随想 宇宙人はや

私が論文「超宇宙の仕組みを考えるモデル概念」を世に出したのは1983年のことである。物理学とはあまりにも乖離していたために、超常物理をためらうことなく扱ってくれる著名な学術団体に依頼したのである。論文が採用されて出されるまでには多少の放置期間もあったようであるが、出された後は、見所があると考えてくれた識者も少なからずあったようだ。
この論文は、古来からある東洋哲学とくにインド哲学で経験的に育まれてきた聖者たちの教えを、理解しやすくするための基礎理論としてモデル化したものであり、続編の随想「死の科学」において霊魂の真相に肉薄することにより、一般に死後の世界や霊魂存続のあいまいな領域に考察を与えながら、その存在を明瞭に学術的に表現できる手法として提示できたつもりであった。だが、残念ながら論の意義を理解してくれるような機関ではなかった。
私はその道に時間をかけておれるだけの専門家ではなかったため、後続する研究者にアイデアを提供できたらの思いだけでいたずらに時間だけが過ぎてしまった。
ところが、2000年に始まる米国の映画「マトリックス」は、もののみごとに拙論の要旨たるものを物語化しており、世界にその脅威が公開されたのである。
むろん拙論が物語「マトリックス」の発想のきっかけになったとは言わない。しかし、いつかは誰かがこのことを言い出すであろうと思っていたことが、よもや映画として登場してこようとは思いもしなかったことであった。もし拙論がアメリカにあれば、異端とはいえ何らかの発明発見にもなったであろうにと思うことしきりであった。
「マトリックス」は東洋哲学的な色彩を帯びたテーマと評価されていた。その反響のすごさは、見る者の共感を呼んだからである。そう。我々が漠然としか抱けなかったところの、世界を裏側から操る機構の存在をあぶり出したからである。古来、どのような聖賢も「空観」によってしか自分を解放できないと、無視する以外に抵抗する手段を持てなかった存在。それを暴露する意表をつくアイデアは、東洋の側からは畏れ多くて永久に出せるはずもなかったであろう。合理的な欧米だからこそ、東洋思想の不可触領域に踏み込むことができたのではないだろうか。
それより二十数年を遡る昔、私はその原理を説いていた。少なくとも、そう自負している。
論文「超宇宙の仕組みを考えるモデル概念」の論点は、存在のすべてがプログラム(マトリックス)であることを論じ、それを前提にした観測者を中心プロセッサとする相対論的時空論を展開していることである。
これによって応用的に解答を与えることができる世の事象は、以下のように超常現象を筆頭にしてあらかたである。
人という意識を持つ者の意義
霊魂の存在
UFO
パラレルワールドの存在
パラレルワールド間の交通手段たるべきUFO
臨死体験の手続きと現れ方の多様性
意識と認識における働き
意識の存続と意識原理のたどる時空の輪廻
総じて経験時空の意義
特に、難解なインド哲学や漠然とした東洋哲学へのアプローチ方法として、最も有効に機能する概念となるものである。
私は、論を証拠立てるとともに、展延できる目新しい現象はないものかと、かねてより材料集めを行っていた。
ところが、縁は異なもの。付き合い始めた人物が証拠そのものであったのだ。
その人物の名前は、坂本廣志氏。彼は幼少期から五種類の宇宙人と遭遇し、実際にUFOに乗せられ宇宙人から教えられた様々な体験や知識を語って聞かせる。彼のその如才のなさは天才的とも言えるものであり、もし彼が作り話を話すものなら、その想像力のたくましさは一級品であると言っていいものである。
周りにいる誰もが信じ難いだろうと思うようなことも、目の前で起きている如くさらりと言ってのける。その様に、新しいタイプのコメディアンの出現と思い好感を催す人も少なからずいる。
だが、彼に対して失礼にも、それは嘘でしょうなどと言おうものなら、目を大きく見開き、血相を変えて怒り出すはずである。彼にしてみれば、真剣なまじめな話なのである。それを否定されたりすれば、全人格を否定されたが如く怒り出す。それは紛れもなく、事実だからに違いないと、どんな懐疑的な人でも一考せざるを得なくなるだろう。
私には原理的に分かっている。本人は本当にまったく見てきたままに話をしているのである。彼は実際に宇宙人と会っているのだ。
