バーチャルリアリティが真実なのだから、要するに現象はすべてプログラミングの産物なのだから、一見途方もないこともすべて可能になるのが道理なのです。
世界人口70億や80億では、地球資源がもたないなどということは、はなからありありえないのであって、たとえ500億人でも1000億人でも、まかなえないということはないのです。
今の世界の為政者たち、およびコントローラーたち(秘教組織や金融資本家たち)が科学者たちの言を楯にして、人口削減計画をあたかも正義の御旗のように掲げていますが、ちょうど地球温暖化CO2原因説と同じで、インチキ説を捏造して世界に信じ込ませ、自分たちの残虐な性質を満足させようとしているだけのことなんです。
みなさんは、そのような虚構によって圧政を受け、断崖から突き落とされようとしているわけです。むろん、突き落とされるシーンもバーチャルなわけですが、よもやこれをみなさんの魂の教育教化のためなどと、出任せを言う宗教者がいたら、ぶん殴ってやってもいいでしょう。
意識を持たないダミーキャラクタ、つまりプログラムどおりに動くだけの完全なるロボットは、ゲームの主たる流れを作るためにいっぱいいます。が、少なくとも読者のあなたは、自我意識を持っていますね。そんな人にとっては、断腸の思いにもなると思います。そんなときは、バーチャルであるという真相を念頭に置いて、その苦境を乗り越えましょう。見ているものは、作り事なのだと。悪質な映画にすぎないのだと。
我々は、神人たちの作ったプログラムの中で泳がされているのです。その神人たちが、これから生き残っていくエスタブリッシュメントクラスの人々の延長上にいるのですから、当然、この世界は残虐性に富むことになるわけです。平和を希求する一般の魂にとっては、居づらいだけのものでしかありません。
もしそのようなことになるぐらいなら、このソフト自体の停止と廃棄を求めたほうがよほどいいでしょう。神人たちが改心して、方向転換することがもっとも根本的で大事なのですが、それがない以上は、ちょうどあこぎな藩が取り潰されるように、断絶もまたやむなしとなるべきこと、わかりますね。
断絶後の世界はどう認識されるか。まずは、断絶とは意識にとっても緊急事態ですから、みなさんはいったん解脱境に至ります。それから再稼動となれば、別のプログラムが与えられてその認識が開始されます。それが新世界として認識されるものになります。が、悪性ウイルス的なふるまいをする意識は、再稼動させられることがあっては、非常に危険ですよね。だから、再稼動はありません。
たぶんそのほうが安らげていいという者が秘教組織や金融資本家やそれに付き従った者ではほとんどでしょう。支配的な側の偽りに満ちた神人たちも然りです。彼らには望みどおり唯物主義者の死が待っています。それを第二の死(システムクラッシュ)といいます。そして、みなさんのためと称して今まで使われていたソフトは、有害ソフトとして、くしゃくしゃに丸められ廃棄され焼かれます。つまり、世界は刷新されるというしだいです。
カテゴリー: 雑感6 (仮説、妄想、うわ言なのだ)
古事記「天地のはじめ」の上段の知識は千年王国から持ち込まれた
さてみなさん、タイムマシンの発明されるのが2030年代後半以降の未来。それは米国の軍事目的という秘密裏なものだったわけですが、ちょうどその頃、突然変異的に神人グループが登場しだし、千年王国の基礎を作ります。
タイムマシンがアカシックレコードへの直接アクセスになっていることを知った神人たちが、アカシックレコード自体にコンピューターを接続する技術を開発して、バーチャル世界ソフトを作り稼動させるのが、ほぼ同時期になります。
タイムマシン利用が活況を呈するのが、バーチャル世界に展開する千年王国においてとなるわけですが、神人たちは縦横無尽に、過去レコードに飛んで、コード改変を繰り返します。
さて、タイムマシンもバーチャル世界への展開も、2020年代後半から主流になった科学、ルシファーの教理を技術開発の発想の土台に据えたことがきっかけになります。ちょうど原爆開発が、アインシュタイン博士のアイデアを基にしたように。
そのルシファーの教理とは、そう、ここで論じているものの延長上に登場してくる理論なのです。
理由は簡単です。従来の科学は、ちょうどキリスト教と同じで、人々の思考と想像力の発展を阻害するために用いられていたのです。
目に見えないものは認めない科学と、目に見えない存在はいちばん最上階にいる神しかいないとする、間にあるべき存在を排除した思考形態が、長い間跳梁跋扈していたわけです。これを間抜けといいます。つまり、馬鹿や阿呆や無知、ロボット思考と同義というわけね。
2000年以降、その縛りが解けてきて、多次元を扱うべきとする方向へと進もうとしています。その魁となった映画マトリックスなどは、恐怖部分をもっぱらとしていますが、すでにルシファーの教理のいかなるものになるかの導入になっています。
多次元宇宙や多世界解釈は、人々に、もっと自由に発想しなさいよとの促しです。さらにもしほんとうにバーチャルリアリティの世界であるなら、その先、発想の自由によって獲得される世界は、格段に広がることになるでしょう。
