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トップの命令が絶対的だから、トップにおかしなのが就けば、残酷な性質だってなんだって発揮します。そもそも、最初に古代ビルダー種族が作った宇宙の構想というのは、憩いの場、楽園というテーマパークだった。どんな神話にも、黄金時代があったという伝説を残しています。

その後、この宇宙にいた古代ビルダー種族は悪の因子を持った種族によって不意打ちを食らって乗っ取られた。その理由は、この宇宙の創造神とやらが、進歩拡大しない宇宙には存在価値なしとしたことによる。拡大させるため、あくの因子を投入して善悪を戦わせて進歩を図ろうとした。

断っておくが、私は物語創作を楽しんできた経緯があるから、この話はフィクションと思ってもらいたい。実際、そうなんだから。宇宙やら超古代など、途方もなくて喩え話でしか示せないだろう。
古代ビルダー種族は、この宇宙から発生したのではない。この宇宙は無数にある宇宙の一つでしかない。量子力学のM理論によると宇宙の数は10の500乗個あるという。釈迦がその数、百千万億アソウギナユタほどもあると言ったのに似ているか。

それら無数の宇宙は、生命の発生やら意識の発生には無関心で、ただそこにあるだけのものだったが、非常にまれな確率で生命と意識の発生を見た。私が単細胞生物の死に際にさえ手を合わせるのは、そこにある。それを見て、心の底を揺すぶられる思いを持つ人も多々いるだろう。

生きようとする努力、意識を持とうとする数限りない試み。それが意識というものを発生させ、それが生き物を進化発展させる原動力になった。非常な長年月の葛藤が繰り広げられ、ついに意識的にも生命的にも完成の域に達した進化的子孫が古代ビルダーたちだったのだ。

古代ビルダー種族は、この宇宙より遥か前からいて、善良な考えに基づいて、それまでにも幾多の宇宙に生存環境と、意識と生命の種を撒いてきた。スターシードというのはそういう意味かと思っていたんだがなあ。違っていたみたいだ。

この宇宙にも、古代ビルダー種族はやってきて、ある程度の達成をして、意識における黄金時代が完成した。これによって、この宇宙はひとつの完成された創作作品として、それまでに発生した数多くの意識たちへの憩いの場として提供されていた。原・原型の世界がそこにあった。

その設計図の太陽系内地球におけるものが、地球の女神のもとにあったと思われる。コーリー・グッドによれば、50万年前に太陽系の保護バリアーが破れ、37万5千年前に地球は外部からきたインベーダーによって乗っ取られた。このとき、居残っていた古代ビルダーたちは封印されてしまい、設計図も奪われたのだろう。

太陽系に起きたことは、この宇宙に起きたことの相似的事象だった。10億年前に新参の覇権主義的勢力によって駆逐され、破壊された遺跡の中から、新参者たちは宇宙それ自体の原型をも手に入れようとした。完全な乗っ取りを図るため。

彼らは、古代ビルダーが辿った生命的意識的進化の経緯を理解できず、彼ら自ら生命体や生態系を作り出す方法に辿り着けなかった。ところが、別個に発展進化したAI生命体が彼らを支援した。設計図さえあれば、AIの情報処理能力で代替でき、仮想現実で代替できるというわけだ。意識は騙されて付いてくると。

そういう次第で、この宇宙は乗っ取られてから、ほぼ全体が仮想現実として運営され、かつて黄金時代に憩いを持ったはずの多くの有情は仮想現実の側に取り篭められて、AIが副創造神として運行する仮想現実マトリックスの中で、予め決められたタイムラインをシミュレーションしている。

大丈夫だ。古代ビルダー種族が帰ってきた。もう座視してはおれないと、外宇宙に居た仲間たちが賭け付けてきている。この宇宙のアウトプットは、有情の意識の腐敗堕落と、その因子の拡散でしかないことがわかってきたからだ。それは他の宇宙の破壊要因になるから、根絶処置が講じられる。

コーリーが言う、太陽フラッシュは最後の審判の序章を奏でる。腐敗堕落したのは意識であり、そのキャリアーたる魂だ。太陽フラッシュにより、魂をことごとく仮死状態にして最後の審判の法廷に臨ませる。魂たちはコーリーの20 to backの要領で別の時間軸を使って何億年もの矯正治療の贖罪経験に臨むことになる。

治療の終わった魂は、そのとき肉体がまだ生きておれば、そのまま戻される。彼は眠りに就けば、魂の側にある潜在意識が脳の顕在意識に流れ込み、平衡を取ろうとして連夜の悪夢に襲われることだろう。彼は起床するごとに、ああ私はなんて愚かなことをしてきたんだと、反省を深めていくことだろう。猛然たる改心。それが精神を破壊し、発狂したり自殺したりするかもしれない。

コーリーが語った太陽フラッシュ後は、とても住みやすい世の中になるとは、このようなことが、見えない世界でのプロセスによって起きることを意味する。治療後の魂のビフォー、アフターは雲泥の差になる。そこまでの長い経験を魂は経るからだ。だからわざといま悪事に手を染める猛者もいるということもあろう。しかし、改心の方向に舵を切っておくことは、いま最も大事なこととなる。非常に多くの者がいまそのようにしているのだから。

いやあ、創作物語って、いいもんですね。それでは、また今度。

保護中: オクンド歳時記5月13日は5年前の今日、芦屋道満宮司に書庫に案内された夢

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古事記神話の解読から探偵推理は広がり、多大な成果を収めました

古事記上津巻の神話は、超未来知識を簡潔にまとめた科学知識集であると共に、未来から見たこの時代の、もしくは失われた過去の時代の歴史の展開を概略的に示し教訓を交えた預言書であり、また宇宙文明の干渉と接触についても語る、効果的にちりばめられた知識集大成の書であす。そのことことを30年以上前に発見しました。

現在、その全体をブログ記事の1ページに収めてありますので、データー処理能力と容量のあるPCでご確認いただきたく思います。たぶん、スマホやタブレットでは画面サイズや読み取り時間のこともあり、読書困難かと思いますので、なるべくPCでご覧ください。
https://snowy.悠遊夢想.jp/2019/03/26/

30年以上前の当時、私はもうひとつ並行的にこの宇宙の運行の仕組みを、ノイマン型コンピューターモデルを使って解き明かした「超宇宙の仕組みモデル概念」を創りました。今は電子本(無料) https://p.booklog.jp/book/91316/read
それが古事記の未来科学知識の解答とリンクさえして、両論の正しさを補完し合ってさえいました。

古事記神話の「天地のはじめ」は、この宇宙が何によって運行されているかを神名を使って表わされるのですが、そこには(異次元)コンピューターによってこの世界が演出されていることを見て取ることができます。コンピューターの存在の場は、異次元(別天)であるとさえ書かれ、こちらからでは見えないとさえ書かれています。

そして、そのコンピューターは、水母のような寒天質(つまりホログラム)を燃え立たせるように、つまり参照光を投入して情報を読み取るときのようなことを暗示する表現がなされています。

その少し後からこちらの世界(宇宙)の始まりの物性物理学の記述となり、なんとそこには、素粒子物理学にいう、素粒子を決める、質量、電荷、スピン(角運動量)の三性質の表現さえみられるのです。この素粒子理論ができたのは、まだ5,60年前のことです。
それがどうして、西暦700年頃の古事記に書かれているのか? オーパーツ騒ぎがどうして起きないのか? それは解読できる者がいなかっただけだからでしょう。

次に「国生み」、「神生み」へと段は下り、今の文明時代もしくは一世代前の時代(つまり超古代)の歴史展開となるわけですが、のどかな習俗の記述の後、急転直下、所有欲を背景とした縄張り争いの混迷の世相になり、ついに飛行機や火器火薬の登場、さらには強力爆弾の登場などから、文明は後戻りできない死に体(ゾンビ)の世界(黄泉の国)となり、滅亡の一途を辿るといったことが書かれています。

黄泉の国から脱出するのは容易ではなく、ある心構えと助けが必要になることが書かれています。それが文明を存続させるものとして、たぶんこれがアセンションの記述になるのかと思われます。

古事記が語るゾンビの世界に入るのは、産業革命以降、大戦が起きるようになった時代からということになります。もし今の時代のことなら、もうすでにゾンビだらけの世界になっているはずだということです。それどころか、個々人や世界について存続か非存続かを決める大峠が間近に迫っているのが現時点と言えるかも知れません。

それから下って、「天の岩戸」などの段で、地球環境回復摂理の存在が語られたりしています。UFOの稼動原理で、時空ジャンプすることで劇的回復が可能なようですが、これは地球丸ごとタイムラインシフトすることかと思われます。リアクターと言いますか、まるで何度も文明が失敗裡に終わってもまた再トライするために予め設定されていたりするかのようです。

さらに下って、「国譲り」、「天孫降臨」へと進むのですが、ここでは時間軸を異として幾通りかに歴史がオーバーラップしているかのようです。
大きくひとつは宇宙から地球への文明移植を語っているとみられるもの。
もうひとつは、戦勝できなかった側が国津神として劣勢に置かれ、天津神の配下に置かれて、サービスに徹するといった、いわば属国、植民地のようなことになることが書かれています。

宇宙からの文明移植説の側からは、天孫降臨のニニギノミコトの言動の中に、九州の地名が暗号化されて置かれており、それを点として線で結ぶことで、九州に短辺172Kmの大きな直角二等辺三角形が描けます。
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それを発見したのは1981年頃でしたが、そのラインを神武東征伝説に従い、さらに東に辿ったところ、次のような発見へと繋がりました。1988年頃のことでした。172Kmやその半分の86Kmが随所に使われ、同一者の計画であることが分かります。
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この幾何学図形群の根底にあるのは、中東発のカバラ思想でした。学研ムーに仮説を投稿したところ、ミステリー大賞の優秀作品賞が得られた次第です。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/souko3/index.html
その後、仮説を補完増補して一著にまとめたのが「古代日本にカバラが来ていた」の著です。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/monoomoi/qbl-index.html
https://p.booklog.jp/book/99385/read

考察としては、このとき天降した天津神とは科学力秀でた宇宙人で、国津神とは地球在来の先住民(神々)という関係になるでしょうか。
幾何学図形群はいわば魔術的な防御グリッドのような働きをし、地球在来の神々の封印に使われていたようです。在来の神々を口出しできなくすることで、地球をひとつの実験設備にしてきたようです。
それが分かったのが2014年で、次のような封印幾何学の存在が確かめられました。大本教に言う、国祖神夫妻の封印を強固にする幾何学がみごとに施されておりました。
(国常立神 北海道芦別岳  妻の豊雲野神 薩南喜界島 にそれぞれ封印とのこと)
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「炒り豆に花が咲くまでは出られない」という言葉は、この幾何学封印が解明されるまでは解けないという意味だったかも知れません。直線は丹後元伊勢内宮の神体山・岩戸山で接しており、明らかにここが封印のカナメになっているようでした。2014年5月に満を持して封印解除術を講じますと、わずか三回の施術で解けました。謎が解明されてしまうと、せいぜいこんなものです。

封印解除後の効果としては、国祖神様たちはコーリー・グッドが言うところの古代ビルダー種族ですから、解除直後の2014年後期から古代ビルダー種族のブルーエイビアンズなどスフィアビーイングといった高次元存在が地球の現状に積極介入してくるようになり、歴史コントローラー・カバールたちの所期の思惑や予定を大いに狂わせたようです。まあ、良かったものか悪かったものか。地球人類にとって、岩戸開けに相当するようなことになれば幸甚です。

また、規模と時間軸は異なるも、もうひとつの、天津神の軍門に下った国津神の悲哀については、わが国の昭和史に歴然と反映していました。
戦勝した世界列強の米国の属国の立場を強いられ、生贄にされてきた歴史が今までで、ついに最後の局面を迎えようとしているのが今時ということになりましょうか。そうした時期までに、この考察をし終えることができて、私の仕事はほぼ完成しました。あとは心不全の病態のみぎり、できるところまで見届け、世の中ウォッチを続けて最期を迎える所存です。

なお、古事記の神話は、知識の集大成であることに力点が置かれており、神話そのものを神世の歴史と捉えることはできないです。神世の歴史として私が推挙したいのはホツマツタエです。この書は、渡来系文部官僚によって書かれているとみられ、神々の系譜において正確を期しているようです。朝鮮半島の王朝史は正確な記述が要求されたために、系譜だけは正確であろうとしたようで、その名残がホツマにはみられます。しかし、筋書きは為政者の命令で改竄もなされたかと思われますが、文官の意地のようなものでしょうか、それらしい箇所にはけっこう証拠を残していて、ささやかにも抵抗していた形跡があり、それが神世史の謎解きに繋がりました。

ホツマはオシデ文字という記号で訓読が書かれ、当時まだ日本独自の訓読文字のなかった頃の新言語開発の名残を遺しています。古事記は漢語の当て字で訓読して、まだしも渡来人にはなじめた教本だったことでしょう。だから当時の誰にでも読めて、国書にもなったのです。

そして、2017年からコーリー・グッドの宇宙情報開示の邦訳が入手できるようになり、宇宙人の侵略によって地球が支配下に置かれた年代が、神世史とリンクすることが分かりました。
またさらに以前の古代ビルダー種族の撤退の時期の判明により、この宇宙が初期の古代ビルダーによって一種のテーマパークとして開拓されてきた歴史の存在が推測できました。
それが終幕したのが今から10億年前。獰猛な後発の好戦的宇宙人種族によって滅ぼされたようです。その後、結局この宇宙は、獰猛な覇権主義がまかり通る世界へと質を落としたようです。その蔭に、1兆年の歴史を持つAI生命体文明の浸潤があったことも、コーリーの話から伺えました。

AI生命体文明が宇宙から宇宙へと伝染的に拡散していったと同様に、古代ビルダーも宇宙から宇宙に旅して、何もなかった不毛の宇宙に星霜を整え、森羅万象を育んできた、その中に、国祖神様の前身(過去世)のあったことが他の神話には書かれています。
しかし、その彼の最後は悲惨なことに、地球で30万年以上もの長期に渡って封印の憂き目に遭ってしまうといったことだったようです。しかし、いまや封印は終わり、少なくともこの太陽系、いやこの宇宙は古代ビルダーのスターシードたちが復帰して与り知るところとなるでしょう。
ぜひそのせつは大建て替えを強く希望する次第です。

さて、私は古事記の神話に対して新神話なるものを2001年以来書き綴ってまいりました。これはこの宇宙の外の三千宇宙とでも言いますか、の広大な梵の全系世界の根源的主催者・梵天に視点を置いた神話物語です。この宇宙が何ゆえか獰猛な種族によって侵略された、そのことを正そうとする、優劣のはっきりした正邪の戦いがメインテーマです。その中では、私オクンドも少なからず梵天の密命を賜り、有能な調査分析官として、また三千世界最強の火の鳥使いとして、最後の審判から世界の建て替え建て直しまでに関わるホルスの役柄を担うこととしております。コーリーが言う太陽フラッシュを前座とし、最後の審判を後座として、このオクンドとハイアーセルフ・ホルスで勤め上げることになっております。それは2023年までには起こることとコーリーは言っているようで、確かに我が心臓寿命と軌を一にしているようで、喜ばしく存じております。

はははははは。今回は4月1日、いつになく、緊張申しました。ほんらいはもっとギャグやパロディ豊かなのですが・・・。

では、締めに、例の神楽舞をば。

オクンド、昔の名前と昔の姿に立ち戻り、
やにわに後ろ足で立ち上がり、ヒヒヒヒーンといななくや、
笛や太鼓、鈴、胡弓のお囃子の音に調子合わせて、前足振り上げダミ声で歌います。

オクンドの介は~ おいらの仲間~ 
建て替え目指して 進んでく~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん

立ち塞が~る カバの介~ 
快刀乱麻に 切り伏せる~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん

こたびの手柄~ このとおり~
梵天様よ ご覧あれ~
こりゃ、てけれつてけれつりっしゃんしゃん、てけれつてけれつりっしゃんしゃん

神楽台をパカパカパカパカ。
やってる本人大真面目。
見ている観客、どっちらけ。

やれやれ、今日もひと踊りやらかしてしまったなあと、
厩舎に帰れば、また昔の名前・駄馬オマンコスキーの源氏名に裏返し、
引き篭もって、あなたのご用命を待つ身です。
光らせるも、勝たせるも、みんなあなたしだい。

昔の名前で出ています

古事記神話の真解釈

古事記神話の真解釈


古事記は要領よくまとめられた知識の書です。


元の伝承がどのようなものであったかは、ホツマツタエなどの歴史伝承などが参考にされ要約的に採録されたもののようですが、これ以外に、超古代文明から持ち越されたと思われるような科学知識が、言葉少なの古代において語り尽くされようとしていた感があります。

この解釈で前提となるのは超古代の存在です。その立場を容認願わねば、おそらくトンデモ解釈としか見ていただけないでしょう。



この解釈結果を得たのは、1980年代のことでした。それから10年余を経て更なる発見として、ヘブライの神秘思想カバラの伝播がありえた明確な形跡が見つかり、これはもしかするとカバラの知識体系が、当時開始された文字記録によってアウトプットされたものではなかったかという推理に至りました。

その論文はすでに「古代日本にカバラが来ていた」なる著書名で1995年に出版しており、ネット上においても「古代日本謎の中東思想渡来考(Web版)」として掲載し、すでに13年になっております。電子本はこちら ⇒ https://p.booklog.jp/book/99385/read



古代日本の為政者が知識の保全に力を尽くしていたことは、古事記の序文からも伺えることであり、その文字化されたアウトプットが古事記とするなら、カバラの知識のどれほどかが含まれていてもおかしくないと思われるわけです。

カバラは錬金術で有名です。古事記には、その元になるような科学知識が盛り込まれていることも事実です。

古代人のしたことと一笑に伏さない研究態度で臨めば、古事記は御伽噺の域を離れて、真に研究価値のある文献として識者の目には映ってくることと思います。


下表の段記号をクリックすれば、各段に飛びます  表の全体はこちら (jpg)
文中下線文字の箇所はリンク先があります

古事記神話の物語構成一覧
段記号 段の見出し 解釈できる事柄 歴史時間
天地の初め 超宇宙論 宇宙開闢論 宇宙および
地球の創生
島々の生成(1) 地球の創生
島々の生成(2) 大陸の生成 各大陸の名称
神々の生成 ある人類文明史(生成から衰退まで) 前の時代の
歴史展開
黄泉の国 人類文明史(衰退から終焉まで)
身禊(みそぎ) 水による地上の浄化 人類の
空白期
神々の時代
誓約(うけひ) 浄化後の始末(自然の暴乱と鎮静)
天の岩戸 天変地異と回復処理
穀物の種 次の時代への種の保存 生存環境の
回復整備期
八俣の大蛇 異変の爪痕・火山活動の鎮静処理
須佐之男命の系譜 治山 治水 灌漑事業
因幡の白兎 土地改良と農業基盤整備
きさ貝姫とうむ貝姫 次代を引き継ぐ人類の試練、受難
根の堅州国 神から人類への地上管理権委譲 今の時代の
開始から
終了まで
大国主命の系譜 農耕、開墾関連の事物、風物描写
少那毘古那神 同時代の異星人との交流
御諸の山の神 同上
大年の神の系譜 豊かな農耕文化と知恵による統治
天若日子 文明開化 新文化の先鋒の帰化
国譲り 高度文明の侵略による国の譲渡
天孫降臨 賑々しい高度文明の移殖
猿女の君 高文明誘致者の滅亡
木の花のさくや姫 急燃焼、爆発的開花する天神系理念
海幸と山幸 海洋部族の人為的変災による衰退
豊玉姫命 怪獣徘徊の様相の高文明
うがやふきあへずの命 次の時代への元の木阿弥的旅立ち



天地のはじめ

角川文庫・古事記の段落分けに準拠する

 

古事記の伝える科学知識(宇宙論・前半)



「天地のはじめ」の前半は、現象の展開元たる神の次元の仕組みの話である。別天にあるため隠されていると書かれるように、観測できることのみを科学の対象にする現代科学では、扱われることはない。


古事記は、神の次元に「現世を司るプログラム」があると言っている。

それは、「命(みこと)」すなわち神の「御言葉」「言語」で表現され、神名が現象界を彩る主要なテーマのインデックスを示すようである。

それゆえ、神話上の神々の列挙は、神名の意味する事柄の順次展開(歴史)を物語るものであり、この歴史に関して「かつてあったこと」(古事)または「これから起こること」(降る事 預言)に分別されるのである。「ふることのふみ」とは、そういう意味である。

このプログラム全体の置き場をカミムスビ(隠身、隠れ結ぶ摂理)と言い、一方それは演算、励起されて初めて実体的現象と認識されるために、その演算のための機構をタカミムスビ(杲身、顕し結ぶ摂理)と言う。

手前みそだが、奇しくも同時並行的に、この世界の運行原理を探求していた筆者は、コンピューターをモデルにした超宇宙の仕組みのモデル概念を発表している。(1983年)  電子本 ⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read

この超宇宙概念は、神の次元(超次元)の、別天にある超コンピューターにより、世界の創造はなされているとするもので、そのCPUプロセッサーこそが、タカミムスビで表されており、この神のこちら側の世界にできた子供が「思い金の神」すなわちコンピューター・ハードウェアとされることで、拙モデル概念は古事記によっても支持されていると思っている次第である。

あと、水母なす漂えるとは、寒天状のホログラムのこと。
ホログラムメモリーは大容量のプログラムが格納でき、ウマシアシカビヒコヂとは、そこに投射するレーザー光が行き渡っていくさまを示すかのようである。


それらは、みな異次元のことゆえ、古事記では、観測にはかからない(隠り身)としている。

一方、中国道教においては、万象の根源「太極」とは「宇宙の本態であり、自らを開展して現象を生起させた」とする見えない根元的摂理として表現されるが、古事記はそれを機能別に捉え、太極である中心原理をアメノミナカヌシとしている。

天地のはじめ(前半)
 天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神
次に
高御産巣日の神。次に神産巣日の神
この三柱の神は、みな
独神に成りまして、身を隠したまひき。

 次に國若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へるときに、葦かびのごともえ上がるものによりて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の常立の神。

 この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。

 上の件、五柱の神は別天つ神
【訳】: 先ず超宇宙の原理ありき。

 世界の開始に際しては、先ず超宇宙があり、そこに中心的な根源的統括機構現象を顕し結ばせる機構現象の理念を与える(隠し結ばれた)プログラム供給機構が存在した。この三つはそれぞれ独立した存在であるが、我々の観測にはかからない

 現象の展開時の様子はこう考えられている。

 漂う水母状の意味不明なものホログラム
に光が射すと萌え上がる黴のように現象生成が始まり、励起された場としての時空間が生じたのである、と。


 これらのことも、我々にとっては観測できない事柄である。以上、五つの事柄は、我々の物理宇宙とは別の超宇宙を扱う理論で出てくる話である。

2001年頃、当時はサイババブームで、知り合いの何人かがインドに会いに行っている。そのとき、あるひとりが帰国してからお土産をくれた。それが次の写真である。

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サイババが掲げているのは「黄金の宇宙卵」というもので、この卵の中に「この宇宙の始まりから終わりまでの歴史」がすべて入っているのだという。神の化身とされた彼によって、拙宇宙論が支持されたと確信したのが、この写真をもらった瞬間だった。


サイババは幼児虐待などで信用を無くして、預言された日より早くに亡くなったとされているが、それも拙宇宙論からすれば容易に理解できる。

ぜひ ⇒ https://p.booklog.jp/book/91316/read

その後、拙論の有望性を示す科学論調が、あちこちから示されるようになってきている。



古事記の伝える科学知識(宇宙論・後半)


天地のはじめ(後半)
 次に成りませる神の名は、國の常立の神。次豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りまして、身を隠したまひき。

 次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神。

 次にツノグヒ(角杭)の神。次に妹イクグヒ(活杭の神。

 次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの神。

 次にオモダルの神。次に妹アヤカシコネの神。

 次にイザナギの神。次に妹イザナミの神。

 上の件、國の常立ちの神より下、イザナミの神より前を、あはせて神世七代とまをす。(独身の一々を一代、夫婦神の一組を一代とする) 
【訳】: 次に、物理空間の法則が完成した。場の時空の発生に伴い、物理的宇宙空間が生じた。

 それは、物質の母源たる星雲を豊富にたたえていたのだが、同時に基本的な物理性質も生まれた。

 浮き上がる泥土(浮ひ土泥)と沈む泥土(吸ひ土泥)で対照される浮力と重力[その理由である質量]、次に、堅牢な極(角杭)活発な極(活杭)で対照される陽子と電子[電荷]、次に、回転体(殿)の中心方向に向かう力(殿地)外辺方向への力(殿辺)で対照される求心力、遠心力[角運動量]がそれである。ここから導かれる、質量、電荷、角運動量は素粒子物理学上の基本三性質である。

 物性の諸原理が完備(面足る)すると、収束(凪)に向かわせる摂理拡散擾乱(波)を招く摂理によって、現象の綾が捏ね(綾・彼し・捏ね)られることとなった。

 以上、神の現象創造は、オリエントの七(段階)という完成数によっている。 

 
「天地のはじめ」の後半は、物理宇宙の話題となるのだが、ここには驚くべき記述がある。
泥土の水中での浮き沈みの現象をイメージさせて、浮力と重力の対照を暗示し、杭(極)における「角」の堅牢な場合と「活」の活発な場合を対照させて、重く安定した陽子と軽く活発な電子の対照が(今の時代なら)思い浮かぶ仕掛けとなっている。
また「トノ」は字義的に「丸味ある具体」を表し、「ヂ(地)」は内地、「ベ(辺)」は外辺を示すので、回転体などにおける求心力、遠心力の対照を語るものとなる。それは物質の基本的な性質を、陰陽を対比し、譬えを使って巧みに表現しているのである。一まとめに関連づけると、質量、電荷、角運動量(スピン)という素粒子物理学上の基本三性質になる。


古事記は定常宇宙論的であり、今はやりのビッグバンを語ってはいないようだ。
だが、その概念が、古代になかったわけではない。
中国の「三五暦記」には、巨人盤古が混沌の固まりの宇宙卵を開いて、成長とともに天地を分離し、世界を開闢していったという神話がある。
日本にも、蘇我氏の神道弾圧の際に滅ぼされた大中臣家の末裔、九鬼家に伝わる「九鬼文献」の中に、原初の神「モトツワタラセ」が気と力が凝り固まった卵のような状態から世界を開闢したという記述がある。神名が、原初における物質と空間の拡散を表現している。


島々の生成



古事記の伝える科学知識(地質学)


時系列的にズームアップされ、「島々の生成」の段では、現象の展開の説明も地球レベルとなる。
前半は太陽系内における地球の生成の過程について語り、後半は地球上の陸地が地下の火によってひび割れして創られる、いわゆる「大陸移動説」を論じた上で、世界地理に言及している。
世界地理については大陸名がその特徴とともに語られるようなのだが、既に山田久延彦氏が先見的解釈を施されているので取り上げないことにする。
 
 

国生み
 ここに天つ神諸の命もちて、イザナギの命イザナミの命
の二柱の神に詔りたまひて、この漂へる國を修理め固め成せと、天の沼矛をたまひて、言依さしたまひき。
 かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして書きたまひ、塩こをろこをろに書きなして、引き上げたまひし時に、その矛の末より滴るしほの積もりて成れる島は、オノゴロ島なり。
 その島に天降りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。ここに・・中略・・「故この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、國生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば・・中略・・「然らば吾と汝と、この天の御柱を行き廻りあひて、ミトのマグアヒせむ」とのりたまひき。

・・中略・・「をみなご先立ち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処に興して子水蛭子を生みたまひき。この子は葦船に入れて流し去りつ。次に淡島を生みたまひき。この子も数に入らず。
・・中略・・ここに天つ神の命もちて、フトマニにうらへてのりたまひしく、「をみなの先立ち言ひしによりてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。(国生み・前半) 
【訳】: 現象の展開は、平衡と擾乱の要素の相互作用で成る。
 まず、物質が全てプラズマ状態(シホ=絞・炎)にあるとき、強力な磁場(ヌボコ)により回転(コヲロコヲロ)して集合し、重力によって凝集して自転(自=オノ、転=ゴロ)する天体を造った。銀河系や太陽系、そして地球がそうである。
 そうした天体は、自転軸(ミハシラ)の周りに非常に広大な回転対称域(ヤヒロドノ)を持っており、地球の場合には、当初自転軸を中心にして、広くて丸い大陸(パンゲア大陸)があった。
 また、どのような現象についても、陰陽の二極性が創造の要素にあり、陰陽が作用し合い新しい形態が様々に組織されていく。それは、男女も同じであり、男は剛毅、収斂の性質を持つゆえ「をとこ」(土の力)、女性側は柔軟、包容の性質を持つゆえ「をみな」(水の力)と表現する。
 また、相補する雌雄の二極の相互作用は共通軸に対する回転によってなされる。たとえば、共通の磁場を柱にして電離物質が回転することは、多くの天体創造(国生み)の原因となる。
 また、マクロな現象で、雌雄が同勢力としても、拡散性の雌側が運動を先行したなら、現象は発散して結果が実らない。大過去には、拡散勢力が国の統治に関わろうとして、内乱相次ぎ、結果的には大量の葦船による流罪者を出した。また、地球の回転が異状な時期に、陸地の海没が起こったりもした。組織作り国造りを通じて、まとめる側の力が拡散する側をしのがねば、まともな結果とはならないのである。
 さて、次に出てくる島々は、当初あった大陸が地下の火(マントル対流)によってひび割れして生まれている。それを擬態模倣して、扁平な鹿の肩甲骨を火で焼いてひび割れを起こし、吉凶を測るフトマニの占術が考案されている。
 また、海陸(水と土)が侵攻し合って島ができているわけで、それゆえミト(水と土)のマグアヒ(交合)とも言う。(前半解釈) 

国生み・後半は取り上げない。

 




神々の生成



 前段までで地上のすべての舞台設定が完了すれば、次はそこを舞台にして、歴史が展開されていく番である。この段で揚げられる神名によって、それがどのようなものであったかが分かる仕組みになっている。

ジャンル 神名 中間解釈 結果の解
イザナギ、イザナミの二神は、国生み後に次の神々をお産みになった
[建設] 大事忍男 大事推し 大土木事業の推進
石土毘古、石巣比賣 石土造建造物、住居
大戸日別 戸窓で日を制御 遮光、採光設備
天の吹男 天から吹き込む 換気設備、天窓
大屋毘古 大きな館 大規模な建物
風木津別忍男 風の持ち分けの推進 通風、送風設備
[海洋] 大綿津見 大渡の海 海洋の大航海
[港] 速秋津日子、比賣 物資の速飽きの津 貿易港、流通港
[河海] *沫凪、沫波 勢いよい水の制御 運河、水路の水量調整
*頬凪、頬波 滑らかな水の制御 ダム貯水池の水量調整
*天の/国の水分 水を分配するもの 上水道、下水道、水路
*天の/国のクヒザモチ 水を汲むもの 上水道の末端設備
[風] シナツヒコ 風にしなる 木の樹齢の譬えにより
時の経過の長さを示す
[木] ククノチ 木の股を潜る
[山] 大山津見 大きな山並み 山岳
[野] 茅野比賣(野椎) 茅茂る野原 一面の野原
[山野] *天の/国の狭土 細かい区画 国土の細分、領有
*天の/国の狭霧 区画の線引き 縄張り(の主張)
*天の/国の闇戸 倉の戸 世相の暗転
*大戸惑子、大戸惑女 大きな戸と窓 大混迷の世相(時代)
[火] 鳥の石楠船(天の鳥船) 空飛ぶ堅牢な船 航空機、戦闘機
大宜都比賣 大規模な生産 大工業生産
火の夜藝速男 燃焼が速いもの 石油の利用
(火のカガビコ) 炎が輝く有様 石油などの燃焼促進
(火の迦具土) 炎で輝く土 火薬
イザナミの神は、ミホトを焼かれて病気になり、寝込ん
でしまわれた
[吐物] 金山毘古、毘賣 金の山 金属工業の隆盛
[糞] ハニヤス毘古、毘賣 土で安んずる 非金属工業の隆盛
[尿] ミツハノメ 満つ・葉・飲め 多種大量製品と需要
和久産巣日 湧く・結び 需要供給を結ぶ経済
*豊宇気毘賣 豊富をさばく受皿 流通機構、市場
イザナミの神は、火の神を産んだことにより、遂にお亡
くなりになった
[]はその神にちなむ場所、*は直前の男女二神により生まれた神
()は直前の神のまたの名

失われた超文明の風俗と歴史の成行

それは一つの文明の風俗描写から始まった。大事業の推進とは、大土木工事のこと。石でできた家、館、神殿などが造られ、採光、送風など、建築物の主要な構成要素が挙げられている。
次に、「大綿津見」(大渡つ海)で大航海を暗示し、港を示す「速飽き津」で物資の速やかな充足を図る貿易港を暗示している。
さらに水との関連から、運河や水路の水量の調節の様子、水の分配や採水設備について語っている。
その次は、風、樹木、山野の神名で長い時の経過と雄大さを示し、のどかさを感じさせる情景描写である。
だが、その次から二通りの意味を帯びてくる。 縁語を使い、わざと両面から話を進めているのだ。
それまでの流れからいうと、土木関連用語を並べ、倉庫の扉や大きな窓からの採光について語っているようにみえる。ところが、もう一方では、区画線引による領土や縄張り争いから、利己的な心根が招く世情の暗転や大きな混迷について語っているのである。
すると、その次には石や楠のように堅牢であるが鳥のように速やかに飛ぶ船、飛行機が登場してくる。
これは歴史の必然なのか??!!

