ひとつの考察 (奥人)

何度も同じ話題を繰り返すようで申し訳ないのですが、
10/13、Gの嵐のあのロケ現場で北側上方に位置する山際に
20~30機のUFOを見た人、嵐のお二人、応援の方、エキストラの方、
番組取材の皆さん、あるいは我々のメンバー含めて、いったいそのUFOは
どんなふうに見えましたか?
その前提になる話は次のようです。
ロケ現場での目撃
番組スタッフによって写されたという朗報
私には、まるで「気球」が、つまり陰影のついた肌色がかった球体が
一塊に群れてゆっくり飛んでいるように見えました。
ところが、放映されたものは(ビデオ映像のほうは)白い発光体(我々が
星の子と通称しているもの)でありました。それは韓国におけるものとも
同じもののようでした。
そこで、私の今回の発見および考察としては、次のようなことが挙げられます。
1.一般的にこの種類のUFOは、ゆっくりとふわふわ飛ぶ。
(本来の速度は対象までの距離が掴めないために不明だが、
我々で保有する撮影されたデーターのすべてがそうであった)
(目撃報告も、イクラの卵が水に解かれて流れてくるようだとの表現が)
2.我々が(少なくとも私が)見たときのUFOはビデオカメラで写された
ものとは異なっている。
(ビデオカメラは白い発光球体として捉え、私の肉眼は(認識機能は)
気球の出現として捉えている)
3.ある程度の集団がUFO出現の期待という同じ意図を持って集まった
とき、UFOが呼応するようにして出てき易い。⇒ みのさんのおもいっきりTV「UFOの日」ロケでも、やや遅れて出現している
私が今回特に問題意識を持ったのは、2番であります。
ビデオカメラという機材は、観測機器として最も普遍的かつ公平に実体を
捉えられるものと考えられます。(むろん機種によって幾分かの違いはありましょうが)
ところが、
a.人間の脳の視認機能は、その元のデーターに対して、アレンジをかけ
ている可能性が大であること。
b.このときのアレンジは、どうやら、人間にとって最も身近な理解しや
すいものに置きなおすということらしいこと。
c.それは人間を、パニックから守るための働きをしている可能性のあること。
(決定的に得体の知れぬUFOを見た場合は、後でそのシーンの記憶喪失を起こすケースがみられる)
(そこに心理学用語の「合理化」という概念を用いても良い)
d.また逆に、可視光線域のデーターのみを単純に捉えるのがカメラなら、
人間あるいは生物の認識機能は、それだけでない情報量を同時に処理している可能性があること。
e.そう仮定した場合、UFOは情報の塊として出現していると考えられること。
(それが実体的にそのものずばりである必要はない。
要は、認識する人間の側に、処理可能な情報を流し込めばいいわけだ)
f.ということは、UFOは出現にあたって、常にコンタクトサインを
認識する側に対して送っていると考えられること。
g.UFO目撃は総じて、UFOの側と人間の側の情報のやり取りであり、
意識間の連携と相互作用が認識の根底において行われているとみられること。
(UFOの側から人間の側にパニックにならないための情報を出している
可能性があり、人間のほうもそれを良しとしている可能性がある)
今回は「UFO目撃」を例にとりましたが、この問題は日常の対象を含めた
一般的な認識にも普遍的に通用するような、総じて人間の認識機能の根幹に関わる前提話として提示した次第です。 ⇒ 人間の認識機能に関する仮説

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