個々人が獲得する能力も、縛りが解けることで、超能力がいくらでも出てくることでしょう。
大戦や超汚染という津波が全世界を飲み込む前に、突然変異した超能力者たちが神人となって、津波の中にあってさえ生き残るとすれば・・・。人類は絶滅に瀕して、そこから別のものに転身してまで生き延びようとするとは、なんだか感動的ですらありますね。
しかし、その突然変異の下地を与えるような科学知識が人々のものになってなくては、はじまらないのです。ルシファーの教理は、その自由を約束するのです。
神人たちは、神人への進化にターゲットを絞って、過去レコードを改変します。彼らの生命形態こそが最上と思っているわけですから、あとは覇権主義的に、多くの並行世界の過去レコードも、目的に沿うように改変していくわけです。できれば、このシナリオの流れから、誰一人として逸脱させないという意志すらもにじませて。
そういうわけで、神人たちは、過去の人々に対して、シナリオを与えて、それに沿ったレール敷きをします。
発想の不自由な長期間を与えて抑圧のもとに縛り、地球上滅亡の淵に追い落とす寸前に、縛りを一気解放する。こうして、爆発力にまで高まった人類の生存本能に火を点けるのです。こうすれば、神人はある時点で大量生産されることになります。
神人の世界では、タイムマシンやUFOは日常のことでしょう。そしてバーチャル化していれば、弱くもろい肉体ではなく、望みの属性を持たせた別の体(アバター)で生きることになる。ウルトラマンの格好をしようが何になろうがけっこうです。PCが稼動している限り、永遠の命も保証される。
さて、話の本題は、古事記「天地のはじめ」の上段に、どうしてここで論じている超宇宙モデルが収録されているのかという話です。(詳細は ⇒ https://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-1083.html)
当然、お分かりですよね。
答えは、神人の千年王国では、ルシファーの教理がすべての科学的基礎になっているからです。
彼らがタイムマシンで、過去の人々に知識を付与するときに、いちばん大事な宇宙開闢の話を、知識体系の先頭に据えるように指示するのは、しごく当然のことでしょう。
https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/introduction.html
古事記の先見的古代知識は未来から持ち込まれたか
古事記神話の最初の部分「天地のはじめ」は、そこに盛り込まれる科学性の高水準さのゆえに、失われた超古代文明から持ち越された知識ではなかったか、という観点から、1980年頃に一著あらわしたことがあります。
次の画像の本「古事記と超古代史」がそれであり、現在右欄にリンクしている「古事記の真解釈」は、そこから抜粋し掲載しています。
その超古代とは、昔から先賢が唱えられていたように、アトランティスやムーなどの先史超文明を想定するしかなかったものであります。
当時にあってはそうでしたが、もしかしたら、これから発明されるタイムマシンなどにより、時間のサイクリック利用が促進された結果として、未来知識が古代に登場させられたかもしれないと、現在では加味し考慮しなくてはならなくなっています。
しかも、どうやら後者の可能性のほうが大きいみたいです。というのは、古事記やその他の古代文書に盛られる宇宙論には、現在現時点において有力視されている科学諸説の主概念が載せられているからです。
たとえば、定常宇宙論的でありながらもホログラムや多次元に言及している古事記。ビッグバン的表現を用いている九鬼文書や中国の盤古神話など。
どうして古代文書のすべてが一本化された概念になってないのかを考えれば、それらの知識の源が科学諸説乱立状態にあったからだろうと推測されるのです。
どうやらタイムマシンの発明は2030年代のことのようですから、まだ完熟しきっていない科学が古代に持ち込まれた可能性があるわけですね。
古事記の「天地の初め」の後半には、宇宙創生に伴う基本物理性質の完備が書かれますが、それは素粒子の基本三性質(質量、電荷、スピン)が導かれるすべのものでした。これは現代素粒子物理学の著名なアウトプットとして不動のものですから、採録されるにふさわしいものです。
そして、2020年までに核戦争などもあり、地上は放射能で超汚染が進み、2030年代には地上の人類は絶滅している。ただ地下シェルターの中でのみ、人類は残存していて、彼らがバーチャル世界への意識の移行を図るのです。
バーチャル世界のソフトは、アカシックレコードへの接続が可能になったことで飛躍的に広域化します。このとき、便宜的アバターとしてタイムマシンやUFOが作られ使われるようになるのです。
タイムマシンが、ヒトラーの予見した神人全盛時代の主流的ツールになっているとすれば、古代から現代に至るまで、神人たちのプランどおり、思いどおりにこの時代の歴史は改変されてきたことも窺えるわけです。
神人たちは代理人を古代からの歴史の陰に潜ませることもしっかりとやってきていて、それが石屋の系統を形成し、彼らに知識を優先付与することで、人類をコントロールしてきたこともほぼわかってきます。
