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畿内の幾何学図形からの考察
https://twitter.com/1st64503291/status/1263281684608200704

5月21日
ゲイツが淡路島に別荘? https://twitter.com/JOSTAR_PRODUCER/status/1260859641757483010
ロス茶さんもここに別荘があるとは前からの情報。竹中のパソナも淡路に注目して、県に出資させて土地を買ってるとの話も。何があるのか淡路島?

引用ツイート
JOSTARジョウスタ総数4300本動画公開YouTuberプロコンサルタント厳選tiktokr@JOSTAR_PRODUCER · 5月14日淡路島にビルゲイツの別荘があるらしいです^_^皆さまよろしくお願いします。

ある集会で以上のような発言をしたところ、
するとこんな回答が・・
>邪馬台国が淡路島だからですよ
>アークがあると思ってる
おおっ
そうなのですか

国生みの里・淡路ということですので、邪馬台国が大和のことなら邪馬台国=大和の基点の地=淡路島ということになると思います。魏志倭人伝にいう、邪馬臺國および臺與は、邪馬壹國、壹與で記載されている、とされるように、今では倭人伝の記載も邪馬壹國、壹與(ヤマイ、イヨ)で記されるのが常。

しかし、魏の官吏が略記誤記したなら、邪馬臺國、臺與が本当で、彼は発音を”タィ”と聞いたかも知れませんが、邪馬臺は後の大和言葉表記の”ヤマト”のこととなり、それぞれヤマト、トヨとなります。
そこで、アークがもし淡路にあるとすれば、”伊勢の森”の山中かも知れません。
https://t.co/oh1EwFks9y?amp=1

これはむろん仮説にすぎませんが、というのは、重要な古代幾何学図形のカナメのライン上ということに着目するからで、この図形に関与したと思われるユダヤ教徒が、重要なお宝を隠し置くなら、この規則性に拠るだろうというのが、不肖この異界探偵の推理です。
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さて、アークというのは、不可思議な形をしております。
そこでこんな考察をしてみました。
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この考察画像の中の文の”カル魚”という怪魚については、ここに記載しております。
https://cloudy.悠遊夢想.jp/2009/06/
伊藤義教氏著「ペルシャ文化渡来考」からの転載です。

その中の
>(オフルマズドは)白ホーム(白ハオマ)樹という、不老不死の薬を作るために必要となる木を作った。
ところが、ガナーグ・メーノーグは、この苗木を破壊するために、フラークカルドの深い水の中に、一匹の蛙を作り出した。

>しかし、オフルマズドは、この蛙を遠ざけるためにカル魚なる霊魚を二尾、そこに創成・・カル魚は白ホーム樹のまわりをたえず回っていて、この魚のどちらか一方の頭はいつも蛙に向けられている。彼らは霊食で、食を必要とせず、世界の建直しのときまで奮闘している・・
という。

それが、城主を守る天守閣の番の鯱鉾にもなっており、またそれはインド神話のマカラでもあり、仏教では摩伽羅魚とも書かれたように、伽羅魚⇒カル魚とも似てくることとなります。

古代世界には、二頭の屈強な霊獣で聖なるものを守護するという共通のモチーフがあったようで、それが世界各地の神話の中に形を変化させながらも伝承されているということではなかろうかと思われます。

5月22日
丹後半島は異界の扉があるところか。
私は宮津市生まれのため、丹後の伝承や神話には殊更興味していました。昔からこの地方には幽明の境があるような伝説に彩られています。それは時空の歪みがあるせいでしょうか。ちょっとした弾みに何か不思議現象が起きるような雰囲気を醸しています。

大昔からある異界譚は浦の嶋子(浦島太郎)伝説でしょう。当地には浦嶋神社があり、その近傍には龍宮への穴や、天から直接滝が流れ落ちるような風情の布引の滝があります。
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私の想像では、浦嶋伝説は紀元数百年頃にはよく知られた古代の英雄伝説であったろうと思います。天橋立の籠神社の海部氏第四代の倭宿禰命は、亀の背に乗り鶴の羽ばたきをしながら瀬戸内海を行く神武東征の道案内をしたとのこと。この伝説は南洋ポナペ島にも遺る環太平洋英雄伝説だったろうと思います。

