私が物心ついたのはいつか不明だが、まだ昭和20年代のことだろう、最初に認識した光景は、白黒テレビの置いてある食堂で、父に肩車されての視線がちょうどテレビの高さであって、放映されていた場面をまじまじと見ることができた。おりしも歌舞伎の番組をやっていて、奴さんが刀を抜いて息巻いた場面で、私は恐怖のあまり泣き出してしまった。食堂のお客が笑っていたのを憶えている。後から思うに、幼児というもの、経験もないのに、どうして怖い形相と抜刀に対して恐怖するのだろう。前世の記憶を残しているからなのだろうか。どんな前世かは知らないが、きっと戦乱の経験もあったに違いない。
その番組と別の番組の合間だろう、サクソフォーンの演奏で「遥かなる山の呼び声」(シェーンのテーマソング)が奏でられる中、テレビ画面には雁木車が三つ、ゆっくりと回転している様が映し出されていた。
山が呼んでる
あの白い峰が我を招く
風が過ぎし日の香を運びくるよ
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああ遠き夢の日々
また帰る日を恋いてさすらう
シュミセー我がふるさと
シュミセー我が来し道
ああすべて夢の日々
心に抱きて今日もさすらう
(以上は奥人の勝手につけた歌詞)
いちばん最初に知った映像つきの美しいメロディーだった。
そう。進駐軍が持ってきたものであり、占領体制が解けかかった頃のことだった。
前世はどこにいたかのほのかな心当たりは、あるメロディーへの憧憬に求められるかも知れない。私はブラームスのワルツを聞くとき、心が揺り動かされ、その当時の情景が浮かんできて涙することがある。
家族でそのワルツに乗って踊った幸せな時間のあったことを感じ取れるのだ。ドイツか。第二次大戦のさなか、私はナチスの将校だったような。家族と祖国を愛する、ひとりの凡々たる男だったような気がする。
戦争で私は、大腿部に銃弾を受けて死んだのではないだろうか。幼時期から、大腿部に銃痕のような痣を持っていて、それがずっと気になっていたものだ。
山奥の庵でラジオ短波を聴いていると、暗くなってから、懐かしいメロディーがメドレーで流された。名曲の続くその中に、ブラームスのワルツがあった。メランコリーな時間が夕闇の中を流れて、いつしか瞼がうるうるになったことは言うまでもない。