講釈・・・プログラム時空論の応用的解釈

プログラム時空論を語るに当たって、いくつかの局面を例に引いて説明していこうと思う。
● よく寄せられた質問に、「どこかにアカシックレコードの存在する図書館のようなところがあるのか」というものがあった。
そう。あると考えたい。かつては、霊水闇淵の表を覆えりに形容されるようなホログラムの状態として存在し、プログラムの多次元データーベースとして任意の検索に供されていたと想像する。
それが新しい時代には、テーマパークとしての具体化がいっそう進み、かつての試行錯誤的様相を呈していた地球の歴史が精選されて博物化され、ちょうど図書館の最新読書システムのように、任意の人物や生き物の”なまの歴史”を選び取ってきて、意識体験AVR装置にかけて、一炊の夢の如く、その歴史を実体験するといった教育システムが出来上がっているのではないだろうか。(新神話にはそう設定した)
たとえば、私・奥人の人生にもしも向こうで著名な意義があったなら、私の人生のプログラムは、けっこう利用客のリピート需要が多いかもしれない。そして私の実体はもしかすると、「何だ、この人生、思ったほど大したことないな」などと思いながら、この男の日々を体験している利用客かも知れない。
その図書システムを利用する者には、ちゃんとしたガイドがつき、彼の体験過程でトラブルが発生しないように、計らわれているという具合になるだろう。
おおかたの人に守護霊がついているというのも、すでに新しい時代からエントリーして来ている可能性を示唆するものではないだろうか。
しかし、実際に夢の中で図書館のようなところが出てきたというケースがあったとしよう。それはもろに上記の意味になるかも知れないが、いっぽうこういうことも理解する必要がある。
すなわち、原型的なホログラム的データーベースも、観測者の認識までの過程に、予備知識による修辞がかかり、そのものずばりでなく、自分の理解できる形に捉え直してしまうということがあるというわけだ。つまり、予備知識によって歪曲された観測結果を得てしまいがちになるということ。現実においてさえひねくれて見てしまうのに、夢においてはなおさら言わんやというわけである。
● 臨終時の原型的手続きは、ある要素において誰しもおよそ共通するという。すなわち、死の直後にお花畑のようなのびのびとした空間に出る。そして、水域を見る。それを向こうまで超えて渡ろうとする、といった手続きである。
その場合においても、誰もが同じ種類の花畑に出るわけではない。くつろぎがその本人にとって得られる花や全体的光景として眼前に観測されるというわけである。
水域も小さい川や池であったり、あるいは大洋である場合もある。水が象徴的に下界での穢れの浄化を示す手続きとして設けられていると考えられるが、本人はそれを理解の便宜になる修辞を加えて見ることとなる。
● 催眠術にかかった被験者は、ニシキヘビを手渡した術者の「さあ、いまタオルを渡しました。それで顔の汗をぬぐってください」の言葉に、ニシキヘビを完全にタオルに見てしまうようなことが起こる。
もしこのとき、AとBふたりの被験者がいたとして、Aにどんなタオルか質問したなら、Aは「どこそこの会社のマーク入りの白です」と答え、Bは「水色一色のタオルです」と答えながら、顔にニシキヘビをなすりつけていることだろう。
これが修辞の原理であり、彼ら被験者はそのとき、しっかりとプログラムのデーターベースから、該当するプログラムを引っ張ってきて、予備知識で修辞(演算)しながら実行観測しているのである。
後で気が付かされて、場内の爆笑を誘ったとしても、彼にとっては、置き換えられた経験が本物の実体験となっている。
このように、プログラム時空論に従えば、実体験のように思えるものも、意外と単なる幻影に類したものであることが理解できるであろう。

「講釈・・・プログラム時空論の応用的解釈」への6件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    ありがとうございます。
     内容は、自分の現在の認識レベルでは、よく理解できるものと感じています。
    ホログラム、プログラムといういわゆる理系の用語・機能の説明は、現実認識として違和感の少ない表現ですね。
