琵琶湖周航の歌9・・・伊吹山眺望

今回もまたPさんからすばらしい写真の提供がありました。
琵琶湖周航の歌シリーズもまたとなる、伊吹山の絶景です。
また、写真に付随してのコメントも豊富です。
彼からの要望もあり、その奥人流見解も用意いたしました。
伊吹にかかる雲・雲・日輪
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伊吹山にかかる雲
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伊吹山全貌
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伊吹山頂に射した日輪
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伊吹山頂の様子
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伊吹残雪
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関ヶ原市街を望む
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巌(いわお)と伊吹
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白山方向を望む
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Pさんからのコメント(途中、リーマン氏の記事引用を含む)
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4/20(日曜日)、朝から曇っておりましたが、何となく伊吹山の神に呼ばれたような気がして、午前中の遅い時間に家を出発しました。滋賀県南部は晴れていたのですが、北部は一面に雲が広がっておりました。そこで、いつものことですが、伊吹の神をブログにて紹介させてもらいたいので、どうにか晴れてくれるようにお計らい下さいと天気の神に祈りました。ドライブウェイは、滋賀と岐阜の県境を少し岐阜側に入った所から登るのですが、岐阜側に近づくにつれて、どんどん晴れて、またも神の恩寵を感じることができました。ドライブウェイの途中で、伊吹山の全貌が見え、写真をとっても良いよ・・・と感じましたので、激写して参りました。さすがに頂上一帯は、雲がかかってガスっておりまして、できれば琵琶湖側の写真をとって「龍脈」の流れを皆さんに感じて頂ける写真を撮りたかったのですが、それは残念ながらかないませんでした。ただ、白山側は山腹で見ることができました。及び、最近「空性」について考える所があり、何かそれのヒントとなるような、神秘的な雲の様を自然から教えてもらったような気がします。
大自然には神が宿り、その美しさは筆舌に尽くしがたいと感じました。それを感じさせるようなシーンをいくつも見ることができました。
自分Pが、リーマン様の記事等から推察したのですが、琵琶湖-瀬田川-宇治川-淀川は、白山・能郷白山・伊吹 の山等からなる、風水上の「父祖山」から「龍脈」を通すルートであり、風水上の理論として大阪北部や神戸が「都市」として発展する計画が、そもそも神の元々の思惑としてあったように思えます。また龍(龍脈)が動く場所は、地震の発生する場所であって、琵琶湖もその西側に活断層を抱えていることから、エネルギーの循環するルートであったことは、容易に想像されます。この「大風水論(推定)」は、平安京や天海の大江戸などの「小風水論」に比較すると、神の領域を感じさせる規模の大きいものです。
また、伊吹山は主に石灰岩で構成されており、アルカリ性の強い土地であります。アルカリ性=還元力=反腐食作用=イヤシロチ という意味づけがありそうです。
また、地図を見ていて思ったのですが、伊吹山山頂が、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)とほぼ同緯度にあることも面白いと感じました。
以下は、伊吹に関連した、伊勢-白山 道 の リーマン様 の記事の抜粋であります。
【大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の中枢であり、その
文章は荘厳にして流麗、そして神秘さを感じさせる、まさ
に言霊の極致です。
大祓詞の成立を、私は過去にリーディングしておりましたが
長い間、明かすことを神霊より止められておりました。
やっと、許可が出ましたので書きます。
この祝詞が降ろされる状況を霊視しました。
神界より波動を受けて、この祝詞を現した人は、驚くことに
女性でした。 大霊覚者です。 倭姫命です。
感応した場所は、滋賀県の 伊吹山です。山頂から、琵琶湖
伊勢方面に朝日を拝したとき、降ろされました。
読者の方から 君が代 について感想を求められました。
現代語訳
  君が代は、千年も八千年も、細石(さざれ石)が大きな岩
になって、それにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと
続きますように。
歌自体に私は何も拘りが有りませんが、さざれ石 に霊的な
ものを感じました。さざれ石とは、細かい石・小石の意であり
それが巌(いわお)となった状態のものが現在、さざれ石と
呼ばれています。日本では滋賀県・岐阜県境の 伊吹山が
主要産地です。過去記事大祓詞で出てきた 伊吹山です。
明治時代の神道家・大石凝真素美(1832~1911)は
琵琶湖を舞台に人類が発生したと幻視しました。
2種類の人類が居り、1つは石から、もう1つは土
から人類が発生したと霊視しました。
この琵琶湖周辺から人類が誕生して、日本の地
から世界中へ人類が散ったと主張するのです。
 
