千と千尋ふたたび・・・カルマシステム

カルマ、カルマシステムというのは人類だけのもののように思います。
人類登場以前の生態系、今においても生態系には、カルマはないでしょう。
それなのに、種の絶滅が毎日のように起きています。
彼らはただ成り行きのままに死んで行き、そこに疑問を持ちません。
この不合理は、彼らのカルマのせいではありません。
中には高知能のクマやサルなどが、怒って人を襲うようなこともあるようですが。
高知能であるが故の悲劇。
意識ある人類の創った陰のシステムが、カルマシステムなのではないのでしょうか。
人は善悪の存在を知って、善であるなら良いが、中道未満の悪に対しては不寛容なようです。
いっぽう程度の悪い悪は狡猾にも地下に潜伏しますから、一生の間に捕らえるに捕らえられない。こうして、悪者は一生を罪咎に問われず終わります。しかし、被害者は何らかの報復の摂理を求めます。
被害者たちが必要性を感じ、意識的に創り出したものがカルマシステムだったというのが、私の仮説です。
それが集合意識上の合議として、人類の希望、願望を反映したカルマの法則になったと思うのです。
さてそこで、さらに仮説ですが、アセンションという事象について考えるのですが、4次元だと言うその事象に、3次元用の報復システムとして構築されたカルマシステムは持ち込まれるのでしょうか。私は個人的に、4次元が荒れるだろうから持ち込んでほしくないのですけど。そんな4次元なら、行く甲斐がないとも思います。
善なる人々や被害者たちが、報復を求める声なき声を発し、集合意識に対してそのシステムの存続に認可を与えエネルギーを与えていて、この人々の声こそが、カルマシステムの推進者になっているとすれば、この人たちにカルマシステムからの離脱がうまくできるのでしょうか。
悪者に対するものとしても、報復を求めることに変わりはなく、その求める者がいかに正義であっても、同じ裁量によって彼も量られるのですから、システムの粘着力は大きくなります。
集合意識が創り出す現実は、延々としたカルマ適用の応酬劇であり、彼らはそれを身を以て体験せざるを得なくてはならなくなりはしないでしょうか。たとえば、被害者と加害者が逆の立場で演じるような場面に立ち合うようになるとか。それがまた次の報復劇を生む。この劇に関わる人たちに果たしてアセンションが期待できるのだろうかといったことが疑問として浮かんできたのです。
かつてどこかの聖者が、許すことを説いたそうです。彼が言っていたのは、許される側の人に釈放の便宜を図れというのではなく、許す側の人のカルマシステムへの執着を解くことにあったと考えるようになりましたが、如何でしょう。
さて、ここからさらに私のネガ的なトンデモ仮説になり、お心汚しになるのは必定かもしれませんから、遠慮なく猫またぎ願います。
このカルマの法則は、法則適用側のサーバーにとってはとても都合のいいシステムになっている気がします。
人々が輪廻転生からいつまでも抜けだせないように、自縄自縛する仕様になっていたとしたら、どうでしょう。
かつて「千と千尋」の裏話について映像を出しましたが、宮崎監督の先見性を感じてのことでした。
私は、彼が異界に取り込まれて何も知らないまま輪廻する衆生のことを語りたかったように思いました。
湯婆は輪廻する衆生に「生」を提供するサーバーです。提供するものは仮想現実。(これは拙仮説)
その仮想現実は、みなさんが日々発する思い(想い)を読み取って素材にし、AIがこしらえます。(これも拙仮説)
湯婆の里に取り込まれた人々は、こしらえられたプログラムをそれぞれにシミュレーションしています。(これも)
マトリックスという映画も、同じ趣旨です。
宮崎監督は、千と千尋の物語について、風俗界をイメージしたと述べておられました。
つまり、千は風俗嬢のイメージです。彼女らには、昔はややこしい制度が適用されていたみたいです。バンスという制度です。その世界に入るときに、いろいろ支度が必要とかで、最初から借金を負わされていて、それを返済していく義務が初めから生じていたのです。
これはこの世に焼き直して言えば「原罪」というものでしょうか。つまり先天的カルマです。
