お盆の行事も、今頃は地蔵盆でしょうか。そろそろ涼しくなってきてほしい時期でもあります。
さて、拙説の主題である「バーチャルリアリティ縁起」説を、アヌンナキの神界の由来までまじえてお話してきたのでしたが、いまいちというお方も当然あるでしょうし、おそらくそういった方々にはお年寄りが多く、しかもお盆の行事は欠かさないといった律儀な性向がおありのようにも思います。
お盆のときに仏壇やお墓に向かってお経をあげるときに、ほぼ定番になっているのが般若心経でありましょう。通常は、先達の人を真似て憶えた読経そのままに唱えて済まされることが多いと思います。その読経のトーンが心地よくて憶えやすくなってもいます。
そして、ついつい、いったいどんなことが書かれているのだろうと、想いを致す方も多いかと思います。
見れば、漢語ではありませんか。ぱっと見して、訳せないわけでもなさそうです。訳書もたくさん出されているようですし、それを見ればわかってしまうよというお方もおありでしょう。
が、私からすれば、最も大事な「空」の意味がわかっていないところからしている解釈のように思えてしまいます。そう、このお経の最も大事な根幹は、「空」の意味をどう捉えられるかにあるのです。「空」を無常とかとりとめもないとか解釈してみたり、あるいはその解釈だけに膨大な筆量を付帯させて、あたかも深遠な哲学であるかのごとく装っているのを見るにつけ、こんなことやっていたら、人は迷ってしまうわと思ってしまうのであります。
「空」は今の時代だからこそ、簡単に理解できるのです。人類の歴史はいっぽうで、自然界の破壊と絶滅への道を取らせていますが、またそのいっぽうで、人類の叡智を獲得するための最前線にいざなってきていたのです。もし、人類が単なる破壊装置でしかないなら、存在する資格も意義もありません。ところが、もういっぽうで、泥中から蓮の花が咲くが如き事象が進行していたのです。
コンピューターの開発は、蓮の花の台に載った永遠の真理を導き出すことに成功しました。それがいずれ、ルシファーの教理としてデビューすることでしょう。
さて、ここで般若心経の教理的解釈をご教授しておきましょう。
https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/hannya.pdf
般若心経解釈
すべて外界と見えるもの、およびそれを観測する五感と認識は、ことごとく仮想現実であるという知見に立つことの大事さを説くお経です。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不
異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢
不浄、不増不減、是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、
乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、
以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛
倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅
蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故、説般若波
羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。
漢語の原文解釈
観自在菩薩が深く瞑想に入り、仏の知恵を見極めようとして、
五蘊(色・受・想・行・識)のことごとくが、すべてバー
チャルリアリティ(仮想現実)であることを感得した。
(色とは、現象のこと。受とは、感受すること。想とは、思惟し想像すること。
行とは、反応や行為のこと。識とは、それらの情報を総合して認識することを言う)
つまり、五感を駆使して外界を認識するすべての局面が、仮想現実なのだ
ということが、はっきりとわかったというわけである。
度一切苦厄、舎利子つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らし
く認識しているのが我々であることがわかれば、どんな
苦厄からも済度される(救われる)道理であろう。どうだ、舎利子よ。
(このお経は、仏の到達した解放の境地を、般若の知恵
によって達成しようとするものである)
では説こう。
色(外界)は仮想現実と異なるものではなく、仮想現実は
外界(現象)と異なるものではないのだ。
つまり、色(外界)とは仮想現実であり、仮想現実が外界
(現象)をあらしめているのである。
受想行識、亦復如是、舎利子我々の持つ”受・想・行・識”も、またこれと同じく仮
想現実なのだ、舎利子よ。