私は、琵琶湖に面する 伊吹山から出る希少な
さざれ石が、大石凝が人類の元と観た石だと感じ
ます。この荒唐無稽な話の真意は分かりません。
ただ、琵琶湖は人体の子宮の形を現し、無から有を
出す場所と霊的に感じ、淀川は産道であり、生まれ
出た赤子が淡路島と私は感じます。
大石凝さんの霊覚は、私には非常に高度なものを感
じますので、たんなる戯言と切り捨てる気になり
ません。太古の地球に、 伊吹山が重要な場所であり
その背後には 白山 が控えているのは、大きな
意味が隠されています。
生かして頂いて ありがとう御座います】
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写真とはまさに真の姿を写し取るもの。
千メートル級の山とはいえ、伊吹山の威容は冷厳な男神の神体を思わせるに足る堂々たる風貌を湛え、
古人が登攀に挑戦する者を寄せ付けぬ、偉大な父の威厳を感じたとしても不思議ではない思いをいたすものであります。
そこがまた、苔むすさざれ石の謂れとなった場であることは、千古不磨の頑強さと鍛え上がった不屈の思いを重ね合わせさせ、
なおのこと荒ぶる山の神の御座所とされたであろうことを想像するものであります。
琵琶湖が人類発祥の地・説には、心では賛同するものの、この世次元でのストーリーではないという思いを持ちます。すなわち、神話の歴史空間における原型的手続きの中で行われたものかと推察します。
同様に、琵琶湖は万物を生み出す母の子宮という見立ても、神話の象徴的空間においてのことでありましょう。神話はその中でストーリーする者によって、この世に影響を及ぼす魔法を起動する目的で発されるもの。
そのために古人は、地形に意義ある名前を刷り込み、長い年月、神々の伝承を彫り込んで、神話構築の下地をこの世に象徴物として遺してきました。
神話はこの世の状況を見ながら、その時々のシャーマンが古式に則りながら随時に改変し、世の指導原理たらしめようとするものであるというのが、私の説です。
今でもその原理は変わっておらず、今こそこの原理によって新神話を作り、世を異界の側から傀儡師の如く良導していく時がきているという実感をいたすものであります。
リーマン氏もその意図で発想されていると見られ、私のしてきた山の頂を目指す登攀を、別のルートから目指されているように思われます。
この試みはいくつもの他のグループによっても手がけられている。それゆえ、こちらで失敗したとしても、後悔することのないように諭された方士の言説を確認する思いがしております。
しかし、同じ山頂を目指すとしても、歩き方も装備もルートも異なります。その間で持ち物や得物の比較をし合っても仕方のないことではあるものの、この情報化社会ですから、噂も助言も随時やってくるわけで、こちらの道はこんな道だと足元を再確認する意味でも、この比較は受けて立たねばならないと感ずる次第です。
さて、そうした中で、私からも質問をリクエストしましたのは、リーマン氏の元伊勢観についてでありました。
というのも、現伊勢観がどうやら異なっているので、その初源を質そうとしてのことであります。そのカナメになるのが、ホツマにいう国常立神の執政地として象徴される地の元伊勢であったわけで、ことさら私の関係先でもあることから、この地を指定いたしました。
そして、Pさんが膨大な彼の書庫から見つけ出してくれました。
それは次のようです。
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【◆リーマン 2007/05/03(木)
>>827
元伊勢内宮皇大神社と日室ヶ嶽の関係
 
古いですね。 今の伊勢神宮の雛形が全てあるのですね。
ただ、霊的な役目は一応済んだので、ただ 悠久の時 が流れるのを見てる感じです。
北極星も変転するように、時代時代に 神の柱 が立つ場所も代わります。
今の時代は 伊勢 なんです。
 