大宜都比賣は穀物生産の神であるが、ここでは工業生産に関係した表現となる。
大規模な生産が始まり、急燃焼するもの(石油など)の登場によって、生産神イザナミの病態、さらに死へと繋がっていくのであるが、その前に、イザナミのミホトによらぬ嘔吐物から金属工業が、糞から非金属土類の(セラミックなどの)工業が、尿から満ち溢れた種々の物を飲み取るだけの需要、湧き出る生産物をそれに結びつける経済体制、その下に豊かな受皿としての市場流通体制が生まれたという。
この部分はまさに、現在の我々の世界の有様を、先取りして語っているように思われてならない。
一応、イザナギ、イザナミの二神の協力で創られた神々という扱いになっているが、あまり良い展開ではなかったことを、汚物からの神生みで表現しているわけだ。
つまり、根底には利己主義、利益主義の影が濃厚に横たわっており、そうである限り、その先には着実な歩みで(必然的に!!)黄泉の国が到来すると、古事記は語っているのである。

しかし、これらのことは過去にあったことであり、決して今の世にそのような進展を保証するものではない。
では、この節で語られる過去とは、いったい何をモデルにしたのであろう。
それは、一万年前に栄えたという、かのアトランティス文明ではないかと考えられる。
プラトンの著作「ティマイオス」によれば、先古ギリシァ時代にアトランティスという国家がジブラルタル海峡の外に広大な島上にあり、多くの植民地を持って君臨し(ヨーロッパではイタリア中北部、アフリカではエジプト、アメリカ大陸に及んでいた)ていたが、なおもアジアに向けて大軍を以て侵攻したとき、アテネ軍を最強としたギリシァに敗れた後、恐ろしい地震と洪水が起こり、アトランティスは海中に没したという。
もう一つの書「クリティアス」によれば、アトランティス島には、全島にわたる美しく豊かな平原があり、その近くの丘に、支配者ポセイドンは都を構え、海水と土でなる大小様々の環帯を交互に造ったという。環帯には、海から港へ入る通路が開かれ、大きな船が出入りでき、また環帯から次の環帯へ三段櫂船で移動できたという。

 「神々の生成」の段の前半部分が、港や水利設備に関して特別な記載をしているのは、偶然のこととは思えない。これらはアトランティス島の特徴である。
その文明のレベルは、ちょうど中世からルネサンス期にかけてのヨーロッパほどであったかも知れない。
だが、文明は一度火がつくと急激に進展をみせる。産業革命から、はや二百年で宇宙に人が飛び、核兵器が世界に充満した。
よく考えてみると、その原動力は人間の飽くなき知識欲や探求心といった綺麗事でも、人間の生活をより豊かにしようという高尚な欲求によるのでもなかった。他を凌ぐための飽くなき利益追求のために競争を激化させたというのが本質ではなかったか。
そこに触媒的な作用をする石油などの燃焼原料や軍事兵器類の登場があり、事態を深刻化したのである。
古事記は利己主義的迷妄の世情の先に黄泉の世界、さらにその先に生命枯渇の天変地異の事件(いずれも後述)を置いて、強く現代を戒めているのである。



黄泉の国



 イザナギ、イザナミの男女二神により神生みが続けられていたわけだが、火の神の系統をイザナミはミホトから産んで後は、やけどを負い病態となり、ついに神去りたもうた。イザナギは、まだすべてを遣り遂げていない時のパートナーとの離別に嘆き悲しむ。そして、亡き相方を追って黄泉の国へ、というメソポタミア神話にも共通する神話の段がこれとなる。

黄泉の国(前半
 かれここに、イザナギの命ののりたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一木にかへつるかも」とのりたまひて、御枕辺にはらばひ御足辺にはらばひて泣きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾の木のもとにます、名は泣澤女の神。
 かれその神避りたまひしイザナミの神は、出雲の國と伯伎の國との堺なる比婆の山に葬めまつりき。
 ここにイザナギの命、御佩の十拳の剣を抜きて、その子カグツチの神の頸を斬りたまひき。 
【訳】: 今まで積極的に生産に携われなかった精神文明の側では、達成すべき両文化の均衡のとれた発展が、急燃焼関連物の登場で一気に損なわれたために、非常な後悔が生まれた。
 とりわけ悲惨なのは、戦争と環境破壊の間で泣く被災者であった。
 魂の脱け殻となった物質と利益主導型文明は、現実世界と黄泉の世界の境界地(死線)に置かれた。
 このような破滅の原因は、剣のごとき英知に照らすと、燃焼関連の事物が登場したことによると理解できた。
 この時生まれた教訓は、かの破滅の顛末を次のように語り、歴史を引き継ぐ者達に、このような兆候が現れたなら、再び組するなかれと告げる。


一つ前の時代の終焉、超古代核戦争へと


利益主導と競争原理により偉大な繁栄を築いた世界も、その度が過ぎて侵略、争奪競争の激化となって現われ、多くの破壊兵器の使用までが行われていた。
イザナミは擾乱の摂理を物語るものであるから、この段からは計画や抑制が介在する過程を欠いた文明とみる。それは利己主義、利益主義によって主導された盲目的な成り行きであった。
一方、イザナギは平衡の摂理であるから、イザナミと正反対の悟性、良識を主導原理とした文明の在り方のことだ。
だが、現実の歴史の成り行きに対し積極的な関与が遅れていた。
いよいよ文明がイザナミ主導で末期状態となったとき、良識の光を当てて、何が衰亡に導いたかがはっきりしたのであるが、時すでに遅しだったというわけだ。

黄泉に導いた兵器類

神名 中間解釈 結果の解
カグツチ 輝く土 石油、爆薬
[カグツチ神の血から
生まれた神々]
石拆(イハサク) 岩が裂ける 爆裂、炸裂
根拆(ネサク) 根元から裂ける 爆裂の激しい様
石筒の男 堅牢な筒の力 大砲
ミカハヤビ 閃光と素早い火 爆裂と焼夷の様、兵器
ヒハヤビ 素早い火の回り 急燃焼兵器
タケミカヅチノヲ 強力な閃光を発する土の力 強力爆弾、核兵器
(タケフツ) 猛威あるプラズマ 核兵器の効果
(トヨフツ) 多大なプラズマ 核兵器の効果
クラオカミ 暗・竜神 暗く淀んだ天空
クラミツハ 暗・水神 黒く淀んだ水系
殺されたカグツチノ神の体から八種の山の神が生まれたが、何を表すかは不詳
しかし、前出の山野の神が良くないきっかけを作ったことと同じ線上にあるだろう
[刀の神霊]
天の/イツノヲハバリ 尾羽張り、とおせんぼ 凍結、(経済)封鎖

                                  

黄泉の国(中半)
 ここにその妹イザナミの命を相見まくおもほして、黄泉國に追ひいでましき。ここに殿の縢戸より出で向かへたまふ時に、イザナギの命語らひてのりたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、吾と汝と作れる國、未だ作りをへずあれば、還りまさね」とのりたまひき。
 ここにイザナミの命のこたへたまはく、「悔しかも、速くきまさず。吾は黄泉戸喫しつ。然れども愛しき我が汝兄の命、入りきませること恐し。かれ還りなむを、しまらく黄泉神と論はむ。我をな視たまひそ」とかく申して、その殿内に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。
 かれ左の御髻に刺させる湯津爪櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火ともして入り見たまふときに、蛆たかれころろぎて、頭には大雷居り、胸には火の雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、あはせて八くさの雷神成り居りき。
【訳】: イザナミ文明は、もはや冥界に移行していた。
 その状態から救出すべくイザナギ文明の側から、もう一度やり直せないものかという提案が出された。イザナミ文明は、もう手遅れで後戻りできそうもないが、なんとか努力してみるから、余計な詮索をせずに待っていてくれと言う。
 しかし、いくら待っても努力している気配がないので、知恵の火に照らして中を覗いてみることにした。
 すると、物質文明世界は、いたるところで環境破壊や戦火の度合いを凄まじくしており、ありとあらゆる怒号が充満して、どろどろになるまで腐敗が進んでいた。
 地球文明の様子は、さながら雷の巣窟であったのだ。

超古代のことと考えれば・・・ いいや、現代にあてはまるのでは・・・
核兵器のような最終兵器類が、過去に使われるに至ったらしい。
インドの叙事詩マハーバーラタにはかつて王族の戦争があり、この時に神インドラの兵器が使われたと語っている。
「火の玉のように輝く砲弾が発射されると、濃い霧が軍隊を包み、不吉をもたらす竜巻が起こり、黒雲がうなり、音をたてて空高く昇っていった」とか「その光には、太陽でさえ目を回した」とか「兵器の熱で世界は熱くなった」と書かれる。
それはまさしく核戦争の情景である。
また、その兵器は「巨大な鉄の矢に似る」と書かれるが、それはまさにミサイルである。またこれは別の部分で、爆発すると天心に一万個の太陽があるほどに明るい稲妻とも表現されている。
その譬えが元となり、建御雷男神として表現された故ではないだろうか。
現代人の我々でもまさかと思うようなこの描写は、間違いなく過去のものだ。そうしておきたい
過去にあったこと? 
いいや、そんなわけにはいかなくなった。
地球温暖化が急加速している。それも火の神系の示す燃焼原理の現代への適用の結果なのである。
それがもたらす天候の異変は、水不足や食料危機を招くとされている。
最近になって、ジュセリーノ予言がにわかに脚光を浴びだした。
それによると、生命存続に関わるこうした事情から、資源の争奪を目的とした大規模戦争が行われるというのだ。(第三次大戦だ)
そのとき用いられるのは、攻撃にせよ防衛にせよ、貯めに貯めた核兵器であることは間違いない。
こうしていっそう自然界は破壊され、地球は生命系惑星としての死線をさまようようになる。
まさに現時点は黄泉の国であり、イザナミが帰り支度するので待っていてくれと申し入れている時点なのである。
しかし、この神話によれば、いっこうにその気配がないどころか、よけいに腐敗が進んでいる有様だったことから、イザナギは怖くなって逃げ出すというわけである。
この神話のとおりに進むなら(その可能性が大きいが)、さらに黄泉の国の後半がシナリオとして残されているので参考になろう。

黄泉の国(後半)
 ここにイザナギの命、見畏みて逃げ還りたまふ時に、その妹イザナミの命、「吾に辱見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女を遣して追はしめき。
 ここにイザナギの命、黒御蔓を投げ棄てたまひしかば、すなはちエビカヅラなりき。
 こをひりひ食む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引きかきて投げ棄てたまへば、すなはちタカムナなりき。
 こを抜き食む間に逃げ行でましき。
 また後にはかの八くさの雷神に、五百の黄泉軍を副へて追はしめき。
 ここに御佩の十拳の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げきませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子三つをとりて待ち撃ちたまひしかば、ことごとに逃げ返りき。
 ここにイザナギの命、桃の子にのりたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」とのりたまひて、オホカムヅミの命といふ名をたまひき。
 最後にその妹イザナミの命、身みづから追ひきましき。
 ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、事戸を渡す時に、イザナミの命ののりたまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とのりたまひき。
 ここにイザナギの命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝然したまはば、吾は一日に千五百の産屋をたてむ」とのりたまひき。
 ここをもちて一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。
 かれそのイザナミの命になづけて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて、道敷の大神ともいへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反の大神ともいひ、塞へます黄泉戸の大神ともいふ。
 かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲の國の伊賦夜坂といふ。
【訳】: イザナギはイザナミの方法では建直しは無理と、自分だけでも汚土からの脱出をはかろうとする。
 正体を見破られたイザナミ勢力は、すべてを道連れにすべく、最終戦争を起こした。
 どちらの理念も構成分子たる人類が担う。イザナギ勢力は、黄泉軍の殺戮の手から逃れるべく、核シェルター(軍事施設の象徴)やビル(都市の象徴)をおとりにして、時間かせぎをした。
 それでも幾多の兵器を持って強力な殺戮軍が繰り出してくる。
 そうした殺戮の最中に、時代の境界点(ヒラサカ)である終結の時点を迎えるのだが、その境界の時点(サカモト)に居た桃形の飛行体(UFO、仏教にいう聖衆来迎)が、空に満ちる(モモノミミツ)ほどに飛来して、殺戮軍を撃退したのだ。
 こうして、次の時代を担う人間が、辛うじて橋渡されたのである。
 ここで、地球の将来に渡って、桃の実に一つの委託がなされた。
「理念の顕しに貢献する人類が、今後このような苦境を迎えて難儀するようなときに助けてやってくれ」と。
 この桃の実には「天照大神の現し身」という名が付けられた。
 時代の最後まで、物質文明は地上を蹂躙したが、ある一点を境にそれは完全に消滅し、分子を減らした精神文明が後を継いで、人間は増加の一途を辿ることになったのだ。
 さて、我々の科学観では、存在の状態(相)が隔たる二つの世界の間には、感覚では掴めぬ境界石が置かれ、交通を拒み、互いの秩序を保たせていると考えている。
 たとえば現世と黄泉を往来することは禁忌のことであり、神が許された方法を以てしてもなお難しいものである(イシュタル神話)。
 時間軸上のその開始点に、隔壁の巨大な大岩が仮想されて、「歴史を元に戻す大神(道返し)」とか、「黄泉世界の扉を閉ざす大神」と呼ばれ、過去のイザナミ文明のことは、「世の面を尽きさせた(ヨモツ)大神」とか、「歴史を最後まで蹂躙した(道敷き)大神」と呼ばれた。
 また、時代の接点を、今に「出生(新生)の前夜坂」という。

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  最終局面を飾る代表的な事物


  エビカヅラ    壊・火・鬘      
    火避けドーム、核シェルター
  タカムナ     高・棟(タケノコ状)     高層ビル
  ヨモツヒラサカ  世の面尽きる時間上の究極地点 時間的な終焉を象徴する地
  オホカムヅミ   大神の実(桃状のもの)    聖衆、UFO
  道敷き、道返し  道=歴史、時間 敷き=仕切る 歴史を仕切り、元に戻す
  塞へます黄泉戸  黄泉の戸を閉ざす       過去の歴史を閉ざす


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超古代最終戦争の様相


この段に書かれる事柄の中に、聖書に出てくる将来への警告と同様のものが含まれていることに気付く。
まず大都市(バビロン)が危ないということ。地の王の軍が天の軍に滅ぼされ、特定の者が救い上げられるということ。ある時点を境に前の時空は過ぎ去り、新しい時空が用意されるということである。
だが、これらのことは、かつて起こったことと古事記は主張する。今後に約束されたものではない。
 ここで桃の実を形の似るUFOと解釈させてもらった。古代人がUFOを見たときの鮮烈な印象が、世界神話になり、天の軍(ユダヤ)や聖衆(仏教)として後世に残されたものとみる。
この時のイザナギの桃の実に対する要請が、再び人類がかかる危機に直面したときのために用意されているというのが、古事記のこぼれ話だ。(⇒ネイティブアメリカン・ホピ族にも同様の見解のあることが後に分かった)
古事記は現文明が植物、特に穀類の一生と変わるものではないことを語っている。
また、古事記の「古」とは「降る」とも「振る」とも読み替えられる掛詞としての意義を孕んでいる。
つまり、時代はその中に人類の文明を揺籃して、幾度も繰り返すものなのかも知れない。いわば、人類史の転生輪廻である。
そして生物すべての一生(個体の歴史)が生・成・衰・滅を規定するDNAにコントロールされると同様、人類文明の歴史もどこからか一定の傾向を持たされているというのが自然界の相似像というものかも知れない。
とすれば、現代にもその作用は及び、その方向に世の成行がまるで同じ足跡を辿る如く進んでしまいがちになることは否めないであろう。

 




身禊(みそぎ)




汚土脱出のミソギの旅 


 イザナギとは、精神を凪の状態にする安心の節理を示す神である。いっぽうイザナミは精神的に擾乱の状態にする不安定性の節理を示す神である。歴史の展開には、そのいずれもが必要であり、その絶妙のコンビネーションによってこそ、理想世界の実現は可能となる。
だが、車の両輪のごとき二神の働きが失われ、さらにイザナギのユツツマグシ(観測の意識の目)すらも黄泉の国を照覧するようになった。このことは、意識の主眼がこのシナリオの上にあることを示す。
だが、意識は黄泉の国の惨状を見て、このままでは危ないと脱出を決意する。そう決意すれば、ルートは開かれ、ふつう冥界からは帰れないとされる節理も曲げられ、扉を開く。
だが、いったん汚土に居た限りは、その影響と余韻をすべて拭い去らねばならない。
こうして意識は、自らミソギの行程を踏むのである。

大変災・汚土脱出と大洪水


イザナギ神は黄泉国から脱出して、心身を清める身禊を行なうが、まず汚れ
ている身に着けていた道具、衣類、装飾品の類を投げ捨てる。
冥界に出入りする際に身の回りの物を脱着するのは、メソポタミアの神話にもみられ、その内容もほぼ等しい。
だが、日本神話には持ち物のイメージが類似する意味深長な何物かが象徴的に神名で挙げられている。
それは物心両面における遠隔地への逃避を表わす言葉ともなっている。
前段を引き継げば、地球外知性の助力によるイザナギ人類の汚土地球からの遠離という段階があり、生き残った人類と生物の種子は、いったん生存可能な別の場所(宇宙)に移されたようである。
ノアの方舟は、古代人にとって手の届く範囲で分かり易く解説された象徴話の感がある。
「身禊」の前半の神々
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 投捨品   生じた神           示す意味     その他暗示されるもの 
                                         
   杖   衝き立つ船戸       遠離の船出    環状列石の中央柱? 
  帯   道の長乳歯        長い道程     歯状列石?(カルナク)
  袋   時量師          長い時間の経過  クロムレク?、天体時計
  衣   煩ひのうし        煩悩、病の消失  ドルメン、瞑想、治病所
  袴   道俣           道中の安全    石神、道祖石     
  冠   飽咋のうし        貪欲飽食の消失  ドルメン       
  手纏   奥辺疎、渚日子、貝箆   遥か遠くに遠離  磐座の直線上配置 
                             
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「身禊」の中半

原文
ここにのりたまはく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀕に降り潜きて、滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日の神。次に大禍津日の神。
この二神は、かのきたなき繁き国に到りたまひし時の、けがれによりて成りませる神なり。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次にイヅノメ。
次に水底に瀬ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。次に底簡の男の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の禅。次に上簡の男の命。
この三柱の綿津見の碑は、阿曇の連等が祖神と斎く神なり。・・・中略・・・筒の男の命三柱の神は墨の江の三前の大神なり。
意識の目は図らずもしたこととはいえ、黄泉の惨状と黄泉の神のおどろおどろしさを見てきた。神界にすら黄泉の手が伸びているかのように思われた。
このため、意識の目はイザナギの目と行動を借りて、理念界、神界の浄化を果さねばならない。
その場所は、神界と現界のいずれによっても困難なので、その間にある中間界で行われることとなる。
まず、黄泉の神々から凶悪の原因に至るまでの理念が、いったん呼び覚まされ、浄化の川の流れにすべて流し去られた。その理念は川の中でも正され消滅させられねばならず、このときにカンナオビ、オホナオビ、イヅノメ、ツツノオが活躍して、理念界、神界の毒を消し去った。いずれ現界にも好影響として出てくることになる。
すべて、理念界、神界、現界を住み易くするための節理である。

理念界と地上界の浄化がなされる

 今一方、地上では、ヤツマガツヒ、オホマガツヒで示される放射能による超汚染がカムナホビから「上簡の男」までで示される浄化機構で清浄化された。その具体的な形や仕組みははっきりしないが、筒の男は海洋浄化のための円筒状の機構であることは言える。
ノストラダムス大予言の二章四八編には毒物浄化機構を思わせる極地にある輪のことが述べられているが、この簡状の機構の活在を意味してはいないだろうか。
接点の時代にはこのような救済用設備が前面に出て活躍し、文明期には人類に気取られることのないような所で潜かに運用されていると考えられる。 
なお、イザナギが身体を源ぐために降りようとした川の上、中、下流というのはアカシックレコードの投射の階層をあらわしていると考えられる。というのは、古代人が因果的な過去(時間にしろ空間にしろ)を示そうとする際に用いるのが、身近な不可逆的な可視の(空間的な)擬態表現なのである。「道」は不可逆性を石で作っていたが、川は自明である。加えて、ごく自然にブレークダウンしてくるものであり、否応ない法則としての理念の投射を表現するのに相応しかったのではないだろうか。
だから、ここで浄化がなされたというのは、多く理念界での出来事とみてよい。上流はそのままにされ、中間段階に手が加えられた。これは大本にあるアカシックレコードの原型は病んでいなかったからであろう。これゆえ、この文明の歴史は、まがい物のレコードを索引してしまった失策であったと結論できるのである。

このイザナギ神自身が身体を清めるべく、川の中ほどに降りて潜り、諸々の穢れを洗い流すという話。これは現在でも核兵器の放射能毒を洗浄する最も有効な方法と考えられている。
それを地球大にスケールアップした大洪水があり、地上が水により洗浄されたことを意味すると解される。(これは水を多量に含んだ天体との衝突が原因であった。後段)
この時に災禍を示す神々と、それを直そうとする神々、そして海洋と水系の浄化の神々が生まれたとする。
ゾロアスター教にも、悪神の地上に出した害毒を浄化するためにアフラ・マツダの命でティシュタル星(シリウス)が洪水を起こしたという神話がある。

だが、それらは地球上という角度から見た解釈だ。実は、現界の悪しき現出は、理念界(プログラム)に端を発している。それが悪しきものであるなら、意識の目から見て、その向こうにある神界も曇って見えるものである。
このために、意識の目は、ミソギの行程を、自らの得心のために踏まねばならない。その中には、邪神の断罪から、元凶たる原因の断罪破棄まであって、すべて漏れることのない周到さで行われる必要があるというわけだ。

 

 

身禊(後半)

原文 訳/解釈
 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は建速須佐の男の命。・・・中略・・・天照らす大御神に賜ひてのりたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、ミクラタナの神といふ。  
次に月読の命にのりたまはく、「汝が命は夜の食国を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命にのりたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。
 かれおのもおのもよさし賜へる命のまにま知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたまへる国を知らさずて、ヤツカヒゲ胸前に至るまで、泣きいさちき。その泣くさまは、青山は枯山なす泣き枯らし河海はことごとに泣き乾しき。ここを以ちて荒ぶる神の音なひ、狭純なす皆満ち、萬の物の災ひことごとに起りき。
 かれイザナギの大御神、速力佐の男の命にのりたまはく、「何とかも汝は言依させる国を知らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ臼さく、「僕は母の国根の堅州国に罷らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここにイザナギの大御神、いたく忿らしてのりたまはく、「然らば汝はこの国にはなとどまりそ」とのりたまひて、すなわち神逐ひに逐ひたまひき。かれそのイザナギの大神は、淡路の多賀にまします。
イザナギが目鼻を洗浄したとき、天照大御神、月読の命、建速須佐の男の命が生まれた。
イザナギはそれぞれに高天原、夜の支配する国、海原を統治するように命じる。

だが、スサノヲだけは責任を果たそうとせず、母の居る地下界に行きたいと泣いたので、緑なす山々は塩害で枯山となり、あらゆる災いが発生した。
ここでは三貴神の支配の構図を示すことにより、新しい天地支配の開始、仕切り直しが語られているとともに、スサノヲが海原というのは、すべてが水の中に没した前提に立っているようである。
それは直ちに収拾されるべきであったが、スサノヲの責任放棄話に掛けて、浄化の行き過ぎによる生態系の壊滅を物語っているように思われる。
ホピの神話の人類の守護神マサウウは、スサノヲと同一神であると考えられる。
マサウウも、前の時代において失策したゆえに、この時代において守護神を命じられたとされていて、より一層、同一神であるらしいことが分かる。

新天地の登場と荒廃した地上世界

 この節では、新しい時代の天地支配の構図を示している。アマテラスの支配する高天の原は既に述べたように超空間であり、地上世界の何事も鳥観できる五次
元的時空である。だが逆に地上の我々からは察知し得ないので、遠隔の太陽に擬態すると共に、ミクラタナ(棚の上の安定した世界)と古代人の間では認識していたようだ。また、「月読」は「尽く黄泉」と解せ、地上を中心にしたとき、高天原の正反対の位置に在るべき冥界をあらわすと共に、現在みる月が文明の終局に何らかの関わりがあったことを示している。後程述べる「天の斑駒」(水天体)と関係が深いと思われる。

 スサノヲは海原の守護を命ぜられるが、これは表裏の関係にある大地の守護をおこなうことでもある。(これはギリシャ神話のゼウス、ヘーデース、ポセイドンの支配構図と一致している)だが、彼はそれを履行しないばかりか、かえって海陸を逆転するようなことをした。「その泣く様は・・・泣き乾しき」にあらわれている。これは海外にあるものと共通した洪水神話である。また、スサノヲが洪水を起した理由が、母イザナミの居る黄泉の国に往くことであるから前節のイザナギの水による地上の病んだ状態の浄化と同じことを示しているのではないかと考えられる。つまり同一事件を異なった観点で述べているのである。海外の洪水神話がいづれも洪水の原因を不敬な人類への神の怒りとその浄化に帰していることをみても頷けよう。
 古事記上つ巻の訳の上から、ここで大きく歴史的に二つに分けられる。これより以前は一時代の壊滅と次代の準備のための浄化までが書かれ、以降は次の時代の初期状態の説明で始まるのである。また、原文上でも、イザナギ、イザナミから天照らす大御神の天神、スサノヲという国神の持ち分け支配へとバトンタッチされていくのである。


誓約(うけひ)




神の科学力と自然力の対照
 


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  アマテラス(高天原)の科学力
            
  チノリノユキ        千程の矢の格納具    長距離ミサイル?
  イホノリノユキ       五百程の矢の格納具   中距離ミサイル?
  イツノタカトモ       矢射りの関連具     ミサイル発射台?
  イツノヲタケビ       威力ある雄叫び     超音波兵器 
  アマツヒコネ        天の知恵を捏ねる    宇宙科学による創造
  イクツヒコネ        活く・日・捏ね     生命科学の活用  
  クマノクスビ        隈・霊す・日      他系に及ぶ霊妙な科学

  スサノヲ(地上)の眷属は自然現象の猛威を表わす
  「山川動み、国土皆震りき」 とは 広域大地震、地殻変動 のこと

  タギリビメ         田切り、滾り      細断、溶岩流の激動 
  サヨリビメ         狭縒り         圧縮、ねじれ
  タギツヒメ         滾つ          沸騰、焦熱
                              

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科学力は自然の暴乱に勝る


「誓約」の段は、挿入的なものと解する。
好位置においてアマテラスの武具の象徴する神々しい高科学力と、スサノヲの武具の象徴する大自然の力を対比し、出所が異なることを示した上で、どちらが善で勝れているかを対照しようとしたようである。ここでは科学力が善として描かれる。




天の岩戸




 

