わが内なる悪魔(滅びに至る)部分の囁き

あなたに聞きたいことがある。
あなたは自我意識を持っていますか?と。
我考えるゆえに我ありの自我のことだ。
他と分離していると認識している意識があるかどうかということだ。
ない者がいるなら、その人はダミーである。そうであっても、彼は当たり前の人と同様にふるまうだろうから、判別はつかない。自分だけが存在しているという以外は、本質的なことは何も分からないわけだ。
拙時空論からすると、私以外の皆さんは、プログラムとして記述された存在であるのみで、夢幻の類に等しいのである。もっと厳密に言えば、私の身体も心の動きもすべてプログラムの作る幻術であるのみで、私そのものではない。
ただ意識原理が、あるプログラムを実行し観測している。それが自我を形成するプログラムだから、自我が生じている。IF条件の付いたところに来れば、その価に従って分岐したりもする。するとパラレルワールドに航路が変わったりする。
プログラムがプログラムを呼び寄せ、観測機能の賦活主体である意識原理に実行させ、観測しているという具合だ。けっこうそのプログラムの連携は、ウインドウズのOSのタスクの有様からも推測できるように、複雑化していて、何がどこを制御しているかなど、開発者にも把握困難なほどだ。
とすれば、誰しも世界の幻術を理知的にコントロールすることなど不可能に近くなる。釈迦のような聖者でも、この有様を概括して表現するしかなく、ただマーヤの原理と、そこからの厭離を説くことしかできないというわけだ。
だが、世界への対処は割合簡単にできる。
今の世界の様は、意識を持つあなたが、今呼び寄せているプログラムの実行結果である。何がそのプログラムを呼び出したか。それは、心の性向を形成するプログラムから呼び出されたのだ。そのような世界であることを心のどこかで望んだか、あるいは経験してみたいという、心理プログラムを実行したからに他ならない。そのゆえに、あなたの今の時空があるというフローになる。
もしその時空が、現象的に滅亡の方向にあるなら、それはあなたが選び取ったプログラムである。そのゆえに、受けるべき滅亡の体験は、すべてあなたの責任によるわけだ。
けっこうこの滅亡に向かう時空にいる人というのは、賢者が多いように思う。
彼の心の中は、あんな愚かなことをしてと、他人への批判に満ちているものだ。そんなことをする奴は助からない。いや、助かるべきではないと心底では叫んでいたりする。選民主義者もそうだ。愚か者ばかりだから滅ぶのだと思っている者もそうだ。
それは、私を自己観察すればよく分かる。これまでここでしてきた記事のほとんどが、第三者への罵詈雑言に彩られていることからも分かるだろう。
つまり、私は滅びに至る時空を自ら呼び寄せているのだ。面白くもない人生であったし、高下貴賎もろともに滅ぶことを願っていた。
いや、みんなそうだろう。そうでなくてはならない。みんな同士でなくてはならないのだ。たとえ多少意見は違っても、滅びを目指す同士に変わりはない。そうでない人は、こんなところにいるべきではないから、去るべきだし、去らねばならない。ここから去って良好なパラレルワールドに行って、もし私のいるのを見たとしても、それは私のダミーでしかない。
いっぽう私からすれば、もし滅ぶような局面にいるべきでない人が共に至ったときには、プログラム上のダミー人形と思い込む。こうすれば、いざ同士間の殺戮の局面においても、呵責なしに事が行える。