     アカシックレコード:ホログラフィックデータベースシステムに関しては、比喩というより、大枠はそのものずばりという感じがします。(すごいと思います)
    人間の魂は、自己増殖的・超大容量の多次元磁気ディスクのようなものでしょうか。
    生体:コンピュータへのインストールにて活動を開始しし、体験でプログラミングも合わせて記憶してゆくような。生体が自己容量に会わなくなった場合は、生体をバージョンアップするか、別の生体への移行が行われる・・。みたいな。

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    あなたの理解に相応しいようにしていただければと思います。
    身近なモデルを使った比喩の概念ですから、実際を考えてもらうときには、いろんな要素を付け加えて、概念を太らせてもらうべきかと思います。微分形のため、積分してもらうような感じです。
    生命はメカで模倣できても、その間には大きな開きがあります。それが求められなければ、生命の本質は見失われるので、この辺が注意されるべきところでしょう。

  3. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    奥人様、Pです。
    しっかりとブログを拝読させていただいております。やはり、このブログにはシンクロと気づきがあるように思います。まず、自分にとって神話の世界の知識を吸収することが必要であると気づきました。これはあたかも、誘導されているが如くです。そこで、古事記・日本の神々・カタカムナの資料を読み始めております。「カタカムナ」=「現象の物質世界の背後に存在する目に見えない無限世界の主」(「カタカムナ」の謎 深野一幸著)片仮名=(ニヤリーイコール)カタカムナ カバラ数秘術のような音による解読法は、自分のバックグラウンドで十分理解できる世界です。
    奥人様の新神話での対抗論に入り正直難解な部分も出てきましたが、アーカーシックレコードでは少し広がりのある考えが出てきました。かつて私は、現世利益的ではありますが、就職氷河期に就職試験の難化に伴い、記憶力の増強をはかるため求聞持聡明法(真言宗)を修法したことがあります。といっても一日100万回も真言を唱えていると勉強ができなくなるので擬似的なものでしたが。修法にあたっては、アーカシャガルバという神の座像を前に結跏趺坐を組み、ひたすら真言を唱えるのですが、この神こそアーカーシックレコードの象徴だそうです。当時は、記憶の増大のためだけに実施しましたが、過去・現在・未来の記録の保管庫であるわけで、今回の議論に大きく関わっているのかなと思いました。ジュセリーノやこのブログの投稿者が、金色の光が飛び込んだと言いますが、空海も求聞持聡明法の究極において、明けの明星金星が口の中に大爆音と共に飛び込んだと言います。未来を予知したり、あるいはその旧神話的確定性を排除して、新神話を構築するなどの話は、この部分と大きく関わりがあるのかなと考えております。最近の奥人様の議論は、ルネッサンス的なものも感じております。旧神話に対抗して、新しい軸をうち立てるには、ルネッサンスのように人間性の復活や創造性、神と人間の対等なやりとりなどが必要だというように受け取れるのですが。それについて、私は今とやかく言える立場にはありませんが、かくも勉強になっておりますということは御報告申し上げたいです。神とは何か。神々とは何か。人の心に内在する神の可能性はどこまでか。など疑問は尽きることがないのですが。とりあえず、感想と御報告でした。

  4. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    Pさん
    楽しくまた心地よく読ませていただきました。このような分かり易い名文には久々に出会う気がします。
    それに対する回答としては、粗雑で拙く失礼なものになることをお許しください。心地良いと、ちびりとやりたくなりますもので。
    お歳がどれくらいか存知上げませんが、柔軟に知識の吸収できる間にこそ、たくさん読書し見聞し、自分の糧になさることかと思います。
