出す餌の多くをボイコットするのです。そんなとき、コンニャローとなるのが落ちで、どうもその辺は、あちらでの裏返しなのではないかと推理したりします。
つまり、アメノホヒは、天津神としてやってきたことから、大国主は丁寧に迎えざるを得ません。しかも奥方の奥津嶋姫とは従兄弟ときています。アメノホヒもそれをいいことに帰化し、居付いてしまっている。大国主の補佐をするといっても、そう大それたことでもなさそう。そして、下界での所作とはいうものの、恋のアバンチュールさえも行われ、いっそう奥津嶋姫はアメノホヒに事寄せている。それというのも、共に親の仇討ちという大義があるわけなのですが。
それがちょうどこちらの世界では、反対写像のようにして出ているのではないかと思われるのです。トンは猫ゆえ、私を補佐するには役不足。それでも幼猫の頃から何とか私の傍にいようとしていたのですが。いまは、奥さんのボディガードのようにしてようやく存在しているといった感じなのですが、しんどいばかりで、美味いものひとつあるわけでもなく、ほんとうは向こうに帰りたいのでしょう。
アメノホヒもそろそろ動かねば。
アメノホヒはエジプト神話のホルスに相当します。ホルスはオシリスのように殺されたりはしていません。つまり、彼はオリジン神話を超えてまで、殺害されるなどの処置ができない存在なので、古事記ではただ大国主のもとに帰化してしまったとのみしており、ホツマツタエではセオリツヒメの温情的処置により、国津神のもとに外交派遣の身となっているようなのです。
そうしておけば、日本神話による初期設定により、半永久的にアメノホヒは国津神のもとに蟄居していることになるでしょう。今まではそれでよかったのです。神話の催眠効果がちゃんと機能していたのです。
しかし、エジプトのオリジン神話は、世界が国際化の段階を迎えたために、起動しだすことになりました。それがいよいよアメノホヒのホルス化であり、アメノホヒの息子のタケヒラトリとともに猛禽性を発揮しだすことになるのです。
私はこの神の雛形ですから、神話のコマを進める役目は、私がすることになります。いよいよ、セトと邪神一味の征伐に乗り出すことになります。
追記
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1155.html
おわっ、これはどういうことだ。
メトロン星人??
ちゃぶだいはさんでウルトラセブンと対峙ぃ??
このわたすにも、そんなことがあったなあ。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-81.html
このときは、うちにあったコタツで、宇宙人はわたすの両隣に座り、みんなして掛布の中に足突っ込んでたはず。
ああ、宇宙人ではなかったです。今では未来人の神人さんたちだとわかっています。
きっと神人さんにもいい人がいるんでしょうが、一般的にアヌンナキさんですから、メトロンさんとそう変わらんかも知れません。
では、わたすは?
そう、今では、ウルトラセブン、でなく、ガッチャマンのほうだとわかっています。
挑戦状を持ってきたのでしょうか。わたすだけが恐いので、宇宙に去ってもらうとか。
あ、あんた、わたすが宇宙へ出たら、ベテルギウス行って猛チャージして、また地球に戻って来んだよ。
どっちにしても、いっぺん赤星詣でしてこなきゃなんないの。
なあに、ポパイがほうれん草料理、外食しにいくようなものさ。

今日は七七の日

一年に一度巡りて成せし子の 
 数や集ひて天の川生る
今日という日は、なぜか五七五・・を吟じたくなってしまいますね。
情緒がひとりでにそうなると言いますか。
天工の造化。
それって・・・。
先日、いきなり見つけた”オ・フォルチュナ”のミュージックですが、その記事を書いていて、思いついたようにした楽天の検索で一行目に出てきたyoutube映像でして、うわーっ、記事にどんぴしゃだわー、となったのです。
これっす。
https://www.youtube.com/watch?v=VNJy8UCw1gM
この映像は、天工の造化
マトリックス的イメージ
地上世界の背後にあるアヌンナキのテクノポリス
意識の存在とは
経験世界とは
霊魂とは
輪廻とは
時空の地平
 
みんなCGプログラム
ピンチされた意識原理
ミッション セレクト ローディング
時空リローディング
といったことを知らせてきているようでなりませんですた。
つまり、あんたの発想は、なかなかいいぜ、と、この世のコントローラーがおっしゃってるようで、
うれしいような、こわいような、
ドキドキしちゃう、わたすの胸なのですた。
昔は求めよさらば・・・で、ドアを叩きまくっても、うんともすんともが多かったのですが、
今はもう、あちらから次を用意してくれてるというか・・・。
いわばお尻をひっぱたかれてるような。
馬の前ににんじんぶら下げて、走りまくらされている感もあります。
馬車馬のようにコキ使われてるといいますか。
それだけ、後が詰まってきているのでしょうか。
その発想とは ⇒ ルシファーの教理(案)
情緒もへったくれもありません。PRですた。
今日のM
https://www.youtube.com/watch?v=jCbTRiXSLCo