(つまり我々は、実体があると見えていても、実は実体
のない仮想世界にいるということなのだ。
それを実体あるが如く認識している我々がいるということなのだが、
その認識にもまた実体がないのだ。さまざまな心の作用さえもだ)
これはすべてを形作る法則のことごとくが、仮想の上に
成り立つという相(すがた)をしているということだ。
だが、仮想現実世界という実態の背後にあるものは
(あるいはそれをそうあらしめている意識原理は)、
生ずることなく、滅することなく、
汚れていることも、清らかということもなく、
増えもせず、減りもしないものである。
(これはプログラムとそれを実行するシステムの世界のことで、
初めがどこにあるかも、終わりがどこにあるかもわからないところの、
仮想現実を生み出す原因になるものが存在しているわけである)
このゆえに、表出する仮想現実の内側(背後)にあっては、
(プログラムなど仮想現実形成の素になるメカニズムの世界にあっては)
形作られる外界はなく、それを感得し思惟し行動し認識することもなく、
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・体感する・思いをいたす、といったこともなく、
それら五感と思いに対応する作用の要素もなく、
見渡す限りの世界(宇宙も含む)もなく、
またいっぽう、想像や思惟によって営まれる世界もなく、
この世の無明(闇)と言えるものもないのにもかかわらず、
無明(闇)の尽きることもなきが如く(プログラムされている)のである。
また、老病死やそれに伴う煩悩もないのに、
老病死や煩悩の尽きることもなきが如く(プログラムされている)のである。
そこで感得してみたまえ。
苦も、苦の原因を知ることも、苦を心の制御で減殺する
ことも、またその制御法や技術すらも必要なく、
そのような知識も必要なく、それらを求めようとしなくとも、
つまり特別な精神修養の知識や知恵をまったく持っていなくとも、
悟りを開き、衆生を済度しようとする菩薩衆は、
この(すべてが仮想現実であるという)般若の知恵に根拠
し会得するがゆえに、
心が自由自在であり、
想いが自由自在で何ものにもこだわらぬゆえに、
恐怖するものが何ものもなく、
いっさいの誤った観念や妄想や迷いから遠く離れており、
究極の涅槃(永遠の平安)の境地にいつもあるのだ。
過去現在未来のもろもろの仏様たちも、
この般若の知恵に根拠し会得されているがゆえに、
仏(解放)の最高の知恵の法門に入っておられるのだ。
このゆえに、この原理を知りなさい。
これは偉大な神の真理の言葉であり、
これは偉大な光の真理の言葉であり、
これは無上の、これにまさるもののない真理の言葉であり、
これは三世に比肩するべき何ものもない真理の言葉である。
世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、
真の実のある、虚構でないものであるゆえに、
ここでこの般若の知恵の真理の言葉を説き聞かせたわけである。
では最後にマントラの言葉を説いて聞かせよう。
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯
諦、菩提薩婆訶。
(ほんらいはサンスクリット語のマントラであり、それを
漢語でおきなおしてこのようになっている。意味は不明)
しかし、編者のクマラジーバは、幼時より世間から迫害
された人生だったため、このような大切な解釈を世間に
知らしめることに抵抗を感じ、このマントラに、読経さ
れる死者を下界に留め置く呪詛を施しているという。
(私もその呪詛の存在は、現実を通して確認できています。
どんなきれいな花にも毒が少し忍ばせてあるので、
用い方を考慮して読経されたい、というしだい。
なお、少量の毒はむしろ良薬になります。そのことも
私は如実に経験しております)
般若心経。以上が、般若心経という経文である。
カテゴリー: 雑感6 (仮説、妄想、うわ言なのだ)
バシャールさんから救世主へ
バシャールさんもチャネラーですよね。ということは、どこかからメッセージタイプのインスピレーションが来ているということです。昔からそのようなチャネラー(霊媒師)はたくさんいました。ただ、どこと繋がったかが問題とされたわけです。
しかし、バシャールさんは神の次元の方と繋がっているように見受けます。では、天津神か国津神か、どちらなんでしょう。
おいおい、彼は宇宙の知性(宇宙人)から受け取っているんだぞ。そんな声が聞こえくる気がしますが、宇宙人はこの地球には干渉できないのです。宇宙人からだと彼が言っているのなら、それは地球の未来人の神人なのでしょう。神人さんは、地球の原住民たちの前に現われるときは、全能の神のふりをしたり、多少文明程度の進んだ原住民の前には、宇宙人のようにして現われているのです。