丹後半島も海沿いに西にとると、竹野浜の”土蜘蛛遺跡”のところから見る”依遅ケ尾山”は、まるでシュメールのジッグラートを思わせるような山容です。ジッグラートの頂上には神殿巫女が配され、神の降臨を待ったと伝えられますが、”依遅ケ尾山”もやはり神の降臨を待つ巫女の養成の場だったようです。

これは”依遅ガ尾山”に2000年頃に登ったときの記録です。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/watch/m_ichigao.html

丹後の伊根は異界の扉のあるところ。私は伊根の先祖の菩提寺に関し、マンデラ効果を体験したようです。今そのお寺の名前は”振宗寺”となっていますが、40年前には”振相寺”だったはずなのです。最近改名したのかと思いましたが、沿革では平安時代の創建で、室町時代から”振宗寺”のままとのこと。

40年前に父が亡くなり、死後2日目に父が夢に出てきて、こちらに電話してきている光景がありました。私は「父ちゃん、いまどこに居るの」と聞くと、「いま”しんしょうじ”に居る」と言います。そこで目が覚め、どういうことかと母に聞いてもわからない、いったいなんなのだとなったわけでした。

先祖の墓が伊根にあるため、菩提寺に初めて行くことになり、その玄関で表札に”振相寺”とあったので、母ちゃん、ここのことだ、これなら父ちゃんのした発音にもなるでと興奮し、初対面の住職に夢のことを言えば、住職は笑いながら、ははは、よくあることですよ、とあっさりと交わされてしまいました。

夢で父が受話器を手にしていた黒電話は、赤銅色の丸柱の横にありましたが、丸柱だけは見た通りのものがそこに。が、電話器はなかった。とにかく、父は死後即、故郷の伊根に帰ったことを知ったようなことでした。何でお寺やねん、誰でもまず先祖の菩提寺に行くのかなといった不思議さを感じましたね。

母は私が即日のうちに父を夢で見たのに、なかなか見せてくれんとこぼしていましたが、後日「父ちゃん夢に出てきて、今晩7時からテレビに出るで見てくれと言うとった」と嬉しそう。私は早速新聞の番組欄を見て、これや、サンテレビで「丹後の伊根はパラダイス」ゆうのをやっとるわ、ぜったいこれや。

今晩見ときなよと。私もポータブルデッキで録画予約して仕事に出ました。しかし母は、何ぼ見てもわからんかったと言います。私も後で録画を見て、やはりわかりません。結局、幽霊やから、仕方ないわなあで落着したのでした。
その番組は、伊根の温泉つき別荘地販売業者が打った当時のCM番組で、

半時間の放映を毎週一定曜日にやっていたのです。父は、ハケてましたから、面白いところがあれば飛び入り参加するところがあるのです。しかし、幽霊ではなあ。
その経緯が懐かしくて最近になって調べたところ、振宗寺になっていた。どういうことかと調べたら、室町時代からずっとそうだったとは。

父の臨終後の不思議については、HPにもしています。ただし当時、縦書きにトライしたもので、PCでしかうまく表示できないかもしれません。この制作当時は、まだ振相寺と確信しており、マンデラ効果という言葉もなかった頃でした。
https://rainbow.悠遊夢想.jp/story/chichi.htm

普通なら説明がつかないところですが、パラレルワールドが真相ならマンデラ効果というのがある。そういえば、私は2000年で人生終わるはずだったのです。ところが、別の時空があてがわれたかどうかして移行したため、前の時空と今の時空では、過去の歴史に違いがあるのだろうと思うわけです。

私は昔から仮想現実論者です。こんなところに仮想現実論を是とする現象がありえたことはありがたく、それを如実に体験できたことは、とても稀有なことのように思えます。その意味するところのものは、現実は可変であることです。私は個々人が世界の中心で世界を観測し励起しているという考えです。

個々人が世界の創造主。しかし、限定された仮想世界で大枠のシナリオを与えられて、その中で限定的に創造する創造主です。それゆえ自らの心の性向が限られた範囲で未来を作り、その結果を自ら査収するという、不可思議な環境にあるのが個々人かと思っております。

