てこの原理を知っているトン。学者タイプ。手前にいるのは母猫ウー。
チン、宿敵ブーが飯を食らうのを見張る。
腹減ったか、ぐうたら状態になったチン。
いっしょに歌う猫シャン。シャンとは唱(和)のことだったようです。特定の曲だけですが。
てこの原理を知っているトン。学者タイプ。手前にいるのは母猫ウー。
チン、宿敵ブーが飯を食らうのを見張る。
腹減ったか、ぐうたら状態になったチン。
いっしょに歌う猫シャン。シャンとは唱(和)のことだったようです。特定の曲だけですが。
これからの世、あらゆる生起してくる事象を座視するに耐え難い人々のために、この世の観想法を、もっともオーソドックスに読み書きされている般若心経によって、お伝えいたす所存である。つつしんでお受けなされい。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。
般若心経は、すべて外界の現象と見えるもの、およびそれを観測する五感と認識は、ことごとくが「仮想現実なのであるという」知見に立つことの大事さを説くお経である。つつしんでお受けなされい。
解釈
漢文との対訳表はこちら ⇒ 般若心経 解釈
あるいは 般若心経解釈(電子本) へ。
観自在菩薩が深く瞑想に入り、仏の知恵を見極めようとする時、
五蘊(色・受・想・行・識)のことごとくが、すべてバーチャルリアリティ(仮想現実)であることを、純粋観照意識によって感得した。
(色とは、現象のこと。受とは、感受すること。想とは、思惟し想像すること。
行とは、反応や行為のこと。識とは、それらの情報を総合して認識することを言う)
つまり、五感を駆使して外界を認識するすべての局面が、仮想現実なのだということが、はっきりとわかったというわけだ。
つまり、もともと実体のない世界を、あたかも世界らしく認識しているのが我々であることがわかれば、どんな苦厄からも済度される(救われる)道理であろう。どうだ、舎利子よ。わかるか。
(このお経は、仏の到達した解放の境地を、般若の知恵によって達成しようとするものである)
では説こう。
色(外界)は仮想現実と異なるものではなく、仮想現実は外界(現象)と異なるものではない。
つまり、色(外界)は仮想現実であり、仮想現実が外界(現象)をあらしめているのだ。
受・想・行・識も、またこれと同じく仮想現実なのだぞ、舎利子よ。
(つまり我々は、実体があると見えていても、実は実体のない仮想現実の世界にいるということなのだ。
それを実体あるが如く認識している我々がいるということなのだが、
その認識もまた実体がない仮想現実なのだ)
これはすべてを形作る法則のことごとくが仮想現実の上に成り立つという相(すがた)をしているということだ。
だが、仮想現実世界という実態の背後にあるものは、生ずることなく、滅することなく、
汚れていることも、清らかということもなく、
増えもせず、減りもしないものである。 (これはホログラム上のプログラム(コーディングされたもの)とそれを実行するシステムのことだ)
(初めがどこにあるかも、終わりがどこにあるかもわからないところの、
仮想現実を生み出す原因になる素材がそのようにしてある) ⇒ ホログラム上のプログラム
このゆえに、表に出ている仮想現実の内側(背後)にあっては(プログラムなど仮想現実形成の素になるメカニズムの世界にあっては)、
形作られる外界はなく、それを感得し思惟し行動し認識するというものもなく、
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・体感する・思いをいたす、といったこともなく、
それら五感と思いに対応する作用の要素もなく、
見渡す限りの世界の広がり(宇宙も含む)もなく、
またいっぽう、想像や思惟によって営まれる世界もなく、
この世の無明(闇)と言えるものもなく、
また、無明(闇)の尽きることもない(ようにプログラムされている)、
またいっぽう、老病死やそれに伴う煩悩もそこにはないのであるが、
また、老病死や煩悩の尽きることもない(ようにプログラムされている)、
さて、そこで感じてみなさい。
苦も、苦の原因を知ることも、苦を心の制御で減殺することも、またその制御法や技術すらも(必要)なく、