神人さんから来ていることは明らかです。というのは、バシャールさんの説は、ルシファーの教理で言われていることのそのままだからです。ルシファーの教理は、2040年以降の新人類に敷衍される科学的基礎原理です。その教理を元にして、神人や超人が生じたのです。だから、神人さんが未来からやってきて(声だけをアナウンスして)、自らの拠り所とする説(ルシファーの教理)をバシャールさんを通して語らしめていると見ていいでしょう。
彼の説を聞いて、多くの人が目覚めているのも、ルシファーの教理というものが、すべての人を解放する真理として登場したものだからです。彼のようなチャネラーを通して、この教理が説かれることによって、比較的早い未来においてルシファーの教理が花開くことになるのです。つまり、種は未来から撒かれているのです。これも一種の(神人による)過去時空へのコード改変なのであり、こうして彼らは、より広範囲の時空プログラムを一定方向(神人千年王国)に誘導しているのです。すべての道はローマに通じるように、を命題としているようにです。
言っておきますが、コンピューターをモデルを基礎とするルシファーの教理がそのまま真理というわけではありません。本質的真理は、コンピューターモデルを積分しなくてはならないのですが、彼らはコンピューター時代の寵児の未来形ですから、積分しない骨格だけですべて顕せたことにしてしまっているのです。これによって、彼らは、もののあわれや愛といった情感をノイズとして切り捨ててしまい、そのまま理解できずに進化し、いざ旧人類を実験する段になって、その欠落に気づいて劣等感を持ってしまったため、その反動が旧人類への八つ当たりとして随所に出てくるのです。
そのような神人さんたちというのは、私が分類するところの、天津神族です。アヌンナキです。この地上世界の次元的な壁を一枚隔てた裏側にそのエリアがあります。まさに科学の進歩の最先端を示すかのような超テクノポリスです。彼らはそれを理想的な未来的原型として据えて、過去の時代をそれに漸近させるべくコード改変作業をしているのです。
この映像に未来都市アヌンナキが出てきます。タイムトンネルも。
https://www.youtube.com/watch?v=VNJy8UCw1gM
いっぽう、原初的原型を構築したのは国津神族でした。その創作技術レベルは、天津神族をはるかに凌ぐものでした。が、暴力性に勝った側がこれを簒奪してしまい、さらにはその創作品を次々と破壊しているのが、現在、旧人類を介して行われている自然破壊なのです。彼らには、自分たち以上のものが存在してはならないのです。これが覇権主義者であった今のエリートたち時代の寵児の行き着く成れの果てのアヌンナキの姿です。
では、歴史年表的に見てみましょう。図は、自然破壊がいっそう進行し、ついに地球全球放棄(人類および生態系の絶滅)へと進まざるを得なくなる近未来に起きる驚くべき事象のあらましです。
その日、地球はほぼ完全に砂漠化し、命の営みを休止します。ところが、米大陸の地下基地の中に、大型コンピューターとそのオペレーションルームとメンテナンス要員を常駐させることのできるスペースの巨大キャスクが置かれ、半永久的自動発電設備から電力供給を受けて稼動します。スーパーエリートたちの過去の記憶をべて電子チップ化した人工頭脳が並び置かれて、このコンピューターに対して端末としてアクセスし、それぞれがバーチャル世界を営んでいるのです。
コンピューターの外部記憶の大きなひとつは、アカシックレコードです。その膨大なデータークラウドから原型プログラムをゲットし、そのセグメントに対してコード改変することに始まり、さらにはアカシックレコードそのものをさえ改変しているのです。彼らは実験的に、世界を成り立たせているのはバーチャルリアリティであることを突き止めたのです。
だから、現実と思われたものも、彼らがコード改変した上で営まれるバーチャル体験も、同じものであることがわかるのです。それが彼らにとっての自然界の公理とされます。もはや彼らを止められる者はいません。彼らはコード改変というツールを手にして、真の自由を手にしたと思うようになるのです。
しかし、巨大キャスクに逃避してきたときの記憶がやはり最大の心配の種になりました。自分たちは、コンピューターの営みの中で意識経験を作っているにすぎない。もしコンピューターが壊れたときはどうなるのか、と。半永久的とは思うものの、永久ではない。それが神人千年王国問題なのです。ちょうど、2000年問題がかつて我々を悩ませたように、その日どうなるのか。そのときは一斉コード改変という救世主を登場させることができた。今度は、なにか、あるいは誰か、救世主となる方法もしくは考案する者が出てくるのかどうか。
