活躍の場を異界交信掲示板に代えて・・・2012年8月記載分(6)

2012/08/16 (Thu) 17:04:27
>外飼いの家に連れて行ってしまいました。
それは、子猫にとっては幸いだったかも知れませんよ。なぜなら、生まれたての子は母乳をもらっておらず、免疫皆無状態なので、人の手で育てるのは困難とされています。私のとき(たまろのとき)は生後二日の命でした。
母猫に一ヶ月ほど育ててもらった後なら免疫も受け継いでますから、猫の飼い主がわかっているなら、事前にもらいたい旨申し出て、了承を得ておくべきかと思います。そのころなら、丈夫に走り回ってますし、飼い主ももらい手を探していたりします。
人として生まれてくる子ですらそうですから、猫といえども、来るべくして来る猫がいたりします。それを育てるべきでしょう。
たまろのときは、母猫から奪ったようなものでした。結果は死なせてしまっただけでなく、母猫の恨みを買ってしまいました。母猫は銀猫のお銀。後から来た子猫たちを追い回しました。出産間近のウーを破水させたりもしました。手口に恨みがこもってましたね。
私が家の中で追い詰めてつついてやった後、もう二度と現れなかったです。決して怪我させるほどのつつき方ではなかったのですが。たまろとお銀には申し訳ないことをしてしまいました。
しかし、わざわざ縁あって来てくれた猫はすばらしいものです。さまざまな感動を運んできてくれます。特にブーフーウーは新神話とシンクロしてやってきた不思議猫でしたね。ウーの子、トンはどこかの僧侶を思わせるような慈善猫ですし、チン、シャンも個性豊かな子らです。手を焼くことばかりですけどね。が、生き甲斐を得ることができています。
2012/08/17 (Fri) 07:23:23
>子猫が来たら私は猫のことばっかりになるかも。
昔日の神と人との親交を模倣していると私は捉えています。神は人々の幸福を願い、最善を尽くそうとします。人々はやや判別力や知的能力が乏しいですから、いろいろと猜疑的になったり警戒したりもしますが、やがて安全に豊かにおれるのは神のお蔭と感じるようになり、そこに信頼が生まれてきます。
それでも考え方に違いがあり錯誤もあります。お互いの習俗の違いから、理解しあえないことが多々あります。ほんのちょっとした無理解による行為が、感情的な深い溝を作ったりもします。その修復のために、振り出しに戻ってやり直すこともあります。そうやって、神と人も共に進化していたのだと思います。
もしあなたが将来的に、神になろうとするなら、いま猫との関係を極めてみようとすることは、とても貴重な経験になると思います。猫のことばっかりになる。いいですね。
なるべくなら、習俗やものの考え方の異なることで、理解に自信がない場合は、独断や偏見を持ち込まないように付き合うべきでしょう。ただ衷心からの愛情で接するべきかと思います。そして個性を大事にし、公平にしてやることが、彼らの安心と信頼を培うように思います。
2012/08/17 (Fri) 17:02:29
https://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-1342.html
たしか、以前にもこのような話題が出ていて、そのとき私も宇宙人と会見したんだぞ、などと書きませんでしたかね。
メトロン星人がちゃぶ台を挟んで真向かいに対峙したのなら、私は相手が何星人か知らんですが、こたつ台を中において、私の左右の辺に、黄金のシンバル状UFO二機から降りてきた、ダークスーツ姿にハットを被った外人風宇宙人をおいて、会談したことがあります。
といっても、夢の中の話。しかし、これには妹がその昔、家の中で、ありえないはずの外人を目撃するという怪談のシンクロがあったのです。ときの会談の記憶は消されたらしく、二十年も後に、夢にそのときの光景が現れたわけでした。
何を話していたか。そんなことはわかりません。ただ、当分の間、繰り返し来訪を受けていたようなのです。受験勉強で妹と部屋替えした直後に、妹は兄ちゃんの部屋には外人の幽霊が出て怖いと言い出して、たった一晩で元に戻したわけでした。
ダンがウルトラセブンか。その弟がふぐたまのウルトラマン。ならば、私はもう少し年上のウルトラナイン、いやさらに、ウルトラ9神としておきましょう。実際、九鬼のこって牛とは私のこと。九鬼とは八大明王に大元帥明王が加わった最強の鬼神の布陣を意味するのです。
