これは前の話である。
https://uumusou.blog.fc2.com/blog-entry-61.html
この話の続きのようになるが、猫同士はどうやらテレパシーで会話しているようである。
ほんの鼻先を突き合わすだけで、どんな餌が私からもらえたかとか、どこの場所に行けば心地よいとか、どんな事件が(喧嘩が)あったかなどが一瞬で分かり合えているようである。(そのように思えてならない)
よく、猫の集会などがあるが、鳴きわめいたりしているのではなく、複数でじっと向き合っていることで、会議をしているのである。
森の動物同士でも昆虫同士でもそのようなことがあるようだ。互いに他を捕食しなくてはならない定めがあるとしても、必要なだけというラインを取り決めているふうがある。
この山奥にやってきた2009年の夏、寝台のすぐ横にすりガラスの窓があって、夜になると電灯の明かりに寄せられて蛾や様々な羽虫がやってきて、ガラスの向こう側のつるつるした面にへばりつこうとした。
蛾などは体重のせいでずり落ちそうになるのを、羽ばたいて維持しようとして、ちょうどストリップダンサーがこっちを向いて踊っているように見える。蛾がたくさんきたときは、さながらラインダンスのようである。
そんなある夜、カマキリが一匹闖入した。まさに蛾を捕食しようとのことだろうと思って注視していた私は、みごと当てが外れた。50分もの間、見ていただろうか。カマキリはいろんな蛾との間合いを詰めては、蛾とともに上下動していたものの、一度として鎌が飛び出ることはなかったのだ。
私は即座に悟った。といっても、かなりぼおっと見ていたのだが。
「そうか、お前たちは昼の労働が終わって、この世の短い余生をこのディスコ会場で楽しんでいるのだな」と。
しかし、私も夜十時も回れば眠くなり、「はい、今夜はここでお開きだよ。また明日おいで」とひと声かけて、電灯をオフにした。
なんだか、エデンの園というのは、みんなメルヘンの国の住人になったような世界なのだろう。
それがすぐ窓の外に広がっているように思えたことか。
彼らはどうやってコミュニケーションしているのか。テレパシー以外にはないだろう。私には、テレパシーが醸す無言と静寂が、なんとも優しく思えて、いいところに替わってきたなあと、しみじみ思ったのだった。
2009年の5月の終わり、森の中にまでホタルが飛んできていた。夜に窓を開けると、青白い明滅する光が、木立の中から立ち現われては消えた。メルヘンじゃのう。昔はこうだったよなあ。しかし、ホタルが家の中からでも見えたのは、引っ越したその年限りであった。
その後、この地の蜜蜂たちと仲良くなり、私のこいたおしっこをよく飲んでいた。
ハルンの池に集い来よ、と詠いながら、一定場所にこいてあげた。
https://youtu.be/WpZdxPbqaGc
最高で10匹もその場所に集まって飲んでいたなあ。
時には催促に来る蜂もいて、このときはちょっと玉ゲタ。
https://www.youtube.com/watch?v=Sn9jFQnA1z4
そんな仲良し時代も、とうとうバレてしまったのか、いちど手をちくっと刺してから、もう来なくなってしまって、二年ほどで終わったのだった。
奇怪な話
ここから、いささか奇怪な話になるのだが、うちにはどうも羽虫型宇宙人が、毎年夏場7月になると逗留しにやってきていたようだ。
それというのも、私の知り合いに、過去世が羽虫型宇宙人の魂のこもった方がいて、私はきっとスクナビコナノミコトの星の人なんだとして、その方にマメビコナと名付けていたのだが、どうやらその星から応援に、もしくは遊びにやってきたもようである。
実はこれも新神話を書いていればこそのこと。マメビコナ君は私の神代の息子の役回りをしにやってきてくれたことがわかっている。
新神話は神々の演劇のシナリオだ。その俳優に応募なんだろうか、それとも実物そのものなのか、とにかくあちこちからタイミングを計ってやってきてくれるのである。
この時は宇宙人でしかも、大国主命に縁あるスクナビコナ星だったというわけだ。
だが、いちばん佳境のときにしつこくインタビューしすぎて、嫌われてしまったみたいで、そのシーズンはそれでお終い。翌年以後も鳴かず飛ばずで来てもらえていない。
https://youtu.be/EKl7oKi_gG4
口は禍の元。声出してガタガタ言わなくても、テレパシーなら優雅で静か。お泊りのお客さんに嫌がられることもない。インタビューのつもりが、恐喝されているとでも思ったんかなあ。
とかく人間はお高く止まりすぎる。人間ほど偉い者はないと思い込めるのも、テレパシーができないからである。
相手が宇宙人なら、言葉で通じないと分かれば心で会話してくるだろうに、それがまるっきりダメだから先に進めない。
それで相手の知性が低いと勝手に思い込んで言葉で話すものだから、どこのヤタケタかいなと、バイバイされてしまう。
