ツイートのバックアップ 11/11~22

一連の不思議事象

11月11日
この家であったひとつの不思議。1988年のことでしたか。
一匹の天使が半年あまり2階のベランダで暮らしました。
たまとしてうまれすべての生き物は、ただ漫然と生まれてくるのではなく、何か目的を持って生まれてくるのかも知れません。特に人間と関わり合いを持つことになる生き物に対しては、そうした目を向けてやることが大切かと思います。そうすれば、何か思い当たる節があるかも・・。p.booklog.jp

1990年には母の勧めで国鉄駅の近くの新古マンションの一室を購入。私はそこに2年住んだのですが、不規則勤務と場所柄が影響したか、金縛りに頻繁に遭うようになりました。初めは脳内の凄まじい爆音と身動き取れないため恐怖でしたが、二度三度となれば、いろんな試みをしてみたくなりました。

本当に動けないのかと力を入れると、簡単に脱け出す部位が掴めました。腕です。ところが、その腕を開いた目の前に晒しても見えないため、これはいったい何だ?、となりますね。ところがよく見れば、視野の周辺部で指の輪郭がうっすらと見えるのです。その現象は度重なるトライのすべてで同じでした。

解釈はこうです。肉体の視野の大半部分では異界の存在は見えなくなっていて、周辺部でのみ見えるものだから、おや?何かの気配が?と思って振り返ってみても視界には見えないから気のせいにしてしまっているのではないかというわけ。
度重なるうち、爆音は穏やかなものになり、噂どおり腕の壁抜けや、

電灯の笠を触るゴームズも可能と分かり、ついに全身脱けをすれば、そのまま色鮮やかな明晰夢になっていくことも確認。その中の明晰夢の一度が、約30年後の現在の私を予知した象徴夢であったことに気付くことになりました。
よく金縛りでは幽霊の姿が見えるといいますが、私はそんなことはなかった。

幽体離脱と巷では言いますが、アストラルボディですね。それでアストラル界が探訪できる。それは過去も未来も割と自在に見てこれる映画インターステラーの異次元世界といった感があります。ただ、脳の中での認識とずれがあるため、荒唐無稽にしか思えないのですが、ひよっとしたら向こう側が本物かも。

考えてみれば、よほどこっちの世界のほうが天地真逆で偽物としか思えないのです。こんな理不尽と馬鹿が通ってる世界というのは、どこにもないでしょう。仮想現実として、わざとこんな”冗談は顔だけにして”といった世界を、誰かジョーカーみたいな奴が創ったんだろうなと思えなければ嘘ですよ。

まあ私もいずれこのアストラル界を使って、最後の審判の督促をしに天帝様のところに行ってきます。それはもうシナリオですから、そのときこの世界は矯められているか、それとも廃絶になっているかのどちらかになるでしょう。
今日またひとつ照合が取れました。
引用ツイート望月弥右衛門@1st64503291 · 11月11日まるで墓地の造成風景のようだ https://twitter.com/someone596

これでは加州の行方不明者の数はおびただしいでしょう。墓地の造成地に足りないものは大理石の十字架です。その十字架は野球場の一塁側観客席にたくさん整列していました。理不尽な目にあった人たちが訴えるものとは、黙示録に記されてませんか。
引用ツイート望月弥右衛門@1st64503291 · 10月12日30歳代の前期に最後の審判の督促係として出向くような明晰夢を見まして、それが別人の話とシンクロしたため、どうやら本当のことになるのかなと思ってきたようなことです。出向く起点になる場所がロサンゼルスの野球場。私は未だに行ったことがないのに、そこから天に昇っていくのであります。

私は50歳以降、エジプト神話における最後の審判の執行者ホルスの雛形としての属性を付与されてきたように思います。シンクロ的成り行きがことごとくホルスの属性を示してきました。私は無論、ステイタスとしての存在で真の実行者は高位自己もしくは高位存在です。https://bit.ly/2O17YYQ

調子に乗ってついつい脱線してしまいますねえ。あのうさぎ小屋の実家には祖母がよくやってきて、ここは居心地がいいと言っていたものでした。しかし、古くて暗い感じがあったので、祖母の終の棲家を用意しようと思い、郊外に住もうと祖母も連れて探しました。まず土地が求まり、すぐに建てることに。

