新神話の基本的スタンスについて
私は齢50を過ぎてからの命を、国津神系からの委託仕事遂行のために賜与されたものと確信しております。
よって、俗世間的な常識には縛られることがあってはならず、また縛られることのない加護が与えられていると確信しております。
それゆえか、短時日ではあるものの、めまぐるしいほどのシンクロ現象が私の目の前に展開するようになったように思います。
私はそのひとつひとつを意味づけの連環に取り込み、更なる強固かつ実力を持つ連環として構築していきます。するとまたさらに、シンクロ的な知恵の啓発がもたらされるという具合に、ちょうどエンジンの回転がひとりでに得られるように円滑化していきます。
現在もまだその回転力は落ちてはおりません。ちゃんと様々な人の手を介して情報はシンクロ的にもたらされており、そのすべては連環をいっそう太いものにしていきつつあります。
それが新神話の持つ力となって、神界から下界に至るまでの三千世界を潤していくこととなると信じます。
渡るべき情報を選択しタイムリーに与えてその気にまでさせておいでなのは、どこの神様なのでしょう。
人が神となるのは、神がその人に懸かられるときです。そのとき初めて神としての役目が果たされるのです。私はその神様の懸かられた人との協調プレーにおいて、充実しながらこの事業にあたっています。
これほどまでの充実感と加護されている思いは、50前までは味わったことのないことでした。
国津神様の依頼によると目される今回の仕事の、立てるべきスタンスは次のようになります。
元々あった地球生態系の有情を救済の対象にすることを基本とし、人類においても先住民型とも言うべき自然共生型の暮らしを愛好する純朴な人々の救済をもっぱらとします。
ほんらいすべての有情を対象とすべきところ、やはりここまで生態系が痛めつけられた今となっては、積極的に地球に対して加害行為を継続する世俗従事者まで、その対象とすることにはやはり私自身の心的抵抗があります。
私は生まれ故郷が天橋立を望む宮津市です。海岸から眺めた対岸に、遠く青松の連なりが一望できるところです。
このため、この地の伝承が新神話に大きく関わってきます。
天橋立の成立伝承に、久世戸縁起というものがあります。今では天橋立を一望する成相山成合寺において、パンフレットがいただけるはずですが、その中に久世戸縁起が平易な口語文体で書き表されています。
それによると、太古の昔、天津神たちが地球にやってきて、人類を下ろそうと計画しました。それを知った地球のドメスティックな神々(龍族)は、反対運動を起こして地上で暴れ、人類の生存環境に適さないことを示そうとしました。
ところが、天津神たちは地上の龍族を、当時高名だった文殊菩薩に仏教的教化を頼み、地上に派遣したのです。
文殊は龍族をみごと教化し、おとなしくさせることに成功します。さらには、龍族全体の長であった竜王の娘の弁財天が説法内容に感動し、自らが中核となって龍族を一身に合体し、観世音菩薩として人類の守護に努めましょうということになったのです。
この地の成合観音とは、龍神と龍族が成り合ってできた観音様という意味です。
さらに文殊菩薩への約束の証として、海中に天から浮橋を下ろし、それが現在に見る天橋立となったとのこと。
ところが、やはり策謀を用いたのは天津神でした。人類は、もはや地球生態系が立ち行かぬところまでにし、龍族の穏やかに暮らしていた地球をも、何度も破壊することのできるほどの準備をしてしまいました。
そして、事態の深刻化が叫ばれ、自らの存続が危ぶまれるまでになっても、人類には何の改悛の情もないどころか、彼ら独自の”合理化”精神によって、それら加害行為を自分たちの内輪で許し合うことまでしているのです。
噂を聞けば何でも、地球環境に対して破壊工作する者を天使だと讃えているとか。そして、自分たちのした過ちを許すことが大事だとか。そして、地球のことはそっちのけ。無視を決め込んでいるのです。龍族が見えないからというのは、まだわかります。毎時見ている地球の大地が見えないはずがありません。無視しているのです。
なんとも無責任極まりない話ではないでしょうか。それどころか、その”合理化”の推進主が天津神だったということがわかってきたとすれば。
裏切られたことを知った龍族たちは、文殊との約束があるため、ざわめく心を抑えねばなりませんでしたが、とうとう、当の文殊に問うてみようとなったのです。
新神話第十一章から引用して示します。
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このたびの神話も、すべて龍族がお膳立てし、そこにヒーローとヒロインの恋物語が組み合わ
され、それぞれの織り成す人間的な悲喜こもごもの感情のぶつかり合いにより、世にも不思議
な物語として自然に組み上がってきたような気もする。それを平家物語の語りに涙する悲運の
平氏の落ち武者のように、傍で観覧しているのも彼らなのではないだろうか。ネアンは琵琶法