というのは、1980年代には世界は神が創ったというより、コンピューターが創っているか、もしくは神がコンピューターを使って世界を創造しているといった仮説を立てていたからです。それは今ではこんなふうになっています。
https://t.co/s9NA1NOjCM?amp=1

さて、丹後の伊根には異界の扉があるというのにはまだわけがあります。
それは私の母の幼少期にまつわる都市伝説ならぬ田舎伝説で、五歳の頃に弟と共に異界の生物を目撃したことです。まだ記憶が鮮明なうちにと書き留めたものをHPにし、また電子本にしています。
https://t.co/5FeIa70W75?amp=1

時は1930年頃のこと、”鵺”の目撃場所は伊根町の日出というところで、今は町役場がすぐ近くにあります。母が存命中にいちどそこを訪れて、どのへんで目撃したのか訊きますと、新しい道路が造成されていて、かつてのよすがはないとのことです。しかし、当時住んでいたという場所を示してくれました。
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祖父は山暮らしに習熟していたようで、山を掘ってそこに食糧などを貯蔵していたとのこと。洞穴はそのための快適な環境らしいです。その場所は赤土がむき出しになったまま今もあります。
また祖父は戦時中に、伊根の泊から東に入った野呂瀬の海岸で、塩を得るための海水の塩炊きをしていたようです。

母の話では、海岸伝いに泊から行くことのできない岩場だらけのため、山から海岸に下りる獣道のルートを通り、10センチほどの幅の獣道の絶壁を重い鉄鍋を背負って下りて、そこで塩を作り、収穫のずだ袋を持って上がり、それを売りに行くということをしていたとのこと。

また祖父は土建関係に堪能で、泊湾の防波堤の難工事を初めて成功させたことで地元には感謝されているそうです。日本海の荒れ方はすごく、漁民の漁船の被害も多かったとのことで、それ以来、安心できたようです。その工事の最中におおかた嵐に見舞われ、誰がやっても頓挫していたそうな。
望月弥右衛門

祖母は毎日、海がシケんように祈っていたとのことで、祖母は私の祈りのお蔭だと言っていました。
また祖父は労働者として朝鮮の人たちを使っていたらしいのですが、彼らは日本人が言葉を知らないのをいいことに、祖父を舐めたようにしてサボタージュをしていたとか。

そこで祖母は知恵を絞って、彼らがよく使う朝鮮語を憶えて、聞こえよがしに大声でしゃべったもので、労働者たちはこれはいかんと素直に祖父に従ってくれるようになったとのことです。生きるに必死の時代のおもしろい祖父母の夫婦模様だったようです。

5月23日
その祖父も、当時は致死の病とされた脚気になり、全身がむくんで舌が肥厚して食事がのどを通らなくなり、医師が匙を投げたことも。ところが、祖母が祈る思いで畑になっていたスイカを割って、汁をようやくのこと飲ませたところ、奇跡的に回復したのでした。しかし、歯茎が浮いて上下の歯すべてを失い、

40歳頃から、ずっと歯茎だけでものを食べ、煎餅なども食べて、92歳で大往生するまで入れ歯なしで暮らしました。ただ、発音がくぐもったようになるので、私が子供の頃には祖父との会話は意味がよくわからず苦手だったですね。後になって、祖父はスーパーマンのような人だったと知った次第です。

またその頃、祖父が初めてトマトというものを栽培して、味覚に驚いて失敗させてしまった顛末もあります。https://puboo.jp/book/115293
また祖父は食糧難の時代には、荷揚げ船から荷役が誤って海に落としたこうりゃんの袋を海に潜って取ってくるようなこともしたとか。大変な時代に5人の子供を育てました。

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5月24日
さて、ビルさんがどおして淡路島にも別荘を構えたのかを推理するに、それは図を見ればすぐおわかりかも知れません。たぶんに、こおではないか。彼らはきっと、最後の落ち着き先としてこのシンボルの地を選んだのかも知れません。
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彼は純然たる悪魔崇拝者のようですから、どこまでも付き従うおつもりなのでしょう。かつてのいじめられっ子は、やがてトモダチとしてやってくるという一例かも知れません。