日室ヶ嶽は神の山なので、原則的に神のテリトリーに入ることは禁止されます。
とくに東斜面は絶対神聖で今も禁足地なんです。 そこに、人が踏み込むと神罰が下り
一月以内に死ぬと言う伝承があり、実際に過去イロイロ有ったそうですが、昭和の時代に
金井南龍と言う行者が、東斜面から入山して登頂したのですが、彼は死にませんでしたね。
◆リーマン   元伊勢 (天橋立)   070729#005
「 元伊勢」と呼ばれている宮津の「籠神社」や大江の「皇大神社」について
 
・・・昔は、そこに神界の中心の反映があり
光柱が立っていた、時代がありました。
やはり、時代時代で北極星も変わるように、光柱が
立つ場所も変わるのです。
今は、伊勢神宮と白山に光柱が立つ時代です。】
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これらは質問者がいて、その方への回答として彼の脳裏に情報がもたらされるという、私もそのようであったから(私の場合は自問自答が多かった)理解できる方法かと思います。実際、疑問を発すれば直ちに回答が閃くというもので、またそれが絶妙のシンクロを見せることが多く、この方法の確かさの確認を幾度もしてきております。
それというのも、若い頃から絶えず世の意味を問いかけ、真剣に真理探究をしたからかと思います。いつの頃からか情報塊として回答が落ちてくるようになり、一時期、メモ用紙の中に布団を敷いて寝るという異様な時期も経ました。UFOブームの頃には、上空に情報源のUFOでも居るのではないかと訝ったこともしばしば。
しかし、道はそれぞれに異なり、もたらされる情報もその人に応じたものとなるように思います。
当初から伊勢には関心がなく、元伊勢を知ることになって以降、その対置から伊勢を覗うようになったような次第。よって、真に理解できておらずに独自の見解に終始することを、前もってご容赦願いながら回答させていただくことにします。
まず、
>元伊勢内宮皇大神社と日室ヶ嶽の関係
今の伊勢神宮の雛形がすべてある、というのは同意できますが、
霊的な役割は済んではいないと思います。
活動を終わらせようとする力は働いているようですが、1970年代後半以降に
地元民によって頻繁に不思議な活動が目撃されていることから、これは何かからの要求に違いないと
思わせるものがありました。
次はその記録(上)と、SFを交えた事実に基づく物語(下)です。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/kakuresato.htm
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/story/harukano.htm
また、神体山の登攀には命が懸かっているという説も、いまや過去のものと
なっているようです。知り合いに登攀した者は二人おり、少なくともひとりは峻険な
斜面からの経験者です。この地の不思議目撃者でもあることから、危険を推しての登攀は、選ばれた者の
自覚ゆえだったかもしれません。
>「 元伊勢」と呼ばれている宮津の「籠神社」や大江の「皇大神社」について
当地にむかし、神界からの反映の光が当たっていたというのは確かかと思います。
そして今は、現伊勢とのご指摘ですが、私の構築する神話との抵触があり、お互いの力を殺ぎ合う結果になることを懸念しつつも、はっきり申すのですが、今の伊勢には、祭神の真贋に光が当たらない限りは、真の機能を果たし得ないの観を持っております。
願わくば、その光を当てて、ぜひその時代を切り開いていただきたいところです。
しかしこれも、私の仮説にすぎぬこと。(といっても私の時空では真実ですが、みなさんの時空ではそうとは限らないということ)
読者は、こんな話もあるのだなあといった趣で読んでいただきたく思います。

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畿内を東西に分けて竜虎舞う

メイさんは淡路島に渡り鳴門の大渦の写真をお土産に。
その直後、Pさんは伊勢の三社参りでやはり写真をお土産に。
こういうシンクロさえも出てくると、もうこのブログは大きな異界のうねりの中にあるが如しであります。
あ・ああ、ちょっと待ってください。まだこの大ボルテックスの渦の中に巻き込まれるのは、いささか早いのではないでしょうか。
ああーしかし、どんどん意識は遠のいていきます。ここは、あの世か竜宮か。
あれえ。代わりに見えてきたのは、竜虎が東西に分かれて土俵入りする様ではありませんか。
私は眼前に展開する光景を、まさに”かぶりつき”で見ておるのでございますよ。
では、みなさんにも少しおすそ分けいたしましょう。