1993年には私の概略設計でプレハブメーカーに頼んで造ってもらいました。荷物を多く持ち出さず、実家を倉庫にしたため、阪神大震災で実家は壊滅しましたが、新築側に住んでいたため、大きな揺れは経験したものの、人的被害はなかったのでした。妹は神戸市内に住んでいて被災。
やまんばの歌多くの人がなくなった1995年1月に起きた阪神淡路大震災も、より高いところから見れば、意外とこんな騒動が原因だったりしないかと思ったりします。p.booklog.jp

なんだか大変な時代に突入した不安感があって、仕事も大変、心房細動にもかかり、もうこんな世界にいたくないと高位自己に、昔は人生50年と言ったのだから、50歳までで終わらせてくれと頼んだわけです。どうせゲームの世界でしかないだろうから金輪際輪廻も御免、霊魂が輪廻の因なら消してほしいと。

しかし、そんな請願など受け付けられるはずがなく、ただ漫然と50歳の壁を越えていました。しかし、よくわからないうちに、それまでできたはずのない彼女が2003年までに連続的にひとり、ふたり、三人とできてしまうのです。2004年に最初の彼女と再び付き合ううちに、高位自己への請願について話した

ところ、彼女が最初のメールを出した日を調べて、私の50歳の誕生日の直前日であることを見つけて連絡してくれたのでした。なんと、50歳の直前日とは1999年12月14日。私の首は彼女によって討ち取られたことを知ったと同時に、高位自己の臨在を如実に知ったのでした。

それからは、彼女らと不思議三昧の付き合いとなりました。最初の彼女の本体は雲龍である奥津嶋姫であることも判明。二番目の霊媒体質の彼女は市寸嶋姫が本体であることも。つまり50歳以降は、高位自己が私に神世の神与の役割を与えてくれた異界の体験ゾーンでもあったのです。

2001年から新神話を作るようになりましたし、そこで設定するシナリオに応じた俳優が、神世の世界からこの世に出演しにやってきてくれるという状況がこれまで続いています。だから縁者はたいがい神様か神獣の化身なのです。それがすぐに判明するのも、この異界ゾーンの特徴であるのです。

しかし、私は大建て替えの方向に向かっています。大多数は千年王国実現の側ですが、2015年9月23日にこちらは袂を別ってやってきています。それはちょうど映画トゥモローランドで言えばフランク、ケーシー、アテナの新規開拓する広漠たる世界であり、大多数は滅亡を回避できた地球という並行世界です。

私は小6の頃に日曜日にあったディズニーランドの番組がいつも楽しみでした。隔週交互でプロレスがあって、親父はそっちが好みでしたが私も見ていました。そうね、不思議なことにこの頃、手相のますかけ十字が両掌の真ん中に定着して、当時からこれって救世主の印かなと秘かに思っていたものです。

11月17日
これが私の両掌の相です。細い枝線が密になってしまい、いかにも年取った感がありますが、当初はシンプルに見えたものです。
この当時に本邦初のアニメ(東映アニメ)白蛇伝ができて、映画館に見に行き、すごく感動したものでした。白蛇青蛇の主従と書生の許仙の当時のパラパラ漫画によるアニメは秀作。
null

50歳になる直前日に現れた最初の彼女とは出会わぬままに電話とメールでの恋仲になり、どちらの顔が好きですかと免許証の写真と技術者証の写真をメールしてきたのにはびっくり。見れば前者はアイシャドウがケバく背景が青なので青大将を直感。もしかしたら白蛇伝の再現なのかと直感。

出会うことなくそうしているうちに、2000年7月には二番目の女性が私のHPの内容を見て相談してほしいと連絡を。私は当時、創作系サイトと超常系サイトを公開していて、最初の彼女は前者を見てというのも共に童話創りを趣味にしていたため。二番目は、様々な心霊現象絡みで後者のHPを見てのことでした。

