為清さんはデービッドアイクの説も翻訳されてるみたいですね。
https://www.davidicke.jp/blog/20120318/
アイクはマトリックスプログラムが月基地から放射されていて、人類はホログラムの上で夢を見ているような状態だとされているようです。
私の説では、地球人類だけではなく、階層でなる多次元世界のすべてがマトリックスプログラムであって、その中のどこを経験するかは、人それぞれの思いによって、プログラムの該当部分を索引してきて、それにパワーチャージして、自らの経験時空を営んでいる、としています。
だから、有情は誰でも創造主。マトリックスに載るプログラム情報を限りとした中で、経験時空を選択実行している創造主だというわけです。
高次元の高みから見れば、人と人とのいざこざは、巣穴の違うアリ同士の戦いだったりしますが、逆にアリ塚に次元を落として見てみれば、みんな王国に暮らす秩序正しい人間たちだったりしています。それはよほど、自由を錯覚した地球人類よりは品行方正かも知れません。
恐竜もここから見ればおどろおどろしい限りですが、彼らの次元に観点を持てば、リーゼントにヘアスタイルを決めた恐竜紳士がペチコートを着た恐竜淑女とデートしてたりします。
だから、誰でも同じ。一生懸命に、それぞれの思いの中で生きています。
>しかし、そういう想念体は・・どうなるのじゃろうか?
眠ったようになっている意識体ということですね。はい、これも簡単です。
まず、時間というものそれ自体が、思いによって作られています。もっぱら、時間は経過を吟味して見たいという要求によって現出しました。
ほんとうなら、思いのとおりが即座に現れるものも、どういう経緯で現れたのか分析を希望したから、順路をたどるべく、時間が生じて、その経過の中に、組み上がりの順序が説明付で現れ、今まで黒子だっものがすべて見える形で出てくることになったのです。
家やお城なら、黒子は大工や人夫だったりし、共に練りあった設計図面が広げられ、現場監督が指示する中、基礎工事、棟上などの順に作りあがっていきます。あなたは、それを毎日のように見に来て、組み上がる様子を見るわけです。
それを要求したから、そうなったのであり、もし要らないのなら、あたかも旅行から帰ったら、家が出来上がっていたといった家の受け取り方もできるのです。高次の観点からは、私は旅行に行く時間を儲けたわよ、なんて言いません。また、時間を通して建築を逐一見てきた者も、おらも旅行したかったなあ、とは言いません。それぞれが自分の要求したことですから。
精神の抑圧されたうお座の暗黒の2000年を生きることは、非常な忍耐と苦難の経験になったと思います。よほどの目的がなければ、抑圧の時代に生きたくはないはず。しかし、それを選んで生きている人たちがいました。
しかし、いずれ2000年は去り、抑圧から解放されるみずがめ座の時代が来るわけですね。その洗脳抑圧の2000年を転生した人は、損な時間を送ったのでしょうか。いいえ、ただ選んで進んだわけですね。
同様に、死んだと思ってただ横たわっている人たちにも、いずれ目覚めを促す時が必ず来るわけです。彼らが2000年損したことになるかというと、そんなことはないですよね。時間というものは、後付けで現れたものですから。
彼らにしてみれば、目覚まし時計が鳴ったから、起きた。なんだ、死んだ夢を見ていたのか。その程度のことかと思います。魂の永遠を観ずるなら、どんな迂回路を辿ろうとも、一分の損得もないでしょう。
あいつは落第生だ、留年していた、といった話はきっと、霊界にもあるのでしょう。同じ頃の幼友達が、今はと見れば、一人はとうの高みに達している。だがあいつは、なんだまだ地底で蠢いているじゃないか。馬鹿なやつだなあ、といった話もきっとあるのでしよう。だからこそ、地上世界にいちばん露骨に表れている現象なわけですね。
しかし、それが導師の立場から話されるなら、その導師は失格です。なぜなら、根幹的原理を理解していないから。洗脳された地球人類のセンセーたちとちっとも変わりません。導師となる教育受け直しで、カリキュラムが組まれることでしょう。新時代には、どんな立場の者も同等です。ただそれぞれの趣向に従ったゆえの差異が認められることとなります。
梵天はそのような世界をもう用意しています。しかし、マトリックスにある限り、真の世界にいるわけではなく、夢幻の中にいるのです。それは如意珠のかもす世界。そこはとても魅力的なのです。離れるに離れられないネバーエンディングストーリーの世界です。
月: 2012年4月
叩けよ、さらば開かれん、とは
葛藤とは、左脳による何度も繰り返し行う思考実験のことと捉えております。
その繰り返しの中で、右脳からの天啓の横槍が決着をもたらす場合もあるかも知れませんが、多くの試行錯誤が脳の中で繰り返され、それが現実行動になるときには、ベターと思われた思考実験の結果であろうかと思います。
しかし、左脳のすることは試行錯誤が主であり、100のうち1つでも正解(ベスト)であればオンの字です。左脳は三次元世界に関わるための脳。世界のあらゆるシステムがこの試行錯誤の中に置かれているのも、この理由からでしょう。
政治、経済、人と人との輪、何をとっても完全なものというものはありません。
しかし、なぜか黄金楽土とは異なるも、すばらしきろくでもなさを感じるのはどうしてなんでしょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/33616006.html
誰しもがひとつやふたつそれ以上経験することのありがたさ。
いやー、三次元世界って、いいもんですね。
叩けよさらば開かれん、という言葉はこのために用意されていたと思われます。
左脳思考の問答の繰り返し。そのとき、何度も扉を叩いている。そして扉が開かれ、解答が塊になって渡される。
そこで人は、えも言えぬ快感(快感物質の分泌)と、おおこれだ!!という判断をえるのです。扉とは、右脳の天啓情報ルートのこと。
しかし、天啓とはいえ、完全なものではありません。叩く者の求めに応じたものにならざるをえず、また邪神側とつながることもあるからです。一種のチャネリングですね。
また、議会制民主主義というものが、いかに天啓からかけ離れたものになるか、思ってみてください。議会に天啓がもたらされるのではなく、個々人にもたらされるからです。良い政治は、天啓がしのぎを削りあってなお、幾多の妨害を乗り越えて成立できるわけですが、これは難しい。
必ず天啓担当の参謀(つまり軍師)が要り、独裁制が望ましくなります。今もそうでしょう。結局は、ロス茶さんとかが独裁してるんです。彼は邪神とつながって天啓を受けてるということ。