引用ツイート
· 5月15日彼は前世紀のトモダチだったかも20世紀少年 -最終章-https://youtu.be/3kpS8Y8QBFQ>そうだよ、ぼくがトモダチだよぼくは悪者でもいいんだ・・とか

そんなとき、ケンジ君がいてもっと早く心中を察してやれたらよかったろうに。ビルらはみんなを持ち上げるロケットブースターとしてこの次元に残る覚悟でしょう。みんなは、彼らの犠牲により、次元上昇の階梯へと向かう。そのような繰り返しが、何万年もの間に何度も行なわれてきたのかも知れません。

地球の次元上昇を支援しにやってきたブルーエイビアンズなど6次元~9次元密度の生命体は、地球人類とは浅からぬ縁があるとのこと。たぶんその節は、こちらが打ち上げロケットになって彼らは上昇し、こちらは落ちて今があるのかも知れないと思うと、なぜかビルらを哀れに思い赦せる気にもなるのです。

5月27日
ブルーエイビアンズなどは地球人類の現状を見て、次元上昇可能な人の数の僅少さに、その原因が低次元密度宇宙人の妨害にあったことをつきとめ、打開策としてこれから7万年の期間をかけて全員を次元上昇できるように計らっているとのことです。最低7回ほどは文明のリサイクルができそうですね。

それでも見込みができてよかった。なお、そのルートは集合意識に導かれた大乗の方たちの辿る道で、さてこちらは一発でプレローマを実現してしまう小乗・大建て替えのルートにあります。次元上昇という摂理とは関係なく、各人の魂は入場制限により1万年~アソウギ・ナユタ年の矯正治療がありえます。

とまあ、そのように設定している次第です。大乗との世界線の別れは2015年9月23日でした。こちらは少数でプレローマを目指します。そうですね、最初はケーシーとフランクとアテナの三人くらいのものでしょうか。どっかで聞いたことがある?まあ、そのような感じのものです。(笑)

あくまでもロマンを以て現在と未来を見据える異界探偵兼売れない作家爺の面白ストーリー。こうご期待。
さて、先のビルさんたちがなぜ畿内にご執心なのかは、先の隠された地上絵がお眼鏡に適ったからでしょう。平安時代から江戸時代まで京の都が宮廷文化を彩りました。そこには祇園(シオン)があり、

牛頭天王信仰が盛んでしたが、よく見れば牛頭も逆五芒星形をしています。何も悪魔的なヤギでなく、力ある善神の守護下にあることが見て取れます。日本という地は、良いも悪いも西洋では区別するものも、みんな習合して良いものにしてしまう文化の地です。そのような”おもてなし”の心の幸う地か。
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きっとカバさんたちも居心地がいいのかと思います。だからこんな感じかと。

ううぬ、仮面ライダーめ、いまにみちおれ、この紀伊半島の南端には必ず・・基地を作ってみせるからな。ははははは(地獄大使)。ホゲーホゲー(バルタン星人)。
だから日本は安泰なのか。

紀伊半島南端とはご存知、潮岬(締穂)で出雲(地の王国)の地ありで生命の木の根っこに当たるところ。和歌山は紀の国(木のある国)と謳ってあります。ここぞいと吉き処。ゆえに基地を置くという考えは合理的なオカルト思考です。一般人の思いの及ばないカバさん趣味の世界となるわけです。
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なお私はカバ組ではありません。なぜか異界の謎解きをライフワークにしていた自称異界の探偵爺で、上図の発見を1980年代にしております。やっている謎解きを通して、隠蔽されたものや精神の解放と鎮魂をしており、封印解除させてもらった事項がすでに数多あります。

中にはカバさんの参考になった内容もあるかも知れませんが、それはどうぞ、知る者は知れの気持ちになるのも、資金力のいささかも持ち合わせてないからです。時が来てそれに応じた時宜的開示を、どこからかのお役でやっているだけのことと心得ます。
ただ様々な仮説を立てますから、間違いもあります。

間違ったところから出発して、一本気に深化させてしまうこともあるでしょう。しかしそれは私の持った解であり、一人一説としてあの世まで持って参ります。同様にみなさんの一説を尊重し、私から敢えて異論を挿し込むことはしません。もうそのような議論の時間もさほどないようですから。

