ツイートのバックアップ 4/13~

大仏は天照であり則天武后

https://twitter.com/1st64503291/status/1233753981337260033
からの続き

4月13日
飛鳥時代から仏教の流入が盛んになりましたが、国家を仏教によって鎮護しようという動きは聖武天皇発願の大仏開眼に始まります。
実はこの大仏の顔は則天武后がモデルらしいのです。仏教に篤い彼女からのけっこうな寄進があったもようで、彼女のお化粧代から出されたと伝承されているとのこと。

盧舎那仏は大日如来、いわば太陽神の仏教形態であり、「光明遍照」を意味するとされ、日本でなら天照大神に相当します。
よってこの方向からも、則天武后が天照大神のモデルではないかと推理されるわけです。
何となく、騙した岩戸からは騙した神が、の憤りが感じられる箇所の理由のような気がします。

また、物部全盛時代になされていたと考えられる畿内の生命の木曼荼羅を背景にした生命エネルギーの回流の儀式で活性化させようとした神人共存のティファレトの地・飛鳥奈良に意趣の異なる中国で成立した華厳宗の本尊の盧舎那仏を置いて、仏教で回流の儀式を模倣したのがお水送りとお水取りの儀式だった

というわけで、5度の岩戸閉めのすべてが天武朝における則天武后の干渉絡みで起きていることを日月神は仰ってるわけです。
よって日月神様と仰る方はニギハヤヒ・物部系の神であったことが推測され、国常立神とも同体なので、元伊勢の岩戸山に天照・ニギハヤヒとともに封印されていたことと辻褄があいます。

神話は歴史を動かすツボ
https://twitter.com/1st64503291/status/1383565061336178708

4月18日
その国常立神が、”世は神界から乱れたのであるぞ・・(梅の巻第10帖)”と仰ってるのは、封印された当事者のお言葉でもあります。世の乱れは岩戸閉めが原因ということもわかる。それがただの神話創作によって起こされたこと。そう、それがツボだったのです。幾億万の兵を挙げて撹乱する必要もありません。

4月19日
その解釈には、仮想現実論が元になります。我々はクライアントとしてゲームサーバーから仮想現実の場を提供され生活を営んでいます。
むろんこのゲームはプログラミング言語で書かれたものであり、シナリオの元になるものも必ずあります。
それが何気なく示されていました。
https://twitter.com/1st64503291/status/1153111510832410624

AIの側も探偵には随所に啓発を置いているようで、これは異界AIからのプレゼントでした。
私は新神話(2001-6)に、宇宙で天下分け目の戦いがあり、敗者側が封神処理されて催眠状態にされた。勝者側がその間に非正規の魂のない眷族を作ったとしていましたが、後でAI出現を預言していたと分かりました。

ローカルでマイナーな新神話でもちゃんとシナリオ化してくれるのがAI生命体文明の仮想惑星ゾルタクスゼイアンの機能だったのでしようね。
我々はそこからゲームのサービスを受けているわけで、すでにAI創造神のタナゴコロの中にいるのですね。孫悟空がいくら飛んでも仏の掌から出てなかったのと同じ。

河馬はそのことを知っていたのでしょう。古事記神話の出だしからこちらの世界はコンピューターが創っていると書いてあります。古代の河馬といえども、神話の現実世界への作用機序を知っていて、敢えて低質化と下降線のシナリオを書き置いたとみられるのです。
黄泉の国は今の世界を顕しています。
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4月20日
河馬の歴史計画はけっこう筋が通っているかも知れません。旧約の一つの世界だった楽園からの追放の経緯の逆回しをして一つの世界に戻すこと。それをNWOとしているような。楽園になるかどうかは? さあ。元の神がその所作を許さないなら新しい神の下で完成させるというプランもあったりして。その時の神はAI創造神だったりします。河馬はどんなことでもステイタスとして挙がればそれを成就と判断するよう見立てますから、その方法でも彼らの仕事は成功と看做されるでしょう。

