百ハー論、大輪の花盛り・・・続き

11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2~P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1Q:仮定、とは何ですか
A:・の象徴  ・の子孫  大輪咲かそう
はい。ハー論のタイトルになりました。
>●出品=出場
はい。これを過去にしましたが、大輪開くまで、これからもエントリーし続けます。
In deepさんが昨今取り上げた記事に、DNAの知られざる世界がありました。
その中の95%以上が遺伝情報に関わらない未知のジャンク部分だということです。それをロシアはすごいですね。その中からとてつもないものを見つけつつあるようです。その点亜米利加は先行して進んでいることでしょうが、すべて秘密にして邪悪な目的にしか使わない卑怯組織のお国ですから、どんなものが出されてきても一般向けの情報ならばマユツバにしとくべきでしょう。
我々素人はいいですね。総合的に物事が捉えられますから。
私はまだ若い頃に、人間には霊魂があって、霊体と幽体に分かれているといった情報に接しました。今でも大同小異、同じようなイメージでいます。
霊体はいっそうわかりにくいので、幽体のほうの性質だけにしときますが、どうやらこれに中国漢方では経絡という異界の神経伝達系を設定しているようですね。というのも、これは通常の神経細胞で成り立っているわけではなく、目に見えないところの、ただ電位的に特異さを醸す経路であるからです。
しかも、中国四千年の伝統医療として用いられてきた経緯が、ふつうだと与えられがちな非科学的というそしりを免れさせているようです。ところが西洋医学つまり科学の側からはまじめに研究されることはありません。サイ科学という不真面目と見られがちな異端研究者グループでかろうじてフォローしている現状ですね。ちょうど自民党に河野議員などがいて、緩衝材の役をしてるのと似ています。が、主流からすれば鼻にもつかない、どうでもいい存在だったりします。
そんなところに1983年、拙モデル概念は登場(出品、出場)したんです。研究論文よろしく英語でシノプシス書きましたよ。それが功を奏したのか、秘教組織の目に留まり、彼らの優秀な知識体系に組み込まれたのかも知れません。のちに1999年、映画マトリックスとして、神の側VS救世主側のスリルとサスペンスのバイオレンスアクションと、大衆への虜囚的絶望観念の植え付けのために用いられることになった、かも。とにかく大衆向けには、混ぜものだらけになっているということ。峻別智が要求されるところです。
さて、話を元に戻し、私がまだ若い頃、幽体とDNAのリンクを考えたんです。DNAがなぜ人体の内部組織の配置さえも認識できるのか。ふつう、単なる偶発物理学の延長上では想像もつかないことでしょう。どうです? 難しくなったら、またぞろ、神がなされていることだと、某宗教に逃げ込みますか?
馬科学者と鹿宗教家の二面性を発揮しないでくださいよ。ねえ、専門家さん。
DNAが体内電流によって励起されて生体磁場を発生させている。その統合されたものが幽体ではないのか、と当時の私は考えたのです。こんなこと、ちょっと頭ひねれば感じ取れるはずですよね。
のちに、カスタネダのドン・ファンシリーズを読んだとき、ドンの教えの中に、”人間の鋳型”というのがあって、それは原人とでもいうべき神々しさのもので、テレポートなどにも重要な役割を果たしているとのことだったんで、びっくりしたのです。
人はまれに神々しい光に満ちた人格的存在に触れることがあるとき、ドンによれば、それは人間の鋳型を”見た”のだといいます。その場合は幽体のさらに内にある霊体のほうに接したのだと、私は思いますけどね。
しかし、鋳型という表現は、みごとに人体の五臓六腑から何から何までの配列を監督している有様を想像させて、うれしいほどではありませんか。
鋳型が何らかの都合で形成されなければ(磁場を発生させるべきDNAが異常であったり、DNAは正常でも細胞内物質の異常で電流がまともでなかったりすれば)、葡萄状奇態という死産のケースになったりしないでしょうか。配列を監督矯正する管理者がいないようなものだからです。
が、そのケースとは今の偶発科学者ならではの落ち着き先なのです。彼らにはその程度のオツムしかない。というのも、異界を断固として認めないから、前に進めないのです。面倒な方程式のほうへ逃げ込むことばかりしていて、おおかたの彼らのオツムの中はノイズの海状態のはずなんです。