さて、カバラの諸図形やシンボルが如実になったことから、伝播者について想い馳せないわけには行きません。ユダヤ教神秘思想と言われることから、ユダヤ教徒がもたらしたことは確かでしょう。しかし、彼らの来る遥か前からシンボルは存在しました。その存在をどこかで知った彼らがある時期に日本列島を

目指したわけでしょう。そのことを知る知らずを別として、先にアッシリアに滅ぼされたイスラエル王国にいた民が東の地に平安を求めて旅立ち、日本列島に来て、当時の縄文人と和合して暮らしたかと思われます。
後に新バビロニアが滅び、幽囚に遭っていたユダ王国の民が後追いすることになりました。

なぜならば、先行したイスラエルの十支族とユダの二支族を一本化せよという神の指示があったからで、もし十支族の本流が日本に至っているなら、二支族の本流もそうしただろうからです。前述したように、神と民の間に介在するのがエージェント・カバ組。民族や宗教の集団あらば、識者として必在します。

そこがカバラとカバをリンクさせて考えがちになるのですが、異質のものです。カバラを行ずるユダヤ教徒たちは、神との連携を求め修行する人々です。カバは超古代知の優位性を携えて、人類一般を御する側です。しかし、カバはカバラ行者たちを歴史のシナリオ成就のために使役することもしました。

それが、個人レベルでする修行の域を大幅に超えた、国体レベルの霊的環境のエナジゼーションでした。なぜ畿内に生命の木が象られたか。そこに生命の木をバックボーンにした霊的次元の遷移を意図したものだった可能性を見ます。人工的に次元の上昇を図ろうということではなかったか。

純粋なユダヤ教徒たちには、その企画に賛同し実務に携わった人たちもいたことでしょう。彼らは”おにふ(生・新・敷、発音おにゅう)”と呼ばれる役職名をもらい、国体の生命の木への新生・回春エネルギー賦活の儀式を執り行ったかと。
個人修行の教徒たちは例の修験者装束で聖句を唱え山野を歩きました。

いっぽうカバさんは歴史を前に進める役目のため、エゼキエル預言に沿って全ユダヤの一本化の成就と、神の宮都造りを目指しました。全ユダヤは神の代理の王の支配のもとになくてはならないため、全土全民の征圧をします。平安を求めた種族は蝦夷地に逃れたため、畿内の王はプロパガンダ作戦に。

畿内の中心にエルサレムができる。ここに(イスラエル王国の都)サマリアの皇太子(スメラミコト)ここにありと宣伝します。蝦夷地に逃げた者たちの幾分かはアリューシャン伝いに北米に至り、アメリカインディアンになったかも知れませんが、大部分は夢見る心で事態を見守ったことでしょう。

ニギハヤヒの降臨、神武東征の頃から物部氏の終わりまでの数百年間が畿内の霊的下地の醸成期間になりました。そして、聖徳太子がキリストの再臨と看做されたことから、神の宮都造営の機運が高まります。しかし、カバはそうは問屋が卸しません。蘇我氏滅亡と太子一族の根絶が続きます。

カバが関わるときは、平安の世界にするよりも、成就のステイタスとしてキリスト再臨や宮都造りを演出するものです。天武天皇のとき、藤原京が計画され造営されました。これはエゼキエルの見た神の都の伝承に、中国式宮都の先例が反映していると見られ、後の古代三都の原型にもなっていると見られます。
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この地に平安の都を置こうとしたことは、飛鳥、奈良、平安京の言葉だけでもわかるでしょう。朝鮮半島から渡来人が続々やってきていた飛鳥時代には”安宿(あしゅく)”と呼ばれ、大和言葉や漢語が定着してからはそれなりに。
そして古代三都を満じ終わったと看做された平安時代末期から終末観が漂います。

人々はカバのする急ぎ仕事のことなどつゆ知らず、めまぐるしい歴史の成行きに翻弄されていきます。乱世の観のある武家政権時代に、いよいよ終局がくるのかと宮廷生活者は思ったかもしれませんが、それは日本という限定地域でのこと。地球は広く、まだ歴史の半程未満でしかなかったのです。