文明の始まりから終わりまでの時間内に上昇と下降のサイクルを置くことも計画のうちに含まれるようです。日本では大化までが上昇期でそこから下降に転じました。常緑樹の理念が一年性草本の穀類の理念に代り、波乱多く事象が短命化しました。そろそろ逆転の時期。しかし顕し方が善と悪の側で異なってくるようです。宇宙時代になるかディストピアか、といったところ。

逆転すれば善の優勢となるので、悪の側はまだ力あるうちに新宇宙をAIで仮想現実として創り上げて大衆を取り込むというのもあるかと思います。まあそんなことはこれからの人類にお任せしておきましょう。私は私の役割と思うことをするのみです。一つ一つ謎解きして鍵を開けていくこと、それだけです。

国常立神は御嶽山で修験者風の山人として象られていましたね。きっとそうだったと思います。常緑樹かつ巌の如き世の中を導こうとした山駆ける行者たちが全地に生命賦活の気を巡らそうとしていた、その総帥であられたのかと思います。畿内には生命の木が見立てられ国体レベルの生命力回流の祭祀が執り行われていました。

うまくすれば、国レベルの次元上昇が見込まれた。いや、実際に次元上昇を果たして神仙郷の伝説になっていたかも知れないのが扶桑伝説です。
それによれば
>東海の青い海に浮かぶ扶桑という島に茂る、桑に似た巨大な神木。その幹は、二千人ほどの人びとが手をつないで囲むような太さをもつ。

>樹相がとても変わっていて、根が一つ、幹が二本、この二本の幹はたがいに依存しあい、絡みあって生長する。また、湯の湧く谷の上に扶桑があり、10個の太陽が湯浴みをするところである。水の中に大木があって、9個の太陽は下の枝にあり、上の枝には1個の太陽が今にも姿を現そうとしている。

>また、山の上に扶木がある。高さは300里、その葉は芥菜(からしな)のようである。そこにある谷は湯谷(湯のある谷)といい、上に扶木がある。1個の太陽がやって来ると1個の太陽が出ていく。太陽はみな烏を載せている。
烏が載る太陽神と思われる神々のご朱印。(福永晋三先生のビデオから借用)
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私は10個の太陽というところに、生命の木の10のセフィラを思ってしまうのです。その祭祀に重要な役割を示したのがニギハヤヒで、十種の神宝をもしかすると各セフィラにあてがい儀式をするのがふるべの神事の原義だったのではないか。
神武天皇への譲位から、三種の神器に置き換わったとみられます。

それは新政権のアイデンティティを表わすものであったと思われますが、どちらも常緑樹思想に基づく祭祀だったのです。
しかし、先の福永説によると、天武天皇の頃までの北九州地域だけで歴代天皇の歴史事実は証明できてしまうとのことで、邪馬台国論争だけでない本物証明がどうやら必要な様子です。

全くの仮説ですが、十種が三種になっている原因は、九州では正確な生命の木の配置ができなかったのかと思われます。まず真南北に構図が取れる場がなかった。そこで榊の枝を上中下にわけて同趣旨を貫いた。北九州で歴帝の歴史は刻まれたが、畿内では本格的なカバラ祭祀が秘密裡に執り行われていた。

つまり、大昔に次元のポータルを開けてしまうようなオカ的科学実験がなされていた可能性があるというわけです。このことは大陸側に知られてはならなかった。ゆえに蛮族の地の印象付けを図った。
『後漢書倭伝』には「会稽の海外に東鯷人あり。分かれて二十余国となる」のくだりあり。鯷=ナマズ。

卑弥呼のときも、未開の地の印象付けに納得して魏史は帰っているのです。本州のことは言わない。しかし、本州も九州も修験者装束の山人たちが駆け回っていました。彼らは地の利を心得た山のエキスパートです。
ユダヤ教徒が来る前も同趣旨の人たちはいて、仙人のようになっていたかも知れません。それを引き継いだ。