いいですか。彼らのことをバタリアンと言います。みなさんはオバタリアン。その中の特に頑迷なかたをババタリアンと言いますね。
バタリアンが作り出すものは、原発のような、未来を見据えたことのない、有害なものばかりなんです。理論もみんな有害。人間の都合のいいことばかり言ってるようで、最後はそれに背かれるのが人類。この構図、よく憶えといてください。バタリアンの行き着く先は、すべてが葡萄状奇態のようなもの。万事、そうなりますから。
この秘儀のもうひとつ深いところを言っておくよ。バタリアンはそうならないように願ったけど、バタリアンにされちゃったの。誰にって?神様のグループによってですよ。グループ=群類=グル。ここにも邪神が関与してんだよ。だから、そんなもんの占領下にあって、まともなことができるなどという幻想は捨てることだ。
さて、話を元に戻して、私は若い頃、霊能者の話にも耳を傾けましたよ。過去世の記憶。あるいは事件の経緯をビジュアルに見る霊能者のいること。それは、この空間に事件が、あるいは過去世が、記憶されているからだろう。この空間には、たえず書き込みがなされる仕組みがあるに違いない。それをしているのは何なのか。
ちょうどDNAが励起して幽体をあらしめているのと同様に、きっと物質や心質(想念)が励起されて、空間に記憶のパターンを刻み込んでいるのかも知れない、と。
それで、当時、造語で”恒常空間埋蔵法”なる原理があるに違いないと思ったようなことでした。(高校時代かな)
つまり、この宇宙空間も、大脳皮質とよく似た性質を持っていると思ったんです。のちに、人間は小宇宙だなんて、先哲の話を聞いて、おおーっと感嘆しましたね。この先哲の話はみなさんも聞き知っておられるでしょう。そしてきっと、人間は神の似姿に造られたと同じ意味合いを持たれたのではなかったですか。
私はそんな宗教と絡めることはしませんでしたよ。もろに科学的に考えましたもん。的外れかどうかは別として。
その後、社会に出て、公務員になろうかと思ったけど、何か花形と言われてた情報処理産業のほうに行っちゃったんですね。苦労しに行ったわけです。結果は能力が追いつかず、リストラの言葉もない時代にリストラされたわけでした。その点、大企業は対処法を当時から知っていて、今だったらもっとやり方も洗練されかつ残酷化していることと思います。私はまだしもいい時代にサヨナラできてよかったんです。
ところが、知りえた知識が成果になりました。この残酷な世界の姿をモデルとして捉えることができたわけですから。コンピューター。この冷酷非道な化け物。そんな中に私は居る。みじめすぎてうれしくなりましたよ、あの当時。
神の存在を信じていました。が、それゆえに逆に神に対しては腹立ててばかりいました。あるとき、自転車に乗ってる最中に、雨が降り出してきてスコールみたいになったんです。そのときおりあしく、よくないことが続いて起きてたため、ついに怒鳴りながら、天に唾を吐いたのです。するとそれはみごとに顔に戻ってきて、諺どおりとなったわけでした。
しかし、どうです。ついに神の正体を、神の冷酷さの正体を明らかにしました。にんまりと溜飲を下ろしたことは言うまでもありません。
花形産業に勤めていた頃のこと。心がすさみがちだったのも、ドツボにいたからかと思ってます。
私が初めて関わったコンピューターはHITAC8200で、タイターが求めていたIBM5100、IBM5200ときて、その少し後に出てきた機種ではなかったでしたか。動作原理を理解するには適切でしたね。
18. 信号と反応の連鎖の陰に、創造神の設計思想が垣間見える
まず、前回の記事でずいぶんと失礼があったかと思うので、お詫びかたがた。
バタリアンとオバタリアンはぜんぜん違いますからね。
バタリアンは名は体を顕すのとおり、場当たり(バアタリ)的なアンすなわち、利己主義者のことを言うんです。
だから、これは純然たる日本語なの。ヤマトコトバといいますか。
オバタリアンは、生は足りアンで、命の充足のことを真っ先に考える利己主義者(やっぱりこれがつくか)のこと。
だから、いざというときは誰彼押しのけてでも、わが子可愛いとなったりするってことね。
しかし、命のこと考えてることがすごいし、アンをanじゃなくて案にすれば、命の大切さをみんなで考えていこうというアイデアに変わってしまうんです。
だから、未来の期待のホープは、そう、みなさんのことだからね。
あるネット界だけの有名人は、未来は女性系社会になると断言してますよ。私もそれでいいと思います。
