最近、米映画を見るようになりました。
これからの未来のことがけっこうわかるからです。
しかし、今日見た映画「ベティ・ブルー」は、そのようなタイプの映画ではありませんでした。
個人趣味で創作作品を書いていた主人公ゾルグのところにひょっこりと現れたベティという奔放な生き方の女性との日々の本能剥き出しの生活と、二人の興味のすれ違い、そしてベティが何とか彼の文学才能を開花させようとして努力した結果、彼の作品は売れることになりました。
しかし、もう一つのベティの願いの、彼との間に子供を設けるという夢がはかなくも破れ、ベティは精神錯乱を起こしてしまい、二人の間に破局が訪れます。ゾルグは精神病院に強制収容された狂気の彼女の苦しみを取り除くために殺害してしまいます。
しかし、それは発覚が免れ、彼は作家としてのデビュー作を書き続ける日々を。
そんなとき、いつしか彼の家に居就いた白猫が、彼のしていることを覗きにやってきて、こんな質問を。
「書いているの?」
「構想中だ」
ベティは白猫になって彼のもとにやってきたのです。
私はカンナオビとの楽しかった日々と、カンナオビの早い事故死のことを思い起こし、映画とダブらせてしまいました。
そして、この山奥に白猫としてやってきたウーが、知らないはずのカンナオビを正確に模写して添い寝などしてくれたことを思い起こしました。
そのウーも2013年10月に、とんでもない失態で失踪させてしまったわけでした。なんという不覚ばかり続く我が人生。
思い出すたびに、反省とともに詫びる気持ちがとめどなくあふれます。
そんなとき、ウーが産んだ子のメス猫シャン(別名・タキ)が、カンナオビやウーの後釜であるかのようにして、私に甘えるようになりました。
タキもまたウーに似て、巫女猫らしく、どうやらカンナオビとウーの魂が気丈なタキに合流した感がありまして、甲高い大声で私に食ってかかっているのか、それともそれが地声なのか、やや耳うるさい日々を送っています。
今は存命中の猫が三匹。黒猫ブー、白猫トン、白猫タキとなりました。
どの猫も、私にとっては大事な家族です。
見つかったウーの写真