ただし、現実の中にどっぷりと漬かって暮らしているみなさんに、同じ宇宙人体験ができるかというと、難しいだろう。ただ、彼の体験は事実。みなさんの体験できないことも事実。その原理を簡単に説明できるのが、拙論なのである。
その説明の前に、坂本氏の快挙をひとつ挙げておこう。
彼は2003年9月27日に、自宅の屋上にビデオカメラを構えて、神戸市上空の中心から仰角45゜の範囲内の中天の広域にわたって、数千とも目される数の星の如き白い玉のUFOを、白昼堂々30分に渡って目撃しながら、そのうちの終わりの10分ほどを撮影することに成功している。
その当日は、翌日に主役として出演するフジテレビのUFO番組ロケを控えているという状況であった。前日にUFOの大群を撮ったという快挙が、番組の中で放映されたことは言うまでもない。彼とUFOの蜜月の関係を端的に示す出来事であった。
ところが、ここに不思議な事実があった。30分にも及ぶ中天全体を覆うほどのUFOの大群の出現にもかかわらず、神戸市民の彼を除く誰一人として目撃していなかったのである。100万神戸市民のどれくらいかは空を見上げていただろう。目撃があれば、新聞社などに投書や連絡が引けもきらなかったであろうに、そのような情報はいくら探しても見つからなかった。つまり、彼一人のみが見て、証拠を記録に収めたというわけなのだ。
UFO録画の中には、UFO映像と共に都会のありふれた喧騒が収まっていた。音声だけを後で付け足したものではない。彼はCG映像を作ったり音声合成したりする技術や道具などまったく持ち合わせていないのである。
いわば、空のアトラクションと地上とは時空が切り離されたかの如きものであったのだ。その両者の仲介として存在していたのが、坂本氏であった。
パラレルワールドが存在しているのである。そしてそれを特別に知覚できる人がいる。
彼は、私と知り合った当初から、宇宙人と遭遇した話と同時に、胎内被曝者であることから医療面では手厚い保護を受け、診療費が無料ということから様々な検査を惜しむことなく受けてきていることを話してくれていた。
その中に、脳波を測ったときにいろいろな医師から言われた言葉がある。「あなたは昏睡時の脳波をしていても生活できているのだなあ」というものだ。
一瞬そのような脳波が現れることは常人にもあるという。だが、彼の場合は、一時間でも二時間でも持続しているというわけで、検査のたびに医師の驚嘆を誘っていたというのだ。
昏睡時の脳波とは、θ波かδ波であろう。非常に振幅の大きい波形をした脳波が主流になって出てくるというもので、一説にはヨガの達人に見られるといい、一般にはてんかん患者の発作時に診られるものであるという。
具体例が今まで実験的に示されたことがあるのかどうか分からないが、おそらく霊視能力者や超能力者にも類似した脳波が主体的に見られるものと思われる。
このうち、霊視能力者とは、別の世界を今の現実の世界に重ね合わせるようにして見ることのできる人である。別の世界とは、パラレルワールドと言い換えられる。霊視される世界とは、この場合、時間軸をこの世界と同一にして運行している並行世界のことだ。映画「アザーズ」が参考になろう。
坂本氏にも霊視能力者と同じことが当てはまると考えられるのである。
霊魂がビデオカメラなどの映像メディアに捉えられ、よくテレビ番組などで取り上げられて恐怖をお茶の間に振りまいていたりしている。これを見ると、「別の世界(の存在)は映像メディアに捉えられる可能性がある」ことを示している。
同様にUFOも、別の世界の存在であり、映像メディアには捉え得ると考えることができる。
よって、見る人は見ることができるが、見ない人は見ないと言うことができるとともに、映像メディアでは、その捕捉が可能と考えられるのである。
坂本氏のように、たとえて二つの世界を垣間見ることのできる人とは何であろう。きっとメーテルリンクの「青い鳥」のチルチルがダイヤルつきの帽子を被ったが如き状態を言うのではなかろうか。そのダイヤルを、何かの拍子に回してしまい、非現実的な環境に晒されるというわけだ。
坂本氏は、ごく最近にも自宅に宇宙人が侵入して、何度も身柄を拉致しに来ていると言う。とんでもないタイプの宇宙人が拉致しに来たときは柱にしがみついて拒否したり呪術で戦ったりして逃げ、知り合いの宇宙人の場合なら、UFOに誘われるままに乗り込み、その船内をビデオカメラに収めてきたことさえある。
彼にとっては、UFOばかりか、それに搭乗する宇宙人も紛れもない日常的実在であり、一般常人には見ることのできない並行世界の存在とコンタクトしているというのが、私の考えだ。
