ツイートのバックアップ 4/13~17

古代カバールの日本列島における最初の革命

4月13日
東経135.77~135.81くらいの真南北のゾーンが生命の木の中央柱(脊柱)になる予想ですが、カバラの中央柱の回流の儀式によるなら、エン・ソフの下、ケテルの遠敷(新生)、若狭(回春)の生命エネルギー(古代中東神話の命の水)が下降してその恩恵に浴すると見立てられていたのではないかと推測されます。
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4月17日
カバールは古代だけでなく、現代においてもいたるところにいます。集団の中に入り裏で支えるうちに、彼らは世界規模のグローバリストですから、集団の行き先にグローバル組織からの影響を与えます。
また、ある時期一斉に時宜を見た行動を取るようです。朝鮮半島からとは別に、台湾など南方からも。

というのは彼らは精巧な世界地図を持っていましたから、それを元に鳥瞰的プランを立てられるわけです。そして一斉に日本列島を目指しました。九州の有明地方に流れ着いた一行がその地に、イエスの名を遺そうと諫早という名をつけ、南部薩摩半島から来た一行が、薩摩富士を見て、志を遺したのが
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開聞岳です。この言葉は、”ひらきき”と読み、”生命の木を開く”の意味です。つまり、この地に生命の木の図像ありと知って、やってきているわけです。この木は永遠の常緑樹の意味であり、カバールにとってもロマンだったのでしょう。また開聞の”聞”は33の門のことで、33の拠点にする意志を示します。

この時期とは、占星術的には”うお座”に入ったあたりです。歴史を誘導する立場の彼らですから、地上にうお座の理念を敷衍しようとして、日本を司令部にする考えだったかも知れません。なぜなら、世界最大のシンボライズされた遺構があるからです。つまり革命は、事前に鳥瞰的に準備されるとの説です。

・・といった異界的推理をするのが私でして、決して一般的な学説や諸説と相容れるものではありませんのでその旨了解ください。ひとり一説とするなら、そのような類のひとつでしかありません。