ところが二番目の彼女は、私の相談が気に入ってしまい、もしかしたらあなたかもしれないと、核心になる10歳頃に連夜ある建物が関係した夢を見て、その最後にその建物の中で不思議な青年に出会ったときに、その夢の呪縛から解放されたというのです。建物は実在。ならば青年も実在すると確信し探したと。

それで、そのときの出会いを再現してほしいと頼まれ、最初の彼女にはその旨告げながら逢うことにしたのです。その建物とは今では神戸の舞子公園に佇む”移情閣”という八角三層の華僑が建てた風水塔。かつてはやや東の塩屋にあって、明石海峡大橋の本土側のシンボルにするため移設されたのでした。
null

不思議な感じのする建物の二階で南の窓の外の海の景色を見ながら語らいました。三階から下りてきた青年と出会ったこの二階は龍の間で、三階は鳳の間。いわば鶴亀が統べったことになる。私は拝み屋の見立てで鶴らしいと言えば彼女は亀だと言い出す。確かに乙姫に似てると納得。我々は浦嶋と乙姫かと。

そして夢の所定の位置で握手。彼女はこれでいいと言う。これで再現の儀式が終わり、彼女を途中まで送るときに、たぶん夢の青年はあなただと思うと言ってくれました。それでも、何らかの験があるかもしれないから、待ってみようとも言い、しばし待つことになりました。

するとその日時からちょうどまる九日216時間後に、鳥取西部地震M7.3が起きました。その日がまた旧暦の九月九日ひのととりで、鳥取の日野町が震源ということで、”九”の数のゾロ並びと”火の鳥”の関連語が出てきたわけでした。験(しるし)としては申し分ないものとなり、彼女は一気に積極的になりました。

DVの旦那とその月の内に離婚し、幼子三人を引き取るというすごさ。私も協力せねばならんかと思ったものの断られ、今ではものの見事に一人で育て切ってしまいました。その頃、彼女らしいミミズを巨大化したようなプニプニ白蛇が県道二車線を塞ぐほどのサイズで南下し、土手を這い上がって停まる夢を。

彼女も同じ頃、自転車で道路を漕ぎ下り、土手に駆け上って朝日を眺めた夢を見たと知らせてくれました。その後、私が彼女に執着したので、ひどい剣幕で別れることに。そのときの夢に目を血走らせた白蛇が睨むのが出てきたことも。そして当時、不整脈で意識を失ったとき、白セーターが首を絞めてあわや

死ぬかというとき、母が大きな音を聞きつけ助けてくれました。その日の午後に高円宮が心室細動で亡くなったのでした。よってその日はいつでも思い出せます。
思わぬ成行の白蛇伝とはなりました。伝説の白蛇は八角七層の雷峰塔に封印され、彼女は八角三層の移情閣に閉じ込められていたわけです。

MOAの篤信者だった彼女は霊能者で、私を夢に見て、病み疲れたこの世を灼熱で焼き浄化する朱雀だったとのこと。朱雀は火の鳥のことで、不思議な験が出たもよう。九は丑寅の金神を奉祭した九鬼氏を物語り、知らずに逢引場所にしたのは九鬼本陣のあったという高御位山の直近の鹿島神社だったことも。

私は結局、大本教系の教理はまったく理解せず、彼女から岡田茂吉のミッションだけを受け取ったようなことだったかも知れません。封印された国常立尊を救出することが目的だったと。
三番目四番目と彼女が現れましたが、三番目の人は神様(教祖)遍歴する人で、そのたびに大出費していたのですが、

実はその人の飼っている猫(ノラという)が、家系の守り神・神農神の化身であることを私はノラの写真を撮ったときに見つけました。灯台下暗しとはこのことかと思いました。
null
四番目の人は、名前が天照大神の岩戸開けを暗示していて、誕生日が本当は12月30日なのを、親は1月2日で届けたとのことで、親が設定した日を嫌い

12月で友人に祝ってもらっていたとのこと。もしかすると天照大神は日の出前の状態が好きで、岩戸から出ることを嫌がっているのかもしれないと思ったようなことでした。いろいろと暗示されることの多い成行きでしたね。
その後、最初の彼女と縁が戻り、もうためらわず会おうと、初めて出会うデート地は

