吉良邸討ち入り

今から15年前の今日、吉良邸に、でなかった、侘しく寂しい男の邸に(メールで)討ち入りしてくれたのが身内さんでした。
私がそれまでに、もうこんな侘しい人生は(誰かが言ってたように)、50年で終わるのが本当。もう、そこまでで命を召し上げて、金輪際この世に関わらせないでくれと、誰とはしれぬ神(この世に私を置いたお方)に頼んでいたのでした。
だって、浮いた話も何もない。ただ使われ人であるだけの、心労の人生。
母への感謝はありましたが、そんな恩義も忘れて、ただその時その時が嫌だから、もう人生はこれ以上要らないと申し立てていたのです。
ところが、そんな嘆願のことはさっさと忘れていて、彼女とのメールのやり取りが始まったのでした。だから、2004年になって、彼女にこんなことを神様に嘆願したことがあるんだよと何気なく告げたため、彼女が自分の出したメール履歴を見て、私の50の誕生日直前日だったと教えてくれたほど、私は神との約束のことなど忘れ去っていたのでした。
それを指摘された私も、メール履歴を確認して、まさにそうだったことを知ったのです。しかも、当日に二通も彼女から来ていました。彼女もそのときびっくりしたことは言うまでもありません。
当時はまだパソコン普及が初期のころで、ホームページ出している人もまだ少なかったため、私などそれまでに書き溜めていた童話や物語を掲載していたところ、検索エンジンを使ってやってきてくれたのでした。
今なら迂闊にメールなど出しませんでしょうが、彼女もそれまで童話を作り新聞社などから掲載もされていたので、とても関心を持ってくれたのでした。
表向きの経緯はえてしてそういうものなんです。しかし、そこに神の関与を想起せざるをえないでしょう。まったくジャストミートじゃありませんか。50までという嘆願が、ものの見事にその前日に打ち砕かれたのです。
さてそれからですよ。神様がたとの関わりと思うしかないインディーな人生が始まったのです。
私は50まででひとつの人生の時空を終わった。それまでを第一時空だったとすると、50才以降が第二時空になっていると設定できますでしょ。私の人生タイムラインは、50以降、神々に買い取られたような格好になったのでした。
そして第二時空の終了は、2011年3月にあったはずなんです。身内さんが青龍と玄武を併せ持ってキトラ古墳の四神獣展示会の初日に亡くなり、その五か月後2010年10月に白虎の猫フーが他界し、私がその五か月後に逝って「いついつ出やる」の四神獣別天揃い踏みを演ずる予定だった。
しかし、あったのは東日本大震災でした。そう、私は第三時空に入ってしまったのです。
第二時空から別天に去った私には、神界で火の鳥を起動し、先に逝った身内さん演ずる白龍とともに、正神軍を指揮して神界浄化のための邪神掃討を行なうという課程があったはずなんです。しかし、いいとこだけ見せてくれないというか、いい格好させてくれないというか。それとも私が第三時空や第四時空・・・を終えるまで、待っているのでしょうか。ここからではわかりません。
第三時空は、変節した黄泉の時空でした。本当に嫌な世界ですけど、ここでもやるべきことがあります。諸悪の性質を見極めて、新世界創りの一助にしなくてはなりません。今までの世界は、邪悪の侵入に対して無防備でした。だから、いつの間にか病魔に感染し、気が付けば重篤化していたといったことだったのです。
世界の脆弱性をなくしてかかることが、これからは必要になるでしょう。そのための働きをやっておかねばなりません。そしておおかたは、新神話に分析結果を網羅してありますし、私の魂の記憶としてもはっきりと刻まれていますから、これが梵天様などへの上奏資料になるはずです。
去年の12月11日未明に、デス体験と別世界飛行体験をし、たぶんその時に第三時空を終えているのです。そして以後、第四時空に。
そこは第三時空の延長上で、もっと質が良くないような。しかし、それによって、すべての諸悪が根本から明らかになるでしょう。
本当に私は、夢見するときもノーコン。どこに飛ばされて見てくるやわからない。同様に、時空の切り替えも、やらされるがまま。
本当にこんなこき使われ方をするというのも、ありがた迷惑なんですよね。
体調は良くないし、寒いし、おしっこはちびりまくるし。
情けないだけの私でございます。

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