毘沙門天の二十日鼠

謂れ
その昔、そのまた昔、毘沙門天がまだ金色太子という人であったころ、まや国の大王に婚姻を強要されていた天台玉姫に恋心し、先を契ることのできたゆいまん国の金色太子は、「三年待つように」と言い残し、大王の討伐にでかけた。
それを知ったまや国の大王は、太子の遠征の途上で待ち伏せして、野に火を放った。四方を火に囲まれた太子の窮地を自らの棲む洞穴に導き救ったのが、かの二十日鼠であった。このとき、太子の家来となったのである。
太子が大王をみごと討ち果たし凱旋すると、玉姫はすでに病死していた。時は三年をすでに過ぎ、悔恨の思いに玉姫の行方をたとえ地獄まで行ってでも探し当てようと、異界への旅を敢行するのである。
かくして、地獄に始まり、極楽まで至るその風土のそれぞれで艱難辛苦のあったとき、かの二十日鼠が動物的直感で道を示し、太子の活路を切り開いた。
そしてついに、大梵天宮に玉姫が転生していたことを聞きつけ、警護厳重な宮殿に、二十日鼠が先んじて入り、太子の安全な侵入を図ったのである。
かくして二人の再会に、宮中は一時騒ぎとなる。しかし、梵天が太子の思いの深さを見、また玉姫の思いを汲んで、二人をそれぞれ毘沙門天王と吉祥天女なる神とし、異界に住むもの同士の障壁を取り去ったのであった。
かくして、毘沙門天の家来の筆頭は二十日鼠となる。
神への度重なる貢献と積善の徳により、毘沙門天の計らいで、人に生まれて位人身を極める立身出世を果たしてよいとのお達しが出た。
二十日鼠は大いに喜んだ。
だが、毘沙門天は世相の思わしくない成行を見て嘆息する。未来は、第一の家来を必ずしも望ましい経験に導かないことを見て取った。
このころ、仏に深く帰依していた毘沙門天は、二十日鼠を未来の展望の間に連れて行った。
「見よこの光景を。位人身を極めても、利益する者あればその数だけ不利益する者が現れる。行為すれば新しい反動を呼び、その連鎖は留まることを知らない。むしろ積善の徳がここまでなら、いま少し徳の足らざるを補うことで、比類なき神あるいは仏にもなれようものを」
かくして二十日鼠は、人間の男として生まれて位人身を極めることをやめ、徳の補充のために女として生まれ、献身の一生に捧げることに決めた。
その一生の意味は、生後間もなしに神主によってつけられた名前”禊(みそぎ)”に込められることとなった。むろん男の子なら、そのような名前になるはずはなく、進取の気性に富む名前であったろう。
「毘沙門さんの二十日に子が生まれる」との夢のお告げは、二十日鼠が下生することを掛けて示したものであり、男としての一生が予定されたものであったが、その直前に予定は変わっていた。生まれて後、六ヵ月後と三年後の異なる行者による「もし男の子なら・・・」と惜しむ声があったというくだりとなるわけである。
さらに七歳のころ、異界の聖獣ヌエの勘違いをも誘ってしまった。もし男の子なら、かのローマ建国の父、ロムルスとレムスのように、野生獣によって育てられていた可能性も否定できない。母の話によれば、あのとき泣き止んでいたら、連れ去られていたと直感したという。女ターザンになっていたかもしれないと。
不思議なこと
子年の母は、鼠の性質を多分に顕していた。
八十を過ぎる高齢にもかかわらず、夜間の真っ暗闇でも目がよく見え、暗がりでの作業はお手のものだった。探し物は私がとても苦手としているのに、ものの十数分もあれば見つけ出してきた。
40Kgほどのきゃしゃな身体で、菜園作業のほとんどをこなし、屈強な男でも音を上げそうな造作をたんたんとやってのけた。
就寝場所は納戸の中。その狭い中に、こじんまりとしたベッドを置き、その周りに詰め込めるだけ衣類や、お得意の裁縫用の布切れを充満させていて、鼠の巣とはかくなるものかといった感があった。
私にとっては無用の長物も、母にとってはお金など及びもつかぬ宝物であったに違いない。
母は自ら、大黒さんの二十日鼠と言っていた。倹約によって金運を運ぶタイプの神獣である。
これが狭い納戸に飾ってあった母のシンボルだ。
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むろん今は、もう二十日鼠ではない。少なくとも神となって神仙卿に愉楽しているはずである。というのも、納戸の中の二番目の写真を撮ろうとしたとき、前を塞いで執拗に妨害したのが、極楽仙人(という家庭用低周波治療器)だったことで分かるのだ。もう二十日鼠などではないぞと。
つづく