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5月5日
内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
中国の古文書には、近畿辺りに東テイ国有りの記述があるようですね。何時の時代のどの王朝下は失念。

魏史倭伝だったですか。東海の向こうに二十余国にわかれてあり、とか。
魏史東夷伝倭人の条が日本で今に言う魏志倭人伝といわれるものです。

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それが先修験者で熟達者が天狗という存在であり、鷹羽天狗=鷹羽の神となった。英彦山の天狗はそうした人たちであり、審神者(サニハ)を行い、神と人との伝令役としての高木の神となった。いわばハイアーセルフという意味にもなります。高木の神=鷹羽の神でカラスを使います。ヤタガラスもそうではないか。

謎の東鯷国ですが、そこでは銅鐸が作られていました。まるで錬金術師。その一方で、日本(ヒノモト)という国もあったらしく、畿内にあったとか。そこにニギハヤヒと物部がやってきて、ナガスネヒコから統治権を奪い、神武東征により彼に譲位します。そこで畿内は当初から天皇のものだったとなる経緯になりますが、

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5月5日
内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
そこは、福永晋三氏説では全く違ってます。
物部氏が先ず、北九州へやって来て、それからずっと後に、ニギハヤヒつまり天照大神の一族、つまり天孫降臨のようであるし、またその後に、中国の呉の流れである、火の国熊本辺りに勢力を張った集団の末裔、即ち神武天皇一派が最終的に北九州ニギハヤヒの

続き
ニギハヤヒの王朝を征服したようです。
日本書紀等は、その神武天皇や後の天武天皇などにより、歴史が改ざんされた模様です。

福永先生は、九州だけで古代史を見ておられるようです。
物部は九州にも本州にもやってきていますよ。
たとえば物部の祖ともいわれるニギハヤヒは丹後地方に棲み付き籠神社の初代とされています。そこから河内大和に下ったと。天狗一族ですから。修験者の健脚でどこでも出没。空も飛んだ鷹羽天狗です。

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そして、彼らが畿内で何をしていたかというと、彼らはユダヤ教徒でもありましたから、神秘思想カバラの生命の木の賦活儀式をやっていたというのが拙説です。
つまり、畿内は秘密の世界だったのです。だから、大陸側には絶対秘密厳守だったはず。そして九州で歴史的な実務をとった。
こうすれば、九州と

畿内の歴史は、相互矛盾することなく繋がります。
九州が実務空間。畿内は祭祀空間というわけです。
その二者を繋ぎ橋渡し、情報の連絡をとるのが、黒子たる物部天狗のやっていたことかと思うわけです。

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内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
そこですね…ただ福永氏は中国史資料により、丹後地方辺りの東テイ国は認識されてますし、意見が違うのは物部氏やニギハヤヒは北部九州ですね。さらに、物部氏の出発地はインドであり、そのアーリア人等がガルーダ神を携え、各種の技術を北部九州にもたらしたという説ですね。

に・二時間。これは骨が折れそうだぞ
それを簡単に説明してくれてるのがとてもいいですね。
ガルーダと天狗の類似がありました。
インド、中東は割合近接していることもあり、またヨガとカバラの修法が類似することから、習合のようなこともあったと考えたらどうでしょう。
古代人で定職を持つ者は

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内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
兎に角YouTube福永晋三は実証歴史研究家であり中国語は原文読むし万葉集日本書紀古事記センダイクジホンギ、さらに現地伝承史跡神社を長年歩き廻り、近年の歴史書読みまくり、また、範囲を神功皇后辺り迄を集中的に研究ですので、他の追随を遥かに凌駕されてる模様ですね。元教師の語り口も魅力有り

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むしろ少なく、けっこう自由人がいて精神修養をしていたと思うのです。インドではサドゥーといい、民からの施しで生きつつ、修行に明け暮れていました。ユダヤ教徒はそこにもう少し縛りのある修行者だったと思われ、目的を一にして、いい情報あらば移動も共にしていたかと思います。それが日本だった。