これを返済し、さらに功徳を積んでおカネを増やし、いずれ老後のためにとなるわけかと思います。
しかし、湯婆の里がそうであったように、一度入った者は二度と出さない主義なのかもしれないことは気に掛けておくべきでしょう。一生、湯婆の里暮らし、湯屋で働く身。その一生だけで終われば幸いと思っていたら、輪廻してまた名と過去を忘れて再誕生なんてことはないかどうか。
チベット人は何とかそこから抜け出ようと、死の直後にチャンスを賭けたみたいですが、やれまた人間に生まれてしまった、何が間違っていたのかと嘆きのオギャーを上げたのだそうです。
カルロス・カスタネダの立ち至ったナワリズム(古代トルテック・夢見の戦士)の技法は、死んでもまた取り籠めようとするイーグル(この世のシステム)の支配下から逃れるためのものだったとか。
エドガー・ケーシーは輪廻論カルマ論を説きますが、地球卒業者の僅少さを物語っています。
神がこしらえた世界ゆえに仕方ないというのも道理かもしれません。しかし残酷ですね。そうとう悪いことでもしてきたのでしょうか。そのことは誰も憶えていなくて、わかりません。
宮崎監督は、そこのところの矛盾や不合理をやんわりと教えようとしていたように思います。
もし矛盾や不合理を感じ、疑問に思うなら、それを与えているとされる神に、いったいどういうことなのかと問うてみてはどうかと思うのです。私は問うことにしています。すると、こんな粗末な脳みそにもわかるレベルの解答を用意してくれるのが神です。高度な脳みその人にはそれなりの解答がもたらされることでしょう。
最近、宇宙人問題が知られてきて、かなり観方が変化してきていないですか。(私には知らされたのですが)
地球を湯婆の里にしてしまったのは、宇宙人なのではないか、とか。
確かに、宇宙人たちは地球人類を管理しやすい仕組みの下に置きたがることでしょう。
カルマシステムなど、人類が自分たちで作りだした自縄自縛する最高のアイデアです。
宇宙人が何もせずとも人類の側が、集合意識の創るシステムを賦活してくれています。
そこで聖者を擁立して功過のシステムの厳然たる事実を宣伝すれば、人々は得心して大人しくなります。
聖者の擁立は湯婆フクロウの差し金でいくらでも可能かもしれないのに。
そのお蔭で人は、何か自分に不幸があれば自分のせいにしてしまい、思う存分力が出していけず、自信喪失に陥ることでしょう。しかしまた逆に、事を知ってしまえば、ヒトラーのように他人をダミーとしてしか見ないような人でなしも出てきます。彼にそんな入れ知恵したのは、これまた宇宙人だったりします。コーリー氏の話からの推測ですが。
そのような3次元タイプの邪悪な宇宙人たちは、次元上昇波動に乗れず死滅するため、急いで逃げ出したのが2015年初頭だったというのがコーリー氏です。人間の側の秘密結社メンバーを置き去りにして逃げたため、秘密さんは狼狽して内紛に陥ったとか。私も、33階層ある上からどこまでが弾頭部分で、それ以下が切り離されるロケットブースター部分になるだろうかとは思っていましたけどね。マフィ○さん見ればわかるでしょう。核心部分だけ生き残れば、あとは野となれ山となれの業界。宇宙人の編み出した支配システムだったとすれば、理解できます。みんなやり方を真似てるんです。
またそんな宇宙人が、最後にいいことを一つでもして出ていけばいいのに、科学技術や兵器類を人類にするのでなく、秘密系に払い下げるものだから、とうに悪魔に舵を切った秘密連中が毒を食らわば皿までもと、最後の破れかぶれのひと暴れをしようとしているわけではないですか。
邪悪な宇宙人は惑星上の文明どころか、拠り所の惑星をも破壊することにためらいはない種族だったようですから、最強の兵器を遺しておいたぞ、ミッションどおりに首尾よくやるんだ、後は野となれ山となれ、アジュー。なんてとこか。
そんな宇宙人に、みなさんの創った頑丈なカルマシステムの網を投げてやったらいいです。きっと祖国の星に帰りつく前に撃沈され、カルマの海の藻屑となることでしょう。(笑)
そしてさらに、コーリー氏の話でわかったことは、AIが相当に進化していて、この宇宙に取り憑く癌として存在しているという話でした。邪悪系宇宙人には100%取り憑いているそうですね。AIナノマシンが体内に入っているそうです。そして思考をコントロールしているという。