世界の終わりさん

世界の終わりにはジョーカーがショッカーを演じてくれます。そればかりでなく、偉大な聖者や導師をも演じます。
彼らは大いに虚構を用いて、人々を魅了し操り、そして右へ左へと激しく揺さぶりをかけます。
そのさま、まるで遠心分離機のよう。さて、最後になにがどう分離されて取り出されるのやら。
ジョーカーの仕掛けた仕掛けゆえ、誰も何もわかりません。さすがの名探偵にも。
ジョーカーは無言で、喜びも悲しみも苦しみも痛みも同じ表情の下に封じます。
ただわかっているのは、ジョーカーは熟達の極みに達した者ゆえ、経験すべき時空はもうなく、解脱のイグジットへと導かれるということ。
大いなる虚構で総仕上げしなさい。これからいっぱい経験したい者たちのために。
なまはげはこれからの子供たちに、経験世界とは何ぞやのイニシエーションを授けます。
そしてジョーカーは静かに卒業を迎えます。
https://sekainoowari.jp/assets/images/profile/img_main0330.jpg
卒業式当日はこのBGMを。最大ボリューム、フルスクリーンでどうぞ。アヌンナキも出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=VNJy8UCw1gM

戸隠はなぜか縁があります

https://golden-tamatama.com/blog-entry-1144.html
戸隠神社ですか。私もここに来る前は、信州に終の棲家を探しにいき、C.W.ニコルさんのロッジのさらに上の黒姫高原に住むという選択肢もあったのです。そこから戸隠山が近いことから、ときおり戸隠神社にお参りに行けばいいなと思ったりもしていました。しかし、まだ麓に雪のない頃から、すでに高原は雪に覆われていて、冬が越せるのかどうかが心配でした。
戸隠神社はパワースポットであることは間違いないでしょう。後世に岩戸を投げ飛ばした手力男神を祭るようになりましたが、元は九頭龍大神をお祭りしていたわけでした。神代に起きた政変で冤罪に陥れられた持子姫が恨みを残し非業の最期を遂げて化身したのが九つの頭を持つ九頭龍だったのです。
ホツマツタエという神話は古代の人間が作ったものですが、神話として制作したものは神々に縛りを設けて、神々に神楽舞を舞わせることに狙いがあります。その結果、神々はその役に成り切り、望みもしない悪役も演じなくてはなりません。その結果として、理念が垂迹して現実世界が悪い方向に動くのですから、悪役にされた神は二重の苦しみを持つことになるのです。
ホツマツタエの作者(編者)は、古代為政者の意向で偽りの神話を編んでおり、それが神の世界をも規定して、神々の利害関係の誘導に関与しているのです。なぜそのような畏れ多いことができるのか。それは、当事者の為政者や作者が秘教組織員だったからなのです。
古代為政者は、中東発の神話をミックスして用い、物語の中で統合を図ったのです。ひとつはエジプトのオシリス神話、そこに後世のキリスト神話が加えられ、ホツマにおいてキリスト伝承を多面的に採用し、太陽神の座をキリストとマリアに奪い取らせておいて、記紀においてはその結果を衆人向けに簡略化し、あいまい化して、キリストの骸形を表に出さないようにしているのです。
むろん、キリストなる者はいたかどうかは不明であり、その伝承のほとんどが、より古代の神々や聖賢の焼き直しであることから、実在性の点から疑問視されるのです。それを日本に輸入したとき、何ゆえか表ざたにできなかったのです。為政者がキリスト教徒としてやってきたなら、キリスト教を前面に出して、先住民を強制改宗させればよかったのに。
それをしなかったのは、古代為政者がユダヤ出自であり、イスラエルの十二支族の一本化を目指していたからで、中東ユダヤで異端とされたキリストを前面に立てるわけにはいかなかったのだと解せます。ただ、ユダヤ人たちの興味を惹くために、キリスト伝承を為政者側の手駒として用いた程度ではなかったでしょうか。
そして、いっぽうでは、スメラミコト(サマリアの王子)とか、ミカド(ガド族出身)とか標榜して、「元イスラエル人求む」を喧伝していたのです。つまり、キリストは、蝦夷地に逃れた元ユダヤ人の気を惹くための材料であったことが最初で、そのうち、キリストとマリアを祭祀の中核に据えるようになっていったと解せます。
やはり、キリスト伝承が美談でいいものだったこと、また一種の英雄伝説にもなりえたこともあって、キリストにあやかろうとする者が現われ(ニギハヤヒ、ウマヤドノミコ)、またキリストとマリアの事跡を日本の贔屓の神の属性として加えていくようなことも行われたのでしょう。そのミックスの集大成がホツマや記紀となったのです。
九頭龍大神は、ヤマタノオロチとなった早子姫と同様、地下深くに封じられた地震帯火山帯に姿を変えているのです。ギリシャ神話でも、恨みを呑んで封じられる神々は、およそ地下に封じられています。日本でも同じ処置をして、神話の結界で封じてしまっているのです。
右欄上の森野のプロフィール写真は、イタリア神話のルシファー像です。醜怪なヤギの頭をした悪魔のそれではありませんよ。イタリア先住民の太陽神であった、猫好きのルシファーの姿なのです。七対の羽根を持っています。その彼がどのようになったか。キリスト教神話で冤罪にあい、恨みを呑んでヤギ頭の醜怪さになったかのようにされてしまいました。
ルシファーはいわば、セトに座を奪われたエジプトのオシリスであり、天照天皇の実子でありながら、冤罪でお家断絶させられた持子の息子アメノホヒなのです。持子早子が冤罪だった理由は、ホツマツタエがアヤごと(誤り)を綴った神話であることを宣言していることからも明らかで、占星術の影響を受けて太陽神を取り巻く十二の月(十二星座)という構図にしたことから、キリストを太陽神にしたときの裏切り者ユダ役を持子に負わせたというのが真相です。
日本神話はこうした中東神話の要素をミックスしているだけに複雑ですが、ホツマの場合、そこに中華から律令制度の中宮を輸入してきて、あたかも神代の古代から中宮制度があったように装うなど、いかにフェイク織り成す物語になっているか、誰にでもわかる仕掛けになっています。この場合の中宮とは、太陽の会座がどの星座にあるかを示すためのものであり、それはうお座であることを示しています。つまり、キリスト/マリアの時代精神が適用されるのだとホツマは言いたいわけです。
さすがに、秘教が関わるときは、ここまで読みを深くせねばなりません。キリストを擁立したのも秘教なのですから、ここにも名残は色濃く残ります。
しかし、アメノホヒはエジプト神話のホルスに相当します。必ずや、セトを倒して、太陽神オシリスの正統を世に示すに違いありません。
ふぐりさんのお話では、出雲伊勢同時遷宮によって、神々が総入れ替えになるとのこと。それが本当なら、この辺のことまで反映していればいいなと思うのです。
So in love with you Am I
https://www.youtube.com/watch?v=m65MjPXhIwo