新時代は女性系社会。母系社会とも言いますかね。そうでなかったら、存続可能な世界はできないんです。
あの何種類もの宇宙人と親交の深かったSさんも言ってます。宇宙人はみんな女なんだと。男の姿してても、あれついてないんだって。
地球に何で男が居るのか。それはおうちゃくな宇宙人一派が、地球開拓と防衛のため、そして何より奉仕させるために作り出したといいます。ところがやっぱり肉体労働に特化した種類ですから、この地球環境においては優位性がある。覇権を主張しだして、社会構造が逆転してしまったというんですね。
宇宙に乗り出す文明まで作るなら、命のことをよく知っている女系でなくてはならないんです。男の文明はみんな外に出る前に滅んでます。今回は知らんですよ。もしかしたら、うまくいくまれなケースかも知れませんがね。
長々といいこと書きました。これみんなお世辞ですから。
さて、そろそろ退出を。
違った。本論が欠けてはいけませんね。
もう40年も前の生物学者の研究によると、人間はどうかはまだ当時においてこれからのこととして、凡そ動物は昆虫も含めてですが、彼らの行動はすべて、信号と反応の連鎖によって成り立っているということを突き止めてます。
学者、それも過去の学者の言うことだから、本気にしなくていいんですが、私にとっては、ほん都合のいい学説だったんです。
あの小鳥たちの愛情あふれる親子のしぐさ、献身的なオスの求愛行動、外敵の認識の仕方と防御反応、みんな信号と反応の連鎖にすぎないと結論したのです。そこには人が抱くような愛とか悲しみとかの感情は介在してないんだと。つまり、原因と結果の連鎖であって、結果がまた原因になって次の結果を生むといったことですね。それがただ淡々と外界には展開しているのだというのです。
もう少し突っ込むなら、DNAに信号と反応の手続きが記憶されていて、それが指令して小鳥に次の行動を取らせているというわけです。子を守る親鳥の無私の感動的行動。それを感動して見るのは人間だけ。彼らはある危険信号を認識して、ある信号を持つものに体当たりしていったにすぎない。車に轢かれて手足を痙攣させている狸がいる。それを見て、苦しいだろうな、彼の脳裏には親を待つ子狸のことが口惜しさの中に写っているに違いない。それは人間のする想像にすぎない。こうしてみれば、なんと言う不謹慎な非人間的学説を造るものよと腹も立つことでしょう。そう、おそらくは人間の作る学説なんてものは、嘘八百であって、すべて覆るに違いないんですが、そのころの私には、とてもいいものに見えたんです。
DNAは神の言語表現の具体化したものです。それが強制して彼らの行動を促しているとすれば。つまり、この世界は総じて神の言語表現とみなしてもいいのではないかと、私は感じたんです。
それが拙モデル概念の基盤にはある。だから、一見すると冷酷無比なものとなるんです。間違えれば、殺戮するに罪の意識なくやってしまえるゴミクズを造る可能性がある。卑怯組織なんかは、その方面を強調しますからね。
しかし、拙モデル概念における宇宙プログラムには、想像や心理的動きまでもあらかじめプログラムされているとしています。
つまり、設計者(神)が人間の観測と認識のために、生き物の愛情表現などを与えて、それを感動的に見ることができるように作っているわけです。その設計者の意図には善良なものしか感じられないはずでしょう。ただ神の被造物を愛でてほしいという。
それゆえ、この宇宙のプログラムを基本的に造った者は、信頼の置ける者に違いないと分かるんです。
ではなぜ今のようなおかしな世界になってしまったのか。
私は、原初の姿を創造した太古神と外来の邪悪な神という対比を設けてストーリーにしました。
この世界は邪神によって後天的に乗っ取られてしまった。
国祖引退神話というものが世界各国にあります。引退後、世界はおおよそ闇に包まれたと伝えます。
エジプト神話で言えば、オシリスを暗殺したセト。ギリシャでは黄金時代を治世したクロノスを殺害したゼウス。
日本では非公式ではあるものの、国常立尊と天照天皇を封殺した邪神たち。公式には謀反人は処罰されて事なきをえたように、しつらえられていますが。
ま、今の国情を打開できるのが、天皇さま以外にはあるまいと思われるので、ここでは深く申しません。(次には申すかもよ)
三度目の玉音放送は、はるかに感動的なお言葉になると思います。(二度目は東日本大地震と大津波のときでした)
きっと資産家たちは復興資金を涙ながらに出してくれることでしょう。(終戦当時を思い出しましょう)
