火の鳥は、梵天の懐刀(ふところがたな)と言われている。
そのわけは、梵天の夢見が深化し過ぎて、梵天自身が前後不覚になり、脱出困難な迷宮に入り込んでしまった時、梵天の立ち至ったすべての多重夢を一気に解消して、彼を現実に立ち戻らせる、すなわち目を覚まさせる非常装置として、火の鳥はその灼熱で夢幻と迷妄を焼き尽くすという機能を持たされた、いわばケービングの命綱とも言える機構である故である。
実際、この地球という存在は、第137番目の夢見の多重夢段階にある世界なのである。こうした階層がさらに無限に続いていくとしたとき、観測者すなわち夢見する者は、いずれどこかで引き返す選択をせねばならなくなる。自己選択でそれをするというのが原則としても、非常時や錯乱時などにはその行動が取れなくもなる。そのときのための命綱と心得ればいいだろう。
その機構は梵天だけの特質であるのか。むろんそうである。では何億兆ある有情の魂においてはどうなのか。それは問題ない。なぜなら、何億兆ある有情の魂はすべて梵天がたったひとりで何役もこなしているという現実があるからだ。我々は無限個の個性を持つ現れ方をしているが、実際には梵天がすべての魂が通るべきタイムラインを一筆書き的に実演しているものだからである。
私はあなたであり、あなたは私である。それが唯一者梵天を通して見た世界観である。
だから梵天は言う。知り合う人々に優しくしてやりなさい。そうすれば、周りもみんな優しくなってくる。そして現ずる世界も優しく変貌する。自分が排他的、排外的になれば、周りもみなそうなってくる。そして戦争になり、他ならぬ自分に結果を査収させることになるのだと。
世界は梵天がいろんなケースを用いてトライする実験研究課題になっているのである。
梵天は科学者タイプだったため、研究に没頭してしまう癖があり、今まで何度、火の鳥の世話になったかわからない。妻の弁天が、お昼ご飯の支度ができたからと、没我に余念がない梵天の胸の非常ベルを押すものだから、また大慌てで梵天は目を覚ます。そんなことが繰り返されている絶対神世の実情があったりするのだ。