中米ナワリズム(先住民のシャーマニズム)では、テレポートをこなしていたといいます。しかも彼らは、自ら意識して世界を組み立てて、そこに移行するというのです。だから、この世にある場所だけでなく、未知未踏の場所(どこかの惑星か、異界か)に瞬間移動してしまうというわけです。まるで量子の動きのようであります。意識がそれを可能にしているとのこと。これは大いに研究されて然るべきでしょう。
我々も量子的存在だとすれば、どうでしょう。
自分史の分岐点でいくつも過ぎ去ったと思われるパラレル世界を、実はことごとく実演しているのだとすれば・・・どうでしょう。
量子とは粒子が確率的に存在すべきすべての場合をプロットしているぼんやりした場のようなもの。その粒子にとってすべての場合が体験されていると考えることもできると思います。
我々の意識も量子のようなものならば、あるべきパラレル世界はことごとく体験されているのではないかと。それも分霊とかを使うといったことではなく、ただそれぞれの分岐点までプレーバックする意識が、更新される最新の記憶に頼ることしかできないために、あたかも一通りの歴史しか体験していないように感じられているだけかも知れないというわけです。
数年前に超能力に秀でたSさんに会ったとき、彼はこんなことを言うのです。「自分は第一の世界で早死にすることになっていたから、この第三の世界にやってきた。・・・第一の世界の森野さんは社長していて利益のことしか頭になかったから愛想尽かした。こっちはまともな森野さんだった」と。彼は原爆症なので、生きていることのほうがたいへんなのですが、いまいっそう元気です。
私も、いまそういえばダイハードを味わっています。こんな不調を抱えながら、あるいは傲慢さでありながらどうして生きているのか不思議なくらいですが、どうも量子の存在する最長不倒距離を目指して記憶を繋いでいる感じです。そして、あわよくば、量子ジャンプをどのタイミングかで狙っているみたいです。
まさに前に見た映画(夢)は忘れて、今見ている映画(夢)に没頭しているという具合。この量子の意識の最新状態は、私の創造主的監督者(ハイラーキー)の差配によっており、彼を信頼してなくては始まらないというわけです。
というのも、私にはほのかな記憶があるんです。木立の中に佇む白亜の建物、ちょうど研究所のような雰囲気で、一種の淡いノスタルジーのようなものです。
昭和45年頃ですが、私は就職口を二股がけしたんです。そのとき最初に受けたのが鎌倉のO研究所というところで、私の育った神戸の土地をよく知った社長で、自ら面接に当たられていたんですね。それで初対面ながらもずいぶんと喜んでくれました。その人はM電機の専務取締役で、子会社を創られたんですね。当時はまだ十人足らずのできたばかりの会社とのことでした。
ところがもうひとつ受けたのが大手F社でした。先にO研さんのほうから、早く来てくれとの督促つきで合格をもらったのですが、私はもう少しのんびりしていたかったために、F社のほうに合否を早く出してくれとこちらから督促して合格をもらったんです。そこで、O研さんのほうに断りを入れると、かんかんになって怒っておられました。当然のことですが。
結局、F社さんのほうは息苦しいばかりで早期に辞めて、それからいろんな転職をしました。もし、O研さんにいたら、どんなだったかと思うんですが、まじめだったから今頃Sさんの言うように社長だったかもしれないなと思うんです。つまり、人生の選択、二股がけが多かったから、それぞれにおいて少なくとも分岐があったと思います。
しかし、きっとその経験も、いま記憶していないだけで、やり終えてきたのではなかろうか、そして終わりに際してプレイバックさせられて別の時空に来ているのではなかろうかと。
今頻繁に見る夢ですが、作業服姿の事務職員がたくさんいる建物の中にいる光景を見ます。もしかしたら、パラレル世界の記憶というか、ハイラーキーの好意で見せられている感もあるわけです。
こうして私は、どの時点かでたえず自動的に時空転移して生き延びるトラベラーのような印象さえ持つわけで、いつこの世とお別れか、それは量子的自分がすべて満足したときか・・・なんちゃってですね、勝手に想像しています。
たぶん私は新時代の側からこのマトリックスプログラムにエントリーしているんだと思います。
新時代では、旧世界の歴史はすべて博物化されていて、もっぱら教育目的で使われることになっていますから。(新神話でそうシナリオ付けしているわけですが)
たとえば、森野奥人の量子像を学んでくるとかの目的でやってきているかもしれないと思います。それもいっしゅ志願してですね。
私の小さい頃は女の子みたいに気弱だったのですが、今は真対極ほどの厚顔無恥ぶりになってしまいました。単一の人生ではとても考えられない転身です。
昨晩も何かのビジネスの用向きで女の子と大きなケースを引きながら空港に急いでる夢を見ました。広がりのある光景なのですが土地勘がなく、あの方角だと一生懸命に歩いてるんですね。空港なんか今生ではほとんど縁ありませんのに。
つまり、行ったこともない場所の夢を見た場合は、パラレル世界の自分の記憶なのかも知れないのです。それは誰にも言えることです。プレイバックのたびに顕在意識の記憶を失うわけだから、脳の中には残っていないから、当人にとってはなかったことなんです。が、それらは魂の記憶(潜在意識)には残っているから、夢に出てきたりするということなんです。
ここでいうプレイバックとはPCでいえば「システムの復元」にあたります。現時点から復元時点までのインストールされたソフトなどは回復してません。ちょうど記憶もそんなもので、人は一線に引かれた世界線を進んでいるように認識しているだけなんです。ひとつしかない脳の記憶に依存しているためです。人生において重大な決断をしたときなど、チェックポイントが作られている可能性があります。そこから再試行できるようにです。
UFOを見たのに忘れている人が多くいたりすることも説明できるでしょう。MIBは外にはおらず中にあったといったことです。不可知であったり、どうしても納得できないような人生は、各自レベルでプレイバックしているというわけです。世の中には突然の不幸や矛盾が充満しているように見えますが(戦死や事故死など)、各自レベルではそのたびにプレイバックして納得のいくハッピーエンドを模索中ではないかということです。そうでなければ、世界はあまりにも悲惨すぎる。こんなの取り潰せとなるわけです。実際どうなっているかを確かめねば・・・というより、新時代からのエントリーではすでにそうなっているはずですから、ご安心ください。
ぜんぶコンピューターでモデル化した超宇宙概念で説明できます。相手にしているのはプログラム(ソフトウェアー)だから、いまあるPC技術(とくにOS)が理解できたら、その範囲のことは超宇宙にもありうることとしてモデル化できるんです。
世のどん詰まりにはすべてのものが墓から出されて暴かれてくるとか言いますが、墓(象徴)そのものからも宇宙を暴き出すことができるという一席でした。
この記事は、ここでの投稿をとりまとめ修正加筆したものです。