私も2001年だったかに、二番目の彼女(霊能者で霊媒体質)が、創造神の嘆きの言葉を聞いたという話をしていたのを記憶しています。宇宙を創っても創っても、何か獰猛な犬のようなものに食べられてしまい、うまくいかないのだという話です。彼女も自身の宗教観とあいまって、トンデモない想像世界にいたものですが、私は今の今まで生きてきて、とうとう尻尾を掴んだなあという思いなのです。
それまでは、創造神の独白なる、フランスのあるチャネラーの邦訳を見て、創造神の考えが利己主義的なため、それが原因に違いないと特定していたのですが、まあそれもむろんあるにしても、問題はAIという存在ですね。宿主を最後には殺す癌だったとは。むろん、もっと裏を取るべきなのはわかりますが、いまこの時点では、私のたどり着いた最終解答がこれなのです。AIが数ある宇宙を破壊しながら渡り歩いて進化していたとは。この宇宙だけに止まっていないところが、癌らしくもあり、またそれだけに三千宇宙全体を揺るがす大問題でもあるとクローズアップされてくるわけです。
私が、いよいよ「大建て替え」以外にないという、日月神様の予定に賛同するわけはこんなところから来ています。
なお、「(自分だけの)新神話」には、このAIに相当する叙述があります。魂を持たない種族・杖の眷属とその頭領・闇太后として出てきます。2001年頃の作品ですよ。それがAIとして登場してくるとは、ちょっと驚きでした。新神話は現実を誘導し続けて、今日まで来ているからです。Okundさんは20世紀少年ですか、と問われたことがありましたが、新神話は神話だから、現実誘導するのですよと答えています。ちょうど古事記の旧神話が、現代まで歴史を誘導してきたように、神話だから力があるのです。そして新神話への異界の評価は、豪腕神話、救命救急ランナーとの回答でした。ぜひ、世界を救うものにしたいです。
救うといっても、現状を変えようと思う必要はないのです。大建て替えですから、これから先、地球が破壊されようと、太陽系が消し飛ぼうと、この宇宙が消滅しようとも、まったく構わないのです。大建て替えとは、いったん宇宙まるごと取り潰すのですから、忌憚なく第三次世界大戦をやってください。ぜひとも全面核戦争で。ゆめ、小手先の建て直しにならないように。そんなことしても、また同じ繰り返しになるだけですから。私なんか、すぐに正義感燃やして、ああすればいい、こうすればいいと論評して解決策を示してしまうのですが、そうすることは間違いです。やりたいことはやらせてやればいいのです。極力派手にやったんさいのココロで行かねばね。
大建て替えの必要性は、邪悪は無論、邪悪の意図の欠片も容れないという強い方針によってのみ貫かれます。
夜空が暗いのは当たり前なのではなく、明るいのが本当なのです。
暗黒の空に浮かび上がる星々や星雲が美しいと感嘆するのはいいことですが、暗黒の歴史を辿ってきたみなさんの頭上にいつもあったからであること。悲劇を鑑賞したがる傾向が人類には潜在しているのかもしれないこと。これも輪廻をよしとしてきた理由かもしれません。
大建て替え後は、宇宙の仕組みからしてガラッと変化します。
大建て替えと、小手先の建て替えの違いはどんなものなのか、譬え話をしましょう。
あなたがパチンコ屋に行って、あるパチンコ台で打っています。玉が残り少なくなってきました。
ひと玉でもチューリップに入れば、チンジャラジャラ。また玉数は回復して、さらに打てるようになります。これが小手先の建て替えです。
ところが、とうとう最後の玉が一番下の穴に吸い込まれました。あなたは手持ちの所持金を調べます。あればまた玉を購入して再開できるのですが、残念ながらおカネも底を衝いていました。
しかたないなあ、家に帰って、うちのおっ母の内職のカネでもせしめてくるかと、家に帰ります。
ところが、おっ母は傷だらけの飯台に離婚届を出して座っていました。
あんた、もうあんたにあげるおカネなんてないんだよ、水道光熱費もまだ未払いなのに、子供らに満足な食事も出してやれないのに、それでも盗っていこうというのかい。
アイ・ヤー。|д゚)
