宇宙人はや(2)

Gの嵐(関西版)を見なくてはと深夜寝ずにテレビを見ていた。
内戦と飢餓のスーダンに医療行為をしにいった医師がいる。妻子を残して。
我々はこういう優れた人たちに対して何してやれるわけでもなくただ頭を垂れるのみだ。
同様にスーダンの住民に対してもである。
フランスではアフリカ・アラブ系の若者が暴動を各地で起こしているという。
貧困と差別。困窮地帯から移民を受け入れた国でありむしろ善意であろうとしたはずであろうが、集合の中の同列にあると認識する人は周囲との差別化にもろく、ただそのことだけで恨みを持ってしまう。
社会というもの自体、その中に様々な種類の集団と同列意識を抱えており、そのおのおのの集合の中に競争と戦いの種が存在する。
誰決めたとなく、自然にそのような社会が出来上がるのが人類社会。とすれば、人間であること自体、もとより心休まる存在ではないと言える。
幸福の器が初めからないのであろうか。あるいは、幸福とは何かを未だ知ってはいないのかもしれない。集合の中でそれが実現できないと知って隠遁する人も多い。
ここはやはり、宇宙人に会って意見を聞きたい。すべての人の幸福を実現できる社会について。
そう思いつつテレビを見ていたところ、いつしか眠ってしまっていた。
Gの嵐はどうだった?はや。

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ピロリ菌を飲んで胃潰瘍の原因を特定した博士

オーストラリアの
バリー・マーシャル氏(54)
ロビン・ウォレン氏(68)
この二人のノーベル賞受賞博士のおかげで、私の命は永らえている。
みのさんのお昼の番組で、ピロリ菌の話を聞いたのが最初だった。
どんなに心を落ち着けても、どんなに食事に注意しても、何度制酸剤を飲んでも、胃十二指潰瘍は治らなかった。通算8年に及ぶ格闘。
ピロリのことを聞きかじりに話した医師が、好運なことに良医だった。
胃カメラ検査でその存在を確かめてくれてすぐに、当時(今でもそうだろうが)、複数種の抗生物質の集中連用でしか死なないというピロリ菌の駆除に応じてくれたのである。それも、保険適用の対象でないというのに、対象になるように病例を集めてくれさえしたのである。
一週間服用の後に、便は真っ白になった。臭いもない。細菌という細菌が皆無になったのだ。それは頑強なピロリ菌の絶滅も意味していた。
それからすぐ、あれほど胸の重苦しさをもたらしていた潰瘍は跡形もなく消え去った。
毎朝の歯磨きにおける嗚咽もなくなった。
それからの平和の日々の満喫の幸せは、かつての地獄の日々に比べるべくもなかった。
この良医、みのさん、そして今回のノーベル賞受賞博士。私はこの一連の救い主のおかげで今日があると言っていい。まさに大恩人なのだ。
二人のノーベル賞受賞博士に心から拍手を送りたい。
そして、みのさんがんばれ。番組がんばれ。
そして、あの良医の先生。
直後に転院されてお礼を言うこともできなかったが、心から感謝を捧げたい。

トンデモ・・宇宙人情報

まもなく封切りになるという「宇宙戦争」に先んじて、坂本氏は先手を打つつもりだろうか。
これからのUFOは、円盤のような攻撃性の乏しい型ではなくなり、より戦闘能力を高めたキュービック型を配備するという。
それは人類の持つ兵器の類では対処不可能のものであり、逆に攻撃させたなら、核爆で日本列島なら10分で海没してしまうらしい。
トンデモ情報であるが、頼まれ事につき書き送る次第。
まだまだ得体の知れそうにないキュービック/バーコードUFOはサイト内を飛び回りそうだ。

表にできない事情・・・尼崎脱線事故に思う

これはあくまでも仮説である。
一部事実に基づくも、仮説部分の多いことをお断りする。
知り合いから聞いた話。
彼は元JRの下請け的な会社で、車両運転士の資格をとっていたそうだ。
彼の場合外部団体なので、比較的楽に資格も取れたそうだが、JR社員には厳しいように思えたとの事。
彼の会社にJRから中年男性が出向させられてきた。その人にJRで何をしていたか聞いたら、表情を暗くして、「草むしり」をしていたと答えたそうだ。
JRでは技量的に満たない人や、社の意に沿わない人を、現業に就けず、懲罰的な仕事を負わせており、そうやって気分的にいじけさせて、自分から辞めていくように仕向けているのだとか。
それはもう昔のことらしいのだが、どうやら民営化前の国労時代の組合への弾圧の懲罰システムがそのまま持ち越されているらしいという。
運転士や車掌というれっきとした仕事と、草むしりの差はあまりにもありすぎで、夏場に草が生えてきたから自発的にする場合はともかくも上の命令でやらされる者にとっては、屈辱以外の何物でもないとの事である。
また、列車は少しでもオーバーランしたものを元に戻そうとするのに、ギヤを入れ替えてバックしようとするにも、車のように俊敏にはいかず、勾配などの具合によっては、動かすこともできないそうだ。
だから、あのT運転手の焦りはたいへんなものであっただろうと想像されるという。
ここからは想像上の物語となる。
伊丹駅以前に30秒の遅れを出していて、それを取り戻そうとしていた
そうだ。かなり取り戻せたと思った時点で、スピードが出すぎてオーバーラン。
それを取り戻そうとまた走る。過密ダイヤをごり押しされているような中で、耐えて耐えてしていたTだったろう。
みながみな運転士はそうだから、その体制には服従しなくてはならない。
しかしおそらく、前の駅辺りで、年寄りのわがままか何かで、余分に
停車せざるをえなくなり(一駅15秒で乗降させるらしい)、彼としては矛盾紛々たる怒りを抱きながら、発車していたのではなかろうか。
そこで問題のオーバーラン。
待つは懲罰。律儀な運転手といえども、少なからず破滅的思いが混じってはいなかっただろうか。
そして魔のカーブへのギャンブルを敢行。脱線を意識したとき、ブレーキをかけるも、おおきく傾きながら宙に浮いた。
そのとき、Tは重苦しいレールの敷かれた人生で、初めてレールを逸脱したのだった。そこにどんな想いがよぎったかは想像に難くない。
貧富の差。権力階級差。勝ち組負け組。
ヒーローやヒロインだけがもてはやされてやまない社会。
その有様を羨ましげにテレビや週刊誌で見つめる不満を抱えた門外漢たち。
忍耐のなさ。キレやすさ。多動性。原因は添加物だらけの食生活にあるとも指摘されているが、
世界を見渡せば、犯罪やテロの温床は貧困と人間としてのプライドにあると気付く。
人間はロボットにあらず。
心の反逆の時代の到来。

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