今年になってから、「伊勢の神とは誰なのか」についてシリーズ連載してきました。
調べれば調べるほど、すごいトリックが使われていることが如実になってまいりました。
シリーズ連載した記事は、次のホームページにまとめております。ちなみに私は、戦場カメラマンの、ではなかった、この大発見を世に出してきた、自称「異界の名探偵」です。ぜひ信じてご一読いただきたく思います。
https://uumystery.jorougumo.com/newpage7.htm
なお、連載記事は冗長ですから、要点を次にまとめました。さらに興味ある方、時間のある方はホームページ記事を後ほどご覧ください。
要点
◎ 古事記神話は決定的な矛盾を抱える (女子先立ち言えるは相応しくないとの原則を破り、アマテラスが女神であること)
◎ 正史外典のホツマツタエがアマテラスを男神にしているのに、なぜ古事記は規則破りの女神にしているのか (理由を考えるべし)
◎ ホツマツタエには占星学概念が採り入れられている (アマテラスの十二人の妃は黄道十二宮を表す)
◎ 北局に始まるはずのアマテラスの寵愛を優先させた「セオリツヒメの中宮入り」は、時代のうお座への会座を意味する
◎ ホツマツタエの「章(あるいは段)」の見出しの名づけ方「あや(綾)」というのは、言霊を気にするなら、このような名にしないはず (「あや」は、あやか(妖)し、怪し、過ち、誤りの原語である、すなわち段名、見出しからして内容がインチキであることを暴露しているようなもの、つまり最初からフィクションであることを報知しているのです/本居宣長も「あや」は「まが(禍)(歪曲)」と同じとしています(脚注*1))
◎ 中宮制度によってわざわざ優先させたにもかかわらず、セオリツヒメの子が持子の子より遅れて誕生したのは、北局優先が実際行われていたことを示す (ホツマの筋書きの矛盾が露呈する)
◎ セオリツヒメの神名の意味 (「川の瀬を織った(折った)曲折ある流れ」の意 (そのような流れは随所に滞りと澱みを作り水を腐らせる))
◎ 別名のヤソマガツヒが「たくさんの災いの日々」という意味なので、同様の意味を形成することがわかる
◎ それは占星学上のうお座の時代精神の性質である「霊性の物質への従属」と質を同じくする (霊的暗黒時代)
◎ セオリツヒメの冠名の「サクナダル」(さく・な・だる)からはホツマの評するような「勢い良い渓流」をイメージすることはできない (その意味にするなら、「サナクダル」(さ・な・くだる)でなくてはならない(「狭・流・下る」)/サクナダルは「割く・魚・垂る」で、うお座にシェアする理念の垂迹という意味になる)
◎ ホツマツタエの筋書きによるセオリツヒメの事跡はイエスの事跡を模倣することが明らか (罪人の許し/死人蘇生/裏切り者への容赦なき指摘と断罪) ⇒ セオリツヒメは、うお座のキリストとマリアの時代の象徴表現である
◎ ホツマツタエはセオリツヒメへの過分に過ぎる賛辞で綴っている (アマテラスより格が上と誰にでもわかる稚拙な仕掛けを神話に施している ⇒ 日本の黎明期にもキリスト教改宗が原住民相手に行われていた可能性がある (これはキリスト教が世界に進出した方法そのものだ/古代日本も例外ではなかったのだ))
◎ 結論的に、伊勢の主宰神は、女神アマテラスではなく、セオリツヒメである (つまりイエスとマリア、うお座の時代精神を祭っていることになる)
◎ 古代皇室は、その真実を知っていて、なおも庶民には太陽神信仰を標榜していた (女神のまま据え置いてきたことがその証拠)
◎ 黒魔術シンボル逆五芒星の二つの星頂に配置される「伊勢」は、もとより偽りの聖地、偽りの神、偽りの祭祀であることを物語る (これは秘教組織が仕掛けたことであり、キリスト教徒がしたことではない (日本の伝統という美辞が臭いものに蓋をしてしまっているが))
◎ 中臣神道の大祓祝詞の「禍を黄泉の国に流し去る儀式」は罪業の先送り (今の時代が黄泉の国なのに、まるで自民党の負債の先送りと同じことをしている無責任さでしかない (中臣と自民のバックは同根とわかる))
神代にあった真相とは
◎ 世界の民族に備わる神話の多くがクーデターによる支配神の交代を語り継ぐ中で、日本だけ例外であるのはおかしく、原伝承的には、国常立神(豊受神)とアマテラス男神が、邪神のクーデターに遭い、封印されているはずなのだが (アマテラス男神不在のときは、妻である中宮セオリツヒメが政治を仕切るルール) ⇒ アマテラスの岩戸隠れの期間中は、おのずとセオリツヒメの時代となる仕掛け (つまり、うお座の時代が岩戸隠れの暗黒時代を意味していることになる/だから、今(みずがめ座への移行期)は夜明け前から夜明けへの移行の時代と言われる所以である)