お彼岸

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秋分の日午前六時前の南の空。
紫雲たなびき、母の眺める空もかくのごとく穏やかなるかと思う。
昨二十二日の未明には、不可思議な夢を見た。
前日の夕刻に諸天善神の助力を請うたためか、諸天と龍神眷属あまたでひとつのホテルを貸切ったかのよう。
ご来光にあわせてみなして屋上に上がれば、なぜか山頂で雲海の上、母はその中にいて導師四名に付き添われ、ご来光に向けて伸びたなだらかな道を進み、ご来光のふもとに至って振り返り、あまた参列する礼服姿の我々に手を振って返礼してくれたというしだいであった。
見送りが終わって、見知らぬみなさんが公共交通機関を使って帰るのにつきあうというくだりまで備わった奇妙な夢。
質素な現界での葬儀。
せめてお見送りは、諸天善神総出の盛大さで行うことができたかと思えたことか。
梵天様弁天様、毘沙門天様吉祥天様、國常立神様豊雲野神様、そして諸天善神の皆様、龍神様たちおよびあまたの眷属の皆様のおはからいに深く感謝申し上げます。

心の具合を調べる装置

私は神出という地の極近に呼ばれるようにして晩年を暮らしたことをとても光栄に思っている。そこは神話に著名な須佐の男神と櫛名田姫が降臨された土地であり、御業績をたどれば想像の神話空間に居ながらにして到達できるからである。
またいまひとつ光栄なこととして、世にも希有にして優秀な魂をした母の子として生まれたことがある。母はもし男として生まれたなら位人身を極めると、時を分けて複数の修験者に預言された人であった。女と生まれ預言を成就できなかったが、あの伝説上の鵺に出会い、自らの名として意味付けられたとおり奉仕と精進の人生を送った。日本の伝説に言う鵺とは、エジプトのスフィンクスの同類であることが母の言からは伺える。スフィンクスは王の脇持もしくは王すら半身を獣身に描く例があるくらい、王者に近い扱いを受けた神獣であった。平安時代には皇居に出没して頼政に討ち取られたという。たえず王者に懸想するのは何ゆえか。未だ何も分かっていないのも、架空の想像上の生き物でしかないと断定されてしまっているからだ。古代エジプトにおけるスフィンクスの位置づけは何だったのか。絵文字から解答は得られているのか。荒唐無稽な神話でもいいから解答を得たいと思っている。
世の中には故意にしろ偶然にしろ埋没してしまった真実が多くある。
私はスフィンクスの謎掛けにはまった一人かもしれない。普通人では見向かない異界の謎をいつしか解こうとするようになり、とうとうライフワークとなってしまった。今となれば、偉大な母に対してしてあげられる、わずかながらの恩返しとなればの想いだ。
だが、そうした期間もそう長くないと思われる。自らの病気のせいもあるが、まるで比例するかのように世界も病態を呈しているからだ。あとどれほど残されているだろう。
世界最古の民族を自負するホピは、この時代の初めに主催神から人のたどる二つの道について知らされたという。それは物質偏重主義の至る滅亡の道と、自然との調和と質朴謙虚さが醸す生命の道であるという。
この二つの道に、もし明確な分岐点があるとすれば、それは未来にあるというより、過去にあった可能性を示唆したい。
それは第二次世界大戦である。日独の精神性の高さは、独においはワイマール憲法をうましめた倫理の高邁さ、日においては質実剛健を重んずる武士道精神があった。当時の日独の残虐性のゆえに軍配が米英に上がったという異界通信もあるようだ。日独軍がまだしも寛容なら神風も吹いたかもしれないが、あのときの日独が核を先制使用したなら、米が寛容にもしてくれたような寸止めが効かなかったかもしれない。
このころの日独伊同盟の性向は強烈な民族主義により、そぐわぬ人々を民族ごと抹消するぐらいはやっていたかもしれず、だから世の主催神はまだしも人類の成り行きに希望を託しているのかもしれないという淡い期待を心の隅に置いておくことにしよう。(というのも、主催神の人事はおおかた悪魔的人物を人の上に立たせてきた傾向があり、人類が必然的に滅亡の方向に舵を切るように仕向けられている感があるからだ。それをすべて人のせいにしたがる宗教もあるが、私はそのような背景から主催神を邪神ではないかと見ている)
