ツイートのバックアップ 2/14、2/19

アイヌから鬼へ
https://twitter.com/1st64503291/status/1228051031503691776

2月14日
これは寄る辺なき爺の独り言。
アイヌは縄文人の末裔。歴史修正主義者たちは、最初から日本は大和から発したとしたいのかな。大和は元は朝鮮半島にいた倭。米国と同じで、新参者によって先住民は絶滅させられてしまうのかな。
河馬流の常套手段でさぞ日米マンセーだ。
そう、セーマン晴明も古代河馬流だった。

引用ツイート
どすえそーだ@ShowBanShinra · 2月10日返信先: @MAKIBRIさん政権が拠って立つ日本会議はアイヌ新法にケチつけてますものね。彼らはアイヌ民族を先住民族として認めてさえいません。単一民族幻想にしがみつきたい化石みたいな連中の圧力があったとしか思えません。野村萬斎、がっかりです。

大陸思想と共にやってきた河馬流だった。五芒星はカバラに由来する結界のシンボル。
河馬流は革命を通じて歴史を進行させる。平安時代はそれまでのユダヤ/キリスト教勢力を大陸系思想(バビロニア習俗)で置き換えるための革命時代でもあった。萬斎氏は晴明の役をやったから、以後彼の霊を乗せているのかな。

晴明ら陰陽師が忌み嫌ったのが”鬼”だったが、鬼とはセフィロートに沿った、おにゅう(生命の新生、遠敷)のカバラ祭祀をしていたユダヤ教徒で、この旧勢力に対して讒言を放って追討したのが鬼退治として伝えられるものだ。遠敷の儀式は、カバラの生命の木の中央柱の回流の国体規模の典礼儀式だったもの。
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https://twitter.com/1st64503291/status/1230008468720906240

2月19日
若狭の遠敷のおにゅうとは生命の新生の霊的エネルギーを意味する。そこから真南の次なる拠点に向けてエネルギーを送ることを順次、意図していくことが回流の儀式である。それはまた北へと循環させられるだろう。その後世に遺された儀式の名残が、遠敷から奈良へのお水取りの儀式だろう。

奈良時代から仏教によって取って代わられたが、それまでは先修験者(ユダヤ教徒)によって数百年間は続けられていたことだろう。もしかしたら遠敷~奈良だけでなく、各セフィロト間で循環されていたかも知れない。元伊勢の内外宮には毎節分夜に杉の頂から都方面に発光体が飛んだと伝えられる。

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2月19日
元伊勢の北西すぐのところに鬼の酒呑童子伝説のある大江山がある。元伊勢の近くに鬼がおったなんて、と訝っていた土地の古老がおられたが、その方も最後には、鬼ゆうて少しも悪うないんやってなあと仰っていた。鬼は祭祀拠点の近隣に住して、儀式を担ったのであろう。
酒呑童子も修験者を偽装した

源氏の一党を仲間が来たと思い角を取って出迎え、油断して殺されたとのこと。また、天狗も異端の妖怪の如く扱われてしまった。なぜ近畿に伝承が多いのかは、彼らにとって遠い故郷を思わせる光景があったからかもしれない。

望月弥右衛門@1st64503291 · 2019年10月27日原始キリスト教徒(クムラン宗団)のいた死海周辺の環境は、大阪湾に面する六甲山系に似ています。そこにはやはり先修験者で後に天狗とされた異形の人々が居て、洞窟を修行の場にしていたそうです。六甲山には天狗岩が数箇所あるそう。

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通常は国体ではなく人間の体に生命の木を見立てて、カバラ行者は魔法の修練として中央柱の回流というエネルギーの循環訓練を行う。それは多少の相違はあるが、インドでのヨガの特別な行法とも共通し、また中国の仙道の小周天としても知られた、古代世界共通の霊的能力獲得の技法だったものである。

そこには、霊的環境を整えてからすることが大事とされ、このために精進潔斎のようなことを前もってやるのである。正確な典礼様式に従うことは無論、その前段階の追儺の儀式にも正確さが要求された。そうでなければ、邪悪な意図や障害が交じり込むとされた。鬼や天狗(先修験者)はそれを修していたものか。