◎ 太陽神アマテラスに対抗する邪神とはこの場合、イエスとその背後にいるエホバである (つまり、古代日本の太陽神信仰はすでにキリスト信仰によって塗り替えられていたことになる/キリスト教はどの世界でもいつの時代でも、先住民の信仰する神々の敵対者であり、先住民文化の破壊者となるべく、邪神を信奉する秘教組織によって条件付けされた宗教だった/むろん秘教組織は、イエスやエホバやセオリツヒメを信じているわけではなく、敵対すべき善神を抹殺するために創り上げたフェイクだと知っている)
◎ 虚像のアマテラスに対し、イエスキリストそれ自体も虚像であり、秘教組織が創り上げたらしい方法論的共通性がみられる (いずれも虚像の神に、元の太陽神のポジションを奪い取らせている)
(キリストとキリスト教の虚構を説明するこのビデオ、今は見ることができなくなっています)
◎ 先代旧事本紀に出てくるニギハヤヒ、そこから譲位される神武天皇の関係とは、ニギハヤヒに天降する神、死人蘇生、数々の奇跡というイエスキリストの属性を持たせていたことから、この頃すでにキリスト信仰がバックボーンになっていたことがわかる (偽の太陽神信仰は神武天皇に始まっている)
◎ 意外と古代皇室は何も知らなかったのかもしれない (政治を裏から仕切っていたのは秘教組織(メーソン)だった)
◎ 古来から秘教組織は、善神の対極にある悪神崇拝者であった (悪神の正式な名は公にしない/関係する時代における善神の対極にある信仰対象を崇拝することで、悪魔信仰者であることを自認していた/このときはアマテラスの対極にあるセオリツヒメ、さらにはその背後にあるイエス/エホバを崇拝対象に据えて、庶民の善神信仰にぶつけていたのである/ただ彼らは時代の善神正神に対しての敵対者であればそれでよかった/その間、庶民はいつも無知でしかなかった)
掲題の「創作フィクション神話が独り立ちした」ことが、日本に根付いた神社ネットワークの根底にあったというわけです。
その単なるフィクション、フェイクにすぎない物語が、今の科学万能時代にまで巾を効かせ、ニューエイジといわれる若年層にまでいっしゅ憧れのようなものを掻き立てている現実をどう考えればいいのでしょう。
ただひとつだけ解釈できるのは、どんなに精神性が優位の時代になっても、秘教組織がそれをコントロールしているということでしょう。
彼らの御眼鏡にかなったニューエイジ、精神世界の理論が世の中の思潮の主流を作り、その他はどこかの時間の上で淘汰されていくということです。
我々は、宗教遍歴する多くの人たちを目にします。同様に、精神世界を遍歴して、いちばんいいものを自分のものにしようとする人たちを目にします。そして、大衆をいちばん動員している場に赴いている人たちを目にします。
ちょうどそれは、スターが聴衆を魅了しているさまに写ります。
スターはおおよそ、秘教組織の一存で簡単にうまれます。
政治家も同じです。
そのようなスモッグの立ち込めた、光が散乱されてまともに届かない世界から厭離していたいとするなら、主流を占めたものをフェイクとみなして厭離することから始めるべきでしょう。
なぜなら、秘教組織は真実を大衆のものにしておきたくないヤカラだからです。
意識改革が昨今叫ばれますが、それがどこを向いているか、見極められますか?
その分野にまで、秘教組織は選別と認可を与えていることに、留意しておきましょう。
*1
○八十禍津日ノ神(ヤソマガツビノカミ)、大禍津日神(オオマガツビノカミ)。禍(マガ)のことは次に云べし。津(ツ)は助辞、日(ビ)は濁る例にて【借字なることはさらなり。】次の直毘(ナオビ)の毘(ビ)も同じ。此ノ辞の意は、産巣日(ムスビ)ノ神の下【傳三の十三葉】に云り。八十(ヤソ)は禍(マガ)の多きを云ヒ、大(オオ)は甚(ハナハタ)しきを云にや。書紀には大禍津日は無し。又の一書に大綾津日(オオアヤツビ)ノ神あり。【三代実録三十五に、下野ノ國綾津比ノ神。】阿夜(アヤ)と麻賀(マガ)と同き由前(まへ)に云り。【傳五の三十四葉】遠ッ飛鳥ノ宮ノ段に、八十禍津日ノ前と云地ノ名あり。【倭姫ノ命ノ世記に、荒祭ノ宮一座、皇大神の荒魂(アラミタマ)、伊邪那伎ノ大神の所生(ウミマセル)神、名ハ八十枉津日ノ神也、一(マタ)ノ名ハ瀬織津比(セオリツヒメ)ノ神是れ也と云り。此書は偽書なれども、此神を皇大神の荒魂と云こと由あり。下に云べし。これらは古傳説ありてや云つらむ。また瀬織津比は此神の亦ノ名といへると、右にいへる考へと、引合わせて見べし。】さて世(ヨ)ノ間(ナカ)にあらゆる凶悪事邪曲事(アシキコトヨコサマナルコト)などは、みな元(モト)は此ノ禍津日ノ神の御霊(ミタマ)より起(オコ)るなり。其由は下に委く云べし。