フラワーパーク。二時間ほど園内にいて帰る段になり、出口の売店で花の鉢を求めてあげようと、選んでくださいと言うと、持ってきたのは小さなプラスチック鉢。しかも花ではなく草。しかし、名前を見てびっくり。”龍の髭”。二番目の彼女が龍であり白蛇。この人もそうで青蛇という対応と気付くことに。

それまで平凡女性だった彼女が、めきめきと霊能資質を顕し始めたのです。白蛇伝でもいつも二番煎じでいた青蛇が本領発揮しだしたのです。2005年には白蛇が二番目の人から脱魂して彼女に合流したことを第三者から知らされ、さらに当時創っていたHPがFC2で、テンプレートに選んだのがフラッシュアニメと

妙なる曲の粋なものをしばらく利用。その曲は何なのかと、アニメに入っていた字幕の漢詩から検索すれば、それは曲名が”流光飛舞”で、なんと香港映画「青蛇」の主題歌。その映画は日頃、日の当たらない青蛇を主役にしようとの判官贔屓の思想から生まれたとのこと。
陳淑樺 – 流光飛舞陳淑樺 – 流光飛舞 曲︰黃霑 詞︰黃霑 半冷半暖秋天 熨貼在你身邊 靜靜看著流光飛舞 那風中一片片紅葉 惹心中一片綿綿 半醉半醒之間 再認笑眼千千 就讓我像雲中飄雪 用冰清輕輕吻人臉 帶出一波一冷的纏綿 留人間多少愛 迎浮生千重變 跟有情人 做快樂事 別問是劫是緣 像柳絲像春風 伴著你過春天 就讓你埋首煙波裡 …youtube.com

11月18日
チャイニーズショップから中国語版「青蛇(転生)」を購入して彼女にも見せました。言葉はわからなくも、むしろ意訳のほうがとても良かったように思います。本邦訳の映画も後に見てみての話。
要は、私のアシスタントとして君はなんら遜色ないということを示していったのです。

11月21日
今度は白蛇のほうが従になり、青蛇をサポートするようになったとみられます。後にこの二人は神霊における姉妹であることがわかりました。一覧するなら
1番目–青蛇–青龍–雲龍–奥津嶋姫(豊玉姫)・1999.12
2番目–白蛇–玄武–金縁の青龍–市寸嶋姫(乙姫)・2000.7
ちなみに私は朱雀を受け持ちました。

2年の白蛇との期間の後、1年の他者遍歴を経て、2004年に青蛇と復縁し、2005年に白蛇が合力。白虎が未定だったものの、新神話は円滑に展開しだしました。2004年当時の我が家で彼女に磁場を刻ませたため、それを手掛かりにたびたび意識を飛ばして我が家を訪れたものの、障害があって入れないと言います。

その原因が扉に貼ったムーの付録のサイババのポスターであることが分かり、2006年末、彼にはお世話になったものの自らはがしました。すると2007年1月14日未明の夢に彼女は本体のままでやってきて、私の胸に飛び込んできました。朝、彼女に問えば「私よ」と返事が。どえらい力を見せられた思いでした。

2007年9月に私の母が亡くなりました。その頃、なき母の夢をたくさん見ました。母を下界付近に置いとけないと、21日の晩に諸天善神に母の極楽浄土の彼岸入りを祈ったところ、翌朝未明に雲海の上の燦然たる御来光に渡す広い動く道に母が乗り、付き添い導師四人に伴われ御来光に至る夢を見ました。

その頃開設していたブログにそのことを書きますと、当時は今とは違い検閲がされていなかったため、多くのレギュラー読者に恵まれていて、多くの賛辞をいただきました。ところがその半年後、読者の中に残雪スキーをされる方が居て、とても珍しい写真が撮れたと送ってくれ、それがなんと夢の光景と一致。
null

それをブログに報告し、撮影地を問えば、琵琶湖バレーのある蓬莱山で、雲海は湖面に現れた蒸気によるもので、消えかけた動く道は蒸気の晴れ間に旭日が照り返したものとの返事があり、富士山ではなかったものの、ブログは炎上したのです。これまた春の彼岸の近日の撮影のため、旭日は真東に出ます。
null