そのような知識も必要なく、それらを求めようとしなくとも、
つまり特別な精神修養の知識や知恵をまったく持っていなくとも、だ。
悟りを開き、衆生を済度しようとする菩薩衆は、
この(すべて仮想現実であるという)般若の知恵を会得するがゆえに、(般若とは六波羅蜜のひとつ、知恵のこと)
心が自由自在であり、
想いが自由自在で何ものにもこだわらぬゆえに、
恐怖するものが何ものもなく、
いっさいの誤った観念や妄想や迷いから遠く離れており、
究極の涅槃(永遠の平安)の境地にいつもあるのだ。
過去現在未来のもろもろの仏様たちも、
この般若の知恵を会得されているがゆえに、
仏(解放)に至る最高の知恵を得ておられるのだ。
このゆえに、この原理を知りなさい。
これは偉大な神の真理の言葉であり、
これは偉大な光の真理の言葉であり、
これは無上の、これにまさるもののない真理の言葉であり、
これは三世に比肩するべき何ものもない真理の言葉なのだ。
世間のいっさいの苦悩を取り除くことができ、
真の実のある、虚構でないものであるゆえに、
この般若の知恵の真理の言葉を説いたわけである。
では最後にマントラの言葉を説いて聞かせよう。
・・・マントラム・・・
以上が、般若心経という経文である。
注釈
空の捉え方の初歩としては、現象がホログラム像として観測のために与えられていると考えればわかりやすい。
ホログラムが映像投影のスクリーンのように存在して、そこに映像を結んでいるというわけである。
では、像を投影している源は何か。(それがわからなければ、原因不明のままで不完全極まりない)
その源が、空なる現象生起に中心的役割を果たすメカニズムの隠された存在なのであり、
現象が観測されるという意味は、より本質的に捉えるなら、
むしろ多次元ホログラムメモリに書かれた詳密な現象生起用のプログラムが、
超能力コンピューターによってレーザー光が当てられて、
ホログラム素子に記録された命令語のひとつひとつが、
あたかもハイパーチャージされたようにして実行され演算されそれが統合されて、
まとまった観測と認識結果としてアウトプットされているという次第なのである。
このメカニズムないしはシステムは、”現象とともに生起する我々”の観測にはかからないし、永遠に観測されることもありえない。
ただ、卑近であるかどうかといった価値評価のほどは別として、コンピューターというモデルによって思考実験的にシミュレートできることをお伝えした次第である。学究的に考察なされたい方は ⇒ 超宇宙の仕組みモデル概念
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/monoomoi/himegokoro/lz/introduction.html
あるいは
https://p.booklog.jp/book/91316/read
にどうぞ。
愚僧は一介の私度の雲水にてござれば、さらばでござる。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=3Vwl_0uWRLo
手紙を出してから、この子はとてもうれしそうだろ? 私は、きっとこの子は、ぱぱに出会っていると思うよ。現実じゃなくても、夢の中でね。きっと毎晩。
真剣に、そして純粋に神様にお願いして、叶えてもらえないはずがないでしょ。
私は、こんな大人になって、しかもずるいところがたくさんありながら、真剣に純粋に神様にお願いしたときは、必ず叶えてもらってる。
何度も危機があったんだ。人生上の危機がね。私は臆病だから、いつも神様に願い祈った。そうして100%叶えられたんだ。
私の母が死んでから、母のお見送りが質素だったことを悔いて、神様に祈ったときも、即日のうちだった。ホテル全部を借り切るほどの人々による。盛大なお見送りが、夢の中で執り行われて、母はお彼岸のご来光の中に入っていったんだ。
こんなことばかりだから、私が涙するときは、叶えてくれてありがとうという思いがこみ上げてきたときなんだ。
みんながこのビデオ見て、涙するのはきっと、絶対に叶えられもしないのにという、この子のけなげさに心打たれてのことだろう。ちがうんだ。