おもてなしの心の発揮は、テレパシー能力なしには困難なのである。
と同時に、相手の知性の豊かさに気付くのもテレパシー会話が成り立てばこそである。
それがなければ、勝手な思い込みの暴走あるのみとなり、あらゆるトラブルの元になる。
猫とのコミュニケーションの不通から、以上のようなことを昨今思うようになった。ああどれだけ回り道を余儀なくされていることか。
人間人生80年としよう。そのうち3分の一が寝て過ごす。実質56年としても、回りくどい会話を成り立たせて何かの仕事をやり遂げようとするに、いかほどのことができるのか。
自由創造の時間があるわけでもなし。すべて金儲けで終わってしまい、生きるための食べ物を得ることに追われて一生を費やす。
人生はあっという間でしたなあという感想が多く聞かれるのも、しょうがないですわなあ。
昔はテレパシー能力があったはずだ
地球上の生き物の中で、人類だけが浮いた存在になっていないだろうか。
勝手な思い込みで成り上がった低知性の存在になっているとは言えないだろうか。
高知性なら、地球をこんなにダメにしないはずだろうに。
テレパシー能力があれば、様々な生き物のあげる声なき声が理解できるし、耳を塞ぐようなことはできないはずだから。
地球生態系の声を無視できる能力が備わっていると、解釈すればいい。特段に優れた能力だ。
人類が進化のために、そのような道を選んだというのか。
進化なら、地球上における進化を望むであろうに、まったく真逆を行っている。
地球を住めないものにして滅ぼそうとしているではないか。
人類の願いによって、そんな未発達児になったとは思いたくないから、真因を探す。
何か別の要因がある。
そうだ。宇宙人、インベーダー型宇宙人の中に、人類を食い物にする奴らがいるのだ。
たとえ手っ取り早い仮説でも、説得力はある。
たとえば、シュメールの粘土板に手がかりを遺したアヌンナキ(ニビル星人)だ。
彼らが人類を創造したと言っている。
ニビル星の維持修理のために”金”の蒐集と獲得が必要だったから、奴隷として作ったという一節。
“金”の蒐集のためには、星の消長などどうでもいいという宇宙人だ。
これなら、何でもやりかねないな。
聖書は言っている。昔、エデンの楽園があり、生き物はすべて平和に豊かに暮らしていたと。
ところが、神の怒りに触れて、それも不可解な話、知恵の木の実を食べたから追放されたという。
奇怪奇天烈とはこういった話を言わないか。
しかし、聖書の原典がシュメール粘土板にあるとすれば、平易に解釈できる。
“金”の蒐集のためには、思考停止した奴隷でいい。
またそうでなくては、トラブルのもとになるから、ロボット化させたほうがよほどいい。
しかし、地球環境に不慣れな彼らは、ハイブリッド種の生き物を作って、ある程度の思考と手先の器用さを与えたのだ。
慣れてきた今となっては、人工知能の極致でコントロールし、すべてロボットにしようという意向とみていいだろう。
そう見通すなら、人類はどこまでも被害者であるなあと思える。それでオーケーなのか、人類よ。
そして、前話にしたように、猫集団の飼い主が突然亡くなるようなことがあったのではないか、という話とリンクしてくるだろう。
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大本教神話にも書いてあるではないか。
かつて黄金時代を統治していた太古の神が強制的に退去させられて、あるいは殺されて、神霊が封印されて出られなくされていると。
まさにそういうことであったのだ。命は表世界に出てきてこその命である。封印されていては死んだも同じである。
誰によって封印されたのだ? 話の筋からすると、アヌンナキではないかと推理はいくはずだ。
ではどの時点でそんなことが起きたのか。
時代はよくわからない。というのも、地球の各地でそのような人類の退行現象が起きたことは、長い経過の中で行われたからで、いきなり一時点でそうなったわけではないからだ。
日本では、縄文時代から弥生時代にかけてではないか。
縄文期は平穏? 暴力死亡率1%台 岡山大教授ら人骨調査から算出
https://www.sanyonews.jp/article/323392/1/
テレパシー能力が備わっていれば、コミュニケーションに過不足がないから、トラブルになりにくい。
はるかに安全な身の置き所を考えることができる。そのことが暴力沙汰が少なかった理由になる。
彼らが自然崇拝のアニミズムだったとかの、思い込み勝手な範疇に押し込んではならない。
それは自然神を崇拝していたといった話とは、まったく異なることに注意してほしい。
彼らははるかに自由に生き物たちとコミュニケーションをとっていた。
木々たちともコミュニケーションをとっていた。
だから、彼らは自然界と上手に折り合いをつけていたのだ。
だから、万物の霊長となりえたのである。(今の人類は万物の破壊者だ)