伊勢来得籠(イセラエル)幕舎におけるDM記事バックアップ 4/28~29

ムーに出品したこと

4月28日
ムーの表紙絵にはまだ目が載ってますか?

実は、ムーにはむかしお世話になりました。先のミステリーチャンネルとの協賛というのよりもう少し前に、ミステリー懸賞論文募集で賞をもらってムーの巻末特集に載ったことがあります。
null

1989年にちょうど成果が上がってたところに懸賞論文募集というタイミングの良さだったので、体裁をまとめて出しました。ミステリー大賞の次点の優秀賞だったため、稿量の半分しか載せてくれてなくて、それで改めて1995年に自費出版したようなことでした。
現在⇒ http://p.booklog.jp/book/99385/

ムーが採用した理由はたぶん幾何学図形群です。特にこれと思います。
null

ところが、おそらく古代秘密結社との関連を隠そうという姿勢が感じられたのが、別人にこの逆五芒星関連の探索をムーが依頼したらしいことです。その人は、図形を関東にまで広げて、富士山と結んだりして、ヤタカラスの尾は尾張(愛知)=終はり、で終わるべきを拡張してしまった。(笑)

そして昔から言われていた太陽神信仰と結びつけてしまい、中東的な幾何学の多用については、ぼかしてしまったように思います。

太陽神信仰となら、古代人らしくていいですね。しかし、もっとすごいことがありえたということを示したかったわけでした。古代人、けっして侮りがたしと。

渡来人はなかなか海を隔ててやってくるのは難しいでしょう。しかし、先にルシオさんが示してくださったように、4派にわけてでも日本列島を目指した渡来人に理由があるならば、黄金の国であり謎の幾何学眠る地を手に入れたいがためだったかと思うのです。

その最終目的の地が畿内大和だったのは、直接行動をした神武東征でしょう。九州で挙兵準備をし、それまでに様々な事前工作(銅鐸文化の敷衍)もなされたでしょうし、地の利を本州で調べ尽くした上での侵攻だったかと思います。

銅鐸など、現代でも量産することはできないというのに、それを数こなしていた民族とは誰? そしてそれが勿体無くも、ある一時期に一斉に放棄されました。そのときとは? 最終目的が達成されるとき以外にないと思うのです。
null

カバラは錬金術でもあります。古代中東ではレンガ焼きの技術から合金の鍛造技術まですぐれたものがありました。それをどうして持ち込まないことがあるでしょう。

ユダヤの神秘主義思想とされるカバラですが、エジプト、カルデアに起源するとされる(バトラーによる)精神変性という錬金術の技術でもあり、修験者のルーツとなる人たちは山歩きをし、洞窟に篭って瞑想修行をしたようです。

坂本さんは六甲山に天狗伝説ゆかりの洞窟がいっぱいあると言ってました。天狗岩と名付けられた場所もいくつかあります。

なぜ六甲山系に天狗伝説があるのか。それは故地ユダヤの面影を遺すのがここだったからと思います。北にガリラヤ湖(キネレト湖とも言う、竪琴の意味)南に死海へと抜けるヨルダン川。その地形を角度を違えてでも相似像を呈する土地がここだったのかも知れません。
null

これはおまけです。(笑)
null

三上さんはいまの編集長ですね。懸賞論文の当時は大森さんで、その後、土屋さんのときにスカイフィッシュで取り上げられました。しかし、誰にも会ったことはありません。関東まで車で行くの骨折れますからね。
スカイフィッシュ番組
https://rainbow.悠遊夢想.jp/general/tv/mystery-c/mu-mystery.htm

懸賞論文の賞の選考者には南山宏氏とか何人かおられたようですが、授賞式には行ってないのです。

結局、UFO撮影クラブでは武良さんだけが都に上りデビュー。たけしの番組でUFOをみごと呼び出して、たけしとまことが絶賛し、以後、UFOを呼ぶ男の異名を。彼も自分自身、ムララムーという異名をつけてましたが。チャネリングを確かにする人で、過去世が宇宙連合の司令官だったとのことです。だから、いざというときにはUFOの応援も呼べるのでしょう。

坂本さんも、宇宙人による拉致体験者で、向こうに子供がよおけおるんやと話していて、実際に応援に駆けつけたのが無数の白球UFOだったということも、びっくりでした。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/general/tv/fuji-tv/choijinden.htm
しかし、坂本さんは、たけしに偽者扱いされたため、都上りは適いませんでしたね。

先にこう書きましたね。
>別人にこの逆五芒星関連の探索をムーが依頼したらしいこと
この別人は2004年からこの企画のためにオートバイで走られたとのこと。このときのムー編集長が土屋さんだったことになります。いっぽうで、テレビ出演で持ち上げながら、いっぽうで発見を掠め取るやりかた。カバールらしくていいじゃありませんか。(笑)

源流を辿ってくれた篤志家の方のお蔭で、かろうじて寄り切られずに済んだかと思われます。そうでなかったら、小保方さんのようになってしまうところでした。あぶないあぶない。(笑)
https://bit.ly/3bO3IGI
https://bit.ly/2KEXPzJ

UFOのこと、ムーのこと

4月28日
河野さんが知ってるかどうかは知りませんが、自衛隊の中ではUFOはよく知られた存在かと思います。旧知に元航空自衛隊員がいて、彼は一度、火星に40分ほどで行って帰ってきて、次に行くときはもう帰還しないと言い残していて、それまで連絡とってた人によると、どうやらすでに消息を絶っているとのことです。

