次はいつかきっとさんが別バージョンとしてしていた画像イメージによる新聞交信でもたらされた結果の写真集のうちの”何とはなしに異界に対して提示した”写真画像集の最初の一枚である。(このジャンルのものが21枚ある 6枚目が抜けているが)
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なぜ上記の一枚を取り上げたかというと、その最初のイメージ対比に驚いたからだ。
ぱっと見れば、他と比べてこれほど乖離した対比もなかろうと思われる。
だが、これは私にとっては一瞬にしてぞくっとくる代物だった。
私はマリア像の実物を見たことがない。写真ではままあるが。
しかし、2004年に摩耶山にUFO調査に行ったときに、新造された”摩耶山とうり天上寺”の参道脇にあった、麻耶夫人の子供を抱いて佇む像を、建物のガラス越しに見ている。(写真はここから借用)
それは麻耶夫人というより、キリストを抱くマリア像のイメージであった。なぜなら、麻耶夫人は釈迦を右脇腹を破って産んだわけで、その直後に亡くなっているはずだからである。
これは近世にインドから贈られた像であるという。だからとはいえ、伝承を度外視してマリア/キリストに懸想しているのはいただけたものではない。また、中を覗き見たときの気持ちは、私からすれば、ただ不気味の一言であった。
どうして、こうした建物内のマリア/キリスト像は気味が悪いのだろうか。おそらくマリア像をじかに見ても、私は不気味さを催すだろう。それが血の涙を流すなどと聞けば、奇跡と讃える以前に、物の怪憑きの気味悪さを感じないわけにはいかない。
そして先日にはコメンテーターさんから、キリスト虚構説のビデオ紹介があり、マリアとともに作られた虚像の可能性を見て、むしろこれらの存在が全否定できて、安堵したようなことであった。
そもそも陰湿な建物内に不気味に佇むキリストやマリア像のどこに神聖さなど感じられようか。私には不思議でならない。わざわざ磔にあったその土台や血液をシンボルに据える宗教など、どこかおかしいに決まっている。
そんなとき、上の写真のマリアの不気味さと洋式戸棚の写真対比を見たとたん、2004年に天上寺で見たイメージとダブったわけで、この部分に関してだけは、異界からの私宛のメッセージに違いないと受け取ったしだいである。
では、異界はいったい私に何を教えようとしているのか。
いま分かっていることは、虚構であるところのキリスト教文化の暴力的ゴリ押しによって、幾多の先住民族の文化が抹殺され、数多くのシャーマニズムが封殺されたこと。
それを仕組んだのは政治権力と結びついた秘密結社であり、すべては彼らの世界支配のための嘘八百と、時間と空間にわたって支配しようとした意図であったこと。それは有史開始から、重箱の隅をつつくくらいに詮索好きな科学万能と言われる今でもなお続いている。いわば公然のタブーなのだ。
同様のことが日本の古代にもありえたことを、摩耶山の伝承は教えている。
私がオバQを撮った摩耶山頂の天狗岩の祠の傍らに、三角寺と書いた朽ちた看板が掛かっていた。ここに三角寺という寺でもあったのか? あまりに奇抜な名前の寺に、調べてみようという気になった。というのも、私は三角形の幾何学構図が古代の謎解きの過程には必要と考えていたからだ。その幾何学はもろに秘密結社の古代からの跳梁に結びつくわけである。
どうやら、三角寺という寺は摩耶山にあったわけではなく、四国の第六十五番札所の三角寺のことを示しているらしいと分かった。関連は、安産と子育ての守りという共通項である。でも、何で四国のものがここに看板されているのか?