私は、持論を確かめるべく、彼の自宅を訪ねた折や一泊した折に、室内をデジカメで撮影した。すると、果たせるかな半数以上のコマに、たまゆら(オーブ)が写っているのである。私自身の家の部屋で何度写しても写らないオーブが、彼の家の中ではたいがい写るのだ。埃が漂いすぎているからではない。埃なら私の家のほうがずっと多い。まぎれもなく、謎のものが写り込んでいるのである。
オーブは霊体であるという。肉眼では見えないが、カメラやデジカメには写り込む。しかし、霊能者が見れば、人の姿をとって見えたりするわけだ。それはどういうことなのか。
映像メディアは、物理的な光線部分だけを捉えているはずである。だが、人(霊能者)は、そこに骨格と肉付けを与え、そして着物までまとわらせて認識するのである。つまり、どこからかプログラムを索引してきて、つじつまのあう現象として組み立てるのが、拙論に言う観測機としての人の機能なのである。
人の感得能力には、光線だけでない高次元の情報が複合的に観測され、それをもとに知覚機能がホログラム像を作り上げて認識に繋げているというわけだ。これは霊能者に限ったことではない。催眠術などでは、被験者に言葉のキーを与えて、プログラムを索引させ、彼の知覚機能にホログラム像を結ばせてしまうのだ。
また、プログラム索引に関するものすごいケースもある。
カルロス・カスタネダの著書を読まれた方は少なくないと思う。カスタネダは、民俗学的な研究目的で接触するようになった中南米のインディオのシャーマンのグループに知らぬ間に弟子入りし、科学的合理性に裏打ちされたその世界の奥義を極めていく。「ドン・ファン」シリーズは、感覚的に閉ざされたこの世界のさらに外側にある世界の全貌へと向かうガイドシリーズとも言えるものである。
そこでは、ある程度の天性的資質を持った者が彼らのグループに見出されて、彼らの中で訓練を受けて、伝統的なシャーマンになっていく課程が示される。
彼らシャーマンの技術的達成の証はテレポーテーションであった。そのために、師匠は弟子たちに断崖から飛び降りさせてテストした。地上に激突する前に、弟子は別の世界に移行しなくてはならない。
それを彼らは「世界を組み立てる」と表現した。彼らは「A地点からB地点に瞬間移動した」とは言わず、「世界を(能動的に)組み立てる」と表現しているのである。
それができるのも、意識を有する観測者がベースになって、時空プログラムをローディングしてきて、そこから実行を開始すれば、その時空がただちに彼の観測にかかるというわけである。理論的には簡単であるが、我々の観測機能は麻痺していて、よほど幼少から訓練でも積まない限り、柔軟な機能は発揮できないのだ。
それを達成したとき、ドン・ファンの師弟一行は、夕日にきらめく一列の隊列をなして空中に去っていく「羽根飾りをつけた蛇」(英雄ケツアルコアトル)のように見えたという。
その叙述から、私は彼らがスカイフィッシュになってしまったのではないかと思ったほどだ。
坂本氏の感得するUFOと宇宙人の世界は、霊能者の知覚する世界と類似している。それは、幻覚でも白昼夢でもなく、別の並行世界での現実なのである。彼がもし、宇宙人に関する知識をいっさい持ち合わせなかったなら、彼は妖怪変化や魔物として、別の世界の存在を感得するはずである。実際に彼は、過去幾多の魔物と戦ってきたことを聞かせてくれている。
また、知り合いのM氏は、とても理知的な論理主義者であるが、彼の奥さんが霊視能力者で、娘さんもその血を受け継いでか霊能者であるという。家の中によく霊魂が入ってくることがあるらしく、その場合に彼はひとり話の輪から浮いた存在になるという。だから、信じたくはないが、霊魂の存在は否応なく信じざるをえないと彼は言う。
この場合、霊魂がどのような情報を彼女らに伝えており、それをどう受け取る側でアレンジするかによって外見も異なるはずである。彼女らは、知っている範囲からプログラムを引っ張ってきて、ホログラム像を組み立てて認識する。もしかすると、それが異界の宇宙人であっても、身近なものに見立ててしまうことはありうるだろう。
このようなアレンジの端的な例は、臨死体験に見られる。臨死体験そのものもプログラムであり、基本的な手続きとして存在しているのである。それが臨死者の宗教や信条にマッチしたプログラムによってアレンジされて、彼にとってなじみやすいものとなるのである。
