仮想現実ということ
1月13日
LGガラスの情報のお蔭で弾みと厚みが増しました。ありがとう。
そもそも、世界は仮想現実。ならば元はプログラム。制御規則さえ設ければジャンプ命令で過去未来どこでも飛べる話と思っていたところに、実際に存在するグラスやタイムトンネルやタイムマシン(UFO)は合理的必然と捉えられました。
宇宙人文明のETたちはすでにこの世界(少なくとも地球環境)は仮想現実と知っているようで、宇宙開示情報では公然と語られています。だから、関氏のようにもう一段レベルを下げた仮想世界への移行を勧める人々もいるわけですが、いっぽう我々は霊系に繋がっているべきとして拒否する方向もあるべきです。
この世がコンピューターによって創られているという拙案は40年前に遡ります。それが後の仮想現実論になるわけです。そのとき古事記神話の解読を並行して進めていたのですが、「天地のはじめ」の段に肯定してくれる神々が載っていたことが確信を与えてくれました。高御産巣日と神産巣日という神様です。
高御産巣日神は思い金神(コンピューター)のお父上で結果を顕すための神。となら、超次元コンピューター。神産巣日神は隠れ結ぶ側、プログラムデーターの供給元のデーターベースという関係と捉えられます。
この神話の制作を命じられたのは天武天皇でした。
古事記序文の天武天皇の偉業を称えた部分
智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代
訳: 知識の海はひろびろとして古代の事を深くお探りになり、心の鏡はぴかぴかとして前の時代(未来)の事をあきらかに御覽になりました。
三種の神器を以て治められたとのことゆえ、鏡がLGグラスだった可能性あり。
「心の鏡はピカピカと」が謎の鏡の存在を匂わせてます。
神器の鏡をまだ正確に見た人はいないとのこと。逆に古代にタイムトラベルして見せた未来人がいたのかも知れません。見た未来知識を古事記の神話に記したと。
その未来人は現代にも暗躍している可能性があるというのが、再々のこの画像です。
私は声を大にしたい。無断で持って行かないでくれ、と。
最近では購入したてのデジカメのバッテリチャージャーが、古いのと一緒に持って行かれてしまって、機動的に撮れなくなって困っている。あらゆるところを探しまくっても見つからない。こんなことが再三あっていいわけない。
このように虚空に向かって抗議の声を上げておけば、ひょんなところ、まさかと思うようなところに突然置かれていたりすることがあるから、苦情は伝えておいたほうがいいと私は思っています。みなさんにもこれはぜひお勧めしておきたいです。
だから、逆に古代にこそルッキンググラスの実物があったものが、それがいつしかドロンしたため(未来人が回収していったため)、形態模写したもの(銅鏡)に代わっているかもしれないというわけです。いまやノアの箱舟(アララト山で見つかったという)や失われたアーク(神輿)もそんなふうじゃないですかね。
とまあ、呆けたような話をしています。だって、今の時代に見つかってしまえば、リバースエンジニアリングでとんでもない武器になったりしますから、未来人は回収に全力挙げてきたかと思うわけです。
しかし、チャージャーは関係ないだろうから、返してくれよと再度念押ししときます。こら返せ
1月23日
仮想現実とは、最近ではどういうものであるかわかるようになりました。VRゴーグルなども発売されました。また近未来にコンピューターの中でソフトウェア的現実をシミュレーションする生き方の選択も可能とのことです。もしかすると、今の現実もすでにそうかも知れないと言われています。
仏陀はこの世の現実もそのようであると瞑想によって悟られたようです。
般若波羅蜜多心経 : 悟りに至る六波羅蜜のうち智慧によって目指す道を般若波羅蜜といい、その精髄を顕したお経とされるものです。
私はお経の漢文から独自の解釈を行いました。以降は仮説です。
(http://p.booklog.jp/book/91316/page/2441583 …より)
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空
解: 観自在菩薩は、深く瞑想に入り仏の智慧を見極めようとした時、五蘊(色・ 受・想・行・識)のことごとくが空(仮想現実)であることを、純粋観照意識によって感得された。
(色とは形象。受とは感受。想とは思惟。行とは反応や行為。識とは総合認識)
度一切苦厄、舎利子
つまり、五感を駆使して外界を認識するすべてが、仮想現実なのだとはっきりとわかったというわけだ。
つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らしく認識しているのが我々であることがわかれば、どんな苦厄からも済度される(救われる)道理であろう。どうだ、舎利子よ。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子
形象は仮想現実と異ならず、仮想現実は形象と異ならず。
つまり外界は仮想現実であり、仮想現実が外界をあらしめているのである。
心象作用(五蘊)も同じ。すべてを形作る法則のことごとくが、仮想の上に成り立つ相というわけだ。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減
だが仮想現実の実態の背後は(あるいはそうあらしめている意識原理は)、
生ぜず、滅せず、
汚れも、清らかもなく、
増えず、減りもしない。
(初めがどこで終わりがどこかもわからないところの、仮想現実を生み出す原因なるものがそのようにしてある)
是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界
このゆえに、
形作られる外界はなく、それを感得思惟し行動し認識するもなく、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・体感する・思いをいたす、といったこともなく、
見渡す限りの世界もなく、思惟によって営まれる世界もなく
無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得
世の無明なく、無明の尽きるなく、
老病死なく、老病死の尽きるなく、
苦も、苦の原因を知ること、心の制御で減殺すること、その制御法や技術もなく、
そのような知識も特別な精神修養の知恵をまったく持っていなくとも、
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃
衆生済度の菩薩衆は、
すべて仮想現実であるという般若の智慧に依拠するがゆえに心自在で、何もこだわらぬゆえに恐怖がなく、誤った観念や迷いから遠離しており、涅槃の境地にいつもあるのだ。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故 知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪
過去現在未来の仏様たちも、般若の智慧に依拠されているゆえに、仏の悟りの法門に入っておられるのだ。
ゆえに、般若の智慧を知りなさい。
これは偉大な神の真理の言葉、
偉大な光の真理の言葉。
是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多呪
これは無上の真理の言葉、
三世に比肩するべきもののない真理の言葉。
世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、
真実の虚構でないものであるゆえに、
ここで般若の智慧の真理の言葉を説き聞かせたわけである。(舎利子よ)
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。
では最後にマントラの言葉を説いて聞かせよう。
サンスクリット語のマントラで意味不明とされているが、編者鳩摩羅什が一生人々に蔑まれていた不遇さから、この悟りの言葉の終りに、死者を下界に引き止める呪詛を含ませたという。
私もこの経文の引止め効果は、母の死後に唱えるようになって、経験してきたことである。
かといって、羯諦以下の言葉だけを外すわけにもいかないため、心経の読誦それ自体をやめるに至った。
それよりも、悟りの言葉を理解されることのほうが望ましい。
以上が般若心経という経文である。(拙解釈)