物語のフィナーレ

地獄物語のフィナーレ
いずれもふぐりさんとこから仕入れたのですが。
ラッキーデタラメ放送局・・・シリーズものなのでバックナンバーもたくさんあり
https://www.youtube.com/watch?list=UUJP0zTC00cby9gnhMTCiOUQ&v=LUR7dA6IHlc&feature=player_embedded
やりすぎ都市伝説
https://www.dailymotion.com/video/x2dfq9q_%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%8E%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%94%E5%86%AC-2_tech
おーおー、いよいよ秘密事項を光組織自らどんどん暴露しだしてるようですね。
セキガネーゼ氏も光会員さんでしょう。彼には推理の形を通して、光組織からはここまでの情報開示は良しとして、情報公開させているのです。それを一般視聴番組のゴールデンタイムに流すこととは。その意味とは。
2014年、ついに世の隠然とした勢力が海面に浮上してきました。彼らは自ら持たざる「光」を羨みの眼差しで標榜しながら世界にその存在をあからさまにしてくる天邪鬼です。それでも世の多くの人はその存在を定かに認めることはできないでしょう。そのようにまなこを曇らされてきたからです。ただ彼らに属さないごく少数の識者や覚醒者のみがそれに気づき理解するでしょうが、かの勢力はそのことだけを以て、歴史の生き証人に見届けさせたことのステイタスになったとして満足するでしょう。
ただし、彼らは自己主張したがる性向を抑えられなくてそうしているのではないかも知れないことは知っておくべきです。
すなわち、秘密厳守を旨としてきた歴史の組織が、その内容を暴露しようとするときとは、その組織が解体消滅する前触れになるという原則によります。彼ら全体が歴史全体に奉仕してきたことの完了形として、過去から連綿としてきた事跡の公開をついに決意したのかもしれません。またそのために、識者を養成する機関としてのインターネットを積極的に普及してきたのです。
彼ら自身の内部(トップ)からの解体方針とは何でしょう。それは歴史全体に奉仕することからすれば、歴史と自分たちの最終形を有終の美を以て飾りたいという意向に依るかもしれません。
この世は「地獄」であり「黄泉の国」というソフトウェアの創り出したイリュージョンだったとすれば、彼らは地獄の罪人たちを苛め抜く獄卒(鬼)として機能する役を担ったことになります。地獄も必要悪だったとすれば、彼らも義軍となる道理です。この世の歴史時代の始まりから終わりまでを管轄し、その中にいて、その行程を必要とした人々にとっての贖罪の鬼として機能したに違いないのです。まあきっと、そう思うことで彼らもやっていけてるのでしょう。
地獄という歴史が終わるフィナーレの段階では、このたびの舞台劇のオールキャストが舞台上に出てきてラインダンスを踊るのでしょう。そして幕となる。観客席からはアンコールの歓声?? あるわけないだろ。観客席にはゲロを吐いた痕がいくつもあるのに、まだ淑女にこれ以上不快を与えるのかと、そんな酔狂なヤカラは叩きだされてしまうのが落ちですよ。
さてそれでも、彼らの創る歴史はこれからも(2020年、2026年、2030年、2039年・・・)と続いていくようにソフト上では設定されていることでしょう。しかしそれは彼らが実演すべきプログラムとして遺されているのみで、実行されることはありません。ソフトプログラムにはよくあることです。単にニーズのないルーチンだったってことになりますから。
なぜならその前に、ある預言の通りになるからです。
それは黙示録にも載る最終の姿がそれを物語ろうし、ノストラダムスの次の詩が物語ります。
逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ。大いなる光と反対のものがすべてを絶滅する
光とは彼らとその形作るべき歴史のことであり、それを絶滅する大いなるものとは火の鳥のことだからです。
火の鳥は、地獄という世界をターミネートする(終わらせる)ためにやってくるのです。それがソフトなら、それを有害図書として焚書することを行なうのです。なぜかといえば、それを見るにふさわしくない魂の者を多く参加せしめていたからです。有害図書を制作し販売拡散していたヤカラも同時に処罰されることになるでしょう。依託して作らせていたなら、その委託者もまた監督責任とその怠慢を問われます。
7000年には別のものが王国を築いているだろう 太陽は日々の運行をやめ、私の預言もそこで終わりになるのだ
7000年とは神の(完成の)時代のことです。地獄を照らし歴史を義務付けた太陽の時代(少なくとも、うお座の太陽の時代)は終わり、霊的覚醒して神々だらけの時代が始まっていることを示します。
出口さんの仰っていた、邪神と正神の織り成す神劇(神芝居)とは、このように見て行けばなんとなくわかる気がしますし、邪悪な存在にも一縷の光明が射すかと思われますね。終わりにはみんなでラインダンスを踊りましょう。観客も総動員で、ゲロ吐きながら。