子供時代の強いインパクト・・・祖母や母の昔語りの中身の濃さ

私には、生来の謎、疑問がありました。それは、昔語りのように祖母や母がしてくれます不思議話で、子供心にすごい好奇心を掻き立てられたものでした。
数ある不思議話の中でも、時空というものの不可思議さをひしひしと感じさせてくれたのが、我が母の出生にまつわる話です。
⇒ ある人の誕生日に寄せて https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-96.html
学校で教えられる歴史というのは、過去に遡っても確定視される一本のレールの上の出来事であり、私たち子供らはその年代と歴史的事実を憶え込まされていたわけです。
しかし、母は女であったから私を生んだのであり、私がここにいる原因を作ったのは、母が女だったからです。いっぽう母が男としてやってくる歴史のルートもあって、もしそうなっていたら、私はここにいないが、本人が長じた先で、世界の盟主にもなっていた可能性があるというわけです。むろん、本人はそれなりの切磋琢磨の努力の経過を辿って頭角を現し、運気が後押ししてそのようになるものなのでしょう。
しかし、修験者(霊能者)という特別な感覚を培った人から見れば、どこに未来の盟主がいて、その必須用件が何で、もし満たされていれば・・・といったところまでわかるのでしょうか。それにしては、男女のどちらになって生まれているかまでは、わからなかったようですが。(笑)
しかし、そのちょっとした笑い話部分が、別の伏線のために用意されていたのだとすれば。その笑い話的落ち度が、別のある人の人生をレール付けしたのだとすれば、立派な伏線引きの役割だったことになりませんでしょうか。
息子の私は、たったその話ひとつで、いくつもの興味を持つことになりました。修験者の能力はどういうものなのか、それはまだ序の口も序の口、不思議興味の範囲の片隅でしかなく、生来ずっと頭の中を疑問として支配したのは、時空の流れには複数あって、その選択肢を与えている大事な事柄があるのだということ。そして流れが決まってしまえば、ほとんど定めとして先の未来まで決まっているのだろうということ。この後者ふたつが、ずっと真理探究の道に私を釘付けにし、何らかの宇宙概念として究明せざるを得ないライフワークになったのです。
いったい、この宇宙とは何ぞや。一般には、空間的広がりだけの捉え方が主流ですが、私は時間の多様性のほうに惹かれたのです。相対論に興味したのもそのせいです。しかし、そこには解答はありませんでした。
求めよさらば与えられんというわけでしょうか。私が偶然進んだ道が、情報処理産業で、そこから今回の超宇宙モデルがコンピューターの動作原理によって与えられることの感触を得るまで、それほど時間は経ちませんでした。20代後半には手応えをつかみ、アウトプットの方法だけが困難な課題として残りました。どうやって、物理学をマスターし、物理学用語で書き通せるかが課題でした。未だにそれが身についていないので、拙論も、意味の通じにくいものになっていることは否めません。
しかし、ここはイデアとしてしっかりと確立できていることを述べさせていただきました。ぜひ、みなさまの世界観構築にお役立てください。
⇒ https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/lucifersdoc.html