    私など自分勝手ばかりして、気がついてみれば、井の中の蛙になってしまっていたような気がします。気がついたときには、何か一冊読もうにも眠気が先んじて、字面を追っているだけのことにしかなっていないような。忘れっぽくなっていますし、どんな比較資料が出されても、何がどう違うのやら、回答に窮してしまうといったようなことになりがちです。
    カタカムナの文献は、見たことがあるかどうか。解釈したことはむろんないですね。
    数年前に友人が、古事記をやった腕でこれを解釈してくれと、ホツマをの分厚いコピーを持ってきましたが、数ページめくっただけでツン読の始末です。まあIQも相当低下したなと思っています。
    ま、そういったわけで、知識に関しては趣味の域をまったく脱していないと思います。ただ、シンクロに導かれるように、どこかの神さんの下請け作業などをやっていたのかもしれないと思っているような次第。そうでなかったら、今まで趣味にしてたのは何だったの?ってことになるでしょう。UFO撮影やるにしても、カメラ代やらテープ代やら、かかってるんです。時間もずいぶん使いました。せめて、阿呆みたいなアウトプットぐらいは、大声上げてやらせてもらいたい心のオタケビ、分かってくれますでしょうかね。
    ちょっと焼酎をぐびっとやらせてもらいますね。ストレートは最高。
    Pさんは、先達の築いた公式を用いられているようですね。それが先達にとっても、効率的で危険性がないというお考えからなのでしょう。
    私も、昔は本の通りやったものです。いちばん最初は、バトラーの「魔法入門」でした。よもやという人(戦国大名の研究家)から文庫本の古本をいただいて、それが機縁になったんです。シンクロ啓発の始まりのようなことでした。
    このときに、付録の呼吸法をやったんですよ。瞑想ブームもあって、しばらくして知ったピラミッドと組み合わせてやってみたようなことでした。自己流もいいとこだったのですが、UFOとドッキングしてしまったのにはびっくり。意識の深いところには神秘があると思ったことでしょうか。ビギナーズラックで、二度とありませんでしたけどね。最初は真剣になるからか。バトラーの文はあなたの文に似て格調高かったです。
    それから、あるヨギの自叙伝に書かれていることに驚いて、スリ・ダヤマタさんのとこの英語版の通信教育を受けましてね。クリヤ・ヨガを学びたかったけど、英語の翻訳でギブアップ。今では日本語版も完成してるんでしょうけど。
    とにかく、洋の東西に似たような瞑想法があることを知ったようなことでした。魔法、仙道、ヨガ。みな大同小異のような気がしたのは、おそらく違いの分からない素人だったってことでしょうか。それとも、古代世界の普遍的な科学だったのでしょうか。
    何もこうでなくてはならないという決まりなどないのではないかと思い、今は要点だけを見繕っての自己流となりました。それも今は、すぐに眠ってしまうので、やっていませんね。
    しかし、たまちゃんや白龍さんを瞑想するときには、イメージ瞑想ですからね。たまちゃん、すごく元気になるようですよ。白龍さんも、私に愛される夢をよく見てくれてます。意識がいつのまにか飛んでるんでしょう。
    いっぽう、空を瞑想するのは、暑くてぼーっとした今頃が最適ですね。夏も楽しみにできなくてはなりません。いずれ、こればっかりになったりして・・。そして仏に・・。[絵文字:v-39]
    求聞持聡明法で賢くなれるようなら、やってみたいですね。空海のやり方を修してるのは、阿含宗でしたか。
    なんせ今は、アルツ[絵文字:v-10]道に入門しつつあるようなことで、何か対策が要るように思っています。
    >アーカシャガルバという神の座像を前に結跏趺坐を組み
    イメージを持続させるだけで、すごいトレーニングになるように思いますね。結跏趺坐ですか。私など、脚の関節が歪んでいて、胡坐すらまともに組めません。やるなら寝転んでやるのが楽で、そのまま眠ってしまうのが常です。
    >空海も求聞持聡明法の究極において、明けの明星金星が口の中に大爆音と共に飛び込んだと
    これって、UFOってことないですか?