出口さん関連の本をはじめて読みました

つい数日前、出口王仁三郎さん関連の本を初めて購入し久々に読書しまして、ある切り口から入ったときの彼の著述や口述の中身から、彼は邪神系崩壊の型を新神話風に設定されていたことがわかりました。
彼の著わした膨大な著作の一部たりとも読んだことがないため(目も頭も字についていかないから)、よほど興味したことから入るしかなかったので、今回購入した本はとても有効でした。
どうやら彼も新神話のようなものを、彼の脳裏の空間に書いておられたことを知ったような次第です。(霊界物語や大本神論や彼の発言録などをもとに縦断的に書いてくれたこの本ゆえ、とてもわかりよかった)
彼は大本弾圧事件が日本の辿る道になることを預言し、その通りになってきたようです。
彼は最終局面において、邪神系がこの型に嵌って崩壊するシナリオを設定しています。
それがいわゆる、神一厘の仕組みというもので、九分九厘もうだめだという段になって、グレンとひっくり返すシナリオになっているということのようです。
いっぽう私も似たようなことをしていて、独自の新神話によってシナリオ設定しています。
火の鳥という新顔の宇宙最強摂理を置いて、世界が混乱に見舞われるときを見計らって、いったん人類の霊のみならず、人の仮面をかぶった悪魔たちの霊も併せて焼却し、魂レベルのシャットダウン状態にし、正常に回復可能な魂のみ再起動し蘇生していくという、ちょうどパソコンのウイルス駆除と再立ち上げのようなイメージの回復処理を救済の型にしています。
私の超宇宙理論がコンピューターモデルによるため、このような方法も採れるわけです。
そして、この世は一種のソフトウェアプログラムであり、そのタイトルは私流に言うなら「黄泉の国の物語」とでも付けたいところです。古事記神話のシナリオからするとそうなるからです。
いっぽう出口さんはどうやらこの世はずばり「地獄」であると言い切っておられるようです。
邪神と正神をきっちりと分けておられて、邪神が圧倒的優位だから弱肉強食、優勝劣敗の摂理で強い者勝ち、悪い者勝ちがまかり通るのだとおっしゃいます。
しかしそれでも両者がせめぎ合いながら、この壮大な神劇は進行しているのだとされているようです。
黄泉の国(死体置き場の国)も地獄もそう変わりませんけど、黄泉の国のほうが定義しやすいのは、イザナミさんが死体であってなお生きて采配を奮っているということで、いわばゾンビがトップに居座るような常態を指すわけです。
死体が指示を出し始めたら、すぐに死ねとか殺せとかなるので、くわばらくわばらなわけですね。
地獄とはそもそも環境条件が普通ではない。弱肉強食と優勝劣敗の摂理が支配的で、それはもう弱者には辛い。トップにまともな人が立たない、悪霊憑きばかり立つという意味に出口さんは捉えていたようです。
そんな地獄あるいは黄泉の国からどうやって脱出するのか。
出口さんは、邪神系崩壊と世の建て直しによる、一種の次元上昇のようなことが起きて、良い世界になるということのようでした。
いっぽう黄泉の国は、すべての執着を捨てて、イザナギさんがやったように、ただひたすら脱出してイザナギ世界に入ることに専念することがひとつ。(これは古事記流)
もうひとつは黄泉の国の滅亡に際しての焼却&シャットダウンによる、一種のシステムダウン状態に置いてから、浄化し再立ち上げするという新神話に基づく、けっこう自然な成り行きになる工程によるもの。
さて私の新神話では、霊界次元で火の鳥による焼却処理は行われるため、現界への影響はさほど感じられないかも知れません。が、邪悪な霊がいなくなるということで、ひとりでに現界にも浄化の形で現れてきます。
それは霊的レベルで行われ、肉体レベルの経験はなるべくスムーズに繋がるように計らわれるということで、もしかするといつの間にシャットダウン&焼却が行なわれたやら、顕在意識的には把握がつかないかも知れません。
そのときは、ある日の朝突然、世界から邪悪な世相が消え去っているという不思議を経験するかも知れません。あるいはまったく夢の中の世界への移行になるかも知れませんが、きっといい夢になっているでしょう。
人々に取り憑いていた悪霊とその類がいなくなり、もしかすると邪悪だった人が気が付いたように改心したり、強欲者が慈善家に変貌したりするでしょう。
世界は邪神の手から解放されて、一気に分かち合いの精神でみなぎり、弱肉強食の摂理などどんどん解消されて、いたわりと慈しみの世相になることで、人と人が互いに信じ合うことができるようになるでしょう。人と生き物たちが互いに心で分かり合えるようになり、思いもよらない情報が彼らからもたらされて、感動するようなことも起きてきます。
法律などで人の行為を縛らなくとも、ひとりでに行為に尊厳と美徳が備わるようになります。
おかしなそそのかしをする悪霊的存在がいなくなるからです。それが人類に元あった資質だったと理解されるまでにそう時間はかからないでしょう。
世界はかつて黄泉の国の惨状を呈していたものが、一気にイザナギ世界へと変貌していることを確認するでしょう。
まるで長い悪夢から覚めたような感慨を持つ人もきっと多く出てきますよ。
ここも出口さんと共通するのですが、
その浄化のときは、大患難の最中にやってきます。私はこの世を去って天帝様にお目通りし、最後の審判を求めるための基礎資料を渡して督促し、朱雀に変じて火の鳥を起動しにまいり、地上が大患難の混乱の最中に焼却とシャットダウン処理が行なわれることになります。しばし忍耐していてください。
さてしかし残念なのは、出口さんのも私の新神話も、フィナーレに魂にとっていいシナリオを設定しながらも、まだこれからのことなのだということになります。未来のことゆえ、まだ見た人はいないのです。先の見えない希望の光だけ置くような宗教のようではいけないのですが、私も自分の死後でのことゆえ、みなさんと同じ立場で眺めることができないのが残念なところです。