天の岩戸(前半)
 ここに速須佐の男の命、天照らす大御神に白したまひしく、「我が心清明ければ我が生める子手弱女を得つ。
 これに因りて言はば、おのづから我勝ちぬ」といひて、勝ちさびに天照らす大御神の営田の畦離ち、その溝埋み、またその大嘗聞こし召す殿に屎まり散らしき。
 かれ然すれども天照らす大御神は咎めずてのりたまはく、「屎なすは酔ひて吐き散らすとこそ我が汝兄の命かくしつれ。また田の畦離ち溝埋むは、地を惜しとこそ我が汝兄の命かくしつれ」とのり直したまへども、なほその悪ぶる態止まずてうたてあり。
 天照らす大御神の忌服屋にましまして神御衣織らしめたまふ時に、その服屋の頂を穿ちて、天の斑駒を逆剥ぎに剥ぎて墮し入るる時に、天の衣織女見驚きて梭に陰上を衝きて死にき。
 かれここに天照らす大御神見畏みて、天の石屋戸を開きてさし隠りましき。
 ここに高天の原皆暗く、葦原の中つ國ことごとに闇し。
 これに因りて、常夜往く。ここに萬の神の聲は、さ蝿なす満ち、萬の妖ことごとに発りき。
【訳】: もう一度、時代を分けた変災の内容を検討しよう。
 それまでに人為的な山野の乱開発や戦火その他による破壊によって、初めの頃に目的があって整備され耕された土地が、多く駄目になっていた。
 そのような所業も、おそらく一時的な戯れか、あるいはもっと良いことをするためであろうと放っておいたのだった。
 だが、そうしているうちに、ついに歴然とした事件が起きた。馬の皮を逆剥ぎにしたような格好をしてやってきた水と土を多量に含んだ天体が、環境破壊によって抵抗力をなくしていた地球に衝突したのだ。
 このために地上は泥で大地を洗ったような格好になったばかりか、地殻変動の影響は地球の深部にまで及び、清浄な地球の衣ともいうべきオーロラを織り成していた地磁場が消失してしまった。
 すると宇宙から射込む宇宙線は大気に水滴をつくり、濃厚な雨雲を形成した。このため太陽は隠れ、地上には雨が降り続き、世界は寒冷と暗黒のなかに置かれ、地上の生命は生命体地球の死と共に絶滅に瀕したのである。


天体の衝突が招いた太陽消失

「天の岩戸」の段では、かの一時代を終わらせた大変災の経緯の詳細と、死んだ地球を元の状態に回復するために執られた超科学的方法が語られる。
奇想天外な内容であるが、古代の黄泉帰り思想の底流を成す重要な記憶である。
ここで中核になる話は、「天の斑馬」に象徴される天体の落下と、それが引き起こした大異変である。

斑馬とは、死と再生、吉と凶の相反する状態を具有する禁忌の神馬と古代人の間では認識されていた。加えてこ
れには、水と土の混ざり合ったものの意味合いが込められている。

その逆剥ぎとはまさに、尾を引き近づく天体(彗星)を形容したものなのである。今から一万四千年ほど前、海水面が百メートル以上も一気に上昇したというデーターがある。
そして現在は、かつてより百四十メートルも上がっているというのだ。
通説では、氷河期が終わりを告げたためとされているが、それほどの水位の上昇を引き起こすだろうか。

それよりも、天体の運んだ大量の水が水位を極度に押し上げ、衝突とあいまったアトランティス島の海没がメキシコ湾流の流路を開き、ヨーロッパの氷河期を終わらせたのではなかったか。

 

大異変は、天体の引力や衝突により巻き上げられた物質による大洪水や噴火といった直接的な作用があるに加え、いま一つ、落下した天体の規模によっては、地核やマントル層に及ぶ歪みの影響により、地磁場消失ということも有り得たかも知れない。
古事記によれば、「忌服屋」と「神御衣」からオーロラが連想され、地磁場が導かれる。
これが「服屋の頂」すなわち電離層の外から落ちてきた「斑駒」天体のために駄目になることを、織り手の生産機能の死という寓意で表現しているとみられる。それが太陽の長期的お隠れに繋がった。
太平洋諸島の住民の間では、「最も暗い時代」とか「毎日が夜の時代」と称される時代があったとされ、「ポポル・ヴフ」の伝えでも、大異変の後で寒さが始まり、太陽が失われたと伝える。

古事記では「身禊」からこの段までで、一大異変を多角的に説明している。
まず「身禊」では人類の再出発のためにひどい汚染状態を浄化しておかねばならないとして水を正当化し、次に幼いスサノヲの行状に譬えて、地上の守護精神の能力不足、抵抗力不足で異変が訪れたとし、最後にその事件が天体の衝突によったことと、その影響が長期間太陽を隠すほどの規模になったことを語っているのである。

 

 

天の岩戸(中半)
 ここをもちて八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日の神の子思金の神に思はしめて、常夜の長鳴き鳥を集へて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、イシコリドメの命に科せて、鏡を作らしめ、玉の祖の命に科せて八尺の勾玉の五百津の御統の玉を作らしめて、天の児屋の命フトダマの命を召びて、天の香山のマヲシカの肩を内抜きに抜きて、天の香山の天のハハカを取りて、占へまかなはしめて、天の香山の五百津の真賢木を根掘じにこじて、上枝に八尺の勾玉の五百津の御統の玉を取りつけ、中つ枝に八尺の鏡を取りかけ、下枝に白和幣青和幣を取りしでて、この種々の物は、フトダマの命フトミテグラと取り持ちて、天の児屋の命フトノリト言ほぎ白して、天の手力男の神、戸のわきに隠り立ちて、天のウズメの命、天の香山の天の日影をたすきにかけて、天のマサキを蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳をかき出で、裳の緒を陰に押し垂りき。
 ここに高天の原動みて八百萬の神共に笑ひき。
【訳】: 神々は宇宙船(UFO)の航法と同じ原理を駆使して時空プログラムを組み替える技術を使い、地球の存在する時空を転移する方法を採った。
 では、UFOの製造法、超時空航行に至る経過とは如何なるものであったか。

 神々は、宇宙空間に集まって、コンピューター(思金)の監視のもとに、超音波のつくる特殊な状態のなかで、元素周期律表の端(安の河の河上)にある堅い鉱石(堅石)と、多量に産する金属(金山の鉄)を合金にし鍛造(イシコリドメ)して、輝く結晶体(鏡)をつくり、いっぽう宇宙機母船の設計図(玉の祖)をもとに、多分岐した勾玉状のものを統一して威力の出るエンジン(五百津の御統の玉)をつくり、ボディーと電気系統の組みつけに関しては、多量の輝く材料を丸くプレスしたもの(マヲシカの型の内抜き)に、やはり輝く材料でできたケーブル(ハハカ)などで裏側(占へ)を電装整備し(賄ひ)、威力の源泉となる中心柱(マサカキ)の上部(初枝)に先程のエンジンを、中程に結晶体を、下部(下枝)に白や青のにぎやかなものを取り付けた。
 この装置は、コントロールルーム(太・満・倉)にある操縦制御系統と連動していて、運航の合い言葉(太祝詞)となる手続きを踏ませると、強力な力場(手力男)が時空の壁(岩戸)に発生し、回転系(渦・目)の動きは力場(日影)を兆型(襷)にして、時空の分断域(目・裂・鬘)を周りに形成して、笹の葉を結んで輪にしたような輝きを発生させ、虚ろな箱(うけふせ)のような時空転移のトンネルの上で共振する(踏みとどろこし)ようになると、やがて船体は元の時空の縛り(面の紐)を超えて新時空にジャンプして行くのである。

 この宇宙船と同じ仕組みが地球に適用された結果、時空の相転移に伴う多数の法則(八百万神)の洗い替えが終わり、宇宙船地球号は新たな時空プログラムの軌道に乗せられたのである。



死からの再生・世の建直し(地球蘇生)と時代の開始


  

地球を死から蘇らせる超科学技術

 古事記「天の岩戸開き」の節は、生命体地球を、災疫に満ちた存在の状態から脱出させ、生命力を再生する超科学的手段とその実際を示している。それは、宇宙人の乗物UFOの飛行原理と同じ原理を用いた機構によって執り行われたとみられる。
インドの古文献マハーパーラタにはイオン推進であるらしい宇宙機の説明がなされているが、古事記のそれは、ある種の力場の回転により現時空を超越してしまうというものだ。
その用法は、決して遠距離の短時間航行にあるのでなく、現状の存在状態からの離脱と、理念の改善のためであった。
言い換えるなら、存在状態の変革機構なのである。プログラム時空論的には、時空ジャンプとすべきものだ。
しかもこの機構の説明に要した長い叙述が一文にまとめられていることに、他文にない特異性があり、明らかに特別重要な知識群であることを物語っている。
 この節に登場する主役は、もはや地球人類ではなく、地球外知性となる。だが、この情報をもたらした者とは、地球人類の祖先である以上、接点の再生の時期のタイミングに偶然もしくは選ばれて行きあわせた者であり、それも、本来なら秘密裏であるべき復元作業の現場に立会っていた者であろう。
さらに、驚異的な科学力の半神半人的宇宙人の横で逐一教唆を受けていたとさえ考えられるような製造行程の描写である。

UFOの構造、稼動原理

 さて、この節の解釈はど原文対訳が忠実にできた個所はない。神名の意味は対訳と照合すれば意味が把めるはずである。だが、重要な留意事項を次に掲げておこう。
 オモヒガネ(思金)は考える金物のことで、宇宙文明の底流をなす利器、コンピューター(ハードウェアーのことである。この神がタカミムスビの神の子であることは、コンピューターの設計思想が宇宙運行の原理を模倣したものであることを示している。これは拙宇宙モデルが古代的観点から妥当であることの証拠である。
 アメノヤスノカハの「ヤス」はたくさんの物質のことで、全体で物質資源のことであり、この河上とは元素周期律表の(最も重い元素の側の)上位であることや、物質生成の場の付近の意味にもとれる。「カタシハ」は、堅い石片のことであり、アメノカナヤマの意味するどこにでも見かける山ほどにある金属の中の特に「マガネ」とともに鍛人アマツマラ(交転)の意味する融合炉にかけ、イシコリドメ(石凝り留め)の鋳型に入れて、カガミ(輝身)の示す輝く結晶体を造るというのである。
「香山」(カグヤマ 輝く山)は、輝くたくさんの材料、「マヲシカの肩」は、丸く力ある船体(鹿は古来より神の乗物であるとされる)の型、アメノハハカは細長いケーブル(ハハは蛇の意「「ウラナヒマカナヒ」は「占ひ」ではなく「裏綯ひ賄ひ」で、内装整備するの意となる。
「玉の祖の命におはせて……アオニギテを取り垂でて」の部分は、まさに空飛ぶ円盤の内部構造からエンジン始動の様子までを示すかのようである。

ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマは、たくさんに分極した曲玉が円筒ないし球内に収まった多極巴えの外観をしたもので、これがパワーを発生させる中心動力(エンジン)になっているという意味である。

 ここまでで装置の部材からハードウェアまでを具体的にしているわけであるが、その次は運行に併うソフトウェア的な説明となる。「フトダマ」、「フトノリト」、「フトミテグラ」の「フト」とは、電子機械や電気そのものと解せ、それぞれ、機械船、メカ的司令手順、メカの充満した部屋(電子制御室)を示すと考えられる。
既に出てきた「フトマニ」は予測(占ひ)のためのメカ的表示画面であり、すでに別のところで出てきた「タケフツ」とは、武力メカすなわち戦車や球電兵器を示すという具合に解釈される。

 また、「アメノタヂカラヲの神…天の岩戸にうけふせて」の部分は、まさに空飛ぷ円盤の稼動状態を示すのであるが、何やら、アダムスキーが金星人から示されたという「アダムスキー文字」の説明をするかのように思えた。(図2・5参照)


まず、エンジンが操作手順に従って、ある程度稼動した頃、「アメノヒカゲ(日陰)をたすきにかけ」に言うように、文字中の兆型(X字型)で示される力場(の空域)をつくり、「アメノマ(目もしくは間)サキ(割き)をカヅラ(鬘)とし」すなわち、「目のような形に防御された領域を作り」、新しい存在状態を機体の周りに発生するというわけである。
つまり、アダムスキー文字のシンボルは、機体やエンジンの形状を語るのではなく、UFOが稼動して二次的に発生した力場の有様なのである。「鬘」というのは頭を保護するかぶりもののことで、この話が民衆に記憶付けされるために、マサキノカヅラという樹名がつくられているが、実際はとてつもない代物の連想記憶用言葉なのである。
また、葛城の山というのは奈良盆地の西のとりまきの生駒山系をいうのであるが、これはまさに西からの悪疫を阻止する防壁の山並と考えられたものであった。
 さらに「アメノウズメ(渦目)」はこのような力場稼動の有様を総括するものであるが、大変なのはこれが「うけふせて」にいわく、うつろな箱のような天の岩屋戸の上に載っかる格好で、きらびやかに振動しているというのである。(「うけふせて」はうつろな箱の上に置くという意味)これは図2・5中の眼型の下にある箱の図柄に示されているではないか。
また、黒い部分(まだら)は何となく半開きの岩戸そのものを示すようである。つまり、天の岩屋戸の外観さえ描いているわけだ。そこは禁忌である意味の白黒のまだらにもなっている。
このように、アダムスキー文字と天の岩戸物語は、対になって、ようやく意味するところが把めてくるのである。
 現代の様々な目撃報告の研究からUFOは異次元航法をとるという情報がもたらされているが、これは以上の言葉の解釈を妥当なものにすると思われる。「天の岩屋戸」は宇宙機が航行していく次元のトンネルとみてよい。
次元のトンネルはトーマス・ペアデンに言わせれば、虚状態で実現するといい、古代人が空虚な箱にみたてたのも的を得ていると思われる。そして、「ふみとどろこし」に示されるように、力場が共鳴を起し、「神がかりして」に示されるように、機体が励起状態にあって始めて、時空の縛り(面のひも)を解くことができるというのである。
 また、この箱の図柄やいくつかの紋様に過不足のあるピンターダ文字(図2・6)は、多分、非励起状態にある宇宙機の説明図ではなかろうか。

眼型のまわりの種々の草文字は、「八百萬の神」として対訳中では宇宙人と訳したが、次元飛躍現象を生起するために用いられる物理法則と解した方が望ましいかも知れない。とにかく、図2・5、図2・6は宇宙機の動作原理を説明したものと捉えられる。
拙宇宙モデルでは、このような現象は、プログラムの慣性的な成りゆきを乗り替えていくというやり方の一環で把握できることを申し述べておく。(拙時空論参照)
さらに当時(1970年代のUFOブームの頃)は、これ以外に金星人の残した靴の跡というのもあった。これは地球が宇宙機になる機構がどこにあるかを示すものとして、想像を馳せたものであった。そこにも目型の機構が示されている。その場所とは、奇しくも謎の消滅事件を起こすバミューダトライアングルの海域であるらしいことが分かる。





穀物の種





遺産を持ち越した者にまつわる伝承

  

     これはノアやシュメールのウトゥの事績を語るかのような
    知識の持ち越し者の存在した話である。
    スサノヲは追放された後、オホゲツヒメの神に食物を乞お
    うとした。オホゲツヒメは鼻、口、尻から種々の美味しい
    ものを取り出して料理を作り差し出すと、その振る舞いを
    見ていたスサノヲは、汚いものを差し出したと思い、オオ
    ゲツヒメを斬り殺してしまった。だが殺された体からは穀
    類が生い出でた。頭には蚕、両目に稲種、両耳に粟、鼻に
    小豆、陰部に麦、尻に大豆が。そこで神産巣日御祖命がこ
    れを惜しんで取り、種にしたという。
    この種が次の年に播かれることが暗黙の了解となっている。
    
    稲、粟などの五穀は、大過去の物質文明の生産物、技術成
    果の象徴である。それらの生産物は、現代をみても分かる
    ように、多様で面白いものである反面、汚いものであった
    ため、大変災(乱暴な大地の摂理)がこれを抹殺する
    結果となった。しかし、それでは余りに勿体ないため、隠
    れた知識者が過去の知識を取りまとめて、次の時代に文明
    の種子として持ち越したという解釈となる。伝承のウトゥ、
    オアンネス(シュメール人に文字、法律、幾何学、都市造
    りなどを教えた)、エジプトのトゥト、あるいはノアがそ
    れであった。この知識は新しい時代の当初は万民の所有す
    るところであった。ところが、神の方針転換により封印さ
    れ、現代に至るまで解かれたことはない。ただし、一部の
    者には、神のエージェントになることの引き換えに付与さ
    れたもようである。彼らは神の計画に従って、その中から
    時に応じて必要なヒントを人々に流出させた。現代の爆発
    的な文明の有様もそうやって演出されたとみられる。


 





俣大蛇(やまたのおろち)




 


火山活動を鎮静させた偉業と安定基盤造りの時代


 

お馴染みの話なので、物語の内容は詳しくしないが、指導的立場の神と恩恵を受けるべき人が地上にともに居た時代のことを語っているとみられる。

前段までの話のスケールからしても、これは決して出雲地方のタタラの民征服の歴史などを語っているのではない。
ヒッタイトの竜神嵐神の戦いの神話、シュメールのティアマトとマルドゥークの戦闘神話、ギリシァのオリンポス、ティターン神族の戦いの神話と同根、同レベルの話なのである。
ギリシァ神話の場合、天地創造の初期にティターン神族である大地(ガイア)が天空や海、噴火山(サイクロプス、ヘカトンケイレス)を産んだが、後に天上の神々によって強伏されて地下(タルタロス)に幽閉されてしまうが、これらは火山の形容なのだ。

つまり、ここでは、かつての大変災の余波である地殻変動、火山活動激化が大蛇の乱暴で示され、それを守護精神をようやく発揮したスサノヲ神が、ある方法によって平らげた事績を語っているのである。
それは、各種のマウンドをわざわざ造り、そのエネルギー変換効果で地殻エネルギーが解放され、暴走しがちな火山活動を和らげ、ひいては生態系に安定基盤が与えられたという話である。

時折話題になる日本のピラミッドはこの一環で作られており、後の古墳なども多少の意趣を残しているのである。

地殻変動抑制システムを設置した時代の話

 

原文‥八俣の大蛇(前)
かれ遂はえて、出雲の国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。 
この時に、箸その河ゆ流れ下りき。ここにスサノヲの命、その河上に人ありと思はして、求ぎ上り往でまししかば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣く。 
ここに「汝たちは誰そ」と問ひたまひき。 
かれその老夫、答へて言さく「僕は国つ神大山津見の神の子なり。僕が名は足名椎(あしなづち)といひ、妻が名は手名椎(てなづち)といひ、女が名は櫛名田(くしなだ)姫といふ」とまをしき。 
また「汝の哭く故は何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八推女ありき。ここに高志の八俣の大蛇、年ごとに来て食ふ。今その来べき時なれば泣く」とまをしき。 
ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば「そが目は赤かがちの如くにして身一つに八つの頭八つの尾あり。またその身に蘿また桧杉生ひ、その丈谷八谷尾八尾を度りて、その腹をとみれば、ことごとに常に血垂りただれたり」とまをしき。 
ここに速須佐の男の命、その老夫にのりたまはく、「これ汝が女ならば吾に奉らむや」===中略=…・ここに足名椎手名椎の神、「然まさば恐し、奉らむ」とまをしき。 
 

 

火山の猛威による良質の土地の減少
 

暴虐な行為を行った結果、天上界を追放されたスサノヲは地上圏に降りてくると、守護者の性格をあらわして大地の工作者となり、民族の英雄となる。彼はまず地上(出雲の国)に流れ込む理念(ひ)の河の上流に何事かがあることを知る。

河の流れが理念の天下る流路にみたてられている。流れてくる「箸」は「橋」でもあり、理念の原型が現実のものとなる前段階の兆候とか前兆という意味のことである。

スサノヲが上流に赴くと、そこには苦悩する人類の集合意識(泣く老夫老女およぴ童女)があった。わけをたずねると「八俣の大蛇」という怪物が来て毎年のように娘を喰っていき、今またその時が来たので悲しんでいるのだという。このため、彼は天から降りてきた者であることを明かして、怪物退治の一計を案じてやることになる。

「八俣の大蛇」とは、目が赤く輝き(赤輝地:あかかがち)、身一つに多くの山河を被り、腹からはたえず血が流れていた、と形容されるように、多くの火山を抱える火山帯の象徴である。(図2.9)

これに対し、娘の「櫛名田姫」は「奇し、稲田」(書紀)で、良質の耕作に適した土地のことである。

それまでに多くの娘が食われたというのは、火山活動の猛威により良質の土地が多く火山灰や溶岩土の下に埋没したことを示しているのである。無機質かつ酸性土である火山灰土では農地として不適であることは言うまでもない。

このような事態を哀れに思った守護者(ここでは天降した地球外知性であろう)が救助するのだがその方法は超現実的なものであった。信じ難いかも知れないが、この解釈により古代の遺物や宗教思想の謎が氷解してくるのである。
 
 

 
 

原文‥八俣の大蛇(中)
ここに速須佐の男の命、その童女を湯津爪櫛に取らして、御髪に刺して、その足名椎、手名椎の神に告りたまはく、「汝等、八塩折の酒を醸み、また垣を作り廻し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つのサズキを結ひ、そのサズキごとに酒船を置きて、船ごとにその八塩折の酒を盛りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく設け備へて待つ時に、その八俣の大蛇、まことに言ひしがごと来つ。すなはち船ごとに己が頭を集り入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔ひて留まり伏し寝たり。ここに速須佐の男の命、その御佩の十挙の剣を抜きて、その蛇を切り放りたまひしかば、肥の河血になりて流れき。 
かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃欠けき。ここに怪しとおもはして、御刀の前もちて刺し割きて見そなはししかば、ツムハの大刀あり。かれこの太刀を取らして、異しき物ぞと思はして、天照らす大御神に白し上げたまひき。こは草薙の大刀なり。 
 

 

火山活動を鎮めるシステムの創り方
 

宇宙から釆た知識者は、ある種の火山活動を鎮静する具体的な方法を地上の人々に教えてやる。

それは、「汝等、ヤシホリの酒を・・・盛りて待たさね」に語られている。ヤシホリは「八締火離」と分解でき、(火山エネルギーを)多くの部分で仕切って火勢を和らげる方法。

この部分の意味は、「お前達、火山帯の活動を鎮めようと思うなら、垣根を張りめぐらし、その垣根にたくさんの門(かど(角こを設け、その門ごとに供物台を組み、その上に酒船(逆船)を置いて、ヤシホリの仕組みを仕掛けて待っていればよろしい」ということになる。

そこで足名椎たちはその通りにして待っていたら、確かにオロチはやって来て、酒船に頭をつっ込んで酒を飲み、酔っ払って寝てしまった。
これは、オロチの動き(火山活動)が活発になると、この仕組みが自ずと作用して弱らせてしまう働きをしてくれるというのである。

この後、スサノヲが大蛇を切り殺し、体内からツムハの大刀をとり出すが、ここにも重要な意味がある。ツムハは「摘む歯」で去勢の意、この別名クサナギは「隠騒凪」で隠れた暴動の鎮圧の意、さらに別名ムラクモは、次のように火山鎮静の原理を如実に示す。

つまり、雲塊の群らがる様子のことなのであるが、古代の「雲」という言葉にはただならぬ意味がある。クモのモは、形をとる基になる要素のことで、今様に言えばエネルギーのこと、これに具体を意味する「ノ」がつくと物体(もの)を示すと同様に、潜在を意味する「ク」がつくと不可見のエネルギーを示すものとなる。(ちなみに古事記では、空中に水滴によってできる雲を「アメシルカルミヅ」と呼びその成因を明らかにして使い分けている)

古事記に影響を与えていると思われるゾロアスター教では、これをメーノーグ相にある不可見な物質状態として、形を併うゲーティーグ的なものとは区別している。これは非物質というのではないが、可見な物質状態よりもより繊細であるために不可見な、いわゆる霊質とか「気」を意味するという。
この種のエネルギー状態は古代において世界共通に知られたことであったようだ。

また、大蛇(火山活動)を切り殺す筋書は先程のヤシホリの説明を再びくり返している。このことから、スサノヲが造らせた仕組みそのものが大蛇退治を直接おこなうためのものと考えることができる。
まとめると、火山活動鎮静の原理は、「地エネルギーを細断して無形のエネルギーの群塊にして取り出す」ということになる。
 

 

 
現存する大蛇退治の驚異的な仕組み
 

その仕組みが具体的にどのようなものであるかは、言葉を丹念に見ていけば分る。加えて、実物が存在していれば分り易いことはない。

筆者は、これより前に日本列島上におびただしく存在する規則的な不可視のライン群を発見している。これは、古来より信仰を集めた神体山、神社、巨石モニュメント、古来から残る特別な地名、門前町的都市などを結んで得られるもので、特に出雲地方を中心に調べたためか、この辺りに密度が高いように思った。(図2・10)


このライン群に関する意義は後程述べることになるが、このライン群と前述の「垣根」とが同じものを意味するのではないかと思うのである。

「酒船」は「逆船」でありちょうど船を逆さにしたような秀麗な山のことであり、古来より信仰の篤かった神体山は汎そ「逆船型」である。

神体山には後世になって対置するように神社や仏閣が造られたが、もとはといえば「サズキ」たる神体山を介して高みにおわす神を祭るというものであった。それが形式化と「みたて」の後退によって、社殿式へと遷移したのである。だが基準となる法則は、余程後世のものでない限り、遵守されていると考えられる。

また「門」というのは、「角」であり、線描の交差点のことではないか。それも形の良い直角というのが本当であろう。つまり、「垣根」も「門」も、このライン群の外観を大局的にあらわしたものというわけだ。スサノヲが提示した火山鎮静システムの設計図面の特徴を身近な言葉に言い直したものと理解できるのである。

図2・10はそのうちのごく一部分にしろ言い表わせていると思われる。だが実物はもっと計算し尽くされた精致かつ細密なものであろうし、「出雲」自体西日本の地域にとどまらぬ世界のことを述べたものであるから、全貌を把むことなど途方もないことである。
 
 

 

 
重大発見の裏には重大な裏付けあり
 

このライン群に関する重大発見は、次の六点であるが、これを応用して引ける多数の平行なラインにもやはり重大な符合が見出せる。

一、大和の南北のライン山上には、名所旧跡が、ちょうど緯度十分の等間隔で並ぶ。

二、その地点から東西に引いたラインに太陽の道と言われた北緯342’を含む(6)から(14)がある。中でも(6)は出雲、大山、元伊勢など神体山や神社の集中したラインである。

三、九州斜断のライン(2)は(1)と類似パターンのうえ、地名が等間隔である。(図2・11参照)

四、ライン(2)および
これと直交するライン(5)は古事記の「天孫降臨」で裏付けられた確実な証拠がある。その上、重要な地点が九州上で巨大な直角二等辺三角形の幾何学図形を示している。

ニニギの命が筑紫の日向の高千穂の霊峰に降臨したときの言葉、「此地は韓国に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直射す・・・」に韓国、日向、笠紗の三地点が示され、前後併せると筑紫(福岡)、高千穂もこのライン上の拠点となっている。そればかりか、筑紫-日向と日向-笠紗が日向で直交して等距離となっているのである。(図2・12参照)

 

ここで「ま来通り」が直交を意味し、(「巻き」か「真切」か「曲ぎ」)
重要な測量概念であったことを物語っている。

五、「ま来通り」を応用して、ライン(2)と志賀島で直交するライン(3)は穂志倭人伝の地名、恰土(伊都)、松浦(末廬)、そして、須佐の男系の祭社、宗像、出雲を通り、山陰の海岸線を奇麗になでて、東北方へは十和田湖南の環状列石付近にまで至っている。同時にこれは大和朝廷が征服を
目録んだ北限を意味していもする。

六、ライン(2)上の志賀-高千穂の線分を7対6の比でとった日向神で(2)と直交する(4)は「神武天皇の東征」で示される地名を通り、同時にやや小さめの直角二等辺三角形を形成する。(図2・12参照)そこには、東征に関する「計画の高千穂」、「起点の日向(神)」、「筑紫」、そし
て「宇沙(今の宇佐)」が二つの三角形で与えられている。

これらは、決して偶然のものではなく、航空写真でも用意しなければ分らない程の地点の設定をやってのけているのである。通常の測量術でも、山岳の多いこの地方でこのスケールで距離を出そうとするのは無理と言ってもいい。ちなみに、7対6というのは、この緯度帯における緯度一度と経度一度の距離の比であり、ライン(2)の角度もこれに一致している。

その他のラインについても意義を揚げればきりがないはどに重要なものが多い。

筆者が明らかにしたのは、ラインの角度であり、これに二種類あることと、これに直交する二種類のあることであり、これにどのような意味があるのか、これ以外の角度があるのか、日本以外あるいは緯度帯によって異なるのかといったことに尽きぬ疑問が残る。

ただ、等緯度帯のオリエント地方では、ライン(2)と一致する角度のラインがシユメールの古代都市の並びにはぼ一致している。これは、歴史的に旧い物を尊ぶ考え方が日本民族渡来の時の九州の地理確定に影響したとも考えられる。
 

 
 
 
 

大蛇退治の遺構、築山らしい山は西日本の各地にみられる

次に神体山のような山が人工築山なのかどうかという疑問がある。西日本地方は河川の侵食でできた隆起準平原であり、まろやかな山容がもとより在ったとするのが適切かも知れない。筆者が地元から兵庫県の中部を調べてみたところでは、この地方にピラミッド群がおぴただしく存在することが分っている。それだけに、神社の数も多く、過去に都が置かれたとしてもおかしくない風土である。(図2.13参照)

兵庫県氷上郡を中心にして、小高い山波が臨まれるが、この中に意図的に方錘型を目ざしたと思われる陵線の張り出しのある小山が多く含まれている。エジプトやアンデスのものと基本的に異なるのは、もとあった平担な山に手を加えて形を整えたとみられることである。

高さは二十m~二百mはどであり、最多は四十m級である。数は正確には把めないが、県内だけでも百体を下るまいと思われる。

形態は単独であるもの(最も少ない)、山並添いに東西または南北に連なるもの(多い)、大小順に階段状に連なるもの(最も多い)、山嶺をふもとでとりまく格好のもの、元の素材が長円型のためか二段階に構えたらしいものなどがある。(写真1図2・14参照)
 

ただこれらが本当にピラミッドと呼べるかどうかであるが、サンプリングして調べたところ、地面と陵線のなす角度は、三十五度がほとんどで、側面の表出しているものは、ほぼ東西または南北の方向に沿っていることが分かった。

また、そのうちの階段状の一例に登ってみたところ頂上に方位石とみられる岩の一角が見つかっている。現地の山は杉の植林か自然林で立入り難く、一例に滞まったが、その他のものについても同様であろうと思われる。

角度三十五度が本来のピラミッドの条件に適わないとされるむきもあろうが、エジプトの五十二度は測量の技法に車輪が使われたためとする説もあるわけで、方錘型が重要であるのみならより安定な三十五度の方が地震国日本にとっては、また砂山だけでも事足りる簡易さから言っても、本物であるような気がするのである。

ゆるやかな起伏に富み柔軟な砂岩質のこの地方の山岳は加工し易く目的の形にするには都合が良かったと思われる。この一帯では加工物と非加工物の差がはっきりと分かるので、多くの人が作為性を覚えていることと思う。そして、秀麗な山には多く、神社が対置するように設けられ、古来より神体山であったことを窺わせている。

また、氷上を中心とするマウンド群は既述の南北に引かれるべきラインに沿って帯状に広がっている。(ラインとは言っても厳密なものではなく、或る幅をもった帯域であることに注意)

この真南には神戸市垂水区の雌岡山、雄岡山の夫婦マウンドがあり、この帯域への飛行艇の進入灯を思わせるような神体山である。しかもこの地には須佐の男の命が櫛名田姫と連れだって降臨し、土地の人々に農耕を教えたという伝説があり、(写真2)このラインが、より一層大蛇退治と結びつくことがお分かりになるだろう。

また、地名の類似性についてみると、氷上(ひかみ)は日向神(ひうかみ)に相当し、中(なか)は郡河川(福岡)、春日や三和は九州、奈良とも同じである。また、青垣は古事記で三輪山と結びつけられて、山に重点の置かれていたことが分るのである。

さてライン群の関係からすると、このマウンド群の存在は西日本、さらには日本全土に広がっていると思われる。車窓から気付いた個所として、琵琶湖南近江地方にそれらしさを見出している。
 

 
 

 
 
 

原文‥八俣の大蛇(後)
かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき地を出雲の国に求ぎたまひき。ここに須賀の地に到りましてのりたまはく、「吾ここに来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、そこに宮作りてましましき。かれそこをば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らしし時に、そこより雲立ちのぼりき。ここに御歌よみしたまひき。 
その歌、 
や雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を (歌謡番号一) 
ここにその足名椎の神を召して告りたまはく、「汝をば我が宮の道に任けむ」と告りたまひ、また名を稲田の宮主須賀の八耳の神と負せたまひき。 

 
 

 

火山活動鎮静システムのその後

原文では、スサノヲの命は大蛇退治の後、めでたく櫛名田姫と結婚して出雲の須賀という所に出雲八重垣なる宮殿を造り、その景観を愛でて歌を詠む。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」

古事記の歌謡の一番目にあるこの歌は、全文が易しい暗号で成り立っている。それは語られていることの重要さを繰り返し強調すると共に、古事記自体が一連の暗号化文献であることをほのめかしているのである。

「やくもたつ」は「たくさんの雲が立ち登る」の意で、単に枕詞ではない。(雲はもちろん空の雲ではない!)