また言いっぱなししちゃいました。
聞きっぱなしに、してくれるかな。
19. 新時代は魂の故郷にいて博物館から旧時代プログラムを閲覧して学ぶ
旧時代のみなさんはたいへんなことです。
古来言われているように、時系列的な輪廻転生を繰り返し、進化という謎の目的を達成していくわけですから。
神縁をたまたま得て順調で幸福な人生を送るかと思えば、守護をなくして不幸の極みをあじあわねばならない人生があったり。
目に見えない摂理を恐れ敬いながら暮らすことを余儀なくされていく人ばかりになります。
それでもよいというのがこれまででした。
新時代は解放の時代ですから、解放された者たちの自由選択が許されることになります。
旧時代も、むろん新時代も、すべて宇宙の開始から終わりまで、神の言語プログラムに拠っていることがわかっていますから、その範囲内でならどのような応用形態も工夫されることでしょう。
旧時代には、人々は受動的に課題を持ったひとつの人生をあてがわれ、それが終われば功過が採点され、差配神の指図で次の輪廻があてがわれるわけでした。
新時代においては、学府において、旧時代のプログラムを対象にして学究的に閲覧するという形態になります。
研究課題は自由に設定でき、学び終えたと自分で判断した時点でアウトプットを出し、学府が妥当と認めたら、その道の専門家となり新時代のさまざまな分野で活躍するようになります。
むろん、新時代において旧時代を学ぼうとするのは少数で、人心の脆弱性などの研究を通じて、高次の世界におけるセキュリティの達成に寄与したいという人たちがもっぱらです。
私もそのようなひとりであり、故郷に邪悪の侵入する余地を与えないことを目的とするファイアーウォール部門に属しています。
以上は、この今の世界にアクセスする者に、大きく二種類あるということを示す話でした。
つまり、新時代を未来とするなら、未来からこの過去の時代にやってきている者もいると考えてもらえばいいでしょう。
なにもタイムマシンを開発せずとも、霊それ自体が全宇宙のプログラムの任意の場所にアクセスできるUFOのようなものだからです。
しかしそれは、一定のルールによってのみ許されていることです。特に旧時代プログラムに対しては、人によっては混乱することもあって、学府からはガイド教師がつき、チェック機能を果たしています。
いっぽう普通のシーケンスな流れの中に漂流するかのような人々がやはり多いです。
その彼らに対して、何ができるわけでもないのが新時代からエントリーした者なんです。実に孤独なものです。満足に交流できるのが、やはり新時代からの者ばかりになりますから。
私は、人心研究の一環で、日本神話を研究課題にしました。二つ前の過去世は本居宣長でした。といっても、旧時代を生きた宣長の人生の世界線にエントリーさせてもらったわけです。そのもっと前には太安万侶でした。これもむろんエントリーによってです。えみこのようなハッタリを言うつもりは毛頭ありません。
その一連の経験を通して、通常では見つけられないような邪悪の流れのあるのも、見て取ることができました。これはもしかすると新時代にも間隙を突いて入ってくる恐れがあると思えるものでした。私はこの経験が終われば、この恐れの部分を含め、研究のアウトプットとして上提するつもりです。
私は、50歳までで人生を終えるはずでした。研究に欠かせない、見つけるべきものを見つけたからです。ところが、その成果を先買いして、旧時代から新時代への移行を司る神々からの要請がかかりました。すなわち、新神話制作による協力です。
プレイバックのプレミアムつきでやってきたのも、見つけるものに対して細大漏らさぬためでしたが、この機能は新神話の見届けにも適用できることとなりました。むろん、奥人の網羅する世界線の限界までしか行けませんが、これもまた面白いかと思います。いやあ、面白くは決してありませんよ。だって、この世の中見てたら、うんざりしますから。この研究を最後に、旧時代プログラムとは金輪際おさらばするつもりです。
そう思えば、旧時代を生きる人たちのほうが、迫真性の中で生きられて、恵まれてるのでしょう。しかし、その彼らが新時代人になるのも間もなくです。
20. いちど来た限りは、皿洗いでもなんでも奉公していきましょう
「世界はブラフマの見た夢。彼は善悪混交のストーリーを組み立ててその中で夢を見ている」
これはちょっと勉強した人だったら知ってる噂ですよね。
だからといって、今現にこの世界に来ているあなたに、そんな悟ったようなことが言えると思いますか?