もう40年前にもなりますが、彼が属していたUFO観測クラブの観測会に参加して、初めてUFOを目撃させてもらいました。
http://p.booklog.jp/book/97090/
彼はその頃、基地の上空によく出没するUFOをカメラ撮影して、同クラブの展示会に出品していましたよ。

その点では、昔のほうが自由度があって、まさかこんなことがと思うようなことが平気で語られていたように思います。今のほうが窮屈になったのではないですかね。高学歴社会になったためか、そんなバカやってるのかとお叱りを受けてしまいそうですが、マスコミもそういう領域のことは抑えてしまいますから、マイナーなものになってしまうんでしょう。今ではエンタメで話題性が乏しくなったときの幕間にこういったものが登場しているように思います。

日本は特にその傾向が強いですが、欧米はまだフランクで、興味持ってる人が多くて、UFOよりマイナーなスカイフィッシュ(ロッド)でも、15年以上前の米国の発見者のサイトが未だに盛況です。日本にもスカイフィッシュの撮影例があると、あちらに下手な英語でメールすれば、1時間も経たないうちに、彼はメーリングリストで欧米の読者にアドレスを教えたもので、こちらのアクセスカウンターがあっという間に5000カウント増え、一週間で2万ほど増えました。見れば、あちらも下手な英語ですね。(笑)
null

4月29日
ルシオ氏:
ムーは姉が買っていたのでかなり前から見てましたね
創刊に近い頃ですね
その頃に既に2020年前後に大きな危機が来ると書いてあって日本から救世主が出ると書いてありました
ですのでその時に手伝いをする事を決めてました
ただもっと若い時に来て欲しいと思っていましたがその頃では全く苦労が足りませんでした
なので今は楽しくて仕方がないですね

ムーは昔から2020年あたりのことを見越してたということですか。ルシオさんのお姉さんがファンであられたんですね。兄弟共に不思議や謎に興味され、ご先祖様もそのようですね。いよいよ、そのときが来ているとわかっておられただけでなく、楽しみながら果敢に乗り越えていこうという、なんたる豪傑だろうと思ってしまいます。いざ鎌倉ですね。

メシアさんは全体の調整役になっておられるようで、これまた非常に大事なお役目ですね。そのたいへんな時期になっていて、誰の目にもそれは明らかになってきています。平和だった世の中に、まさかと思うようなことが目の前に起きている現実があります。元気出していきましょう。

ムー以前にも、宇宙人やUFO系の情報誌で”コズモ”とか”UFOと宇宙”、また”ゴッドマガジン”といった同系の雑誌が出ましたがみんな消滅し、ムーだけが一人勝ちしていった感があります。今はそこにトカナ(知ってる限りですが)が食い込んできましたね。どちらも”目”が大事なようで、やっぱり秘密系が関わるから、そちらからの役目も買われて存続するのかと思ったりもします。たぶん啓蒙する役目も持ち合わせてるのではないかと思います。

————–ここからは検閲されてか投稿不能になった記事—————

ただ、ムーで気になるのは、創刊号から表紙絵に目が描かれていたことです。もしかすると河馬流ではないかというわけで、歴史や事実のアレンジは得意ですから、真実1割、怪しい話5割、のこりが”ぼかし”といったふうに捉えておいたほうがいいかと思います。
null

たとえば、先の修験者が弟子を取ろうとするときの候補者の合否判定の話などに根拠はありません。

ただし、彼らはいっぽうでは人々に対する啓蒙や思考力の促進に寄与する側面があります。だから、衆目を真実に近いところに集めようとするのでしょう。単に学びだけで終わるなら、洗脳されただけで真偽のほどが掴めずに終ることもになるが、そうではなくて、学ぶんじゃない、自分で考えるんだ、自分で工夫するんだという姿勢が必要というのが、これからの世界を切り開く人類の態度になると、彼らも思っているのでしょう。

その点は、江戸時代の大江戸の町民はみんな創意工夫が得意で、どんな無駄なように見えるものも自分なりに有効に活用していたといいます。今の人たちは学校で詰め込み教育で、それが社会で役に立つことはほとんどないのに、ただ従順に従うことを義務付けられているから、新しい発想が湧きにくくなっているように思います。我々はロボットじゃないんだぞと言ってくれることを期待します。

日本でノーベル賞を受賞したまじめな学者さん(誰だったか?)も仰ってました。今出されている学術論文も10年後には淘汰されて1割ほどになっている、だからそれを鵜呑みにして信じるのではなく、自分で考える習慣をつけることが大切なんだと仰っていました。

これは幼くして数学博士となったバーネット氏の当時の講演です。偉大な科学者の過去がどうであったかを語り、彼の生い立ちから成功への過程とその秘訣を伝えてくれています。

私も大学を1年で中退してよかった。大学騒動と満員電車の通学距離と時間に閉口したことが逆に雑学して自ら様々な発見に繋がったと思います。また、宗教団体の修行で破門されてよかった。そのときのリベンジ精神が、研究への熱意になりました。まあ、成果のほどは果たして一般受けするかどうかはわかりませんが、自分の一生でこの世界のおおかたが理解できたように思います。

また、不思議経験もそれに加味されます。自分のこの世だけでなく、あの世のことまで、予定というかシナリオというかが、分かったような気がします。すると、自分と自分を取り巻くすべてを理解し終えたという、非常に充実した想いになれました。もうこの世に何らかの作用を及ぼすことは、歳と体調、その他の要因で適いません。残る時間がある限り、世の中を眺めていこうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です