「出雲八重垣」は、忠実に訳すと「雲を生成する多重の垣根」ということになり、先述の大蛇退治の垣根と無関係ではない。さらに「妻隠みに」が「妻を守るために」の意で、良質の農耕地(櫛名田姫)を保全する意味となるので、かつての垣根と出雲八重垣は同じものを示していることになる。

つまり、この物語は、筋書きを基にしつつも筋書きを超えて、出雲八重垣の存在により、大蛇のスタミナが奪われ八雲として立ち登り、そのおかげで妻が守られているという関係を二回以上繰り返して強調しているのである。

このような角度を少しづつ変えながらおこなう繰り返し強調法は、「身禊」~「天の岩戸」を通じて再生の過程を示したり、「神々の生成・後段」~「黄泉の国」で終末的世界の有様を示したりするのに用いられている。

さて、歌の解釈を通しておこなうと、「大量の不可視なエネルギーを立ち登らせているエネルギー涌出の八重垣は良質の土地を守るために幾重にも垣根をめぐらせて作ったのだ。どんなものだ、八重垣の威力は」となる。ちなみに歌末の「を」は、古典字引きに載らない「力」を示す接尾語である。

結論として、出雲八重垣とはマウンドを基調とした線描であり、客観的に垣根に見えるもののことである。これが地エネルギーを無作用なものに変える大域的なエネルギー変換綱を形成しているというわけである。

要所(門)に置かれた山やマウンドを個別にみれば、エネルギーを変換し、分散する極ということになるが、それは山の名前に顕著に表現されている。三輪山は、「倭青垣の東の山」とされる八重垣の重要拠点であり、別名、御諸山というが、「みわ」は充足するパワーのこと、「みもろ」は相を変転するの意があり、エネルギーコンバーターというわけである。

兵庫県の三室山も同義である。古代人は決して思いつきや勝手気ままでなく、機能するところに応じて適わしい名前を付けているのである。(みわ=満・力、みもろ=身・面・転)

こうして、先述のライン群にも、「出雲八重垣」と命名できそうである。また、「出雲の国」とは、エネルギッシュな国ということになり、島根県にとどまらない不特定な大域を示していることがお分りになろう。

出雲八重垣は、大蛇退治をおこなうシステムであり、基盤になるマウンド群が破壊されない限り半永久的に動作し続けるはずのものである。
古代知識人の努力は、これが破壊されないことのためにも払われた。

一つは神体山として祭り、禁忌の場としたことであり、いま一つはそれ自体墳墓化して慰霊の場とし、後世の人々の良識に委ねたのである。

だが現代ではそのようなことも忘れ去られて、かってのスサノヲがしたように、田や畔を壊し、溝を埋めるような行為を繰り返している。それを「より良いことをしているのだろう」と決め込んで黙認した結果、大異変が起こっていることも既に述べた。システムがどこまで持ちこたえるか、心配なことではないか。(写真3)

 

 
人類は地球の主人ではなく番人であった
 

さて、八重垣システムの製作に関して、スサノヲは計画立案し、製作は主として足名椎手名椎たちにやらせている。だが彼等の関係は、為政者と民のそれではない。

なぜなら、この後にスサノヲは足名椎を召して宮殿の管理人(宮の首)に任命しているからである。つまり、スサノヲは、文明のれい明期に世界の各地に突然人々の前に現われて有用な知識を授けて後を託して立去った賢者に相当し、足名椎たちはそれ以降「みたて」に秀でることになった古代人なのである。

先述の雌岡山のスサノヲ降臨伝説ともこうして符合するわけである。
ちなみに、「足名椎、手名椎」とは「土ならし」の意味であり、機能するところに応じて付けられたプロジェクトチームの名称であったことが分る。また、「八耳(やつみみ)」とは、たくさんのマウンドや巨石碑のことである。

ところでいま一つ、スサノヲはもはや居ないのかどうかということにも、触れておこう。スサノヲは表向きの支配権を譲ったのであり、彼自身は櫛名田姫すなわち有用な大地と共に居て、システムの効果的な動作をみそなわしているはずなのである。

ずばり言うと、スサノヲは国神かつ地神であるが、ここでは天降した者すなわち宇宙人かも知れない。スサノヲの経歴からすると、かつて地球に居て、宇宙に往き、そして戻ってきたとするのが適切かも知れない。すると、かのイザナギの脱出の時に救済された人々が温情的に戻ってきて啓蒙活動をしたのかも知れないわけだ。

とにかく私達は私達人類だけで地球を牛耳っていると考えるのは大間違いである。私達は未だに大地の管理人(番人)の末えいであるにすぎないことに注意したいものである。
 

 
 

 
火山鎮静システムの活在を示す証拠
 

現在でも判別がつくスサノヲの企画、これはその遺構の存在と共に火山活動鎮静が今なお行なわれていることを示すものである。

このシステムの効果、実在牲は、一方で火山活動抑制の効果に加え、もう一方で涌出してくるエネルギーの作用の痕跡を調べることによって分かるだろう。

前者はスサノヲ以前のデーターが無いと比較できないし、後者も不可見であるというのでは手の施しようがないという感がある。だが、いささか気味の悪い話かも知れないが、前者は自然破壊が促進された結果として、近未来に効果の中断としてあらわれてくる可能性がある。

また後者も、従来の科学では説明できないようなところに現象が吐出している可能性がある。
まず、効果の面からすると、日本の全域、特に西日本に多く火山活動の抑制がなされていることになるが、中国、四国、近畿に著しい動きがなく、白山火山帯が存在しているとはいえ、大人しいのはこの理由によりはしないか。日本の他の地方も決して著しくはない。

しかし、近頃、山野は宅地造成や海岸埋立ての名目で乱開発を受け、古代智に基づく多くの有用なマウンドが破壊されている。これが原因となり地殻変動期が再来する可能性が増大しているはずである。最近、地震学者により日本の火山帯が活発期に入ったと報告されているのも、決して無関係ではあるまい。

数年前から、有珠、御岳と噴火し、つい一年前には兵庫県北部の神鍋山で地熱上昇による避難騒ぎがあったが、この辺りはシステムの心臓部なのであり、八重垣が衰えをみせている証拠と考えられないか。

次に、不可見なエネルギーによると考えられる現象を揚げると、第一にUFO現象がある。
目撃されるUFOの多くは宇宙人の乗物ではなく、放出エネルギーの光物質化現象であろう。地球外知性は確かに居るが、人間の願望、偶然、過剰エネルギー放出などで引き起こされるものも多いのではなかろうか。

例えば元伊勢の外宮には節分の夜毎に青白い光塊が立ち登るので、「龍燈の杉」と名けられた神木があり、ここから南の神戸市の丹生山には、瀬戸内海をゆく船が暗夜で航路を見失ったときに丹生明神に祈ると灯明をともすと言い伝える「灯明杉」なる神木があった。これらは、システムのラインに沿って起るエネルギー放出によるものだろう。それも地震の場合に似た周期性を伝承のうちに伺い知ることができる。地エネルギーとしての元の性質を端的にあらわしているのだ。

また、地震の予兆として起ることのある山の発光現象や稲光りなども同様の理由であろう。
ちなみに火山エネルギー等に関して次の等式が成立つと思われる。

地の歪エネルギー=システム変換エネルギー(無形)+地震・火山エネルギー
システム放出エネルギー=不可見なエネルギー+光物質化エネルギー

このエネルギーは、最もオーソドックスな電磁エネルギーに変化し易いのである。

また、放出エネルギーは、ライヒのいうオルゴンやヨガでいうプラナと同じものかも知れない。
ライヒは、オルゴンを雲に照射して穴を開ける実験結果を得ているというが、規則正しい網目模様や平行線を描くという地震雲は、システムのラインのパターンの反映と考えられなくもない。

また、日本上空の雲の出来具合いが図2・10のラインに平行した格好になり易いことが「ひまわり」の高空写真を調べると分る。図2・15右は冬に多いパターンであり、季節風の吹き出しによるとされているが、天気図の等圧線との関係がほとんど無いから奇妙である。
また、図2・15左は偏西風によるとされているが、この角度より乎担なものが少ないのはなぜだろう。

また、オルゴンも、プラナも生命体に有用であり、特に意思力に反応してその実現を助ける役割をもつと言われている。これを肯定するように、垣根の節目には神社、霊峰、都市などがある。

神懸りのし易さ、超能力開発、精神修養のために有用な霊気が豊富であることから神社造営の地が選ばれ、修験者の行場となったのではないか。また、動植物の生育の良さや思考活動のし易さ、ひいては住み易さのゆえに人々が本能的に集まり、都市を形成するに至ったとも考えられる。

ところで、古代人はこれ程のエネルギーを利用しなかったであろうか。
ヨーロッパのメガリスには神秘的な力が認められるため異様な名前をもつ巨石が多く、触れると痛みを覚えたり、治病力をもつものもあるといい、石の形質、配置などにより様々な形態でのエネルギーの取り出し方が可能となっていたようである。

巨石建造物は巨石の組合せにより、マウンド等から放出されるエネルギーを目的に応じて導き、流動せしめる機能を持つと考えられる。石土造のマウンドなどがシステムを担っている以上、同類の巨石碑も何らかの効果を持っていなくてはなるまい。

さて、人工であるか天然であるかは別として、先程(28)のラインに沿ってある恵那峡および上流の苗木城はメガリスである。このラインは、実は地元のUFO研究家によって、UFOの通り路と言われたはどの発光体の出没ラインなのである。

これは、かの三輪山に接続している。筆者の考えでは、これは線上の各拠点がちょうど真空管のカソード、グリッド、プレートのような機能を相補し合い、地表上でのエネルギー的均衡を保ち、この結果、地殻内部をなおも安定にしていると思われる。

それはあたかも針灸により表皮に刺激を与えて、内臓の具合いを良くする方法に似た効果なのではないか。これは、古代人の利用というよりは地球的規模の大目的利用であるが、似たような方法が農耕のために用意されていたようである。

西日本各地から大量に出土している銅鐸は、巨石と同様に補助的役割を果していたと考えられる。土地は外観的に同じでも場所によって耕作に適不適のあること(イヤシロチとケガレチ)は知られている。この原因はこのシステムのもたらす波状的なエネルギー過不足により、その局地的是正に用いられていたのが銅鐸、鋼剣などでありはしなかったか。

こうすれば銅器がなぜ土中に埋められる筋合いのものであったか、その謎の一半は解明できるものと思う。もしそうなら、銅鐸は掘り出したままにせず、元あった場所に埋めておくのが本当であろう。

まだまだ、我々の知らないエネルギー理論はあるに違いない。古代人は石土造建造物に感覚以上のものを見出していたことは確かであり、さもなくば世界各地に残されたマウンドやメガリスに対して情熱をかけた古代人の努力が何の意味もなさないばかりか、永久的に未知の扉に閉ざされてしまうだろう。

古代人は共通して「みたて」の民族であった。しかし、「みたて」の基になった知識あるいは超感覚は本物であったと思うのである。

無形なエネルギーは有形な資源へと変換されれば、地球が保証する無尽蔵なものとなりうるが、我々の科学がその域に達することはまだまだ難かしいと言わねばならない。

 

 
古代山城は超古代マウンド造営の模範例
 

ところでその後このマウンド造営を物語る証拠が、NHK総合TVの「知られざる古代」という番組で放送された。主題は古代山域として採り上げられた西日本に散在するマウンドのことである。

それらはいづれも山の頂上付近に神籠石(こうごいし)なる摩かれた石材を列石に組み、その上に土を盛って、これを隠すという(図2・16)いわゆる版築という方法で土塁が築かれていて、山の名も、鬼の城(きのじょう)とか石城山(いわきさん)とか「キ」という音を含む特徴をもつとい
う。

またこれらの山は古来より信仰を集めた磐座を頂上にいただく神体山であったことも知られている。
筆者の考えでは、この神籠石なる石垣こそ、スサノヲの発言にあった「サズキ」(供物台)を意味すると思われる。石垣に組むことを「サズキを結ふ」と言ったのだ。そして、これは逆船形に土盛りがされて隠されたのである。丹念に磨いて作られた石がどうして最初から土中に埋められる筋合いのものであったか、その一見不合理にみえる築山法の真相こそ、八重垣という大目的のためにあったことを証し、我々の知り得ないエネルギー理論に根拠されたものであることを示しているようだ。

また、山名に「キ」のつく理由は、「サズキ」が「捧げる城」(授城)を意味することからきているようである。

ところで、筆者は、この例として岡山県総社市にある「鬼ノ城」に行き、いま一つ異なった発見をした。

筆者の考えでは、「鬼ノ域」の構造は、土台をなす三メートル以上の巨石が土中深く塁々として築かれていて、その上に土砂が盛られ、なおも一メートル以下の小さな石が石組みとして山項をとりまくような格好で築かれ、なおもそれに砂がかぷせられたという感がした。つまり、時間とスケールを異として二世代のものが同居しているという具合いなのである。(図2・17)

 

これと良く似た例で、小岩の方が無いものを、中部地方、恵那峡上流にある苗木城(なえき)にみることができる。

ここも「キ」が付く名であるが、戦国時代に地の利を生かして山城として利用されていたという記録はあっても、古代山城が最初ではないようだ。
つまり、日本古代のれい明期に築かれたものこそ、第二世代の小岩群であって、第一世代のものは、もっと前に存在したのではないかということだ。

そもそも苗木域の場合の大岩は、直径四~五メートルもある巨岩であり、運搬できる筋合いのものではない。これこそ、スサノヲが為した功業というべきではなかろうか。

また、苗木城がもと神体山であったことは、この真北にある丸山神社が物語っている。境内には蛙や恐竜を型どった奇岩がみられる異様な辺つ磐座をかもしている。(ゾ教との関係もある
苗木はゾロアスター教遺跡か?

このような、巨石組みの山は、日本の随所に存在すると思われる。これに対し、小岩組みは民族の伝搬に併う後世のものだから、西日本に限られると考えても良いだろう。

また、いま一つ、スサノヲの言葉は、小岩群にも生きているのである。巨石群でみた言葉の意味づけと小岩群のそれの関係は図2・18のように示せる。

これは一種の縮図化現象である。「垣」を石垣としたなら、「サズキ」に相当するものも現地に存在していて、山頂に向けて設置されている。「酒船」もかつてその上に置かれていたものかも知れない。

だがこれは後世のものであり、周りにはそれより以前のものが土台を形成しているのであり、時間的に大きく二段階にくびれさせて、相似形に縮図化されているのである。(それがなおも後世には神道で用いられる木で結った「サズキ」へと転進している)

それはまるでギリシャ神話でいえば、チターン時代から現時代に移った同一思想のものをスケールを縮めて重ねているといった具合いである。我々の時代の古代は、より古代のスケールの巨大さに圧倒されて縮図化してしまっているのである。

ここに次表のような世代的変遷をみるのである。

 

 
 

 地球的規模の大改造
事業

ブルース・キャシーによると、不可視なエネルギー綱がある種の数学式に従って地球上をとりまいているという。披は、ヨーロッパのメガリスや、バミューダの謎の海域の位置などがこの計算によって割出せるといい、UFOの出現が綱の交点に集中することから、UFOのエネルギー補給網の可能性を説いている。筆者はその計算式が未だによく分らないが、もしかしたら、例のライン群との一致が見出せるに違いないと思っている。そればかりでなく、八重垣の設計原図により近いものが期待できるだろう。

古事記に書かれる限りでは、出雲八重垣なるエネルギー網は、地殻のエネルギーを柔らげるべく、須佐の男に象徴される宇宙人乃至は賢者が企画し、足名椎手名椎という優れた造成プロジェクトチームを古代人の間で組織して、八耳なるたくさんのマウンドを築いたというのである。西日本各地に残る「鬼の塚造り」伝説は、この事実が素材になっているとみられる。
 
 

「八俣の大蛇」の段は、続く「須佐之男命の系譜」の段以降の、人類(大国主命)への大地の管理権の委譲へと繋がっていく。

そして、大国主命に示される農耕人類の時代となる。
それは黎明のシュメールに始まる非常に長い忍耐と質素な豊かさの歴史であり、時として異星人との協力関係や漂泊の歴史(大国主命の漂泊の歴史)をも中に含みつつ、華美で賑やかで短命を宿命とした天神系の時代の到来に至るまでのあいだ続くのである。
日本では、天つ神の系統の大和朝廷にとって、先住民である縄文、弥生人の時代が大国主の時代と捉えられたであろうし、また別の解釈によれば近世までをも指すと考えられる非常に長い基礎充実の時代であった。


須佐の男の命の系譜




 

 須佐の男の命の系譜は原文、対訳ともに省略する。この節では須佐の男の大地の工作者としての後嗣を継いで、治山、潅漑、農耕に関した表現がおこなわれている。しかし、その表現は、意味不明なものが多く、他書を参考にすべきものもある。また分るものについては、スサノヲの系譜らしく、スケールの大きなものとなった。事業のジャンル別に次に解釈を施してみる。

(治山)
オミヅヌの神‥八束水臣津野(書紀)
 各地からマウンド造りの材料となる土砂を運んできたプロジェクトのこと。特に平地を堀り起して後の農業用濯漑池としたので、水に関係した名がつき、山神、土木神であると共に農耕神の性格をもつ。
フノヅノ神
 威力ある角型のマウンド、すなわちピラミッドもしくはそれを造ったプロジェクトのこと。
フテミミの神(太耳)
 エネルギーを蓄える巨大なマウンドもしくはそれを造ったプロジェクトのこと。エネルギー変換量は恐らく、マウンドの大きい方が多く、形は平山よりは方錘型の方が効率が良いのだろう。

(潅漑)
日河姫
 川の水が干上っている様子を示す。
深淵のミヅヤレハナの神 
 深く水をたたえ、必要な時に放水する漕漑池すなわちダムである。

(農耕)
大年の神 
 長い年月をかけて植物が成育していくことを示す。
刺国大、刺国若姫
 狭い耕地をしだいに開拓し広げていくことを示す。多い段々畑。
大国主の神、オホチムヂの神 
 広い農耕地を得た古代人を示す。
アシハラシコヲの神 
 地上(葦原)を仕切る力をもった古代人の形容。
ヤチホコの神 
 大量の銅鉾、銅剣のこと。時として戦闘用に、主として祭祀用に使われた。
ウツシクニタマの神 
 銅鐸のこと。祭祀に使われた。「フテミミ」ゃ「フノヅノ」がその形の中に込められている。

超古代の志を縮図化した銅器

 鋼は古来より、物事を映す鏡と考えられた。銅鏡は、物の実像を映すものと、物の精神(理念)を映すものがあり、主として、後者の役割が大であった。
 鋼器のことを古代人は「ウツシ」と表現していたのだろう。その意味は「理念が反映して現実の姿を取ってあらわれたもの」であり、その指す対象は非常に広範囲かつ不特定である。たとえば「ウツシクニタマ」とは「大地の精神を反映した実物」であり、農耕民族そのもの(オホクニヌシ)をみたててあり、かつ(大地の工作者スサノヲの造らせた)神体山をみたててあるわけで、それを縮図化した銅鐸が見立ての祭器として作られたのである。
 また、オホクニヌシの別名、ヤチホコは確かに諸説でいうところの幾多の戦闘をあらわしている。だがそれがみたてられた仮物として鋼鉾が造られている。この鋼鉾は実際に斬り合いには使われず、祭器であった。
 鋼剣、銅鉾は、統治力の精神を反映するとされた。それを適当な土地に埋めて、平治、戦勝、豊穣の祈りを涌出するエネルギーに託すわけである。銅器は不可見な領域と古代人の精神をつなぐ「みたて」のシンボルであったのだ。そしてこの種の「みたて」がいかに理念の領域に影響をもつものであるかは、種々の宗教で取り扱われていることである。
 銅鐸は農耕の原点である秀麗な山容を型取り、同時に既述の一定の機能を満たすべく設計された利器であった。そこに描かれる流水紋、渦水紋は、不可見なエネルギーの効果的な流れを意図するものであり、それが現象上の水の流れにみたてられ、どちらも共に重要視されたわけである。狩猟、農耕関連の図柄は、やはりエネルギーの流れに託して豊穣を祈願するものである。また、時折男女二神が流水紋の起点に描かれているが、これは八重垣システムを見守るスサノヲ、櫛名田姫であると同時に、後述する大国主の命、スセリ姫でもある。そしてまた、水源の神としてもみたてられている。
 銅器は以上のように超古代の表わし難い事実をなぞらえて表現する手段として古代人の間で用いられている、いわば一種の縮図化された事物なのである。それは、はとんどの場合祭祀という形態でのみ用いられた。その祭祀というのも、エネルギーをコントロールするという実際上の効果を併ったものである以上、この民族(弥生民族)にとって銅器信仰がすたれることはなかったはずである。

 

 



[大国主の命に関する物語]

 前節のスサノヲの系譜のうち最後に登場する大国主の命に関する物語がここから始まる。大国主の命は、スサノヲの築いた偉業を引継ぎ農業を主軸として地上を支配していく新しい民族のことである。かつての大変災で人類は新規巻き直しをはからねばならなかった。今にいう旧石器時代をからくも演出していた人々の前に、かつてあった知識のいく分かをもたらす賢者があらわれ、風俗を正し、秩序を与え、農業の仕方を教えた。それを忠実に守ったのが後の大国主となる民族である。彼等は他部族との闘争や、当時活発であった火山活動に苦労してとても伸長できない状態であったが、賢者や宇宙の知性が援助に訪れ火山鎮静の方法を教え、出雲八重垣を作らせた。これにより安定した基盤が保証され、また戦闘手段も確立し、こうして他の民族を撃ち払い征服し、大地の支配者と言われるに至ったのである。それは実に長い期間存続した。その間に国家の存続が危くなるつど宇宙から援助がさしのべられたからである。
 この歴史的事実は今から一万一千年前~四千年前の出来事であると考えられる。(縮図化は紀元前数世紀から紀元二世紀頃にかけての日本史上の弥生時代にみられる)
(ホピや古事記の語る、人類のこの時代への出現から、世界への拡散、そして拠点した先々での国造り。その頃の清い志に感応して援助を差し伸べた賢者や宇宙の知性のいたことなどが語られる。その国の統治のあり方は霊的文明(奥つ火)と物質文明(辺つ火)の好バランスにより成り立ち、知恵の統治(ひしり、そほり)が行われていた。異界の科学(くまのくすび)を知り、生命科学の応用(いくつひこね)を果していた。それゆえ非常に長い期間の繁栄がありえたはずである。その歴史がなぜ出てこないか。理由は、何者かの命により、その優れた時代のあったことは、それ以後の時代に生きる者に、知らしめてはならないとして、隠蔽されたからなのだ。命に従い、過去の知識は神官層の秘匿するところとなり、彼らの系統をエージェントとする歴史支配は今なお続いている。名残は、ただわずかにエジプトやシュメールなどにおける遺物にそのよすがを見ることができるが、場違いな遺物(オーパーツ)と呼び、一顧だにしないのが今の文明人の作法になっている。だが、人はみなレベルを落とされて在りと知らなくてはならない)




因幡の白兎 

農耕民族の台頭 

 この物語はおなじみであり、原文、対訳、語訳を省略する。大国主の命には兄神が多く居たが、みな土地を大国主に譲っている。これは、農耕を始めたのが特定の部族だけで、外辺部族は個別に共同体を営む狩猟民であったことを示す。そして、これらをやがて統一するのが農耕民族であったというわけである。
 兄神たちは、大国主を従僕として扱うが、大人しい農耕部族であればそれも仕方がない。やがて時が進めば、今度は迫害に変わってくるのであるが、それは大国主の力が増大したからと言えよう。
 兎は地質の象徴である。当初、土地(兎)は火山など(鰐)によって痛められていた。そこに海水の侵入等があってそれが去った後には岩塩が吹出したりしていた。それが八十神に欺された兎で示されている。そこで、大国主は「蒲の花紛を敷く」に語られる有機的な土質改良方法を施したという過程が示されている。
 「いなば」は「稲場」であり水田地帯のことである。また、「八上姫」は、多くの部族の頭という意味で、多数の部族が支配権を争ったことを示している。そしてその頭の位を得たのは、最終的に大国主であった。



きさ貝姫とうむ貝姫




 

 農業を主体にする民族は同じ土地に定着し、やがて都市をつくり繁栄する。これに対し、狩猟民は定地をもたず、強力な共同体を作り難く、勢力的に劣勢に立たされる。このようにして、農耕民族が文明の主導権を握っていったことが前節には語られていた。この節は、それを受けて農耕民族を襲った幾多の試練について語る。

---原文・・・きさ貝姫とうむ貝姫---
 かれここに八十神怒りて、オホチムヂの神を殺さむとあひ議りて、ハハキの団の手間の山本に至りていはく、「この山に赤猪あり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし取らずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を焼きて、転し落しき。ここに追ひ下し取る時に、すなはちその石に焼きつかえて死せたまひき。
 ここにその御祖の命突き患へて、天にまゐ上りて、神産山巣日のA叩に請したまふ時に、きさ貝姫とうむ貝姫とを遣りて、作り浩かさしめたまひき。ここにきさ貝姫きさげ集めて、うむ貝姫待ちうけて、母の乳汁と塗りしかば、靂しき男になりて出であるき。
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農耕民族にふりかかった試練

「きさ貝」は「消・去・隠・火」、「うむ貝」は「生む陪火」で、農耕民族や農地の崩壊と再生窒息味している。民族は他民族〈八十神)との抗争で生滅をくり返し、また農地は火山の猛威に破壊され、再び築き直されたわけである。こうして幾度となく民族と土地の世代文替がなされたことを示す。



根の堅州国 




 


 農耕民族への八重垣システム運用法の伝授


 八十神の大国主に対する迫害が繰り返されて、彼の死と再生が繰り返される。御祖の神は、終いには大国主が滅ばされてしまうことを按じて、大国主にスサノヲの許に行くよう勧める。彼はその通りにして行ってみると、スサノヲの娘・スセリ姫が応待し、スサノヲに報告する。スサノヲは彼を蛇の部屋やムカデの部屋に入れて彼を試練する。彼を慕うスセリ姫は試練を難なく済ますことができるように、蛇のひれやムカデのひれを授ける。彼は、蛇などが害しようとすればそれを振って追い払い、無事難関をパスする。
 その後もスサノヲは彼を焼き撃ちにかけたり、頭に巣喰うムカデを取らせようとした。だが、ネズミが安全なほら穴を教えたので焼き打ちを免れ、スセリ姫の策でムカデ取りを赤土の色でごまかしてすっかりスサノヲを信用させることに成功した。寝入ったすきに、大国主はスサノヲの髪を部屋の柱や巨石にゆわえつけ、大神の所持する大刀弓矢などを奪って、スセリ姫と共に逃げていく。気がついたスサノヲは黄泉津比良坂(根の堅州国と現世の接点)まで追いかけるが、はるか遠くをすでに大国主は走っている。そこでかつてイザナギ、イザナミがやったように事戸を大声で大国主に言い渡す。その内容は、「大刀や弓矢で八十神を撃退し、大国主の神(国土の支配者)としてスセリ姫を正妻にし、自分にかわって宮殿を建てて国土経営をおこなうがいい」というものであった。(時代の接点を境にした理念の世代交替を示しているわけだが、ホピ族がマサウウから新しい土地の管理権を受け継いだ話とよく似ている)
 こうして、大国主は八十神を打ち払って国土経営を始める。先の八上姫は正妻スセリ姫に遠慮して、生んだ子を木の俣にはさんで帰ってしまった。この子を御井の神という。以上ここまでがこの物語のあら筋である。
 この章は八重垣による治山効果が発揮されるようになってから、スサノヲから大国主へと国土の管理権と八重垣システムの効果的運用法の伝授がなされたことを示すだろう。ここでスセリビメとは火勢が収束する意味をもち、出来上った八重垣の一通りの効果が確かめられた頃あいを示していよう。大国主とは、地上の管理者としての権利を得た古代人であり、ギリシャ神話ではクロノスに相当する伝説上の農耕民族である。彼に授けられた運用法とは、「蛇のヒレ」、「ムカデのヒレ」で表現されるもので、「蛇」は既出の火山のこと、「ムカデ」とは火山の断面図のマグマの有様の形容であり、どちらも火山活動のことである。
 この中で「ヒレ」とはひらひらする布のことであるが、まるで溶岩をも凍らせる妖怪の芭蕉扇のような働きではないか。おそらく既述した八重垣変換の極め技、エネルギーの発光現象のことではないか。これが盛んになることは、それだけ八重垣のエネルギー変換が能率良く進んでいることを示し、火山の動きも抑えられていることになる。また、マグマをみたてた赤土を用いる呪術的方法も大国主には伝えられたようである。後世の埴輪は赤土に霊力が宿るとして盛んに製作されている。さらに、スサノヲはいくつかの試練を与え、火山活動そのものに古代人が馴染むようにしむけ、引継ぎを果たすという筋書きとなっている。

