ブーがまた右後ろ足を負傷しました。昨日の夕方のことです。どこでそうなったかは分かりません。現在もまだ片足を上げたままです。屋外を走り回るほどになっていたのが、今は部屋ひとつの移動がしにくくなっています。
骨折の場合は、長く脚を接地できないとの事。医者も休みになって病気や事故は起きるものです。脱臼なら、日にち薬ですが、癖がついてしまったことになります。
あれからみごとな回復をみせたものの、他の二匹との体力差は歴然。なのにいっしょになって遊ばざるを得ないわけで、格闘遊びなどは追いかけ合って噛み付き引っかき、まさにプロレス並みです。高い神棚にもついて上がったんでしょう。
他の二匹は対照的に、今日など仏壇に何度も駆け上ったもので、家の外に長時間放り出しました。これで少しおとなしくなったものの、力を持て余してどんなこともやってみせてくれます。家の中は狭いので、いずれ自活させるようにするしかありません。ブーは負傷して内地におらされた兵隊さんのような好運ものかも。
しかし、三匹であることで、何かを目的とした連携がとれていることが分かります。彼らの来たところの霊視夢がホンモノなら、このままいてもいいんじゃないかということになるのですが、どうもこの世に顕現するときに、波うちガラス板のようなフィルターにかかってしまうゆえか、ミスマッチが繰り返されるばかりのようでなりません。
それでも、いちばんみんなが優しくおとなしくしてくれるときがあります。それは触れ合ったときのゴロゴロ鳴り出してからです。それまで堅い爪で引っかいていたものが、とたんに爪を引っ込め、肉球だけでお相手するようになるのです。噛んでも、ほんのやわらかくコミニュケーションのためにするようです。そうなれば、手袋も要りません。寝床で添い寝のとき、そうなりますから、とても可愛いこと。あの獰猛なウーが幼児のようになるのです。フーも幸せそうです。えさが好みでなくても、これだけはいいみたいです。私も、彼らを幸せにしているという実感を持つときです。しかし、彼らが大人になったとき、やはり別れがくるのでしょう。
思いますに、私の縁者はそんなにいません。しかし縁者は、なにかの定めのように現れ、定めのように去っていきます。人間としてスケジュールするというと、とても忍耐と時間が要ります。また、そればかりを目的にするわけでもない、マルチ目的を持って生きていますから、なかなかたいへんです。ところが、生まれたての猫として現れるというのは、目的も出会い一本に絞られていて、けっこう簡単なのかと思います。ブーフーウーは、駆け込み的にやってきたような気がします。
何をしにきたの? と、しょっちゅう問うてます。答えは、たいがい”ない”か”ニャー”ですが。