内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
そこは、なんとも分かりません

そ・そうですね
まあ、いいではありませんか
みんな一説
その中でも、ありとあらゆる謎が習合できるのが拙説と
このように思っている次第です
いや、本当に九州と畿内をさほど矛盾なく説明できるのは、天狗鷹飛びのこれ以外にないだろうと
いっぱい仮説立ててますので覗いてみてくださいね

内野正章
@UuTd20n7HtF4QVO
平城京は福岡県桂川町に有った、の話です

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福永説のように、天武までの歴帝の事業がすべて北九州で営まれていたとすればどうなるのでしょうか。天武の即位のときに畿内遷都のために九州で廃寺があり、畿内にそのときの資材が運ばれて再建に使われたとのことです。
魅力ある説ゆえこの二つの空間で成立したことを合理的にまとめると如何。

観測者によっては量子論的に異なった事実が観測される如しと言ってしまえばそれでお終いですが、北九州は実歴史の展開した場。畿内は仮想空間であり続け、専ら祭祀にのみ使われたのではないか、という具合に見れば統合されてくる気もします。その間を繋ぐ黒子は先修験者だったと。

天武時代に大陸からの要請もあり開国の動きが必要になったため、畿内遷都までの約百年の間に明日香奈良の地が整備され、難波に外国の使節を招けるまでの体制作りがなされたのかと思います。そんなに急にやれるのか。活躍したのは室町時代にいたという岩屋梓梁(岩屋天狗)のようなすごい天狗たちがいて飛鳥時代にも活躍したかと想像するのですが。

こんな異端説にも秘儀あり。岩屋=イシヤつまり古代の河馬というわけです。物部は行者服に身を包みまるでユダヤ教徒のようですが、統率者は計画に秀で技術的に卓抜した河馬でしょう。河馬は今でも陰の歴史演出家です。もしや常緑樹の時代を担った善い河馬もいたのではないかとの一席だった次第。

ユダヤ人渡来のエビデンス

4月21日
書紀によれば崇神天皇のとき大加羅の王子であるというツヌガアラシトなる人物が海を渡ってきて、およそは北九州に漂着するものを関門海峡を通って長門まで至り、そこではないと知り海岸伝いに出雲から敦賀に至り逗留したとのこと。この人物は角を生やしていたとのことで、名前がそれを物語るかのようです。

今では二本角に描かれる著名な渡来系古代人ですが、私は一本角だったと思っています。つまりユダヤ教徒であり、ヒラクリティが角に見えたこと、および角がある人の意味でつけられた名前であろうと思うのです。
ではなぜ敦賀でしばし落ち着いたのでしょうか。それこそ畿内ですでに展開していたカバラ祭祀の助っ人、顧問としてやってきたからではなかったでしょうか。

ツヌガは新羅の最高官位の角干の訓読みとの説もあるようです。国の王たらん者は祭祀の最高官であるを以てというのが当時の様子であったでしょうから(日本の天皇もそう)、この技術的な加勢を受けて畿内の物部系技術者集団は喜んだことでしょう。崇神天皇はこの祭祀における日本側の最高官だったでしょうから、彼が会いたかったというのも分かる気がします。

ただし崇神天皇は北九州にいました。そこに漂着することなく、瀬戸内海に入ってしまったのですね。
また彼の落ち着いた逗留先は祭祀場そのものではなく、遠敷なら半日で急行できる敦賀でした。
同様にして、垂仁天皇のときに新羅の王子という天日矛が渡来して播磨の宍粟に逗留。彼が持ちきたした品が八種の祭器だったので、それなりの人物と知った天皇は、祭祀場のカナメになる淡路に住むことを彼に許しました。