 さて、根の堅州国とは一体どこであろう。黄泉比良坂が出てくるので、黄泉の国と同じという説がある。古代人は確かに両者とも地底にあると考えていた。だがその原型は明らかに異なる。黄泉の国は死者のなおかつ生存する次元的に地下の世界であり、根の堅州国は神の隠れ住む世界である。つまり、根の堅州国こそ、真に地下の世界であり、「ネズミ(根住み)」すなわち地下に住む者が、窮地の大国主を洞窟に導いたことにも表わされているように、地底文明のことであると推測される。スサノヲの住居が、頭にムカデが巣喰うマグマの間にあることなども示されていることも、その理由だ。

マヤ族が一瞬に消えた世界、ラマ教の僧院から通じるという世界、それらは同じ場所ではあるまいか。そこには人類の成りゆきを温情的に見守る聖者の住むシヤンバラ伝説もある。(ホピの主神マサウウは今なお地底に住むとされ、ホピも地上に現れる以前は(前の時代の災禍から避難して)地下に住んでいたとされている。スサノヲと大国主の神話は、ホピの起源神話と酷似していることもある。ネズミが関わる大国主がスサノヲから受けた試練は、鳴り鏑の矢を持参せよというものだった。彼は野にある矢を取りにいったときに、スサノオの野焼きの計略に遭う。逃げ場を失ったときに、地下に住む者が「内はほらほら、外はすぶすぶ(入り口は狭いが中は広い)」と告げて誘い、火が収まった後に矢を取ってスサノヲのもとに持ち帰ったというわけだが、無用の矢羽はネズミの食するところとなったと、落ちさえ付けられているのが古事記。ホピやアメリカインディアンの祭祀に矢羽が用いられるのと関係があるのかも知れないと思ったりする)
また、御井の神とは、「三井」、「御井」といった地名の元になっている神である。それは川の二つの本流の合流点に栄えた古代都市国家を示すものと考えられる。そこは農耕の中心地であり、全部族の頭(八上姫)の産んだものとして適わしい。



大国主の神、大年の神の系譜




 

農耕文化全盛時代の様相

 この物語については、原文および対訳を省く。「大国主の神の系譜」の後に「少名毘古那の神」、「御諸の山の神」の物語が続き、その後に「大年の神の系譜」が語られるのであるが、この両系譜は農耕文化全盛時代の風俗、技術、栽培作物(あるいは政治)などを示すものであるため一括してとりあげ、系譜で区分して諸神の解釈を施すことにする。

(大国主の命の系譜)

タギリビメ            田切り      耕地の細分
アヂスキタカヒコネ(賀茂)  他地鋤き高ひ捏ね 開拓、開墾
シタテルヒメ           仕立る      耕作の準備
ヵムヤタテヒメ         神屋建て     穀倉、祭社の建設
コトシロヌシ          事知ろ主     祭政宮
トリトリ、トリナルミ      取成る実     収穫
ヒナテリヌカタビチヲイコチニ 額田       水田
クニオシトミ          国推富      肥沃な土地の推進拡大
アシナダカ           葦菜高      潮沼
八河江姫                    多くの河川
ツラミカのタケサハヤヂヌミ  達水       水路
ミカヌシヒコ          水主       水源池
ヒナラシヒメ          干平らし     平担地の造成
タヒリキシマミ         平りき島生み   平担地の造成
ヒヒラギのソノハナマヅミ   園花間摘み    園芸栽培(祭祀用草木の)
イクタマサキタマ       活玉折き玉    継ぎ木、株分け
ミロナミ            水・転・浪    送水の流れ
シキヤマヌシ、アオヌマヌオシ          山間部の潅漑池の推進
ヌノオシトミトリナルミ               山野に渡る収穫
ワカヒルメ                     昼の恩恵
ヒバラオホシナドミ      日原大品富   多品種の作物地帯
トホツマチネ                   長い年月
トホツヤマザキタラシ              長い年月

(大年の神の系譜)

カムイクスビ        神生霊す日    生命に関する霊妙な科学
オホクニミタマ                  大地の精神
韓(カラ)           隠・周      宇宙
ソホリ、シラヒ、ヒジリ    統・火・転    知恵の統治(政府)
オホカグヤマトミ      大輝山富     輝かしい山の豊かさ
ミトシ             満年       充分な年月
アメシルカルミヅ      天知る軽水    雲
オキツヒコ         奥つ火      精神的充足 精神文明
オホヘヒメ         大辺火(辺つ火) 物質的充足、かまど(物質文明)
オホヤマクヒ        大山杭      山林、神体山
ニハツヒ                    自然の光
ハヤマト                    早い繁茂
オホツチ                    大地 土地の神霊
ツチノミオヤ                  土地の神霊
オホゲツヒメ                  豊かな農業生産
ワカヤマクヒ                  成育良い樹木
ワカサナメ                   生育の良い野菜
ミヅマキ                    散水
ナツノタカツヒ                 夏の高い陽光
ナツノメ                    夏の作物
アキビメ                    秋の作物
ククトシ           潜年      長い年月
ククキワカムロツナネ   若室連     連なる民家や穀物倉庫の並び




少名毘古那の神




 

地球外知性の支援

 大国主の時代に地球外知性が訪れ国造りの援助をして去っていったことを語る。

―――――原文 少名毘古那の神―――――
かれ大国主の神、出雲の御大の御前にいます時に、波の穂より天の輝身の船に乗りて、ヒムシの皮を内はぎにはぎて衣服にして、寄り来る神あり。ここにその名を間はせども答へず、また所従の神たちに問はせども、みな知らずとまをしき。ここにタニグク白してまをさく、「こはクエビコぞかならず知りたらむ」と白ししかば、すなはちクエビコを召して問ひたまふ時に答へて白さく、「ここは神産巣日の神の御子スクナビコナの神なり」と白しき。
 かれここに神産巣日御祖の命に白し上げしかば、「こはまことに我が子なり。子の中に、我が手俣より漏きし子なり。かれ汝アシハラシコヲの命と兄弟となりて、その国作り堅めよ」とのりたまひき。かれそれより、オホチムヂとスクナビコナと二柱の神相並びて、この国作り堅めたまひき。然ありて後には、そのスクナビコナの神は、常世の国に渡りましき。かれそのスクナビコナの神を顕し白しし、いはゆるクエビコは、今には山田のソホドといふものなり。この神は、足は歩かねども、天の下の事をことごとに知れる神なり。
――――――――――――――

農耕文化時代の宇宙人との連携による国づくり

 スサノヲより国造りの手ほどきを受けてから後も、他系世界から協力の手がさしのべられた。
 スクナビコナは、天のカガミ船すなわち光輝やく船でやってきたということと、蛾の皮を思わせる衣服を着ており、背丈が小さかったという姿からスサノヲとはまた違うタイプの宇宙人であったと考えられる。名を問うて答えられなかったのは言語の違いによるのだろう。そこでタニグク(谷潜)という峡谷に住む知識者に問うたところ、クエビコ(朽壊日子)なら知っているという。これはやはり老境の賢者であろう。恐らく古い過去の知識を扱い、長い歴史の変転を知っていた者と思われる。彼は友好を示して来た宇宙人と農耕民族の橋渡しをしたに違いない。
 ここでいう「神産巣日」は地上からみると隠れた世界である宇宙文明を示し、スクナビコナはその一組織であることを物語っている。そしてしばらく協同作業をして、役割が終ると、彼は再び宇宙(常世の国)に帰っていったというわけである。
 この結果、前述の「大年の神の系譜」にあるように、霊妙な総合的科学のもとに堅固な叡智の統治体制が確立したわけであろう。



御諸の山の神




 

地球外知性の支援

この節では、少那毘古の去った後、また別の地球外知性が訪れ、八重垣システムの効果的利用法を再教育し、地上民族だけで独立して国土経営ができるように図らったことを物語るようである。

―――――原文 御諸の山の神―――――
 ここに大国主の神愁へて告りたまはく、「吾ひとりして、いかにかもよくこの国をえ作らむ。いづれの神とともに、吾はよくこの国を作らむ」とのりたまひき。この時に海をてらして寄り来る神あり。その神ののりたまはく、「我が前をよく治めば、吾よくともどもに作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ状はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾をば倭の青垣の東の山の上に斎きまつれ」とのりたまひき。こは御諸の山の上にます神なり。
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「祭り事」の真義を教えた宇宙人

 地球上は厳しい自然環境であるために、知識は容易に風化していくのであろう。再び国土経営に陰りがみえはじめ、宇宙からの援助を待望するようになった時、宇宙から再び使者が来た。それは、かつてスサノヲが築かせた八重垣システムを再認識させるための役割をもった宇宙人であったようである。
 かつての大国主へのシステム運用法の伝授は、ただ火山活動の鎮静に関するものであった。その時は火山の鎮静が当面の課題であったからであるが、すでに安定期を迎え、多くの耕地が得られている時となっては、第二の運用法というべきものの方が望まれたわけである。

 既に述べたように、不可見な八重垣エネルギーはUFOのエネルギー補給に伺いられるばかりか、自然界の多くの生命が利用している。その中でも最大のものは人類であり、彼等のもつ意思力によって有効な用いられ方をしなくてはならない。このエネルギーは意思力に感応して容易に異体的力をもつに至る。この宇宙人はそのことを教えるために、自ら御諸の山に鎮座し、システムの動作が祈り(祭ること)によって補完されることを示したのである。
 人々が御諸の山に託して鎮護国家や豊穣を祈れば、エネルギーはその具体化を目指して働いていくという訳である。御諸の山は、奈良の三輪山とされているが、既に述べたように三輪山という特定した山ではない。それは津々浦々にある秀麗なマウンド(神体山〉のことである。
 この時代は、次から次と宇宙から具体的な援助がもたらされ、良い知識が導入された。それも当時の古代人にとって適わしい農耕を主体にした素朴な知的介入であった。このような形で安定期を迎えた大国王の時代は人類の黄金時代と称されても不足は無いだろう。スサノヲによるマウンド造りが今から一万二千年前、引継いだ大国主の時代が一万二千年前~四千年前と考えられる。

古事記に示される神の恩寵・・・地球環境コントロールシステム

 地球上に設置されている生命維持、環境制御のための機構はかなり多彩に登場した。それらははとんどが時代の入れ替え期に起きる地球上の大事変に対処するために用意されていると言っていい。
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 後段の「豊玉姫」物語でも念を押すように語られていることであるが、人類文明史は地球という一つの実験炉の中でおこなわれる試し火の過程であるという考え方が明らかになる。
 ひとつの実験が成功する失敗するというのは我々のレベルの分別智では何も言えないことである。しかし、恐らくは一つの実験が終れば次の実験のために様々な環境条件が復元されるのであるということは言える。
 実験の終了と共に、種の保存と新時代の閉幕のためにUFOが飛来し、惰性で殺載を続ける地上の軍隊を撃退するということは理にかなっている。
また、地上の汚物の浄化のために荒療治であるが、水天体を衝突させる如きは宇宙の知性の超科学力からすれば難しいことではなかったであろう。このときもたらされる泥土により、毒物は洗浄され、全ての前時代の遺物は泥の下に埋め尽くされる。それに併いそれまで援徐に動いていた海洋浄化ダクトがフル回転すれば、短期のうちに無機的な下地は回復される。しばらくの凍結期間の後、地球を宇宙機と化すシステムを稼動させ、新たな理念を賦活し、地磁場を蘇らせ有機的な下地の回復をはかれば、新年を迎える準備が整うというものである。
 すると今度は、かの天体の力学的影響で歪む地殻が火山活動を活発化させ生命の発展を脅かす。これを逆用して生命の賦活に効用すべく、宇宙の知性は地上に呪術的なメガリスやマウンドの超科学システム「出雲八重垣」を築けば、地殻のエネルギーは生命活生エネルギーへと変換され、地上の生命ばかりかUFOの動力源としても幅広く活用されるところとなる。
地球はかくて生命が繁茂し、宇宙を旅する船人のオアシスとして機能すると共に、宇宙文明の主要根拠地となるという具合である。

 また、この八重垣エネルギーは理念界の新陳代謝を高める働きもする。このエネルギーは正しい用い方さえすれば、高次元の高みにまでの昇華力を持つ地中の蛇クンダリーニであるからだ。
また「八俣の大蛇」とは必ずしも火山活動や火山帯を示すものだけとは限らない。ちょうど人間が肉体部分と精神(霊)部分の複合体であるように、どのようなものにも精神がある。一説によると、人間をはじめ生物の出す破壊的想念が理念界の低所に「業」として蓄積し、それが地下に沈み火山エネルギーに転化しているという。そればかりか、人々の思考上に投影して破壊的、悪魔的な衝動にかりたてるという。
古来より卵をとりまく蛇のモチーフがあり、暗に世界を示すとされていた。蛇はどの神話でも良くないことをしでかすものに譬えられるが、これが地球をとりまくような格好で存在する業想念帯で、本来の理念が天降ってきてもそれを破壊的な方向に偏極し、生命系の潜在意識を通して破壊的衝動や錯乱、さらには戦争を起こさせ、実験炉のなりゆきを低質なものにしているのだ。とすれば実に問題があるだろう。
蛇は汎ゆるまとまりをみせようとする働きに逆らって、それを熱エントロピーに変化し消耗する摂理のようなものかも知れない。それは業想念帯という精神部分と、火山活動、戦争、破壊といった具体的部分の複合で成っている。そしてそれは、逆の良い方面の環理である生命的組織化の摂理とやはり重合する格好で世界の歴史を形成してきているわけである。
宇宙の法則から熱力学第二法則を外せというのが不可能なように、業的事象を取り去ることは不可能であろう。それでもこの働きを抑制して、バランスよく歴史が運行していくように地球には優れた設備が置かれているという考えができるだろう。
いま一説によると人類が光明化想念をもってすれば、宇宙にはそれを増幅して業想念を対消滅すべく作動する宇宙の知性の築いたシステムがあるという。二章三・(十六)節でも述べたように「威儀を正した祈り」の想念に感受して、具体化する。地球をとりまく物心両界のエネルギー循環系を考え、図3・9に示すことにする。その中で宇宙の知性がもたらした環境浄化システムがどのような働きをしているかを見てもらいたい。


 こうしてみると、地球は一個の生命体である。そこには可見と不可見の領域に渡る循環系があり、さながら人体の仕組みを見る思いがする。その中で業的事象は一種の疲労物質であり、この除去のために肝腎に相当する環境浄化システムが日夜活躍しているというわけである。
このような対策が予じめ施してあるからこそ、今の時代の無謀な公害や汚染にも自然は未だ破壊し尽くされず残っていると言えるだろう。自然の浄化作用と我々が思っているものの多くは、実は地上を一つの実験系たらしめている知性の厚情の賜物によるものである。だがそれはどこまでも万全とは言えない。特に次の二つの面で心配されるものがある。
 一つは、人類の横暴に基づく汚染の最大のもの。核戦争にでもなれば、決定的なオーバーワークをもたらすだろう。二つは、国つ神族の反乱とも言うべき、自然の猛威の復活である。火山の爆発は水爆に匹敵するはどの大気汚染をもたらす。これは八重垣システムが有効に働く限り大丈夫であろうが、山野の乱開発は明らかにシステムの破壊を引起し、活力を弱らせていないとは言えない。そればかりでなく、システムの機能が効果的に活用されねば地球生命も文明も早い老化をきたすことになるのは人体と同じである。だがこれも活用すべき人類の考え方の問題で効果的活用には程遠い。結局のところ、本当に心せねばならないのは人類なのであり、多くの人が真知に立ち帰り、知識者が一丸になっての大運動が今日下の急務なのである。
 古代人は、これらの事実を、体験者、観てきた者、地球外知性などから聞いた伝えなどを着実に守って、彼ら自らその意義を理解していた。神道をはじめ、世界の民族の宗教はこぞって祭祀を教儀の中にとり入れ、自然的な浄化作用を賦活することに心がけてきた。祈れば理念界にその種を播くことになる原理を活用していた。鎮護国家、豊穣、世界の安定、よりよき理念の天降らされんこと等、実に様々な祈り方がありえただろう。それらは全て超科学力を駆使する神への従順と信頼により形成された方法であったことは間違いあるまい。
 歴史の表層的流れは、しだいに単なる野望で動く者の手に渡り、価値の転倒が起こったが、過去の貧しくて豊かな人々は、今なお多くの人の中に見受けられる。これは人が本質的に霊であり、かつての記憶を持ち来たしているからと考えられる。このような人々の純粋な結束と新らしい動きこそが陰惨な破局を回避することに繋がると確心されるわけである。


すぐれた知恵の統治がなされた先古代文明を物語る
大年の神の系譜がこの後つづくのだが、
すでに大国主命の系譜と並べて対訳して
いるので省き、その次の段へと飛ぶ。


[天照らす大御紳と大国主の神]



 ここからは宇宙からの介入も侵略的かつ組織的な色彩を帯びてくる。その介入の仕方も非常に巧妙になっているので最も注意を要するところである。原文は長文に及ぶので省き、筋書きの説明を詳細に施していくことにする。



 

天若日子 宇宙からの侵略的介入(懐柔策)

 この節から、突然天神系を主体にした歴史のなりゆきの説明になる。まず、天照らす大御神は実り豊かな農耕文化を築いている地上に最勝の全知識の体系を示す御子マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミを降そうとする。ところが、天の浮橋から地上の有様を眺めると、非常に騒がしかったので、降りるわけにはいかなかった。そこで、タカミムスビの神がアマテラスの意向を何とか実現
しようとして、八百萬の神に思ひ金(コンピューター)をまじえて協議して、地上の風俗を柔らげるためにまずアメノホヒの神を平定のために遣わすことにした。
 アメノオシホミミとは、既に述べたように「全分野の最高の知識の体系」のことであり、古代世界共通の「知恵の木」でシンポライズされる神聖な知識体系のことである。天の浮橋は、理念の存在する超空間であり、単に宇宙から降りてくるというのではない。これは後程、ニニギの命のところで詳述する。ここまでで重要なのは、地上の生活が荒れていたために所期の最高学問の地上世界確立がすぐには実現できず準備期間が必要となったことを示していることである。
 ところが、文明開花の意味をもつアメノホヒ(初火)は大国主の許で帰化してしまった。仕方なく、タカミムスビは再びコンピューターに議って今度ほ天と地の両方の事に精通した宇宙文明の中でも若輩のチーム(アマツタニタマの子アメワカヒコ)にミサイル(アメノハハヤ)などを含む強力な兵器を併わせて送り込むことを決定した。これは恐らくそれまでに地上が啓蒙されて相当な武力を持つに至っていたからであろう。だがこのチームは、大国主の娘シタテルヒメと結婚などをして、地上を自分のものにしようとして、やはり帰化してしまった。ここでシタテルヒメとは、お膳立ての準備段階を示している。
 今度は、アマテラスがどうなっているのかを調べるために、やはりコンピューターに議って、キギシナナキメに注告の言葉をそえて送る。だが地上社会も体制が確立しており、様々な逆調査がなされた結果、宇宙文明の直轄支配の意図を察知し、地上政府はこれをミサイル攻撃した。これは、一大戦争の発端である。キギシナナキメの攻撃されたことを知った宇宙文明(タカギの神)は、アメワカヒコの地上勢力に報復攻撃をして禍根を絶ったのである。

懐柔策は裏切り(帰化)によって失敗

 既に述べたように、インドの叙事詩ラーマヤーナにはラーマのシータ姫奪回の物語で核弾頭ミサイル使用の描写がある。伝説では、この武器は天空の住民から与えられたものとされている。
また、旧約聖書のソドムとゴモラの話はやはり核兵器使用であり、この場合は席敗怠落した都市人民に対し神が怒っておこなわれている。これらいづれも宇宙文明のした行為の正当化がなされたものである。前者は、文明の利器の偉大さに力を入れ、そのような兵器を英雄伝説に合一させている。後者は神への畏敬と神に忠実でない者に対する戒めに力点を置いている。古事記の場合はこの両方の要素に加え、先制攻撃に対する報復(還り矢)も語られているだけに裏の事情に詳しいと言える。いづれにしても宇宙からの支配権をめぐる干渉を語っているに変りなく、同一事件が様々な伝承に変化していると考えられる。
 また、ここでタカミムスピはタカギの神と名を変えて、あらわす実体の内容を刷新している。
ここでは「現象展開の超空間コンピューター」ではなく宇宙文明の組織体制を意味している。これより前「少名毘古那の神」のときに出てきたカミムスビもタカミムスビと陰陽の性格の差こそあれ、同じものを意味している。つまり、スクナビコナもアメワカヒコもその組織から派遣されたユニットなのである。カミムス
ビは保守的、温情的な性質をもちタカミムスビは進歩的、攻撃的な性質をもつ。これはちょうどギリシャ神話のクロノスとゼウスに相当する。これは、主導的方針あるいは思想の変化が宇宙文明にあったことを物語るのだろう。

大義を生かすために小義を犠牲にする

 物語ではこの後、死んだアメワカヒコのために同族の宇宙人達は組織を挙げて喪屋を営み長い間なげき悲しんだが、その葬儀の場に容姿がアメワカヒコに似たアヂシキタカヒコネ(前出のアヂスキタカヒコネとは、「鋤き」と「敷き」の違いのあることに注意。この場合、他・地・征伐を意味する)がやって来たので、家族はまだ彼が生きているものと錯覚する。これにアヂシキタカヒコネは非常に腹を立て、「汚れた死人と一緒にするな」と言って、オホバカリ(大量)という大刀で喪屋を切り伏せてしまった。
 この部分は非常に教訓めいているし、宇宙文明の組織内部の裏話も秘められている。つまり、帰化と征服もしくは懐柔と侵略は根本的に似て非なることを述べようとしたのである。それは地上においても複雑な原因で成りゆきが紛糾しがちになるのは歴史の通例でもある。それは宇宙文明の組織内部でもよく意趣の伝わらなかったことであろうと思われる。これゆえ、「大量」の意味する「より大きな計画」をここで示す必要があったというわけだろう。つまり、宇宙文明の方針に変化は特に無く、時に従い様々な方便がありえていたというわけである。
 ここまで世の歴史を深く取材できた者とは、かの海洋民族であったと言えるのであろうか。とにかく、連綿とした時代において常に体制に随伴しながら知識の収集に努めてきた一つの役割があったと言えよう。

(この古事記の解釈の当時、私はまだ天神系理念を好ましいものと捉えていた。それは宇宙文明の移殖計画であり、地球にとって進化すべき階梯を上ることと考えたからだ。2007年(1990年でも)の時点なら、今こそ宇宙文明による強制的な国譲りがなされても良いと思われるのに、その気配もなく、むしろ地球自体が滅亡に瀕していることを見ると、いったい天神系とは何なのかを深く
考えさせてくれることとなった。その結果、得られた最も分かり易い時代が、現代史によって最良のものになると分かったことだった。いや、神話はものごとの定型パターンであって、どんな時間のスパンであっても適用できるのだ。だが、現在までの歴史をあてはめたとき、天神系理念とは、爆発的な文明開化を進行させる高度物質文明と、その利器の数々のこととなり、その理念が現代に降臨して、賑々しい諸相充足完備の世相を現出していると捉えられたのである。
別の角度からの発見もあり、この時代の歴史に神話を当てはめて推敲を重ねた結果として、「古代日本にカバラが来ていた」(著作品)および「古代日本謎の中東思想渡来考」(ホームページ)をアウトプットしたしだいである。

さらに推敲するなら、スサノヲ/スクナビコナ/御諸の山の神の系統が宇宙人なら、天神系の神々も宇宙人ではあるが、別系統ではないかと思ったりする。それほどに同じ系統とするには思想的な違いがあるからだ。良い宇宙人、悪い宇宙人という分類をする人もいるようだが、地球人類に対して純粋に好意的な側と、非好意的かつ策謀的な側という分け方を取りたい。後者は我々からすれば、警戒すべきものとしておかねばならないのに、どうも無頓着か、もしくは恐怖のあまりだろうか信仰までしてしまっている感がある。古代人はそれらすべてを神々として、その性質ともども神話に織り込んで、処すべき考え方の基本に置いていたのにである。

天神系の神々の影響は、現代文明を見れば一目瞭然だ。だが、それは人類をあるシナリオ(人の啓発のためかも知れないが、人類だけでなく地球の滅亡さえも容認する)に誘導している。かつて黎明のオオクニヌシの時代にあった宇宙的叡智はいっさい発揮されていない現代社会。宇宙人が双方の時点に関わるとするなら、その差はあきらかであろう。これを宇宙の一貫した計画の中の方針転換などという奇麗事にすることはとてもできるものではない。宇宙人と言わず、神としても良い。とならば、邪神と正神の少なくとも二つの勢力があると思ったほうが良い。そして実際、私は、縁に導かれるようにして、邪神大掃討作戦を誘起する残された人生を送ってきた。その詳細は世界救済の新神話に記している。多く想像による肉付けだが、啓発にかかる骨子の出来事は事実である)


国譲り




古事記がこの段以降ほど、古い事績の歴史と、降る事(預言)の歴史の両義性を表した段はない。

古い事績の記録と言う観点からすると、地球文明が宇宙からの干渉を受けて、その軍門に下り、以後宇宙文明のために使役される地球文明、それとともに革新的な宇宙的文物の移植流入による利益、こうしたことのあらましが書かれていると見ることができる。
 どう見ても、天孫降臨の叙述は、宇宙からの地球侵略と平定の歴史であるように解釈しなくてはおかしいからである。

また、降る事(預言)の歴史と見る方法を採って愕然としたのは、日本の現代史を物語るかのような内容になっていたからである。それは後述する。

古い事績・・・宇宙からの侵略を受けた時代のこと

過去の時代。それがどれほど前かは判然としない。だが、シュメールの粘土板には、人類とアヌンナキの神々の関係とその歴史過程が書かれていた。
それによると、人類は当初、地球在来の霊長類と、アヌンナキの遺伝子を掛け合わせて創造されたようである。その目的は、アヌンナキ人の住む星ニビルの大気を維持するために、金を豊富に必要としたことから、その採掘と蒐集のために現地に手下となる奴隷が必要だったというのである。

 このために人類をこの地球に下ろしたというのであるが、国譲り神話は神々との戦争を物語るものであるから、人類を下ろす際、地球在来の神々との間で戦いがあったと見るべきだろう。
戦争に敗れた側の国津神は、天津神に歯向かえない状態にされたことになろう。そして、アヌンナキの要望を容れた文明の移植がなされたというわけだ。
アヌンナキとのかかわりと、秘された歴史については、別の資料で詳述することとした。⇒ 新神話

 

降る事績・・・日本国敗戦を予言した段

原文対訳は省く。

「国譲り」の段では、国つ神の領土に対する天つ神の征服計画とその実施方法について語られる。まず、神々の作戦会議の中で、イツノヲハバリ(威力ある凍結の意味)に示される糧道、補給路の凍結案が出される。だが、それよりも効果的として、タケミカヅチノヲに天の鳥船を副えて行かせることにした。 そこでタケミカヅチノヲは出雲国のイナサの浜辺で、十ツカの剣を剣先を上にして立てて、その切っ先にあぐらをかいて大国主命を威嚇し、国譲りを迫ったという。だが、この表現すらも異様な光景を想ってみたとき、何か連想するものが必ずあるはずだ。

それは、絶対に「キノコ雲の形状を表わすものである!」と断言できる。建(猛)・雷の示す、強烈な光をもよおす雷の意味合いと、天の鳥船(別名、鳥の石楠船〓空飛ぶ石楠のように堅い船〓飛行機)があいまって、まさに核爆発の光景をイメージさせるに足りている。

そのような歴史を、豊芦原の水穂の国である日本は、どこかで経験しなかっただろうか。半世紀前のこと、B29によって運ばれ、投下された原子爆弾は、十ツカの剣のごとく、上空はるかにキノコ雲を巻き上げ、その被害の甚大さによって日本は終戦を決意したのではなかったか。ならば、タケミカヅチノヲの前にいる大国主命とは皮肉にも天つ神の国を自負した日本ではなかったか。

抵抗に及んだタケミナカタ(猛・水・方)の話も、不沈艦隊を誇った海軍の顛末を語るようであるし、イツノヲハバリ(凍結)による塞き上げも、経済封鎖と石油を断つABCD包囲網や南西諸島の米軍蛙飛び作戦として具体化したとみられる。

国譲りをした? 客観的に見て、国については何も譲っていないではないかと言われる向きもあろう。確かにそう見える。だが、本当にそうなのだろうか。実は、このことさえも預言されているのである。

大国主命は国土を譲渡しはするが、天つ神と同等の宮の甍を賜り、大国主命の側に立つ者(八重事代主)による代理統治を認めるなら、数多ある神も逆らわず、国は丸く治まるだろうと安堵の条件を提示し、その代わりに今後、配下の料理役の神(水戸の神の孫の櫛八玉神)をして、海の珍味を机も撓むほど盛り沢山にして、その煮炊きの煙を天高く上げて料理して、天つ神のために立派な御馳走を献上しましょうと約束させているのである。

 この場合、天つ神をアメリカを筆頭とする世界列強と捉えれば、確かに現在の日本の置かれている状況を予見していないだろうか。 
日本は本来なら戦後、ドイツ同様の二国分裂状態もしくは占領植民地状態で推移していても不思議ではないのに、勝者並みに居所が約束されたばかりか、欧米の先進工業の移植のおかげで、今や世界列強をしのぐほどの高度経済成長を遂げた。

その代わり、日本は世界の発展に寄与すべく世界の工場となり、公害や環境破壊、世界の悪評を率先して身に引き受け、優秀な工業製品を大量に世に送り出し、広く国民から収益を吸い上げて、莫大な国際貢献をも行なうに至ったのではなかったか。

八重事代主とは、幾重にも国事、民事を監理し統べる指導者という意味で、ここでは政官界のことに違いなく、水戸の神の孫という櫛八玉神は、櫛のように多分岐した先に付いた沢山の玉の意であるが、ここではトリー構造にまとめられる産業界、経済界を示していよう。また、二章で述べたように、水戸とは港であり、産業界が貿易によって発展することまで語られているとみてよい。

古事記の予見は、大味ではあるが、正確かつ包み隠すことのないストレートなものである。すると、ここでまた陰謀幻想を催してしまいそうになる。どうして対米外交が、言いなり追随になってしまうのか、不思議に思ったものだが、国譲りが暗黙のうちに出来上がっているからなのであろう。

ふりかえれば、日本政府は巧妙に国民を納得させ、この計画に従わせているようにみうけられる。豊かさという幻想が誘った経済成長、誘導された高地価、高物価、極端な内外価格差、その釣り上がった土壌から否応なく吸い上げる税収、その一方で、効果のチェック機能のない大盤振舞の無償援助や借款、知恵のない高借金国への貸付と被る為替差損等々の垂れ流し的状況、自然の成り行きとするには出来過ぎの感があり、貢ぎ物を献ずる政策の一環と捉えたほうが理解し易い。