西の虎(猫)・・・メイ (淡路・鳴門ルート)   VS   東の竜・・・P (伊勢・鳥羽ルート)
前座・・・桜 対決

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内宮駐車場の桜

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外宮の桜並木

本命・・・異界への門 対決

上枝
中枝
下枝


○上枝
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   内宮               

○中枝
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   外宮               

○下枝
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   伊雑宮              

人の営み・・・風物 対決

上枝  伝統
中枝  望む
下枝  好取組


○上枝  伝統
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   布団だんじり   そのとき歌われるだんじり歌

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   内宮内弓の儀式奉納     

○中枝  望む
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   天道虫

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   赤福本店裏側~五十鈴川沿いを望む

○下枝  好取組
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   切磋琢磨   元気の森ホールにあります

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   夫婦岩           

いったいこの見事な対称性とシンクロニシティをどう捉えるか。
さすがの名探偵にもただちに解決というわけには参りません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

東のPさんから旅の記事が寄せられています。
Pさんの記事----------------------------
日曜日、「パワースポット」に行って参りました。実は、以前より 伊勢-白山 道 のリーマン様の提唱する感謝行を継続する中で、どうしても行ってみたかったのが、伊勢神宮「外宮」です。「内宮」は、何度も参拝していたのですが、外宮は一度も行ったことがなかったのです。日曜日、朝早く、出かけたのですが・・・伊勢は、天気は快晴、気候温暖にして風穏やか。桜が満開でありました。まず、この有り難さに打ち震えたのと、新名神が完成したお陰で「1時間半」という短時間で辿り着くことができました。この二つを取っても、「奇跡的」に思えました。「外宮」 ですが、神気に満ち溢れておりました。つくづく、リーマン様に出会って良かったなー、これを知らずして死ななくて良かったなーと感謝しました。以下【】内は、外宮について、リーマン様が語られた、抜粋です。
伊勢神宮外宮・・・【太古の白山山頂に存在した、祭場に祭られていた 石の柱3本の、その後の行方をリーディングしました。異民族の急襲を受ける前に、シャンバラへ隠れた神官達以外の住民で、神官から信託を受けた一部の住民が要の主石柱1本と、もう1本の石柱を持って現在の伊勢の地へ一部の人々が逃れました。その他は全国に散ったようです。主石柱1本は、現在の 伊勢神宮外宮の2012年に次の新社殿が建つ、現在の空き地の中央に神柱として埋められてます。伊勢神宮外宮に立つ、シャンパンゴールドの光柱は、地面から天に向かい、そびえ立ちます。綺麗な円柱です。 柱の中には、キラキラ光る金粉が渦を巻いている感じです。写真からは、シャンパンゴールド色の神柱の光が溢れています。 清まります。】
