Facebook記事のバックアップ ハイアーセルフ論

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12月12日 11:18 ·
私は神という存在はあると思うけど、神という言葉で表したくはないのです。というのも、古事記の神話の神の場合、戦争兵器の形容だったり宇宙人のことだったりしたため、とても崇拝する気持ちにはなれないし、またどの宗教でも大概使っている神の概念にも疑問が沸いてきたりするのです。
むしろ高位自己(ハイアーセルフ)なら、私は直前の記事のコメントの三番目に書いたように、奇跡さえ確信するほどでした。思えば、人生というレコード盤に針を置いた誰かがいるとすれば、我が人生全般に責任を負うハイアーセルフでしょうし、最後に針を上げるのも彼でしょう。
面白くない辛い人生を送る私の苦情を聞き、わかった、では福利厚生としてバラ色でかつ忙しい時空を用意しようとしてくれたのが50歳のとき。また、何度死に損なったことやら。起死回生が何度かあります。
今から5年ほど前に、ひょんなところに載っていた天才バカボンのパパの語録を見て、こここ・これだーと、持った湯飲みをバッタと落とし、小膝叩いてニッコリ笑ったあの日のこと。ここに貼っておきます。
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ハイアーセルフとは、自分を守護すると共に相談相手にもなるもうひとりの自分。ハイラーキーとは私にこういう仕事をしてくれと持ってくるお方といった捉え方をしています。これらは私自身の発想ですが、高位次元では可変性の自由度がありすぎて、分析が不得意なのかも知れず、こちらの世界にいる私などに分析を下請けさせているといった感もあります。その場合は夢見などで現場に連れて行かれて、後で意味と感想を報告させられるといった感じになりますか。得意不得意をそれぞれの領域で持ち分けているのではなかろうか。だから、私の存在も大事なはずだろうなというわけです。

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