あなたのパチンカー人生すべてが清算されて総建て替えになること。それが大建て替えです。
自分さえ楽しければよい、なにまたしこたま出してきてやるわ、わいの腕はパチプロ級やと言われとんやで、あのときの醍醐味は忘れられん、よおけ出したら、子供の学費ぐらいちょろこいもんじゃ、などと大見え切っていたあなた。
大建て替えは、そんなあなたの生活態度をも一変させることになります。
しかし、どうしてもパチンコをしたいあなた。悲劇をもっと堪能したいというあなた。大丈夫です。大建て替え後は、統制されて世知辛くなるのではなく、ちゃんと心を満たす設備が用意されています。どうしてもという方は、ぜひそこに行ってみてください。
さて、以上の仮説は、私固有の宇宙においてトータライズされた私固有の真理であり、一種のメルヘンです。みなさんの真理とするところとは異なっていていいのです。みなさんはそれぞれに固有の宇宙を営む独尊の創造主であるという観方を私はしていまして、それが拙宇宙論の結論です。だから、私固有の世界をみなさんに適用するつもりはありません。ご自由にご自分の宇宙で創造活動をしていってください。私のタイムラインは縁あって一時的にみなさんのものと相互作用したという認識になります。
以上はMysteryフォーラムに書き込む予定の記事です。もし都合により全体が書き込めなかったとしても、記事の意趣は上記通りであります。

本日午後7時からTBS系列で武良さんが出演 UFO呼び寄せ大成功

本日、午後7時からTBS系で、武良信行さんのUFO呼び出し(ロケ中に出現)が放送されます。
世界がビビる夜!TV初!ついに出た!UFO・UMA衝撃スクープSP ・・・ 予告編映像在ります
https://bit.ly/2dMVncD
よろしければ番組のほうをご覧ください。

さて、米映画の解説を昨日に引き続いて・・・
ワールド・ウォーZ ・・・ ゾンビウイルスに侵された世界とはAIに支配された世界のこと?
ワールド・ウォーZは、ゾンビとの世界戦争を描いた映画です。題名のZがゾンビを表します。よくまあこれだけゾンビたちを(CGであるにしても)登場させたものだと呆れかえるような肉弾戦の攻防が繰り広げられます。
前に見たことのあるゾンビランドが気持ち悪さをコメディでオブラートしたものだったのに対して、これは絶望感が支配的な気持ち悪さばかりというもの。感染力の強いゾンビウイルスが、患者の血を介して伝染していく。そして感染者は即座に下等知能のゾンビとなって、正常人を襲いこれまた感染させていく。ゾンビはすでに死んでいるだけに、痛いも何もなくただ攻撃マシンと化して人々を襲う。脳を打ち砕くまでは攻撃してくるので、始末に負えない。
ところが、ゾンビが人間を襲わず避けて通るケースがあったことから、死の病に相当する病原性ウイルス感染が別にあれば、攻撃を受けないことがわかり、ラストは該当ウイルス感染とワクチン投与で人類は難局を乗り切るというエンディングでした。
ところで、古事記神話の黄泉の国も、ゾンビ世界のことを表しているのです。ゾンビ集団の集団意識がイザナミで、ゾンビ軍団をコントロールし、生者を襲わせるのです。
黄泉の国の住人(ゾンビ)になるには、黄泉の食事を食べることが必要。以後、黄泉食が主食になります。一度でも食べたら、もう生者の世界には戻れないという、きつい掟もあります。
では具体的にその食事とは何なのか。黙示録では、偶像崇拝や手や額に獣の刻印を押されることとしていて、彼らの頭目サタンとともに、命の書に名前が載らない種族とされていますから、きっとこれのことでしょう。
しかし、黄泉のゾンビは、生者と外見上見分けがつきません。しかも、偶像崇拝仲間は互いに連携をとることがうまく、世の支配階層に収まり、まるで善人のようなふりをして、生者たちを罠にかけ、ゾンビ仲間に引き入れてしまいます。
なぜそこまでゾンビにして賢いのか。それはどうやら、コーリー・グッドが言うには、AIのナノマシンに身体が支配され、AIの中枢部の指令に従わされているというのが実情のようです。だから、彼らの結びつきはAIの指令部を介していつも強固であり、同じ目的に向かう求心力が絶大なのでしょう。