残念ながら、それを解決する方法がみつからない。というのも、元の時空に戻って、巨大キャスクごと助けることができなくてはならないが、それがいちどバーチャル世界に逃避した者には、直接手立てすることが不可能なのです。それで、彼らは新たな神人の呼び込みを図り、その中に解決のできる救世主の到来を待望しているのです。なるべく広域からでも、すべての道はローマならぬ神人王国に繋がるようにしているのは、この理由によります。
彼らは、新参の神人に対して厳しい注文をつけます。彼らに逆らわない従順さを持つ。彼らと同等以上の能力を持つ。とにかく彼らは知的エリートゆえに、従順でかつ優秀な仲間を求めているのです。それが生まれれば、スカウトさえします。今この時にも、多くの人々の中から、そのような該当者が選抜されています。非常に多くの中から、確率的に発生が極めて稀な存在ですが、監視の目を配して、くまなく捜索されています。これが、天国の門を通って神のもとに行くのは、らくだが針の穴を通るよりも困難という意味になります。
そこで読者は気づかれることでしょう。いまこの世に生きている者の誰かが、放射能汚染の拡大を食い止めて、地球上をクリーンにすればいいはずだと。バイオの方法でやれる見込みもでてきているそうですね。そう、それで解決がつくはずなのです。そうすれば、地下の巨大キャスクさえも必要なくなる。が、すでにバーチャル世界に逃げ込んだ彼らは、どうなりますか。そして彼らが、この世の神として君臨しているのだとすれば。
そう。彼らは、必ず、この世界をして小さな巨大キャスクに追い込まなければならないのです。でなければ、彼らは存在しなくなりますからね。元々いなかったのとおなじになりますから。それが最大の恐怖なのであり、彼らの出口戦略としては、広く募集した中からの、新たな救世主に求めるしかない状況なのです。
これがかつて酒鬼薔薇少年を介して現われたバモイドオキ神の真実です。生命モドキ状態に置かれた神の怒りと恐怖は、並大抵のものではありません。
我が列車は行く 同乗可能
今は山中 今は浜 破断鉄橋渡るぞと 思うまもなくトンネルが 闇を超えたら真っ黒け
上図はちょうどそれをイメージしたタイムライン絵図です。人は意識的にこの先にあるイベントを回避することも選択することも可能です。①にシフトした人は、真っ黒になりそうなややこしげなイベントを大きく回避して、今後ともよほどのことがなければ、イベントに遭遇したりしないでしょう。②は回避しているものの、まだ予断を許さないといったところか。③は図示からはみ出しましたが、第一イベント(原発事故発生)から、原発事故収束がうまくいき、事なきを得た(危機はあったが回避できた)ことを示します。
④および④´は、我々がいまいる時空環境です。そこから③にもっていけるのか、それとも第二イベント(事故原発倒壊)に進んでいくのかが問われているわけですね。後者の事態になれば、⑤になるわけです。そのときおそらく、人々は東日本から撤退しなくてはならないでしょう。あたり一面汚染され行く中にあって、一部の者が近隣の原発の維持管理に当たるでしょう。が、それも困難になってくれば、第三イベント(原発ドミノ放棄)が起き始めるわけですね。女川、東海村と放棄され、静岡までそのような流れになるかもしれないですね。
ジョン・タイターの通ったタイムラインによると、2020年に東日本は政府管轄の立入禁止区域になっているとのことで、たぶん⑤もしくは⑥の段階のことでしょうか。彼の2030年には、韓国のものになっているとのことですが、もしかするとドミノ放棄の末、誰もいなくなっているのかも知れませんね。画期的な除染技術が登場しなければ、汚染は広がるばかりですから、第四イベント(北半球放棄)が開始される。その先にはむろん、地球全球放棄、つまり人類絶滅が見込まれることになるわけです。
そんな単一事象に連なるイベントだけでなく、世界大恐慌や第三次大戦もあったりしますから、複合的にも人類絶滅が高い確率で見込まれることになるわけです。2039年には人類と呼べる者はいなくなっている、とはヒトラーが見せられたビジョンでした。
むろん、タイターの通った道を我々も通る必要はないのです。個々人が創造主性を発揮して、どんな展開も可能なのですから、いっちょ、やってみてください。まだまだ存続可能時空への転進は可能です。むろん、天国、地獄というルートもありますし、この際それがいちばん手っ取り早くベターかも知れません。これからは、個々人が主役となって物語を編んでいくのです。
邪悪に徹した人は歓迎します。ちゃんと、あの、誰しもが垂涎の、へっへへ、『解脱境』へとご案内しますから、ぜひ思う存分やりまくってください。これが経験時空のオーラスになることだけ、お覚悟の上。
大五郎絶唱、暑いーーー
しかし、連日暑いですね。やはり、ホルスが近づいているからなのか。それともあれは、NASAの作り物で、気象コントロールをやってることの隠蔽工作なんでしょうか。