今の時代、邪悪が隠しもせず、無茶苦茶をして省みなくなりました。正しくまっとうに生きている人にとって、まったく息苦しい限りです。しかし、今の時代は、膿出しの時代であるのです。さまざまな臓器の隅に潜み隠れていたときは、なかなか取り除くことが困難だった。いるかいないかわからないし、検査するのも骨が折れたのです。
しかし、今のご時世、どこを見ても邪悪の跳梁がはなはだしく、隠れ住んでいた邪悪なばい菌たちも、調子に乗って我が世の春とばかり出てきて悪さをするようになりました。これをひとっ所に集めて、膿の溜まった嚢胞として切除しやすくしているのです。
ウルトラナイン。どう見ても無名です。それは必要があって無名だったのです。もし知られてしまっていれば、ガードを固められてしまいますからね。その辺は、セブンやマンにおとりになってもらうといったことなわけです。
さあ、素性を明かしてしまったからには、短時日にて任務を完了させてしまわねばなりません。ウルトラ九鬼のこって牛。どうぞお見知りおきを。
いやいや、テープは投げないでください。当たったら危ないですから。たんこぶできますから。そこの花束、いただきましょうかね。
それじゃあみなさん、またお会いしましょう。さいなら、さいなら、さいなら。(淀長さんは高校の先輩)
2012/08/18 (Sat) 12:33:04
https://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4271758.html
民主政権は敵をできるだけ近くまでひきつけて、一触即発の一線を超えさせて有事を演出し、内閣を総辞職して、自公その他とともに大政翼賛体制を作り、時限有事立法して徴兵制、庸兵制を敷き、自衛隊を軍隊に格上げして、外憂と戦う構えをとることでしょう。
フランス革命のようにするつもりだったら、せめてギロチン台の二三個ぐらい作っておかないと、間に合いませんよ。だって、政府の動きは、国民を制することにかけては、ウルトラ兄弟ほどに早いからね。ウルトラマンキング(小泉)なんてのが、こういうときは、パッと次の手を打つから。
国会前デモに集まった人々だったら、逮捕後すぐ男は兵員列車で護送して、翌日には船に乗せて海外派兵させてたりしますよ。婦女子は銃後の備えに就かせるんだ。重工に行かせて、機関銃の製造に当たらせるとかね。
荒唐無稽と思いますか? すでに地域的には、戦時体制で臨んでるんですよ。しかも、第二次大戦中よりも、状況は非道く、子供はもう宝とは扱われていないのです。
https://pfx225.blog46.fc2.com/blog-entry-1307.html
子供らよ、がんばれ、がんばれ(敵(放射能)と戦ってやっつけなさい)と。そんな政府にかかったら、国民は全員、戦争に狩り出されることでしょう。
>「無理じゃね!」
子供のほうが、よほど察知できてるじゃないか。
>これはいじめと同じこどものサインだ。ここを過ぎると大変な取り返しのつかないことになる。
ボランティアもここに気付かない、こどもの心を知らないのだ。
そんな大人たちがボランティアしても、百害あるのみだと思う。
2012/08/18 (Sat) 20:21:23
この場合は、ごく常識的な成り行きが予告されていることになりますね。
>母なる地 球は、数千年の間、人間にその上で暮らさせた後で、原始状態を回復しなければなりません。
これは宇宙人の技術で多少は半減期が加速されたとしても、長い期間かけなくてはほんとうの浄化にはならないということでしょう。
縄文の理想時代を目指して黄金楽土建設に携わるのなら、私もひとつ貢献したいという気はあります。科学万能のテクノポリスの世界のようなのは、まっぴら御免です。たとえ宇宙人が優しくしてくれても、ついていく気はありません。
金融システムの改訂版が提供されるとかありましたが、借金を認めるユダ金が背景にあるのなら、欺瞞は必ずつきものと考え、そんなものは端からは信用しません。そもそも借金で、経済活動などを円滑化し、業態拡大と加速に寄与させるなどというやり方は、ストレスを生ましめるのみ。またぞろバブルと破局へのひた走りになると予め看破しておきます。