さすがにシャンパンゴールドの光の柱は霊視できませんでしたが、背中のスシュムナー管の気の動きで、エネルギーの大きさを感じることが出来ました。内宮より、大きかったような感じがします。特に遷宮予定地~御札販売所を歩く所で、強い気の上昇を感じました。
ちなみに、3本の石柱については、次のように解説されておられます。
【6・15日の記事で、白山の3本目の石柱が、異民族により外国の白頭山へ持ち去られたと書きました。根源神の息吹の寄り代である3本の石柱は、太古の白山山頂に祭られて居ました。主石柱の1本は、 伊勢神宮外宮の2012年に次の新社殿が建つ、現在の空き地の中央に神柱として埋められてます。これは、根源神の 創造の息吹 を宿しています。
もう1本は、伊勢神宮伊雑宮に埋められていて、この石柱は根源神の 維持・調和の息吹 を宿します。さて、略奪されて朝鮮の白頭山に持ち去られた3本目の石柱は、根源神の 破壊の息吹 を宿します。創造・維持・破壊、この3つがそろって世の循環になります。】
伊勢神宮内宮・・・以下、リーマン様が、2007/5/4に伊勢神宮を訪問された時の内宮の様子です。【参拝を終え、以外だなと思いながら拝殿横の垣根から、御正宮の中を覗くとシャンパンゴールド色の光柱が3本立ってました。そして左側の5年後に新しい正殿が建つ新御敷地には、中央に太いシャンパンゴールド色光柱が1本ありました。】
 生かして頂いて ありがとう御座います
*伊雑宮・・・【(太古の白山山頂に存在した、祭場に祭られていた 石の柱3本の内)もう1本は、伊勢を離れて当時のムー大陸へ運ばれて太陽神の寄り代の柱として崇拝され、ムー大陸の沈没前に神官達と共に現在の伊勢、磯部町へ運ばれて祭られてます。現在の伊勢 伊雑宮 です。磯部町の住人はムー大陸の末裔の血を引きます。】
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西のメイさんからのコメントです。
メイさんのコメント--------------------------
淡路の八幡さまのお祭りに偶然福良の港で遭遇しました「布団だし」もお送りします。
このだしも龍の模様があり、はっぴの方の刺繍にも龍が・・昨日カーナビでなんとなく聞いたニュースに熊野でもお田植え祭があったとのこと、雨を呼び五穀豊穣を祈るもの達の願いが込められているのでしょうね。
今日は風も強く、先ほどからこちらも雨になりました^^
そうそう・・さくら・天道虫・子供の力士像「切磋琢磨」を撮ったところ・・名前知りませんでしたが、昨日淡路の方からそこの場所(体育館)の愛称が「元気の森ホール」ということを教えていただきました。^^
いいですね 私は軽いシンクロだと思いました^^
美しい景色と自然の様子をご覧になるかたそれぞれに感じていただけたら幸いです。
布団だんじり
https://www2.ocn.ne.jp/~nishi000/danjiri/dankaza/index.html
その際に歌われるだんじり歌は珍しいと思いましたので
https://www2.ocn.ne.jp/~nishi000/danjiri/danuta/index.html
をいっしょに付けていただければおもしろいかと。
それと・・桜の写真・天道虫・切磋琢磨は 愛称「元気の森ホール」で撮ったものです。
てんとうむしはあえて天道虫と^^ 
桜は光りを通すと五芒星型がくっきりでした。りんごも輪切りにすると中心に五芒星が見えます。
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土俵
“五芒星”の語もでてきたこともあり、さて次は種明かしともいうべき、
今回のこの超シンクロのために設営させていただいた土俵でございます。
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おあとがよろしいようで・・・。(^^;

