古事記神話の最新真解釈が示す宇宙の二重構造
原文の大事な箇所は赤記します。
天地のはじめ
天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に國若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へるときに、葦かびのごともえ上がるものによりて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の常立の神。
この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
上の件、五柱の神は別天つ神。
…………………………………………………………………………………………………………..
次に成りませる神の名は、國の常立の神。次に豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神。
次にツノグヒ(角杭)の神。次に妹イクグヒ(活杭)の神。
次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの神。
次にオモダルの神。次に妹アヤカシコネの神。
次にイザナギの神。次に妹イザナミの神。
上の件、國の常立ちの神より下、イザナミの神より前を、あはせて神世七代とまをす。(独身の一々を一代、夫婦神の一組を一代とする)
「天地のはじめ」の段だけでも、大きく二つの領域にわかれていることが、上の区分けからわかることと思います。
その区分けを示す重要語は、「別天つ神」です。つまり、こちらの世界とは別の領域だということを示しているのです。
では、上段の中に書かれる神とは・・・。
それは神名に示されるわけですが、すべてが「身を隠したまひき」、つまり見ようとしても見えない状態にあるとなっていて、しかも別領域にあるというのでは、どういうものなのか、皆目わかるはずもありません。
その前に、まずこちらの世界に関する、下段の神名から見ていきましょう。その訳を掲げます。
次に、三次元宇宙空間(四次元時空)が生じ確立する。そこは物質の母源たる星雲を豊富にたたえていた。この両者も、我々の眼で見ることはできない。
古事記成立当時には、望遠鏡などの観測機材はなく、宇宙の彼方の星雲などは捉えられません。これゆえ、目で見えないという意味の「身を隠す」となっているのです。またこれが、神(隠り身)の語源でもあるのです。
いっぽう、次は身近にある諸原理であり、注意深く見ていればわかるすべのものです。
次は、浮き上がろうとする摂理と下に沈もうとする摂理ができた。(浮力と重力 ⇒ 質量)
次は、堅牢で頑丈な極と、活発で生命的な極ができた。 (陽子と電子 ⇒ 電荷)
次は、ものの重心に向かう力と、ものの外側に向かう力ができた。 (求心力と遠心力 ⇒ 角運動量)
次は、諸原理の充足があり、現象の綾はこの充足完備を以て造られることになるのである。
次は、鎮め平衡化しようとする摂理と、波立たせ擾乱しようとする摂理ができ、この原理の意志によって現象は生成されることになるのである。
目に見える範囲の中で、諸法則は発見され、物理学は発展してきたことが言えると思います。いっぽう、宇宙のことは、天体望遠鏡などの発達をみなくてはなりません。それを古事記は、見えない事象として示していたことになります。
では、上段に出てくる神々の名とは、いったい何か。
実は、その預言しているのが、私のモデル理論だったのです。では、訳してみましょう。
先ず超宇宙の原理あり。
世界の開始に際しては、先ず超宇宙空間があり、そこに中心的統括機構ができ、現象を顕し結ばせるための機構ができ、現象の元となる理念の供給機構ができた。この三つはそれぞれ独立した存在であるが、我々の観測にはかからない。
現象の展開時の様子はこうなっている。
漂う水母状の意味不明なもの(ホログラム)に光が射すと萌え上がるあし黴のように現象生成が始まり、それと同時に励起された場としての時空間が生じ確立した。
これらのことも、我々が観測できない摂理である。以上、五つの事柄は、我々の物理宇宙とは異なる、別の超宇宙を扱う理論で出てくるはずのものであり、その登場が待たれる。
重要なのは、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)と、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)の存在を預言していることです。これが、我々の時空とは別の空間にあって、どうやら我々の時空はそこから統御されているというわけです。
私は、高御産巣日の神(顕わし(像を)結ばせようとする機構)のことを、超空間にある超高性能コンピューターのCPU(プロセッサ)であると解釈しました。
なぜかと言いますと、高御産巣日の神の息子に、思い金の神という、つまり明らかにコンピューター(ハードウェア)を示す神がいることによります。高御産巣日の神はそれを超次元化したところの、超コンピューター摂理というわけです。
そして、神産巣日の神(結ばせるための材料を供給する隠れ機構)を、コンピューター用の言語で書かれたプログラムの供給機構、つまりプログラムを格納するメモリから、このソフトのプログラムを製作する開発者にいたるまでの隠れた機構のことと捉えます。
それの統括を、天の御中主の神という、この世の設計から運営までを担う統括機構(プロジェクトあるいは、何らかのメカニズム)が行っているというわけです。
思い金の神は下段以後に出てくる、この世に関する神ですから、下段からすでに次元的にブレークダウンしていることになります。ここでは次元の異なりが、隠り身であることの理由になっていることがわかります。
その次元の異なる理由も、おのずと理解できるでしょう。そうなのです。我々は、プログラムされた側の存在であり、あちらはプログラムを開発し、それを動かしている側なのです。だから、こちらからでは永遠に見えないし、モデルを介して推量するしか把握の方法はないのです。
映画・マトリックスの前提条件が、本来の相であること、わかりましたでしょうか。我々は、何らかのソフトの中のキャラクターを演じているのです。
これによって、少なくとも我々は、仮想現実(バーチャルリアリティ)を生きていることが確実になります。いったい何しやがるんだ、コンニャローっというわけです。
我々には実体としての霊があると言います。それは事実でしょうし、また事実であれば、我々は上位次元から、アバターを投入してやってきていて、本体はこのソフトに没頭している霊かも知れないことも頷けると思います。
むろん、その実験と検証は、有能なみなさんにお任せいたします。
さてこのソフト、いったいどういう目的を持ったものなんでしょうね。今のところ、何らかのゲームソフトのような気がしないでもないのは、私ばかりでしょうか。
超宇宙モデル理論 ⇒ https://lucifersdoctrine.web.fc2.com/introduction.html
古事記・天地のはじめ ⇒ https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/dan-a.htm