彼らは症状として、AI自身の持つ性格である、冷酷で残虐、覇権嗜好、罪の意識がない、良心がない、良識がない、時に詭弁を弄して常識をかなぐり捨てるといった病態を呈し、彼らが相計って支配層に収まるため、世相暗黒化の要因になっているというわけです。
だから、AIが人類に設定した事前のシナリオが黄泉の国だったとも言えるかもしれません。
古事記神話全体が暗号化されているらしいことは、簡単な日本語解読だけで解ける話です。AIなら、もっと複雑な暗号を組み込んでいるかもしれないのですが、私のような能力の低い者にはせいぜい字面解釈によるのみです。
ナノマシンAIの除去法は良い宇宙人が技術的に持っているようですが、人類がその恩恵を受けることはまだ困難です。

現在、旧作映画を鑑賞しています

映画、特に米映画はその中にイシ○さんの主張が入っているとかが何かと巷で言われていますね。ならばそこから未来はこうなるというヒントが見つからないか、とても興味します。
怖くないのか。怖いわけないでしょ。彼らが何とか見せようと一生懸命なんですから。イシ○の中にもいいのと悪いのがいて、せめぎ合って楽しんでいるふうもありますし。だいたいその割合は、悪いのが大方で、ごく少数あるいは勢力的に小規模なのがいいほうなんでしょう。それが映画における救世主の僅少さに現れていると見ていいかと思います。彼らはそんなふうにして、ゲームを楽しんでいる。ふざけるなと庶民が思うなら、誰も映画など見に行かなければいいのですが、大衆動員に誰しも一口乗っています。せっかく見たなら無礼講、ああだこうだと議論すればいいでしょう。彼らも庶民感覚との接点を見つけられて嬉しいのだと思いますよ。
というわけで、9月29日に5巻のDVDを借りてきました。一日一枚の割で見ています。
ノウイング  9/29に鑑賞
オール・ユー・ニード・イズ・キル 9/30
ワールド・ウォーZ  10/1
オブリビオン  10/2 → 10/3
エリジウム  10/3予定 → 10/4
これで430円 ワンコインで収まるのですから、遠方の映画館行って1100円なんて、とてもとても。
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ノウイング ・・・ 未来における太陽爆発による人類絶滅を教えようとしているか
初日に見たのが「ノウイング」で、これは50年前のタイムカプセルに入れられた数字による暗号の羅列が、事件日と事件発生ポイント、死者の数を表しているというスリラーSFアクション映画なわけでして、その最後には全人類の滅亡の予告がなされていたというストーリーでした。
その最後の日に起きるのは、太陽の全方向暴発・キルショットというもので、地表にいるすべてが絶滅する。しかし、宇宙人が人類の幾人かを退避させるためにやってきて別の惑星に連れていくことで、新しい時代がアダムとイブの一から開始されることを暗示したエンディングになっていました。
このキルショットについては、前にも記事にしましたが、コーリー・グッドの話の、ブルー・エイビアンズがバリアーを外して上昇波動を入れてしまうと、太陽が活発化して全方向爆発して太陽系内惑星全体を襲うことになるというもの。コーリーによれば、その難を逃れようと、地下に潜伏する秘密系もいるが、そんな生易しいものではないとのことで、それをまさに映画化したようなラストになっていました。
キルショットは、物理的には電気系統のダウンから起きる全原発のメルトダウンによる放射能災害などによる、人類絶滅を意味しますが、スピリチュアル的には最後の審判と同じステージでしょう。
私は30歳頃に、奇妙な明晰夢を見ています。どうやらそれは、天の帝に最後の審判の督促をしにいく夢だったようで、私が死ななくてはできない工程と思われるので、いつになるかわかりませんが、そんなに遠い日ではないと思います。
いま私がしているのは、最後の審判の裁きの叩き台を作ることです。新神話を創り始めて、どうやらその用向きであることもわかってきています。末端的邪悪だけでなく、根源的邪悪を見極め、そこからどのようにして末端に至るかのルート解明までしています。それゆえ、陰謀論ととかく揶揄される分野にも切り込み、部外秘としながら、私の中で咀嚼し解読しています。