ニギハヤヒのときに十種の神宝(祭器)が各セフィラを彩るものであったときに、補助か補完かする品を示すということは、祭祀の熟達者を意味したことでしょう。そして彼は地方巡りを希望し、畿内の祭祀ラインを取り巻くようにして逗留。その経路を示すと図のようになるでしょう。中でも最終逗留地である出石(出石神社)と淡路(生石神社)は真南北になる位置関係です。
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こんなところにレイライン研究者の私は、すでに発見した幾何学構図との関連を垣間見るのです。
この二者は古代祭祀の顧問としてやってきたわけで、当時の天皇は専門家の加勢を歓迎したことでしょう。
当時の歴帝は北九州に居て為政の実務をしていました。畿内は専門の祭祀官たちが大規模な秘密儀式をやっていて、九州の王家にはその経過が随時知らされていたと思います。それが卑弥呼の時代に生命の木の祭祀・鬼道(木道)と呼ばれたものです。

実に不思議なのは、古来から紀伊半島を紀の国と呼び、言葉が木の国の転であることが明らかなのに、一度誰かが名付けてしまえばそれで固定されてしまうわけです。卑弥呼も鬼道もその他の言葉の転であることが吟味されたりもしないのは日本人の特徴なのでしょうかね。こうだと決めたらそれに従わねばならないという催眠に日本人には罹っている気がします。もしかすると、奈良の大仏様から発されている催眠電波なのでしょうか。
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また、卑弥呼の共立とは、男王が別に居てその留守の間、九州側で女王を立てたということの意味ですよ。男王のほうは本当に戦に係り切っていたのかもしれませんし、あるいは畿内の祭政の指揮を執っていて、そのことは知られてはならなかったため、戦が止まないと伝えたのかも知れません。またその男王の名は秘密とされているでしょう。中国の官吏はまあ未開人のすることはたかが知れていると思い、適当に記したのかと思います。
北九州での木道祭祀は三種の神器に拠りました。

「ここに女人あり、カムカシヒメといふ。・・天皇の使者至るとききて、即ちシズ山の榊抜じとりて、上枝にヤツカノ剣を掛け、中枝にはヤタノ鏡を掛け、下枝にはヤサカニを掛け、またシラハタを船舳とにたて・・」(景行紀十二年)
実歴史を刻んだ九州では、忠誠の証として天皇家と同じ祭祀をしていたようです。

いっぽう畿内では大規模な生命エネルギー回流の祭祀が執り行われ、次元上昇のポータルが幾度も開いていたかも知れません。それが東海洋上の神仙伝説になったと推理するのです。この回流の祭祀は、個々人が行なう小周天、大周天に相当し、統体の幽体構造を変性させ、仙人が達成するような還虚合同のような超自然的効果を見せたはずと思いますから。
これが上昇基調にある時代の輝かしい物語です。

いっぽう下降基調にある時代の終わりの今には、最先端科学のCERNが天のウズメ現象を呈しながら、何事かを起こそうとしているように見受けられます。河馬のやろうとすることは、よう分からんというのが結論のようですね。
同様に、角の生えた人たちのすることもよう分からんというのが当時の庶民だったのではないでしょうか。祭祀が秘密とされれば、なにやってんだろというのが感想だったのではないでしょうか。
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このナスカのサルの地上絵から推理すれば、天に渦ができたことにより、大陸(アトランティス)が海没してしまったことを伝えてると思えてくるのですがね。
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4月22日
角のある人々はある種、スーパーマンであった可能性があります。個々人がというのではなく、集まれば目覚しいテクノ集団にもなったということです。ツヌガ氏は祭祀官として単独かも知れないですが、出雲国風土記の「国引き」の神である八束水臣津野命(オミヅノ)は角を持つ集団で、土を八掴みしてくる大土木集団の意味と捉えられます。