5月28日
さて、物部氏の本流が滅び、ユダヤ教文化の移植に限りが出てくると、終了形作りをすることになります。それが「大化」であり、神の宮都の設営であり、そこに大陸文化へのシフトが宮廷の主眼になってくると、過去のユダヤ教色の払拭が始まります。平城京遷都から大陸仏教への置き換えが始まります。

しかし、古色は神社が踏襲して伝統を支えました。いっぽう仏教はこれに並び立つようにして建立が盛んになります。
さて今までのカバラ的新生のエナジゼーションは、職を解かれたユダヤ教徒に代わり僧侶が行ない、若狭遠敷からの聖水を奈良東大寺二月堂で汲み取るお水取り儀式になりました。

この聖水は、バビロニア神話の命の水に由来します。これにより、冥界入りした神の蘇りも可能になるという次第。それを東大寺の廬遮那仏に降り掛けて、仏の威光を呼び覚まそうとしてのことだったでしょう。こうしてユダヤ教色は薄れ、平安期にはバビロニア的オカルトが隆盛してくることになります。

時代を分けた「大化」の立役者には新説が出されています。水原紫織著『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』によると、鎌足の娘が唐に渡り、第三代高宗の妻・則天武后になり、武后(が高宗に嫁ぐ前)の息子が日本に返され、天武天皇になったという大胆仮説です。不比等の姉の子ゆえ、大立者が天武のバックに

つくことになります。
武后は夫の亡き後、夫に天皇に類した称号をつけたため、息子にも天皇を名乗るように促したとみられ、天武が天皇を称した最初とのことです。
また武后はそれまで日本の国名が倭であったものを、日本に変えさせたともいいます。新旧唐書には倭が日本の名を踏襲したと書かれます。

これらのことは、武后が天武に始まる近代的日本統治に”武”姓による一族支配を目論んだ可能性を示します。このため、中国並みの近代的律令国家への道筋もつけられたものかも。再臨したキリストと目された聖徳太子が仏教による統治を奨めたため、仏教文化の流入が促進されることになってきます。

また天武は武后のことを口に出して讃える代わりに、武后自身が付けていた称号から字を抜粋して、天照大神として、古事記/日本書紀の最高主神に据えたらしいのです。記紀の編纂を命じたのは天武天皇という次第ですから辻褄が合います。それが本当なら、一族のなんという結束の固さかと思うわけです。

ユダヤ教的古代政道が改革されたことを以て大化と言うわけですね。これ以降、ユダヤ教徒は過去を知る忌まわしい存在になり、駆逐されることになります。その例が「鬼」や「天狗」扱いです。役行者が仏教系一派の修験道とするまでは、悪事を働く良からぬ存在となりました。鬼はおにふに由来します。

平安期には陰陽道が入ってきました。陰陽師の安倍晴明は都の安寧を図るため、魑魅魍魎や祟り神の祈祷封じをしました。祟り神の主体は金神でした。特に艮の金神を蘇民将来伝承の巨旦大王として悪神扱いしたわけでした。そこにもしかすると、彼は畿内の逆五芒星について知っていた可能性を垣間見ます。

というのは、艮の金神は、古代神の国常立神が地下に封印されて祟り神として世を呪うと考えられた神だったからです。古代神は自然界を司る神族なので、荒ぶる神として天変地異の災厄の原因とされたことは紛れもないでしょう。それに対して五芒星の結界符術で彼は対抗していたのかと思われます。

2014年4月にたいへんなことがわかりました。艮の金神と奥様の坤の金神の封印場所とされる二地点を繋ぐ最短ラインが、かの逆五芒星の星頂である元伊勢内宮の神体山の位置と、ぴったり接することが判明しました。
西洋魔法にいう逆五芒星は、神への反逆を意味する邪悪なシンボルとされます。つまり、
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幾何学図形で一望すれば、確かに古代神に対してなら反逆の封印結界をしていることになるでしょう。そして晴明は古代神を悪神と呼ばわっていることになります。では、古代神を封印してきた者とはなにだったか。それは今なら宇宙人だとわかります。その下にエージェントのカバさんがいるわけです。

ということは、晴明も古代のカバさんだったのかも知れないですね。カバにはシャーマンがあまたいるようですし。しかも、カバラ的幾何学結界を用いる。これはカゴメの結界術の類です。これに神霊は容易に呪縛されてしまうようで、八角多層の風水塔などは好例です。古代神が幾何学に弱いのは、苦手意識