となれば、ヒトラーの予見したロボット人類の範囲も大きく過去にまで広げて考慮されなくてはならなくなり、我々はすでにロボットのたぐいであった可能性に行き着くわけなんです。
恐ろしいのはタイムマシンが発明されること。核開発が地球絶滅のツールになるように、人類家畜ロボット化のツールになることがよくわかると思います。いやそれよりも、アカシックレコードを利用したバーチャルリアリティシステムの開発のほうが、恐ろしく魅惑的であるとともに、恐怖の源泉そのものになってしまうことに、後々思い至るようになるのです。
みなさんは神人による支配が好きですか嫌いですか。好きと言っても、ロボット化の方向には変わりなく、嫌いと言っても、そこから逃れるすべがないのです。ただ、外宇宙からの救済を待つしかない。その救済を待っているのも、神人だったりするのです。
大丈夫です。もうまもなく、この阿呆なメビウスリングは断ち切られます。そして、改変され尽くしたこのプログラムは、有害図書として、二度として再現不可能な焚書に遭うのです。
解脱境に入るための心の準備をしておきましょう。
https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/kojiki.html
古事記もフォローする超宇宙モデル理論 (古事記神話の最新真解釈が示す宇宙の二重構造)
古事記神話の最新真解釈が示す宇宙の二重構造
天地のはじめ
天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に國若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へるときに、葦かびのごともえ上がるものによりて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の常立の神。
この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
上の件、五柱の神は別天つ神。
…………………………………………………………………………………………………………..
次に成りませる神の名は、國の常立の神。次に豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神。
次にツノグヒ(角杭)の神。次に妹イクグヒ(活杭)の神。
次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの神。
次にオモダルの神。次に妹アヤカシコネの神。
次にイザナギの神。次に妹イザナミの神。
上の件、國の常立ちの神より下、イザナミの神より前を、あはせて神世七代とまをす。(独身の一々を一代、夫婦神の一組を一代とする)
「天地のはじめ」の段だけでも、大きく二つの領域にわかれていることが、上の区分けからわかることと思います。
その区分けを示す重要語は、「別天つ神」です。つまり、こちらの世界とは別の領域だということを示しているのです。
では、上段の中に書かれる神とは・・・。
それは神名に示されるわけですが、すべてが「身を隠したまひき」、つまり見ようとしても見えない状態にあるとなっていて、しかも別領域にあるというのでは、どういうものなのか、皆目わかるはずもありません。
その前に、まずこちらの世界に関する、下段の神名から見ていきましょう。その訳を掲げます。
次に、三次元宇宙空間(四次元時空)が生じ確立する。そこは物質の母源たる星雲を豊富にたたえていた。この両者も、我々の眼で見ることはできない。
古事記成立当時には、望遠鏡などの観測機材はなく、宇宙の彼方の星雲などは捉えられません。これゆえ、目で見えないという意味の「身を隠す」となっているのです。またこれが、神(隠り身)の語源でもあるのです。
いっぽう、次は身近にある諸原理であり、注意深く見ていればわかるすべのものです。
次は、浮き上がろうとする摂理と下に沈もうとする摂理ができた。(浮力と重力 ⇒ 質量)
次は、堅牢で頑丈な極と、活発で生命的な極ができた。 (陽子と電子 ⇒ 電荷)
次は、ものの重心に向かう力と、ものの外側に向かう力ができた。 (求心力と遠心力 ⇒ 角運動量)
次は、諸原理の充足があり、現象の綾はこの充足完備を以て造られることになるのである。
次は、鎮め平衡化しようとする摂理と、波立たせ擾乱しようとする摂理ができ、この原理の意志によって現象は生成されることになるのである。
目に見える範囲の中で、諸法則は発見され、物理学は発展してきたことが言えると思います。いっぽう、宇宙のことは、天体望遠鏡などの発達をみなくてはなりません。それを古事記は、見えない事象として示していたことになります。
では、上段に出てくる神々の名とは、いったい何か。
実は、その預言しているのが、私のモデル理論だったのです。では、訳してみましょう。
先ず超宇宙の原理あり。
世界の開始に際しては、先ず超宇宙空間があり、そこに中心的統括機構ができ、現象を顕し結ばせるための機構ができ、現象の元となる理念の供給機構ができた。この三つはそれぞれ独立した存在であるが、我々の観測にはかからない。
現象の展開時の様子はこうなっている。