金融システムは全廃。実態主義に立ち返ることしかないと考えます。
さて、ひとつ懸念が。聖書にこんな記述がありますね。
>1 それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない。 2 また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。 3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。 4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。
5 そして,み座に座っておられる方がこう言われた。「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」。
黙示録にそのようにありますね。が、この書は秘教にとっても成就せねばならない要目になっているとすれば、科学に頼る彼らは、どのような実現の仕方を予定するでしょう。
推測ですが、選ばれた民とその国土を、スターゲートを開けて、よその星に転送してしまうことで実現を図ろうとしないでしょうか。彼らはシナリオの成就には執念を持ってますから。
そう。日本を列島ごと火星にテレポートさせるわけです。フィラデルフィア実験の広域版です。失敗すれば、人々は火星の大地と融合したり石化したり。すでに前の時代のアトランティス大陸も過去に転送されていて、生き物はみんな石になってしまった。永遠の命を持つが如き塑像になってしまっているのです。
それは秘教が製作した秘密の最高芸術作品であり、当分の間、宇宙人だけがその芸術性を味わう観客足りうるというわけです。
妹は夢の中で、一人乗りUFOで未来の地球を飛んだと言ってました。そこは赤茶けた荒涼たる砂漠が広がっているだけで、ある種の感慨に浸りながらそれを見ていたと言ってます。もしかすると、そこは火星だったかも知れないのです。
2012/08/19 (Sun) 06:58:30
おおー、いつかきっとさんの誕生日でしたか。おめでとうございます。
マメさんも、お久しぶりです。またかつてのように、再登板をよろしくお願いします。
みんな少なからず、脳細胞の減少に遭遇しているようで、みんな眠気の日々を送ってて、文章を書き送ってくれなくなってます。私も眠くて、いつ文章が作れなくなるか知れたものではありません。このままでは、当bbsも、トキのようになってしまいそうです。
今朝の話題はこれ。
https://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message74.htm
西ナイル熱の話題。日本にもどうかというわけですが、アメリカのやり方が間違っていた結果の反動なら、文明として追随的な日本にも輸入されてくるだろうと推測がつきます。怖いですね。
この記事を私が今回取り上げたのは、この淺川さんがたびたび「カルマ」という難解な言葉を用いられているからです。今回は、「カルマの反撃」「カルマ返し」という言葉。たぶんこの二つは同じ意味で使われているようですね。
しかし、カルマというものは元々存在するものではなく、これを仮定することによって、さまざまな自然現象が説明しやすくなるという、「便宜」的意味合いのものでしかないことに注意が要ると思います。
いっぽう、カルマという概念を作ることによって、本来の正されるべき行為が、別のものに置き換えられてしまう弊害があろうと思うのです。要は、「カルマの発生」とは、行為の行きすぎ、行為の元となった動機の間違いが、自然界によって拒絶される必然性のことを言っているのであって、何か点数としてカウントされて、それが罰金と相殺されるようなイメージのものであってはならないはずなのです。
ところが、インドでは寺院詣でをして寄付すれば、カルマが軽減されるとか、アガスティアの葉などはアドバイスしますよね。これでは、キリスト教会が発行してやまなかった免罪符と変わらないでしょう。邪悪な行為の処罰がお金で清算されてしまう。そんなことをしているから、本来の正されるべき性向が正されぬままになおざりになってしまうのです。そしてしまいには、いったい我々は、何でこんな目に遭わねばならないのか、まったく理解が及ぼせなくなるのです。