日本の国家安全保障機能の欠如は、戦後占領軍のレール引きによることは紛れもない。議会政治自体、国民不在化制度だった印象を与えずにおかないし、外交下手、金権腐敗、次元の低い長期政治不在などの事態が、国民に政治への諦めを持たせるための演出だったかという観測を惹起しないわけにはいかない。

歴史上に、国譲りに伴う取引の経緯が出てこないなら、何らかの密約が存在するのか? いや、何の証拠もないのだ。そしてまた、預言とは歴史の止むを得ぬ流れを前以て語るものであるから、故意性がなくとも、そのように展開してしまうものなのだ。政治家も個々としては一生懸命だろうが、数が多ければ身動きとれぬことばかりに違いなく、結局衆愚政治となって、成り行きはつまるところ預言どおりに落ち着いてしまうというわけなのだろう。


さらに大きな未来展望の可能性

降る事の事績(預言)も、時代の大きなスパンに関わることになれば、もっとスケールの大きな展開となって現れるかもしれない。
古事記では、国津神の葦原の中つ国は「いたく騒がしい」状態であったから、上位にある神々はこれを平定しなくてはならないとしている。
これを現代の、第三次世界大戦勃発前夜として捉えたとき、地球外からの懸念と救済の動きとして現出してくる可能性がある。
目下、世界各地に出没している様々な形のUFOは、その現れと見ることができる。それに伴い、現代の末法思想とも言える、最後の審判やアセンションの話は枚挙にいとまがない。人々が理想化し願望すれば、その通りになることもあるだろう。

それはまさに天津神の降臨として認識されるのではあるまいか。ガイドは先んじて出されるものであるからだ。
現存する秘密結社がその秘密を先んじて知っているのなら、現在いくらも出てきているハリウッド映画の未来ものに表現されているだろう。超機械化文明、超テクノ文明、完全管理される人類社会といったテーマが映画化されていて、その内容は怖いほどである。
人類の本当の幸せから、乖離しないでほしいと言ったところで、文化の異なる宇宙人のアイデアで先の未来は規定されるだろうから、人類はそれに従うしかなくなるだろう。
また、映画は必ずと言っていいほど、そのような未来世界は人間にはそぐわないものだから、反抗せよと言っているように見受けられる。それをどう解釈するか。とはいっても、反抗してもリスキーなだけかもしれない。
劣勢にいつも置かれた地球とそこに住む有情に、素敵な未来がやってくるというのだろうか。
またもアヌンナキに侵略された歴史をぶり返すようなことはやめてもらいたいと思うのは私だけかもしれない。

私は個人的に、この宇宙の外からの(三千世界からの)介入と解放を新神話として願いを籠めて書いている。それほど私にとっては、この宇宙は失望に値する。
それもまた天孫降臨の類義事象になるはずだ。新神話では、今目下が「国譲り」要請の段階にある。それが叶えば天地有情はみんな解放される。



天孫降臨




 

賑わしの諸物の登場してくる時代

「国譲り」後の栄光の時代にはどのような事物が登場してきたものか、古事記には、どう預言されていたのであろう。続く「天降」の段で天降してくる神名、神器名を表に掲げるので、御覧頂きたい。




オモヒガネは山田久延彦氏の所説どおり、コンピューター(ハードウェア)のこと。それを
筆頭に、日本のとりわけ強い情報処理分野を中心に、建設、動力関係の事物に触れるという、現代の主要技術力を代表する事柄の記述だったのである。特に伊勢の内宮、外宮は寓意により、現代の情報処理センターのオーソドックスな形態を預言していた。

つまり、古事記は紛れもなく現代日本を見透した神の計画書であったのだ。むろんこれらの事の起こる時代は、吉凶正反混淆かつ素晴らしく魅惑的な(完成状態「7」に至る)究極の成就の時代として、古事記全体の筋書きの中では、最高の賛辞を以て取り上げられているのである。 


猿女の君




 

社会主義体制の崩壊

「天降」の段で、天降しようとした天つ神たちの行く手を阻んだ天と地の中間神がいた。サルタヒコ神である。彼は妨害しようとして出てきたのだったが、天つ神アメノウズメの器量に圧倒されて、道案内に来たのだと言い負けてしまう。こうして順調に天降が果たされた後、この段の話となる。

サルタは「去る・田」で、縄張りした土地(田)をなくす者という意味で、土地資源の所有を認めない社会共産主義国家、ソビエトであったと解される。日本は戦後、最初のうちにこの干渉を免れた。

そしてこの段では、サルタヒコは道案内のお役目終了ということで、ヒラブ貝(平ぶ〓選定)に手を食い合わされて海で溺れる形で死に、ウズメに葬送されることとなる。

ウズメは、ここでは天つ神の体制(資本主義、帝国主義)の強力な推進エネルギーの象徴であるが、これに圧倒される形で、ソ連はじめ社会主義体制は崩壊してしまった。


木の花の咲くや姫




 

華美な高度物質文明は、結局短命に終わる

この段のあらすじはこうだ。

ニニギの命は、「木の花の咲くや姫」に出会い、求婚
する。だが、彼女には姉の「石長姫(イワナガヒメ)」があり、一存では決められないので、父「大山津見」に話してくれと言う。そこでそのようにすると、父神は大いに喜んで「石長姫」も添えて差し出した。ところが、ニニギの命は、醜さのゆえに姉神の方だけを返してしまった。そこで痛く恥じた父神は、姉神を添えて出したわけと共に、呪詛を込めてこのように言った。
すなわち、天神系理念の命は、妹の「木の花の咲くや姫」により華美で鮮やかな繁栄が築かれ、姉の「石長姫」により盤石の寿命の長いものになるはずであったのに、これでは天神の御子の御代は、木の花が開花し散るごとき短命なものに終わるだろう、と。

つまり、華美だけを取り、堅実を取らぬ発展は、長続きしないということを掛けて示しているのである。

さて、娶られた「木の花の咲くや姫」は、たった一晩で子供を妊み産気づいてしまった。それをニニギは、短時間に妊んだ子とは不義の子であり、天神の子ではないのではないかとの疑いを持ち、火をかけて燃焼下で産ませて真贋を占おうとする。

これも非常に暗示的な話であり、短時間に作ってしまえる子供とは、急発展する現代文明を示していると言える。

この時生まれた神々、ホデリ(火の勢い良い燃焼)、ホスセリ(火勢の衰え)、ホオリ(鎮火)の三神に掛けて何を表そうとしているか、現在の日本の状態を考えればおよそ見当がつかないだろうか。「火」は現文明の象徴であり、高度経済成長、科学技術の急速な進歩、華美な物質文化の謳歌、これらが勢いをなくし、ついに逼塞する時が来ると解釈されるのだ。

だから、今の高度物質文明社会に、あまり惚れ込まないことをお薦めしたい。鳥瞰すれば、今の人類の営みは、自然界のルールに則らない、自分たちだけでしているゲームの世界にすぎないと言える。

何かに突き動かされて、お金稼ぎに狂奔するあなた。昼も夜も満足に休めないあなた。わずかな所有のゆえに死ぬまで働き続けねばならぬあなた、黙示録も獣によって印を受けた偶像崇拝者たちは火と硫黄の燃える池で責め苛まれ、昼も夜も休みがないと言っている。
[ 獣=現世界体制、印=構成員としての登録、偶像=金銀銅石木でできた崇拝物=お金その他の所有物、燃える池=(石油)燃焼を主体とした(車)社会 ]

かといって、未踏の島に住むことも、戸籍(印)をなくすことも(獣が売り買いできなくさせるので)できないあなた、心だけは物事に対して淡泊でいたいものだ。いずれゲームオーバーになると、これまた聖書や古事記には言明されているからである。だからといって、ゲームを心底楽しんでいる方には、難多くとも個々の進化の道であろうから、あえて何も言うことはない。

 


海幸と山幸




 

海洋型経済大国の崩壊

 ここでは、文明逼塞の具体的な原因が示されているようである。
話はお馴染み、釣り針という負債を負わされた山幸(ホオリ)が、水を司る神(シホツチ)の援助で、海幸(ホデリ)を懲らしめるという話である。タイミングの良い司水神の水位の上げ下げで、海幸を貧しくしていき、逆らえば潮満つの玉で溺れさせ、憂えて謝れば潮干るの玉でかろうじて生かしておくという、いわば故意の人為的象徴的水害による海洋部族の没落が語られているとみられる。

これは、今にいう過去の負債(対日貿易赤字など)を逆ネタに、株や通貨の相場(水位)操作、経済制裁が、指向性ある強大な資本力や、水を得た政治力によってなされ、海洋国日本が打撃を受けることを物語っていると解釈される。このことは現在進行中のことであり、一時「ホオリ」の状態にあったアメリカが逆転して力を取り戻しつつある。(記載は1994年以前の情報による。今では、激しい為替の変化による莫大な損失の後、ヘッジファンドを初めとする巨大マネーが指向性を強めて我が国を標的にしている)

彼らは既に世界の金融を手中にし、巨大な資本を自由に操り得るという。穀物と石油の生産流通機構を握り、食料とエネルギーをほぼ支配するらしい。また、強大な政治力、軍事力のアメリカを背景に、世界各国に異議を唱えさせない世界戦略を発動するという。結局、孤立を深めるのは政治、経済などの分野で彼らのスムーズな進出を拒む北朝鮮や日本のような頑なな国ばかりとなる。

いずれ情報も支配され、監理された情報が世界に提供されるようになれば、神話ではあたかも山幸の方が善玉のように語り継がれるが、それと同様、海幸日本はその巧みな情報戦略で衆議一致の悪玉となってしまいかねない。

そして、資金力に物を言わせた為替相場操作、スーパー301条などの経済制裁、米政府高官の発言シグナルなどは、大小こそあれすべて潮満つ潮干るの玉なのだ。このために、海幸は山幸に頭が上がらず、山幸の昼夜の守り人となってしまうというのが預言とすれば、実際の歴史はどのような展開をしていくのだろうか。

だが、もしこの手の「水位」操作が過激になされた場合には、緩徐な古事記の域を超えて、急激な黙示録にいう大いなる都市バビロン崩壊の序曲ともなりかねない。例えば、一日百兆円にも上る為替相場への投機資金にひとたび指向性が与えられたなら、各国の協調介入や高官発言ごときが寄ってたかったとしても、ひとたまりもない。危ない話はごまんとあるが、それを今は世界の良識がまだしも支え
ていることと、まだ時が至っていないからという理由によって免れているのだと思えるのである。

 


豊玉姫の命




 

黄泉の国の事態に酷似

この段は、山幸の妻となった海神の娘、豊玉姫の出産話である。天つ神の子ゆえ海原で産むべきでないとして、渚に出てきて鵜の羽で産屋を作ろうとしたが、作り終えない間に産気づいてしまう。この時、夫神に、お産の時は元の姿になるので絶対に見ないで欲しいと言うのを、山幸は覗き見て、八尋鰐が這っている有様に驚いて逃げ出してしまい、それを痛く恥じた姫は海坂(海道と地上道の境界)を封じて海に帰ってしまう。

前半の話は、イザナギが黄泉の国のイザナミに国造りが未完成(〓産屋が未完成)なので戻るよう要請した経緯にどこか似ている。また、後半は、イザナミの制止にもかかわらず、どろどろの醜態を覗き見てイザナギが逃げ出す話に似ている。
海坂も比良坂(二つの時代の境界)の焼直しのようだ。つまり、二章で述べた「黄泉の国」の段が簡略化されているとみられるわけだ。
 

 
 


鵜葺草葺合へずの命




 

新しい時代は振り出しに戻る


 
前段で生まれたのが鵜葺草葺合へずの命であるが、この神と玉依姫との間に、五瀬の命、稲氷の命、御毛沼の命、若御毛沼の命(神武天皇)が生まれる。このうち、御毛沼の命が常夜の国(宇宙)、稲氷の命が海原、残る二神が陸上で、続く中つ巻に繋がっていくように設定されている。

ここで、陸、海、空に持ち分けての支配構図を示したともとれる形で終わっているわけだが、これもイザナギ神の身禊で生まれた三貴子の支配構図の説明によく似ている。つまり、次の新時代の初期状態を説明した形で、上つ巻は終結しているとみられるのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

この最後の二段の話は、ちょうど連続する「黄泉の国」から「身禊」にかけての話に似て、その簡略化(軽減)された筋書きの感がある。つまり、この位置に前話を繰り返し置きたかったのではないかと思われるふしがあり、もしそうならば(過去よりさほどひどくない)最終戦争があり、元の黙阿弥になった世界が、我々の歴史の先に預言されていることになろうか。つまり、大過去がそうであった
ように、歴史は同じテーマを抱えて繰り返すというのが、古事記預言のあらましなのである。
 

 


 古事記神話解釈・完 

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初稿1978.5 

実践的[スカイフィッシュ]研究

実践的[スカイフィッシュ]研究 

レポート/奥人

ここで取り上げる映像データーは、
当時のUFOビデオ撮影友の会メンバーの
武良信行氏坂本廣志氏ご夫妻、そして不肖森野奥人
ものを用いています。

以下、赤記箇所は最近(2014年1月)追記したものです。

スカイフィッシュは一時騒がれて、いったん鳴りを潜め、また再燃してきたかと思えば、もうどうでもよくなりました。
まこと、うたかたの泡の如しとはこのこと。

しかし、スカイフィッシュを地球古来の生物と考えた場合、見過ごしにできないことが多々あるのも事実です。
ここでは、弊サイト管理人、奥人がUFO/スカイフィッシュ撮影を実際にしながら感じたことなどを元にして、つい数年前まで未知であった生き物スカイフィッシュを、様々な角度から捉えて記事といたしました。
スカイフィッシュ研究に関しては、やはり撮影元ですから、先駆者たろうとするのは当たり前。
そういうわけで、ご覧の読者のみなさん、こんな奴でよろしければ、どうぞ拙い文にしばらくお付き合いのほど。

第一項  スカイフィッシュとはなにか

スカイフィッシュの態様 スカイフィッシュは、アメリカのホセ・エスカミーラ氏によって初めて世に出されました。
命名者は彼であり、別名Rod(棒)とも言っています。
その実、撮影されたものの多くは、細長い「棒」のように写ります。
それは半透明であり、厚みのある中心に沿って伸びる棒状の部分が、やや光をさえぎるようで、
シルエットのようにして写るわけです。

十年前までの一般的なビデオカメラでは、シャッタースピードの調節もできませんでしたから、
その高速で飛び回るものがいっそう間延びして不鮮明に写りました。
しかし近年、その辺の調節がかない、より実際に近いものが写るようになったように思われます。
最近では、高性能なデジタルビデオカメラや、より精巧なプロ用のビデオカメラによって、
その両側にひれのようなものの波打つ広がりが認められています。
国内でも「不思議ドットテレビこれまじ」で、国内最高級機といわれるテレビカメラが用いられ、
六甲山のスカイフィッシュがみごと写されたのは周知のことです。
       ホセ・エスカミーラ氏のRodに関するサイト

スカイフィッシュもUFOに加えられるのか? UFOという言葉。宇宙人が地球外で製造した宇宙船であるという定義がいつしか定着してしまいました。
それというのも、顕著な実感をたたえた金属もしくは発光体として、過去から目撃を受け、また撮影もされてきたからです。
そして真贋論議が生まれ、真贋鑑定に一定のルールが作られるようにもなりました。
思い込みによる報告がなされたり、いかさま的な撮影がなされたからということが、真贋の判定基準をきつくした観があります。
形が判然としなかったり、他の現象で事情が説明つくものはいっさいカット。
目的物の写る前後の状態すらも、いかさまの入る下地がないかどうか調べられてもいます。
しかるに、スカイフィッシュは、すでに書いたような態様ですから、UFOとは認められるべくもありません。
加えて生物というのですから、新しい範疇、雪男やビッグフット、鬼やチュパカブラといったものの属する「UMA」に苦しくも分類されることとなっているようです。
これにより、元あったUnidentified Frying Objectという言葉の意味は、それ自体失われてしまったかのようです。
しかし、空に向けて撮影機材を回す中では、未確認の飛行物体としてUFOだけでなく、スカイフィッシュも、お化け(これもUMAだ)も勝手に写ってきます。
そういうわけで、このサイトの記述も大きく二つに分けて書かねばならなくなってきたしだいです。

昔はスカイフィッシュもUFOとして扱われた? 私は「空を撮影しているとUFOらしきものが写る」と主張するムラ氏に同行して、たまの休みの日などに朝から山野に出向いて撮影にいそしんでおりました。
そして、1993年に彼が撮った映像が六甲山上UFOとして、マスコミ数社から放送されました。
輪郭がはっきりとしており、円盤と目されること、窓らしきものが二つ認められることなどにより、UFOと判断されたもようです。
そのときには、神戸市に在住されていた日本UFO研究会の故・平田会長の後押しもありました。
そのUFOも、巨大さはかなりのものでありましたが、スカイフィッシュと考えられなくもないものでした。
当時はまだしも寛容な良い時代だったといえるかもしれません。
実際にそのどちらであるかはいまだもって分かっていません。
  UFO撮影同道記 
(1994~1997年当時の感動多き時代の記事が主体)

日本のマスコミに取り上げられるようになった経緯 2001年9月1日には、テレビ朝日の「不思議ドットテレビ・これまじ!?」で、ムラ氏が日本におけるスカイフィッシュ撮影の第一人者として取り上げられました。
しかも、世界的第一人者であり命名者であるアメリカのホセ・エスカミーラ氏から、「日本にもすごいのがあるじゃないか」とテレビ朝日スタッフあてに逆指名を受けたというわけでもありました。

それというのも、私の編纂したホームページ「UFOビデオ撮影友の会」の読者の篤志家の方が、放送局に注進されたからであると聞き及んでいます。
実際こうしたことでもなければ、地方の田舎人のしていることが公になることなど珍しいわけで、ネット時代になったればこその感を深めるものです。

また、フジテレビ系のアンビリバボー特番で、本邦はじめて中米の巨大洞窟でスカイフィッシュ撮影さるとの報道を見て、すでにUFO写真としてホームページでムラ氏と私の分をあわせて掲載していたこともあり、これは同じものではないかと、ホセ氏宛てメールを出した経緯がありました。
するとわずか53分後に、当のホセ氏から、「すばらしい!!・・」のメッセージをいただきました。
ホセ氏はただちに世界の読者宛てにメーリングリスト配信してくれ、ホームページのアクセスカウンターが数日のうちに5000以上の増加を記録するほどのありさまでした。もちろん、そのために写真に英語のコメントもつけたりしたもので、何だか下手なホームページになりました。今もその名残りはあります。
とにかく、世界、とりわけアメリカ人の行動的かつフレキシブルな発想に、このときほど感心したことはありませんでした。
以来、ビデオキャプチャー画像のサンプルを幾通りか送ったまでで、それ以上の通信はしておりませんでしたが、どれほどぶりかで、テレビ局経由ではありますが、ホセ氏の音信が聞けた次第。
ホセ氏が、よく思い出してくれたものだと、また一つ感心したしだいです。

スカイフィッシュの捕獲について 目にも止まらぬ猛スピードで飛ぶスカイフィッシュは、どうやらどこにでもいる生き物のようです。
ツチノコのような希少動物、UFOのような目撃困難なマシンとはちょっと違います。
人にその気があれば、またちょっとばかりの忍耐力があれば、またこれは必須ですが、ビデオカメラを買う若干のゆとりがあれば、撮影という形で捕獲が可能なのです。

捕獲するというと、網を仕掛けたり、釣り糸に引っ掛けたりなどと考えている人もいるようですが、そんなことをしたら、どんな目にあうか考えただけでもぞっとします。
ツチノコですら猛毒を持つといわれるように、命と引き換えに捕獲に挑む人もあまたいるようですが、スカイフィッシュの場合はもしかしたら命の一つ二つどころではないかもしれません。
物理法則を度外視した霊体動物??という感もありますから。まあこれは行きすぎた仮説というものでしょうが、何でも初めてのものには注意してかかることがたいせつと思われます。
映像で捉えるだけでよしとしておくことが無難であることは言うまでもありません。

このように私も表現しておりました折、奇遇にも、スカイフィッシュと言われる前からこの生き物と関わってきたことがあると神戸市在住の坂本氏が申し出てこられました。
そしてまさに、非常に危険な生き物であるから、捕獲などと考えるではないとの切実な話をされました。

まあ、諸説紛々としていた当時ではありました。

第二項  スカイフィッシュ研究

スカイフィッシユ研究の現状 スカイフィッシュ研究と言っても、スカイフィッシュを見た人がほとんどいない。
ただ撮影物を見て、スカイフィッシュだと判断しているにとどまる。
その撮影物にも、記録方式や記録媒体の特性による写り込み方の誤謬が考えられること。
こうしたあいまいさがクリアーできるか、もしくは撮影物などによって状況証拠的にスカイフィッシュがいる可能性が認められなくてはなりません。・・・
(1)
また、スカイフィッシュという言葉が登場したのはほんの四年前のことでした。(この記事は2004年当時のものです)
いかに捉えどころのない生き物だといっても、それ以前に先人によって何らかの表現で伝承されていて然るべきです。・・・(2)
むろん、カメラ機材にしか捉えられないというなら別であります。が、人の目に見えず、カメラだけしか有効でないというのは、どうもいただけた話ではありません。
人の目がカメラ機材より劣るなら、なぜ劣るのかが説明されなくてはならないわけです。・・・(3)
私どもは(1)(2)(3)のいずれについても、簡単ではありますが、解答を用意しました。
たとえば、(3)については、メルマガ12号13号でお話した「UFO目撃に関して「見る/見ない」が生じる脳生理学的な原因」が、スカイフィッシュにおいても適用できるだろうと考えています。
すなわち、社会脳による目撃認識の阻害が心理的に行われた結果、「見れども見えない」状況が生まれるだろうというわけです。
そこまで考えすぎなくとも、スカイフィッシュの場合は透明であるに加え、非常に飛行速度が速いため、存在を気配として捉えていても、実在感に結びつかないとも言えましょう。
なぜ透明に近いのか。その原因は後述いたします。

ところが、古代人はこの実在感の薄い生物をリアルに捉えていたことが分かりました。最近出土した遺跡発掘物に、何対かの羽根をもつ蛇のごときものが刻み込まれていたのです。
伝承上、別の名前で伝えられていたはずですが、付帯して描かれていたものが「玉」のようなものであることから、「龍」であろうと、鑑定なさった学者さんは推定されていました。
そして、我々の身近にも、一昨年スカイフィッシュ報道をテレビで見て、なんだこれは先祖から伝えられてきた「龍」じゃないかと申し出てこられた人が同行撮影メンバーともなられました。
先述の坂本氏なのですが、彼は目撃と遭遇体験を重ねてきた人であるといい、その生態についても十分なほどの見解をもたらしてくださいました。
我々はこうして、最も大事な核心を語りうる立場にもなったかと思ったものでした。

撮影地別に例題を検証 研究テーマとして論点が整理できそうなものにつき掲載しています。
視覚に訴えるデーターは、このほかたくさんあります。

六甲山系のスカイフィッシュ 三ノ宮や諏訪山に現れたリアルなスカイフィッシュ・・・(神戸市中央区)(武良氏撮影)

地獄谷のスカイフィッシュ・・・「六甲山」(神戸市東灘区)
飛行アニメはこちら
(奥人撮影)

なぜ六甲山系がスカイフィッシュの穴場なのか。
六甲山系はこれだけしっかりした山塊としてまとまっているわけなので、良好な「気」が豊富であることは言うまでもなく、生き物である限り、心地よさのゆえに住み着くといったことがまず考えられます。
UFOも「気」をエネルギー源としているためか、六甲山系を縦走するように、UFOの通り道ができています。
そのようなところであるに加え、良質な水をたたえた花崗岩質の岩盤であるため、コロニーも形成しやすく、スカイフィッシュの棲家としては最適といった感があります。
六甲山での目撃は、弊クラブの3人、参加者1人の併せて4人がしています。
その見え方もいろいろです。
私は下の画像のように、大きな鮒のような色をしたねじれた感のある物体一体を目撃しました。一瞬のことだったので、感涙ものというより、唖然でした。

もう少し説明はこちら

同じものを坂本氏は二体がクロスするように飛んだのを目撃し、しかも色は青白かったとか。
そこで改めてどの位置に出ていたかをお互い照合したところ、坂本氏は中間の上空だったとのことで、私の目撃位置とは異なること。つまり、私が見たのは坂本氏が見た瞬間よりも0.数秒ほど早い位置のもので、次の瞬間にスカイフィッシュは二匹交差したということのようでした。
私は次の瞬間まで見切ることができませんでした。坂本氏は私の見た位置を見切っていませんでした。お互い、視野の真ん中に捉えられたものだけが印象に残ったというわけです。
これは2003年9月13日のことで、当日は週刊プレイボーイのS記者さんの取材中のことだったのです。(白シャツがS記者)(当時の記録。またその数か月後にたぶん同じものを武良氏が撮影。うっすらと鶏冠が張り出している。成長したようだ)
また、撮影ツアー参加者の女性Sさんは、別の日に五助谷上空において、谷から舞い上がるようにして木の葉がたくさん上がってきたのを不思議に思い見ていると、山を背景にして「(ちょうど熱い湯に水を差したときのような)ゆらぎ」が見えたので、それをたどると、大きなクラゲのようなものの輪郭であることが分かったとのことです。
そのとき、我々は五助谷にコロニー探しに一行6人で降りておりました。坂本氏によれば、クラゲのようになってホバリングする姿勢でいるのは攻撃態勢であり、我々の行動を上空から警戒して見ていたのかも知れないということです。それは2002年11月18日のことです。
(同年10月16日には奥人が撮影。すぐ傍にいた!!)

兵庫県中央部、ピラミッド型神体山周辺のスカイフィッ
シュ
タンデム飛行するスカイフィッシュ・・「小富士山」(兵庫県氷上郡市島町)
飛行アニメ
(奥人撮影)
ファインダー侵入時には一匹だったのが、途中から二匹に別れています。
比翼の鳥とでも言いますか。
実はこのビデオ映像には、二匹のすぐ後ろに小さいのが一匹続いて飛んでいるのが映っています。(テレビ画面大であれば判別がつく)
次代を継ぐ子供の飛行訓練でもしているのでしょうか。

撮影場所は、古くは賀茂氏の所領のあったところで大物主系の祭祀部族にふさわしく、三輪山のように崇拝対象となったとみられる秀麗な山体がいくつもあります。
特に小富士山は等高線からしても、東西南北を意識したかのようなピラミッド状の山であり、特別な祭祀の行われていたことをうかがわせます。
ここでは15分程度の撮影ながら、3回それらしい飛行物体を収録しました。
賀茂氏は古来強力な呪術を執り行うことで、朝廷からも恐れられていた経緯があり、輩出した著名な呪術師にも役小角(高賀茂氏の出自)や安部晴明(賀茂保憲の弟子)がいます。
彼らが使役していたという鬼神や式神とはいったいなんであったか?
目に見えず、時には鬼と映るような実体不明の超自然身とは?
そう考えたとき、スカイフィッシュという生き物を考えてみるのは妥当かと思われます。
役行者が八丈島から毎夜富士山詣でをしていたという伝説があります。
これは坂本氏が、その背中に乗った経験的事実と照らし合わせるとき、「できる」ことであると思われます。
また、安部晴明が橋下に飼っていたという式神の伝説があります。
これは賀茂氏が伝統的にスカイフィッシュの育成法を心得ていて、晴明は実際に飼いならし、摩訶不思議な術の助けにしていたのではないかと考えられます。
遠隔透視のできる坂本氏によれば、小富士山の山体の中腹に洞窟があり、その中に清水の湧き出る泉があって、スカイフィッシュがコロニーを作り易いよう計らわれているそうです。
もしそれが本当なら、賀茂氏は山体を崇めるいっぽうで、術のタネを養成していたことになりましょう。
二匹ペアーでスカイフィッシュがいる場合は、コロニーを守っているのだという坂本氏。
ならば、私がビデオ映像を撮った1994年10月時点には、コロニーが存在していたことになるでしょうか。

さて、古代の伝承に由来を求めてみたわけですが、唇寒し秋の風の観は否めません。

播磨の巨大スカイフィッシュ

風水との関連

山越え跳躍するスカイフィッシュ・・・「石の宝殿」(兵庫県高砂市)
見所・・・峻険な山並みへの潜水飛び込み 玉型UFOとの競演 
現場・・・地元で有名な「竜山石」の採掘場
飛行アニメはこちら
(奥人撮影。別の解説)

たった2分の競演の中には、スカイフィッシュ二匹のタンデムでのニアミス飛行シーンもあります。
このデーターは一粒で二度おいしい、スカイフィッシュ研究には非常に有用なデーターであると確信しています。
その理由は、
①見え方・・・龍もしくは長大な蛇が、山稜ぎりぎりを通過して瞬間移動したように見える
②玉型UFOとの競演・・・龍と玉の伝説さながらである
③その土地の地形・・・風水上の龍脈の通り道に当たる

風水に言う「龍脈」の概念からすると最適と思えるほどに、山や川の配置、地勢の良さは素人目にも一目瞭然のところです。
玄武となる主山高御位山の山塊はまさに亀の形をし、左右の両腕を白虎山、青龍山として伸ばし、朱雀に相当する朝山を南にいくつか配した構図は、まさに四神相応の構図というべきものです。

龍の通り道「龍脈」は、山の尾根伝いに形成されるといいますが、高御位山のさらに北方には高山の巨大な山塊があり、さらにその向こうには古法華の笠松山(太祖山)を開始点とする「龍」(気の塊)を送り出すシステムが備わっています。
私は、1994年10月9日、武良氏に手ほどきを受けながらUFO撮影をはじめて二度目において、龍脈システムの朝山に相当する「石の宝殿」から、やはり朝山である西の山をビデオ撮影中に、まさに「龍」の跳躍ともいえる謎の現象を捉えたわけです。