UFO研究家T氏の話も非常に参考になった。彼はある地域のUFO研究団体に行った折の話をしてくれた。なんとそこに、特定のメンバーの人にくっくいて動き回っている宇宙人を見たという。彼や坂本氏は、その辺の感得能力を持っているのだ。
それはいわば霊体であるが、ある勢力の宇宙人であって、自分たちの存在が明らかにされることをたいそう嫌がっているふうであったらしい。彼はそれでたいそう警戒したのだが、それに憑かれた人物は奇妙なストーカー行動に出てきたという。それで、彼はその研究団体の思考は、UFOなど安易に存在しないという方向に振り向けられているのではないかと思ったというのだ。
しかし、いわばこの研究団体は宇宙人とすでに知り合いと言える。羨ましいような話だが、こんな宇宙人とつきあうとろくなことはない。地球維新間近というときに、皮肉にも彼らは未だにUFO写真の真贋論議に明け暮れていて、いっこうにUFO問題の先行きを打開できないでいる。
私は地球のために、ぜひ友好的な宇宙人を招請しなければならないと思っている。地球というレベルが、悲しいほどに無駄の多い状態にあるのも、タイムスケジュールが設定されてそう仕向けられてきたからである。人類にとって不利益になる宇宙人が陰にいたりするから気をつけたいものだ。逆に友好的な宇宙人は、その辺の矛盾を解くノウハウを持っているはずであるから、何としても人類のために彼らの支援を求めたいのである。
だが、彼らがパラレルワールドの存在であり、常人に交流が叶わぬならば、またぞろおかしなシャーマンによって人々が誘導されないとも限らない。友好的宇宙人の科学力で複数の並行世界をたがねることはできないものだろうか。その辺の要請もしてみたい。
ここで坂本氏の驚嘆に満ちた宇宙人遭遇体験を一部記しておこう。
坂本氏が初めて宇宙人に遭遇したのは昭和25年。まだ彼が保育園児であった頃であった。宇宙人は全員が女であり、彼の男の持ち物に興味をもっていたとみえ、彼が小学生になる頃から4年間にわたって彼女らに犯され続けていたという。もっぱら子種を授かるためだったらしく、生まれた子供もそのたびに見せられたという。
天女として現れた宇宙人たちは、それぞれ名前が大和言葉の習いに従って番号制でつけられており、31(ミヒ)32(ミフ)33(ミミ)34(ミヨ)139(ヒミコ)という具合で、卑弥呼も宇宙人の名付け方にちなんでいるという。彼女らは平均年齢3500歳と告げたが、18歳くらいにしか見えない天女500人以上と彼はたゆまず肉体関係を持ち続け、それぞれに子供を授けたという。
先に書いたUFOの大群の出現は、明日は初陣という日を前に、彼の子孫が応援にかけつけてくれたものだと彼は言っている。
昭和31年には三角形のUFOに搭乗し、こげ茶色の宇宙人と会話したのをきっかけに、その後1年つきあいが続く。
翌年にはキューピーに似た十文字山の宇宙人と会い、地球外を見学しながら難病を治してもらう。
どちらの種族ともみな女であり、その間にも数え切れないほどの子供を作ったという。
昭和33年には恐ろしいグレー種族の宇宙人に拉致され、血液ならびに子種を採られた。
その後、宇宙人との交流は途絶え、平成15年頃から我々のクラブに入会しUFOを撮影し始めたのをきっかけに、平成17年になって宇宙人と再会。またも別の難病を治してもらっている。
彼の体験談には、このほか宇宙空間に出たときのものや、宇宙船内部の設備や様子に関するものがあるが、ここでは割愛したい。
彼の体験談は、まさに今見ており、現実に目の前に展開しているかのごとく話す点に特徴がある。彼はもしかすると白昼夢を見ているのではないかと思わせるほどに迫真なのである。
先ほど来の私の解釈における、パラレルワールドに遊ぶケースのようであり、その内容は夢解釈という見方をすればふさわしいのかも知れない。
フロイドは夢判断において、人の潜在意識の大部分を性的欲望が支配しており、おのずと夢の中にその要素が出現するものであると説いたが、彼の場合は白昼夢において出現していたかも知れないと思われる節はある。
しかし、彼の性欲の強さをここで論じるつもりはないし、そのような詮索は無意味なことである。儚く消える夢にどんな意義があるかをここで論じたいのだ。