カルマのことを前提に置く、エドガー・ケーシーのリーディングにもおかしいものがいっぱいあります。カルマの保留とか、前々世のカルマが、前世には出てこずに今生で現れてきたとか。いったい、どこの行為の結果? そんなもの後になってしまえば、さっぱりわからなくなっていておかしくはないのです。
本来ならば、ある行為をしたときの問題が、すぐさま問題視されて正されていれば、本人もわけがすぐにわかるのです。たとえば、AちゃんがBちゃんを叩いてしまった。Bちゃんは泣き出す。そしてAちゃんはよく叩くから、敬遠されるようになる。それはAちゃんにもBちゃんにも不利益でしょう。そこで親は、それを見ていて、Bちゃんの叩かれたのと同じ箇所を、Aちゃんにも叩いて見せるわけです。そして言う。「どう。Bちゃんはこんな痛みを感じてるのよ」
Aちゃんはそれで初めて気がつく。そうだ、痛いものなんだ、不愉快なものなんだ、と。それが元々の行き過ぎ、動機の間違いを正す直接的な諭しになっているわけではありませんか。Aちゃんは以後、人をあまり叩かなくなることが期待できます。それが正すことになっているのです。
それが、罰金(お金)で解決したとかになってくれば、何がいけなかったのか、ぼやけてきてしまうでしょ。あるいは懲役刑を課されたとしても、同じようなことでしょう。殺人嗜好の犯罪者は、殺人の嗜好そのものを正すべきなのに、ある期間、冷や飯を食べて健康管理されて、出所時にはホクホク顔で出て、もしまた窮したら犯罪して戻ってくれば厚遇してくれるとなれば、何の正す処置にもなっていないわけです。
つまり、カルマとか罪とか、別の概念に置き換えたことで、さっぱりわからなくされているということなんです。今の刑法などの法律はみな、別の概念にされてしまった結果の、一種の点数制度になっているのです。これでは真の解決にはなりません。
カルマ論はインド聖者から始ったかどうか知りませんが、持って回った哲学概念が、どんなに事態を複雑化しているか、研究しなおす必要があるのではないかと思います。
私は、カルマなどというものはないと断言します。たしかに、私の妹のパーキンのことを書いたとき、カルマ難病とか書きました。それはケーシーがそう言っていたから書いたのであって、カルマという概念によって変に縛られる必要などないのです。
カルマ難病と書いただけで、どんな意味か読者は理解できますか? 何がカルマ発生源だったのと、逆に質問されてしまうでしょう。あるいはただ、その言葉が独り歩きして、よほど非道いことをしてきた人なんだなあと、偏見と差別の元となりかねないことが愚かしいわけです。ちょうどそれは、どんなことをしてきたかわからないのに、前科者でひと括りされているのと似ているわけで、たいした教訓もそこからは汲み取れないでしょう。
私はそういう複雑化と理解困難化させてきたインド聖者も、邪神の片棒担ぎに他ならないと断ずるのです。今の霊大国インドの凋落ぶりは、インド聖者のカルマなのかも知れませんね。
妹のパーキンは、本人の性向によることが明確な事例なのです。すなわち、自ら、自分の自由を縛る性格なのです。それをまた、他人にも押し付けて自由を縛ろうとする。独特の判断基準によって。
「そんなことしたら、危ないよ、やめときな」と、やってみたこともないのに、さも見識ありげな官僚的態度で、苦々しい表情をして臨むものですから、母は妹が来るたびに、気分的に不愉快を催していたのでした。私にもよく言ったものですが、私は他人の言い分が元々眼中にない性分なので、これはまたこれで行き過ぎがあるわけですが、ふん、何言ってるんじゃいと、蛙の面に小便、わが道を行くのみでありましたけどね。(聞く耳持たずの行き過ぎは、誰からも聞いてもらえなくなる、相手にされなくなる。それをまた利用して左団扇で気楽している自分がいたりして。これは応用編ですが)
母は、私との暮らしは何の抵抗もない、妹とはとてもやっていけん、と言うのが常でした。だって私は、お互いが好きなことをし、好きな余生を送ればいい、協力すべきときはいつでも呼びなよと言ってましたから。根底に無責任と放任主義があったとすれば、また行き過ぎに注意が必要ではありますが、表向きに生ずる感情の差は雲泥でしょう。母に気に入られるというのは、とてもありがたかったし、光栄でした。