天狗岩の由来は、麓から摩耶山に上がってきた僧によって、この山に生息していた天狗が岩の下に封じられたということからその名がつけられているという。
では、天狗を封ずるほどの法力とは。
それが三角寺を開いた空海の、閻魔大王をも封ずるという三角護摩壇法であったことが想像できた。
善行のみに終始したと思われがちな空海の事跡。果たしてそうだったのかどうか。
そのことに関して、四国の三角寺伝承の研究者からこんな話が出ていた。
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第六十五番札所・三角寺
三角寺というちょっと変わった寺号は、三角形の護摩壇に由来する。ガイドブックはどれを見ても、弘法大師がここで降伏護摩壇を作って秘法を修したとか、降伏護摩の法を修めたとかいう似たような説明である。わかったようなわからないような、つまり何のためにそんな恐ろしいことをやったのか、肝心のところが書かれていない。降伏護摩とは、敵の破滅や征服を目的とする、いわば戦いの呪術のことである。寺の縁起ではそこのところを、弘法大師巡錫の折、国家安泰と万民福祉のためにやったと、これまた意味不明の説明になっている。
これでは伝説の底にある真の意味がわからないし、大師信仰のみならず日本人の信仰の核心部分が見えてこない。つまり、ここにはあるべき敵の存在と、大師が守ろうとしたものが何であるか語られていないのだ。であるから、しばし私といっしょに伝説の謎解きに挑んでいただきたい。
ここに一つのヒントがある。それは先ほどの弁天池に龍王が現れて弘法大師がそれをご覧になったという『四国遍礼霊場記』にある話である。しかし、あとは何も書かれていない。第二ヒント。三角寺の奥の院を「仙龍寺」といい、その山を「龍王山」と呼んでいること。第三ヒントは五来博士の指摘にある。博士によれば、三角寺の縁起には大師に追いつめられた悪い龍が降参して里人のために「水」を出すと約束した話が抜けているという。
これで、お判りであろう。大師が調伏した敵とは、龍王山に棲む龍であり、追いつめたのは水を奪い返すためであったことが推察できる。
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と、この研究家は結論まで推敲してくれているわけである。
だが、重要なのはその是非ではなく、
彼がいみじくも指摘する「伝説の底にある真の意味」「(古代)日本人の信仰の核心部分」「あるべき敵の存在と、大師が守ろうとしたものが何であったか」 これらが見えてこないことなのだ。
私はむしろその部分のほうを推敲する。
すでに本にもしたように、大師もカバリストであった。つまり古代日本の宮廷を、当時すでに席巻していた秘密結社の一員だった可能性がある。⇒ 空海もカバリスト
だから、多大な渡航費用も得られ、朝廷からの開山にかかる様々な許認可を得るのにさほど抵抗はなかった。
しかし、それに値するだけの働きもしなくてはならなかった。それが先住のシャーマニズムの駆逐であったと解するのだ。だが、それは殺人以上の殺生であることは紛れもない。場合によっては、何千年も霊魂をそこに封じ込めておくわけだから。
秘密結社が作るものは虚構でしかない。キリスト然り、古来からの神々の構図然り。その虚構で以て真実を覆い隠し、人々に真の利益を得せしめないように仕組むのが彼らの手口だ。そして虚構こそが本物と誤認させて、世界の歴史を真実の路線から逸脱させて、人類を終局まで誘導しようとしているわけである。
その戦略の遂行には武力を専ら用いる。死者には呪力を用いる。空海の三角護摩壇法などは呪力の最たるものだ。摩耶山に天狗退治に上ってきた僧が空海であったとしてもおかしくはなく、天上寺に麻耶夫人像を奉納している時期とどう違うかだけである。
歴史は武力暴力による勝者の思うがままである。勝者とは古代からずっとこのかた秘密結社というのが真相である。となら、後世に渡って、空海の光の側面ばかりが強調され、闇の部分が隠蔽されたとしても不思議ではない。
私はむしろ、聖者は悪業の側面を大量に伏在させていると見ている。いわば偽善者というわけだ。ナザレ男に次いで空海においてもそうかと思うと、妙に納得して安堵してしまうのはいかなることだろう。
そんな中で、昨今ようやく飛翔の自由だけは回復したか、麻耶天狗の飛行するさまがUFOとしてビデオカメラに幾多収まっている。形を見ると、まだ三角の呪縛に閉じ込められた感はあるが、まもなくそれも解けるだろうという感を持つ。