魔術と称して公然とガラスの壁を通り抜けてみせる人々が出てきた。
あるいは、食物を一切摂らずに生き続ける人々が出てきた。
そういう不思議な人々がてらいもせず、公開の場に現れて自己主張するようになってきている。
昔は聖者が非公開で特定の人を啓発するためにしたものだ。そして、その核心を問おうとすると、神がお許しにならないとして拒否したものである。
だが、今の時代はかつてとは異なる。聖者らしくない人々が公然と奇跡を衆目の前でやってのけるのだ。
彼らが神に許されたとかいった話をしないのは、かつて秘匿を命じていた神がどこかへ去ったのか、あるいは神が寛容になったからなのだろうか。
神はかつて、人は人として生きるべきであるとして、神的な素質の発現を封じていたのである。ご多分にもれる人にはかん口令が敷かれていた。だが、今はかつてとは違ってきている。
ホピに依れば、すでに次の時代の種子が人類の間に芽を出してきているという。ニューエイジ運動というのは思潮だった。その次は、人がその持てる本質を余すことなく表現する時代を予感させる。
カバラは、かつて人は本質的に神であったと言う。だが、その性質を忘れて久しく、わずかにご多分にもれた人の出現によって、自分の可能性が希望的に推測されるに止まった。
カバラに言う。原初の頃、神界には創造過程においてトラブルがあった。神の一部がはじけて、神の火花となって闇の領域に落ちてそこに囚われてしまったと。闇に棲む悪魔は、生気をもらい生きながらえるために神の火花を解放しようとしないのだと。
またカバラは言う。この現象界はサタンが支配していると。
総合すれば、人を人として生きることの中に閉じ込めてやまなかった神とはサタンのことになる。
今は世界の終局が予感される混沌の中にあって、サタンの影響力も弱まっていて、復権する人が増えているような感がある。