妹は、自らの判断基準で、他人を評価するとともに、同じ基準で自らの身体の自由をも縛っていたのです。今は、他人というものは思うように動いてくれないことを悟ったようで(もし母が存命であれば、また母に精神的に寄りかかって苦しめたかと思いますが)、それが妹自身の縛りを解きつつあるように思います。カルマの満了は、おみゃーが死んだ時だと言ってやっており、何の意味かちんぷんかんぷんのようでしたが、本人の自覚が向上したに違いありません。光明雲を手に入れつつあるようです。
身体の自由が利かなくなる病気は多々ありますね。アルツハイマー、ピック、筋ジスなど。それらの多くが、本人の思考の性向に起因している場合があることを、私はおよそ見て取っています。喜びの多い生活こそが、心身の健全化を図る元だと、ここでは申しておきたく思います。
西ナイル熱や新型の奇病の発生は、潔癖主義、完璧主義の行き過ぎによるものと思います。ほどほどこそが、自然界も人間界も心地よく生を享受できるはずのところ、衛生を完璧にとするあまり、息の詰まるようなことを自然界にしているわけです。カルマなどと言わずに、万事、相似像の中に生きていると考えてください。相手に対してしたことは、自分が受け手になるんだということです。窒息させるなら、、自分も窒息するのです。
蚊を目の仇にしなくてはならず、またもや殺虫剤散布で、人間や大動物の生命にすら被害をもたらすこのいたちごっこ。むしろ、死亡原因を化学物質が演じているではないですか。院内感染で耐性菌の新型化が繰り返されましたよね。もしも、自然界一般の細菌たちをほどほどに生かしておけば、捕食しあって、新型耐性菌などの生ずることもなかったのです。目くじら立てている時間だけが、もったいなくも過ぎてしまっているのです。
コンクリートとアスファルトで塗り固めてしまった都会も、見た目にきれいで清潔に見えますが、自然界の土壌を窒息させているわけです。人が必要とするところだけ、コンクリートを使えばとても便利なんですが、それを闇雲に徹底的に塗り固めるから、その隙間を縫って、自然界が問題を持ち込むのです。コンクリートは堅牢なれど水も通すまいとする排他の精神がみなぎりやすい。するとどうなるか。大阪にかなりの雨が降ったらしいですね。マンホールが噴水のように吹き上げたとか。ゴキブリがいっぱい出てきたとか。こうしたところから、人がほどほどを悟るならいいのです。しかし、根っこの性分はなかなか変えられるものではないですからね。潔癖症。これはトラブルの元です。
今年の夏は、山では蜘蛛がすごく増殖しています。きっと虫が全体的に増えているのでしょう。蚊も非常に多いです。需給関係ですね。こんなバランスを自動的に自然界はとっているのでしょう。あちこちでお店を開いているので、蜘蛛の巣や糸に引っかかって、不愉快きわまりないですが、それもまた仕方ないのです。天井から細かい蜘蛛が忍者よろしく、いっぱい降りてきたりします。今年は気持ちいいことまったくありませんよ。私がなれていくしかないのです。不快度が今年はアップしたからといって、カルマの反動がどうこう言いますでしょうか。そんなくだらないことにまで、神経を使うことはないのです。
いい加減(つまり怠慢)と、ほどほどとは似て非なるものです。後者はバランスを見ながら、悟りつつする所作です。英知なくしてはできません。工夫と思考を繰り返す、人間らしく考えてする所作なのです。
2012/08/23 (Thu) 07:17:56
暗黒医療。
https://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1508.html
静かなる大虐殺。善意を装うだけにアウシュビッツよりも性質の悪い。
詩篇10.74
大きな七が巡り終わるとき
大虐殺がある
千年紀の大きな年からそう遠くないころ
墓に入っていた者たちが出てくるだろう
>カトリック教会は、山下俊一のクリスチャンとしての行状について、どう考えているのでしょう。子供が大変なことになろうとしているときにも、聖書に手を置くだけなのだろうか。
それとも、ローマ・カトリックは悪魔の巣窟になったということか。

同源。

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