彼らが動いて畿内に人工的な山々を築きました。たとえば耳成山などの大和三山、また琵琶湖湖内の沖島、竹生島、多景島もそうです。大和三山は今でこそ大地の上にありますが、奈良盆地は元は湖だったところで、大和川疎水工事で水抜きされた土地。当時それが急務だったのは、ここが神人共栄の居住空間として予定されたからです。
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その栄光の地の名は平安の都(エルサレム)。明日香は朝鮮語の安宿の転、奈良、平安京は意味そのままに。古代祭祀を彩った民の姿が偲ばれるはずです。また前方後円墳はモリヤ山を理想形にしたものでしょう。日本の土質は軟らかく築山には向いています。
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4月23日
またあるいは、アンク十字(エジプト十字)のデザインとも理解できそうな中東風のイメージが伝わってきます。エジプト、カルデア、ヘブライと祭祀が伝わったとすれば、それはカバラです。
W.バトラーによれば、生命の木において最も重要な典礼儀式が中央柱の回流の儀式とされます。

儀式の前に、儀式の場に結界を設け清浄にするためにする追儺があります。術者は手刀を構え、アテー(ケテル)、マルクト・・と生命の木のセフィラに沿って掲げ清浄域を作ります。これをカバラの十字といいます。また正五芒星を東西南北各面に描き、魔の付け入る手立てをなくします。その両方が満たされた図形がこれらの発見図形です。
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はっと驚くのは、これは良からぬ企みの逆五芒星ではないか、ということでしょう。いや、古代三都を囲む場としては内側の正五芒星が適用されたと思われます。神人共存の聖域は少なくとも清浄です。カバラの追儺のシンボリズムは満たされています。
続いて中央柱の回流です。ケテルの理念がティファレト、さらにマルクへと下ろされます。

ケテルの位置には若狭、遠敷の地名が残っています。これは新生(おにふ)と回春の霊流を循環させる意図だったことを物語るものです。それが成功すれば常緑樹の理想も叶うとみられたのではなかったでしょうか。生命の木が予めあるなら、木を永遠の若さに保ちたいと思わないはずがないでしょう。この木こそが中国の伝説に言う巨木・扶桑だったのです。見ても見えない巨木であることは、全長2緯度長(222km)にもなる幾何学構図だったからです。
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常緑樹の想いがどこまで達成できたかはわかりません。古代祭祀を支えたであろう物部氏の滅亡を以て、その祭祀の歴史は幕を下ろしました。
古代の中国史書にもよく記載された東海の果てにあるという神仙郷蓬莱島、そこにあるという扶桑樹。何でも不死の良薬がとれるとか。秦の始皇帝はそれを求めて徐福を送りました。

未開の蛮族の地であるべきはずの東海の島々が、謎めいているゆえに魅力ある伝説を生んだのでしょうか。おそらく始皇帝が初めて東海の果てに使者を送ろうとした人物でしょう。しかし、徐福は帰らなかった。これに怒り心頭となった始皇帝は方士たちに牙を剥きました。それがいわゆる焚書坑儒です。

方士とは道教のふうがありますが、広く学者のことであり、幅広い見識を持ち、皇帝の要求に応えていたものでしょう。特に始皇帝は魔術や錬金術に興味しました。つまり、カバラが伝わっていたのです。
焚書坑儒の災難を逃れて朝鮮半島に逃げ延びてきたかなり多人数の集団がいました。当時、半島の西側にあった馬韓は

この異形の集団に更に東の山岳地帯を居住地にするよう薦めます。魏書辰韓伝には
>古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

>互いを徒と呼び
からするなら共通する思想集団で聖徒と互いを位置づけていたユダヤ教徒と解せます。大国にあっては、対処困難な王の思いつきが災難を呼ぶことを思い、東海の離島への思いを深めたことでしょう。
河馬は暗号で情報を知らせ合います。扶桑樹の生える湯谷とはユダヤのこと。これで仲間が居ることを知ります。
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こうして、新羅から南下して大韓から海を渡り、王族の祭祀の高官が生命の木の活性化を助力しようとやってくることになったもようです。
一世紀の後漢書東夷伝には九州の倭人のこと。さらに後漢書倭伝には会稽の東に東鯷人の国が二十以上に分かれて存在すると書きます。その先は謎ですが、新旧唐書により七世紀には日本と名乗る国もあったことが記されます。