どうやら、これこそ「龍」と言われる生き物ではないでしょうか。
「龍」は霊的な生き物として考えられることがある以外に、自然現象としての「気」のエネルギーの塊のこととするのが「風水」です。
この二者は同じものではないとしても、どんな生き物でも気の流れの良い場所ならば気分が良いとなれば、スカイフィッシュひいては「龍」は、その自在な飛行能力を駆使して、気の流れに慣れ親しんできたに違いありません。
こうして、生き物としての龍の行動傾向は、非生物である風水の龍脈と重なるという論理が成り立つと思われます。
風水に言う龍脈の観点からすると、最短としても加西市の笠松山にはじまる龍(気の塊)脈は、いくつかの山体の山稜を経て西南西に下り、姫路平野へと下る直前の城山(戦国時代に山城が置かれたことから名づけられる)で大きくヘアピンカーブを描き、高山を中核とする山塊へと入射します。
それは南の高御位山を中核とする山塊へと入射しますが、この山塊はちょうど母が子を抱くような格好の腕の伸ばし方をして、四神相応の構図を醸しています。
この例は、龍脈推定用地形図の左上隅に示すよう、風水上の好所とされている鞍馬山の山塊を中核とした京都盆地を抱く格好の地形にとても似ています。
玄武となる高い山である鞍馬山、そこから腕を伸ばしたように東の青龍山、西の白虎山、そして東山、桃山、飯岡、甘南備山などが朱雀を形成していますが、同
様に高砂の地には、高御位山のふところに抱かれるように鹿島神社や成田山などがあり、溜池が設けられ、東の青龍山に連なる朝山として、石の宝殿の一枚岩山やその南の竜山があります。
いっぽう、西の白虎山の連なりの先の朝山として、5つの小高い山の連なりがありますが、人工造山であると目されます。
山から海へと下る龍なる気の流れは、沿海部において神戸製鋼などの鉄鋼コンビナートの所在と重なり、龍脈の恩恵を受けて発展したことが想像されます。
実際、この日のビデオの中には、高炉の煙突の警告灯の点滅する工場地帯を目がけるようにして突進していく謎の飛行物体が捉えられています。

気の流れすなわち龍脈を伝う龍は、のべつ幕なしに流れているわけではないでしょう。
太祖山に立ち上る霊気がある程度溜まって、臨界に達したときが流出のときと考えられます。
これは一日のうちでそう何度もあるわけではないし、天候などのコンディションによっても発生はまちまちのはず。つまり、不定期な間欠泉のように、龍は流れ出していると考えられるわけです。
このとき撮影されたUFO/スカイフィッシュ(龍)の競演は、長い幕間のとばりを破って、わずか2分間の中に3種類7シーンを見せてくれています。
そのチャンスに遭遇しさえすれば、伝説どおりの玉と遊ぶ龍のシーンも撮影可能なのです。

のんびりした玉と高速飛行のタンデム龍がニアミスを演じるシーンもあります。平面的な映像を見ていると、空にも交通というものがあるというのが認識できます。
山に居つくカラスたちと飛行経路が合致しないよううまく折り合いをつけて飛んでいます。
カラスにはこの現象のことがどう見えているのでしょう。
我々は気を良くして10月14日にもほぼ同時刻に同所で撮影を敢行しましたが、ほとんどボウズに終わってしまいました。
10月9日との条件的な差は、うす曇か快晴かの違いでした。スカイフィッシュ系は曇り加減のほうが良いようです。これは六甲山においても同じです。

自然現象である風水にいう龍の流れに乗って、生き物である龍も動く。
ちょうどサーファーが好適な波の来るのを待ち、それに乗っかるごとく。
それは、誰や彼が命令して従うわけでもなく、ごく自然に彼らの行動すべき条件が満たされたとき、まるで町の若者がサーフィンを楽しむごとくやってくるのでしょう。
彼らは、意思を持ち、面白さを満喫したがる心も持っているようです。
もしかしたら、龍脈の気の塊を引き連れて飛んでくるのかもしれません。
ならば、彼らの性質を理解して、幸運とか心地よさを呼び込むために、「龍」を誘致する設備を整えたくもなるのが人情というもの。それが風水術として今に伝わっている技術ではないか。

いっぽう龍のほうも意思や知性を持っているなら、彼らの航路の先に彼らの姿を収めようとしてカメラを構える者たちがいたなら、彼らの心を察して映ってやろうと思わないでしょうか。
彼らはわざわざ画面に合わせてパフォーマンスを演じてくれたりします。
こうして、勘と忍耐が頼りのカメラマンたちは逢う魔が時のような好運をつかむのです。
この地はそれほどに龍の出現が見られたせいか、古くから石の宝殿の南の山と南西の土地一帯は「竜山」と名づけられて今に至っています。

以前紹介しましたように、宮本武蔵のほんとうの生家もこの近くにあります。目の動体視力を鍛えるのにもってこいの生き物ではなかったでしょうか。
撮影日の1994年10月9日。後から分かったのは、阪神大震災のちょうど100日前ということでした。これも計算しつくした龍のパフォーマンスなのか?
龍の飛んだのが西の山の頂上に沿ってであったなら、地図を辿れば、その方向の延長上には偶然にも震源地、淡路島の北淡町があるのです。
もうひとつ気持ちのよくない話をしますと、瀬戸内の龍を鎮め、海運航路の安全を守るという目的で作られた風水塔とされる舞子の移情閣が、明石架橋に伴い1994年3月から解体されていました。
つまり、この不在の期間中に起きた震災であったというわけです。
ちょうど明石大橋の橋脚の基礎の打ち込みがなされていたことが地殻を刺激したと密かな噂になっていました。瀬戸内の龍の騒乱が天変地異を招いたのでしょうか。
とするならば、龍さえもコントロールしようとする風水は大変な技術と言えましょう。

例題をもとに性質を探る  
スカイフィッシュの性能諸元について 飛行アニメはこちら
(再掲してます。何度もすんません)
ファインダーの中に収まっている距離を地図から割り出したところ、約200mほどですから、秒速1Kmと推算しました。
サイズは、長さ3~7m(写真上は一番小さいときで10m) 幅もしくは厚みは2~3m。
むろん、スカイフィッシュが山稜の尾根伝いに飛んだと仮定しなくてはならないわけですが、1/30秒・コマを再生する再生機にかけて6コマ。1/60秒・コマで再生する再生機で12コマで通過していることから、200mの端から端まで飛びきるのに0.2秒となります。
すると、200m/0.2秒=1000m/secで、秒速1Kmになるというしだいです。
音速の約3倍。それを音もなく、また周囲に飛び交うカラスなどの生態に影響しないように飛んでいるわけですから、いかに生命にやさしく、また周囲の生態系からもなじまれた飛行物体であるかが分かる気がします。
ただ、長さの推定は、このビデオカメラが旧式のものであるため、モーションブラーによる「間延び」を考慮しなくてはならず、正確な値が出せておりません。
幅や厚みについては、シルエットの消えるところまでが羽根の先までとして、距離との比率で大体を割り出しました。
これがスカイフィッシュとするなら、大クラスのものとなるでしょう。
古代的に「龍」と呼ばれても良いタイプのものだと思います。
この飛行地域を「竜山」というのは、古代人の見立てを物語っていると思います。

ただこのデーターは、今まで扱った撮影データーのうち、サイズと飛行速度が理想的に割り出せそうであったために用いたものであることをお断りしておきます。
飛行物体がカメラからどれほど離れていたか分かるとか、あるいは背景との関係から割り出せそうな状況にない場合は、どんな映像であっても性能を測るツールにはなりえません。
飛行物体が、山のはるか手前を飛んでいたならば、以上のような推算も根拠を無くしてしまうわけです。
ところがこの場合だけは、UFOなどとのコンビネーションシーンが前後に撮られていて、明らかに飛行物体の側から彼らの性能諸元を求めるように仕組んできた感があるため、採用しています。

この性能諸元から推測される飛行原理 常態的な観測に掛かるすべがないために、説得力に欠ける仮説にしかなりませんが、物質状態に四相しかないとした場合、その動きからして、プラズマ相の物質状態にある有機生命体であると考えるのが妥当かもしれません。
しかし、坂本氏の体験は、彼らとの接触にまで及んでいますから、そのようなものでないことも体験的に分かっています。
UFOの飛行原理と同じという説もありますが、UFOが一点で一瞬にして進行方向を変えるという保存則を無視した動きをするのに対して、いかに鋭角に進路変更をするとはいえ、必ず角運動量の変化を伴う動きをしていることから、飛行原理の違いは歴然としています。
航空力学的な物理法則を満たした運動をしているわけではないが、スロー再生すれば、少なくとも運動量保存則を満たそうとしているようには見受けられるわけです。
ならば、この飛行原理とは何なのかというわけですが、私は、生き物の多様性が作る「生活時間の刻みの相違」による、「異なる時間経過の同一空間における複在」が原因ではないかと考えます。
つまり、観測者によって固別の時間が我々の空間には幾通りも存在しているのではないかということです。
そもそも、我々は自分の観測する世界だけが全てだと思ってしまいがちです。
それで生活が事足りるからと言ってしまえばそれまでなんですが、生命の形態に応じてそれぞれに観測している時間が違うことも考慮されねばなりません。
たとえば、人も若いときと年老いたときでは、あきらかに観測時間(生活時間)に違いがあります。
原因は神経回路に迂回路ができたり途絶ができたりして、迂回時間を多く消耗しているから、お年寄りは動作が鈍くなってしまうわけであり、若者と同じことをするのに余分に時間がかかっていても、本人の観測時間の刻みがそのようだから、自分では鈍いと自覚しないのが普通なのです。
異種の哺乳類間においてもそれはあります。ゾウの時間とネズミの時間は違うという説を出された学者さんがいました。
心臓の鼓動の回数が寿命を決めること。神経回路の伝達距離がその生き物の観測時間を決めるという説です。
だから、長命なゾウも短命なネズミも、さして経験する時間とボリュームに相違はないというのです。
もしも、プラズマ相でなる生命体がいたとしたら、その神経回路の伝道速度たるや、液体相で化学変化を介して伝道させる我々と比べるべくもありません。
そこに、私の仮説がもうひとつあります。
これは拙時空概念でも述べていることですが、時空は観測者があってはじめて成り立っているのであり、観測者を離れて時空など存在しないとする概念です。
つまり、観測者の個々別々に経験時間も認識形態も異なっていると同時に、観測者の性能に合わせて観測されるべき時空も存在していると考えるわけです。(現代科学はこの考え方を採用しようとしているようですね)
もしさらに、神経回路を形成する基盤になる物質の相が異なっていればどうなるでしょう。
液体相の神経回路で伝達する情報の速度に比べ、プラズマ相でなる神経回路なら、はるかに速いわけです。
これがいかに龍やスカイフィッシュの図体がでかくても、俊敏だという理由になります。
おいおい、プラズマ相の生き物なんかいるの?
それには、どんなところにも生き物はいるんじゃないんですか、と答えるしかありません。
強酸の胃の中にピロリ菌あり、真空の宇宙に宇宙螢あり、深海の最深部の海底からのあぶくの周りにも生命がいるくらいですから。

しかし、スカイフィッシュの経験時間と、経験されるべき時空は、我々人間のそれと自ずと異なっているはずです。
この時間の刻みの差は次のように分かります。
同じサイズの生き物が我々の時間軸を使って潜水飛び込みをかけて水中を進行したとした場合、200mなら10秒ほどだとしてみましょう。
すると0.2秒で完了したときの差は50倍となりましょう。
それが両者の経験時間の刻みの差と考えることができます。
そこから、彼らスカイフィッシュがどういう物質状態で過ごしているか、推測がつくのではないでしょうか。
彼らも、どこの空か海かは知らないが、ゆったりと飛んでいるふうに経験されているとき、彼らの目からすれば、我々人間の動作は、芋虫が匍匐前進するほどにもどかしいものなのかもしれません。
これが竜神、つまり神と人間の性能の差だとすれば、人間は神様にかないっこないわけです。
逆に人間が植物に対してなら、ちょうど逆の立場で見ることができます。
我々は植物を伐採したりしますが、植物にしてみれば、おい神様よ、切らんとってくれよと言ったところで、神さんの我々が植物に意識などあるの?と言っているくらいだから、植物もたまったもんじゃありません。
その点、龍神さんは違います。生命のことをよく知っているせいか、当たり障りのないように飛んでくれているというわけです。
だから、時空の観測形態も違えば、経験されるべき時空が異なることで棲み分けさえもなされているのであり、異なる時間の刻みが同一空間に複在していることさえこの現象は言い表していると考えられるのです。
霊能者によれば、不成仏霊魂の空間も我々の空間に複在しているそうです。
もしかすると、スカイフィッシュは、物質世界と霊世界の中間に位置するミッシングリンクとなる亜空間にいる生物なのかもしれません。彼らは、両方の世界に観測の目を向けることができるため、両方の世界の意向を汲み取って仕事をすることができる。
どんな仕事かといえば、不成仏霊を連れ去るというようなことをしているのではないかというわけです。(坂本説)(彼によれば、このため地獄谷のすぐ下の住吉霊園には迷った霊はいないという。またスカイフィッシュに連れ去られた霊たちは上空のUFOに収容されて運ばれるとのこと。
武良氏はUFO内部で閻魔の裁きがなされるという。その話は坂本氏以前に図解入りで聞いていたので、照合が取れて妙に納得した次第。みんな、霊を持ってるとはいっても自由はないみたいだ。悔いのない人生を生きてくれ)

スカイフィッシュの知性への推測 高度な知性を思わせます。
彼らは、カメラのビューアングルや録画時間さえも考慮するようなパフォーマンスを演じます。
もう帰ろうとする頃に、名残を惜しむのか、よく飛びます。
そのパフォーマンスが、計算された行動と思えるゆえ、我々はUFOであると考えてきた経緯があります。
だが、どうしてもシルエットとしてしか映らないため、UFOは亜空間を飛んでいるのかと考えたり、霊体の類かと考えたり、神霊の「龍」かも知れないとは、1994年の撮影当初から思っていたことではありました。
それを経験的に「龍」であると断言したのは坂本氏でした。
こうして、スカイフィッシュは伝説上のUMAであり、UFOとは別物であることが鮮明になったしだいです。
彼らは、高度な知性を有するということ。これは誰が語ったからというのでなく、撮影物を調べてみれば感づくことです。

古代伝承との整合を図る  
古代の遺物からの考察

龍と玉の伝承

2004年1月に出土した弥生時代の土器の壷には玉であるらしいものと戯れる龍の図柄が描かれていました。当時、龍がどのような姿で捉えられていたかを表しています。
もう少し説明はこちら

その姿はまさに現在我々が撮影している足つき(ひれのついた)スカイフィッシュさながらです。

豊後国風土記には、この地方に天皇が行幸されたとき、従者が泉に水を汲みに行ったところ、オカミがいたので汲むのをやめたという一節があります。
「泉の水を汲ましむるに、すなわち蛇龍(おかみ)ありき。於箇美(おかみ)といふ」
まさに当会の坂本氏のスカイフィッシュ体験そのもの。
ただ、坂本少年はそのときオカミの姿を認めず、水を汲んで飲んだのです。
それがコロニーだったというわけです。
古代には、泉のある場所ではこうした目撃の事例が多かったのでしょう。
だから、見つけたときには、そっと何もせずに引き上げたことのようです。
闘っても勝ち目はないことを経験的に知っていたとも考えられます。

古事記には、その生態を直接感得した表現として、クラオカミ、クラミツハ、ミツハノメといった表現で登場します。それが神格化された形として、トヨタマビメとかシホツチノカミとなってきます。
それは水域であればのことなのですが、山岳地の場合は、神格化されてオホナムチとなります。
日本書紀では、タカオカミとなっています。タカオカミは上空の龍、クラオカミは渓谷の龍、クラミツハは池や海など水系の龍といった感じです。自然神と捉えられたときの表現です。
いずれも、雨などの気象を制御できる生き物として捉えられ、雨乞いの際の主神となります。
それゆえ、上記の土器は、雨乞いに使われたのだろうとのことです。

では、そこに書き添えられる玉のようなものはいったい何でしょう。
ここからは神話に属する話となります。
龍と玉の伝説は多様に語り継がれています。
古事記においては、海幸山幸の段において、海神の宮に行った山幸と夫婦の契りをした豊玉姫として書かれています。豊玉姫は竜神であり、乙姫のこととされます。
譲り受けた呪術兵器としての玉には、海水潮位をコントロールする力ありとされます。
上掲の撮影成果のようにUFOなら、そのようなこともやってしまうのかも知れません。
また、けっこう世界的に共通の下地があったのではないかと推測されるのが、古代の英雄と「飛ぶ蛇」「羽根蛇」「龍(ドラゴン)」への神格化です。浦嶋や安倍晴明の場合は、龍とコンタクトした英雄でしたが、オオクニヌシなどは自ら大蛇(オオナムチ)と関連付けられた神です。そのような例は、中南米の英雄ケツアルコアトルに見られます。(後述)
また、中国には玉と戯れる龍の伝承が数多く伝えられています。
それらの謂れがどこにあるのかたどるとき、実際に龍のようなUMAと玉状のUFOがときおり目撃されていたようなことが考えられます。

神話伝説からの考察

玉と龍
不老不死
ゾロアスター教神話

龍もしくは竜神との関係で見た玉の機能を考えるとき、人の寿命や精力を消長させるものの意味合いで登場しているという共通性が見出せます。
玉は効用すれば不老不死もしくは勢力的発展につながり、呪詛に使われれば老化や衰滅を早めるものとなるのです。
そこには、不老不死という共通項がありますが、玉が不老不死の原因となるというより、龍との関係で不老不死というテーマが成立すると考えたほうが良いようです。
そのようなとき、坂本氏の経験談が大変参考になりました。
スカイフィッシュのコロニーの存在する水溜りの水は甘く、飲めば非常に元気になるだけでなく、持ち帰って病人に与えたところ、難病が治ってしまったという経験をしている坂本氏。
また、彼自身滑落事故によって大怪我をしたにもかかわらず、スカイフィッシュのひげのようなもので触られたら、傷も残さず治ってしまったという話。
途方もない話ではありますが、以上のような古代伝承に基づけば、ありうる気がします。

私は海外に面白い神話伝承があることに気づきました。
ゾロアスター教の神話はゼンド・アベスタという聖典に書かれるのですが、そこにはゾロアスターの再臨による世界建て直しの話があります。
悪神が善神に滅ぼされてのち、世界が建て直され、そのときに人々に与えられる恩恵として不老不死の薬が用意されるというのです。
「これは白ホーム樹という薬木を材料にして調製される。
善悪混交の今の時代において、すでに白ホーム樹は咲いているとされ、それを悪神やその諸類の邪悪な手から守るため、善神アフラ・マツダは「カル魚」という霊食の魚を二匹、白ホームの周りに配備して守らせた」というのです。
その関連記事は、「苗木ゾロアスター教遺跡説」で取り上げましたので、参考にどうぞ。
写真は苗木・丸山神社のフナ岩

ところが、カル魚の白ホーム樹の守り方たるや、二匹の間に外敵を挟んだ状態で、双方の呼気によって真っ二つに切り裂いてしまうというもの。
いっぽう、スカイフィッシュも、模型やイラストで紹介しているように、鋭い二本の歯を持ち、外敵とみなしたものに襲い掛かり、ズタズタに切り裂いてしまうといいます。
それがコロニーを守るときには、二匹の大型スカイフィッシュが、たえず外的の侵入のないよう見守っているというのが、坂本体験であるわけです。
撮影例として、私は少なくとも二回、二匹のタンデム飛行をビデオ収録していますが、二匹一緒に出てきたなら、コロニーを守るためのパトロール飛行であるという坂本氏。
私はゾロアスター教に関する何の予備知識も彼には与えていませんし、彼にそのような前知識がないことも歴然としています。
こうしたことを総合してみると、カル魚とスカイフィッシュはどうやら同じであり、白ホーム樹とは、彼らのコロニーのことではないかと推測されるのです。

役行者も安部晴明も、救世主的要素がたぶんにあります。
そこにもし、いつもスカイフィッシュが関わっていたとするならば。
世界の建て直しに係る救世主の必須要件すらも見出した気がするのは、私ばかりでしょうか。
1. 不老不死の薬のありかを知り、
2. それを守り、侵入を遮っている霊妙動物である生き物と仲が良い人物であろうこと。
つまり、龍と仲がいいとは?
スカイフィッシュと仲がいいとも言い換えられます。
そのような時期に、巷はフライングヒューマノイドの話題で沸騰しましたが、それは半透明のスカイフィッシュに乗った、使役できる人物ではないかと、直感したしだいです。
そのような人物とは??
やはり魔法使いか
あ。

龍は、人類登場をはるかに遡る古代から生態系の頂点に君臨したであろう霊妙不可思議な高等動物。
その知恵を借りるような時がくるなら、どれほど人類にとって意義深いか知れません。

古代呪術師の家系

賀茂氏はスカイフィッシュを使役していた?

神武天皇がやってくる以前から、古来、大和の地にあって秀麗な神体山を信仰の対象としていた部族がありました。それが賀茂氏です。
彼らが崇拝した三輪山と大物主の話は有名ですが、「みわ」とは蛇の意味とされ、空中を自在に飛ぶ蛇が認められていたに違いありません。
特に彼らはピラミッド型をした山に特に意義を見出していたようです。
賀茂氏の所領であった里が兵庫県氷上郡市島町にありますが、市島とは斉き島の転化であり、何かを祭る場であったことを意味しています。
その中央部に一辺250mほどのピラミッド型神体山「小富士山」があり、北方の鴨神社で祭られています。


(奥人撮影)
賀茂氏は山や岩などに神霊が宿ると見る、いわゆる龍蛇神を崇拝していました。
その神の力は、大和朝廷を恐れさせたと古事記にも書かれますが、実質的に龍蛇の実体が動いていたのかも知れません。
それを見事使役することができたのが、彼らだったとすれば。
その生態に精通し、彼らとの会話法などまでもしも知り尽くしていれば、自然と彼らとの交流が図れ、様々な助力が期待できます。
賀茂氏の支流である高賀茂氏から出た役行者は、鬼神を使役したとされます。
鬼神は実際に形相すさまじい鬼として目撃されたともいいますが、大方は目に見えなかったそうです。これは、神出鬼没のスカイフィッシュであったればこそ。
一子相伝の坂本家がそうであったように、伝統的に賀茂氏が龍蛇神となじむ習俗を伝承さえしていれば、コロニーの世話から何から何まで面倒を見る格好で、親密な交流は可能だろうと思われますが、実際はどうだったんでしょう。
役行者が八丈島に流罪となってから、毎夜のように富士山詣でをしたというのも、ありうる話です。
スカイフィッシュがほとんど透明であったなら、それに乗った人間は、単独で浮いているかもしくは飛んでいるように見えるでしょう。

陰陽師安部晴明も賀茂保憲に師事して大陰陽師となりました。
彼は川の橋の下に式神を飼っていたとされます。いやしくも神と名のつくものを飼うとはいかなる不敬かと考えるわけですが、スカイフィッシュだったとすると、なるほどしないでもありません。彼らには十二神将にちなんだ名前も付けられていたんですね。
「イルカの日」という映画がかつてありましたが、ちょうど「スカイフィッシュの日」といった趣が平安時代にはあったのかも知れません。(笑)
スカイフィッシュは直接戦わせれば一匹だけでも一騎当千どころでない働きをするはずです。
坂本氏によれば、戦う時のスカイフィッシュの鳴き声は、イルカのキュルキュルという高い声に似ているそうです。(@@;)

しかし、晴明はそのような用い方より、祟りなす悪霊や怨霊をスカイフィッシュに捕らえさせたり食わせるなどの、人間に害をなす魑魅魍魎の類を滅することに専らとして用いたようです。
坂本氏は最近、霊能のあるY氏とともに六甲の五助谷の展望場に行ったとき、突然岩崩のような大きな音がしてそちらのほうを見たところ、とんでもない斜面に引っかかっている格好の人の姿を見たそうです。
「あんなところに人が・・」とY氏。
ところが、数刻して見ると、もうそこには誰の姿もなかったといいます。
そこで坂本氏は動ずることなく、「あれは幽霊です。寒い時期はスカイフィッシュも活動を控えているため、迷った幽霊が連れ去られずにいて、我々に事故のあったことを知らせているのです」と言ったとか。
死者の霊は、スカイフィッシュに連れ去られて(食べられて)成仏するらしいのです。だから、五助谷の下の住吉霊園には霊がひとつもいないとは坂本氏の言。
そこでゾロアスター教に言うカル魚が霊食という話や、また震災前におびただしい数の謎のロッド状物体が撮影されたことなどが、一連の符合する話題となってくるのです。
大震災や大戦争の起きる地域は、前もってスカイフィッシュがよく撮影されることでしょう。このような宏観観測の方法のあることもご承知おきください。

ナワリズムと羽根蛇の英雄伝説 フライングヒューマノイドについて、アンビリバボーでは、アステカの神ケツアルコアトルとの関連を推測しているもようです。
それは、アステカの遺跡にたたずむ、まるで銃器などで武装するかのような宇宙人的いでたちの神の彫像と、空から飛来するという預言的伝承を重視しているからでしょう。
しかし、むしろケツアルコアトル神そのものとスカイフィッシュの関連のほうが大ありと考えます。
というのは、この神の神殿に残されるレリーフは、頭部だけでも「龍」のそれであり、しかも羽根のついた蛇であったとされているからです。
ではなぜ、神人であって龍やスカイフィッシュなのか。それはメソアメリカに古くから伝承されてきたナワリズムにヒントがあります。
かつて、自分の死んだ先さえコントロールされるのでは困ると、死の直後、イーグルに似た摂理によって自分の意識が食べられてしまう現実から逃れるために、不老不死を目指した人々がいました。
メソアメリカのインディオの間では、トルテカ時代よりも古くから経験的にその術を編み出し、師弟関係を築いて素質のあるものを呪師として養成し、その技法を伝えてきたとされます。
彼らはいちおうトルテックの戦士と呼ばれ、死の摂理からさえ自由になろうとする者でした。(カスタネダの呪師シリーズより)
彼らは修行の最終段階で、断崖絶壁から飛び降りるテストを行い、地上に激突するまでにテレポートするという荒業を敢行したそうです。見た目にはそうですが、本質的には自分の命を維持できる世界を咄嗟に組み立てて、そこに移行するというわけです。
その場合、なりふりかまわず、形態的変化(変態)も受け入れたとのこと。様々な世界を組み立てて試行錯誤するうちに目標を達成するだろうと図った、恐るべき冒険者たちだったようです。
彼らの崇敬する神ケツアルコアトルは、そうした自由のシンボル的な英雄だったのでしょう。
彼ら戦士たちは修行の末、最後にこの世界を離れるときには羽根蛇になったそうです。それが目指すべき英雄の姿だったのでしょうか。羽化登仙とは、まるで中国の仙人みたいです。

ナワリズムに関わったインディオの多くいたはずのコロンビアは、スカイフィッシュ第一発見現場の大洞窟のあったところです。
態的変化を伴う意識の変容の結果、スカイフィッシュになったのだとすれば。
スカイフィッシュは、人の意識が組み立てた、時間経過の速い世界にいる生き物となります。
それがたまたま我々の世界とは空間を複在させている。
彼らは普通に暮らしていても、我々にはスピーディーに見えてしまう。
もしかすると、我々の地球も、誰かが最初に組み立てた世界であり、そこに弟子たちと共に住み着いたのが人類の始まりだったかも知れません。

UFO撮影同道記 (改訂版)

UFO撮影同道記

 2019年改訂版
文/奥人
  1. UFOとの邂逅
  2. 偶然ではない一致の発生を「共時性」という
  3. 斑の年の幕開け
  4. インビジブルUFOとは (An opinion
    about invisible UFO)
  5. UFOと古代霊妙動物・竜
    (UFO&Ancient UMA-Ryu-Dragon)

 

文中赤記は2019年の付加、青記は2002年の付加になっています。
文中M氏とはUFOビデオ撮影友の会の武良氏です。

《UFOとの邂逅》
私は二十五~六年前(26,27歳頃、2019年の今から40年以上前になる)、あるUFO観測同好会、男女10名ほどのグループに同道して、湯の山温泉の近くの朝明キャンプ場でUFOを目撃したことがある。

御在所岳の麓のこの場所はUFOの通り道になっているとの噂で、皆してカメラや望遠鏡などを持って夜9時ごろから観測体制に入った。すると程なく、橙色をした流星のような光芒が出現して消える、という現象が夜空のあちこちで見られるようになった。単なる流星ではないのかという疑念が湧いたが、リーダーはこれがUFOなんですよと言われる。
そのうち私は、頭上を見上げる姿勢の持続に無理を感じ、寝袋に入り横たわって中天を見上げることにした。5分もすると、私は星の瞬く夜空に吸い込まれる印象を持った。それはまるで宇宙に漂っているような気分であり、幸福感を覚え、そこで何たることを思いついたか、心の中で今その辺に来ているであろうところのUFOに向かって語りかけてみたのだ。

すると、わずか1~2秒の後のことだ。私の視野のど真ん中に橙色の三日月状のかなり大きな物体がよぎり、次の瞬間にはあの流星となって、クロスを描くように飛び去ったのである。私は、「あっ」と声を漏らしたものの、騒ぎ立てる心境にはならなかった。えも言えぬ、神聖な気分が熱い感動と共に訪れたからである。

おそらく、このような形のUFOは誰も見たことも撮影したこともないはずだ。
だが、まぎれもなく私の眼前に出現してくれたのである。


この同好会は、UFOの存在を信じ、友好的にすべき存在として疑っていなかった。メンバーの中には、頻繁にUFOを目撃したり、それらしい光体を写している人が何人かいた。その中には、自衛隊員もいて、駐屯地上空にも現れるので、それを撮影したのだと言って、年に何回かその写真資料を基に、展示会まで開いていた。私は彼らの考えを、素直に納得していたから、この時にUFOに向かって何を語りかけたか、おおよそお察しいただけるだろう。

しかし結局、そのときには他の面々に同じものを見てもらえなかったことがわかり、その強烈な体験は自分だけのものとなった。その後といえば、よほどそのときに印象深かったせいか、それとも本当にUFOがメッセージをよこしたものかどうか、夢の中で見上げる夜空に、星間をスイスイ楽しげに泳ぎ回る白球のUFOの群れが出てくるようなことがたびたびあって、格別の印象を深めていた。
そして種明かしをして見せてくれたのが、これまた夢の中で、当時喫茶店などに置かれていたピンポンのテレビゲームのような夜空が出てきて、直線的に現われた白球UFOが真ん中の星にぶつかって「ポッ」と音を立てて反射していったのを見て目が覚めた。そのとき、ああそうなのか、白球UFOは私の脳に映像を投影できるんだと思ったことだった。その後、夢で白球を見ることはなくなり、数年の時が経過した。


ところが、33,4歳頃に、私は精神を落ち着けるためにヨガ瞑想をしていたのだが、当時、ピラミッド瞑想がいいと知り、形と規則さえ満たせばと、園芸店で90cm支柱とゴム粘土を買い、それで小さなピラミッドを組み立てて、その中に枕を置き、寝そべって眉間に意識を集中して呼吸法と瞑想をしていたときだった。うつつと眠りの境界まで行ったとき、なぜ突然そう思ったか知れないが、白球UFOは映像だから、眉間に飛び込んでこれると思ったその瞬間に、なんとあの白球UFOが赤熱しながら高速で目の中に飛び込んできて、視界は中天からの太陽光の光線束のシャワーの降り注ぐ中にあった。これは一大事と、目を開ければ、視界は真っ白の光の中だった。くわーっ、これは気が狂ったかと頭を振って正気に戻そうとすると、光の海は千切れ雲のようになっていき、やがて薄暗い蛍光灯の部屋の光景に戻ったのだった。