神様は、ちゃんといて、手紙がくるのを待っているんだ。そして、そうか、では会わせてあげようと、この子を連れて夢の中で、ぱぱにいっぱい抱っこさせてあげているだろう。
私がもし、手紙を受け取る神様だったら、このことはママに内緒だよ、と口止めして、ぱぱに毎晩会わせてあげているだろう。
知らないのは、神様のすごさを知らない大人ばかり。この子には、大きくなってから、もし憶えていれば、ママに話してあげてもいいよと、おまけをつけとこう。
もちろん忘れてもいいんだよ。君の胸には、もうちゃんと私のお守りが刻まれているから。
https://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/01/post_3878.html
無数の葉巻型UFO。これはすごいですね。これがほんとうなら、人為天災が防がれているわけであり、それまでもあったことでしょうし、そしてこれからも、人為的天災は防御されることになりそうです。少なくとも、電磁波を使ったものは、です。
それでもやらねばならない連中は、そこで機械的な工作をしてくるわけです。海底掘削工作船ちきゅうが核を仕掛けて、任意のタイミングを見計らうわけですが、これをもはたしてUFOが防御しうるのかが焦点でしょう。2/7~9は、そうしたタイミングのひとつとなりそうなわけですが、ほんとうにまあ、預言のシナリオ通りに仕事をしたい極悪連中の数と種類の多いこと。宇宙人を人々や権力者の間に幾通りも入り込ませないと、逐一の防御もかないません。
あとまだ、中国の侵略戦争や、日本の経済破綻とハイパーインフレが見込まれており、これらも極悪人為の積み重ねによって起こされるものゆえ、宇宙からの手で、つぎはぎ的に解決できるものなんでしょうか、とても懸念されるわけであります。
さっと、水戸黄門のように宇宙命令の家紋入りの印籠を公衆の前に示して、鎮まれいー、ええい鎮まれいー、と出てきてもらったほうが、安全かつ円滑に事が運ぶように思うんですが、やはりスリルとサスペンスのほうがお気に入りなんでしょうか、と一言揶揄ってみたい私がいたりします。
日本が守られているのは確かなようです。原発事故も、必至とも思えた最悪の事態が奇跡的に免れています。UFOの介入なくしては、この奇跡は語れないでしょう。そのことに心の中で気づいている人も多いのではないでしょうか。
では、そのスリルを与える彼らの目的は何なのか。私は探偵性なもので、深いところまで追求するわけですが、たぶん東電内部の瓦解ではないかと思うのです。いかに東電がああいった人たちの集まりでも、外部大衆の気づきの声や正論に圧され、長期に及べば被爆量も大きなものになることもあって、自己保身からどんどんリタイアする者が出てきて、その中から内部告発がたくさん出てくることになるのではないでしょうか。つまり、ああいった人たちの改心の課程が展望されるわけです。
そして、それが収拾できなくなって、会社が立ち行かなくなる。それが政府にも波及し、政府も内部から瓦解するといったことになるのかと思います。ゆっくりズムの大衆に合わせた形での自浄作用が起きるのではないかというわけですね。
人為天災もない。ましてや自然天災もない。そして、戦争や経済破綻もないとすれば、このまま危ない綱渡りを演じながら、すべてが温存されて、やがては自浄作用によって、瓦解するべきものすべてが瓦解して、この黄泉の国に見えたものが、熟成された肥やしに生まれ変わるといった、ものすごい遠大でかつ収穫の大きい成り行きが用意されているのではないかという話にもなるかと思います。
その間、宇宙人は大衆の被爆を軽減するようにしていてほしいものですが、きっと併せてやってくれているように思いますね。
その宇宙人たちですが、地球外部からの宇宙人であればオンの字。もしも、地球の未来人(神人)ならば、私にとって最高の出来となるのです。その理由は、少しばかり前の記事を見てね。
(実は日本の電力会社は(原子炉立地審査指針(原子力の憲法とも言えるもの)に違反しているんだよ(田中三彦氏)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=b4gm619_qK0