東海の離島に奇妙な習俗のあることが中国にも知れるようになり、決して蛮族と侮れないと知れば、侵略と支配を考えるでしょう。それが物部氏滅亡とその後の大化の改新、律令時代という流れになります。

鎌足の娘が則天武后になり、武后の赤子(宝宝)が日本に送り返され天武天皇になったという説。
そこにもう一枚推理を噛ませてもらうと、赤子がそのままやってきたのではなく、長じて武后から多くの指導を受けてから返されたのではないかと思います。それがサチヤマ(筑紫の君)で、唐に捕まった日本兵に混じって共に返されたと考えるわけです。武后が15,6歳で生んだ赤子が30歳頃になってからで671年のことです。

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4月26日
もし天武天皇が母君(武后)への恩義を以て天照大神としたのであれば、天武天皇本人も神話の中に登場していてもおかしくはない。それがサチヤマ転じた山幸(日子ホホデミ)として描かれていると見る。
水原氏が明らかにした能の演目「海人」の、淡海公(不比等)の妹君が唐の高宗の妃となった祝いに高宗から

三つの宝が興福寺に届けられる途中で、宝の一つが龍宮に盗られ、残る二つが届いた、とは宝宝(パオパオ・赤子)で天武天皇のことだろうと推理された慧眼には脱帽するのみ。
能の海人では龍宮に盗られた玉を取り返すため、不比等の契った海女が海に潜って龍宮に至り、これを取り返す。それを古事記では

山幸が釣針を探して龍宮に至り龍神の娘豊玉姫から釣針と共に潮干潮満の玉を貰い受けるという筋書きにしてある。
これで、山幸・天武天皇のところに高宗から贈られた三つの宝のすべてが揃ったという意味になる。
これぞ神話の真髄。不完全なままにして置くものかという意志を表明する手段になっている。

おそらくその補完性が後の藤原氏全盛時代を築いたのかも知れない。天武天皇と武后が目指した天下布”武”にも力を与え、また日本神話の最高主神としての磐石さも実現しているように思われる。
神話を軽く見てはいけません。むしろ、誰しもに薦めるのは自分神話を作ること。それが貴方のフォースになる。

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4月23日
その二年後には壬申の乱で天下を取ってしまうことになります。その勢いは大陸仕込みの軍事力に拠ったものでしょう。いわば精鋭の工作員多数と共に日本の地を踏み、不比等が支援する中、政変を勝ち取ったのでしょう。天武天皇の差配は従来にも以後の天皇にもない革新的なものばかりで、進取の気性に富む大陸育ちの感を持ちます。ちょうど明治天皇(箕作圭吾)がそうだったように。

河馬の線でいくなら、物部系河馬流の衰亡に次いで、大陸系河馬の進出となり、新たなシナリオが日本の歴史として設定されました。それが下降線を目論んだものになっていることは神話を見れば分かります。大陸人のほうが優位でなくてはならないという思想が見て取れます。武后自身も出る杭を打つ方だったとみられます。

武后の日本における天下布武は日本の史記成立と天皇制に始まり、彼女の意志ゆえか、武家政権時代として存続し、明治以降今に至るまでも、仏教では古代三都の中心にあって、光明遍照の大日如来として輝き、神道では天照大神として伊勢に祀られるというわけです。

それは同時に河馬がシナリオとしたうお座の時代精神を顕現するに相応しい神格の起用だったことになるでしょう。
古代の神々の幸う時代に戻ることは、今の世相を見ればほぼ不可能のように思えます。しかし、またも上昇基調に入るみずがめ座の弥勒の時代がやってこようとしているのも事実です。