この先行き閉ざされた時空から出たい人は、今までにノウハウを授けてきたから、何でも利用して去っていくがいい。純粋な人間愛を心に築くなら出られるだろう。早く出て行くことだ。
ジュセリーノ氏は予知夢に関わる以外の生活態度においては、仕事と家庭を両立させ、曇りのない人生を送っている。が、彼の役割に傾ける意志は、彼の頑固なまでの正義感と終始一貫した主義、行動パターンで裏打ちされ、彼の魂の高尚さを物語るものとなっている。このプロジェクトのために捧げる神霊界を含めた役割の霊団が存在しているように見受けられる。このプロジェクトは、優れた伝令者を地上に派遣したものだと思う。人選に抜かりがないのも、マトリックス主催者側ゆえと苦言をひとつだけ呈したい。
その点私などは、若い頃からひんぴんとくる情報によって普段と仕事の手を取られ、メモの山の中に寝る生活をするという、彼の有様にちょっと似たところがあったように思う。が、人生の選択肢は不義かつ卑怯な側ばかり選び取って、ついに滅びの時空に辿り着いてしまった感がある。当然、いくらご高説を垂れていても、ほとんど支離滅裂、信憑性に足るものではない。彼が魂の高潔さの割合で信憑性95%をマークするなら、私の仮説などその5%も達成できないだろう。が、分かっちゃいるけどやめられない。
私も当然、過去に幾度もあった歴然とした分岐点をくぐってここに来ている。
多くの場合、それは二者択一の形でやってきた。というのも、私が優柔不断で、たえず”カマ掛け”をする癖があったからだ。
そして、おおかた不義の側を選択して、ここまでやってきた。もし最初の頃のあのとき、義の側を選択すれば、今頃はOA企業のトップにいて、申し分ない幸せが享受できていただろう。そして、こんな滅びかけた世界に臨むこともなかったように思う。
だが、今は自らの心の性向に従って、ジュセリーノ予言を見て絆を持ってしまった世界に来ている。かの有望なパラレルワールドは、不可逆の時間法則の中に泡と消えた。
だが、私はそれと引き換えに、自ら掴んだ発見がある。その検証のために、これからの時間があると思えば少しは楽しくなってくる。
ジュセリーノ予言によれば、今年中に地球温暖化対策が講じられなければ、人類は青い空を拝めなくなるという。そのフレーズは、古事記の「天の岩戸」のくだりを髣髴とさせる。田を埋め溝を壊し、ついには水と土でできた斑の天体を墜落せしめた過去の文明を、スサノヲの暴虐に仮託させて、結果的に太陽神のお隠れを招いたとしている。
小惑星の衝突までも・・まさに今の文明も同様の経過を辿ることが予言には語られている。この文明の展開のレパートリーの少なさは、歴史の必然性を物語ることとのみしても良いが、もっと多くが学ばれなければ、もったいない限りだ。
”さ蝿なす満ち、もろもろの禍ことごとに”の状況下にあっても、太陽神復活の儀式が執り行われた暁に、見事復活すると預言しているのは古事記だ。復活するのは、世界(そこではUFOが用いている時空ジャンプ航法が採られるようだ)。世界の古代神話の中にも類義が見出せる。生きて見届けることができるなら、これほど面白いイベントもないに違いない。
私と同様の人ばかりとすれば、安心できる。だから、みなさんをみな同士と思っている。同じ土俵に立ち、未来に取り組んで行かねばならないと思う気持ちも同じだろう。ふはははははは・・。なぜか心の底から笑えてくるのも、とてつもなくアドベンチャラスだからだろう。