御来光の道は、蓬莱山–沖島の蓬莱嶽–御来光で、道行の導師のお一人が、初めて母の葬儀を執り行ってくださった蓬莱道龍和尚だったこと。この粋な演出は、不思議の多い私とはいえ、人生最高の不思議と言っていいものです。
それをしてくれたのが、私の胸に飛び込んできてくれた雲龍・奥津嶋姫でした。

なぜなら、沖島は奥津嶋姫を祀る御陵とも言える島で、彼女が愛し童話にも書いた孤独な鯨そのものなのです。神霊世界とはなんと粋なシンクロが奏でられることよと唸ってしまいます。多数のお見送りの人たちは龍神の彼女が参集させてくれた龍族の方たちだったでしょう。
null

彼女の神霊は私の胸の中に2013年まではいて、同年に受けた集団検診の胸のレントゲンに写っていたもようです。肺の半分までを占めた心臓の白い影から立ち昇るように丸い骨格らしきものが写っていました。医師はそれに関して何のコメントもなし。見えていないようでした。私は動脈瘤かとさえ思ったのに。

私は逆に彼女のほうに私の意識体の一部を置きました。
2008年9月に彼女はいきなり高野山詣でするとのことで、あそこはお蔭がきついから気をつけるようにと言いました。というのは、白蛇伝でお尋ね者の蛇主従を捕えようとしたのは法海和尚。空海和尚はなんとなく似ています。天狗の封印をしましたし。

案の定、不思議な心霊写真を撮ってきたことと、著しい疲れで爆酔し、夢枕にお坊さんが立ったことなどを伝えてきました。私は同行していないのに並行して疲れていました。意識を交換し合っていたからでしょう。そして早速、朝に具体的に伝えてきました。写真の鑑定と、お坊さんの伝言についてです。

金剛峰寺持仏間を撮った写真に、六角オーブが襖絵の鶴一羽の上に写っており、オーブの中に人物像が出ていました。そして夢の御坊は何か光物を抱えていて「間もなくお生まれになるぞ」と告げたとのこと。私はすぐに御坊は空海で、生まれるのは弥勒菩薩と理解し、その旨を彼女とブログ読者へと。
null

またもブログは炎上。彼女は持ち前の水陸両用のデジカメで、陸上だけでなく海中でも、それ以来、六角オーブを一枚の写真あたり1つ~10個もの数、写すようになり、私がそれを見て、君の神霊の子供だろうと言うと、とても喜びました。彼女は現実世界で子をなせなかったからです。

私はこの経過の中で、多くのことを知りました。意識体同士の交わりにおいても、意識体の子をなせること。また彼女は諸宗教に無知識だったのに、このような経験とは、神霊は了解していて、化身は男女の関係を繋ぐために遣されていることもあるということ。彼女の神霊の子の筆頭は弥勒だということなど。

またこの経過の中で、玉依姫の神格を帯びる読者が現れたことも不思議でした。このときは、彼女は豊玉姫となり、ホホデミ(山幸)と交わるという神話に拠ることもわかりました。龍は多産なのです。両生類なので。別れは、2010年5月に子供皆連れて海原に帰ってしまったことで神話を満たしました。

2009年には、彼女は何ゆえかまた不思議な旅をしました。出雲地方を数日かけて廻ったのです。このときも六角オーブはたくさん撮れていました。そもそも、出雲の神社には出雲系国津神を祀るものが多く、ほとんど御神紋が亀甲紋(六角)なのです。神霊の形を知った神職が御神紋を決めたのでしょう。

私はまだそのとき、出雲になぜ行ったのかの意味が分かりませんでした。その翌年2010年5月に彼女は沖縄で海難事故に遭い亡くなりました。事故死の前日の彼女自身が撮られた写真に、彼女の生霊オーブが、六角を横たえて写っていました。中には花柄が認められ、奥津嶋姫の御神紋とわかりました。
null

それ以後、私は六角オーブの写真は、どんなところでも見たことはありません。彼女は水の神霊の化身。奥津嶋姫はインドの河の女神の三姉妹の一人に比定されます。日本では、三姉妹は半島の崎や水上の島に置かれる孤独な神霊になっています。なぜなのか。
サイババはガヤトリーマントラを薦めるのに。