師、法一でもあるのだ。だが、耳なし法一とは異なるところがある。彼が神話の創造主である
ということだ。既成のものを取り去る側に回る、むしろ龍族期待の英雄ということになる。
<そうか。一度見せたものは、訂正せずに、ストーリーを書き加えていけばいいんだ。起きた
ことと期待することを織り交ぜながら。そうするしか、このネアンという神話レポーターのす
べきことはないんだ。あとは成行がひとりでに次の扉を開けていくだろう>
ネアンは、そう悟ると、龍族の今ある思いがこみ上げてきて、この神話の成行を観覧するであ
ろう龍族の長に託して、ひとつの語りを書いた。
龍族里長の嘆き
息子たちよ、よくお聞き。
これは遠い神代の物語。
ごたごた好きの侵略者が里にやってきた。
平和に慣れた里人がかなうはずもなく、
殺されたり捕らえられたり里の外に離散した。
里は無法者たちのしたい放題となり
捕らえられた者も抵抗できず、泣く泣く下働き。
こうして神代は暗い夜を迎えたのじゃ。
いっぽう地上では、知ってのとおり我々が、
生き物を束ねて豊かに暮らしていた。
そこに神代から、人類を下ろすとのお達しが。
神の似姿の人を下ろすとのこと。
神代の荒みを聞き及んでいた我々は真っ向から反対。
ごたごた好きの者がやってくる。
侵略に生甲斐を持つという者たちの似姿とはどんなものか。
我々は地上の自治が崩壊させられるのではないかと危ぶんだ。
こうして長きに渡って、抵抗が試みられたのだ。
だが、高徳の僧がやってきた。
世の移ろいを無常観を以て説くお方が。
文殊菩薩という名のお方。
生きる楽しみを享受しているばかりの我々に
無知ではなるまいと高僧は、一堂に集めて説法なさったのじゃ。
真新しい知識の泉。このような大きな世界があろうとはな。
婦女子や少年らは、目を丸くして聞き入った。
高僧に恋したのは婦女子ばかりではない。
王の姫君もあられた。
わしら古老は理想よりも今を尊んだから、いい傾向にあらずと
出向かなかったが。
だが、新しいタイプの有情も有情。優しく今までの生き物同様
慈しみましょうと姫君は、観音会を発起なされ、王を始め
多くの者が従ったのじゃ。
こうして人類はやってきた。
ここからは今の時代の物語。
だが、どうじゃ。神と生き物の二つを足して二で割ったという
有情は、生き物という自らの土台さえも壊し始めた。
神から受け継いだ知能が土台を壊していると分かって、我々は
やはりそうだったかと気付いた。が、すでに遅かった。
我々はもう一度文殊菩薩を招請した。菩薩は三昧境を出て立ち上がり、
見識を飛ばして地上のよすがをご覧じた。
三昧の空にかかる暗雲とはこのことだったかと、意趣を悟られ
ご自身の見識力のなさを素直に詫びられた。
菩薩は僧衣を脱ぎ捨て、やにわに甲冑に身を包むと、
操られる人類必ずしも悪しからず、哀しき有情の一に他ならぬ。
むしろ元の因たる神代の咎を糾しましょうと、
一命を賭して遣り遂げたいと仰せの上、
先頭に立つ決意をなされたのじゃ。
我々古老も感服した。
ところで我が姫君は、菩薩からいっそう教わりたいと、
自らも関わることを仰せられたのも、
観音会の主催者としての責任を感じられたからじゃ。
かくして菩薩は姫観音と契りを結ばれ、法力が発動して、
多くの神代の神々が復活の意志を鮮明にされた。
成さねばならぬは神代における大峠。
菩薩はかつての里の長たちや、会衆の味方を得て、
法力を携え出陣なされようとするとき、観音を、もしやして
戦場になるやも知れぬところには遣れぬと、
遺し置かれようとしたのじゃ。
妻は妻として家を守ってこそとの思いだったのじゃが、純粋な
姫君は、たえず傍に置くという約束を違えてまで、役立たずゆえ
離縁されたかと思われ、東海の実家に駆け込んでしまわれた。
王はそうはあるまい、様子を見ようとの仰せだったが、
それを聞いた兄龍は、やはり我々をたばかるものぞと
本拠に戻って大暴れ。千島海溝地震はこうして起きたのじゃ。
姫君の心は千地に乱れた。
というのも、婦女子に戦術をたしなむ者がおり、危険な役を姫から奪い
同時に菩薩の心をも一時奪っていたからじゃ。
戦士はお役目を姫君に返上しますと去ったが、菩薩の未練か
いつまでも抜け切らぬ戦士への思いに、姫の怒りと嫉妬
の心は絶望の淵へ。いっぽう慕う心が雲竜となり、菩薩の家の
周りを廻って探り当て、菩薩の胸に飛び込んだ。
本体ならばどれほど密度の濃いい身か知らぬものを、
淡い水滴の如き身体ではあったが、菩薩はそれを姫の形見の
お守りとして、胸の真ん中にはめこみ、そう姫に伝えておくれと
言い残し、いざ出陣と出向かれたのじゃ。
男、戦場に出るときは、妻に離縁を言い渡してでも、妻と実家の
安寧を願うものとぞ。
もし死して還らぬ場合でも、観音と会衆には咎及ばぬようにとの
計らいじゃが、我々とてもいちどは死んだようなもの。
かかる地上に未練はなし。菩薩に従い討ち死にもするものを。
だが、息子たちよ。孫たちよ。お前たちにはまだまだ未来がある。