パラレルワールドは夢の世界なのかというと、そうではない。夢は頭の中で意識が、様々な経験の中から要素を拾い上げて勝手に作り上げたビジョンであると考えられているが、この場合は現実に存在する世界であり、いや正確には別のマトリックスプログラムが彼の観測にかかって、世界が彼の前に構築されているのであり、夢は現実がマトリックスプログラム起源であると同程度に確かな現実世界なのである。
ただ、記憶する箇所が異なるために、記憶の伝達がうまくいかず、目が醒めれば思い出せなくなってしまうという事情があるのだ。つまり、脳波の振幅の違いやその他の要因によって、脳の中で励起される機能や領域が異なっているはずなのである。ふたたび同程度に眠くなれば、夢の続きを思い出しそうになることは誰でも経験しているはずで、眠りのパターンに陥ろうとするときに、パラレルワールド移行の段階に達していると考えるわけである。
坂本氏がΘ波やδ波で日常を送るとは、白昼夢をいつでも体験できる状態にあることを意味していよう。このことは、ちょっとしたきっかけでUFOや宇宙人などの異世界の存在との接触を容易ならしめる。
同様に、そのパラレルワールドの時空は、ちょっとした思いや信念に従って、容易に造形されてしまう物理的性質を持っているのだとすれば、つまり夢の世界のような可塑性が伴っているのだとすれば、超能力者ならできるとされるスプーン曲げや物体瞬間移動などは、両世界の隔たりを一瞬にでも取り去った脳の働きによるものと説明がつくはずなのである。
彼は、幼少期に超能力のコントロールが効かず、周りに多大な影響を及ぼすので、父親の命でエクソシストに預けられたほどであるという。
私はこの論理から得られる結論として、残念なことに我々常人はUFOはおろか、目指す宇宙人にも会えないかもしれないことである。
私は、坂本氏がそれほど会えるものなら、絶対に会わせて欲しいと頼んでいる。その理由は、限りなくたくさんある。
だが彼は、よっしゃ会わせたると言うだけで、一向に約束を果たしてくれない。片務契約的にサービスばかりしているのは問題ではないかと思っていたのだが、こう考えていくと、基本的なところに力及ばぬ点があったのではないかと思わざるを得ないのだ。
しかし、彼自身の力場の中に私を入れて、友好的な宇宙人のいるパラレルワールドに移送することは可能なはずだ。ぜひそうしてもらわなくては、面白くも糞もない。


その昔、人は神と同じく全能性を持っていた。
つまり、観測機能としての全能性、フレキシブル性を持っていたというわけである。彼はありとあらゆるプログラムを先入観や偏見なしに取り入れて観測していた。
ところが、神の怒りを買って、地に落とされた。
プログラムの選択範囲を限りなく狭められてしまったのである。
私は次のように「人類と宇宙人の関わり」の歴史的経過を想像する。
今から約四万年前、ホモサピエンスを創り出して地に置いた宇宙人たちは、彼らを自分たちにとっての下僕たるべくしようとした。
すなわち、まずは自分たちの聖域を侵されたくないために、棲息域を視認できなくした。
聖書にいう「楽園追放」は、前もってあったアダムやイブの「観測レンジ」のフレキシブル性を人類から取り上げ、固定された領域のみしかできないようにしたという寓意なのである。
「追放」という言葉からは、環境の変化が読み取れる。とすれば、ホモサピエンスの脳はもともと生体コンピューターとしての機能を持つが、その励起されるべき脳の箇所をオシレーターによって区分けし、オシレーターの固定要因を環境因子に置いたのだと考えるわけである。
では、その環境因子とは何か。地球磁場や重力や酸素濃度にあるのか。あるいは本当にその時点から人類は地球に下ろされた(追放された)のかも知れない。
長い年月が遺伝子を作り変え、あるいは幾度も遺伝子の組み替えが繰り返され、人類はまったくの衆愚となった。しかし、確率的に稀に天才的資質を発揮する人間は、かすかな望みの中から生まれてきた。宇宙人もさすがにそこまで根絶する気にはなれなかった。反って、彼らを自分たちとの仲介にして、神の計画を人類に敷衍するために使うことにした。
人類を画一的ロボット化する行為は続けられている。科学至上主義と白痴化の徹底。科学の与える枠を誰も超えてはならない。3つのSに誰もが漬からねばならない。毒物重金属はばらまかれ、自然に摂取され脳を破壊していく。昼夜ストレスに曝される脳は破壊されていく。科学全盛の方向付けの裏に潜む悪質宇宙人の害意を見失ってはならない。

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