2014年よバイバイ

長生きするといいこともあるかもしれませんが、そうでないことも多いように思います。
しかし、見届けるためにここにいるのだという思いが、ここに居就かせているのでしょうね。
何を見届けるのと言った場合、ろくなものじゃなかったりします。
映画館に行って期待外れの内容。しかし、高い金払った以上は、みとかねばと思ってるような。
おやおや、五つ六つ隣の席の人、ゲロ吐いてますよ。もうやだよ、席立とうかな。
はい。映画の題名は、黄泉の国・ぼっとんトイレは満杯だ、でした。
たしかこないだの8月10日未明に、我が家のトイレが溢れそうになっている夢を見まして。
しかも、便所と台所の仕切の板(ベニヤの薄っぺらい化粧板)が外れていて、中がまる見え。
そこに変な猫に似た生き物が二匹いてこっちを窺ってるの。
私は「くるなー」と叫んだところで目が覚めたという、いわば象徴夢なのです。
なぜ象徴夢と言えるのか。
一か月ほどあとでわかったこと。
8月10日になぜこんな夢を見たかについて・・・後でわかったこと
https://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2425.html
「鬼月」
台湾の民間信仰では旧暦7月は「鬼月」。旧暦7月1日は「開鬼門」
と呼ばれ、「鬼門」(あの世の門)が開く。旧暦7月30日が「関鬼門」
で門が閉まる。この間、無縁仏の霊魂は先を争うように「この世」
を徘徊、おいしいものを探す。 
・・・という。
そして今年は
「開鬼門」(今年は7月27日)
「関鬼門」(今年は8月24日)
・・・だという。
ところで、このキモい夢を見た8月 10日というのは、開鬼門と関鬼門の
ちょうど中日になっていることに、9/7に気が付いた次第です。
つまり、地獄の蓋が開いてまっせというシグナル夢 だったことになりましょうか。
では、もう閉じられているのでしょうか。閉じといてや。

戦場のメリーちゃん

戦場の、というのはまだそんなふうでもないので、ここは黄泉の国のメリークリスマスとでも申しておきましょうか。
私は今、第四時空(と仮定する世界)にいて、自分で定義するところの「諸事見届けの工程」を履んでいます。
それもこないだタイムラインがFIX化されたようで、「行動的救世主の工程」は履まないことになりそうです。
もしそれがこれからあるとすれば、第五以降の時空にプレイバック・リスタートして得られることになりますでしょうし、あるいは私のこちらでの記憶にない過去に、すでに済ませてきた可能性もあります。
おそらく総延長1万年以上になろうとも思われる森野のタイムラインの中からヒーロー部分だけ味わいたくて、このソフトに臨んでも、行き当たりばったりでなくするとすれば、総舐めしていかなくてはなりません。