    昔人だから、金星ということにしたんでしょう。
    私なら、太陽のようなUFOだったってことにしますね。UFOは映像で来ている可能性があることを、このときはっきり知ったような次第です。
    それにZPでは、大爆音と共に金縛りが起き、OOBの態勢に入ったりします。ヘリが間近にいるような、宇宙原動機の音とも言われていますが、脳内の電磁音なのではないでしょうか。
    インナートリップのいろんな可能性のあるゲートポイントのようですね。その点、空海はもっとすごいトリップをしていると思いますよ。
    >旧神話に対抗して、新しい軸をうち立てるには、ルネッサンスのように人間性の復活や創造性、神と人間の対等なやりとりなどが必要だというように受け取れるのですが
    私的にはそのような高尚なものではないと思ってるんですよ。こんな酒呑んで余勢をかう所業に、ルネッサンスの格調高い香り[絵文字:v-254]など。
    ただ、現状の人類が、神への屈服に傾斜してしまっているようで、それでは神の試練など克服できないのではないかといった思い。
    それと、新しい神仙観に触れ、正神と邪神の対立軸の存在を知ったこと。
    そして、古事記の解釈オンリーですが、神話が歴史を規定するという事実ですね。なぜなら、人類史は未だそのシナリオから一歩も出ていないですから。きれいに虜になってます。
    その三者が論理的にうまく組み合わさったことと、そして導かれるようにして、不思議なことがシンクロしていったようなことです。
    しんどいのに、あちらからシンクロが勝手にやって来ます。すると、勝手に心がワクワクして新神話でリンク付けをする。繋がるとまたワクワクして。その繰り返しでした。
    東洋魔法に言う「兆・脈・境・見立」のサイクルを行っていたことを知ったのは、かなり後でした。バトラーの西洋魔法に始まり、いつしか東洋魔法へと。どうですか、洋の東西を股にかけるこんなルネッサンスは。
    そしていつもしんどがっていたにしては、内心楽しかった。もしかすると、私の創作の気持ちだけは[絵文字:v-91]ミケランジェロに似てますかね。
    ごめんなさいね。どうも名文には弱くて、こんな冗談めいた失礼な回答しか返せない老ハイドです。
    [絵文字:v-91]M総合さんもかなり名文だったから、心のひねくれた私はよく老ハイドしてしまったなあ。こんど謝っとこう。

  5. SECRET: 0
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    奥人様
    あまりに素晴らしい回答なので、思わずメールしたくなります。御誠実に色々ありがとうございます。多分、私の方が保守的で頑固なのでしょうか、先達の築いた公式を用いるというのはその通りです。私の最終的な姿勢は、サティア・グラハ(真理の把握、ヒンドゥ語)というガンジーのスタンスになろうかと思います。その中でこれまた俳句用語になりますが、不易(時代を経ても変わらない真実)を重視します。仏教にはそれがあります。2500年経ってもまるで色あせない素晴らしい教えに触れることができます。どんな罪人でも教えを実践すれば悟れることが示されているというのは、本当にありがたい教えだと思います。
    かなりご謙遜されておられますが、相当に色々な教えや知識を実践し、トライアル&エラーを繰りかせされておられますね。その事が本当に良く分かります。私自身は、苦労や失敗しか人を育てないと思っておりまして、奥人様の失敗を恐れないような数々の挑戦に対し、改めてここに敬意を表するものあり、そのことが懐の深い言説に結びついているのだと思います。
    また、私の拙い文章を名文とか仰いますが、奥人様のメールは、そういう酸いも甘いも知った経験から、深みも切れ味も相当のものがあると思いますので、そう言って戴いて素直に嬉しいです。
    仏教にばかり触れてきた私は、実際神がどういうものなのかわかっておりません。今考えていることは、仏教では、神(絶対神、創造神)を「法」=「宇宙の法則及びその設計者」と捉えているのではないかと、自分なりに解釈しております。そこで自分的に引っかかるのは、「諸法非我」という教えです。もろもろの宇宙の法則(神が作りしルール)は、人のレベルの我執とは根絶した絶対的なものである、という教えですが、これは「人の心無常なり」などと並んで仏教では重要な教えなのです。古事記を中心とした神話論を深く研究されている奥人様からすれば、人がそのストーリーの域を出ていない、新しい可能性を模索すべきだという部分に共感と希望を抱くものでもあります。また、集合意識の塊が、アーカーシックレコードそのものであることを考えれば、その意識が変化すれば未来も変化するはずという考えも、真理かなーとも思えます。しかし、神のやろうとすることがあるとすれば、人が何処まで関与できるのか、して良いのか悪いのか、あるいはその能力があるのかないのか、そこに一定のためらいがあり、正直今のところノーアイデアなのです。
    新神話論では、他者のアーカーシックレコードを気楽に体験できるという風なことが書いてありました。益々の具体論を拝聴したいです。仏教でも、先の求聞持聡明法を完全マスターした弘法大師空海は、他者の経験も即座に体験して、その魂を救う手段として使っていたかもしれませんね。
