知識を神様の名にかえて保全しようとした
9月26日
さて、古 事記の神話には驚異的な(当時からすれば)未来知識が詰まっていたわけですが、いったいどちらさんがこれを制作なさったのでありましょう。 私の推理からすれば、まずカバラの図形が印象的ですから、古代のカバール、その名が忌まわしいようなら、賢者の秘教組織とでも言いますか。
古くはエ ジプトやバビロニアにいた神官層という知識者たちが未来に渡って歴史の実験系を設定したといったことから始まったのではないか。というのは、当時の神々 は、神官層によって人工的に制作され、それが人々の信仰の拠り所になったという経緯があるからです。むろんそのときは、神の属性が
何に拠っ ていたかは知りません。その神の得意とする神通力が人々の拠り所になっていたはずです。 日本における神々の場合は、彼らの持ち来たした知識概念の主要な事物が神とされていました。 知識概念が何を語るかは統率者なら知っているはずです。それがよほど大事なものだった場合は、どうします?
知識を保 全し、後世に持ち越そうと努力するでしょう。その方法が、知識を神名に代えて、庶民の信仰の対称にすることで、記憶の風化を食い止めようとしたと思われま す。それを地域もしくは部族の神にすることで、知識に重み付けしたのです。これは至って情報工学的な手法です。
今では、 全国の神社の祭神に何体かずつ配されてますが、かつては割り当てられた部族は自らの戴祖する神(知識)として、部族の全員で共有し後世に伝えたわけです。 それでも部族、豪族は淘汰され減りました。このため、口伝での存続に耐えないと見込まれ天武天皇は文書化することを命じられたのでしょう。
しかし、 文書化というのは部外秘が外部に知れることでもあります。秘教組織の掟として、組織解体のとき到来であり、そのときに合わせて秘儀の成就が何らかの形で果 たされる見込みが大事なわけです。古事記神話の成就とは、ニニギの事象の開花であり、その成果の刈り取りを以て完成すると見込まれた。
神話では ニニギの三皇子の産屋に火を掛けて成否を占うというものでした。 古代皇室はまず平城京での成就の具合を見て、次に平安京で見ようとしました。どうやら後者においてそれが完成されたかと判断されたもよう。京滋には大火と 疫病が頻発し、武士の台頭で戦乱やまずの状況と末法思想の流行が
なおも完 成の時期到来を悟らせたでしょう。宮廷女官たちは月世界に還るかぐや姫に思いを馳せ、巷では聖衆来迎(今でいうUFO編隊による掲挙)思想がいっそう終末 観を奏でました。 応天門の変以後、皇室は執政に意欲を失い摂関政治から武家政権へと変遷。それでも終末は見えてこず。ただ庶民は疲労困憊。
そしてい まや現代にその完成の場面を迎えようとしていることがわかりました。ニニギの知識文化はいま最盛期。そして火をかけて占うという段階も迎えています。よう やくそのときがやってきたんですね。すごく幸運なタイミングに生きているわけですから、もう少し冥土の土産を買っておくことにします。