アブリボワゼ

アブリボワゼ、とは、絆を持った限りは、責任を持つことを言います。
サン・テグジュベリが星の王子さまという童話を書いた時に、この言葉を遺しました。
星の王子さまは、自分のいた小さな星に、どこからともなくやってきた薔薇の種がやがて発芽し、一厘の花を咲かせます。
ところが、その薔薇は高慢で、王子さまにいろんな注文を付けて悩ませます。
それが嫌になって、王子は他所の星を巡る旅に出てしまいました。
その間に、いろんな立場のいろんな人の経営する星があることを知り、そんなあるとき、知恵のある狐と知り合い、彼からいろんな啓発を受け、絆を持った者とは責任を果たすことが大事だということを知ります。
急いで自分の星に帰ることにしたものの、長い遍歴の旅の後です、星にはあの薔薇が、誰水やるものもなく、枯れ果てていました。
きっと、星の王子さまは、それ以後、絆を大事にして生きていったことでしょう。
という余韻が残っていたときに、ディズニー映画の「星の王子さま」が出たというので、遠路映画館まで出かけたわけでした。
しかし、中身は期待を裏切るものでした。その代わり、これからの未来を暗示するような(つまり、秘密結社系のシナリオらしき)内容になっていて、それはそれなりに、その少し前に見たディズニー映画「トゥモローランド」とともに、彼らの言いたいことがわかったわけでした。
話をアブリボアゼに戻しましょう。
私は1983年の超宇宙の仕組み論で、究極の寝技を用意していたのをご存知でしょうか。
そう、技をかけた相手を逝かせてしまうようなアッフーン技でございます。(笑)
それはね、それはね、それはカエルの銀の笛、ささ銀の笛~♪
ではなかった、究極の真理のことなのですが、それはね、それはね、それはヒミツのアッコちゃ~ん
じゃないでしよ
実は、私ら自身とは、意識原理そのものであって、あとはすべて借り物ということなのです。
借り物とは、私が絆を持ったもののことで、この私の肉体を含む、外界のすべてのことです。
人生70年という一時的にしろ、この場に意識を置いて観測しているのが私らです。
その場所及び、その環境とは、一時的にしろ絆を持った者であるわけです。
これらとの責任を果たすことは、至難の業です。
やってあげたくても、できないことが多すぎる。
しかも、我々はただそのタイムラインをシミュレーションしているに過ぎない。
ひとりでに、間違った方向に進まされている。
そう思っても、悔やみとなって残ります。
いちばん身近なところに、よく見落としがちな絆がありました。
それは、自分の肉体です。
肉体の細胞は何十兆もあるそうです。
その一個一個は、ミクロの世界でものすごい働きをしています。
彼らの総体的な連係プレーによって、私という意識ある存在が維持されているのです。
いわば彼らは、私という領主に従う一族郎党なわけです。
だから、我々は、いちばん自分の健康に留意するのでしょう。
それは彼らとの絆への責任を果たしつつ、彼らに良好な環境を与えてやることで、いい働きをしてもらうことになります。
すべてWin,Winの関係で、とてもよろしいわけです。
しかし、よくご領主様は、勝手に外患を作り、せめぎ合いをして、また領土を広げようとして、ストレスある生き方を選び、一族郎党を心労に追い込むことがよくあります。
もしこれが、みんな大自然の悠久の営みの中にあるなら、一族郎党も穏やかでおれることでしょう。
私は、一族郎党の中でも、とても苦労している器官(心臓)があったため、転地いたしました。
お蔭さまで、おそらくは10年近く寿命が延びたものと思っております。
残念ながら、自分の目的のためなら、一族郎党のことを意に介さない方が多く、体内に問題を抱えてしまうことが多いようです。
それが病気として症状を呈した時に、ようやく彼らのことに思いを致すわけです。
症状は、一族郎党からの、このままじゃあ危ないというアラームなのです。
まだもっとやれると、精神力で踏ん張る方もおいでですが、そういう場合は、一族郎党よ、わしはかくかくしかじかの目的のために、死ぬる覚悟がある、お前たちも、そのときには殉じてくれ、と語りかけておくべきでしょう。
すると一族郎党は、涙しながら、応じてくれることでしょう。
覚悟を決めた体制をとってくれるようになるのです。
とにかく、そんなときでも、身体のコンディションを良くすることに心を砕いてください。
彼らがあっての思考であり、目的遂行能力なのですから。
同様に、環境全体にも、たえず語りかけておきましょう。
私は君たちが大好きだよ、と。
しかし、予期せぬことはままあるものだから、そのときはこの気持ちのほうを汲み取ってほしい、と。
我々は、いちばん身近な一族郎党のことを思い遣らない傾向を強めてしまいました。
無我夢中で働くことがよいこととされ、その結果としてのわずかな対価を得て暮らしています。
そして、八方、感謝するにし得ない状態に自らを追い込んでいます。
それはカルマを生みます。
相似像的に、我々が一族郎党とされた世界で、一顧だにしない領主によって痛めつけられるような応報となって帰ってくるとすれば。
自ら、領主として仁政が敷けたかどうかが、試されているのかもしれませんね。
ホンマによおできた怖いゲームソフトです。

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