漂う水母状の意味不明なもの(ホログラム)に光が射すと萌え上がるあし黴のように現象生成が始まり、それと同時に励起された場としての時空間が生じ確立した。
これらのことも、我々が観測できない摂理である。以上、五つの事柄は、我々の物理宇宙とは異なる、別の超宇宙を扱う理論で出てくるはずのものであり、その登場が待たれる。
重要なのは、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)と、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)の存在を預言していることです。これが、我々の時空とは別の空間にあって、どうやら我々の時空はそこから統御されているというわけです。
私は、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)のことを、超空間にある超高性能コンピューターのCPU(プロセッサ)であると解釈しました。
なぜかと言いますと、高御産巣日の神の息子に、思い金の神という、つまり明らかにコンピューター(ハードウェア)を示す神がいることによります。高御産巣日の神はそれを超次元化したところの、超コンピューター摂理というわけです。
そして、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)を、コンピューター用の言語で書かれたプログラムの供給機構、つまりプログラムを格納するメモリから、このソフトのプログラムを製作する開発者にいたるまでの隠れた機構のことと捉えます。
それの統括を、天の御中主の神という、この世の設計から運営までを担う統括機構(プロジェクトあるいは、何らかのメカニズム)が行っているというわけです。
思い金の神は下段以後に出てくる、この世に関する神ですから、下段からすでに次元的にブレークダウンしていることになります。ここでは次元の異なりが、隠り身であることの理由になっていることがわかります。
その次元の異なる理由も、おのずと理解できるでしょう。そうなのです。我々は、プログラムされた側の存在であり、あちらはプログラムを開発し、それを動かしている側なのです。だから、こちらからでは永遠に見えないし、モデルを介して推量するしか把握の方法はないのです。
映画・マトリックスの前提条件が、本来の相であること、わかりましたでしょうか。我々は、何らかのソフトの中のキャラクターを演じているのです。
これによって、少なくとも我々は、仮想現実(バーチャルリアリティ)を生きていることが確実になります。いったい何しやがるんだ、コンニャローっというわけです。
我々には実体としての霊があると言います。それは事実でしょうし、また事実であれば、我々は上位次元から、アバターを投入してやってきていて、本体はこのソフトに没頭している霊かも知れないことも頷けると思います。
むろん、その実験と検証は、有能なみなさんにお任せいたします。
さてこのソフト、いったいどういう目的を持ったものなんでしょうね。今のところ、何らかのゲームソフトのような気がしないでもないのは、私ばかりでしょうか。
超宇宙モデル理論 ⇒ https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/introduction.html
古事記・天地のはじめ ⇒ https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dan-a.htm
ルシファーの教理によって般若心経を解く (般若心経の最新解釈)
これからの世、あらゆる生起してくる事象を座視するに耐え難い人々のために、この世の観想法を、もっともオーソドックスに読み書きされている般若心経によって、お伝えいたす所存である。つつしんでお受けなされい。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。
般若心経は、すべて外界の現象と見えるもの、およびそれを観測する五感と認識は、ことごとくが「仮想現実なのであるという」知見に立つことの大事さを説くお経である。つつしんでお受けなされい。
解釈
漢文との対訳表はこちら ⇒ 般若心経 解釈
あるいは 般若心経解釈(電子本) へ。
観自在菩薩が深く瞑想に入り、仏の知恵を見極めようとする時、
五蘊(色・受・想・行・識)のことごとくが、すべてバーチャルリアリティ(仮想現実)であることを、純粋観照意識によって感得した。
(色とは、現象のこと。受とは、感受すること。想とは、思惟し想像すること。
行とは、反応や行為のこと。識とは、それらの情報を総合して認識することを言う)
つまり、五感を駆使して外界を認識するすべての局面が、仮想現実なのだということが、はっきりとわかったというわけだ。
つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らしく認識しているのが我々であることがわかれば、どんな苦厄からも済度される(救われる)道理であろう。どうだ、舎利子よ。わかるか。
(このお経は、仏の到達した解放の境地を、般若の知恵によって達成しようとするものである)