琵琶湖周航の歌8・・・徐福、神仙境創造に着手す

琵琶湖とその周辺に、どうして神仙の雰囲気が漂っているのか。その源流を仮説してみた。
すでに前記事で推理したように、琵琶湖がダム湖であるとした場合の話である。
ではさっそく、過去の時代にズームインだ。
秦の時代には知られていた蓬莱島伝説。徐福はその神仙境の不老不死伝説を始皇帝に知らせ、不死の薬草を手に入れてくるための大船団と乗員を用意させた。渤海にあるという三神山。そこに住む仙人を薬草と共に連れ戻るなら、自らの天下も恒久なりと踏んだ始皇帝の稚い算段であったかもしれない。
その徐福が海を渡り伝説の東を目指し、当時にあっては蛮夷の地とされた日本に至る。
彼の名残は多くの場所で見られている。それは彼が日本の地形に特長を見つけようとしたからに他ならない。
時、紀元前200年頃、日本が弥生時代とされていた頃のことだ。
そこで徐福は、日本の津々浦々を歩いてみて、人々の穏やかさには接するものの、神仙と呼べるような状態にないことを見て取った。
そこで彼は気づく。この島のさらに東に蓬莱島はあるのではなく、この土地に、にわかには目視できないが、重なって存在しているものであることを。それを人々は見出せないでいるだけだと。
もし、蓬莱島をこの地に湧出させることができたなら、仙人にも会え、請うて薬草も手に入れ、始皇帝のもとに戻るつもりであったかも知れない。
彼はユダヤ人だったが、タオの思想には深く感銘を受けていて、彼の知るカバラの神秘思想と統合すれば、何とかなると見たのではなかったか。
カバラだけでなく、東洋魔法も応用される。「兆、脈、境、見立」の魔力強化サイクルのスパイラルによって、彼らの存在する時空間それ自体を次元上昇(アセンション)させようと図ったのだ。
彼は、千人にも及ぶ大人口を連れて渡ったには理由がある。人口過疎の日本にあって、機動力統率力に物を言わせ、大豪族から大王をうかがうくらいにはなろうとしたのだ。彼は、後の秦氏の祖であり、当時から多くの人の信望を集め、少なくとも大豪族になっていたことであろう。
彼の目的はただ日本を神仙に変貌させることだった。そのためには、自分ひとりの意志の力だけでは足りない。在住の人々のことごとくが、住まう環境に神仙の雰囲気を体感できなくてはならない。
彼は、持てる知識を駆使して、人々を集めて巨大な構築物作りをした。土木工事については、万里の長城や始皇帝の巨大地下施設造りのノウハウくらいは持っていたから、造作もない。
まず、神々の構図を地形に彫り込む。
当時の琵琶湖は今よりはるかに小さかった。このため、マウンド造りには好適だったに加え、水を満たした場合の湖の形を、キネレト(竪琴)型に設計して、当時主体的人口を形成していたユダヤ人に見立てられ易くする企てがなされた。すなわち、地形の削るべきところを削り取り、その土砂を運び込むべきところに盛り土してマウンドを築いたのだ。
後世の風流人は庭園の中に神仙境を描き切ろうとした。それはいわば盆栽のようなミニチュア化手法である。現実にはならない思いを箱庭に込めてする、理想の投射である。理想郷を偲ぶ心の現われである。
だが、その故事はさほど遠い昔ではない頃の、広大な大地に為された造作の模倣である可能性のあることも考え合わせるべきであろう。
徐福は琵琶湖周辺に、神仙の構図を置こうとした。三上山は、もとは三神山であり、蓬莱、方丈、えい州の三つの神仙をこの地に見立てるとの思いから作り上げられたモニュメントであった。
次に蓬莱山のモデルを、後世の日本庭園が造作したように、琵琶湖の中に作ろうとした。
まず沖島がそうである。池の中に弁天の祠が置かれるように、沖島にも弁天の社が置かれ、その中の奥津磐座を蓬莱嶽とした。また、沖島を真東に展望する山を蓬莱山として、春分秋分の初日の出のラインを、蓬莱神仙境に至る道としたのである。
古代より蓬莱山登山は神仙を体感すべく奨励されていたことだろう。神々と人が触れ合う場。上空を見れば、巨大な神々の営みが想像できるようでなくてはならない。光が風が、生きているひとりひとりにとって、意義深くなくてはならない。生きていることがありがたいと心の底から思える世界造りが徐福の目標だった。

琵琶湖周航の歌7・・・蓬莱山御来光

Pさんから、3月9日の早朝に彼によって撮影されたすばらしい御来光の写真を提供していただいた。
撮影場所は、滋賀県の琵琶湖湖西にある蓬莱山山頂で、蓬莱神を祀る祠のあるあたりから東に出る御来光を写したものである。
蓬莱神を祀る祠 (感謝)
蓬莱神