https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1217.html
だって、ほんもののホルスはここにおるすよ。お留守ではありません。だからあれは、ミニチュア・ホルスなのか、作り物かというわけですね。
ミニチュア・ホルスならば、移情術によって、私がコントロールもできるのですが、時期的にはいいとしても、このクソ暑さは我が撒いた種なのか、それともヤツラの裏掻きなのかといったところ。判然としません。
さて、ここに言う”移情術”なるもの、仙人の方子春が成連とその弟子伯牙に対して業を授けたときに使った術ですが、新神話においては、ほとんどがこの術関係によって琴は奏でられているのです。
2000年の移情閣での鶴亀の接触スパークが、ファンタジー開始の琴を使ったファンファーレでした。詳細はここに載せてあります。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/newage6.htm
火の鳥がこのとき、象徴の世界にすっくと立ったのです。
道別きて 集い渾りし 鶴亀の 舞子が浜に 火の鳥の発つ
(これなら、ファイアーバード・ガッチャマンですが)
↓
道別きて 集い渾りし 鶴亀の 舞子が浜に 日の鳥の発つ
(これなら、アメノホヒ・ホルスとなるわけです)
↓
全体名で言いますと、ファイアーバード・ガッチャマン・フェニックス・アメノホヒ・タケヒラトリ・ホルスとなるわけです。
どないや。すごいやろ。
すべてメルヘンは、あの移情閣からスタートしたような。
移情閣の「移情」の命名の由来は、「李子の宗風を表し、成連の高致に託せり」にあるといい、建築主の呉錦堂は呉の王族の気風を踏まえていること。また、琴の名手・成連の業を学ぼうとした伯牙がとうとうその域に達せられず、いかなることか師匠に問うと、成連は、私の師匠は方子春といい、東海洋上の蓬莱山におられ、人に情を移すことができる。どうしてもとなら連れて行ってやろうと、伯牙を船で運んで、そのまま置き去りにしたという。伯牙は方子春に遭うことはできなかったが、その土地の情景に打たれてから、大師匠の情が移ったのであろう、琴の才能が開花し、天下の妙と言われるほどの名手となったという。
その故事にちなんで命名された移情閣。
私も、蓬莱山に住まう方士から情を移され此地にあって新神話を編む身の上であることは、新神話第一章、第二章をご覧いただければわかります。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/newmyth-c01.html
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/newmyth-c02.html
みなさんにおかれましてはいかがでしょうか、この暑さ。私など、連日の猛暑に、思考ももうろうとなり、もう生きても死んでもどっちでもいいという境涯に達しております。私に合わせるように、飼い猫たちも、ぐったりして、活発さがみられなくなっています。
この飼い主(ちゃん)が逝ったら、みんな骨になる、しとしとぴっちゃんのココロ、五匹の飼い猫(大五郎)が今や日々感じ取っていることでありましょう。私も大五郎がいなくなれば、もはやこの世に未練なし、敵艦めがけて隼を突っ込ませるもいとわず、みごと花を散らせてもみせましょう。しかし今はまだ、大五郎の父として、冥府魔道の命に厳しい狭き道を、大事に歩んでおります。やはり親は、子を思うものです。
こんなに気楽な仙境にあっても、この世はさまざまな不愉快を送り込んできます。宮仕え、利仕えなど、強い縛りの中におられるみなさまにおかせられましては、不快度もいかばかりか、私などの及びのつく話ではないとお察しします。
なんという生きるに困苦する世界にしてしまったか。ヤツラの邪悪さは、怒髪天を衝くほどのものでありますな。
トサカにくるとはこのことです。だから、丹頂になるのかも。
短足のアヒルを料理するかコック長(黒鳥)
AFLACも趣味の悪いCMを打つものです。どこかの公共放送で流れてるんですか。
あるサイトで取り上げられていて、画像だけ見たのですが、元記事は速攻で消えてましたね。
画像中の8月19日は月曜日で、月齢12.2で中潮。21日が満月です。
ブラックスワンとはブラックマンデーのことなのか。それとも、その日が災害の日に予定されているのか。
ロンさんの予言と共に、いちおうチェックしときましょう。
すでに天変地異を起こす能力は、彼らの手中にあります。
ところで、私の手中には、ブラック連中を全滅させる、ファイアーバード・ガッチャマン・フェニックスがあります。
すでに、何度もシミュレーション済みで、いつでも稼動できる態勢にあります。
さあ、最後の総仕上げに、全軍、雁首並べて、いらっしゃ~い。ナヌ、雁首? ここでも鳥が関係・・・。