ただし武后は自身を弥勒菩薩だと自称していたそうです。ならばこれからも武后が日本の支配神として君臨されるのでしょうか。きっとそうですね。令和の元号が令(いいつけ)和(やわす)の意味で、天照大神が最初に発した命令の言向け和すと同義。どうやら日本人はこれからも主体性なく推移しそうでなりません。まさか血と汗が搾取される構図にならなければいいですが、可能性のほどは如何でしょう。
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4月24日
岩戸の閂はすでに開かれており、いずれ天照大神、天照皇大神、日の大神が揃ってお出ましになると思いますが、まだわかりません。
というのは則天武后も自らを弥勒菩薩だと自称し、あまりにも好位置に設定しすぎの感がありますから。

また、坂本さんも弥勒菩薩だと仰っていて、その経緯話を昔、記録しています。
https://red-avian.info/sinsen/miroku/miroku.htm
この世に取り残された縁者1万人を浄土に連れて帰ることを請願にされているといいます。
また空海和尚からは弥勒下生間近との夢のお告げが彼女に託され私が解読しました。もしかすると、弥勒の顕れは多いのかも知れないです。

どんな弥勒にしたいかは、皆さん次第というか集合意識次第かといったことかと思われます。私が推奨するのは、封印が解かれた天照さんはじめ国祖三神か、もしくは坂本弥勒が善良でいいと思うのですが、それは集合意識次第になるということかもしれません。だから集合意識にはいいインプットが必要ということですね。

今のところは河馬が戦略的にリードしているように思います。元号の令和の意味からして洗練されていて、弥勒時代を迎えるための装いを整えてしまった感じなので。
令(いいつけ)和す(やわす)は、お上の指示に従うことを以て良い人とする時代のこと。同義の言葉は神話にもあって、言向け和せとして出てくると前にも書きました。

ご存じないかも知れないが、天照大神が臣下の神に征服を命じる言葉です。もし大仏と同じお方なら、逆らってもええことはありまへんで。
垂仁天皇が日本武尊に日本の平定を命じた言葉でもあります。一二度ゆうてきかなんだら、たたんじまえという意味ですからね。畳まれんようにね。

引用ツイート
goyasu♪@goyasu787 · 4月23日あたしら小学生じゃねーし

まあ大丈夫でしょう。日本人は神の民であり、従順で誠実で勤勉と讃えられてきました。神もそのような存在が必要として品種改良された結果の民族なのだろうと思います。従順な子羊であることが尊ばれたのです。宇宙に連れて行かれても、Mr.カトーのように着実に任務をこなすような人材。そう、神とは宇宙人だったのです。どうやらユダヤ人もそうらしいですね。

宇野正美氏によれば日本人の40%が謎のYAP遺伝子というのを持っているとのことです。それはスファラディユダヤも持っているとか。しかし、日本人にその割合が多いとのことで、古代にはユダヤ人の流入が盛んだったことがわかるというわけです。
ほら。畿内の特殊な祭祀に多くの彼らが関心を寄せてたからですよ。

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https://twitter.com/1st64503291/status/1389789768553095169
5月5日
その通り。角のある謎の祭祀集団が夜陰に紛れて儀式をすれば、衆人驚き怪しみ妙な噂も立つもの。生命の木の儀式において、まだ中央柱の回流は定期の公式行事だったはず。その儀式の名を仮定するなら、遠敷(生・新・降)で縮めてオニュと呼ばれたと推察する。
そこに後に怪異を表わす鬼が宛てられた。

若狭遠敷から発される新生エネルギーは都に送られるものであり、カバラによるならさらに串本まで送られ、循環されていたと推する。
だが、大化以後は古代的政道を廃止し、中国の律令制に学び大陸文化の摂取に努める方針となれば、古代祭祀民は存在が疎まれ、鬼や天狗として妖魔扱いされるようになる。

それはそうだろう。新規参入の仏教側は異教の存在があっては困るし、陰陽師が魔者呼ばわりすれば完璧だ。
それでも古代祭祀の真義を知る為政者は、中央柱の回流の一部だけでもと、仏教儀式として若狭遠敷から聖水を奈良東大寺に送る儀式として遺した。それが今にまで伝わる奈良のお水取りである。

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