11月22日
インドでは浄化の神としてトップに挙げられる神なのに、日本ではどうして孤立しているのでしょう。
そのわけはホツマツタエが記していました。
私は2013年5月11日未明の夢の中で、出雲大社とみられる社殿の板の間に敷かれた軽い敷布の上で目を覚ましました。

軽い掛布を取ると、そこに燭台があって大きな火が灯っていました。いくつもの緞帳で仕切られた一室にいて、通路になっている板間への出口が緞帳二枚ほど開いていて、そこに弥生服を着たミズラを結った男性が通っていきました。

また反対側の角には緞帳半分ほどの空きがあり、そこに平安調の装いの女御が座っていて、私が起きたのに気付いてこちらを向くと、なんと彼女で、にこっと笑うとお歯黒がキラリ。
そして外に出ようと板の扉を開けて外観を見て回りました。古代出雲大社想像図とは異なり、高さ数十mの一枚岩山の上に築かれ

社殿は表側に広く、両側に階段が下のフラットな地面まで伸び、その上で黒スーツ姿のブラックメンが幾人も立ち働いていました。なぜ出雲大社かというと、式年遷宮の翌朝の夢だったからです。弥生服の人は地上にもそっくりさんがいて、カミサマと呼ばれている様子。大国主命に似ているからとのこと。

私は現物を夢で見ましたが、他の人も見たのでしょうかね。そして、ホツマによれば、大国主命の奥様は奥津嶋姫とされているのです。ホツマが信頼置ける神話であると思う所以です。古事記では八上姫とされ、たくさんの姫に慕われていたようですが。男前ですよ、私の目から見ても彼は。

彼女はとても孤独性でした。奥津嶋姫の神霊もその思いが強かったのでしょうか。その理由はホツマに見出せます。ホツマは神世にあった真実を語っているのでしょうか。それとも神話によって神々がシナリオ付けされてしまっているのでしょうか。
私は探偵性ですから、神世にまで老婆心してしまうのです。

そして理由を突き止めました。ただ読めばわかることですが。しかし、私はそこから探偵をするわけです。神世の事件の表相には載らない真相を。
私が何ゆえ彼女たちに見出されたのか。それは私が異界探偵だったからです。50歳からの寿命を授けてくれたのは彼女の本体様であり、私は雇われたのです。

結果はすでに得られています。彼女たちは大手を振って世の中を渡っていってください。半島の先端や洋上の島に孤立する必要はまったくないのです。2014年にはダメ押しの幾何学図形までみつかり、それによる太古神たちの封印解除もしました。そのためのツールは彼女が用意してくれました。乙姫の玉。

特筆事項として、2013年10月に不思議な夢を。海難事故で亡くなった彼女が、たぶん別のタイムラインなのでしょう、女優歌手としてデビューした会見式の様子を私は会場の後ろのほうから見ていました。彼女は女優になりたい夢を持っていて、民間劇団で練習もしていたのです。そこでは夢が叶っていました。

誰しもこのように別の時空が用意されていて、そこでも私と彼女が共有する空間があったのかもしれません。
女優と歌手も兼ね備えた彼女は確かに美しい人でした。
会場の案内で、「女優歌手としてデビューされたナオミさんです」の声とともに会場から花束が。とそのとき、両サイドから彼女に放水が。

水に慣れた彼女。少しコメディアン的でしたが、2013年のときの年齢なら彼女も50歳ほど。高齢だからこういう切り口のデビューもありえたのかと思いました。
おめでとう。希望が叶えられましたね。
よく似ている女優歌手。
Deanna Durbin – Danny BoyPerformer – Deanna Durbin Lyrics – Frederick Weatherly The famous ballad “Danny Boy”, ironically, was written by a man who never set foot in Ireland. Weather…youtube.com

数は少ないですが、世に言う明晰夢というものを見たときは、正夢や啓発夢であることが多いためなるべく記録しています。
夢見超常体験記掲題のとおりの備忘録です。記事の性質上、更新は随時ありえます。p.booklog.jp
午前9:18 · 2019年11月23日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です