蓬莱山の御来光 (横)
朝日(蓬莱より)中サイズ

蓬莱山の御来光 (縦)
朝日(蓬莱より)縦中サイズ

上の御来光写真には意識を高め変容させる力があります。クリックで拡大します。
Pさんのコメント----------------
昨日(3月9日)は早朝より絶好の晴天で、雲海に浮かぶ朝日の写真といつも感謝申し上げている「蓬莱神」の写真がとれたので、別途送らせて下さい。太陽の輝きが我々の意識を良き方向に変容させることを祈念します。
送りました朝日の写真は、雲海の上に浮かぶ太陽で、琵琶湖も垣間見えます。
(撮影場所は)いつもの、修行道場「蓬莱山」です。日によって様々に表情を変えるのですが、昨日は言葉を失う美しさでありました。どういう加減か、琵琶湖の上にうっすら雲が敷き詰められ、所々に湖が出てそこが朝日の反射する筋道となって、あのような光景に・・・。
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この写真を見て驚いたのは私・奥人だった。
それは昨年の9月22日の未明に見た、故き母を盛大に見送る夢の光景とそっくりだったからである。
その頃にこの夢につき取り上げた記事はここ。そしてここでさらに詳しくしている。
あの日、目が覚めてから思ったのは、雲海を見下ろすような場所ゆえに、どこか3000m級の山の山頂に居たのではなかろうか、富士山あたりでも、夢の中身の破天荒さからすればありえてもいいんじゃないかなどといった連想と、前日の寝る前までに及ぶ親愛なる神々への熱心な祈りに、龍神の眷属を総動員して応えてくださったという感謝感激の思いであった。
加えて、自分の書いている新神話の貢献の度合いに並ならぬものがあって、ここまでの礼を以て返してくれたのだという思いもあった。
新神話で設定した蓬莱島とは竜宮でもあり、下界とは無縁だが眺望できる治外法権の場であり、そこにいる神々とは、梵天、弁天、毘沙門天など四天王とその后、戎大黒などの七福神、さらには國常立神などの未来神である。
私はその神々に協力する以上、私に生前関わった母の安全を思い、こうした神々の総力を取り付けてでも、行ってもらいたかったわけだった。
むろん母一人でも十分に積善の徳によって高い境涯が約束されたとは思うが、高徳な割には恵まれぬ生涯と、最後を飾る葬儀のあまりに質素なありさまに、せめて神々の手で何とか賑わしくしてほしいとの思いもあって、殊更真剣に祈ったわけだった。
するとその夜を越したときの未明の夢で果たせるかな、驚くべき夢見となったのだ。
その背景になる場所がどこなのか分かったわけではない。ただ大きなホテルのようなところにいて、そこには何千のスーツ姿の人々がいて、エレベーターでみんなして屋上に出たら、雲海を見下ろす場所でご来光を拝していたというわけだ。夢にありがちな奇想天外な展開ではある。
そして、目の前に母がいて向こう(御来光のほう)を向いていて、やがて四人の取り巻きとともに、エスカレーター風の動く歩道に乗っかると、すーっと押し出されて、御来光に向けて母の一行は進んでいった。途中で導師のうち左の僧侶がこちらをやや振り向けば、メガネをかけた蓬莱道龍和尚だと分かった。
そして向こうに着いてとまると、母はこちらを振り向いて手を振ってくれた。
私もこちら側でみんなとともに手を振った。こうしてお見送りが終わると、またホテルの中になり、見知らぬ参列者とともにそこを後にして、公共交通機関を探して帰ろうというところまでの、けっこう至れり尽くせりの夢であった。
では、母が到達したところとは。それは蓬莱島でなくてはならない。
それは大丈夫だろう。その名の通りの蓬莱和尚がいたではないか。彼は母を導くために遣わされた弁天さんの命を受けた龍だ。ホテルにいたのは見知らぬとはいえ龍族のみなさんだ。
そんなふうに自分なりに思っていた。
しかし、さらに確たる証拠がPさんからもたらされようとは思いもしなかった。駄目押しの超シンクロとなった。
謎解きは飛躍的に進化発展する。
Pさんが御来光を撮られた方向。それは当時の御来光の方角からして、山頂から方位度91゜ほどで、ほぼ真東とみてよい。
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とすると御来光がかぶさる位置に、琵琶湖の沖島が位置するに違いない。沖島には蓬莱嶽と名づけられた島の山頂があり、しかも島内の神社は奥津島姫を祀る。
つまり、蓬莱山-蓬莱嶽は真東西で、ほぼ今頃のお彼岸近くにおいては、御来光が蓬莱嶽から立ち昇るように現れているのである。その筋道をまた蓬莱導師が導いていくとは、これ如何に。
現実に存在している沖島は、表象としての神界の蓬莱島に当たっており、そこは奥津島姫つまり弁天様の荒魂・本霊(分霊に対する)の御座所でもあるわけだ。
むろんそこから、奥津磐座のさらに延長上に、梵の全系・我々の魂の真のふるさとが御来光の中に遠望されているわけである。
西に阿弥陀仏の浄土なら、東に蓬莱山蓬莱島の神仙ありと謳われた神界伝説のまさに活在する、いと吉き処こそ琵琶湖。
夢に出てきた-
雲海がこのようなふうにも出るものなのか。
エスカレーター風移動道の段差さえも、御来光が湖面に反射して演出できるものなのか。
はあー。ただただ神のお計らいには、感心し感嘆するばかり。
万葉の神仙世界は今なお活在!!
造形の妙を尽くしてくださり、多くの応援をかくなる天象を以てお示しくださった蓬莱山の神様に深く感謝を捧げます。
そしてPさん。あなたのこのご尽力には、ただただ感謝いたします。
御来光とは太陽を写すことゆえに、うまくいくことのほうが稀なくらいなのですが、
ここにもすばらしい演出があったと考えるしかありません。
そしてあの夢のホテルには龍族だけでなく天狗系の方々やその他縁ある方々もおられたであろうこと。
ここに改めて御礼申し上げる次第です。