地上のこれからは・・。姫の思いは・・。ああ、どうして差し上げたら。
古老のわしには、荷がかちすぎる。
大丈夫です、里長よ。このネアン文殊に任せてください。
龍族の姫君と共に必ず大団円へと導いて見せますぞ。
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このように救世の主人公ネアンは、インド渡来の文殊菩薩の雛形も演じており、太古の昔に人類が地球に移植される頃に立ち戻って、当時行われた龍族の教化というものが、果たして妥当だったかどうかを反省して語らせているわけです。
ご覧になればわかるように、生態系の守護者とも言える龍族が、人類の登場に際して激しく抵抗したのを、知恵の付与教化として文殊が説得に当たり、彼らを懐柔して、龍族の総帥である弁財天を中核にして合体して観音菩薩として、人類の守護に当たるようにさせていたわけで、この終局の時代において、雛形ネアンをして、その処置はまずかったと言わしめていることになります。
その書き手の私は、当然のことながら、龍族のシンパであることは言うまでもありません。神話的に言えば国津神の側に立って書いています。だから、幸福になる者の基準を一寸の虫のほうに置きます。
人類は地球を何十回も破壊するほどの兵器を量産し、いつでも使用可能の状態にしていることから、地球の守護者たちは非常に困苦しております。それを邪神たちは止めようとはしません。最初から使い捨ての大地だったのです。当然、維持に当たった国津神も使い捨てされることを感じ取っています。もうどんな生易しい教化も功を奏さないでしょう。私がしてあげられることは、新神話の力で彼らの封印を解くことです。まず、元の故郷で憩わせてあげるつもりです。
人間の胸先三寸から出る言葉ひとつで、地球生態系はおわってしまうどころか、再構築できるかどうかさえ危惧されるレベルです。今の彼らが、どれほどの苦境に置かれているか、人間の身においてすら窺い知れないとするなら、それはもう地球上に存在する資格がないと言い切るしかありません。ところが、人類のほとんどはその資格のない者たちで占められています。
いや、龍族の姿が見えないからわからなかったというのは、まだわかります。しかし、生態系がどんどん衰退していても、実態を無視し、環境破壊にいそしむヤカラで充満しています。彼らは自分の子孫の未来すら、もはや眼中に入っていないのです。企業の、あるいは国家の被使用人だったから仕方がなかったというのは詭弁です。そのような業種から足を洗えなかったのは、個々人の認識欠如の問題だからです。
すでに年末に揚げた第九章は人類にとって穏便なシナリオとして用意したものです。しかし、その他の終局を語る章は、すべて阿鼻叫喚の中に終幕することとしています。私は第九章の終幕の最も穏便なシナリオを採る気はありません。なぜなら、人類はあまりにも傲慢に過ぎるからです。それなりのエンドを用意するのが適切と判断しました。
有史以後の人類はそもそも、邪神がわざわざ世界を破壊するために送り込んだ環境破壊因子なのです。それまでにあった先史人類の遺伝子とはかなりかけ離れています。遺伝子組み換えによってもたらされた、世界の有情を困難に向かわせるための霍乱工作部隊であり、知能を獲得するに従い、凶悪化していく獣だったのです。
むろん私もその遺伝子を受け継いでいますし、認識欠如の症状を呈して、悪しき業態に就いていました。内心はこんな世の中、絶対よくないと思いながらも、人間関係の中にあると、そんなことは二の次になってしまったのです。
工業系企業はほとんどが邪悪です。しかし、お金を得なくては暮らしていけないからと、目を瞑らされてきたのです。
今でも大人口を抱える大企業は、彼らにお金を分け与える機関ゆえ、彼らの間では善良とされていますが、”合理化”による思い込みにすぎません。絶対的には極悪です。
地球の大地を支えてきた国津神たちはことごとく邪神たちの封印に遭って、メンテ要員となってきた経緯ですが、このたび封印を我々が解いており、順次故郷帰りを果たされているところと観測します。すべての神はここからいったん撤退して、この世界をたたむことにいたし、その間、邪神たちと人類の残存を皆無にして、もしやり直すのなら無菌状態から励起しなおすこととせねばなりません。
私はそのための最後のご奉公をさせていただく所存です。正神の皆様は、人類の進むべき方向を振り分けていただきたい。故郷に帰らず居残った者たちの魂は、邪神とともに焼却処分といたしますゆえ。
※ 私の創造していく宇宙では、かくのごときでありまして、みなさんの個々が創造するものとは異なるものとお断りしておきます。なお、拙シナリオ通り事態が推移しましても、私ひとりの責任において成就することであり、みなさんとの共有を目的にしたものではありません。被害を受けてはたいへんだとお思いの節には、私の創造宇宙から離れていてくださいますようお願いします。もし同調されるなら、それも可能ですが、自己責任であることを自覚しておいてください。