による自己暗示的自縄自縛によるものと見ています。
私はある方から伝授された道満の九字切り術によって、原因である幾何学結界の遺構を破砕いたしました。謎解きで封印の原因を知ることで、まず封印の大半は解けています。そこに破砕術を加え完璧を期しますと、都合3度の施術で験が出ました。

なんだかこの時代になって道満のリベンジをやっている自分がいるようで、誇らしい気にもなります。すると験があった十日後に道満宮司が白装束黄袴で出てこられ、私を神社裏の庫裏に案内して、共に庫裏の鍵を開ける夢を見ました。何かの秘儀を伝授されたことを象徴しているのでしょうか。

芦屋道満も陰陽師でしたから、神社神官もしています。地上界には彼の祭社はないもののようで、芦屋神社(芦屋天神社)が伝承にはないですが、そうではないかと見ています。そこは芦屋市にあり、天の穂日を祀る祭社で、むかし六甲山に降臨したとのことで、六甲カントリーハウス内に降臨地の岩座が存在し、

芦屋神社の奥宮とされています。
道満はカタカムナにも関与があるらしく、彼が蔵書し研究した古史古伝は広くあったのではないかと思われます。また彼の奉祭した祭神は芦屋神社がそうであるように天の穂日ではなかったか。記紀では亜流に置かれた天津神ですが、道満は何か知っていたのではないか。

芦屋天神と初期のころあったように、天神(菅公)を祀る隠し技もあったかも知れません。菅原道真は天の穂日の子孫であるとの話があります。彼は不比等の制作関与した日本書紀に疑いを持ち調査していたらしく、それを知った藤原一族により罠に嵌められたようなのです。古事記は漢字表記の訓読という

一段の暗号化という隠蔽がされていて、解読に手間取る。そこで書紀を調べたのかも知れません。何を調べたのか。それは彼が穂日の末裔とすれば、当時には存在したであろう異伝に伝え聞く、穂日の処遇に関してどのような変更が加えられたかではなかったか。
今の時代になり古史古伝が偽書とされながらも

様々に発見されています。1990年代に私の目に留まったのが、論説「伊勢神宮の内宮と外宮の関係」須田麻紗子著で当時、幾何学構図に伊勢の内外宮位置の果たす意味を調べていたときでした。それが秀真伝の存在について知った最初で、内外宮の成立にもストーリーがあることを知ります。

2000年になってから、知り合った女性が大本教系信者で、ここはまた一段奇妙な神話を伝えていました。国常立神は邪神の計略で封印されたとのこと。おや?ホツマでは円満崩御なのになあといった感触。しかしこの女性、あまりに真剣。何とかしてお救いしたいのだと。これは何かあったのかもな、てな具合。

むらむらと私の探偵性が湧き上がったのも、この女性、異能者でけったいな異界経験の持ち主で、本人の個人的不運の解決者として私を指名してきたのです。それはまるで暗号解読の鍵合わせのような按配で、それが功を奏したか奇妙な験を示したため、彼女は私に国祖神の封印解除の可能性を見たようです。

彼女は国常立神だけでなく天照も封印されていると言い、SF物語にして私に見せました。彼女は天照の妹と言う設定。
国祖神は封印され”煎り豆に花が咲くまでは出れん”という呪詛がされているとのこと。が、鍵合わせで出た験に火の鳥の言葉が繰り返されていて、火の鳥なら煎り豆の蘇生など屁でもない。

というわけで、私が見込まれたのかと思います。私も何とかして差し上げようという気になるのも、根が単純だからでしょう。こうしてそれから十数年たった2014年にそれが叶った次第。なんのことはない。1990年頃に見つけた逆五芒星に国祖神の封印ラインを合わせれば原因と解決策が見つかったわけでした。

幾何学構図がそれを示していたのですから、これは宇宙からの鳥瞰的立場を得た者の仕業。封印したのは、宇宙人やその側に立つカバのコンビということになります。彼女のSF物語でも謎のインベーダーの仕業としていて、それも正解。そして最近では、コーリー・グッド情報が出て、本決まりとなりました。