100禁 死に赴かんとする人に贈る三種のガイダンス+Option

突然、何の脈絡もなくこのような話題が出てくるのも、超常的な嗜好かと思うのだが、如何か。
というのも、かねてから創作作品の紹介をしておきたかったときに、いきなり先の未来の展望もなくしたような話題を扱うようになり、ならばいっそ死んだつもりになるのも逆転の発想でよかろうかと思ったしだいだ。思いっきり暖かい死後の世界をご紹介したくなったというわけである。
最初の話は、お年より向け、信心深い仏教徒向けのガイダンスになるかも知れない物語だ。
不思議体験豊富な祖母により、幼い頃に教えられたあの世に行ったときの話で、多少は祖母の夢体験も入っている。
祖母から聞いたときには、その筋書きの構成の見事さとビジュアルなリアルさが私の心を魅了したものだった。
その幾分かでも、物語に篭めることができたかどうかは知れない。
たつえおばあさん(奪衣婆異聞記)
次の話は精神世界に興味する人向けの童話だ。
多少のガイダンスを果せるものとなるなら幸いだ。
私は若い頃、夢でUFOを見ることが多かった。そのときに決まって出てくるのが白球型UFOだった。
夜空の星の間をすいすいみずすましのように泳いでいるのだった。
私は彼らを友達であると思っていた。
というのも、現実のUFO観測会で、友達になってくれるかというテレパシーを彼らに向けて発した2,3秒後に、視野のど真ん中で姿を捉えてしまったのだから。
それ以来、私のUFOへの思いは友好的なものとなり、夢の中にまで出てくるようになったのだ。
夢の中に出てくるのは決まって白球型UFO。まるで星の精のようだから、「星の子」と呼んだ。
そのときに作った童話がこれだ。
星の子
やがてそれが本当に存在することを、UFO撮影をするようになって確信することとなる。
あの夢に何度も出てきた白球型UFOがいくらも撮影された。
それを私は「星の子UFO」と命名した。
夢のときの動きほどダイナミックな円舞は描かなかったが、それでも軌道は円舞の如きものだった。
いちばん最近には、2005年11月のGの嵐のロケ時に現れた二十機ほどの球体UFO。
ZAQのひよこのようにシャイで、見つかったと知ると、そそくさと山陰に隠れてしまった。
たまたまテレビカメラがうまく撮影していて放映された。その正体はやはりあの星の子だった。
以来、撮影をやめて今に至る。
ちなみに、よく似た表現の「星の王子さま」は、つい最近になってネット上でタダ読みさせてもらったところ。いや、感動ものだった。たちまちサン・テグジュベリの信奉者となってしまった。
次の話は学究肌の人向けのガイダンスたりうる随想だ。
人の意識の根底に潜在する、意識の辿る原型的手続きを明らかにしたもので、もしかするとここから一歩踏み込んだ世の真実をも読み取ってもらえるかも知れない。
死の科学
話はチベットの死者の書を叩き台にしているが、基礎的な概念は、ユニークな時空モデル概念で与えている。
それから約二十年の後に、同じ発想による映画「マトリックス」が登場して、我が発想に間違いのなかったことを確信した。
決して映画ほど陰謀的でなくとも、類似的なイメージングを通して、世の裏の真実が理解できるかも知れない。
超宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念
(コンピューターモデルでサイ情報系を観測する意識の仕組みをシミュレートするため、
UFOの動作原理、夢、催眠、死後の意識存続などの未知の問題に幅広く応用できる)
そしてもうひとつオプションとして掲げるのは、拙時空論を基にした即興的仏教説話である。

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元祖 ご当地UFOソング

古いファイルを見つけてきました。
UFO撮影活動を始めた頃の作品であります。
元祖 ご当地UFOソング (再生は矢印をクリックのこと)

《歌詞》
《・・・・・前奏・・・・・》
UFOさんとは言うけれど、いったいあなたは誰ですか。
空ゆく鳥も怖じさせず、見ようとすれど姿なし。
音もせぬならなぜ映る(なぜ映る)。
ホンにあなたは屁のような(屁のような)。
残り香だけでも嗅がせてよ。
《・・・・・・・・間奏・・・・・・・・》
雲の中におわすのか。山の彼方にお住まいか。
やはり宇宙がふる里か。それとも心におわすのか。
驚き映像イリュージョン(イリュージョン)。
謎は尽きねど 一つだけ(一つだけ)、
言えるは我らの想いかも。
《・・・・・・・・間奏・・・・・・・・》
この世に謎は尽きぬもの。じかに見せられ試すなら、
おかしな世界もそこにある。想ってみれば本当は、
うつつが夢ではなかろうか(そうかもね)。
UFOにピントあわすとき(あわそうか)、
辺りは縄文の故郷なれ。
《・・・後奏・・・96年8月29日作詞作曲(By OKUND) 》