しかしながら、せっかく第二次大戦後、統一の機運を見せた世界も、東西両陣営が互いの主義を掲げて諸国を傘下に収める鍔ぜり合いへと進み、その互いの弊害が撒き散らされるに止まった。結果、今までに至っても諸国は分立し、貨幣経済のグローバリズムのルールによって経済的に繋がっているにすぎない。経済強国の競争発展の論理がまかり通り、弱小国は簡単に経済破綻に追い込まれ、貧困の度合いは増すばかりである。かつての武力による植民地拡大主義が形を変えて登場しているだけ。国に対する資金援助という美辞も、国を構成する人々にとっては多大な負担になっていく場合がほとんどだ。高率インフレ、収穫からの税的簒奪、その結果国民は無教育、飢餓に陥っていたりする。
人々を富によって勝ち負け強弱のレッテル付けし隷従させるためのシステム。それが現今の資本主義経済である。
複雑化し混迷する世相。コンピューターの登場によってオートメーション化が図られた理想形としての、人類の機械化された暁の労働からの解放という念願はいっこうに訪れる気配はない。私はアトムの時代の理想を心にコンピューター業界から仕事を開始したのだった。三十有余年前のことである。能力を要求され多大な苦労を伴う仕事であった。以後、作業内容に進展はあったか。いいや、その当時していたような仕事は現在もより激しさを増して行われている。人がコンピューターに使役され、いっこうに労働環境の改善のない様子である。
鬱、過労死、自殺。ロボットはどんどん登場してきているが、人間の価値が貨幣以上のものにランクされない限り、アトムの時代は儚い夢にすぎない。
もしも日独伊が戦勝していたら、あのホピが救世主として目していた太陽、鍵十字、クロスのシンボルを持つ三国が彼らの喜びの儀式と共に浮上していただろう。
少なくとも日独は協力して大東亜共栄圏を世界にグローバル化した政府作りの構想を持っていた。世界大戦を契機にした武力に依らない世界統一政府の実現。それはもし初期的な民族主義や選民主義さえ解消されれば、世界の隅々にまで人類発展計画が展開され、今頃は優れた国土計画のもとに見事に分化され、まるで公園のような世界が広がっていたかも知れない。
日独伊ともに形而上のことに目を向けていた。科学技術の第一番として、真っ先に「人の心の状態を読み取る機械」が開発されたかも知れない。人は心で何を考えているか読めんからと、ヒトラーだったら考え付きそうな計画だからだ。
人の言っていることは真実か虚偽か。司法の場がキルリアン写真を発達させたような観測機構で公平な判断基準を手にすることができればいいとすれば。その暁には世の中から簡単に邪悪は一掃されてしまうかも知れない。
不安定に変わる心の状態に対しては、当面は粛清のようなこともありえようが、いずれ修養機関や治療機関が用意されるだろう。こうして人は心身の健康が保証されることだろう。
いやいや、このときにも為政者の問題がある。悪魔的人物が立てば、いつまでも粛清の基準を置く材料になりかねない。そこは主催神がどうなさるか・・しかない。
だが現今は、人の心というものは物質以下に貶められている。不安定で、感情に流されやすいといった理由で定量化されたこともない。それで、ないに等しいと決め付けられて、人々は作業ロボットでありさえすればいいという企業の発想に利用されてしまっている。
心は不安定化要因でしかなく、これが如何に調御されているかが最低限の要件となり、人々は学力や能力といった定量化しやすいものによって量られるという次第だ。
心の働きは平静を装う世間に埋没して、ときおり凶悪犯罪として噴出して世間を驚かす。いいや、これに驚く者は世間知らずというものだ。みんな理由を知っている。凶悪犯罪や自殺や鬱になる理由を。知っていて次には誰がと固唾を飲んでいるだけである。彼らは次なる犠牲者が出ることで溜飲を下ろしているに過ぎない。
今後ますます、心の闇を原因とした犯罪が、表面的にまともな人々によって行われるだろう。それを知りたく思っても、表に出ることは稀だろう。心の中を探るのは、学者や推理小説家といった暇人のすることで、司法機関は多発する犯罪処理の流れ作業に、いちいち分析などしておれないだろうから。
こんなことで心が市民権を回復する日は、くるだろうか。
今の歴史の延長線上には、もはやないのかも知れない。
いつの時点かで分岐し去ったパラレルワールド幻想の一席であった。