違法の立場からも糾弾できるのに、それができない国民。世を見限った人々の集合だったのか。それゆえ一億玉砕もやむなしとなるのか。今さえ楽しく過ごせたらいいという心はそうやって醸成されてきたんだなあ。未来の子孫からは、今の世代の建てた銅像も立派な墓も、糞を投げつけられ恨みと憎しみを持って破壊されるだけの無駄の長物たろう。どうして葬儀を盛大にやれようか。それもみなどうせ砂漠の下に埋もれるのだ。
我々はそのような光景を第三者的立場から見ていていいのです。ちょうど、一方的に情報がやってくる映画を見ているように。そのとき、見ている立場にいる自分に、ときどき振り返りましょう。そうすれば、忌まわしいシーンの連続にも、気を紛らせられ、心腐らせることはさほどありません。
大丈夫。このサイトと教理を読んでいる読者なら、すばらしい解釈ができるため、なおのこと問題ないでしょう。すべては「空(プログラムされたバーチャルリアリティ)」にすぎないという悟りに達しておられるはずだからです。
解釈は簡単です。要は現実とはソフトウェアの世界なんです。観覧しながらも、即時の対応を迫られる、インタラクティブなゲームソフトの中にいるのです。主人公はあなた。オンラインゲームならば、あなた以外にもどれほどの人がいるか知れないし、まったくいないかも知れないところの共用空間になっているのです。
一億人いるとされている人々は、ゲームソフトが提供する舞台環境でしかなく、ダミーなのです。何度も喩えに出すのはケンシロー。彼一人があなたの操縦するアバターであるときに、ケンシローに立ち向かってくる無数の兵卒はみんなダミーなんです。
ケンシローとて手を出さなければ打ちのめされて、ゲームオーバーになるから、手を出し続けねばなりません。それが生きているということです。生活の糧を得る行為などがそれにあたります。
このゲームでは、いやらしいことに、ダミーの一人一人にも投票用紙がひとつずつ付与されています。しかも彼らは、ゲーム提供者側の意図で動くわけです。主人公がいくら気張っても、世の中がよくならないというのは、ゲームの進行がそうなっているからで、ゲーム提供者側がそのようにプログラミングしているのだから、主人公といえども、ほとんどどうにもなるものではありません。
むろん、狭き門として、主人公には迷路を上昇して、忌まわしい流れから脱出するようにはしてあるようですがね。そんなにうまくいくようにはなっていないものなんです。
よく引き寄せの法則が、自分が主人公であるゆえに成立するのだと言いますね。それはゲーム空間の提供する範囲においてですから、ゲームの流れに逆らってまでのことはまずできません。それを逸脱するような時空分岐には、よりいっそうの熟練と知恵と活力が要ります。むろんあえてゲームオーバーさせる手もひとつとしてありますが、それはみじめですよね。
巷でいうアセンションとは、私は各自レベルでおきるゲームオーバーのことと捉えています。大量アセンションは、大戦争や大規模自然災害で自然におきます。これを大乗的アセンションとでも言いましょうか。
大乗の船に乗れば、共通の導師に従って、みんなおよそ似た世界に至るのでしょう。しかし、その恩恵にあずかれなかった人々は、日月神の言う”地にはいつくばる者”になるわけですが、時を異とした小乗的アセンションをいずれ必然的に迎えることになります。このときは、導師も別人だったりして、また違った世界に至るのではないかと思います。
安部政権。またとてつもなく急進的かつ短絡的な政治体制になったものですが、これも速やかなるアセンションへの導きと思えば、これまた快適な温泉旅行気分にもなれるのではないでしょうか。
この先、2/7~9に全土を揺るがす大地震がなかったとしても、もう少しだけ先には国民が立脚していた日本経済という土台が大揺れして、バビロン崩壊劇を演じ、周辺国がいっせいに侵略してきて、大乗アセンションが起きたりするのです。
日本という国はここで消滅し、諸国の地の王たちからは、ああ、いっぱいいい目(H)させてもらってよかったのになあと、娼婦ぶりが惜しまれることになるのです。その功徳を積んだ国民ゆえ、天国は広く日本人を迎え入れることになるのです。(ダミーは命の書に載らないので該当しませんけどね)
これはむしろ万歳と言える話ではないでしょうか。