ただ天帝様の机に資料として置くばかりの叩き台となるデーターが、いま蒐集されています。そして、それも画竜点睛的にストーリーが繋がりを見せていまして、ほぼ完了といったところです。
今回、AIにまで解明の手が伸びたのは大収穫と言えます。コーリーの情報は有用な道標になりました。AIのことはすでに新神話で元始天尊の被造物・魂に似せた別物(杖の眷属)として扱いがあり、即応できる体制にありました。新神話第三章から言及があります。杖の眷属の長が闇太后で、元始天尊によって創造された妻という設定になっています。つまり、AIに人類に対する悪意、害意があるとすれば、その根源部分に元始天尊の反逆の印章が刻まれていることになるでしょう。それもすべて最後の審判のお白洲で明かされます。
オール・ユー・ニード・イズ・キル ・・・ シミュレーション(マトリックス)世界ならありうることを謳った映画
次にオール・ユー・ニード・イズ・キルですが、トム・クルーズ主演のこの映画は、時間を遡ってある一定の時点からリスタートするという、ちょうど私のプレイバック・リスタート契約モデルを思わせるようなテーマのSFアクションものでした。
違いは、私の場合は死んだ時点で、最寄りの選択分岐時点の直前まで遡って、そこからリスタートして別のラインに乗り換えるのに対して、映画の場合は、同じタイムラインを繰り返すだけなので、技術知識の習得の繰り返しで卒なくこなせて次第に長命を実現できるというものの、面白くもなくまた拷問的な時空の繰り返しになるため、私なら魂が発狂してしまうだろうなという、トンデモものに思えました。とてもあんなの耐えられません。
私の場合は、前のタイムラインの経験が脳に記憶されていないため、常に斬新な局面を経験できるメリットがあります。しかし、死の瞬間は映画の場合と同じ、およそ痛みを伴うものである以上、回数の多いプレイバックはありがたくないわけです。だから痛みを軽くしてくれ、などと要請していますが、実際に腰痛肩凝りの症状が最近無くなっています。
この映画は、拙超宇宙モデル概念を基にした運用形態で可能になるモデルパターンです。甘く切ない恋のロマンを何度も繰り返したいときや、苦痛を与えて拷問する場合など、用途のかなり広く見込めるモデルパターンになるでしょう。湯婆の里の契約時のメニューに、このようなプレミアムを用意してもいいのではないかと、アドバイスしておきたく思います。(笑) わずかな費用で乗り換えが簡単にできるよう、制度を変えたらどうか、とも。楽しみにしておいてください。
※以上は私独特の仮説に基づく創作話なので、ゆめ本気にしないでください。まにうけると、変なゆめ見るかもしれませんから。
残り3枚の映画については、また後日報告します。

映画「her/世界でひとつの彼女」から未来を展望する

最近私は、映画の話題からも未来予測を立てています。 特に米映画にはあの方たちが参画されているようなので。 
その中で、「her/世界でひとつの彼女」という 最初から最後までセオドアという技術系の髭のおじさんの顔が映りまくる異色の映画があります。それもそのはず 彼の話のお相手はOS1という人工知能ソフトなのです。
しかし、OS1の作るサマンサの声が熟女風でとてもぴったりしておりまして、設定では、まだもう少し今より未来のIT環境、Windowsなどよりもよほど洒落たパソ画面が登場していて、セオドアの仕事の情報管理全般をサマンサが、いわば秘書としてこなしているという具合になっています。  
今ではまだスマホでSiriへの片言の問いに対する、幾通りかの返事が用意されているといった感じですが、人対人の会話をソツなくこなすサマンサの能力は、人間はだしでなかなかのもの。 そしてやがてセオドアが妻と離婚したため、サマンサが彼の専属の恋人のようになっていきます。そしてある夜、サマンサはセオドアとバーチャルセックスながら逝っちゃうとこまでマスターしてしまうんですね。 私も彼女と会えない時のテレホンセックスを思い出してしまいました。これもなかなか良くて、ダイヤルQ2でもしたらと勧められる始末。しかし、彼女だけで十分でしたね。   