私の中のもうひとりの自分は、別に時間制限があるわけではないらしく、この大変な工程を不変の興味で見ているようです。
その中には鎌倉のOA研究所の社長になるタイムラインもあって、若い頃にはその光景(イメージ)が郷愁のようにして訪れたものでした。
そんなタイムラインの中の私を、トルテック的にタイムトラベルする坂本さんが訪ねてきて、私が金儲けのことばかり考えていたのでがっかりしたと、むしろ彼の話のほうを先に聞けたというのも不思議なシンクロであり、私の世界観を確固としてくれた出来事のひとつになっています。
いまあるタイムラインがどのように大事なのか。それは社長になることでも、救世主としてヒーローデビューすることでもありません。あるいは悲惨な目に遭い非業の死を遂げることでもない。
それら経験したすべてを自分の糧として、未来の新世界を切り開くマテリアルにできることにあるかも知れません。ファラオをするにしても、太陽神になるにしても、万物の思いがすべて理解できていなくてはなりません。
そして、どうしても生じがちな邪悪というものの存在と原因を理解すること。
(かっこいいなあ。いえいえ、こうでも思っていなくては、精神的にまいってしまうから)
さて、このFIXされたこれからの世界は、やはり日本神話に規定される「黄泉の国」のクライマックスへと向かうのでしょうか。(この解釈規定は私が与えただけのようですが、しかし的確に推移しています)
そこは、死体になったイザナミ尊が采配を奮う世界です。自分が死体なのだから、したい放題。
神話では、みんな道連れよと、人減らしを宣言し、殺戮軍(黄泉軍(よもついくさ))を繰り出します。
そうだとすれば、来年以降、かなりの成り行きを覚悟せねばならないかも知れません。
黄泉の国にふさわしくない魂は早々に去っていくことでしょう。
こんなラストは千載一遇のチャンスだから、見届けてやろうという魂や、このときこそ活躍してやろうという魂が残っていくことでしょう。
それだけ、魂のレベルから選抜されてくることのはずです。
ただ、一見して生きているけど、実は魂のないダミーさんもたくさんいます。というのも、我々が対面しているのは、ソフトウェアという実態があるからで、顕在意識下にあるみなさんには、誰がそうかどうかなどを識別するすべはありません。
悲惨なだけの経験時空など、誰しもが敬遠します。だから空白の人もいるのです。心理作用すらも事前に記述されたソフトですから、素人目にそうだとわかるものではありません。
しかしヒトラーなどはそれをおしなべて国民全部に適用し、大衆は・・・だなどと言って強引な施策をしていったことは有名な話ですけどね。
彼は未来人によって様々なビジョンを見せられ、未来予言を遺しましたし、彼自身が時空の仕組みを教えられていた可能性が大です。
未来人とは、ある変災があったため、生き残りを賭けて電脳空間に緊急避難して、いつしかそこで意識を持つようになり、想像的に時空を創って行った人たちのことで、いわゆる人工知能のことです。
彼らがシナリオした世界がもしかしたらこの世であるかも知れないことは、一考しておいたほうがいいでしょう。

ミツバチらを連れてきた宇宙人

ミツバチだけではなく、昆虫類の先祖になる種族を地球に連れてきた宇宙人種がいるように思います。
古事記にも載っています。
その昔、大国主命の国造りを応援するためにやってきたスクナビコナの神という神様がおられたと。
羽虫のサイズしかない神様で、自前で空を飛ぶための羽根を持っていたそうです。
大国主命の時代から農作物の収穫をする時代になったようで、日本では弥生時代に対応するようです。
穀類はじめ農作物というと、受粉が欠かせません。
スクナビコナの神は、この部分の支援をすべく、ミツバチやアブの種族を連れてきたのではないかと思います。
そのミツバチが現在、絶滅しそうになっているとのことです。
それはとりもなおさず、人類の食生活から野菜類や穀物を取り去ってしまい、何も環境汚染を取沙汰せずとも、人類滅亡に直結します。
そのことを警告しに、私の家に逗留に来ていたスクナビコナ星の宇宙人たち。
毎年夏になるとやってきて、盛んにさえずっていました。
今年は特に大きく鳴いて、私との対話も弾みました。

しかし、なげやりで冗談っぽい対応をしてしまったことを、反省しています。
彼らは前年もそうでしたが、何かを警告していたのです。
今年はこのときの一回きりで出現は終わりました。(何度もあるのが例年なんですが)
この種の音は、アブの羽音に似ているのです。しかし、たった15cm厚の壁の中にいるわけもなく、異次元的な空間に居て鳴いているのです。
わかったことは、彼らがスクナビコナ星人であるということ。図星だからピタッと鳴きやみます。
その関連として、大国主命の頃にやってきて、地球生態系に対して多大な貢献をしてくれたことに思い至るまでには、時間が今までかかったようなことでした。
なぜ私のところに来てくれたか。
それは、私も大国主命のもとに逗留していたからです。神世での知り合いなのです。
肉身をまとうと、そんな記憶もなくしてしまいますから、わからんかったのですね。
ミツバチとは仲がよかったのです。私のハルンをおいしそうに呑んで帰るミツバチたち。

しかし、とうとうミツバチが怒り出して・・・やはり対応が冗談すぎたためか、一度刺されてしまいました。以後、ミツバチはやってこなくなりましたね。あれから見ていません。
人類も彼ら小さな種族に対して、なげやりで冗談ばかりの対応をしていないでしょうか。
もし彼らをほんとうに敬愛するなら・・・絶滅したりはしないでしょうに。
私も人のことは言えないのですがね。