鶴亀すべる と 九という縁数
2014.8.29に○○氏と氏のパートナー女性、そして私の三人で丹後の元伊勢を訪問した。
○○氏は畿内の五芒星巡りの企画実現のため、この地の不案内を克服すべく、私の協力を仰がれたのだが、私には別の実験的意図があった。
それは、○○氏が持つダイモンが亀であり、鶴の印章を持つ私とは機会あらば、鶴亀すべる行為が達成できるかも知れなかったからである。
それは何も、特別な儀式をする必要はない。手と手を握り合うだけでいいのだ。
実際、手と手の握手は初対面時の会見の時と、車を下車してお別れの時に、握り合うことができた。
いわば明るい朝と、暗くなってからの晩にその行為はなされたことになろう。
私は、この結果が出る要領について教えるべく、○○氏にメールした。
それによれば、9/7,9/9,9/14,9/16のいずれかに、地震などによって兆候が示されるだろうと。
さて、結果の兆候はどのように現れるだろうと見ていたところ、9月7日早朝に○○氏とたった二人きりで、朝食を食べている夢を見てしまった。再び鶴亀すべるが、夢の中で実現した感じである。そこでまたメールした。
○○氏は、亀の印章保持者にありがちな、未来のことは考えない、今を楽しく生きるというお方だったため、畳みかけるわけにはいかず、連絡をしばらく取り合わなかったのだった。
そうしたとき、9/16午後0時半頃に、茨城県南部でM5.6最大震度5弱の地震が発生。
まさに予測されたとおりとなった。
またそれは予想通り、死者はゼロ。かつての鳥取西部地震と同様だったが、今回はキーワードが出てこない。震源は茨城県坂東市かもしくは筑波市。はてそこから何がわかるのだろう。
そのときふと気づく。8/29から九日目に9/7の再度の鶴亀すべる、9/7から九日目に9/16の地震が起きたということになる。9は私の縁数、16は○○氏の縁数である。
鳥取西部地震も、鶴亀すべって九日目に起きたことで、その日は旧暦九月九日重陽の節句だった。九って何だろう。九鬼にちなむのかも。八大明王の八鬼に、大元帥明王なる最強の一鬼を加えて九鬼という。金神たちを統率するウシトラの金神とも似ているか。
大元帥明王は、奈良の秋篠寺にある秘仏である。
はて、そのような語呂から秋篠宮家のことを思うわけではないが、悠仁(ひさひと)親王はちょっと不思議な感じがする。
現政権を見ていると見込みは極めて薄いと思うが、日本がもしこれから数十年以上存続できるなら、2008.9.25に空海和尚が身内さんに夢見で知らせたように、弥勒菩薩が下生されたということだから、それがまた特定の人物であるなら、悠仁親王であるかも知れない。
というのも、身内さんはこのとき高野山を巡るうちにも、悠仁親王のお印の高野槇の植樹先に行き、写真を撮っている。当時は満二歳になられた直後か。
親王は2006年9月6日がお誕生日。
男として生まれていれば位人身を極めただろうという私の母は2007年9月6日に亡くなっている。一年後だが日付はシンクロしている。
そして身内さんの夢に空海が現れ、弥勒下生を告げたのが2008年9月25日という、この不思議な「九」という数のとりあわせ。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/mirokukorinn.htm
そしてまた、私が1997年から開設していたホームページサイトの名前はずっと「悠遊夢想」であり、それは今でも同じだ。
⇒ https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/ あるいは https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/
悠仁親王はご家族の中での愛称が「ゆうゆう」とのこと。それは悠遊ではないのか。まるで私と戯れてくれているかのような。
そこで「悠遊夢想」の意味は、悠くんが夢想に遊ぶとも、のんびりと夢想に遊ぶという意味にもなる。
悠仁親王にはゆうゆうのんびりおおらかに遊んでいただけたらいいのだ。
なんとなく、母が霊を発育途上の悠くんに移情したのではないかとの思いを持つ。