休憩タイム・夜話

私が前記事「休憩タイム」で最近まで流れていたNHKみんなの歌の 「hana」を取り上げたのは、実はさる2月24日の未明に、もう何度目か になる故母の夢を見たからである。(その前の母の夢は宵戎の日、その前は年末の28日だったか ら、少し間があることになるが、母存命中はほとんど見たことが ないから、すごいペースだ)
それはこんなふうだった。
けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段にフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。遠距離なのでたぶん二段構えなのだ。
場面は、一段目の近距離フェリー乗り場だった。通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのだった。
と、その途端だ。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはないが)だったせいで、ぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそこのまぶしいものだったため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのだった。(たわけた夢ではある)
少し経ってから、hanaを何気なく見て、hanaの映像の列車に同席する思 う人との情景が夢のフェリーでのビジョンと似通っていたので、この映 像をYouTubeに探し当て、前記事に据えたような次第だった。
むろん hanaには、現在生きている最愛の人がメインとしてこめてある。この人との縁は不思議の連続であり、8年前に花の写真を贈ったことに始まり、フラワーセンターでいっそう思いが深まり、今は最初に贈った写真の実物の花の鉢を手に入れ、花を咲かせてから贈ろうと思っているようなことだ。
では、どうしてこの夢のことを特筆したのかといえば、「おい、冗談よしてく れよ」と目をそむけたほどのまぶしい肌だったことによる。
顔は仏壇の上に掲げている今ぐらいの母の顔。楽しそうな顔でもなかったのはなぜか分からないが、素肌はまったく若いという印象だった。
以前、故祖母故母共演の夢を紹介したことがあった。このときも祖母 は顔こそ祖母としてのそれであったが、肌は透き通り皺一つなかったのをまじまじ見ていたわけだ。
ただし、坊主頭に黒地の、寂聴さんが着ているような僧侶服を着て おり、それはまたそれで、私が祖母をイメージして書いた童話「たつえ おばあさん」の説法する祖母のイメージ像に近かったことに驚いている。(祖母の夢はこれが最初だったが、二度目はまた間もなしに見ることになる)
となれば、夢は見た者の願望の反映ともとれるが、私がむしろ持ったの は、死後の世界とはこのように、みんな若返ってそれぞれの思い通りに 活在しているものなんだという思いであった。
しかも、我々の認識している世界とは、ほんの薄い壁ひとつ隔てただけ の(意識を浅い睡眠に落とした「浅き夢・酒に酔ったような」)ところに あると思ったようなことで、これもまたhanaのイメージにあって、私の心象風景とは絶妙のシンクロ映像となっていたわけである。
こんなことを思うようになれば、あるいは生者よりも死者の夢ばかり見 るようになれば、もう先が近いというのも道理かもしれないほどに、最近は眠りが摂りにくく心臓が弱っている感もある。
しかし、死は私にとってなんら怖いものではない。生前の記憶をなくし て、すっとフェリーに乗っていたりして、続きのビジョンである旅を夢 見ているのではあるまいかと思う。
冒頭の()内の昨年末の夢には、なんと祖母とさらに28年前に亡くなった 父まで登場。しかも、農家の旧家のような広い間取りの畳敷きで、それ ぞれが明るい別の部屋でコタツに入り、テレビなどを見ていたようなビ ジョンだった。
どうして生者の夢をさほど見ないのに、死者の夢が多いのか。
これも何かの知らせかと思い、ジュセリーノなどの話なども総合して、直後に田舎物件でも探そうかと情報集めしたようなことだった。
少なくとも生前立派に生きた祖母や父母にとって死は、巷に噂のアセンションではなかったかと思える。
噂には、アセンション後の世界は、死者との交流もできるという。
多少奇想天外な世界になるかも知れないが、私は夢見でそれを先取りした気分に浸っているような次第だ。