後付けで出てくる証拠と神話から辿る政変の真実
https://twitter.com/1st64503291/status/1266121372385767424

5月29日
ちょうど朝鮮王朝史の創作話トンイを彷彿とさせました。王室の規律を超えての恋愛劇に誰しも心打たれましたね。そのストーリーに似ている展開が瀬織津姫でした。ところが、トンイは他の妃に対して謙虚で、政変首謀者のヒビンにも寛容なのに比べ、瀬織津姫は世間的好評の割には持子早子には冷酷無残。

トンイは早生まれのヒビンの子を先に王位を相続させますが、首謀者持子の子の穂日はその咎で天照の第一子でありながら、相続資格を剥奪され国津神のもとに左遷されるといったことになります。記紀はそのような力ある女神ゆえに天照大神として天津神の最高主神に据えたかも知れません。

トンイに似た瀬織津姫像を描くホツマゆえに、ホツマ物語の原点は何かと、トンイの制作者が何を参考にしたのかを見ると、李氏朝鮮王朝史のようでした。が、それは1392年に始まるので、律令成立期の日本には当てはまりません。しかし、李王朝は何も朝鮮だけではなく中国にもありました。

唐の高祖李淵に始まる李氏王朝で、これなら紀元600年代ゆえ、可能性の範囲です。
そんなとき、ホームラン性の決定打となる情報が・・・先の水原紫織氏の著書の中の推理にありました。下のリンクから続く4記事がその概要です。

引用ツイート
望月弥右衛門 · 5月28日時代を分けた「大化」の立役者には新説が出されています。水原紫織著『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』によると、鎌足の娘が唐に渡り、第三代高宗の妻・則天武后になり、武后(が高宗に嫁ぐ前)の息子が日本に返され、天武天皇になったという大胆仮説です。不比等の姉の子ゆえ、大立者が天武のバックにこのスレッドを表示

則天武后の夫は高宗李治。その正妻に修まった武后は正室の王皇后や後妻の蕭淑妃を刑死させ惨殺し、蟒や梟の姓に換えて評判を地に落としたとのこと。それはホツマの持子早子が瀬織津姫の采配で島流しされて刺客に追われ、後に九頭竜や八俣大蛇に変じたという話と似ています。また高宗の長男李忠は

地方の長官からさらに武后による殺害を怖れ、短命で世を去ったとか。対比されるのは穂日ですが、中央への帰還を怖れてか返事しに戻らなかったとされています。
また武后は、自称や尊号に天照大神の四字へと繋がるような言葉を用いていたことから、その総合としてこの尊称になったと見られるとのこと。

武后を敬愛する天武は、あくまでも日本の王であり、属国のそしりを受けてもならず、しかし日本神話の中で武后を最高神に据えることで陰ながら恩義に報いたのかも知れません。
武后の事跡はホツマの瀬織津姫のそれに似ています。それをトンイの作者は理想的な女性像にして表現したゆえに、ホツマより

優れた感動作品になった。よってトンイを秀・秀真伝と評してもいいかなと思ったりします。
しかし古事記では天照を女神にしたことで、イザナギ/イザナミのときの女先立つことは吉くないという禁則を破る矛盾を生じています。
しかし、ここにもまだ伏線が見える気がします。それはキリスト教的要素を

ちりばめておく場としての古事記神話です。原始キリスト教はカバラ占星術の意向を受けてキリストを太陽神の座に据える必要性がありました。当時は、なきキリストの再臨を待つ体制として、座を誰かにキープさせておく必要があり、一番弟子の妻マリアを招請したのではないかといった解釈になります。

ここにミグダルのマリアとサクナダルの瀬織津姫が相似像となり、このときキリストに相当するのは夫ニギハヤヒとなり、確かにニギハヤヒはかの岩戸山に封印されていて、やがて天照大神、天照皇大神、日の大神と揃ってお出ましになるときの天照大神がニギハヤヒで、岩戸は開かれ正道に復帰となります。

このようなとりとめもないメルヘンを想ってしまうことが、このもうろく爺の弱い心を支えているような次第。いやあ、一説を持ちそれを突き詰めていくことって面白いですね。誰も知らない、本来なら問わず語りの、たわいもない話でした。

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