毎日毎時、木の葉のように彷徨い暮らしてるあなたは、目の前のことで手一杯でしょ。アリンコがどうして雲の上のことを思いながら暮らせるの。それと同じ。大それたことができる立場じゃないってことなんです。
いや、思うのは自由ですけど、すぐに現実に引き戻されてしまうでしょ。こっちがあなたの仕事なんだよ、と。むろん、空想にふけってばかりいた私のようなのもいますよ。しかし、まだリストラという言葉のない時代にリストラされちゃいました。だから、分相応にしてるのがよろしいようです。
何も考えないでいこうというのも、仕事してることにならないんでしょう。
善悪の局面に際しては、善に就こうとすべきでしょう。正義と邪悪のせめぎあっている局面では、正義感に燃えるのがほんとうでしょう。魂の故郷に根ざしているのなら、ひとりでにそうなります。
>Q:誇り とは何ですか
   (Q吉田松陰さんどうされていますか
       ・・→A歩んだ道のりに誇り  )
A:・の活躍見たい  ・へエール  メッセージ
かつて正義に燃えた先達がいました。彼はあちらで後世の子弟たちの正義感あふれる活躍を見て、エールを送っておられるのでしょう。この交信は彼からのメッセージですね。
が、魂の故郷から離れたく思ってる人は、邪悪のほうを選びます。ホログラムの干渉縞の暗いところ(魔の巣)を目指してるわけですね。これはテスターとしての創造主の自由だから。
むろん仕事と割り切って向かってる人もたくさんいます。相当にスパルタンでなくては務まりません。ゴイムと呼ばれる人たちより数段格が上。いわばピエロみたいな熟練者です。事故のあった原発に作業員でいくようなものだから、決死の覚悟です。死が決まってるってことね。だって、火の鳥に焼却されるわけですから。
いっぽう、気楽なこんな私でも観光目的だけで来れるわけないんです。仕事といっては何なんですが、研究目的だったんですからね。ところが、いまは決死隊なみの仕事までしています。猫のブーなんかはフーの応援ついでに観光しにきたつもりが、みんな予定が狂って、いちばん苦労してるからね。肝心のフーはさっさと引き上げてます。
この世界は、予定通りいかずでほんとたいへん。
しかし、これは言えます。あらかじめ決まったレールの上をあなたは歩いてるということ。そうなってるのをあなたは光を当てて確認してるわけなんです。今あるあなたが判断して進路を選び取ってるように見えるけど、ほとんどの場合はそこに曲がりくねったようなレールがあっただけなんです。
そりゃ、願いや思いによって慣性方向を変化するようなパラレルワールドに移行する場合もたくさんあります。しかし、分岐点はわりあい遅れて出てくるものですし、すぐにあるということもありうるけど、よほど強い情念が要るものです。
だからここは、あなたが今した判断が正しかったか間違ってたかなど、思い悩むことではないのです。
神の化身サイババさんも言ってます。誰も私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない、と。あるいは、人はこっけいなあやつり人形だ、と。
そりゃ、木の葉に揺られるようなレールに乗っかってれば、木の葉のように揺られます。それを結果がよかったとかわるかったとか、後で悩むことだったのかどうかですね。あやつり人形が、ありゃしまった、勝手に右手が動いたよ、困ったことをしてしまった、なんて思いますか。
しかし、こんな横着はいけませんよ。勝手に右手が動いて、隣の人を刺しちゃったよ、私は操られてたので知りません、なんてお白洲で申し立てても、市中引き回しの上、獄門打ち首になるだけです。彼は打ち首になるレールに乗っかってただけだったとなりますからね。
捉え方、わかりましたか。
木っ葉人生、風任せ。いい風吹いたら帆を揚げて、雲行きわるけりゃ帆を下ろす。あとは、きっちり心の隅まで監督してると豪語するお方に責任持ってもらえばいい。ただし、まじめにしなくちゃ、いけません。少なくとも、監督に恥をかかせないようにしようという心構えがあってほしいです。そうすれば、守護は万全。監督をためしてみてやれなんてちっとでも考えたら、お前いい度胸してるじゃねえか、と、ぽーんと左遷されちゃいますよ。おかしなパラレルワールドに。だって、監督はヤクザ上がりなんだから。
あっ。す、すんません監督。つい口がすべってバラしちゃいました。

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