カバラの追儺の儀式には二つあり、ひとつは五芒星を結界として描くこと、またひとつはカバラの十字で修行者を悪魔的な影響から守ることである。後者はアーメンと胸の前で十字を切るのと共通する。
私が意外に思ったのは、前者の五芒星たるべきものが、畿内の生命の木では、逆五芒星だったことである。
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西洋カバラでは逆五芒星は黒魔術の意味を持つとされる。それが東洋では異伝が生じて広義に良いと解釈されて用いられた可能性があると思い、この国の行く末を見守ってきたようなことだ。はらはらしながらというのが本音だったが、実際どうなのかというのは、結末の善し悪しで見るしかなかろうか。

むろん、どこがどうなったとて、いいんだよ。万事塞翁が馬で、滅べばいっそう建て替えが大規模になりまた容易になり、大建て替えという手順にまっしぐらする。どう転ぼうと、ドンマイドンマイ。一度生を受けたら一度死ぬ。当たり前の物語。オー、アフリカ。

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2月14日
こんなことが国体レベルで行えるのは、レビ族の司祭だろう。おそらく初期の大王家はレビ族であり、奈良時代までは国体級の大規模祭祀が隠密裏にも執り行われていただろう。そもそもは畿内大和に生命の木があるとの情報があり、大王家がここにイスラエルを再建しようと意図したのかと思う。

このため倭人と共にレビ族は主体として征服に乗り出したのが神武東征と知られる出来事だったろう。そこにはユダ王国の2氏族が含まれており、エゼキエルの発した預言、イスラエルの民の一本化の実現も考慮された一大事業となっていたのであろう。失われた10氏族は縄文人と和合してそこにいたのだから。

しかし、大化の改新前後に、民の一本化の神の預言が成立と看做され、また国力をつけたと判断されたことから文化革命として、ユダヤ教の密教部門を隠蔽する施策を取り、顕教部門に大陸の陰陽道を取り入れ陰陽師を神官として各地の神社に派遣し、また大陸仏教を取り入れ各地の寺社に僧職を置いた。

レビ族は大王家のみを遺すに止め、仔細を知る密教行者衆、修験者たちは弾圧の対象にされていき、ユダヤ教色は排除されていった。そこに謎がある。神への裏切りか。否。神とは誰かを知り、その直属の配下であることを自認する隠然たる存在、
河馬流が歴史に果たす革命の発想があると解するのである。

こうして鬼は退治されることとなった。天狗も同じ密教修験者であり、山人とともに弾圧の対象となった。
大和言葉への標準化によって、発音の拗音が取り去られ、”おにゅ”は”おに”になり、後に中国の鬼の字が当てられたものだ。同様に、邪馬台も”ヤマティ”の拗音が取られてヤマトになっている。

大和言葉は、縄文部族ヒノモトの文化の中にあったのであり、大陸からの言葉は拗音を多用していた。倭は河内大和に先住した日本(ヒノモト)を併合した後、国名を日本に替えるとともに、言語も踏襲したと解するのである。
魏志倭人伝では、聞いたままの発音で”邪馬臺國”としたが、実は大和のことである。

また、卑弥呼の後の壱与も臺与の読み違えで、本当はティヨこれをトヨと読む。すると卑弥呼とは日巫女の連想で天照大神の内宮祭祀の巫女(団)のこととなり、臺与は豊受神の外宮祭祀の巫女(団)として、それぞれ配備された神官の系統だったことになろう。卑弥呼をいつまでも卑しい扱いにすべきでない。

鬼の封印は安部晴明などの陰陽師が源氏を使ってやった。同類の天狗の封印は空海どんが呪詛法を使ってやったというわけだ。
私はその両者とも謎解きをして封印解除したよ。
こうした封印は、術達者の密教行者たちに立ち向かう河馬流側の超能力者を使ってする常套手段だったのだ。

6000年の歴史への管理を請け負った気でいる河馬流が、うお座の時代を敷設する上りルートにあった頃だから仕方ないことになるのだろう。しかし、今は解除の時期なので、そのために私のような者がやってるわけだ。危うく隠蔽されたままで終わりかけていたのだが、いつしか有志参加させられていた次第。

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