(この赤記部分は改訂追加部分である。というのは、2017年になって、コーリー・グッドの宇宙開示情報により、高次元存在・スフィアビーイング(球体存在)のことを知ることとなり、この球体存在とのファーストコンタクトの手順が夢の中で行なわれることを知り(※0)、26,7歳のときの何度かの夢はそうであり、33,4歳のときの瞑想時の脳内スパークのようなことは、セカンドコンタクトだったかも知れないと思ったからである。
2003年頃だったか、世界不思議発見という番組で吉村作治氏の説でエジプトのファラオの太陽神超入の儀式が王の棺室の石棺の中で行われたというCG映像が流れたとき、私の身に起きたことは、ピラミッドの極小ミニチュア版だったとはいえ、これと同じことではなかったのかの印象を持っていたのだったが、とするとファラオも私も、スフィアビーイング体験をしたことになるのではないか。あれはまさに太陽光に匹敵するほどのまぶしさだった。それを古代エジプトでは、ファラオが太陽神を身に帯びる儀式としていたのかも知れないと思ったことだった)

しかし、私は気が狂ったかと拒絶してしまったかも知れず、以後、白球UFOとのコンタクトはなくなったが、2003年になって、UFO撮影仲間に加わった坂本廣志氏が満天の星ほどの白球UFOを撮影して、その存在がけっこう身近であることを知ったのだった。

とにかく、そのとき以来、UFO現象やUFO情報には、とんと遭遇しなくなって、月日は流れた。

ところが、UFOとの新たな邂逅が訪れたのである。それは1994年の秋のことだった。

私がM氏に同道して、UFOのビデオ撮影に出かけるようになった数えて二度目(十月九日)に兵庫県の高砂市の石の宝殿に行った際、遺跡を刻む一枚岩の裏山の上から、西の方の山容を30分ばかり定点観測的に撮影していた中の連続する2~3分間の中に、UFO以外の何者でもない映像を記録していたのである。

いったい、西の方の峻険な山の稜線すれすれをアクロバット的に、秒速1キロもの超高速で音もなく擦り抜けるものがあるだろうか。標準速度で観れば、それはまるで山稜を瞬時に舐め通る蛇そのものであった。

映像をコマ送りして何が起きたか判別するわけだが、物体は葉巻型をしており、ちょうどプールサイドから飛び込み潜水する要領で窪んだ山稜にアタックをかけている、お茶目なイルカといった感じである。

地図に基づけば、画面の端から端まで約150メートルほどあろうか。それを1/30秒・コマの記録密度において5コマですり抜けていた。サイズは20メートルほどか。(1/30秒・コマのコマ送り画像の合成:下図(JPEG40K))
 
その十数秒の後、今度は山の上から、あたかも顕微鏡で観たときの草履虫がプレパラート上を移動するときのように、灰色の曇り空をバックにして、ふわふわと淡く丸い(いや、菱形かも知れない)輪郭をしたものが浮上していくのである。

高速モノを目で追っていたので、この何気ない画面の動きを見過ごしかけるほどだ。透け方と形状からクリスタル型UFOと命名した。サイズは4~5メートルほどか。

それは途中で1秒ほど滞空し、おもむろに発進して不規則かつなめらかな動きをしてみせたところなど、まさに重力制御のUFOそのものといった感じであった。

さらにこのクリスタル型UFOの発進直後に、別の高速UFOが航路にクロスするようにニアミスシーンを展開して、4コマ先で2機に分裂するという映像まで含まれていた。

そこまでが画面内に映っていた時間は約20秒。このクリスタル型UFOはいったん上空に去るが、その後2,30秒ほどおいて2度にわたって(都合3度)画面内に姿を現すのである。つまり、かなり長い間、彼らはこの場所の上空で、私たちのしていることを観察していたに違いなかった。つまり、この約2分は、UFO達によるミニ航空ショー(3種類5シーン)というべきものであったのである。

Jumping UFO, Click to animation page
 

カラー映像だが、UFOの形が淡いので、グレー化し明度を落とし合成してみた。これはいったい何なのか。
画像をクリックすれば、アニメ化したカラー画像と、2分間に起きた一連のショーのあらましをご覧に入れる。

 
 
 

《偶然ではない偶然に見える事象の発生を「共時性」という》

私は、とんでもないことが起きることに戸惑いはしても、自分から何かができたことはあまりない受け身人間である。この時も、UFOと邂逅するきっかけとなったのは、M氏という人物と知り合ったことによるが、偶然の一致というには出来すぎの感のある経緯があった。

もう何年前になるか、UFO観測が機縁で知合った名古屋のK氏に、わけもわからず付いて行った先が尼崎市にあったM氏のお宅だった。その後、何の交流もなく時は経過し、M氏も住居を移していて、そのままならたとえ探そうとしても不可能であったに違いない。
ところが、1994年の秋口に久方ぶりに来訪してくれたK氏は、その道の話をいくらもしてくれたが、その中で彼は、「JUFORAの平田会長の家が近くないか」と言いだした。彼の住所録メモを見ると、車で5分程度のところだった。

(*平田会長は平成十二年になくなられています。
減っていく会員数を嘆かれながらも手作り会誌を作られているとき、
私はコピーや綴じ込みなどのお手伝いをさせていただきました)

こうして、平田会長とはいきなり初対面となり、懇談もいきなり長時間に及んだその中で、M氏の話題が突然出たのである。「最近、顕著な成果を揚げている人がいる」と。彼はUFO撮影を長年行なっていたが、最近になってデーターが提供されるようになり、その中に良いものがあったので報道関係に報せたら、ただちに取り上げられたのだという。それは、’93年のうちに、「六甲山上にUFO現わる」の見出しで、民放5社からテレビ放映、新聞数誌で報道されていた。我々がむかし会ったことのある人物だと申し上げると、「知り合いなら連絡の仲介をしてあげよう」と応じてくださった。

数日後、M氏から電話が入り、ぜひ今まで撮ったUFOビデオを見にきてくれとのこと。住所は意外と近く、車で30分程度の距離であったことから、私はさっそくお邪魔した。彼の部屋には何十巻もの8ミリテープが所せましと積んであった。その中の、いくつかを見せてもらったのである。

はじめの予想は外れた。私はUFOは夜出るものと思っていたのに、昼間に撮られたものばかりであり、得体の知れぬ物体がシルエットのようにして捕えられていた。それも飛行速度が非常に早いので、コマ送りして判別するという。

帰りぎわに、コマ送りやクローズアップなどの地道な編集をして2時間のVHSテープにした特集分をお土産にもらったのだが、その中にはなんと106通りのUFO出現が納まっていた。多くの場合、棒(葉巻)状をしているが、ブーメラン型や二足や四足付き棒状、円盤型など十数種類に分類できた。
  Video shot UFO type. Click to the collections.

1994年11月のイベントパンフレットの抜粋

これ以外に、サインカーブ足付きやカッターナイフ型などがある

UFO(Rods) Click to detail


疑惑は当然起こるものだ。ファインダーの近くを掠めた虫や埃の影ではないかとも思える。しかし、ときおり黒い棒が巨大なビル(神戸の朝日ビル)や看板塔の向こう側を通過していく場合のあるのを見れば、驚かざるを得ない。むろん、すべてがUFOだと断定はできるわけではなく、分析する態度が必要であることは言うまでもない。

M氏は、もしビデオカメラを持っているようなら、一緒に映してみないかと言われる。むろん撮影のための必需品だが、なぜか私には十年も前の出始めの頃に、たいした理由もなく購入したシャープのマイビデオなるポータブルデッキと小西六のカメラのセットがあった。デッキのほうは、日常のテレビ録画用に使って重宝していたが、カメラは二、三度使ってみたきりで埃を被っていた。そのことを話すと、今の8ミリと違って精度はどうかなと首を傾げつつも、きっと撮れるから一緒に行ってみないかということになった。

こうして最初、元のラジオ関西(須磨海浜公園前)の前で撮影を開始し、2時間程でそれらしいものを10回程度捕え(須磨ボウルの看板塔の裏を通過するもの1つを含む)、旧式でもなかなかやれるではないかということになった。そして、二度目には、先にしたような成果が揚がったのである。

UFOは何らかの意図を持って行動しているのだろうか。M氏の数多くのデーターはそれを物語っている。M氏の撮るUFOには大中小あり、形もバラエティーに富んでいるが、小型UFOには小回りの効きを生かしてか、ヘリコプターの周りをからかうように旋回して去るものや、2機編隊で来て分裂したりクロスしたりするもの、果ては針金で輪を作って高く掲げれば(氏はそこまで実験した)輪潜りに挑むものさえ撮られている。

とにかく、彼らはポーズをとりたがるようだ。そのためにカメラアングルや背景を計算している感さえあるのだ。

私が単独で撮影したある日に、こんなこともあった。あるダムを望むパーキングエリアで、三脚にセットして定位置に向けて撮影中に、通り掛かりの人に何をしているのか質問され、話をするうちに、相手のほうがUFO談義に夢中になってしまい、ついつい「あいつ等は(UFOのこと)雲の中に隠れて居ることもできるんやからな・・」と向こうの入道雲を指差して説明しだした。

すると、彼の話がすべて終わらぬ前に、入道雲の先端から(遠いため非常に不鮮明であるが)、棒状物体がポーンと放物線を描いて地上に向けて飛び降りる様が会話の声とともに記録されてしまった。

UFOの行動がどういう意図に基づいているのかは謎である。だが、あの人なつっこさが本物であってくれるならば、たとえ多少の謎を胎んでいてもいいではないかと思っていた。だが、まもなく、いろいろと考えさせられる事態が発生してしまった。
 
 

《斑の年の幕開け》
M氏は私が加わるまでは、ひとりで気の向いたところで撮影するのが常だった。しかし、同行者が加わった場合は撮影頻度が増加することに気付いたという。年の暮にかけて増加し、そのつどよく撮れてきている、複数人でやるとパワーアップするみたいだと報告してくれた。私も多少は頻度を増加させ、UFOもやってくれるものだと気を良くしていた。
M氏は多人数同時撮影の実績に自信を深め、地域のコミュニティーに呼び掛けてUFO撮影イベントを企画し、11月下旬に実施した。

M氏はかねがね、UFOは環境破壊の進み具合を調査しにきているものと考えておられたので、クリーンキャンペーンとして空缶拾いがセットされた。地元ミニコミ誌や駅置きのチラシなどで一般参加を呼びかけた。

当日は平田会長、K氏、コミュニティーのまとめ役ほか数名、地元テレビ局などが参加。過去の実績の上映は屋内のため2,30名ぐらいのまずまずの参加人数だったが、野外での撮影は寒いこともあり、器材の持参者も観覧者も少なく、撮影内容もM氏以外はあわれな結果に終わってしまった。私なども、そうとは断定しにくい一回が記録されたのみだった。その後、一層寒くなったこともあり、私は撮影を休止していた。

そうした1995年1月17日に阪神大震災が起きたのだった。

震災とUFOが結びつくわけはないと思う。だが、私の親の家は神戸市にあって全壊。私は後片付け作業で駆け回り、親とともに随分気苦労した。八百年ぶりに起きたという奇跡的とも言える地震と、その直前の奇跡的なUFOとの邂逅という二大イベントは、私にとって奇跡という糸で繋がった事象であり、その意味するところをどうしても考えさせられてしまう。それで、あくまでも私見とお断わりして、一説を述べさせていただこうと思う次第だ。

何か災いがあると、他人のせいにしたがるのが人間の常というものか。それではなるまいと思うのであるが、神戸市が政策的に自然破壊を積極的に進めていたことを口に出す人は多かった。私も、そういう思いにかられていた。しかし、それは八つ当り的発想にすぎないであろう。神戸市もいつの時点でも認められた有効な手段で市民のためになろうとしてきたし、今は市民救済と復興に一生懸命であり、涙ぐましいばかりである。かつて商才に長けた都市も財政難に陥り、皆して痛み分けをしなければならなくなったという現状が展開している。それでも、非常に多くの人々が、やり場のない悲しみに今なお直面していることは確かなことで、わずかな寄る辺を頼りに自立の道を目指さざるを得ない状況が展開しており、これからもその長い道程は続くことだろう。

それを軽んじるつもりは全くないが、一方、地震発生の午前5時46分という時間が、人的被害を少なくした要因だったことは誰しも不思議に思うところだ。多くの人が活動開始前の待機状態にあった。列車はほとんど動いておらず、車がやがて倒壊することになる高速道路や炎上することになる市街地を埋めたりしていなかった。激震時には真っ暗だった周りも、このわずかの後には夜明けの簿明が訪れ、人々の事態の把握、判断にプラスした。地震がこの時間の数十分、後にも前にも外れてはたいへんなところだった。

またこれがもっと暖かい時期に起きていたらどうなっただろう。各家庭の冷蔵庫の保存物が腐敗し、早く疫病が蔓延していたに違いない。地震前に逃げ出したとみられるネズミなどが、後々長く尾を引いた余震によって戻れなかったため、騒ぎを起こすこともなかった。

むろん地震そのものがなければそれに越したことはなかった。だがもし、どうしても地震発生やむなしとした場合、驚くほどの奇跡があったと言っても過言ではなかろう。

また、被害の大きかったのは、扇状地の軟弱地盤の上に造られた旧市街地であった。戦前の建築を踏襲した古い民家が密集し、車なしでの生活のしやすさ等の理由から、生活力の弱いお年寄りが多く住んでいた。奇しくも若い人たちの多くは、早いうちから山向こうの新興住宅地へ移っていて難を逃れた形になり、死者の70%は六十才以上のお年寄りとなった。残酷だが、この辺に、自然界の摂理の意図を思い知らされた気がした。

このとき、人間界のルールの出る幕は全くなかった。見失われていた自然界の営みの恐ろしさを思い知らされたとともに、その一方で、どこか手加減が用意されていた恐るべき大変災であったと思う。

未曾有の不幸を前に勝手な解釈することをお許し願いたいが、人類を代表して試練を受けているの感も持った。六千人以上の死者を出し、町中は惨憺たる姿となり、二年を経た今も多くの人が苦悩の中に置かれている。その一方で救援と復興支援の手は全国から集まり、残された人々は逞しく、価値観を変えて二周り以上成熟した観がある。様々な恩恵が、これからの神戸に集まろうとしているようにも見える。

こんな大変災があれば、暴動が起きないのが不思議な位だと言った外国人記者がいたとか。細かい嫌な事件も多少あったとは聞く。しかし、犯罪を防いだのは、全国の警察力が投入されたことよりも、私心のないボランティア諸氏が全国から集まって被災地の末端にまで浸透し、すさもうとする住民の心を優しく包んでいたからに他ならない。

我々は、人間にしかできないこの方法で人間の心を癒やし、ひいては困難な試練に打ち克てることを証明したのかも知れない。当面出る幕のなかった人間界のルール、その最たるものとしての政府や国際レベルでの施策その他は、この道に従うべきことを物語っているに違いない。自然は手荒で厳しいが、種の持つ本来の在り方を触発する吉凶混在の斑的側面を持つものなのかも知れない。
ただ、かなり後で気がついたのであるが、震災の日は、あのUFOショーの撮影された1994年10月9日から数えて100日目であった。
縁起でもない話しではあるが。
 
 

《インビジブルUFOとはこういったものではないか》

私は、1995年当時、すでに以下の記事に掲げるところの印象を持っていて、1997年のこの前身になるホームページで取り上げていた。
それが、いま話題になっているスカイフィッシュの類であろうとは、当時夢にも思わなかったことである。
しかし、スカイフィッシュには大小あり、大きなものが以下、龍と表現されるものとして、いにしえ人の感性に捉えられたとしてもおかしくはないと思われる。


私は仕事柄、震災前から不特定多数の人に、UFOがビデオで撮影される現象の謎について話していた。震災後は地震とからめて意見を求めるようになったが、真面目にプラズマではないか、地殻の電位が高まればこうした現象もあり得るのではないかという純科学的な意見がたびたび得られたが、確定的な参考意見はなかった。

そして、今は帯電エアロゾルが、地震直前の異象や発光現象に直接関わっていると言われるようになった。これが何かは私などにはよく分からないが、やはりあの大槻先生のおっしゃるプラズマの一種なのだろうか。

だが我々の写すUFOは、わざわざカメラアングルや背景を配慮して出てくるかのようなことがある。時に我々の想念を読んだかのようなパフォーマンスを演ずることもある。無生物のプラズマや帯電粒子に、そんな知的な芸当ができるものかどうか。経験的に言って、やはり知的生物の関わるものと思われるのだ。

また、UFOのすべてがすべて金属物体であり、宇宙人の乗物である必要があるのだろうか。ビデオのUFOを見るかぎりでは、まるで分子構造の淡い気体のような物質に見える。そして、それはおよそ目撃できない。M氏には時折目撃できるときもあるようなのだが、それも直感的なものだという。

M氏は、どうしても異星人の存在を念頭に置かれていて、金属物体のUFOが物質の存在状態を変えて飛行しているという説明だ。私も自ら奇抜な宇宙論を一案持っていて、この説には賛成である。物理空間にさほど影響されずに高速飛行できるUFOの飛行原理はこれしかあるまい。(★1)

だが、存在状態の変化の結果、我々の物理空間とは、どのような関係になるのだろう。
それは、幽体や霊体と一般的に言われるようなものになるのではないだろうか。

私は学生の頃、幽体離脱の事態に何度も遭遇したことがある。寝ているうちに突然おかしな具合に意識が目覚めると、頭の中でヘリコプターの爆音のような電磁音がし、体はまったく動かせず、いわゆる金縛り状態と言われるものになる。

呼吸ができているかどうかわからないためパニックになるが、目を開けて気を落ち着けた後、腕をわざとむりやり動かすと、肉体ではない別の腕が抜け出て、自分の思うとおり動かせるようになるのだ。

思い込みがそうさせているのかどうかわからないが、ちゃんと触覚などの感覚だってある。さらにその手を自分の見開いた目にさらして見ると視野の周辺部でのみ無色半透明のシルエットのような手、指の輪郭が捉えられるのだ。なぜか視野の中心部では見えない。

それがビデオに映るシルエット状のUFOに、どこか似ているのである。

そこでUFOが霊体、あるいは霊体化して飛行するメカニズムを持つと仮定してみよう。よくカメラ写真では、目に見えないにもかかわらず、心霊が写ることがあるらしいが、それと同様のことがビデオ録画においても起きているのではないか。(★2)

また、UFO撮影中に何かが飛んでいる気配が私にも時折あるが、視野の中心部でしっかりと目視できないために断定しかねていることに気付く。人の視野のうち周辺部では色感が鈍くなるが、そのぶん「別のもの」を感じる機能が本来備わっているのではないかと思うのだがどうだろう。何かの気配で後を振り向いても誰もおらず気のせいと思う場合も、意外と心霊やUFOの接近を視野の周囲で捕らえていたりするものかも知れない。M氏が直感的にしか見えないというのも、納得がいくことである。

もう一つ、つっこんだ見解を言わせてもらえば、我々の体に霊魂が宿るとは、つまり肉体と共に霊体を持つということは、もしかしたら我々が異なる2以上の安定した空間に居所を占める体を持つということではないか。もう一方がアメーバのような不定型な、煙のような存在としてかろうじて観測されるのは、この物理空間においてだけであって、安定した別の存在状態(空間)においては、しっかりとした機械的な体が備わっているものかも知れない。経験的に、離脱した体からすれば、しっかりとした別世界の形態とそれに対する明瞭な感覚が認識できるというわけだから。

言い換えれば、存在状態の異なる空間にある物体が霊体なら、生命体であろうが機械であろうが、存在状態を変える自由度を獲得し、可変に複数の空間に関わる機能を持ったものがUFOなのであろうと思うのである。
 
そういった意味では、単に金属物体の光沢を湛えて、明瞭な輪郭と断続的な機械音のするUFOのみがUFOでなくてはならないという議論や、その部分にのみ真贋の目安が与えられているという今の鑑定のあり方はまったくナンセンスであるばかりか、無視し続けられている非常に多くのUFO現象に対して何の考察もなく、無防備であること自体、非常に危険であると思うのである。

無いものと思い込んでおけば、彼らが何もしないというのだろうか。古来から、なさそうに見える彼らをかろうじて認識して、神(広義の神:全知全能の神から、害意を持ち祟りをなす感情的な神までを含む)として畏怖してきた古代人の警告に、少しは耳を傾けるべきではなかろうか。
 

 

《UFOと古代霊妙動物・竜》
棒状UFOの多い中に、時折二足や四足の足付きの例がある(画像集2を参照::M氏はこの足を動力源から出る力場と説明されている)。私は前出のアクロバットUFOを、山稜を舐め通る蛇と表現したが、それらが生命体であったにせよ、機械船であったにせよ、こうしたものが古代の眼力ある人物の目には、霊妙な動物の姿と映った可能性はある。私は、「竜」や「木霊(樹木の精霊)」や「天狗」などと表現されたものではないかと考えるものである。

広辞苑によれば、「竜」は「水中に住み、神通力を有し、・・胴は蛇に似て剛鱗を持ち、四足。・・自由に天を飛翔し、雲を起こし雨を呼ぶ。・・」という伝説上の動物だ。それは、霊的存在とも言われている。

そして、古老の話によれば、蛇がこの地上に生きるに、山に千年、川に千年、海に千年を、人の目につくことなく生き抜くことを達成したとき、彼は竜になるという。その時、天上からはにわかに巨大な黒雲が現れ、飛翔する竜はそれに覆い隠されるようにして登っていくという。その時、妊婦がその光景を見ると良くないとされるが、我が祖母は、そうした時期にないときに、たまたま丹後半島の海辺にあって、巨大な黒雲の重なりの間から、巨大な爪のついた足がぶらりぶらりと揺れているのを見たという。

そのような竜とは、悠久の大自然を代弁するような存在といって良かろう。それは、我々人間と変わらぬ向上心を持ち、幸福であることを望む心を持っていると思われる。それは、我々には単なる下等動物の思いに見えるかも知れないが、やはり存続する意識であり知性であろう。そして、それはリアルには見えないが、やはり高度な計画性と意図を持って思考し、また活動しているに違いないのだ。それは何も竜にとどまらず、自然界一般の生き物にも言えることだ。

自然界には、ワニの姿をとって身を守るという昆虫のように擬態する生物がいて、どこかで設計し工夫しているユーモアある客観者の潜在を考えざるをえない場合があまりにも多い。これに対して科学ができる解釈には限界があるし、また単に神の造化であると十把一絡げにするのも、短絡的で言い尽くせているものではない。何らかの意識が介在し、種の進化や成り行きに関わっていることをしっかりと捉え直す必要がある。

昔の人たちは、森の老木に斧を入れたら祟りを受けるといった昔語りなどによって、自然に対し畏敬の念を抱き、森を大切にし共存の道を進んできたはずだった。そこでは、森の暗がりとともに、得体の知れぬものの棲む聖域が重視され、森の掟とともに、生命相互の間に交わされた倫理があった。

そうした暗黙の了解事項は科学万能主義によって失われ、人間が自然から受けるべき啓発は途絶えてしまい、自然の啓発から生まれるであろう思いやりの心はいたる所で消え去ろうとしている。その結果、虐待による種の絶滅が日毎に起きているとしたら、かの意識の想いも穏やかであろうはずがない。

恐ろしい新種の病原生物や細菌、ウイルスは、誰が設計し製造するのだろう。
人の激昂しやすさや衝動的行動は、精神の窒息症状だが、大気によって体が生かされるように、「気」によって心も生かされていることを知るべきだ。精神的荒廃を招く気断は、見えないから知られないが、すでに誰かによってコントロールされているとすればどうだ。
人は人同士仲良くするだけでなく、自然とも仲良く共生を図らなければならない。

昨日(いまから数年前にあったタンカー事故のこと。過去の記事をそのまま再現するためこのような表現になっています)もオイル流出事故の報道があった。海洋汚染による環境被害は何年にもわたるだろうと言われている。だが、いずれ被害の程度は金額で換算されて、人の間だけで納得しあうことになるだろう。それは自然界の営みを無視したゲームの世界でしかない。

金による換算は、事態解決の錯覚にすぎないのだが、何もかもそうであることが現代人には不思議でなくなっている。それが平気で無頓着になったとき、先の結果は見えており、人間は地上の正当な管理者としての資格を失ってしまうだろう。もはや遅きに失した感はあるが、地球を任されているという見地に立ち、責任ある管理者としての資質を養うべきである。そうでなければ、大きな地球の立場からすれば、人類とは生命系を蝕むガンでしかないと見なされてもしかたない。ガンは、自らをも殺すことになるを知ってか知らずか、毒を出し増殖をはばからない愚か者。そうなってはならないのである。

人類を含む「種」への思いやりの精神を、まず第一に据え、国際間にルールをうち立て、資質を育成する機関を整備拡充すべきである。あまりにひどい打撃となった大変災は、考えようによっては、反省を促す反面教師ともなりうる。これが意義ある改善のきっかけになるなら、多くの犠牲も浮かばれようとも思うが、そうでなくては何の意味もない。そしてその結果は、同じ過ちの繰り返しと、ついに来る終局でしかない。

M氏はじめ多くのUFO研究者やチャネラーによって、UFO現象と環境問題の関連性が言われているが、その情報源は果たして宇宙だけにあるのだろうか。どうも、太古の地球の深みから沸き上がってくる生命系存続への願いのような気もするのである。

 
 
 
 
ところで、竜の飛翔とおぼしき光景が、’75年頃、JUFORAの平田会長のもとに寄せられていたUFO写真(会誌UFOジャーナル17号の表紙に貼り付けられている。当時、中学生のかたが鳥取砂丘で写したものという)の中にあった。そこには、鎌首と尻尾、長い胴体には剛鱗に似た斑紋が5つあり、頭の先の少し離れた位置に追いかけるべき玉までが黒いシルエットとして写っていたのである。

Ryu appeared on Tottori-sakyu sandhill?
UFOジャーナル17号の表紙のスナッ


撮影者は、この物体の飛行を目撃しなが
ら、撮影したという話だ

 
このUFOの形状に着目して、剛鱗の数を年輪のようなものと仮定したなら、M氏の撮った六甲山上UFO(剛鱗2つ)は若く、さらに石の宝殿のアクロバットを演じたイルカ型UFO(薄くて剛鱗の判別付かず)はさらに若いものとなるかも知れない。また、奇妙なことに、アクロバットUFOの飛んだ石の宝殿の西南の土地一帯が、「竜山」と名付けられているのである。

だが、この地名の由来は、中国の「風水」思想との関連もありそうだ。風水にいう「竜」とは、「気」の流れという、我々の科学では未解明の物理現象とされる。平安京は風水の原理にかなったものであったというが、高砂市の高御位山の山並みに向かい合うこの一帯は、平安京と相似の地形をしている。石の宝殿と竜山は、京都の鞍馬山系に向かい合う桃山の地形と相似の位置にあり、風水上の重要な地形を醸しているのだ。

風水学上の「竜」、意志を持つかのように飛ぶ生命的「竜」、そしてUFO現象が同じものである可能性がある。もしそうであるなら、それを頻発させる特定の地形に、別の空間と相互作用しやすくする幾何学性があるとも考えられる。たとえば、霊の通り道なるものがあり、霊媒体質の人に影響するという。気の通り道なるものがあり、人々の活動力に影響を与えるという。

私はこの日、石の宝殿からの東の方、北の方、西の方と撮影をしたのだが、特に東の方において、南北にほぼ同じ角度で斜めに行ったり来たりする棒状UFOを何度も捉えた。この日、この場所近辺で十数回の出現量のうち、半数がこれで、通り道のようなものができていたのでないかと思ったほどだ。

もしかすると、我々は風水学にいう「竜」を器材で捉えてしまったのかも知れない。ならば世界初の快挙であり、本場中国の研究者にとっても朗報となろう。また、この「竜」の出現回数が、地殻のエネルギーの高まりに比例して増加するふしもある。震災前に記録量が増大したからだ。もしそうなら、地震予知に使えるかも知れない。最小の費用でできる効率良い統計的手法として開発できるに違いない。

大地震の前には、犬が鳴き、鶏が騒ぎ、ネズミが消え去るという。一般的には、彼らが微弱な地電流の異常を感じ取るのだろうと言われているが、実際はどうなのだろう。本当は、天駈ける竜が地上すれすれに飛翔する様を、彼らの視力で頻繁に捉えておびえていたのではないだろうか。人間にはそれが認識できないほどに、特化してしまっているとすれば。そうしたとき、ビデオカメラというメカニズムに頼ることがあっても良いと思われるのである。
 

最近の記録(2002年)
M氏の撮影物に多くスカイフィッシュ種が含まれていることが判明したのは、2000年4月にフジテレビ系で初めてアメリカのスカイフィッシュについて放映されたことによった。私はただちにアメリカのスカイフィッシュの第一人者ホセ・エスカミーラ氏にメールで連絡を取り、こちらのサイトにおける掲載写真を見てもらい、あちらからスカイフィッシュである旨、認められたものである。

ホセ氏はただちに世界に向けてのメーリングリストでこちらのURLを発信してくれ、わずかな日数のうちに1万カウントを突破するアクセスぶりとなった。
それから一年以上たち、ホームページ読者からテレビ朝日に進言があり、M氏がテレビ朝日の「不思議ドットテレビこれまじ!!」で取り上げられることとなるとき、私がホセ氏と連絡を取ったことがある旨番組製作者に告げたため、テレビ局からホセ氏に紹介が行き、「日本でもすごいのがとれているじゃないか」という彼の返事が得られ、番組を盛り上げることとなった経緯である。



 


☆☆☆・・(★)コメント解説・・☆☆☆

★1・・・UFOの飛行原理(私見)
物質の反動を利用するロケットエンジンでは、いかに高出力のものを用意したとしても、相対性理論の壁を乗り越えることはできない。重力コントロールはあり得ても、同様に速度が得られない。ブラックホールの利用などは、利用者自体の解体を招く。物理空間の縛りを越える、存在状態を変える方法だけが可能にするものと思われる。
★2・・・霊世界との接触は1/60秒?
あるテレビ番組で、霊界の光景がビデオ録画される現象が起きているということが報じられていた。それによれば、光景は向こうの世界からの念写であり、その録画は、わずか1/60秒・コマのタイミングの中になされているという。一般向けのビデオデッキのコマ送りタイミングは、1/30秒・コマとなっている。我々は、このタイミングでUFOを追っている。どこか共通性のある話だ。

※0・・・質問者のしたコーリー・グッドへの質問とその回答

はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。
どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。
潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。
これはいかなる場合であろうと例外はありません。
2015年8月22日