では説こう。
色(外界)は仮想現実と異なるものではなく、仮想現実は外界(現象)と異なるものではない。
つまり、色(外界)は仮想現実であり、仮想現実が外界(現象)をあらしめているのだ。
受・想・行・識も、またこれと同じく仮想現実なのだぞ、舎利子よ。
(つまり我々は、実体があると見えていても、実は実体のない仮想現実の世界にいるということなのだ。
それを実体あるが如く認識している我々がいるということなのだが、
その認識もまた実体がない仮想現実なのだ)
これはすべてを形作る法則のことごとくが仮想現実の上に成り立つという相(すがた)をしているということだ。
だが、仮想現実世界という実態の背後にあるものは、生ずることなく、滅することなく、
汚れていることも、清らかということもなく、
増えもせず、減りもしないものである。 (これはホログラム上のプログラム(コーディングされたもの)とそれを実行するシステムのことだ)
(初めがどこにあるかも、終わりがどこにあるかもわからないところの、
仮想現実を生み出す原因になる素材がそのようにしてある) ⇒ ホログラム上のプログラム
このゆえに、表に出ている仮想現実の内側(背後)にあっては(プログラムなど仮想現実形成の素になるメカニズムの世界にあっては)、
形作られる外界はなく、それを感得し思惟し行動し認識するというものもなく、
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・体感する・思いをいたす、といったこともなく、
それら五感と思いに対応する作用の要素もなく、
見渡す限りの世界の広がり(宇宙も含む)もなく、
またいっぽう、想像や思惟によって営まれる世界もなく、
この世の無明(闇)と言えるものもなく、
また、無明(闇)の尽きることもない(ようにプログラムされている)、
またいっぽう、老病死やそれに伴う煩悩もそこにはないのであるが、
また、老病死や煩悩の尽きることもない(ようにプログラムされている)、
さて、そこで感じてみなさい。
苦も、苦の原因を知ることも、苦を心の制御で減殺することも、またその制御法や技術すらも(必要)なく、
そのような知識も必要なく、それらを求めようとしなくとも、
つまり特別な精神修養の知識や知恵をまったく持っていなくとも、だ。
悟りを開き、衆生を済度しようとする菩薩衆は、
この(すべて仮想現実であるという)般若の知恵を会得するがゆえに、(般若とは六波羅蜜のひとつ、知恵のこと)
心が自由自在であり、
想いが自由自在で何ものにもこだわらぬゆえに、
恐怖するものが何ものもなく、
いっさいの誤った観念や妄想や迷いから遠く離れており、
究極の涅槃(永遠の平安)の境地にいつもあるのだ。
過去現在未来のもろもろの仏様たちも、
この般若の知恵を会得されているがゆえに、
仏(解放)に至る最高の知恵を得ておられるのだ。
このゆえに、この原理を知りなさい。
これは偉大な神の真理の言葉であり、
これは偉大な光の真理の言葉であり、
これは無上の、これにまさるもののない真理の言葉であり、
これは三世に比肩するべき何ものもない真理の言葉なのだ。
世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、
真の実のある、虚構でないものであるゆえに、
この般若の知恵の真理の言葉を説いたわけである。
では最後にマントラの言葉を説いて聞かせよう。
・・・マントラム・・・
以上が、般若心経という経文である。
注釈
空の捉え方の初歩としては、現象がホログラム像として観測のために与えられていると考えればわかりやすい。
ホログラムが映像投影のスクリーンのように存在して、そこに映像を結んでいるというわけである。
では、像を投影している源は何か。(それがわからなければ、原因不明のままで不完全極まりない)
その源が、空なる現象生起に中心的役割を果たすメカニズムの隠された存在なのであり、
現象が観測されるという意味は、より本質的に捉えるなら、
むしろ多次元ホログラムメモリに書かれた詳密な現象生起用のプログラムが、
超能力コンピューターによってレーザー光が当てられて、
ホログラム素子に記録された命令語のひとつひとつが、
あたかもハイパーチャージされたようにして実行され演算されそれが統合されて、
まとまった観測と認識結果としてアウトプットされているという次第なのである。
このメカニズムないしはシステムは、”現象とともに生起する我々”の観測にはかからないし、永遠に観測されることもありえない。
ただ、卑近であるかどうかといった価値評価のほどは別として、コンピューターというモデルによって思考実験的にシミュレートできることをお伝えした次第である。学究的に考察なされたい方は ⇒ 超宇宙の仕組みモデル概念
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/himegokoro/lz/introduction.html
あるいは
https://p.booklog.jp/book/91316/read
にどうぞ。
愚僧は一介の私度の雲水にてござれば、さらばでござる。