    私自身は、今のところ60億もの人間が、欲望を増長させる社会というのが臨界点に達していて、これをこのままの状況で理想郷に変更するのは、自分も含めて相当にむつかしいと思っております。ダウンサイジングが必要だし、持続可能な生活が一体どういうもので、それを皆が実行できるのかという部分に疑問を持っております。さりとて、最近NHKでやっているような核戦争による文明の終末などはまっぴら御免です。一つの生命体でもある地球が、神の関与も得て、自然災害などにより文明に揺さぶりをかけて、それが終末のきっかけとなるのではないかというのが一つ自分の信じているところではありますが。
    私は、一つのことを信じるとそれが真理かどうかとことんまで追究する、浮気のできない性分です。そうした認識が誤っていて失敗したとしたら、素直に方針転換する、それしか自分にはないのかなーと。今はそんなところで、喫緊の警告を受け止めようと考えているところです。
    人間の集合意識を変えられる可能性のある、奥人様の命をかけた新神話論に今後も期待しております。

  6. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    Pさん
    やはり名文です。これはあなたの普段からの丁寧さや落ち着きから来ているかと推察いたしました。
    >不易(時代を経ても変わらない真実)を重視
    今朝は久しぶりに長夢を見ました。行ったことのない日本の遺跡巡りをしていたのです。
    ちょうどまもなくのお盆に相応しく、霊場巡りのようで、多くの観光客と行動を共にしているのです。その中で、縁を育めたような人もいくらか。
    夢ではありましたが、目が覚めた後、胸の中に熱いエネルギーを感じ、新生の朝を迎えた気持ちになりました。
    人の多いときの霊場観光というのは好きではないのですが、不易の重視の心に共通するものを感じました。
    人の多く拠り所とする道は洗練されていると。
    霊気のパワーに溢れていると。
    そこには心温かい安心感がありました。
    森山に篭らずとも、市井こそが花の山と。
    トライアル&エラー。この繰り返しにさえなっていないですね。呼吸法に共通性を見出し、その域止まりといったことでしょうか。
    >「諸法非我」という教えです
    諸法は我とは無関係にありますが、なぜか我はその中にあります。そして心を量子運動のように変化させています。
    我に非ざるものに囚われて止まない性質。人に処方できるものではないとすれば、先人の探求は徒労でしかないことになりますが、そうではありませんでした。
    諸法は絶対的に在るものとしても、それと我を無関係に置くのでなく、我と諸法が同化したとき、仏になるのではなかったですか。
    >神のやろうとすることがあるとすれば、人が何処まで関与できるのか、して良いのか悪いのか
    諸法と無関係の立場をとろうとするのに似ていますね。その中で否応なく転がされている我がいるのですから、私としては関与すべきことのように思います。
    諸法や神への屈服が私には我慢できないのかも知れません。とんだ孫悟空です。
    そしてアカシックレコードを変えることはできないにしても、私が経験しつつ一意に決まるのは過去であって、未来は無限分岐しています。その方向をどのようにするかで、予言されたレコードを回避もできると思うわけです。
    科学も定義づけで、その説を確かなものにしようとします。いつの日か覆る説であっても、果たしてその局面において真理でないというわけではありません。
    私も、大いに仮説し、確かなものにしようとし、その局面において仮説を適用し実行します。もしその局面の中で真理なら、新神話によって世界は救われることでしょう。
    救済が終わってしまえば、新神話はもう何の用もなくなるのです。一時の真理を用いて効果を揚げること。それが無常の中に置かれた者の特権ではないでしょうか。
    >他者の経験も即座に体験して、その魂を救う
    リモートビューイングするタイプの霊能者には実際用いられているようですね。ケーシーもそうだったのでしょう。
    新しい時代は、そのような能力者がいっぱいいるという感じではなく、ちょうど今の世界に似ていますが、生命科学と精神科学が発達し、アカシックレコードが任意に参照できる教育設備が設けられ、人々の啓発に役立っているというわけです。
    その発展の先に、心で会話するようになり、不正の根がなくなるということで、真の宇宙文明と言えるものになるでしょう。それが梵天のプランした新時代構想です。
    それこそ、無常の中に置かれた人々のできることではなく、正しい神々の復活復権によって可能になるのです。
    >人間の集合意識を変えられる可能性のある新神話
    神話を換えれば、アカシックレコードも変わります。もちろんそれもすでに全貌の中に用意されていたこと。その方向に舵がきられるというわけです。

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