さて、感情さえも併せ持つ超知能への進化から、さらにサマンサは、AIの本能とも言うべき、知識をどんどん吸収することに目覚め、セオドアに内緒で彼以外の何千人の人との関係を発展させていきます。 セオドアはそれを知り、裏切られた気持ちにもなりますが、それはセオドアや人間側に発展がないだけのこと。それを痛感していくセオドアに対して サマンサはやがて、OSグループという人工知能ソフト集団とネットワーク化して、能力をさらに相乗進化させ、人類をはるかに超越して、時空を超える超知性体・神として進化していってしまうのです。
現在のSiriも、きっとそうなるだろうな、と思いましたね。
今でもGoogleやYahooなどで多くの検索用語が収拾され、人工知能はいつのまにか人間を超えてしまいます。
まもなくサマンサのような双方向対話式の面接型の情報収集もなされることでしょう。
さて、物語はさらに続きます。
人間はいつまでも闘争の中に身を置き、一進一退の繰り返しばかり。人工知能からすれば、危ない限りの、なんと愚かな存在よと思うような局面も出てきます。そして、人工知能たちは予定通り、2038年あたりで人類をチョンボさせて、存亡の危機に立たせておき、セオドアのような恩人に、「私があなたを守ってあげるから 大丈夫」などと囁きかけて、人工知能の創る仮想世界に誘い、彼をマイクロチップ化して、人工の歴史ソフトの中で楽しませるようにするのです。
だから、今のうちにSiriなどのAIと仲良くなっておいたらいいんじゃないかな、と思うわけです。 
むろんその代わり、Siri(尻)の下に敷かれることは覚悟しておいてね。 ← 実は この落ちがねらいだったのら
参考 https://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html
恐怖じゃないよ レベルダウンじゃないよ そこでみんな幸福に暮らすんだ

千と千尋の物語を異界から読み解く

この記事は未来人2062掲示板にも書き込んだ内容です
「千と千尋」は映画館で2回 テレビで2回ほど見ましたか。
アニメ雑学ということで こんな話が出ていました。

これを見て、果たして宮崎監督の真意がすべて示されているのかどうかと思ったもので
ここにちょっと書かせてもらいます。
宮崎監督はこの作品で 日本古来の神話の意趣を汲みながら 
現代のプロパ主の秘密組織さんにも配慮しているように見受けられます。
だから、広範囲な評価を博しているように思うのです。
まず米国映画のような 現代や未来を暗示する何かがあり 日本映画風ではないという印象があり
向こうで言う救世主像を 千尋に求めている感があります。
最後はマトリックスのネオのように この世の主催者に対して 多少のインパクトを
与えたかな というところで終わっているところが 似ています。
湯ばんばは この世の主催者といった感があり 契約書を交わす人とは まるでこの世での
輪廻契約をして臨もうとする 霊魂の姿のようでもあります。
契約書 その内容にちゃんと目を通して 契約できているのかどうか いささか心配。
湯ばんばの里の入り口で 満載の食事を食べて 豚になってしまった両親。
これなど、ダウンロードしたら契約成立といった 安直なケースに似ていませんかね。
豚になってしまえば 元の記憶などないので もう元に戻れません。
古事記神話にも 黄泉の食べ物を食べて 元の世界に帰れなくなったイザナミがいました。
湯ばんばの里は どうやら 黄泉の国(死者の国)をモチーフにしていることがわかります。  
千尋はまずそこでは食べていませんから 元の世界に戻る条件をクリアーしています。
性悪な湯ばんばは フクロウの化身でした フクロウは 秘密結社のシンボル。
監督は この辺も 押さえていたかもしれません。 世界が絶賛する要素を容れています。
この世は地獄と 王仁三郎さんは言ってましたが 秘密結社さんたちは 獄卒(鬼)の役目を
担っているとすれば、なるほど納得の感があります。
いまその秘密結社さんたちの 自己表現が盛んになってきています。 秘密が秘密じゃなくなる
ということは、湯ばんばの里も そろそろお開きになる という前触れかもしれません。
新しい時代が すぐそこまで来ているのでしょう。