歳時記的には七夕

-涙雨お気に召さぬや父君は 日子は丑負ひ日女は波多居る-
新暦とはいえ七夕とはなると物憂い気になるのはいかがなものでしょう。
うぐいすは鳴いておりましたが、かささぎの兆し未だなく・・・。といったことなのでしょうか。
かなり昔ですが、奇妙な夢を見たことがあります。
何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口でパンフレットをいただくのです。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きなグランドです。
野球場か円形競技場といった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、私は手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルですから、まるでマンガのようでありますが、その当時あのマンガがあったものかどうかは不明です。
と、その前に、右側ですから一塁側観客席とでも言いますか、に、けっこう太目の白銀に輝く十字架がたくさん重なり合うように、その場を埋め尽くしていたのです。
それを横目にして、私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は上空へと揚がっていきます。空からは微妙な天楽(コーラス)らしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出して、上昇を止めました。そのとたんに、目が覚めてしまったようなことでした。
さあそれから最近になって、といっても十年近く前ということですが、その夢の話をさせてもらった人から、折り返すように衝撃発言が・・・。
ある精神修養の道場で以前同席したという、アメリカのBさんという女性が、かつてロサンゼルス(かサンフランシスコか記憶が薄弱)の野球スタジアムの外を通行していたとき、スタジアムの中からたくさんの十字架が空に向かって揚がっていく様を目撃(たぶん幻視)したという話をしてくれた、というのです。
その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話をしにいくわけにもいかず、その程度で終わっているわけです。
その地は、大昔にウシトラノコンシンを奉祭した九鬼氏の本拠地だったというのは、後に知ることになったようなことでした。私は大本教の信者でもなく、ただ通りすがりの部外者ではありますが、いつしか不思議な機縁の環に取り込まれたのかも知れません。
金神の渡る橋というものがあるそうな。
まあそのような畏れ多い伝説は別として、七夕は七夕として愛でましょうや。
-かささぎの渡せる橋のいと細き 中立ちすくみて二の足も出ず-
なんて見込みの良くない歌ばかりなのか。
というのも、そのような夢も見たものですから。
私の行くべき神社がそこにあるのですが、こちら側から渡す朱塗りのアーチ橋を渡ろうとして踏み入れると、橋が模型のように小さくなり(あるいは私が大きくなったのか)、片足置いたら満杯になって立ちすくんで目が覚めたという夢です。
しかし、時間はいっぱいある(あった)わけでしょう。
-一年に一度廻りて成せし子の 数や集ひて天の河なる-
この時期、神話に思ひを置くも、また良かれかと。