縄文の心を遺す日本人
https://twitter.com/1st64503291/status/1244941079410913280
3月31日
しかし、私がいただいたプログラムは、不思議の具満タンで、まるで魔法の世界のように思えます。昔から空想とメルヘンに生きていたようなものですから、趣味にぴったりの20年でしたね。
さあ、これからこの世界はどうなるのか。私は新神話で希望を述べてます。あとは高位自己がなされることでしょう。
4月2日
高位自己の究極は至高神でしょうが、顕しの段階では偏極は必要です。私は鶴をダイモンにしますが、高位存在は鳥の系統らしく、天の穂日はエジプトのホルスを暗示し、子の天の雛鳥(建比良鳥)は名からして鳥族のようで、2008,9年には親子鳥の飛行訓練を夢見して験を得ています。
引用ツイート
望月弥右衛門
· 2019年9月22日
私が新神話における自分のポジションとして、朱雀を担当していて、私は心臓が思わしくないので、後釜にとこの方を息子のマメ鳥として、異床同夢の朱雀親子のタンデム飛行訓練を就寝時にしていたのです。むろん意識的にということですよ。それが2014年に発見されたナスカの地上絵として遺されていた。
ナスカの地上絵に遺るとは。そこは古代トルテックの夢見修行の場です。近隣のカンデラブロの燭台の砂絵はこれこそ不滅の生命の木の原型を地上に投射したものでしょう。ゾロアスター教に言う白ホーム樹です。不滅の世界は夢見で至ることができる真裏側の世界かも知れません。
超古代の謎のテクノロジーなのか。いいえ、そんなことはないと思います。日本では縄文人の時代に、石や自然のものを利用した知られざるテクノロジーが発達した可能性がありますが、異界との相互作用について知らなければできません。今の我々の時代は、違った方向に来てしまっているのです。
こんな素晴らしい話を知りました。中国語を知っておられたゆえにできる神話伝説の発掘です。うれしいですね。縄文人に鳳氏(風氏)がいて、縄や布を発明し、空さえも飛んでいたかも知れないということです。奇跡を起動したのは夢見という異界の技術ではなかったでしょうか。
引用ツイート
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@honest_kuroki
· 3月28日
縄や布を発明した縄文人は中国神話で葛天氏と呼ばれ、鳳姓でもあります。鳳は風の旧字縄文人は本当に布を使って飛行したのではなかと信じたくなります。
2000年になる前に作った不思議をテーマにした紀行文がこれです。https://bit.ly/2X27IPl
この終わりの章に、超古代世界を巡航した神々の船・鳳船(ミテグルマ)を独創しましたが、同地に伝わる古代遺跡・二箇所のつなぎ石が繋いでいたのが鳳船ではないかと推測するものです。https://bit.ly/342uGYd
すると何と2015年に、岩戸山(日室岳)に重なり合うようにして伏在した鳳船らしきものの、幽体離脱するようにして発進していく様を、UFO撮影家の武良氏がビデオカメラに収めてしまいました。その姿はシルエットとはいえ鶴のようでした。この世には幽体次元の世界もあり、不思議世界への扉があるのです。
幽体とはアストラルボディのこと。夢見のときに使う半霊半物質・あるいは霊質の何ものにも傷つかないとされる体です。ただし、恐れや感情によって風の中の木の葉のように翻弄される、バルド(中陰)を彷徨うときの体でもあります。やれやれ、肉体の習熟の後に、この体を使いこなす必要もありそうです。
4月3日
かつて創作したことが後で如実になる経験をすると、導きのようなものを感じてしまいます。
こんなこともありました。1994年から武良氏に同行してそのたびに幾つかの異次元的で未知の生物のようでもあるシルエット状UFOを撮ったことから、1996年にその思いを音楽にしました。https://bit.ly/39E8Ifb
当時の作詞にもありますように、縄文時代の懐かしい気分が、撮影物に感じられてなりませんでした。それはきっと、50万年以上前の太陽系が純粋状態を保っていた頃の古代ビルダーたちの残像だったのかも知れません。当時の思いをここに記しています。https://bit.ly/2xLlbQN
私はそうしたものと縁があるというか、撮影したり目撃したりするというのは、私に縄文人の心があるからかも知れませんね。龍の幼生もこの目で見せてもらいました。そして龍は両生類であることも。本来は他の生物との棲み分けに配慮する優しい生き物なんです。
日本人はすばらしい。常に他を思い遣る心を持っている。それはおそらく縄文人の心を受け継いでいるからだろうと思います。はるか昔、龍は縄文人と互いに意思疎通していたのでしょう。何十億年の営みを知る龍は人に多くの啓発を与えてきたに違いないです。人類の黄金期であったろうと思います。
日本人の他を思い遣る心は、一定の向きに向くよう抑圧されたとき、素直にそのようになってしまう性質でもあった。それは私が5歳のときに盆踊りの光景の中に魑魅魍魎性を見て心が萎えた理由だったのかも知れない。実際は思い遣り精神が優勢で、同調の中に平安を見出していた人々だったのだということ。
3歳の頃にテレビから流れる”遥かなる山の呼び声”が映画”シェーン”の主題歌とは知らず名曲として追憶してきた長い日々。私のここに来た意義は何だったのか。もしかすると、どこから来てどこに去っていくか知れぬシェーンのように、どこの宇宙から来てたまたま逗留した縄文の情緒を遺す人たちと交流し、
人々の窮状を知って、理不尽な牧場主の抑圧から解放して去って行く英雄のようでありたかったのかも知れないと思う。そのような志に応えて、ハイアーセルフはこの世界に人生のレコード針を置いたのだろう。幼児期にとても怯えたのは、この場所は並大抵の所ではないと直感的に悟ったからかも知れない。
多くのワンダラーたちがここにやってきて、挫折してしまうというのが分かる気がする。私も何度挫折しようとしたやら。しかし、ハイアーセルフは援助してくれた。どんな生よりも素晴らしい生を用意して導いてくれたように思う。立派とはほど遠く地味でしがなくはあるが、この人生に感謝して去るだろう。